第105話
――ミロードお兄様に出来なかったことが私に出来るだろうか。
ジルムンクへ向かう馬車の中でリンシアは一抹の不安を懐く。
ジルムンクを統治しようとした今までの記録を読み返す機会はあった。だがミロードは、半ば後回しにしているといった様子で、諦めていたとも取れる印象を受けたのだ。
それも仕方ないことだろう。過去に500人規模でジルムンクへの視察を行ったらしいのだが、結果は失敗に終わっていた。王都にはわずか20人の兵士しか帰ってこれなかったという。
それなのに、今回王都からジルムンクへの視察に用意した人員は30人。クレイが集めた者達が10人ほどと、王国から派遣された近衛兵達が20人だ。
馬車の数は2つ。リンシアの乗るこの馬車にはメル、リル、精霊であるキサラが同伴している。
視察に際する王族の護衛としてなら少なすぎる規模ではあるが、クレイの指示によりなるべく人数を減らしたのだ。
「顔色が良くないようですが、お加減は大丈夫ですか?」
「ママ元気ないー?」
不安が表情に出ていたのか、リンシアへ向けてリルが心配そうに伺うと、続いてキサラも眉を下げながら問いかける。
「少し考え事をしていたの。でも心配しないで」
リンシアは心配させまいと精一杯、愛想笑いを浮かべながらキサラの頭を撫でる。キサラは嬉しそうな笑顔でリンシアを見上げた。
「それにママじゃなくて、シアちゃんでしょ?」
「シアちゃん!」
「リ、リンシア様。私にもその――撫でさせてください!」
そんなリンシア達のやりとりに、モジモジと身体を揺らしながら見つめていたメルがついに、我慢の限界を迎えたように懇願する。
メルは子供が好きで好きでたまらない。前々からリンシアと伝のある協会の支援なども率先してやっていたのだ。
「キサラちゃん、メルが抱っこしたいって」
「ほぇー? んー、わかった!」
そう言ってキサラは満面の笑みを浮かべながら、重力を感じさせないふわっとした飛翔をして、メルの胸元に飛び込み、顔スリスリとさせ始める。
「かかかかかかわ、かわい、すぎる」
「メル、落ち着いていて」
やや興奮気味のメルにリンシアは苦笑しながら呟く。そんな様子に先程までの緊張にも似た不安な気持ちが和らいだ。
「リンシア様、そろそろジルムンクが見えてくるはずです」
するとリルの警告にも似た報告に、リンシアとメルの表現は真面目なものに変わっていく。
出発前に、ジルムンクに関してのことをクレイは説明してくれた。
クレイが出る前のジルムンクは"紅領"、"黄領"、"蒼領"という自然と分かれた3勢力によってバランスを保ちながら成り立っているとのこと。
それぞれの領土を仕切るリーダーのような者がいて、その者達をまず力でねじ伏せることが統治への一歩だとクレイは告げた。
リンシアはそれに対して、交渉や政治的な解決方法の提案をしてはみたものの「それが出来たらスラム街になってなかった」と諭されてしまった。
争いが苦手だったリンシアは、それから覚悟を決めるために残りの時間を使った。
――出来れば争いたくはない。
でも争わなければ守れないものがあることも知っている。甘い夢物語は小さい頃に捨てたではないかと。
今、自分の周りには大切な者達がいて、それを守るために今日まで訓練をしてきた。それが答えではないかと。
ジルムンクは王国の領土ではあるが、各国の浮浪者達が集まると聞く。だから統治することが出来れば他国への交渉の架け橋にもなるのではないか。そういった政治的な交渉材料は、結果的に身の回りだけではなく、多くの人を救う事にも繋がるのだ。
――私達なら出来る。
不意に浮かんだ口元を綻ばせているクレイの姿に元気を貰い、自分自身を励ますのだった。
すると途端に馬車が静止した。
「何かあったのでしょうか?」
「リンシア様はここに居てください。私が様子を見てきます」
メルは抱えていたキサラをリンシアの傍らに座らせながら呟く。窓から外を確認すると、恰幅の良い5人の男が馬車の逝く道を塞ぐように立ちはだかっていた。
近衛兵達が彼らと言い合いを始めているようで、さらにクレイも姿を見せた。
「いいえ、私も行きます」
リンシアはメルにそう返しながら、防御魔法を自身に掛ける。
話しが通じるのであれば、王族である自分が出た方が丸く収まると思ったのだ。
「かしこまりました。私から離れないでくださいね」
メルの言葉に頷くと、リンシアは馬車を下りた。
「――へへっ、ここから先は通行料が必要なんだよ」
近づくと、小馬鹿にするように笑いかける男の声が聞こえてきた。
「何を言っている、王族の馬車だぞ。身をわきまえろ」
その男に対して近衛兵の1人が睨み返す。すると男はヤレヤレといった様子でその近衛兵を見下した。
「ここがどこだかわかってんのかよ。身分なんてここじゃ無意味。馬車も含めて身ぐるみを全て置いていけ。そしたら命は助けてやるよ」
「何事ですか?」
メルは後に控える近衛兵の1人に声をかけた。
「あっリンシア様にメル様。申し訳ありません。この浮浪者達が前に立ちはだかって金銭をせびているんです」
軽く会釈をした近衛兵は見たままの状況を伝える。
「話し合いが通じるなら平和的な解決をしたいです。前へ通してください」
リンシアの言葉に、近衛兵達が即座に守れる体制を取りながら道を作る。そしてメルを先頭にリンシアは前に出た。
「あなた達と争う気はありません。私は第3王女のリンシア・スウェルドン・アイクールです」
「おっ、この馬車女も乗ってんのかよ。しかも上玉じゃねーか。よし女も置いていけ」
男は先程までの小馬鹿にするような笑顔とは一変し、ニヤニヤと舐めまわすようにメルとリンシアへ視線を送る。
王族の名前に対しては無視であった。
「無礼な奴らだ。お前達のような浮浪者に与える物などない!」
そんな男の態度に横で控えていた近衛兵の1人が前に出て、脅しの意味を込めて剣を前に突き出した。
「へへっ」
男は瞬時に、持っていたであろう砂をその近衛兵に投げ放つ。それは砂による目潰し。
「やめ――」
やめなさいとリンシアが言い終える前に、目の眩んだ近衛兵を男は下品に笑いながら自身の持っている剣で切り捨てた。
「ぐわああぁぁぁ」
痛みによる悲鳴。わざと急所を外されたようで、意識を失うことなく近衛兵は荒い呼吸を上げている。
「くっ下郎が!」
メルが叫びならが男を睨むが、そんな事お構いなしという様子だ。
「あーあ、鎧が血で汚れたじゃんかよ。痛い思いしたくないなら早く荷物を置く準備をしろ」
それを合図に後ろで控えていた4人の男が、一斉に歩みを進める。
そのうちの1人の男がメルに手を伸ばそうとした。
「まぁまぁ、落ち着けよ」
するとクレイがメルの腕を掴もうとした男の手を軽く叩いた。先程まで後ろに控えていたはずなのにいつの間にか気配なく前に居座っている。
「ぐああぁぁ、俺の腕がぁぁぁ!」
先程の近衛兵と同じような男の悲痛が響く。クレイに叩かれた男の手首がありえない方向へ曲がっていた。
それを見ていた先程まで話していた男はクレイに鋭い視線を向ける。
「やってくれたなこのガキ。どうやら命はいらねーようだな」
「お前達の言い分は最もだ。ここは力こそ全てだもんな」
そんな男に、クレイは余裕そうな笑みで告げる。
「わかってんじゃ――」
男が言い終える前に、クレイの姿が消えていた。
途端、後ろに控えていた残りの3人が「あべしっ」と奇妙な悲鳴を上げながら吹き飛ばされていく。
「は?」
悲鳴の方へ振り向いた男は、その光景に目を見開き唖然とした様子で声を上げる。思考がついてきていない様子であった。
「身ぐるみを剥がされるのはお前達のようだぞ」
そんな男に姿を見せたクレイは追い討ちをかけるように笑いかけた。
「それに周りの奴らも出てきたらどうだ。それとも、かくれんぼが好きなのか?」
――周り?
リンシアが疑問に思った直後、木々の隙間から浮浪者達が顔を出し始める。ざっと見ても50人以上。
どうやらクレイは囲まれていることを知っていたようだ。
さらには奥の方から1人、筋肉質な男が物凄い速度で近づいてくるのが目で追えた。
リンシアでもわかるぐらいな異様なオーラを放つその男はこの者達を仕切っているリーダーのようにも見える。
「へへっ、この人数なら終わりだろ。それに今日はガレン様も来てるんだ」
先程まで唖然とした表情を浮かべていた男も、余裕を取り戻して笑い直している。
「ガレンねぇ……」
クレイが呆れるように呟きながら、首をコキコキと鳴らし、拳に魔力を纏わせる。
そして奥から近づいてくる男――ガレンに視線を送りながら口元を緩めた。
するとガレンは急ブレーキをかけてクレイから少し離れた場所で静止。
刹那――とてつもない速さで自分の頭を地面に叩きつけた。
「すみませんでした! 命だけは助けてください!」
◇
最近は物資が不足していると、ジルムンクの蒼領のリーダーを務めるガレンは焦っていた。
それは蒼領近くを根城にしていた"禁忌"がいなくなったせいか、はたまた最近紅領のリーダーが変わり、動きが活発になっているせいか。
我関せずの黄領とは違い、紅領の奴らは狂ったように暴れて、ジルムンクに入った物資を横取りしている。そのせいか、今までバランスが取れていたはずの勢力図が崩れかけているのだ。
なんとか蒼領も勢力を維持したいとガレンが考えているところに、ある情報が入った。
情報元はいつもの信頼出来る筋で、新たな領主である王族が聖騎士を連れず視察に来るという。
――これはチャンスだ。
馬車も含め、王族を守る兵士たちが身に纏う鎧などは高価な素材で出来ていることが多く、それを元に裏商人から色々な物資を仕入れられるのだ。
これで紅領に遅れを取った分の補強に使える。
視察にしては30人という規模は少なすぎる数ではあるが、いないよりはいいのだ。
そして今、情報の通りに王族の馬車は来ている。
ガレンは蒼領の強者達を集め、事前に囲むように配置させていた。どんな者でも不意を付けば余裕で勝てることを知っているからだ。
このまま後ろから不意打ちの一撃を入れ、統率が乱れたところにガレンが切り込む。
はずだった――。
「あれっ――――あの銀髪は――」
自分の配下と近衛兵のやり取りを遠くから観察していたガレンは、自然と混ざってきた見覚えのある銀髪少年の姿に、思わず独り言を呟いた。
その姿に思わず口をパクパクさせて、驚愕する。
――あれって……クレイじゃないか?
――というか本物か?
――あいつ死んだって聞いたはずだが。
――いやいや、よく考えてみれば死ぬようなたまじゃない。
――あの野郎嘘つきやがったんだ。
頭に様々な思考を巡らせる中、ガレンは思わず走り出していた。
あれが本物のクレイなら、全滅するのはこちら側だからだ。それはリンゴが地面へ落ちるぐらい当たり前なほどに。
途中、ガレンの姿を見つけた銀髪の少年が口に綻びを見せた。それを見たガレンの脳裏に思い出される悪夢。
――あぁ、やっぱり本物だった。
どうにか手を出される前に馬車の元へ間に合ったガレン。手を出されないように少し離れた位置。
一世一代――これまで見せたことのない最速の動きで頭を地面に押し付けた。
「すみませんでした! 命だけは助けてください!」
渾身の土下座。場は白けている。配下の戸惑いの様子が伺える。
――だが、これでいい。
死ぬよりはマシなのだから。
恐怖によって震える身体をどうにか静止させながら禁忌の悪魔の言葉をただひたすらに待つのだった。
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