第122話
どれくらいの時間が流れただろうか。
でかでかと穴の開いた天井からは月明かりが差していて、まだ一向に開ける気配の無い夜空が広がっている。
俺はふと、周りを見渡した。口や鼻、身体の様々な部位から血潮を吹き出しながら倒れるモルガナ。胸に傷を負い、永遠の帰らぬ旅へ出たクロ。そして施錠が必要な檻の中で静かに眠るハク。
まずはハクを出してあげないと可哀相だと思った俺は、モルガナの遺体を漁って鍵を拝借。すぐさま施錠し、ハクを抱き抱え、長椅子の上に横たわらせた。
それから安らかに目を閉じるクロの元へ向かいゆっくりと頬へ触れる。
――冷たい。
まだほんのりと暖かみこそ感じるが、身体は既に硬直し始めていて、無機物へと移り変わろうとしている。ハクに触れた時とは全く違う温度に、改めてクロがもう戻らぬ存在なのだと再認識した。
「ん……んん……」
すると背後から上声が聞こえた。どうやらハクが目を覚ましたようだ。
「おはようクレイ。あれっここは……」
寝ぼけているようで、目を擦りながら頭を左右に振り、辺りを確認する。
俺は何を口にすべきか、咄嗟に考えたが声を出すことが出来なかった。
「あれ、クロ兄――は?」
ハクがすぐ異変に気づいた。俺の背中と横たわるクロが目に入ったのだ。
「クロ兄っ!」
悲鳴のような叫び声が建物内に響き渡り、ハクは飛び上がるようにクロの元に駆け寄った。
「クロ兄っ……なんで、冷たいよ……クロ兄っ!」
必死にクロの身体を揺らす。
「嘘だよね? 起きてよ! クロ兄っ……なんで、 よ……なんでよ……」
薄い紫色の瞳からはボロボロと涙が流れ出す。次第に揺らす力も無くなっていく。
ハクも触れた直後に気づいたのだ、もう手遅れだと。
「クロ兄……クロ兄ぃ!」
クシャクシャに顔を歪ませて嗚咽を漏らした。
そんな姿に俺は心を針で刺されたかのような気分になった。
そして次第に自分を責め続けた。
嗚咽はしばらく続いた。その間、俺は黙って後ろ姿を見守る。
すると急に鳴き声がぴたっと止んだのだ。
「――っ」
そしてハクは目を閉じ、ガクッと首を垂れこませた。手足も力なく、だらんと地面へ垂らす。
嫌な予感が胸を過ぎった俺は咄嗟にハクの肩を掴んだ。
「ハクっ!」
返事がない。
まるで座ったまま気絶でもしたかのように抵抗がなかった。
どくん、と心音が脈打つ音が聞こえたような気がした。
するとハクが急に目を覚まし、全身から魔力を放出し始めた。
制御なんて関係なしの、暴走にも似た魔力放出の威力は、元々魔力量が多かった分絶大で――。
それだけならまだよかった。そのあとハクは信じられない行動に手を染めようとする。
「やめろ、ハク!」
魔力で強化された手で、自分の首を締め付けるように力一杯握ったのだ。
必死に引き剥がそうとするが、気力も練り上げているらしく、簡単には外せない。
さらには戦闘によって俺自身の魔力も気力もほとんど枯渇している状態。抵抗するのがやっとだった。
「ハクっ……お前が死んでもクロは喜ばない!」
ハクの瞳孔は真っ黒で視点が定まっていない。心を閉ざしたかのように無機質なものだった。
膠着した状態が続く。だが長くは持たないだろう。俺の指は次第に脱力していっているからだ。
――ハクはこんな選択をする少女だっただろうか。
そんなことは俺にわかるわけがなかった。そうとも言えるしそうとも言えない。だけどクロはハクにとって架け替えの無いたった1人の家族であり大切な存在で――ハクにとってこの世界はクロが全てだったのだ。
もしも、俺がこの少女のように大切な人が目の前からいなくなってしまったらどうするだろう――か。
そんなことは考えるまでもなかったのかもしれない。
この世界に来る前のあの事故で、もし俺ではなく沙奈が死んでしまっていたら――間違いなく俺は後を追っていたのだから――。
「ハクっ!」
必死に力を込めるも、ハクの力が次第に強くなっていくのを感じた。
このままでは本当にハクが自害してしまう。
――お前はなぜ生きる。
何故だろうか、唐突にゲインの言葉が頭を過ぎった。
それは人を殺すことを教えてくれたあの晩にした会話だった。
――人の欲望から来る感情は生きる活力となる。
それはつまり希望だ。希望は生き長らえるためには充分すぎる理由になる。だけど、今のハクにはどんな希望が持てるだろうか。
――負の感情。憎悪、妬みもまた生きる活力となる。
ゲインはこうも言っていた。人に対するそれは希望にすら成りうると。
「ぐっ……」
指先から電撃が走るような痛みを感じた。
悠長に考えている時間などない――。
「クロは俺が殺したんだ!」
だからこそ咄嗟に過ぎった言葉を叫ぶように言い放った。
それは紛れもない事実だったからだ。俺の慢心がクロを殺したのだから。
「……どういう……こと?」
それまで力を込めていた手がピタリと止まった。
そして闇すら感じる凄まじい眼力で俺を見据えた。その奥には光などない。真っ黒でどす黒い瞳孔から感じるものは壊れる前の――暴走寸前の機械を目の前にしているかのような感覚であった。
「足でまといだったんでな。そいつごと斬ってやったよ。いい囮役になってくれた」
俺は地面に倒れるモルガナへ目を向けながら、できる限り冷酷で蔑むように言い捨てる。
「……どういうことだぁぁぁ!」
ハクから爆発するように魔力が解き放たれた。
その波動は周囲のものを吹き飛ばし、俺もまたそれに巻き込まれるような形で後ずさる。
ちょうど足元にモルガナの剣が落ちているのを確認。俺はそれを拾い上げ、目の前の憤怒に表情を歪ませているハクに向けて剣先を翳した。
「告げた通りだ。いつもいつも俺に付きまといやがって……いい加減邪魔だったから殺せて清々したよ」
俺は挑発するように口元を緩めながら、剣に宿った微量の魔力を解き放ち、威嚇するように目を見開いた。
「ゆる……さな……い」
ハクは拳を震わせながら力一杯握った。
どうやら成功したようだ。ハクに憎悪や恨みを植え付ける事によってそれを生きる活力にさせたのだ。
復讐心――そのマイナス過ぎる感情こそ、立派な希望なのである。
ハクを守らなくてはならない。じゃないとクロに顔向け出来ないのだ。そのためなら俺はピエロを演じてもいい。
「クレイ……お前を……許さない!」
ハクの拳から目に見えるほどのドス黒い魔力が渦を巻き始めた。
竜巻のようにグルグルと回っているわけではなく、魔力同士が共鳴するかの如く螺旋状に回っている。
――それでいい。本気で来てくれ。
「お前が一度たりとも俺に勝てたことがあったか? 兄の元へ送ってやるよ」
その刹那――ハクは地面を蹴り上げ、俺との間合いを一気に埋めた。
――速い。それに威力もとてつもない。魔力がない今の俺が貰えばただでは済まないだろう。
だがそれでも目に追えるほどの速度で、加えて感情任せで直情的な動き。躱すことは造作もない。
――でも。
その一撃を受けることに、俺の心が許してしまったのだ。むしろ俺はその攻撃を受けたいとすら思っている。
構える剣を少しずらした俺は目を閉じた。
しかし――拳が俺に届くことは無かった。
「何をしてでも生きる残れと教えたはずだが?」
聞き覚えのある低い声。目を開くと見覚えのある――いや、恐怖すら感じるような圧倒的強者が目の前に立っていた。
「ゲイン……何故止めたんだ」
ゲインの足元にはハクが気を失い横たわっていた。何をしたのかは不明だが、目立った外傷は一切ない。
「お前が攻撃を受けてもこの少女は救われない」
全くその通りであった。あの攻撃は俺を殺す可能せすらある一撃だった。もしそれで復讐心を叶えてしまったとしたら、ハクの心はまた虚無が支配してしまう。
だけど心のどこかで攻撃を受けたいと俺自身が思っていた。それはおそらくクロへの罪悪感がそうさせてしまったのだろう。
それは俺の弱さが招いたことにほかならない。
「受け入れろ。全てはお前は弱い。そして未熟だ」
俺は弱い。
こんな状況になって――こんな状況だからこそ、考えなくてもいい思考がよぎり始めた。
あろう事か今の状況を、この世界へ来るきっかけとなったあの事故に重ねてしまったのだ。
沙奈の悲しみが、鬼のように俺を責め立て、砕け散りそうな痛みが心を襲った。
まだそうと決まったわけではないのに、辛さが全てを支配していく。
それもこれもすべて、俺の弱さが生んだ出来事なのだから。
「ゲイン――取引だ」
「……聞こう」
「お前のためになんでもする。だから、しばらくの間ハクを守ってくれないか?」
ゲインは何も言わずに無機質な表情で俺を見据える。
「俺は憎まれ続ける重荷を背負って生きる。だからその間だけ――心が強くなるそのときまで、ハクだけは生かして貰えないか?」
己の弱さを受け入れて、かつて憎悪すら感じた男に頭を下げるように頼み込む。
今の俺ではハクの側には入れない。既に俺は復讐するべき希望なのだから。
「いいだろう」
十中八九断られる――そう思っていた。
しかし出てきた答えは呆気ないもので了承を告げるものだった。
「代わりに、お前の2年間を貰う」
「……どういうことだ?」
「安心しろ。この少女は再び再会の日が訪れるまで絶対に生かしてやる」
こんな不明確な条件に安易な答えを出していいのかと迷ったが、ゲインの絶対という言葉ほど確実なものはない。
それにゲインがこういう言い方をしたときは既に決定事項なのだ。覆ることはない。
「わかっ――」
俺は言葉を言い終えることは出来なかった。
光でも浴びたかのように目の前が真っ白になった。
それは視界だけではなく、頭の中にまで侵食していく。
そしてそのまま意識がなくなっていくのがわかった。
◇
目を覚ますといつも通りの朝だった。
どうやら久しぶりに熟睡していたようで、全く警戒心が足りていない自分を叱咤したくなる。
しかし、もう同じミスはしない。
明日からはまた、浅い眠りで警戒しながら過ごすことが出来るからだ。
俺は一息ついて、ボロボロの布団から出る。
そしていつものように食料調達への身支度をした。
外へ出ると太陽が昇り始めているところで、その光景が気持ちを高揚させてくれる。
「今日は洞窟でヘル・ウルフでも狩りに行くか」
ヘル・ウルフはアンデット系統の魔物であり、食用に適さないと判断されている。
しかし、しっかりと火を通した後に天日干しすると塩加減が良く合い絶品の味わいになることを知っている。さらにはいい保存食になるのだ。
「ん? 俺はヘルウルフをなんで狩ろうとしているんだ?」
普段の俺ならアンデット系統の魔物を狩ろうなんて思わないのだ。
忘れるはずのない俺の記憶にパズルのピースが掛けたような空洞がある。
何かきっかけがあったはずなのだが――。
まぁ――いいか。
記憶を整理するのに数秒を浪費する。その数秒かけることに価値がないと判断したのだ。
こうして何も変わらない一日が始まった。
かわらないとは言ったが変わったことが一つだけあった。
それはこの日を境にゲインがあまり姿を見せなくなった事であった。
正直ゲインから盗めるものはもうないと判断していた俺にとってはどうでもよかった。
俺はいつものように1人で狩りをして、いつものように人から奪い、いつものように相手を打ちのめす。
それなのに、何故だか物足りない気持ちが沸き起こる。
何故だろうか――考えても答えは出ない。
そんな喪失感を抱きながら、退屈な時を3年以上も続けた。
気づけば俺はこのジルムンクでは厄介者とされ、近寄るものはほとんどいなくなっていた。
それがまたも退屈をうみ、いつしかゲインへの関心も失っていた。
ふと、マジックボックスに入ったペンダントを見つめる。
生まれた頃から何故か持っているもので、俺の素性のヒントとなるものだった。
そしてすぐさま頭に妙案が思い浮かんだ。
このジルムンクをそろそろ出てみようと。
こんな荒んだ故郷にはなんの未練もない。それに俺の素性は二の次でいい。
それよりも何か新しい出会いやきっかけ、波乱が起こるかもしれないじゃないか。
そんな期待を胸に抱きながら俺はこのジルムンクを旅立ったのだった。
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