私の絶望
「う……ここは……。」
恵は目を覚ますと見慣れない天井が真っ先に視界に入った。そして側には由香がいた。
彼女は恵が身じろぎしたことに気づき、そちらに視線を向けて明らかにホッとしたような表情になった。
「良かった……。大丈夫?」
「……大丈夫。」
どうやらここはA棟にある仮眠室の1つのようだった。
「……ニセモノの自分の部屋に運ばれるのも嫌でしょう?」
「うん、ありがとう。他のみんなは?」
由香はどこか困ったように答えあぐねている。しかし、恵の真っ直ぐな視線に根負けしたのか、ため息をつきつつ返答し始めた。
「恵には申し訳ないけど、探索をさせてもらってる。状況を把握しなきゃいけないし…。」
「……うん、分かってる。」
恵は震えながらもため息をついた。
「ごめんなさい、少し独りにしてもらってもいい?」
「……分かった。無理しなくていいからね。」
それだけ言うと由香は静かに仮眠室から出て行った。
端末を見ると謎のカウントダウンがはじまっていた。それは恐らく恵の“残された時間”であろう。
「どうしろって言うの…!」
それからは眠れなかった。
それどころか手の震えは止まることを知らなかった。どれくらい時間が経ったのだろうか。暗いままの部屋と扉から控えめなノックが聞こえた。
「起きてるか? 乙川。」
「……来ないでください。」
心配そうな声音の主は若狭だった。
しかし、反射で出た言葉は拒絶の言葉。
若狭は僅かながら悲しみを滲ませた表情をしたが、それ以上に無理に笑ってみせた。
「なぁ、乙川。少し話してみねーか?」
「煩い…来ないでください。」
「外、明るいぞ。」
「煩い。」
「みんなも心配してる。」
「………!」
乙川は勢いよく顔を上げ、先程までのか弱い少女とは思えない剣幕で若狭に掴みかかった。彼女の力では到底若狭に敵うわけはなかったが、彼は抵抗を一切しなかった。
「所詮他人事の若狭さんに何が分かるんですか?! 今から未知の世界に消えることが分かってる私にどうしろって言うんですか?!
前を向くってことがどれだけ残酷なことか分かってるんですか?!
………なら、若狭さんが消えてくれるんですか?!」
最後に小さく、できないくせに、とだけ呟いて若狭を掴んでいた手を離そうとした。
しかし、それはできず、なぜなら若狭がその手を掴んだからだ。
「なら、オレを消すか? いいぜ、【強制退場】させてみれば。」
「………ッ?!」
「できないよな、オレは乙川がそういうことする人間には見えない。」
乙川は息を呑む。
うめき声を漏らすと彼女は床にへたり込んだ。その体勢の彼女に視線を合わせるように若狭はしゃがみこんだ。
「確かにオレは小塚みたいな支え方はできねー…けど。けど!
乙川を助けたいと思ってる気持ちは本物だ! だから一緒に戦おう。お前が不安な時は絶対オレは乙川の側にいる!」
「………若狭さん。」
彼は太陽のように微笑む。
まるでその光のように暖かく。
恵はぐしっ、と鼻をすすると袖で涙を拭い、頷く。
「……この世界に慣れてない若狭さんだけじゃ頼りないですもんね。」
「いや、そこは頼りになるとかかっこいいとか言ってくれていいんだぞ?」
呆れたような、しかしどこか嬉しそうなトーンで彼は言う。
「若狭さんの【強制退場】の覚悟に賭けてみます。私が色々確認しないと分からないことだってありますもんね。」
「おう、それは言わずもがなだな!」
「……一緒に見て回ってもらえますか?」
「当たり前だろ! そのために来たんだし!」
どちらかともなくふ、と笑った。
それから息を整え、外に出るとやはり世界には自分の記憶の片鱗がちらほら見えている。どこか不完全な印象はあるがやはり、自分が知っている世界に等しい。
やはり手が震える。
恵は自分で自分の手を握り震えを抑えるがやはり全身から血の気の引くような寒気がした。
「やっぱりしんどいよな。…そうだ!」
若狭が何やらごそごそとポケットを漁ると嬉しそうにあった!と言う。
「これつけとけ!オレのお守り!」
「リストバンド…ですか?」
「おう、今年インターハイ予選前に風花がくれたやつで必勝祈願のお守り!」
「え、大切なものなんじゃ?!」
涙で腫れた目を一杯に開く。
「大丈夫、コイツだってお気楽なオレより乙川につけててもらって必勝祈願してた方が本望だろ!」
「いや…リストバンドの存在意義が…。」
そんな会話をしていると先程まで沈んでいた彼女の心もどこか浮上しており、いつのまにか肩の力が抜けており、手の震えも止まっていた。
それから雑談を交わしつつ、A棟を見て回ったが、大きな変化は見られない。玄関ホールからB棟、外、中庭を見ると一部自分が知っている風景と重なる部分があった。
中庭は自分の家の庭だった。
父が愛用していた庭いじり用の椅子があったため間違いないだろう。
1階から順に回る。娯楽室はバーチャルセンターに、テレビルームは自宅のリビングに、空き部屋2つはそれぞれ父の書斎、ダイニングルームになっていた。そして図書館、音楽室、美術室は高校の部屋と同じだった。あれだけ好んでいなかった高校が反映されているなんて皮肉なものだと恵は苦笑した。
図書館に行くと前川と茉莉花がいた。
「乙川さん、起きて大丈夫?」
「まだ顔が明らかに青いがな…。」
「大丈夫、って言ったら嘘になるけど。全部みんなに押し付けるわけには行かないからね。」
「……そっか、抱え込むのは無しだからね。」
「ありがとう。」
茉莉花は特別止めるという訳でもなく、恵の主張を聞くと素直に頷いた。
「やはり見覚えがあるのか?」
「うん…、高校の図書館とまるで同じだよ。」
「そうか、なら先程言った通り、あなたの世界なんだな。」
「……そうだね。」
恵は気づかぬうちに下唇を噛んでいた。
しかし、それを知ってか知らずか若狭が恵の頭を優しく叩いた。
「逆に乙川が何か違うってもの見つけられたらそれが脱出のヒントになるかもしれねーだろ。他の場所も探してみようぜ。」
「……そうですね。」
「なら、私たちも探索を続けるよ。」
「うん、お願いします。」
「このフロアは任せろ。」
次に2階へと移動した。
個室はそれぞれ教室になっていた。廊下を回ってみると舘野と米田が佇んでいた。
「あ、恵だ〜。」
「大丈夫?って聞くのも空気が読めなてないよね。無理しないでね。」
「ハイ、ありがとうございます。2人は何をしてるんですか?」
「いや…この部屋、恐らくね…。」
2人に促され、中を見てみると自分の部屋だった。
侵入を躊躇っていた理由がすぐにわかった。
「入ってもらって大丈夫ですよ。そこの引き出しは服なので開けないでもらえると助かりますけど。他のところは開けてもらって大丈夫です。」
「ほんと?ってわ…。」
「さすがに止めよう。ね、舘野さん?」
プライバシーの保護を優先した米田に止められていた。恐る恐る自分で開けてみたが棚の中には何もない。
「……本当に、何もないので開けていただいて大丈夫ですよ。」
「そう?」
他の皆も同様に開けていたがやはり何も発見できなかったようだ。
途中若狭は隣の書斎に出かけていたが、特に何も言ってこなかった。それを不安に思い、恵は彼に尋ねた。
「何か違和感とかはありましたか?」
「いや、別に。ただ乙川の写真が結構あって愛されてるんだな〜って思った。」
「父はそんなに写真撮らないと思いますけど。」
そうなの? と不思議そうな顔をして少し思案するような様子を見せると何やらもごもご呟き、そうか、と勝手に納得していた。
次に玄関ホールから外に出た。
グランドはどうやら大きな変化はなさそうだが、奥の雑木林の方には先程のログインルームのように『danger 』の文字が浮かんでいた。
温室の方に行くと風花と千藤が端末に顔を突き合わせながら首を傾げていた。
「どうした?」
「わっ、びっくりした!」
「あ、乙川さんも。デート?」
「違うよ!」「ちげーよ!」
「えぇ〜ハモるんすか?」
千藤の揶揄いに2人の声が重なると風花は愉快そうに笑う。
「ちなみに僕たちがやってたことだけど、この温室ではどうやら端末が使えないみたいなんだ。」
「おー、そうそう。つけてみれば分かると思うけど電源がつかねーんだわ。」
言われた通り、端末をつけてみると案の定画面は立ち上がらなかった。
加えて周囲を見てみると、他の空間以上に内装は変わっていないようだった。恵にとってはある種、最も安心できる風景であった。
「今まで温室なら普通に通信できてたけど…果たしてこれが何を意味するのか。もう少し僕と風花くんで調べてみるよ。」
「分かった、頼む。」
温室で2人に別れを告げ、そのまま裏庭に向かった。
鬱蒼とした雑木林はほぼそのままであるが、一部透過している箇所もある。
そのまま奥にある倉庫に向かうと小雪と梅子が倉庫の備品を確認していた。
「あ、恵ちゃん。……だいぶ顔色良くなったね。由香ちゃんも心配してたよ。」
「ありがとうございます、なんとか。」
「若狭さんもそれなりにやってるんですね。安心しました。」
「オレはそんなに信用ないのかよ。」
「2人はここで何をしてるんですか?」
ああ、と梅子が恵に紙を渡す。
「どうやら先程のエラーのせいで備品の種類が変わっているんです。それをメモしていました。」
「一応端末の機能は残ってるから終わったら送信するね。」
「そういや地下室もあるって言ってたよな?それも残ってんのか?」
「私たちが見た限りだとありませんが…エラーのせいで消えてしまったのかもしれませんね。」
地下室にもしかしたら出入口が、なんて楽観的なことを僅かに考えていた恵は3人に気づかれないようそっと溜息をついた。
「そういえば、小塚さんがみんな探索が終わったらA棟の自己紹介をしたホールに集まろうって言っていました。私たちは遅れそうなので伝えてもらってもいいですか?」
「手伝おうか?」
「あとはこの区画だけだから大丈夫よ。」
「分かりました。」
恐らくまだ顔色の悪い自分を気遣ってくれたのだろう、恵はそれ以上言及せずに頷いた。
「恵!」
「由香ちゃん ?!」
集合場所に入ると由香が悲鳴のように声を上げて駆け寄ってきた。
「アンタ…体調悪い恵を無理に連れ出した訳?」
「いやそんなつもりじゃ……確かに、そうなるな。」
「そんなことないよ!」
若狭が肯定しようとしたところを恵が遮ったものだから由香は驚く。
「怒鳴ってごめん…。でも、若狭さんのお陰でやっと現実を見られたから。私なら大丈夫。ね?」
「恵がそう言うなら…いいけど。」
由香はそういいつつも若狭を睨みつけた。
それから梅子たちが戻ってくるのを待ち、それぞれ発見物について報告したが特に目新しいものは見つからず1日目がふけていくことになってしまった。