ウツボカズラ
恵たちは見終わった後、言葉を失った。
絶望が耳や目から離れなかった。一度見たはずの風花も気分が悪そうだった。あの鈍感な琴乃までも同様だった。
「……何か、気づいたことあったか?」
「……正直、あたしは。」
風花の問いかけに琴乃は口を噤む。
一方で風花と恵は、幾分か冷静に見られたためか、ポツリポツリと気になることを話し始めた。
「まず多いのが【強制退場】を使った人が分からないまま終わり、その人がログアウトできなかった例。
次に多いのは、部屋にいた人数が足りなくなって世界が構成できなくなる例。
で、あまり無かったけど、バグが発生して世界の構造が破綻する例。」
「……気になるのは最後だよね? 私には、サポーターらしき人が暴走したように見えた。」
「らしき?」
「うん。」
「サポーターじゃないの? 恵?」
恵の言葉に風花も琴乃も計りかねるように尋ねる。
「サポーター、なのかもしれないけど。私はどうもサポーターの人を疑えなくて。」
「どうして? だって今回の原因なんだよ?」
琴乃が責めるように言うが風花は恵の言わんとしていることを察していたのかああ、と呟く。
「オレも乙川さんの言うこと分かるかも。」
「なんで?」
「……だって、若狭さん、前川くん、當間さんの中にサポーターがいなければサポーターはまだ私たちと一緒にいるってことだよね?」
「そうだねぇ。」
「みんな、外に出ようとしているのに敵だなんて言いたくないよ……。」
恵の言葉に2人は黙り込む。
誰が声を掛けるでなくなんとなく皆カフェテリアに向かい始めた。
途中資料室から持ってきたガイドラインを、琴乃が風花に押し付け始めた。
どうやら見る気力が削がれてしまったらしい。
風花も最初は嫌々と抵抗をしていたのか、最終的には受け取っていた。
気づけば夜になっており、食事をしたり、報告会にならない報告会をして解散となった。
喧嘩を止め、他部屋の凄惨な現場を見た恵にはすでに気力はなかった。
男女ともに3人ずつになっていたため、恵と茉莉花の部屋に琴乃が合流する形になった。
琴乃は早々に寝てしまったが、恵は寝る前にモニタールームに行った。そこにいるのはもちろん茉莉花である。
彼女はどこか疲れ切ったような顔をしながらパネルを触っていた。
ゲームが始まってしまった当初から他の参加者を励まし、恐らく誰よりも他人のために身を削りながら脱出策を模索してきた。
それにも関わらず、次から次へと参加者は減り、前回は容疑者として挙げられ、今回は千藤に心にもない言葉を浴びせられた。
なんやかんや年下だしな、と恵は内心で思う。
「茉莉花、ちゃん。」
声を掛けるとびくりと身体を震わせ、怯えた表情で恵を振り返る。
恵の存在を認めるとあからさまにホッと安心したような表情を浮かべた。
「恵ちゃん、寝ないの?」
「茉莉花ちゃんこそ…。寝よ? 体保たないよ?」
「……別に、壊れないもの。この世界では。」
ボサボサの髪が顔にかかり、彼女の表情は見えなかった。
「ねぇ、茉莉花ちゃん。もう八重島さんは止めてくれないんだよ? それに身体は壊れなくても、このままいったら心が壊れちゃうよ。」
「……でもっ、このままじゃみんな消えちゃうんだよ!」
恵は目を見開いた。
彼女は穏やかだ。しかし心の中には常に激流が渦巻いているようだ。
彼女の感じている、焦りとか不安とか、それを初めて見られた。
恵はふっと微笑む。
茉莉花の顔は涙や鼻水でぐちゃぐちゃだった。
「……私が、モニターを繋いで、何か解決策を見つけなきゃいけないのに…。千藤くんを怒らせて、何もできなくて…ッ、わた、私は……。」
幼子のように泣きじゃくる茉莉花を恵は抱きしめる。
よしよし、とあやすように背中をさする。茉莉花は驚いたようだったが、余裕はなかったのか恵の肩口に顔を擦り付ける。
「……私、どうしたら。」
「まずは、ゆっくり休んで。ね?」
「……え?」
恵が端末に触れ、実行を押すと茉莉花の体から力が抜けた。
そして寝息をたて始める彼女にごめん、と小さく謝る。
「赤根さん、寝た?」
「うん、申し訳ないことしちゃったね。」
モニタールームの外から風花が顔を覗かせる。
琴乃に譲ってもらった睡眠薬を茉莉花にダウンロードして寝させたのだ。
小雪が、由香や寧々に行ったように。
しかし、小雪たちの事案と違ってダウンロードにより睡眠薬を与えた場合、きっちり8時間起きない。これは琴乃の説明によるものだ。
風花が女子の部屋に茉莉花を運び、2人は部屋の外で顔を見合わせた。
「千藤くんも、寝てるの?」
「うん、意外にもぐっすり。桜庭さんは戻ってこないけど。」
「……どこに行っちゃったんだろう。」
「さぁ。まさかの隠し部屋、なんてな。」
あれだけみんなで探しても見つからなかった隠し部屋。仮に存在したとして彼はどこで見つけたのだろう。
「じゃあ、私たちも寝ようか。おや…。」
恵は思考を諦め、部屋に戻ろうとした。
それと同時に風花が恵の手を掴んだのだ。彼も目を見開いており、本当に咄嗟に手が出たことが伺えた。
しかし、彼は呆けた表情から一瞬悩む様子を見せるとすぐに踵を返し、恵の手を引き始めた。
「ちょ、どうしたの?!」
「……ごめん、ちょっと付き合って。」
言われて着いたのは馴染み深い温室。
心許す場所、であったのは数日前まで。今の恵には最も近づきたくないところであった。
部屋に入ると風花が出入り口側に立ち、塞いでしまった。それもまた眉をハの字にして困ったような表情で。恵からは緊張感がどうも抜けてしまっていた。
「ごめん、こんな力づくで。」
「……いいよ。何か、理由があるんだよね?」
恵のリアクションが意外だったのか、風花は間抜けな顔をする。
首を犬のように大きく横に振り、気を取り直したらしい風花は恵に真剣な表情で向き直る。
「ここ数日、何か隠し事してない?」
「……。」
彼に隠し事は通用しないのだろうか。
恵は思案する。彼はサポーターである可能性がある。しかし、ここで隠す方がメリットが少ないのではないか、と。
「芳樹くんは、温室で何か不審なものを見つけなかった?」
「不審……? まぁ、端末が使えないってこともあるけど。強いて言えばそこのウツボカズラがデカイなってくらい?」
ウツボカズラ? と恵は振り向く。
それは彼女が謎の機械を見つけた側方の食虫植物のことであろう。
なるほど、これで注意を削ぐのか、と1人納得する。
「……結局何なんだよ。」
「こっち、着いてきて。」
恵は先日見つけたモニターを見せる。
現在は前回と違い、オフにされておりより目立たなくなっていた。
それを見た風花は怪訝そうにそれを見る。互いに触れることには躊躇いがあり、現物を確認するに留まった。
「……何、アレ。」
「分からない、當間さんが偶然見つけたって、最後に教えてくれたの。」
あの時か、と風花も納得がいったらしい。
「でも、何でこれ? しかも温室に……。」
「分からない、私が見つけた時は電源が点いてたけど……。何者かが操っているのか。當間さんは、私がサポーターじゃないからって教えてくれたけど。」
「ああ、世界に記憶が使われたから?」
風花が言うとあたり、と恵は頷いた。
彼はどこか嬉しそうにふん、と鼻を鳴らした。しかし、彼はすぐに矛盾に気づき、恵をハッと見遣った。
「……それ、オレに言って良かったのか? 自分で言うのもアレだけどまだ記憶が世界になったわけじゃないし、若狭先輩がいたとは言え、一応サポーター候補じゃ?」
「芳樹くんの困り顔見たら、疑うことがバカらしくなっちゃった。」
恵は頭を掻きながらあっけらかんと笑う。
「私、ね。もし芳樹くんがサポーターだとして、消されたとしても絶対に後悔しない気がしてるの。」
「……それまた、何で?」
「だって、チーム温室、だもん。」
風花は不意を突かれたのか一瞬固まったが、次の瞬間には噴き出していた。
「なーんだそれ! オレも乙川さんのこと疑って…はー、バカみたい!」
「そんなに笑わなくても。」
「ごめんごめん。乙川さんが何か隠し事してるのは正直すぐに分かったし、もしサポーターだったら、なんて考えちゃったんだけどくっだらない考えだったね。」
腹を抱えて笑う彼は袖で涙をぬぐっていた。
「よし、この秘密はオレも一緒に抱える。2人で知ってれば色々対処できるだろうしね。」
「他のみんなにも言った方がいいのかな?」
風花は顎に手をあてて難しそうな表情をする。
「……みんな、余裕ないし。今のゴタゴタが落ち着いてからでもいいんじゃないかな。」
「それには同意かも。茉莉花ちゃんはあんな調子だし、あの動画を見て舘野さんも疲れてる。千藤くんも、何となく疲労している気がするな。」
「そうだな、そうしよっか。」
電源が点いていないモニターはそれ以上調べようがなく、調査は後日にすることとした。
温室を閉め、2人はゆっくりと話しながら戻る。
「なんか、玄関で2人で話してると最初の頃思い出すね。」
「たしかに。今でも若狭先輩があっちから声をかけてきそうだもんね。」
風花が悲しげに目を細めながら玄関を見つめる。あの時は、寒いからと施設から声をかけてくれた人がいたが、今はもういない。
「な、赤根さんが元気になったらフレンドにならねーか?」
「なれるの?」
「なれるかは分からないけどさ! もし、ここから出て履歴残ってたらまた会いたいじゃん。」
え、会いたくない? と不安そうに恵を覗き込む。
「ううん、会いたい。明日にでもフレンドになろ。」
「良かったー。嫌がられてるのかと思った。」
彼はヘニャリと笑う。
こんな穏やかな空気は久しぶりかもしれない。恵も由香を失ってから冷たかった心が温まるのを感じた。
「遅くまでごめんな。そろそろ寝よっか。」
「そうだね、あ、そういえばさ。」
ん? と風花は振り返る。
「ウツボカズラってどんな植物?」
「あー、東南アジア原産の食虫植物。あの袋の中に昆虫を誘い込んで食べるんだよ。」
「花言葉は?」
「別に面白いものじゃなかったと思うけど。甘い罠、絡みつく視線、危険、とか?」
「わ、今は聞きたくなかったかも。」
「聞いておいてそんなこと言う?」
笑いながら玄関に戻ると何者かが横切ったように見えた。
2人は顔を見合わせ、すぐに追いかけた。
というのも、横切ったのは今日1日中姿を見せなかった桜庭のように見えたからだ。
「あれ?」
玄関からB棟へ向かったように見えたのだ。
すぐにB棟に入ったが人の姿は見えない。不気味な無人の施設が広がるばかりだ。
「……追う?」
「うん…。」
恵は無意識のうちに自分の右手を左手で握りこんでいた。
「……よし、手を繋いで行こう。」
「へ?」
「や、だって途中で逸れたらお互い滅茶苦茶不安になるじゃん。」
恵は考える間も無く風花の手を掴んだ。
照れるどころでなかったらしい彼は安心したように頷いた。
そしてB棟奥の階段に達した頃だった。
どこからか金属の転がるような音がした。気づけば小さな破裂音とともに白煙にその場は包まれた。
「何これ!」
「手、離すなよ!」
恵が頷こうとした時だった。
風花と繋いでいる方と、反対側の手を何者かに引かれる。驚いて振り向くが煙で人型の何かが自分の手を引いていることしか分からなかった。
人とは不思議なもので、心の底から恐怖を感じると声が出ないらしい。体が石のように固くなった。
「誰だ!」
風花は案外冷静らしく、恵を自分の方に引き寄せると恵の手を握る人を掴もうとした、がすんでのところで手は離され、人影は去って行った。
「乙川さん、とりあえず玄関の方!」
「……、あ。」
声が出なかった。
彼が引っ張ってくれたから、なんとか動けたのだ。
煙が引いてから戻ってみたが、誰もいなかった。
「……なんだったんだ。」
「分からない…。」
「掴まれたとこは?」
「大丈夫だよ、すぐに芳樹くんが助けてくれたから。ありがとう。」
「ん、無理するなよ。」
互いにその日は疲れてしまい、シャワーを浴びてすぐに就寝した。
果たして、桜庭はどこに行ったのか、温室の機械は何なのか、そして先ほど襲来した人物は何者だったのか。
言い知れぬ不安を抱えたまま、2人は布団に入ることになった。




