第133話
「ここは……」
ランロットの後を追い、辿り着いた場所は地下にある怪しげな研究施設だった。
城の中央ホールよりも広いその施設には、怪しい色の液体や、目玉など人体のパーツが入った瓶がたくさん並べられている。
リンシアはキョロキョロと辺りを見渡しながら、自分も何か実験の媒体にされるのではないかと連想し、身震いをした。
「安心しなさい。あなたはバラバラになんかしないからん」
そんな様子を揶揄するようにランロットは微笑みを浮かべた。
では何故呼ばれたのだろうと疑問に思いながら、そのまま奥へと進んでいく。
すると――。
「っ――!」
巨大なガラスで出来たショーケースがそこにあった。
中には3メートル弱はある大きな人間が、半透明な青緑色の液体に浸されている。
肩・胸・脚などの1部に鎧を施し、腕は太く、それはまるで人の形をした化け物のような外見であった。
「ふふっ驚いているようねん」
「これは……?」
しかしリンシアは気づいた。魔力・気力・気配がまるで感じない。
この大きな人間は既に他界しているということだ。
「英雄アレキサンドロスって知っているかしら?」
「アレキ、サンドロス……」
英雄アレキサンドロスは実話を元に作成された有名な物語の主人公の名前であった。
約100年前の王国での戦争を伝えたもので、王族を逃がすため、1人で数十万の軍隊の中へ飛び込んで亡くなったとされる実在する英雄。
そんな英雄の名前をここで出す意味とは――。
「まさか――」
「そのま・さ・か、よん」
リンシアは思わず両手で口を覆った。
ランロットはショーケースの中にいる人物の亡骸が、英雄アレキサンドロスだと言っているのだ。
「彼はね、私の恋人だったの。だけど……先に逝ってしまったのよ………………忌々しい戦争でね」
儚げに亡骸を見つめながらランロットは囁く。
その顔は心底昔を後悔しているようにも映った。
しかし新たに浮上した疑問をリンシアは口にする。
「あなたは一体何者なんですか……?」
その物語はおよそ100年も前の出来事であり、100年という年月は人の寿命を平気で凌駕している。
長寿といえばエルフや魔族なども該当されるが、長生きしても130年といったところだろう。
だがランロットの見た目は30代前半といったところで、いくら何でも辻褄が合わないと考えたのだ。
「うふふっ――それでね、王女ちゃん。あなたの魔力を使わせてほしいの」
茶化すように笑い、リンシアの疑問を無視して話題を切り替える。
「なんで、ですか?」
「私はね――」
そう言って言葉を一度止め、亡骸へ虚ろな目を向ける。
「――彼を蘇らせたいのよ」
リンシアは再び驚愕し、肩を強ばらせた。
死者を蘇らせるなんてことは不可能である。それは誰もが存知の事実であり、口に出すだけで憚られるほどだろう。
「そんなこと出来るはずがありませんっ! それに私にはそんな力はありません」
前方へ飛び出す勢いでリンシアは声を大にして主張した。
もし仮にそれが可能だとしても自分にそんな力なんてあるわけがない。
ランロットはそんな主張を遇うように冷たい視線を送る。
「知ってるわ、そんなこと。欲しいのはあなたの魔力だけよ。それがあれば私が考案した、魔法の発動が可能になるよん」
「そんなこと……出来るわけ……」
気圧された訳では無い。しかしリンシアの声は弱々しいものに変わる。
その声には表現し難い複雑な感情が込められていた。
――もしそんな魔法があったなら、私は……。
「ずーっと研究してたのよ。ずーっとね。それでよくやくたどり着いたわ。死者を蘇らせる魔法に。でも私には使えなかった。それには特別な光属性魔力が必要だったから……」
ランロットはそう言って、徐にリンシアへ視線を向けた。
「でもようやく巡り会えたのん。私の求めていた魔力が――今、目の前にあるのだから」
声色が変わった。
突如室内を圧迫するように、何かが支配した。
その何かはランロットの圧倒的な魔力。
しかしそれだけではない。
背中から、体を覆うぐらいの大きな羽が左右に生えてきたのだ。
そしてそのまま体の表面は枯れるように色を失っていき、新しい真っ白な肌へと生まれ変わる。
所々に黒い模様や線が入ったそれは前にクレイから聞いたある者の特徴に似ていた。
リンシアは身を震わせ、1歩、また1歩と後ずさる。
「悪魔……」
「そう呼ばれるのも久しぶりだわん。でも私にはランロットって名前があるのよん。王女ちゃんっ」
ニコッと唇を広げた。
その瞬間――。
「【グラビディ・ドレイン】」
周囲が闇の光に満ち、リンシアの正面に20センチほどの石塊が現れる。
その石塊は螺旋状に周りだし、魔力をみるみるうちに吸い取っていく。
「うっ……あっ……」
その勢いに思わず喘ぎ声が漏れる。
身体は宙に浮き、抵抗するも、全体を重りで固められているように動かせない。
「やぁぁぁぁぁっ!」
すると聞き覚えのある少年の叫び声が耳を通り抜けた。
それはレニだった。持っている剣を振りかぶり、ランロットへと迫る。
「気づかれてないとでも思ったのかしらん。ボ・ウ・ヤ」
しかし剣は届かない。それどころか纏っている魔力の圧に押し負けて、カキーンと音を立てて弾かれる。
そしてランロットは、デコピンするように軽く指で小突いた。
「うわぁぁぁぁっ」
レニは何か大きな衝撃を与えられたかのように勢いよく吹き飛ばされる。
「もう、可愛いんだから。でも、愛しのダーリンに比べたらどの男も霞んで見えるわん」
リンシアは身をもって理解した。悪魔がどれほどの強さかを。
それは1人で小国を滅ぼせると言われたら、納得してしまうほどである。
今のレニでは相手にすらならないのだ。
「レニ……逃げ……て……!」
朦朧とする意識の中で必死に叫ぶ。
自分を拘束するための魔法に、ランロットからも微量に魔力が流れていることに気づいていた。
つまり魔法の発動中はランロット自身もこの場から動けない。
だからこそ今のうちにレニだけでも逃がそうと思ったのだ。
「好きにしなさいな、ボウヤ。私は今機嫌がいいからん」
数秒――レニは一向に立ち上がってこない。
もしかしたら先程の衝撃で意識を失っているのかもしれない。
そう思った刹那――。
ガチャーンと小瓶の割れる音が響き、レニが立ち上がった。
全身を魔力と気力で滾らせている。
「まだやる気なの? 格が違うことに気づけないマヌケでもないわよねん」
「僕を、舐めるな!」
決意を固めたような険しい表情でレニは叫んだのだった。
◇
――怖い。怖い。怖い。
勢いよく吹き飛ばされたレニの心を、恐怖が埋め尽くす。
ランロットの圧倒的な魔力を目の当たりにして心が挫けてしまったのだ。
隙をついてリンシアを解放し、一緒に逃げようなんて考えが甘かった。
ランロットはそういう次元のレベルではない。
「くっ……」
悔しさに奥歯を噛み締める。
どうしてこんなにも自分は弱いのかと。
王国に来てからも訓練は本気で取り組んでいた。しかし剣闘士大会で因縁の敵を倒した時から慢心していたのかもしれない。
自分は強くなったんだと勘違いしてしまっていたのかもしれない。
――僕は……弱い…………!
改めて自分の弱さを理解した。
レニには達成しなければいけない目標がある。
姉を取り戻すまでは死ぬわけにはいかないのだ。
逃げてしまおうか。
そんな言葉が頭を過ぎった。
しかしそう考えた直後、レニを支配する恐怖が別のものへと変わっていく。
誰かを見捨てて逃げる方がもっと怖い――と。
レニは立ち上がっていた。
悠然と立ちふさがる強敵を前にしても気圧されることなく。
リンシアは苦しそうな表情で、レニに向けて逃走の選択を訴えている。
「まだやる気なの? 格が違うことに気づけないマヌケでもないわよねん」
「僕を、舐めるな!」
咆哮し、剣を構えた。
勝てる可能性など微塵も感じない。もはやこれは勝負になるわけが無い。
でも逃げるわけにもいかないのだ。
何も倒すことだけが勝利ではない。ここではリンシアを開放し、共に逃げる事こそが勝利なのである。
否、リンシアだけでも逃がすことが勝利条件なのだ。
だからこそ視野を広げた。
『熱いときこそ冷静になれ』これは師の教えでもあった。
そしてあることに気がついたレニは、剣先に魔力をありったけ注いだ。
「【火刄鳳舞刀】」
炎帝の斬撃が放たれる。
レニは魔法が苦手だった。しかしクレイとの特訓により、火・水・風・土である基本4種の初級魔法を習得し、決定打に欠けていたレニは、特に火属性魔法を伸ばしていったのだ。
この技はレニが習得している最大火力の必殺技であった。
だがランロットは炎帝の斬撃を、自身の纏った魔力で迎え撃つ。
数秒の鬩ぎ合い――炎帝の斬撃は真上へ流され、天井を斬り裂いた。
爆発と共に砂利が降り注ぐも、ランロットは気にせずレニを見据える。
「なかなかいい攻撃だったわん」
余裕綽々といった感じでランロットは顔を緩める。
だが今の攻防でレニの思考はある結論に至った。
――あの場から動けないんだ。それに、魔法も発動出来ない。
クレイから享受してもらった魔法の制御量についてを思い出していた。
基本的には【単制御】で魔法発動中に他の魔法は発動する事は出来ない。
しかし【デュアル制御】・【トリプル制御】・【クアッド制御】と会得すれば2つ以上の魔法を同時に使うことが出来るようになる。
魔法によっては【転移】のように、それ1つだけでデュアル制御以上の制御量を使うものもあるとも聞いた。
恐らく魔力を吸収するために使っている【グラビディ・ドレイン】は自身の制御量の限界まで使っており、他の魔法は発動することが出来ないのだ。
その証拠に先程の斬撃への対処を躱さないどころか、魔法も使わなかった。
ランロットのスピードがあれば、あんな見え見えの攻撃など楽に躱せるだろう。
さらには初級魔法である【魔力障壁】でも使えばもっと楽に無効化出来たはずだろう。
わざわざ魔力で受け流す意味がない。
「他の魔法が使えないんですね」
そんな挑発にも似た言葉に、一瞬ぴくっと体を揺さぶり、ランロットは冷めた面持ちでレニを見入る。
「分析も得意なのねん。そうよ、その通りよん。だけどねボウヤ、それでもこの実力差は埋まらないの」
殺気がじりじりと身体を萎縮させる。
だが今の問いかけは肯定ととれた。
そしてあの場からランロットを動かすことが出来れば、リンシアにかけられた魔法が中断されるという意味でもある。
「【自己加速】」
レニは自身の持てる最速の動きで間合いを詰める。
分厚い魔力の壁は、魔力の宿す剣では弾かれてしまう。
だから気力のみを纏った刃を下からランロットに目掛けて振り上げた。
しかし、防がれる――。
ランロットは当たり前のように足の裏で刃を受けたのだ。
「私って舐められているのかしらん」
――舐められているのは僕の方だ。
しかしそんなこと口には出さない。
レニは魔法を発動させながら、身を捩らせ回転させた。
「【スプラッシュ】」
スプリンクラーのように水しぶきを上げながら、ランロットの視界を奪っていく。
そして逆側から真横に斬りつけた。
「見なくても同じなのん」
またも防がれる。
しぶきで瞬きをする瞬間を狙ったのにも関わらず、指先で刃を掴んでいるのだ。
しかし――。
「【ライトニング】」
レニは予め用意していた雷の魔法を刃を通すように発動。
先ほどの水と相まって、勢いよく電撃が周囲へ流れ出す。
剣に魔力を宿したことで、魔力の壁に弾かれたレニは吹き飛ばされ、ランロットとの距離が出来る。
「マッサージ? 気持ちかったわよ」
嘲笑するランロット。
どんなにコンボを決めようと、所詮は初級魔法なのだ。
悪魔にはそんな軽い攻撃が通用するはずもない。
だがレニは受け身をとってすぐさま立ち上がり、またも初級魔法を発動させる。
「そこ、危ないですよ――【フレイムドライブ】」
火炎放射のような縦長の炎が放たれた。
ランロットは身構える事すらせず、泰然とした態度で魔力を纏う。
しかしこれこそがレニの考えた作であった。
突如としてランロットのいる一帯が小規模の爆発に見舞われたのだ。
これはクレイ教わった連携で、水・雷・火と順序よく放てばその場には小規模な爆発が起きるのだというもだった。
直後――レニは勢いよく地面を蹴り、爆発の渦中へ飛び込んだ。
「ふーっ……」
そして落ち着くように剣を鞘に戻す。
それはただひたすらに練習してきて、まだ1度も成功させたことのない技であった。
だが、油断している今ならあの場からランロットを動かすことが可能かもしれない唯一の技でもある。
「ゲホッゲホッ――けむいじゃない、まったく」
レニは全身全霊の集中力で構えを作った。
――【居合の型】。
そして自分の出せる全てを、この一刀に乗せる。
「【一ノ太刀】!」
魔・気・人の要素を一刀のもと合致させ、一振に乗せるこの技には本来決まった振り方や型はない。
だからこそ基礎の積み重ねが大切で、放つ事が出来れば自らが放てる100パーセントを越えた一撃になるのだ。
その一振に限ってだけは、レニの本気を2段階も引き上げた――今出せる正真正銘の最大で必殺の一撃である。
ランロットは顔を一瞬訝しげ、すぐさまその場を退避する。
――やった。
それは目的の1段階目の成功であった。
宙に浮いていたリンシアが地面に着地し、解放される。
ふらふらになりながらも、リンシアはすぐさま正面の石塊から距離を取るように移動した。
魔力はほどんど無くなっている様子である。
「今の太刀筋――なるほどねぇ……なかなか頑張るじゃないボウヤ」
「リンシア様、すぐにこの場から逃げてください」
レニはすぐに目的の2段階目を促した。
ところがランロットはうく笑い、
「でもタイムオーバーよん。必要な魔力はもう貯まったの――」
冷やかな声で事実を告げる。
ゴゴゴ、と地面が揺れたような錯覚に陥る。
しかし地面は揺れていない。
それは石塊の出す謎の気配が見せる幻影に他ならない。
それに因んだランロットの魔力そのものもその錯覚に一旦であろう。
「光立ち篭める空遥の歌唄よ――闇より居でし死の者を浄化したまえ――」
ランロットが詠唱を始めると、巨大な魔法陣が2つアレキサンドロスの亡骸の上下に出現した。
「そして――彼の者を天より呼び戻せ――【死者蘇生】」
膨大すぎる魔力がその場から凝縮するように亡骸へ吸い込まれていく。
光とも闇とも見える疎らな光が亡骸全体を包みこんでいった。
――瞬間、圧迫感がレニとリンシアを襲った。
そして亡骸だった巨大なそれの、閉ざされた瞳がギロリと大きく開かれる。
「まさか、本当に……?」
愕然とそれを見上げるリンシア。
レニは急いでその場から逃げ出そうとするも、体が動かない。
動かせないのではなく動かないのだ。
それから放たれた圧倒的すぎる【威圧】がレニの心を支配していたのだ。
これは潜在的な恐怖そのものであった。
「あぁ、おかえり――ダーリン」
「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ――――!」
巨大なショーケースは音を立てて散開する。
英雄アレキサンドロスが雄叫びを上げて動き出したのだった。
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