第111話
恐怖心を無くす訓練は想像を絶するものだった。
ゲインは隙あらば濃厚な殺気を放つことから始まり、少しでも俺がたじろげば高速で放たれる拳が飛んでくる。
俺は1度見れば大抵のものは克服出来た。だけどゲインの野郎はしっかりとパターンや殴り方を変えて俺を襲うのだ。そのパターンの変化に対応しても別のパターンで仕掛けてくる。
そして一番の問題は攻撃が見えているのに躱せないということだった。
というよりも、俺の反射神経に身体が幼いせいで付いていきていないのだ。
だからこそ今の身体能力を活かして可能な範囲で動くしかないわけなのだが、ゲインはそれを知っていてか、ギリギリで躱すことの出来ない攻撃を放ってくるのだ。
「痛がるな。苦しむな。弱みを見せるな」
殴られれば当然痛い。
だがその痛みに表情を変えることをゲインは許さない。俺が苦痛に顔を歪めるたり声を出したりしようものならノータイムで追撃が飛んでくる。
「笑え。相手の優位に立ち続けろ」
前世では味わったことのない痛みの種類を体感した。そのおかげで俺の身体は痛みさえも克服出来るらしいことを知った。
身体のあちこちを殴られ、焼かれ、凍らされ、打ち付けられ、切り傷を付けられる。
その度に俺は笑うのだ。
「魔法は万能ではない」
思った通りで魔法という概念がこの世界に実在した。ゲインが使う姿を真似て俺は魔法を発動することに成功した。
1番最初に使ったのはゲインが最初に見せた火を起こす魔法。そして次に覚えたのは治療魔法だった。
治療魔法はかなり頻繁に使う。それはゲインに傷を負わされることが多かったからである。
そして魔法という概念は俺をこの世界に引き込む要素でもあった。
この小屋は5部屋に別れていて、2つが倉庫のような場所になっている。その倉庫に存在した魔法に関する資料を俺は読みあさり、使えそうな魔法を習得していったのだ。
だけど魔力量には限界が存在することも知った。魔力が枯渇すると意識を失うことがわかった。魔力量はいずれ必要になると考えた俺は増やすためにその日からゲインに内緒でその訓練も行っている。
まぁ気づかれている節はあるが、何も言ってこないので問題は無いということだろう。
逃げ出したいという気持ちは最初こそあったが、恐怖心や痛みを克服していくうちに、自分が強くなっているのを実感した。
この感覚は前世では感じたことのないもので、無意識のうちにここで暮らすのも悪くないとも思っていたのかもしれない。
それは悪い意味での克服なのかもしれなかった――。
それから2年ほどが経過したある日。
それはいきなりやってきた――。
年齢的には7歳ぐらいになった俺がいつものように睡眠を取っていると、いきなり胸の部分に痛みを感じた。
「ぐあっ!」
目を覚ました俺は慌てて状況を確認した。目の前にゲインが拳を握って立っている。どうやら俺は寝ている間にゲインに殴られ、吹き飛ばされたらしい。
さらにはアバラが何本か折れているようだ。
「人が一番襲われやすい時とはどんなときだ」
ゲインはいつものように冷酷な面持ちで俺を見下しながら問いかける。
この質問はおそらく今の状態を言っているのだろう。
「寝ているときか?」
「そうだ」
当たり前のように受け答えるゲイン。
だけど人である限りは眠なければいけない。
「寝るなってことか?」
「それも選択の1つではある。だが人である限りは睡眠は取らなくてはならない。睡眠は体力や魔力を回復させるもっとも効率のいい手段だ。だから寝ている時ですら警戒しろ」
また突拍子もなくめちゃくちゃなことを言ってくれる。だがゲインの言いたいことも理解していた。このジルムンクは無法地帯で、暴行や盗みなんて日常茶飯事、そのため人の死骸が転がっているのも何度も見た。
決まってゲインは「弱い奴が悪い」と言っていた。
ここでは不正やズルという概念なんてなく、勝った方が強者で、勝ったほうが正しいのだ。
だからこそ、寝込みを襲われても文句が言えない。襲われた方が悪いのだから。
「わかった」
具体的にどうやればいいかは見当がつかないが、基本的にゲインに対しては「はい」か「いいえ」で答え以外をしない。
随分前に「自分で考えろ」と殴られた事があったからだ。
「毎回俺が寝込みを襲う」
短く告げたそれが、訓練の内容だった。
ゲインはそれだけ言い残し、去っていった。
去っていった後の部屋は静かなもので、物音一つ聞こえなかった。
「【ヒール】」
俺はそっと魔法を発動させて肋骨を回復。そして再び眠りに就くために目を閉じた。
人とは他者を傷つけようとする時、悪意のようなオーラが出る。これこそが殺気のことなのだろうと俺は知った。
幸か不幸か、ゲインのおかげで殺気に関しては脊髄で感じることが出来るようになっていた。
それを寝ている時にも作用出来るようにすればいい。さっきゲインに襲われた時、無意識下で伝わってくるものがあったような気がした。
それを反射で避ければいいのだ。次は絶対に当たってやるものか――。
「――はっ!」
眠っていた俺は身体を動かしていた。すぐ目の前をゲインの攻撃が通り過ぎていく。だけど今回は拳ではなく、剣での攻撃だった。
当たれば大怪我間違いなし。しかも拳と違い無機質なものなので攻撃されていると感じにくい。そんな斬撃を俺は躱したのだ。
正直嬉しかった。こんな芸当をやろうと思って出来たことに始めて喜びを感じた。
思わず俺は唇を綻ばせていた。
「ほう……」
目を細めて短く一言呟くゲイン。
それは感心しているのか、面白くないと思っているのか、どちらかはわからない。
そのままそれ以上は何も言うことがないと思ったのか、俺の寝床から去っていったのだった。
「クソゲイン」
俺は短く罵倒。
それからゲインは毎晩、俺の寝込みを襲うようになった。俺は間一髪でしっかりと攻撃を躱す。
それを繰り返すうちに、殺気だけではなく気配すらも寝ている時に読み取れるようになった。
逆に気配を感じると睡眠が阻害されてしまうというデメリットもあるが、攻撃を受けるよりかは何倍もマシだった。
次第に俺は寝たい時に眠りに付き、起きたい時に起きれるようになっていた。
――
―
「俺の分は?」
食事の時間――パンをちぎっているゲインに俺は尋ねた。
ゲインはどこから手に入れているのかわからない物資や食料を、袋に詰めて持ってくる。そして俺の分は微量だが、小さい袋に入れて床に置いてくれていたのだ。
それだけが唯一、冷酷なゲインに温かみを感じる瞬間だったのだが。
「ない」
「……そうか」
「不満か?」
「いや、不満はない」
俺は今までが恵まれていたのだと瞬時に気持ちを切り替えた。こんな場所では食料を確保することも難しいだろう。それを微量だが俺の分も用意してくれていたことに感謝しなければならない。
そして問題はこれからどう食料を得るかだ。
「そうか。ジルムンクで食料を手に入れる方法は大きく分けて2つ」
そんな俺の脳内を読んでか、ゲインは淡々と語り出した。いつもならこんな流暢に語らない――何か企んでいるのだろうか。
「狩るか、取引するかだ」
「取引?」
俺はここへ来てからゲイン以外とはあまり接点がない。たまに現れる野党をゲインが殺しているのを見ることはあったが――だからこそ、このジルムンクは奪うか奪われるかの2択だと思っていた。
考えてみれば当然のことなのだが、取引という人間らしい言葉が出てくるとは思ってなかったのだ。
「そうだ。俺が今食べているパンをお前が欲しいと思ったらどうする?」
奪う――という選択肢はまだ取れない。ゲインは希に見ない圧倒的な強者で、今の俺では絶対に返り討ちに合う。だからこその取引か。
「俺の持っている範囲で、ゲインの求めるものと交換する」
「そうだ。金なんてものは大概意味をなさない。だがここでも、物々交換ならまかり通る場合が多い。それが無理なら――」
「狩って奪えということか」
「わかっているな。だが狩るというのは人だけに限らない」
「動物や魔物――ということか?」
「そうだ。動物はあまりここにはいないが、ジルムンク付近には魔物は五万と居る」
魔物は俺もまだ見たことがない。本によれば強さによってランク分けされており、大型から小型まで様々なものが存在するらしい。
「お前はどうしたい?」
パンを食べながらゲインは問いかける。胃の中にフワッと突き抜ける何かを感じた。
俺自身、取引材料となる手札をほとんど持っていない。必然的に魔物狩りかゲイン以外の人間狩りかという2択になる。
「魔物狩りをしたい」
その言葉を聞いたゲインは無言で立ち上がり、外へ歩き始める。
「付いてこい」
短く言い捨てるゲインの後を付いていく。しばらく進むと木々が生い茂る林のような場所に到着した。
おそらくだが、既にジルムンクのエリアを抜けているのだろう。
そしてゲインは目を瞑り、魔力のような不穏な気配を漂わせ始めた。
すると――。
「ガルワゥゥ」
熊のような生き物が現れた。大きさは3メートルぐらいで、何やら怒っている様子――雄叫びを上げながらこちらを睨み散らしている。
この生き物を取り囲む魔力と気力、そして悪意――これが魔物というやつだろう。
ゲインは徐に剣を抜きながら熊の魔物に近寄っていく。そんな余裕の態度に魔物も怒ったのか、全力で爪のある手を振るった。
――遅い。
俺はそう思いながら見ていた。現にゲインも魔物の攻撃を悠々と躱し、脚に向かって斬撃を放っている。
「グワルァァァ」
斬撃はそのまま脚を切り裂き、切断。熊の魔物は崩れ落ちながらその場に留まった。
動きを封じたということだろう。
ゲインはそのまま動けなくなった魔物の目を剣で突き刺し抉り取る。しっかりと左右確実に視力を奪っていった。見てるこっちも痛さを感じるような無慈悲な刃。
「グオオオ」
視界のなくなった魔物は腕を大ぶりにして暴れ出した。
そんな乱暴で隙だらけな攻撃をゲインが躱すことなんて用意だった。
「グオッ――」
最後にトドメ。魔物の首を一撃で切り落とした。赤黒い血が首元から吹き出ている。
「それは食えるのか?」
「《グリフト・ベア》は食用として出回っていることが多い」
グリフトベア――確かDランクの魔物だと本に書いてあった。
「グワルァァァ」
するともう1匹、熊の魔物が現れた。先程のよりも少し小柄だが2メートルほどの大きさはある。
「お前もやってみろ」
そう言ってゲインは剣を投げた。俺の身長で振っても遜色無い短剣だ。
どうやら魔物退治の訓練で、お手本としてわざわざ見せてくれていたらしい。
「グオォォォォ!」
魔物はもう一匹の亡骸をみた直後、怒ったように雄叫びを上げ、蹄を立てて俺との間合いを詰めてきた。
動きは単調だが、先程の熊よりは素早い動き。
俺はしっかりと動きを見極め――躱す。
ギリギリまで引き付けて――いなした。
ゲインの動きをそのままやったのでは身体が持たない。だから俺の身体に合った動きに昇華して真似る。
「まずは動きを止めるのか」
俺は魔物の脚を切りつけた。短剣は通ったが切断までには至らない。
だがこれで動きは低下する。
動きを止める事はこの熊だけでなく、大抵の魔物に対して有効的な戦い方であると俺は思った。
「次は目潰し」
ゲインが行っていたことをなぞる作業。視界を奪うのはどの生物に対しても有効だ。
出来ることならいち早く実行したいが、目潰しはそれなりの精度が必要で――だからこそ相手の動きを止めてからの方が確実だとゲインは言いたいのだろう。
「グワルァァァ」
短剣をしっかりと両目に突き刺す。熊は叫びながら目を抑えている。
「そしてトドメか」
最後に相手の急所を狙う。今回は首だ。それは生き物である限り首を切り取られれば1発で殺すことが出来るからだ。
他にも急所は存在してはいるだろうが、今回はゲインがやっていたことをなぞっておこう。
俺は飛び上がり、熊の首に剣を振り落とそうとした――。
「ぐっ……」
ザグリ、という音が耳を掠めた。それだけではない。燃え上がるように熱い痛みが背中からお腹にかけて広がっていく。
「なにをして……」
俺は振り向き、後ろにいるゲインに問いかけた。ゲインはあろう事か、自分の剣で俺の背中から刺していたのだ。剣は深く突き刺さるどころか、お腹まで貫通している。
「油断するなと言っただろう」
何を言ってやがる。
俺は歯を食いしばりながら心の中で叫んだ。
「人は何かを達成する瞬間もまた、油断をする愚かな生き物だ。お前は今、これで終わりだと過信した」
確かに思った。これで終わりだと。だけどそれとこれとは話が違うじゃないか。
「何か言いたげだな。理不尽だと感じているのだろう……。だがそれが世の中だ」
そう言ってゲインは刺したままの剣をグイッと90度回転させる。俺の体内を再び激痛が駆け巡っていった。
「ぐああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
「刺し傷の痛みはまだ教えてなかったな」
ゲインは表情一つ変えることなく告げる。俺はその場に倒れ込み、痛みに耐えた――失いそうな意識をどうにか手放さないように。
そしていつものように、取り巻く激痛は次第に弱まっていく。いや、弱くなっているのではない――身体が慣れてきているのだ。
「……っ」
地面に這いつくばっている俺を見下ろすゲイン。そんなゲインの次の行動は剣を引き抜くことだった。
刺された時、えぐられた時とは別の痛みが雷のように脳内を闊歩した。
もう声すら挙げられない。だけどそれを悟らせるわけにもいない。だから俺は痛みに耐えながらゲインに振り向き、笑いかけた。
「ほう……」
感心しているのか、ゲインの唇が一瞬綻んだように感じた。
熊の魔物は――いつの間にか首を跳ねられ絶命している。
「不穏な気配がすると思ったらあなたか」
そこで新たな声が聞こえた。2人組の男が木陰から現れたのだ。
声の主はツリ目で、このジルムンクにしては良品な装備をしている。もう1人の男はボロボロの服を身にまとっていて体も傷だらけだった。
口ぶりからしてゲインの知り合いという雰囲気なのだが。
「ちょうどいい」
ゲインはその2人の男へ普段は見せない類の笑みを浮かべる。
「なんだよ、次は何をしろと?」
「取引だ」
「取引か……どんなだ?」
ツリ目の男は熊の魔物、俺へと視線を泳がせた後、ゲインに向き直る。
「この熊をやる。代わりにその地面に這いつくばっているガキを殺せ」
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