第134話
再び生を受け、動き出したアレキサンドロスは圧倒的な存在感を放っていた。
瞳孔を隠すように光放つ目は鋭く、呼吸と合わせて肩を上下にゆっくり揺らしている。
その悠々と佇む姿を見て抱く感情は――恐怖。
しかし震えることすら許されない。それどころか呼吸すら満足にさせてもらえない。
リンシアはその巨体を見上げながら、時が止まったように全てを硬直させていた。
それはレニに至っても同じである。
剣を握っている手が――体重を支えている足が。
拘束されているかの如く動かせていない。
ランロットはふわりと宙に浮かび、アレキサンドロスの視界へ入った。
「さぁ、ダーリン。私と一緒に行きましょう。そして――魔族に復讐をしましょう」
両手を大きく広げて微笑みかける。
リンシアはその様子に、何かがおかしいと違和感を覚えていた。
「ぁ゛ぁ゛――」
枯れた唸り声を漏らし、アレキサンドロスは大きな両手でランロットを包み込む。
「ドロスちゃん、そんなに私のことが――」
ぐしゃり――。
生々しい音が言葉を遮った。
アレキサンドロスがその手に包むランロットを握り潰したのだ。
赤黒い血潮が辺りに散らばる。
「わだじよ……どろずぢゃん……」
だがランロットは抵抗しない。ただひたすらに彼の瞳を見つめ、訴えかけている。
そんなことなど気にする様子もなく両手に力を込めるアレキサンドロス。
声は全く届いていない。それどころか心というものを全く感じない。
突如、魔法陣がランロットの前後・上下・左右の6方向より出現し、黒い光を放ち始めた。
「あれぎ……ぢゃんの……ためなら……」
黒い光はランロットを煌めかせ、粒子となってアレキサンドロスの体内へ吸収されていく。
抜け殻となったランロット――だったものは、物のように地面に投げ出された。
リンシアの違和感が確信に変わった。
死人を蘇らせる【死者復活】は、おそらく失敗していたのだ。
厳密に言えば、不完全だったのだと。
「ぐあ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!」
再び咆哮が上がる。
アレキサンドロスは全身に膨大な魔力を宿していた。
それはおそらくランロットから吸収した魔力。
そのまま右手を平たく構え、アレキサンドロスは空虚に向けて下から振り上げた。
――えっ?
リンシアは驚愕した。
一振、空を切る――ただそれだけで室内全体が真っ二つに割れたのだ。
施設だけではない。隙間から漏れる月明かりが、被害は城全体であることを伝えている。
半壊する城の中、リンシア達はまだ動けない。
不運にも、そんなリンシア達に鋭い眼光が向けられた。
殺気は全く放たれていない。
しかし明確な死の予感を抱かせられる。
本来、【威圧】とは存在に気力を乗せて、自分を大きく見せることで敵を萎縮される用途で使うもの。
死を抱かせるなら殺意に気力を乗せて殺気として放つのが普通なのだ。
つまりこの死の予感は、強力すぎる【威圧】によってリンシア自身が勝手に連想してしまった弱さなのだ。それ故に体の硬直も解かれることがない。
「ぁ゛ぁ゛」
飛んでいる虫を払うかのように、アレキサンドロスは軽く左手を振った。
そんな軽い動作にも関わらず、凄まじい衝撃が動けないリンシア達の元へ迫ってくる。
「ママをいじめるなぁー!」
間一髪で、甲高い声と共に宙を舞う小さな少女が現れた。
少女は全身を力ませ、光の盾を前方に作り、衝撃を受け止める。
そして巨大な鉄球がぶつかりあったような衝撃音を響かせた。
「わぁぁぁぁぁ――うべっ」
盾は粉々に散開――少女は身を前後に回転させながらアーチ状に飛ばされ、瓦礫の山に落下した。
「キサラちゃん!」
「うぅ……泣かないもん……」
リンシアが少女の名を叫ぶと、目を潤ませた少女はひょこっと起き上がった。
だがここで変化に気づく。
声が出る。身体が動く。それだけじゃない――魔力も微量に回復している。
だからこそすぐさま魔法を発動させた。
「【リラックス】――【極・防具】」
光の結晶がレニとリンシアの周りを囲い、体内へ吸収されていく。
魔力と気力に対しての攻撃を緩和してくれる光の防具。
そして緊張や恐怖、痛みなど、負の感情や感覚を和らげる効果のある魔法である。
リンシアはそのままの足でキサラの元へ向かった。
「ママっ!」と声を上げたキサラは、ふわりとリンシアの胸の中に収まる。
「リンシア様! すぐに逃げてください! 命懸けで隙を作ります!」
レニは叫んだ。現状、逃走が一番好ましい。
だが、それを簡単に許してくれる相手でもないのも事実であった。
アレキサンドロスは追撃のために拳を構えている。
「【反射光盾】」
衝撃はすぐに迫ってくる。
魔力をありったけ込めてレニの正面に光の盾を出現させた。
キサラの出したものよりも強度があり、受けた攻撃を等倍で反射させるカウンターの盾。
しかし拳の衝撃を受けた盾は反射させる事なく光の粒となって散っていく。
「【火刄鳳舞刀】!」
その間、レニは動いていた。盾が攻撃を防ぐと同時にアレキサンドロスとの距離を埋めていたのだ。
そのままゼロ距離で炎帝の斬撃を太ももへ放つ。
だが近距離の炎がアレキサンドロスの皮膚を焼くことはない。
それどころか傷一つだって付いていない。
既にアレキサンドロスは次の攻撃態勢に移っている。
「キサラちゃん! 【コメット・フィールド】」
リンシアを中心に半径15メートルの薄い光の球体が形成される。
そしてレニの元にキサラが現れ、共に姿を消した。
空振りになった攻撃は地面を砕き、凄まじい地震が起こる。
【コメット・フィールド】は球体の中であれば瞬時に移動することが出来る精霊魔法である。
移動のみならず、魔法発動時間も短縮されるのだ。
「逃げますよ!」
目前に姿を見せたレニとキサラへ必死にリンシアは叫ぶ。
だが、そんなに甘い相手ではなかった。
あれほどの巨体にも関わらず、おぞましいほどの速度でリンシア達の行先へ現れたのだ。
「リンシア様っ!」
レニは即座にリンシアとキサラを突き飛ばす。
既に放たれていた凶悪な一撃がレニへと直撃した。
「がっ――」
レニはその場から消える勢いで飛ばされた。
残酷な事に、アレキサンドロスの攻撃はまだ止まない。
禍々しい魔力を宿した左手がリンシアに迫っている。
「【叡智の盾】!」
半透明な光の盾がリンシアを守る。
精霊魔法【叡智の盾】は【反射光盾】のような反射効果はないが、防御性能は3倍以上に硬い。
発動させるのにタイムラグがあるのだが、【コメット・フィールド】内では瞬時に出すことが出来るのだ。
闇の衝撃が盾を揺らすも、どうにかアレキサンドロスの一撃を防ぎ切った。
「【裁きの剣】」
次はリンシアの番である。
盾の四つ角から4本の神々しい光の剣が出現した。
それをそのまま目の前の驚異に向けて同時に穿つ。
「あ゛う――」
アレキサンドロスは手のひらを一閃した。
一振りで全てをなぎ払ったのだ。
だが手のひらの弾いた箇所に僅かな亀裂が入っていることにリンシアは気づく。
それは一瞬であり、すぐに元の頑丈な肌が形成されるも――。
――攻撃が効いている?
リンシアはそこに勝機を見た。
この絶体絶命の状態から逃げられるかもしれないと。
アレキサンドロスは追撃を止め、自身の手を裏表と確認するように見つめる。
そして――。
「う゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛――――あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」
まるで逆鱗しているかのような絶叫。
声の振動は衝撃波となり半壊した城全体に放たれた。
【叡智の盾】はまだ健在であり、その衝撃を受け止める。
「キサラちゃん、まだ大丈夫?」
「……うん!」
キサラに先程までの元気はない。おそらくはリンシアに魔力を与えすぎたのだ。
タイムリミットは迫っている。
――レニ、生きててね。
そう願いつつリンシアは魔法を発動させた。
「【裁きの剣】」
再び4本の光剣が出現。前方を守るように配置させる。
アレキサンドロスは人差し指をこちらに向けていた。
先程までの逆鱗を全く感じさせない立ち振る舞いである。
――何をしようとしているの?
そんな疑問を浮かべた刹那、ぱっと指が瞬いた。
そこから放たれたのは音速を遥かに超える魔力の弾丸。
魔力弾は【叡智の盾】を貫通し、リンシアの柔肌を貫いた。
「ママっ!」
右肩を抑え、リンシアは顔を歪ませた。
反動は全くない。しかし貫かれた肩からは夥しい量の血液が流れ出ている。
リンシアにとっては初めて体現する痛み。
それは【リラックス】で緩和されていても激痛に感じた。
「――【ヒール】」
本来であれば【ハイ・ヒール】を使うのが好ましいのだが、魔力が枯渇する可能性があるのでグッと堪え、応急処置で済ませる。
しかしアレキサンドロスは無常にも追撃の魔力弾を放ってきていた。
弾丸は直近のものよりも遅い。しかし込められた魔力量が増えている。
リンシアはキサラと共に【コメット・フィールド】内を移動しそれをやり過ごした。
が――。
移動先にアレキサンドロスの姿があったのだ。
動きが読まれていたとしか思えない順応な反応。
それは短い戦闘で相手を分析していた英雄としてのセンスであった。
アレキサンドロスは既に拳を振り上げている。
「【叡智の盾】!」
瞬時に盾を形成する。だが拳は盾を破壊したのだ。
その拳はリンシアの知るものよりも、威力が桁違いに強い。
リンシアは悟った。
手加減されていたのだと。英雄に弄ばれていたのだと。
盾を破壊した拳の威力はまだ止まっていない。
鋭い衝撃がリンシアの小さな身体を満遍なく叩いた。
直撃したリンシアは斜めに吹き飛ばされ、地面を転がされる。
「キサラ……ちゃん」
瞼を開くも、視界は真っ赤に染まっていて、痛覚が後から全身を統べる。
リンシアは細い声で、咄嗟に抱き抱えた少女の名前を呼んだ。
キサラは気を失っていて動かない。
外傷はない。そのことにリンシアは安堵し口元をほんの少しだけ緩めた。
身体が思うように動かせない。【コメット・フィールド】も既に消滅している。
「ぅ゛ぅ゛」
悲劇はそこで終わらなかった。
地面へ着地したアレキサンドロスは指を差し向けていたのだ。
――ごめんね、キサラちゃん。
最後の魔力でキサラに【防具】をかけ、ふらつく足でどうにか立ち上がる。
そしてゆっくりと、キサラから距離を取るように歩いた。
アレキサンドロスから魔力弾が放たれる音が聞こえた。
直近で放っていたものよりも遅く、大きい。
おそらくそれは確実にリンシアを殺すために貫通力よりも破壊力を優先したのだろう。
最初にかけた【極・防具】の効果は僅かに生きている。
しかしそんなもの意味をなさないだろう。
音速の弾丸は真っ直ぐとリンシアに迫り――。
胸元に風穴を開けた――。
その威力でリンシアの身体は宙を舞い、ゆっくりと倒れていく。
赤い視界の中にはクレイから貰ったネックレスが、行き場を失い浮かんでいる。
リンシアは目を閉じた。
まるで水中を落ちているかのようにゆっくりと意識が沈んでいく。
そんな水中に最奥は無く、ただひたすらに闇が広がっているのだ。
痛みはすでに感じない。
――ごめんね、クレイ。ごめんね、お母さん。
リンシアはそんな中、最後の想いを形にして――。
ゆっくりと闇へ、身を預けるのだった。
――。
――。
「リンシアっ!」
そんな時、誰かがリンシアの名前を叫び、手を握ってくれた。
意識内の闇は瞬く間に光で照らされる。
暖かい魔力が身体の中を流動し、覆っていく。
その魔力は懐かしい。
そして膨大な魔力がリンシアを闇から引き上げ、優しく包み込んだ。
リンシアは意識を覚醒させた。
そして瞼をゆっくりと開く。
そこには一番会いたかった銀髪の少年の顔があった。
「クレイ……」
ぎゅっと抱きとめられた。
その抱擁は力強く、かすかに震えている。
思わず瞳から涙が流れ出る。
痛みは感じない。
胸に開いた風穴は塞がっていて、それどころか服すらも元通りに戻っていたのだ。
「あ"ぁ"ぁ"ぁ"!」
そんな状況を邪魔するかのようにアレキサンドロスが魔力弾を放った。
「【裁きの扉】」
渦巻いた黒紫色の盾が目の前に出現し、球を吸収――虚無へと誘う。
クレイは抱き抱えたリンシアを優しく地面に寝かせ、アレキサンドロスへ向き直る。
「お前は――殺す」
そして一言。その目は恐ろしい程に鋭かった。
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