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第125話

「リンシア様、それは私がやります!」



 大広間の厨房で皿洗いを始めようとしていたリンシアに、メルが慌てた様子で声を掛けた。

 初歩的な雑務として任された仕事なのだが、皿洗いどころか家事全般をしたことが無いリンシアの不器用な手元を見て、思わず止めに入ったのだ。



「大丈夫よメル。これくらい私にだって――」



 言い終える前に、パリンと甲高い音が響いた。リンシアが洗おうと持っていたグラスが滑り落ちて割れた音だ。



「リンシア様! お怪我は?」


「大丈夫よ。それよりも割れてしまったわ」



 眉を下げて自分の失敗を悔やむリンシア。皿洗いは仕事として初歩的なものであるが、最近は食器の材質が様々で難しくなっている。

 ラバール商会から始まり、各商会がオシャレな見た目の物や、安価な食器が流通し始めたのが原因だろう。

 まさかこんな場所でもこういった最先端の食器を扱っているとはメルも思ってはいなかった。



「お怪我はないようで。ここは私がやりますのでリンシア様は休んでいてください」



 メルは王族に雑務をさせる訳にはいかないと、リンシアに待機を促した。

 しかしリンシアは責任感が強く、任された仕事はしっかりと熟したいという気持ちが優っていた。



「いいえ、私がやります。これくらい出来ないと王族を名乗れません」



 皿洗いのどこに王族的な要素があるのか疑問には思ったが、メルは懸命に抗った。



「そうだ、リンシア様はそこに置いてある乾いた食器を棚に戻してくれませんか? 誰もやっていないようなので」



 そして視界に入った2枚の皿を見つめながら提案した。


「わかったわ!」



 頑張るぞという意味合いで手をグッと握り込む。

 しかし皿を棚に戻す作業は単純ですぐに片付いてしまう。リンシアは自分に出来る仕事がないかを探し始めた。



「飲み物を作るの?」



 目に入ったのはグラスに飲み物を作っているメイドの姿だった。頼まれた飲み物を注ぎ、前に出す。それを他のメイドが受け取り届けていっている。

 飲み物はどうやら出来合いのものがあり、それを注いでいるだけのように見える。

 リンシアはこれなら出来ると踏んで声を掛けたのだ。



「あっ? そこどいてくれない?」



 すると飲み物を注いでいたメイドは邪魔者扱いするように睨みつけてきた。



「ご、ごめんなさい」



 鋭い眼光に充てられてリンシアは慌てて謝った。メイドは元々ツリ目なこともあり、迫力が2割増しである。



「例の新人だろ? 王族か何か知らないけど、こんな雑多な仕事なんてしたことないんだから、その辺で見てろよ」



 そして見下すように言い捨てる。その言葉に温厚なリンシアでもムッとした感情が芽生えた。



「私だってこれくらい出来ます」


「はっ、言ってな」



 相手にする気もないと、ツリ目のメイドは作業へと戻っていった。



「山ベリー酒をザグル様にお願い!」



 広間にいたメイドから突然の注文が来た。そのメイドは忙しいようですぐにどこかへ去っていってしまう。

 先程突っかかってきたツリ目のメイドはこの場にいない。



「よしっ」



 山ベリーはその名の通り山に生えていて、赤く熟していて舌触りは甘い。一般的に出回る中でも人気が高い果実なのでリンシアもよく知っていた。



「これだわ」



 リンシアは棚に並べられた瓶を眺めて、赤い液体の入った瓶を手に取った。

 そしてメイドがやっていたように、グラスに注ごうとする。



「おい、何やってんだ」



 するとツリ目のメイドが声を掛けてきた。



「山ベリー酒を注ごうとしてるの」


「ザグル様の飲み物は特別製のこれなんだよ。余計なことするな」



 リンシアは自信満々に答えるも、メイドはそれを注意しながら紅色に光る瓶を目前に置いた。



「そんなこと言われても、特別製のものを使うなんてことは知らなかったわ」



 いつもなら引き下がるリンシアだが、先程からの扱いに思わず言い返してしまう。



「そんなこと知るかよ。それにそれ、山ベリーじゃなくて紅葉ベリーだから」



 リンシアの持つ瓶を指しながらメイドは言った。間違いを侵していたことに対しての恥ずかしい気持ちで言葉に詰まってしまう。



「始めてなのだからわからないのも当然だろう。その言い方はなんだ」



 馴染みのあるある声に顔を上げると、皿洗いを終わらせたメルが威勢よくリンシアの前に出ていく。



「けっ、あんたが世話係かよ。だったらしっかり見張ってろよ」



 そう言い捨てながら、グラスに飲み物を注いでいく。



「この――」


「いいのよメル。私は気にしてないから」



 無礼者!と言い返そうとしたメルをリンシアが手を出し静止させた。



「従業員同士の揉め事はやめてくださいね」



 後ろからの声にメルとリンシアが驚きながら振り向くと、そこには着替えの時に立ち合ってくれたメイド――アリスが綺麗な姿勢で佇んでいた。



「それはあの女が――」


「おや、皿洗いが終わっているようで。本業なだけありますね。素晴らしい手際です」



 メルの主張に興味を示す素振りも見せず流しながら、アリスはさらっと話題を逸らした。



「わ、私にも何かお仕事をください」



 メルへ向けた褒め言葉に感化されたリンシアは必死に主張した。



「ではちょうど今頼まれた果実ジュースをあのテーブルに。ランロット様もいらっしゃるので粗相のないようにしてくださいね」



――



「私もやれば出来るのよ」



 果実ジュースをテーブルに起き終わったリンシアは喜ぶようにメルを見やった。

 衣装をレニに見られて恥ずかしい気持ちはあったが、頼まれた雑務をこなせたのだ。



「はい、リンシア様はやれば出来るお人なので」



 メルの追撃によりさらに上機嫌になるリンシア。経験した事が無い業務をこなせた事が嬉しいのだ。



「次はなんの仕事をやればいいかしら」



 そして辺りを見回す。するとアリスが大きな木箱を3つ重ねて持ち上げていた。

 重なった木箱はグラグラと揺れていて危なっかしい。



「手伝いましょう」


「リンシア様、お待ちください」



 アリスのそばに駆け出すリンシアをすぐさまメルが追った。



「きゃっ」



 しかし薄暗い室内を俊敏に徘徊するのは危険行為であった。床に張り巡らされた魔道具に足先を躓かせ、転んでしまう。

 それに伴いメルもバランスを崩してしまった。リンシアに体重を掛けまいと踏ん張るが反応が1歩遅れてしまい、そのまま木箱を持ったアリスに2人共衝突。


 ガシャーンという凄まじい音が響き渡り、流れていた内蔵を揺らすほどの爆音の曲もパタッと鳴り止んでしまった。



「いたた……」



 リンシアが起き上がると、木箱は散乱していてアリスが仰向けで倒れていた。

 すぐに近寄るとアリスもパチっと目を開ける。



「一体何が……」


「ごめんなさい。私が足を引っ掛けて転んでしまったの」



 はっ、と急にアリスの表情が変わる。そして散乱した木箱を素早く重ねていく。



「私の大切な荷物をぶちまけたのは誰かしらん」



 背後から聞こえる野太い覚えのある声にリンシアは振り向くと、そこには"黄領"のまとめ役であるランロットが立っていた。



「申し訳ありませんでした! ランロット様!」



 アリスは即座に頭を床に擦り付けて謝罪の意を示した。



「お仕置きが、必要かしらん?」



 唇を綻ばせながら囁くように告げるランロットの言葉に、アリスの身体は小刻みに震え出す。



「待って、私が悪いの。罰なら私が――」


「あんたは黙ってなさいよ」



 ランロットは先程のツリ目のメイドのように冷たくリンシアをあしらった。



「わかってるわよん。だって見ていたもの。だけど悪いのはこの子なの。だってあなた達の世話係を任せたんだもの」


「でも、私が――」


「うるさいわよ。さっきから見てたけど、あなたはダメダメ。ダメダメすぎて呆れちゃったわ」



 呆れるように吐き捨てられていくトゲのある言葉がリンシアの胸に突き刺さっていく。事実、仕事を通して失敗ばかりしてきたからだ。



「出来もしない事を無理にやろうとして失敗。典型的な仕事の出来ないダメ女よん。本当に王族なの? 適材適所って言葉を知ってるかしら」



 ――お前は無能だ。出来損ないの王女。ただ見ていればいい。

 小さい頃、他の王族達に言われた言葉が仕切りに頭をフラッシュバックする。

 そして自分の不甲斐なさに思わず瞳が潤んでいった。



「業務中に涙を流すのはもっとダメよん。女の涙は好きな男を落とす時にしか、使っちゃダメなんだからん」


「ごめん……なさい」


「謝罪なんて求めていないわん。女はね、男の2倍働いても半分しか評価されないものなの。だから仕事中に泣いてはダメなのよ。あなたの器もまだまだねん」



 確かにその通りだった。リンシアはそう思い直し仕切りに涙を拭うも後から後から溢れてくる。



「出来る女は自分の無能を理解して、影で努力するものなの。足りないものを理解して、気づかれないように埋めていくの。そして完璧な女へと進化していくものなのよ。私のようにねん。オホホッ」



 メルは首を傾げた。言っていることは正しい気もするが、それを言っているのが女であるところの男であるランロットが口にしていることに若干の疑問を持ったからだ。

 しかしリンシアはそうは思わない。敵であるはずのランロットの言葉がじわりじわりと胸の内に広がっていく。



「とりあえず、あなたはお仕置きねん。付いてきなさい」



 ランロットはアリスに向けて冷酷に告げた。今の自分では何も出来ない。それを理解したリンシアは動けずにいた。



「お気になさらずに」



 アリスはそんなリンシアの様子を察してか労いの声を掛け、腕を庇いながら立ち上がる。よく見ると右腕に怪我をしていて流血しているのが目に入る。



「待ってね。【ヒール】」



 リンシアは即座に得意な回復魔法を唱えた。アリスの傷はみるみるうちに塞がっていく。

 付けられた首輪には魔力に雑念を加えて阻害する効果があった。それは訓練を受けた一流の魔道士でも激しい頭痛に見舞われるほどのものなのだ。

 しかし低級魔法とはいえ問題なく魔法を発動させることが出来るのはクレイとの特訓の成果だけではない。類い稀な才能であり、リンシアの魔法制御力は普通の魔導師では到達できない領域に達していたのだ。



「へぇ……」



 ランロットはその様子に眉を寄せながら訝しげに見つめていた。しばらく黙考(もっこう)した(のち)、口元をうっすらと緩める。



「今日は解散よん」



 そして短く告げて大広間を出て行った。



「……ありがとう」



 全快したアリスはそれだけを言い残し、ランロットの後を追うように走り去っていく。

 大広間では解散するざわつく者達の声で溢れかえった。



「メル――後で皿洗いを教えてちょうだい」



 去っていくアリスを真っ直ぐ見送りながら、リンシアは短く紡いだ。



「喜んで」



 メルは笑顔でそれに答えたのだった。

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