益者三友
探索が終わり、1日目夜。
茉莉花は額に氷嚢を置いて大きくため息をついた。カフェテリアのソファに寄りかかる彼女の傍らのテーブルには、暖かいレモンティーが置いてある。
同室の恵はコップに息を吹きかけながら自分の飲み物を飲む。
「お疲れ様。」
「うん、ありがと。」
テーブルを彷徨った手はクッキーにたどり着き、何とか咀嚼まで運ばれた。
茉莉花は日に日にやつれていた。というのも、元来責任感の強い彼女だ。仲間が消えていくこの状況、情報が得られないこの状況に焦りを覚えているのだろう。
「あれ、乙川さん、赤根さん、夜食?」
B棟から帰ってきたらしいのは風花と千藤だった。
「混ざる?」
「えっ、いいの?」
嬉しそうに顔を綻ばせた彼はハッとして千藤の方を振り向いた。すると彼は仕方なさそうに笑う。
「別に、僕と四六時中一緒にいなきゃいけないわけではないでしょ? あとシャワー浴びて寝るだけだからゆっくりしてきなよ。
僕もこの時間から外出する気もないし……、信頼できないなら部屋に錠前でもかければ?」
笑ってはいるが言葉の端々には冷たさを感じる。
風花は慌てたように千藤の方に向き直る。
「そんなこと言ってないだろ! もう、何でそういうこと言うんだよ……。信頼してなきゃグランドとかで手分けして探したりしな……。」
ハッとして口を塞ぐ。千藤も驚いていたが茉莉花も目を見開いて風花を見つめていた。
一方でグランドでの出来事を知っていた恵は苦笑した。どこまで隠し事のできない人なのだろう、と。今思えば若狭を庇った時の彼もかなり分かり易かった。
「風花くんがそう言うなら大丈夫じゃないかな。」
「いいの、乙川さん?」
意外そうに返してきたのは千藤だった。
その言葉に肯定を返す。
「私自身は、千藤くんのこと信頼してないよ。でも、風花くんがそう言うなら信じる。君も、風花くんのことなら、裏切らないよね?」
そう言い放つと、彼は何度か瞬きをした後、ふっと笑った。
「侮れない女性だね、君は。」
それだけを残し、風花に一言二言残すと、彼は部屋の鍵を受け取り、先に戻って行ってしまった。
「……良かったの?」
「うん、ここ数日何となく考えてたんだけど。やっぱり私には彼のことはよく分からないから風花くんの言うことを信じてみようと思って。」
「……なら私も乙川さんの考え方に便乗しとこうかな。」
そう言う2人に風花は驚いていたようだが、嬉しそうに微笑んだ。
そして小さくありがとな、と呟いた。
ここから、風花はかなりうるさくなった。
というのも茉莉花を正面から見てやつれていることに気づいたからだ。
「赤根さんさぁ、こんなことを言うのはあれだけけどもう少し食べなよ。」
「……時間が惜しい。」
「私もそう言ったんだけどね。」
ため息を吐く2人を茉莉花は氷嚢の隙間からチラリと見た。
「……なら、2人が私のこと名前で呼んでくれたら無理にでも食べる。」
「へ、いいの?」「えぇ〜?」
恵と風花の真逆のリアクションがカフェテリアに響く。
女性2人に厳しい視線を向けられ、風花は赤面した。
「いや、だって、女の子の下の名前呼ぶって何か馴れ馴れしくない?」
「桜庭さんとかどうなるの……。」
「あの人は、その、あんなじゃん。」
悪気もなく桜庭のことを否定した。
茉莉花は面白くなさそうに唇を尖らせる。
「だって、仲良しの乙川さんと小塚さんは名前で呼び合ってるよね……?」
「そうだけど……。」
風花はたじたじといった様子だった。
仕方ないな、と空気を読んだ恵が発言した。
「私は呼ぶよ。ね、茉莉花ちゃん。風花くんのことも芳樹くん、でいい?」
「おと……恵ちゃん!」
「〜〜〜〜ッ!」
茉莉花は嬉しそうに目を輝かせ、風花はこれでもかと言わんばかりに紅潮させる。
「「で、芳樹くんは?」」
「練習! 練習したら呼ぶ! あとちゃん付けは無理! さんで許して!」
ソファの隅っこで顔を隠しながら言う彼が流石に可哀想になり、一時休戦とすることにした。約束通り、とは行かないまでも食欲が出てきたのか茉莉花はやっと食事らしい食事にありつき始めた。
「はぁ〜、何? 女子っていつもこんな感じなの?乙川…め……乙川さんと小塚さんも?」
「私たちのときは2回目に会った時に名前呼びしよ!ってなったよ。」
「ふーん……、そういえば今日の探索はどうだった?」
茉莉花も風花と同じ心配をしていたのかこちらを向いた。
「案外普通だった。色々話したいこともあったけど、なかなか言葉にするのは難しいね。」
その様子に安心したのか、風花も茉莉花も肩の力を抜いたように見えた。
「風花くんはリアルの友達とも苗字呼びだったの?」
「まぁ、あんまり呼ぶ人いなかったかな。苗字被りする奴もいなかったし。……若狭先輩とかはオレの苗字が綺麗だって言って気に入ってたし。」
懐かしむような顔でポツリとこぼす。
「乙川さんはリアルでどうだったの?」
「私は……両親と幼馴染くらいかな? あ、でも高校の担任の先生もすごい良くしてくれて時々恵ちゃん、って呼んでくれたりしたよ。」
「女の人……?」
「男の人だけど? 若いけど熱心な人で私が登校拒否してた時もよく家まで来てくれてたみたい。」
「みたい?」
「うん、私はゲームに来てたし知らないからね。」
茉莉花と風花は顔を見合わせて少しだけ険しい顔をした。すると、茉莉花に両肩を掴まれた。
「……君はもう少し警戒心を持った方がいいと思う。若い男の人に名前呼びとか……。」
「オレも若い男だけど。」
うんうん、と同意していた風花が腑に落ちなそうに指摘したが茉莉花はガン無視だった。
恵は首を傾げた。
「由香ちゃんにも言われたけど……だってただの先生だし。」
「……恵ちゃん、リアルで若狭さんや小塚さんみたいな人を見つけてね。」
「いや、本当に。」
「えぇ、何で? 」
歳下の茉莉花に頭を撫でられ、同学年の風花になむなむと祈られる。この2人は先生に何か恨みでもあるのだろうか。
談笑した翌日。
恵がカフェテリアで欠伸をしていると意外にも千藤が1人でやってきたのだ。
彼は情報交換の時くらいしかカフェテリアにこないものだから恵はギョッとした。
「おはよう、乙川さん。」
「お……おはよう。」
明らかに緊張した様子の彼女を面白そうに彼は観察する。
「君たち、昨日は名前呼びの練習でもしてたの?」
「えっ、何で知って……?」
「部屋に帰ってきてから風花くんがブツブツと君たちの名前を呼んでた挙句、無理だーって騒いでたからね。」
「えぇ……、何か恥ずかしいなぁ。」
「いいじゃない、仲良きことは美しきかな、だよ。」
コーヒーと軽食を持ってきて咀嚼し始める。
「ねぇ、1つ聞いてもいい?」
「どうぞ。」
「……何で風花くんのときは勝手しないの?」
恵の質問が意外だったのか、はたまた話しかけてきたこと自体が意外だったのか一瞬手が止まる。
「彼が、僕を信じてくれるから、かな。」
意外な言葉に恵は目を丸くする。
それと同時に彼の無意識下での行動理念が見えた気がした。
「彼は嘘が下手だけど、何ていうんだろうねこちらの嘘が通用しない感じがするんだよね。」
「……性格は純粋でかわいいと思うけどね。」
「僕もそう思う。」
「あっ!」
2人の会話に終わりを告げたのは、由香の声であった。面倒くさそうにため息をつくと彼は食事を持って少し離れたテーブルに移動した。
「千藤、何でアンタ1人で食事してるわけ?」
「乙川さんと一緒だけど?」
「そういう屁理屈はいいのよ! 風花は?」
「寝てる。」
もう! と目を釣り上げると慌てて彼らの部屋に向かい鬼のような形相で扉をノックした。
もちろん中から出てきた眠気眼の風花は、対面して悲鳴をあげていた。
カフェテリアでそんな様子を見ているとモニタールームから茉莉花が出てきた。
「みんな! 急いで、モニターが勝手に再起動した!」
「えっ、由香ちゃん! 芳樹くん!」
恵が声をかけると2人は弾かれたように他の部屋をノックする。
何とか全員集めることができ、モニタールームに入った。
『ごめんなさい……毎回連絡が滞って。世界が更新されると一時的に介入ができるんだけど。』
「それは仕方ないよ。新しい情報は?」
茉莉花がそのように打ち込む。
『ウイルスは自然発生でなく外部の人が持ち込んだということしか……、ごめんなさい。犯人は特定できていないし、ログアウト処理も一向に進んでない。』
何人かが露骨に落ち込む。
茉莉花は話を聞きつつ端的に現状を打ち込み、送った。
「ログインルームに突如メッセージが送られてきた。内容はこの世界の構成がユーザーの記憶を元に為されていること、4日経つとそのユーザーの消滅とともに世界が更新されること、クリア方法は誰かを【強制退場】させた後、その【強制退場】を行った人物がログアウトするまたは何もせず他の全員の消滅を待つこと。」
『メッセージが送られた?』
「そうです。あなた達が送ったものでは?」
『違う。私たちはそんなメッセージ送っていない。送れないもの。』
以前、送られてきたメッセージの履歴を手早く彼女は送信した。
マイクの向こうからノイズが聞こえ始め、対話の終了が間近であることを知らせ始めた。
『だって【サポーター】は今だってせーーーー。』
そこでモニターはブツン、と切れた。
誰もが呆然としていた。
「……どういうこと?」
「寝起きの寧々には難しい〜。」
小雪も寧々も頭を抱えていた。
「今の話を信じるならばあのメッセージは第三者が送ってきているってこと?」
「ウイルス……、つまり【サポーター】っしょ?」
「そうとも限らないんじゃない?」
口を開いたのは千藤だった。
一部のものは疑問を、一部のものは疑念を示す。
言葉を投げかけたのは風花だった。
「……どういうことだ?」
「スズキさんとやらが嘘を吐いていて、この状況を仕方なしにまたは意図的に作り上げている、もちろん桜庭さんが言ったようにサポーターからの妨害の可能性だってある。風花くん、君なら分かるんじゃない?」
「は? オレが?」
「だって、前の世界であの動画、見たんでしょう?」
この口振りだと彼も見たことがうかがえる。
それを聞いた風花は黙り込み思考モードに入ってしまった。
「……癪だけど、あたしも春翔のいう可能性考えた。
ここからはあたしの印象だけどスズキさんは嘘ついてない気がするなぁ、だからメッセージは【サポーター】から、モニターはスズキさん自身だと思う。
まぁこんなこと言っても状況は変わらないけどね〜。」
「え、何で、のんのん? だってスズキさんの言ったことじゃないなら【強制退場】させ合いはしなくていいんでしょ?」
「それは間違い、だと思うよ?」
そう言い放ったのは茉莉花だった。
「あのメッセージが【サポーター】からなら尚更だよ。」
その言葉に恵はハッとした。
「……それは【サポーター】の記憶が世界に反映されることはないから、ってこと?」
「そう。」
「え、ちょっと待って! オレ意味が分からねーんだけと!」
桜庭が慌てたように言う。
この辺から小雪は理解し始めていたのかみるみる母が青くなっていく。
「つまり、そのウイルスを持つ【サポーター】の撃退方法が【強制退場】しかない、ってことでしょ。あの動画でも……4日何もせずにいたら何事もなかったように持ち主は消えて、次の世界になっていたからね。」
由香がため息をついた。
同じように動画を見た寧々は呆然とした。
「そう、小塚さんの言う通り。
現状、ここにいる人の中で【サポーター】でないのは恵ちゃん、舘野さんだけだよ。
私たちは結局、ウイルスに言われた通りの、この世界のルールに則って【サポーター】を探すしかないんだよね。」
茉莉花の言葉にそれ以上反論する者はいなかった。
それと同時に恵達は、自身のタイムリミットが予想以上に遥かに少ないことを思い知らされたのだ。




