軋む音が聞こえる
1日目夜、恵は何となく目が冴えてしまい、玄関ホールを出たところで腰をおろし、空を見ていた。
仮の空といいつつもゲーム内の時間に沿って色は変わって行く。朝になり、夜を迎え、そして残酷にも時は進み朝が来る。
雲ひとつない満天の空を見ていると肩に毛布がかかった。
「……冷えるよ、乙川さん。」
「……ゲームの世界だもの、風邪なんてひかないよ。」
「それもそうか。」
声の主は風花だった。
彼はそう呟くと恵の隣に腰をおろした。
「眠れないの?」
「……うん、昼間に寝すぎちゃった。現実の世界じゃないのに不思議だよね。」
「……そうだね。」
ポツリと彼も呟いた。
「そういえば若狭さんからリストバンド借りてます。」
「ん、別にいいよ。もう若狭先輩のものだし、先輩が必要って思ったことは大概間違ってないはずだから。」
仕方がなさそうに笑う風花は随分と若狭に信頼を置いていることがうかがえた。
「仲良いんだね。」
「ああ、中学からの先輩後輩だし、あの人はオレの憧れだから。」
「……そうなんだ?」
「うん…でも本当に申し訳なかったな。オレのせいであの人はこのエラーに巻き込まれちゃったみたいなもんだし。」
彼はポツリポツリと呟き始めた。
「あの人の最後の大会、インターハイでさ。100m×4リレーと100m、出たんだよ。オレもリレーの方に一緒に出たんだけどさ。」
「えっ、すごい…。」
「全然すごくないよ。オレともう1人がバトンミスしてさ、予選落ちしたし。」
彼は自嘲気味に笑う。
ーーーーーー
『アイツが無気力になりそうだったんだ。』
『最後の大会が終わった時、アイツの表情見て、このままじゃアイツはダメになる、何となくそう思ったんだ。でも助けられない自分が情けなくてさ、無力感に襲われた。
だから、少しでもアイツを理解して、支えてやりたいと思ったんだ。』
ーーーーーー
恵の頭の中では、若狭が言っていた風花に関する言葉が頭の中でリフレインした。
「先輩たちは気にしなくていいって言ってくれたんだけど、やっぱり引退が掛かってる先輩たちの試合を潰したんだ…気にならない訳ないだろ?
正直、部活も辞めようと思った。その時に、しばらくご無沙汰にしてたこのゲームに誘われたんだ。」
「若狭さんに?」
「そ、あの人オレが植物好きなのとか、ゲーム内で植物育ててたことは知ってたから。『オレもお前の好きなもの知りたい』って、受験生なのにね。」
仕方なさそうな、しかしどこか嬉しそうに笑う。
「……本当にお人好しだね。」
「でしょ? ……オレもたくさん支えてもらったからさ、先輩を絶対に助けようって思ってね。もちろん、先輩と仲良い乙川さんのこともね!」
「わたしも?」
「そ、先輩楽しそうだし。何か、先輩と話す乙川さんもイメージと違って親しみやすかった。」
「えぇ…そう?」
うん、と彼は素直に頷く。
「だからさ、オレも2人のために頑張ろうって今日思ったんだ。乙川さんも何かあったら頼ってな? 同級生だし、こんな時の話し相手ぐらいできるから。」
「……うん、ありがと。じゃあもう少し付き合ってもらおうかな。」
「よしきた。」
それから談笑していると玄関ホールの方から声が掛かった。
「何してんだー? もう夜中だぞー?」
「……若狭さん?」
「先輩だな。」
「戻ろっか、ありがと。」
うん、と風花が頷き、先に走っていく。
恵は最後に空をもう一度見上げてから2人に近づいた。
若狭は何やら封筒のようなものを風花に渡しているようだった。彼は不思議そうにしつつも特に疑念は抱かなかったのか素直に受け取り、かけられた一言二言に頷き、そのまま端末のバッグについているポケットに入れた。
「どうしたんですか?」
「ん、何でもねーよ。そろそろ寝よーぜ。」
「……先輩、乙川さんは別の部屋っすからね。」
「わかってるよ!」
夜でも分かるくらいに真っ赤になった彼は悔しそうに地団駄を踏んでいた。
翌朝になると同室で眠っていた由香が話しかけてきた。
「恵、今日も探索する? それとも少し休む?」
「うん、できる範囲で色々調べてみるよ。あと他の人とも少し話してみたい。」
「他の人と?」
由香に尋ねられ、頷いた。
「もしかしたら他の人がいいアイデアを持ってるかもしれないし。思わぬところに解決法があるかも。」
「そうだね、桜庭とか舘野はあまり役に立たないけど赤根とか前川は何かいい方法思いつくかも。」
恵と由香は2人を訪ねるため部屋から出た。
A棟に備えてあるキッチンを併せたカフェテリアには米田と桜庭、梅子が食事を摂っていた。何やかんや学年が同じ3人は話が合うらしい。
「おはようございます。乙川さん、小塚さん。」
「おはよう、3人とも。……些か呑気じゃない?」
「気は抜けないけど腹が減ってはなんとやら、って話だしさ! 飯食って作戦会議中なわけ! な?」
桜庭がそう言うと、桜庭の言葉が由香の神経を逆撫でしているらしいことを察している米田は苦笑しながらうーんと曖昧な返事をしていた。
「で、でも交流も大事ですよね! 私もそう思います。」
「乙川さん…。」
恵の言葉に3人は互いの顔を見合わせて目を丸くしていた。
「当事者の乙川さんがそんなに格好いいなんて僕たちの立つ瀬が無くなっちゃうな。」
「え、そんなつもりは!」
「っはは! たくましいな!」
桜庭に頭をわさわさと撫でられる。
あまりにも撫ですぎて途中で由香と梅子に手を払われていた。
図書館に行くと目的の人物の1人である前川と千藤が何やら話していた。扉側から見るとどうやら前川が身振り手振りしながら千藤に熱心に話していた。
いつも表情の乏しい彼にしては珍しい光景だった。
恵が扉を開けると2人が振り向いた。
「あ、おはよう。2人とも。」
「おはよう、千藤くん、前川くん。お邪魔だったかな?」
「……別に大した話はしていないが。何か用か?」
とてもそんな風には見えなかったけど、そんな言葉を恵は飲み込んだ。
「何か新しい発見はあったかなって。特に前川と赤根はプログラミングに詳しいみたいだしさ。」
「なるほどな…オレは引き続き千藤さんと図書館を調べていたが、興味深いものはあったぞ。」
前川はいつもの調子でそう言うと彼は本棚から何冊か本を取り出すと3人に見えるように出した。
「……こんな本、高校にあったかな?」
「おそらくなかったものだろう。実際中身も全く書籍と関係ないものだからな。」
ページをペラペラめくるとどうやらログイン履歴や他のルームの履歴があるびっしりと載っていた。
最後のページに至っては今もなお更新されていた。
「これって何?」
「どうやら他のルームや今までの履歴がまとめてある書籍らしい。」
「今回のルームは102、つまりそれなりの人数が被害に遭っている。でもね、記されているルーム数は98、すでにルームが崩壊しているらしい。」
「じゃあ脱出できたってこと?!」
由香が明るい声で尋ねるが、千藤は首を横に振った。
「馬鹿め、もっと前のページを見てみろ。」
前川に言われて恵はすぐに気づいた。由香に関しては少々首を傾げていたが、途中であっ、と声をあげた。
「気づいたみたいだね、ログインされた人は『ログインしました』ログアウトした人は『ログアウトしました』って書いてある。でも、ここに書いてあるのは『ルームが消滅しました』。
………果たしてどうなったんだろうね?」
皆、千藤の問いかけに答えることはできなかった。
「……この情報は僕から共有しておくよ。前川くんと引き続き図書館を調べてみるね。」
「分かった、ありがとう。」
「すまないな、有益な情報でなくて。」
「……大丈夫だよ。たくさん調べてくれてありがとう。」
恵が礼を言うと、前川は初めて顔を顰め、頭を下げた。
赤根を探して回るとモニタールームにいると情報を得た。訪ねてみると彼女は首を捻りながらモニターと向き合っていた。その横には琴乃が椅子でベッドを作りながら横になっており、寧々も何やらトランプを触っていた。
「アンタら何やってるわけ?」
「あ、ゆかちーん。別に、やることないから暇つぶしてるだけ。」
「は? 暇?」
「そーそー、今まりりんが外に連絡取れないかやってくれてるからさぁ。待ってんの。2人も一緒にどう?」
「……アンタ呑気ね。早くやらないと恵の命がかかってるかもしれないのに。」
由香の声に怒気が孕む。
少しふてくされたように下唇を突き出す。
「だって寧々、システムよくわかんないし何もできないし…。」
「そんなことないよ、八重島さん。」
声を発したのは先程まで作業をしてた茉莉花だった。
「さっきだって私のご飯とか飲み物持ってきてくれたよね? 私は助かってるよ。」
「まりりん…。」
「……そう、なんだ。ごめん、確かに茉莉花のサポートも必要だよね。」
由香が目を伏せ呟いた。
寧々も緊張感が和らいだようで、小さく首を横に振った。
「何でそんなに焦ってるの?」
質問をぶつけてきたのは先程まで寝ていた琴乃であった。
「……脱出できるのだって、巻き込まれたのだって、犠牲になるのだって運でしょ? 運を嘆いたって仕方ないよ。」
彼女に似合わない冷たい言葉に恵の顔がわずかに歪む。明らかに由香の顔が険しくなった。
「ちょっと舘野! 恵の気持ち考えなさいよ!」
「ちょ…由香ちゃん…。」
恵が間に入るが由香の怒りは止まない。
周りにいた寧々も不安そうな顔をしており、茉莉花も僅かに眉間に皺を寄せた。
どうやら琴乃の虫の居所も悪かったらしい、彼女も立ち上がり由香を睨みつけた、
「………私だったら諦めるもん。無駄だよ。みんな取り乱しすぎて冷静じゃない。
それくらいなら茉莉花がどうにかするのを待った方がよっぽどいいよ。」
「何もしてないアンタが言うな!」
「怒ってばかりで恵を不安にさせてばかりの由香に言われたくない!」
その勢いのまま椅子をひっくり返すと彼女は出入り口を開く。
盗み聞きをしていたのか、扉が開いたことに風花と若狭がうわっと驚き、退いた。
「え、ちょ、舘野?!」
若狭は反射か、彼女を慌てて追いかけていく。風花はきょとんと目を丸くしたまま固まっていた。
一方で由香は下唇を噛みながら下を俯いていた。
「ゆ、由香ちゃん…ありがとう。舘野さんが言うようなことは、ないから、ね?」
「………ん。」
そんな2人の様子を一瞥すると茉莉花が独り言のように話し始めた。
「2人は進捗について聞きに来たんだよね?
申し訳ないけどまだ何も分かってないんだ…もう少し時間をかけさせてくれるかな? それと、ログインルームの方の解析までは手が回らないんだ。」
「そっか、ごめんね。頑張ってくれてるところ追い立てるようなこと言って。」
「ううん…舘野さんのこと否定するわけじゃないけど、私は1番今苦しいのは乙川さんだと思うから。頑張るね。」
ぐっと細い腕でガッツポーズを作る。
一見頼りないが、恵には誰よりも心強いガッツポーズに見えた。
それから夜になり、一同カフェテリアに集まる。
やはり調査に進捗は得られず、話題は進まなかった。
この時恵は気づいていなかった。
『………だから、……!』
『それはーーーーーー…!』
『………さい!』
『…………ッ!』
すでに見えないところで時間が進んでいること、そして絶望への口火を切っていることを。