導く声
恵は目を開く。
真っ暗な闇の中、動く手を使って、首を動かして辺りを見渡す。
背後に僅かに光が見えた。おそらく自分はあちらから来たのだろう。
しかしどのように進めばいいか、恵は思案した時だった。
『乙川さん。』
「……芳樹くん?」
声がした方を振り向くと、光に纏われた彼が微笑んでいた。そしてそっと恵の右手をつかんだ。
『何、動けないの?』
「うん、【捕縛】で、みんなと繋がってるから。それよりどうしてここに?」
『どうしても何も、そこはオレの世界じゃん。だからオレがここにいてもおかしくない……ってことにしといて。』
「なぁに、それ。」
失笑すると、風花も笑った。
そして彼は恵を引っ張りながら闇の中をぐんぐん進んでいく。まるで宇宙遊泳のようだ。
『ここを出たら塵箱、ずっと声が聞こえるけどきっとみんなが助けてくれるから信じて最奥まで進んで。』
「うん……。」
推進力を得るため、風花が押してくれないと進めない。恵が待っていると彼は気まずそうに目を伏せた。先の世界で自分がしたことを思い出したのか、バツが悪そうな顔をした。
『……その、「芳樹くん。」
遮られた彼はハッとして顔を上げた。
ふるふる、と首を横に振ると笑顔を向けた。恵の言いたいことはそれだけで十分伝わっていた。
『行ってらっしゃい、恵さん。』
「行ってきます。」
どん、と背中を押された。
膜を破るような感覚を感じると周りの空気は一気に冷たくなる。
耳を塞いでも聞こえてくる、恨みや後悔を伴った悲鳴、悲鳴、悲鳴。
「……ッ、」
どっちに進めばいいか分からない。
振り向いてしまいたい。
怖い。
風花にもらった推進力をあてに進んでいくのみ。気が狂いそうだ。
その時だった。
『おっ、恵ちゃんが来たってことはみんな無事だったんだ。』
「……桜庭、さん。」
進んでいく彼女の腕をとった彼が笑った。
少しだけ、声が小さくなった気がした。
『分かんねーけどみんなのとこ、行くんだろ? ならあっちな!』
彼が別の方向に恵を押す。
「桜庭さん!」
進みながら後ろに向かって叫ぶ。桜庭は不思議そうに恵を見つめる。
「みんな、無事です! 千藤くんも!」
桜庭は一瞬だけ固まったが、すぐに破顔して親指を立てた。
『んなの知ってるぜ!』
彼の信頼と言葉を背に恵は、会釈のみするとそのまま進んだ。
彼の負ったであろう傷のことには触れず背中を押してくれた彼の意志を無駄にするわけにはいかないのだ。
さらに真っ直ぐ進むと視界が奪われていく。
桜庭のおかげで声は小さくなったがどんどん深い闇に堕ちていく気分だ。
まるで進む道が奪われるように。
徐々に推進力までも奪われていくようだった。しかし、すぐ近くからよく知った声が聞こえてきた。
『恵!』
「由香ちゃん!」
ああ、泣きそうだ。
じわりじわりと身体が熱くなっていく。
「何泣きそうになってるのよ!」
『ッ、だって……。』
「全く、これじゃ待ってる他の人らも安心できないじゃん。」
由香がいる方が明るく感じた。
しかしまだ先は暗い。恵の僅かな不安が伝わったのか、由香は微笑んだ。
『大丈夫だよ、恵。』
「え?」
『そうよ、恵ちゃん。私たちもいるんだから。』
『そーそー。寧々も支えるって言ったしぃ!』
3人がいる方が明るかった。
恵も自然とそちらに進めばいいのだと確信できた。
「3人とも、ありがとう!」
『恵、そのまま真っ直ぐ進みな!』
3人は光の道へと変わってしまった。
彼女が進んでいく道は塵箱の最奥であるはずなのに、不思議と不安は消えていた。
さらに奥に進んでいくと光の道はどんどん薄くなっていた。推進力は失われていないのだが、何かが恵に纏わりついてくるのだ。
なぜお前は無事なんだ。
なぜお前は苦しんでいないのか。
恨み辛みを、周囲はずっと唱えている。
「私は、進まなきゃ……。」
決意を口に出す。
それは幸か不幸か、自身の心の保持を助けると同時に周囲の怨念が強くなったように感じた。
だがそれも一瞬、恵を支配していた重さはすぐに消失したのだ。
『さすが、乙川さんですね。』
『目が違うな、乙川さん。』
「涼宮さん! 前川くん!」
恵はハッとして2人の方を向く。
「舘野さんと千藤くん! まだ残ってます! みんなを助けるために、必死に頑張ってくれてます!」
『舘野さん……良かった。』
梅子が安堵する一方で、前川は複雑そうな表情をしている。
「……前川くん。」
『何でしょう。』
「千藤くんは、ゲームを達成するために自分のことを犠牲にしようとまでした。彼は、芳樹くんのこと、消せなかったんだよ。貴方の行動は、千藤くんを変えるきっかけになっていたんだよ。」
しかし、恵の言葉を聞いた前川は驚くもなくふっと笑ってみせた
『あの人が泣くなど、滑稽だ。見なくて清々するさ。』
俯きながら言う彼は、言葉は皮肉であったがどこか嬉しそうだったのが見えた。
『さぁ、早く行ってください。貴女がここに来たということは必要なことなのでしょう? この先には彼らがいるはずですから。』
2人に背中を押される。
先程まで重かった身体は軽くなり、容易に進んでいくことができた。
しばらく進むと、真っ暗な壁のような所に着いた。なぜか今まで動かなかった足は動き、地に着いたような感覚が戻ってきた。
無意識にポケットにあるUSBを握りこむ。
壁は容易にすり抜けることができた。
その先には体育座りをしている米田がいた。
いや、米田の皮を被った松河だった。
「松河先生……。」
『恵? オレの恵なのか?』
今まで通ってきた道、怖気のすることなど数え切れないほどあったが、それを容易く上回る恐怖だった。
今まで ‘恵’ なんて呼ばれたことなど無かった。
これが先生の内心。
しかし止まるわけにはいかない。
恵は手にUSBを掲げた。みんなの命がかかっているのだ。
『なぁ! そこに居るんだろ! 暗くて怖いんだ! 助けてくれ!』
彼は急に立ち上がると恵の肩を抑え込む。
恵は身が竦み固まる。
「……ッ、何て自分勝手なことを!」
『オレは恵のことを知りたかったんだ、オレのいる学校じゃなくて箱庭を選ぶ理由を! どうしたらオレを選んでくれるのか!
なぁ、オレは恵のためにここまでやったんだ。お前だってオレがいないとどうしようもないだろう? 恵はオレを救けてくれるだろ?』
なぜこの人は自分を優先するんだろう。
赤根のように権力に逆らってでも自分たちを信じてくれた大人だっていたのに。
「私は、ここで沢山の人に助けられてきたんです! 先生が私のことを心配してくれていたのは、有難いですが……私の友人たちを危険に晒したことは絶対に許せない!」
『……ッ、なら一緒に消えーーーー。』
『残念、消えるのはアンタっすよ。』
彼が手を振り上げたタイミングと同時だろうか、物凄い勢いで彼の身体が横に吹き飛んだ。
恵は、目を大きく見開いた。
ああ、彼の想いが残るリストバンドから、身体へと勇気が広がっていく。
「……若狭、さん。」
『遅くなって悪かったな、乙川! まだ泣くにははえーぞ!』
彼はあの時と変わらない、太陽みたいな笑顔を見せた。
『なぜ、なぜだ……。オレはずっと恵のこと、』
『バカだな、アンタ。』
彼は松河の言葉の意味が分からない、と言わんばかりに不快そうに眉をひそめた。
『乙川のこと誰よりも知ってるっていうなら、乙川がそんな弱くないこと、知らなきゃダメだろ。そんなこと言ってる時点で、アンタは乙川のこと全く分かってないよ。』
「……若狭、さん。」
『何か、解決策あるんだろ? あとは任せた。』
彼はぐっと親指を立てた。
恵はゆっくりと、四つ這いで項垂れる彼に近づいた。
そして、ゆっくりとUSBを差した。
「先生、たくさん心配かけてごめんなさい。私はもう、1人で立てます。頼りになる、友人がいますから。」
彼は消え際に恵と、そして傍らに立つ若狭を見た。
そして同じルームに所属した参加者たちを思い浮かべたのか、彼は諦めたようにため息をついた。
彼は何も言わずそのまま消えた。
しかし、最後に見えた綺麗な微笑みを見た恵は、彼が誤りに気付いたことを願わずにはいられなかった。
「……ありがとうございました。若狭さん。」
『おー、あとは出るだけ、だな。』
若狭の言葉と同時だろうか、ドンッと爆発するような揺れが空間を襲う。
『っと、時間は無いみたいだな。オレはここから出られないからとりあえず押し出すな!』
「えっ、あっ、はい! あの!」
『ん?』
「ありがとうございました! 私、若狭さんの言葉、ずっと覚えてます!」
彼ははにかんだ。
ひどく、嬉しそうに笑うのだ。
『乙川も、約束守ってくれてありがとう! またな!』
どん、と背中を押された。
後ろを振り向くことはなかった。世界が消え始めていたこともあったが、やっと若狭に礼を言うことが言えたのだ。
後悔はなかったのだ。
しかしながら、推進力が弱く世界の消滅に追いつかれそうだった。
「……早く、ここから!」
必死に手を動かすが気持ちだけが急いて体は進まない。
焦りが滲んだ、その時だった。
『恵ちゃん!』
自分の目を、疑った。
消えたはずの彼女が、ちゃんと自身の姿で再び現れたのだ。
「……まりか、ちゃん。」
『お疲れ様、ここからは私が出口まで連れていくよ。』
手を握ると、先程までとは段違いのスピードで進んでいく。
『恵ちゃん、ここからは私はついていけない、だから【捕縛】の糸をたどって帰るんだよ。』
「【捕縛】の糸?」
『うん、よくわからないと思うけど、上にいる2人を信じれば帰れるよ。』
「……分かった。」
彼女はふっと微笑む。
それは消える直前には似つかわしくない穏やかな笑みだった。
『これで、正真正銘のお別れ、だね。3人が私を信じてくれて、本物の ‘私’ を信じてくれて嬉しかったよ。』
「うん、どっちも茉莉花ちゃんだし。というか、本物とか偽物とか、やめよ?
私たちとっては2人は別で、2人はそれぞれ本物なんだから、ね。」
『……うん、』
茉莉花は目元に滲んだ涙を拭った。
『2人が、待ってるよ。』
「……うん、じゃあ、さよなら、だね。」
『……ばいばい。』
それと同時か、躊躇う恵を押し出すと彼女はいとも簡単に塵箱の外へ出た。
茉莉花は消え行く塵箱の中で天を仰ぎながら呟いた。
『ねぇ、聞こえてるかな、‘赤根茉莉花’ さん。』
彼女の声は誰もいない空間に吸い込まれていく。でも、それでよかった。
そんな状況でも彼女は今の気持ちを言葉にしたかったのだ。
『……私、‘赤根茉莉花’ は生まれて良かったって、幸せだった、と思うよ?』
恵は塵箱から出て、宇宙みたいな空間に放り出された。
ふわふわと宙を浮いている。
進む方向が分からず、また思った以上に負荷が掛かっているのか全身の疲労感が抜けなかった。
「どっちに進めばいいんだろう。」
ふと呟いた時だった。
「ーーーみ! 早くーーーまして!」
「乙ーーん! いい加減、ーーてよ!」
聞き覚えのある、声。
自分を待つ声。
恵は声のする天井の方を見上げる。
やっと進むべき方向が定まった気がした。
懸命に恵は手足を動かし、そちらに進んでいく。戻るまでが、自分の役目だ。
動けば動くほど、身体の力は抜けていくが確実に近づいていることは感じた。
「舘野さん、千藤くんーーー。」
「恵!」「乙川さん!」
2人の声が聞こえたのと同時だった。
塵箱に向かう時とは真逆の、今度は白い光に包まれて恵は意識を失った。




