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第110話

第五章始まります。

 苦しい――。

 俺が意識を取り戻した直後に思った最初の感想だった。目を閉ざしながら一生懸命と体を動かすが、手足は謎の浮遊感に遮なまれる。

 まるで水の中にいるかのような――いや、ここは水中だ。

 体中に感じる冷たさ。適度に全体を支配している抵抗と圧力。口から出た空気の泡が、上を目指して頬を伝う。


 どうしてこんなところに?

 そんな疑問が頭を掠めるが、まずは水面に上がることが先決だ。

 そう思った俺は冷静に身体を丸め始める。

 人間は浮くように出来ていて、これにより俺が目指すべき水面の方向がわかるのだ。


 ――こっちか。

 俺は一生懸命と手足で水を掻きながら水面を目指す。


 息が苦しい――というよりも、思うように身体が動かない。

 なぜだろうか。まるで自分の身体ではないみたいな感覚。普段は自覚することのない疲労感を覚える。


 幸い、水面にはすぐに到着することができた。浅い箇所にいたのだろう。

 ようやく目が開けるようになった俺の視界に写ったのは森のような場所だった。すぐ側に地面もある。

 俺は必死に足をバタバタさせて、どうにか大地に這い上がった。



「ゲホッゲホッ!」



 安心した直後に襲ってくる嘔吐感。

 水を飲んでいたようで、俺はどうにか胃の中のものを吐き出す。



「はぁ……はぁ……」



 間一髪。死ぬところだった――。



「1人で上がれるようになったか」



 男の声が耳を通った。それは凍るように冷たい口調。

 俺は息を切らしながら、声の聞こえた方向へ頭を向けた。

 そこには大柄なグレーの髪の男がいた。見た目は30代のおっさん。象牙色のローブを羽織っていて、こちらを冷めた目つきで見つめている。



「だれ……だ……」


「ん?」



 おっさんは訝しげに眉を一瞬寄せた。そして僅かに唇を緩める。



「ようやくか」


「なに……が?」


「ようやく泳げるようになったか。ということだ」


「泳げる……?」



 頭の中が困惑する。

 泳げるも何も、元から俺は泳げ――あれっ、手が小さい。手だけではない、身体すべてが小さい。どういうことだ?

 俺は確か学校から沙奈(さな)と帰宅している最中だった。それから途中、トラックがものすごい勢いで向かってきて――。



「溺れすぎて記憶が混濁しているようだな」



 おっさんはそう言って、俺の頭を持ち上げ――地面に叩きつける。



「痛っ!」



 頭にこれまで感じたことの無いほどの激痛が走る。するとおっさんは俺の髪の毛を掴みながら、睨みつける。



「思い出したか? 今は泳ぎの訓練中だ」


「訓練……?」



 ますます困惑する。俺の身体が小さい事と何か関係があるのだろうか。


 するとおっさんは有無を言わさず、無言で俺の首根っこを掴み、歩き出す。

 しばらくすると洋館――にしてもボロすぎる小屋に到着した。


 小屋の扉は開いていて、中から人の声が聞こえる。

 その直後――グワン、と俺の身体が温まる何かを感じた。まるでこのおっさんから何か熱気のようなものが出ているような感覚。


 そっとおっさんの顔を確認すると、小屋の中をじっと見つめていた。さっき俺に見せた時と同じ表情をしている。



「けっけっけっ……大量だぜっ」


「王都を出てよかった。ここは俺達の都だな」



 すると正面のドアから2人の男が出てきた。漫画とかに出てくる盗賊のような格好をしている。

 しかも相当体を鍛えているのか、おっさんよりも強そうに見えた。



「んあ? なんだこのおっさん」



 盗賊の2人はおっさんを見るなり眉を片方下げて睨み散らす。肩にはいっぱいになった袋を担いでいた。



「ここはお前のボロ小屋か?」


「ごめんごめん、なら食料は奪わせてもらったからな」



 おっさんを馬鹿にするような口調で笑みを浮かべる盗賊達。



「1度だけ言う。それを置いて行け」



 そんな盗賊達へおっさんは静かに――忠告をした。



「はぁ? 何言ってんだこの野郎」


「よえーもんが奪われるのが当たり前なんだぜ? ここはよ」



 1人の盗賊が拳を仕切りにポキポキと鳴らしている。聞く耳持たずという感じであった。

 というよりも、おっさん何喧嘩売ってんだよ……。せめて俺を巻き込まないでほしい。



「おいおい、何をゴチャゴチャ話してんだ?」



 ――最悪だ。

 さらに中からもう1人の男が出てきたのだ。しかもおっさんよりも大柄。たんまりと蓄えた荷物を引きずっている。



「あぁ、どうにもこのボロ小屋の主が帰ってきたみたいでよ。これから殺すところだ」



 殺す――あまり馴染みのない言葉に一瞬思考が固まる。冗談でその言葉を使うことはあるだろう――が、目の前の盗賊達は本気でそれを成し遂げようとしているのが伝わって来るのだ。



「ふははっそりゃあいいっ――えっあっ……」



 だが、新手の男はおっさんを見るなりいきなりたじろいだ。



「どうしたんだい?」


「お前――えっ……本物か?」



 男は小声で呟く。明らか動揺していた。



「お前か。落ちぶれたものだな」



 おっさんは目を細めて動揺している男を冷酷に見据えた。

 知り合い――なのだろうか。



「ゲイン殿……生きてて――」



 ほんの一瞬――俺は瞬きをしただけだった。

 しかし目を開いたとき、前に立っていた盗賊達3人の首から上が――なかったのだ。

 何が起きたのかわからない。


 幻覚かと思った。

 だけどよく見ると、盗賊達の頭が後ろへ吹き飛んでいるのが見えた。その頭はやがて、グシャリと音を立てながら小屋の壁を赤く染め上げた。

 それと同時に胴体だけとなった盗賊達の首から血潮が吹き出し――その場にゆっくりと倒れた。



「えっ……?」



 俺は困惑をそのまま声に出していた。



「その名は捨てた」



 意味深に囁くおっさん。このおっさんはゲインといって、何かしらの理由があってその名前を捨てたということだろうか。

 いやそれよりも――。



「ゲェェェ……」



 俺は目の前に広がるグロテスクな光景に思わず胃の中のものをぶちまけてしまった。

 こんな光景映画でしか見たことがない。


 おっさん――ゲインはそんな俺の様子を気にすることなく何事も無かったかのように――ここへ来た時と同じ面持ちで小屋の中へ歩を進めた。

 小屋の中は外見ほどボロくはない。だけど不衛生で所々に埃がかぶっている。

 俺は突然の浮遊感に襲われ、雑多な荷物の様に床へ下ろされた。


 ゲインはそのまま奥へ進み、指を鳴らす。途端に暖炉のような場所から火が立ち込めた。

 仕掛けはなさそうだけど……どういう原理なのだろうか。



「クレイ……今日から訓練のメニューを変える」



 ゲインは背中を見せたまま何やら呟いている。

 俺はそんなゲインの背後を黙って観察した。



「いっ」



 すると手に痛みを感じた。どうやら床に落ちた鏡の破片で手を切ってしまったようで、俺は慌てて手元を確認した。

 ふと――鏡の破片に4歳児ぐらいの銀髪の子供が写った。写った子供は俺の動作に合わせて同じように動いている。

 というよりも――。



「返事はどうした。クレイ」



 ゲインが向き直り、俺を見据えながら冷酷な口調で名前を呼ぶ。

 もしかして――クレイって俺の名前なのか? この鏡に写った銀髪の少年が――俺?


 困惑する思考を改めて整理するために考えを巡らせた。

 俺は一ノ瀬帝(いちのせみかど)、18歲。高校生にして会社を何社か経営していて、一ノ瀬沙奈(いちのせさな)という妹がいる。そしてその妹を守るために俺はトラックに引かれたはずなんだ。

 俺は死んだはずだ。あの速さで向かってくるトラックに頭から激突して生きているわけがないんだ。


 だけどこの状況はなんだろう。


 ――これは夢?

 いや、夢にしては感覚がリアル過ぎる。

 合理的に考えるなら、俺が死んだ後、生まれ変わったということだろうか。さらには何かの間違えで前世の記憶がある状態で転生したということなのか?

 昔、「前世の記憶が存在します」とかテレビで言っていた者達を小馬鹿にしていたが、あながちありえる事実なのかもしれない。



「まだ記憶が混濁しているようだな」



 そんなことを考えていると、ゲインは拳を握りながら呟いた。

 その動作で先程の盗賊達の光景を思い出し、自然と身体が震え出した。



「は、はい。聞いています」


「……見逃すのは1度だけだ。訓練のメニューを変える」



 そういえば訓練するということを言っていた。

 こいつは何者で、何のために俺なんかを訓練しようとしているのだろうか。



「あの、記憶がまだ混濁しているんですが……あなたは俺――私のなんですか? なんのために訓練を?」



 言い終えた途端、拳が飛んできた。だけど目で追えるスピード。

 俺は自然と身体が動き、その拳をギリギリで躱していた。



「ぐはっ」



 だけど拳は追撃でもう一発放たれていた。予想以上に俺の身体の動きも遅い。

 というか今更だけど、こんな子供に手を挙げるなよ。



「前にも言ったはずだが? まぁいい。お前は無様にも捨てられていたところを俺が拾ってやったのだ。だから今後は俺に尽くせるように働け。その訓練だ」



 状況を再び整理する。

 俺はクレイという名前の捨て子で不幸にもこのゲインによって拾われた。しかもどうやらここは日本ではないらしく、それどころか外国ですらないかもしれない。ゲインが指を鳴らすことで暖炉がひとりでに燃え上がったことや、先程から感じる体をめぐる暖かい気のような流れ。これは魔法のようなものではないだろうか。


 そしてこの殺伐としたサバイバル環境のような場所はこの世界の全てなのだろうか。

 それが全てなら生き抜くためには協力関係の者は必要不可欠になる。

 幸いゲインは強者であるし、俺を子分として育てようとしているらしい。



「お、思い出しました」


「教えたはずだ。その媚びるような喋り方はなんだ」


「えっ……」



 突然、寒気のようなものを感じた。ゲインの目から出ている言い表すことのできないオーラのようなものだ。



「ぐふっ……」



 そして蹴られた。瞬きをしたところを狙われたのだ。



「1度しか言わない。媚びるように話すな。弱みを見せるな。人を信じるな」



 ゲインは冷たく淡々と語っていく。



「お前は今、俺を恐れているな?」



 俺は痛みで床をかけずる。そんな俺を冷酷に見下しながら口を再び開いた。



「恐れや不安、緊張は人を弱くする。その弱さはお前を蝕み、やがて身体能力を低下させる。さらにその弱さに付け込まれて、相手の土俵へ引きずり込まれる。ほんのわずかな油断ですら死に繋がる」



 痛みの中、俺はゲインの言葉を聞いていた。



「これからの訓練は、その恐れや不安を無くす事だ。このレベルの殺気で恐るな」



 ゲインから出る寒気のようなものが強くなる。

 そうか、これは殺気というものなのか。



「なにも完全に恐れを無くせと言っているわけではない。恐れというのは体の発する警戒信号でもある。だから恐れてもいい――が、相手にそれを悟られるな。どんな状況かでも自分の力を十二分に発揮できるようにしろ」



 めちゃくちゃじゃないか。

 言いたいことはわかるが、それをこんな子供に強要するなんて狂っている。



「返事はどうした?」


「は……わかった」



 「はい」と言おうとした瞬間、またも殺気を放ってきたので言い直した。

 これが地獄の始まりだと、今の俺が知る由もなかった。

ご愛読、ブックマーク等ありがとうございます。

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