世界はこんなにも鮮やかだ
思わぬ人物が犯人と明らかになったところで場は、前回と違った重苦しい空気で淀んでいた。
口火を切ったのは、先程まで黙っていた琴乃だった。
「なんで、なんでこんな男のために梅子を【強制退場】させたの……!」
彼は黙り込む。
琴乃は怒りに肩が震え、辛うじて押しとどめているように見えた。
それを推し量ってか、静かにそして確実に言葉を選び、彼は答えた。
「それは、君が今涼宮さんに抱いている気持ちを私も千藤さんに抱いているからだ。」
その言葉の意味は、殆どの者が理解できず。
当の本人である千藤は知らぬ存ぜぬを通すようで反応は見せなかった。
それを見兼ねた茉莉花は一息つくと前川に向き直った。
「君は、千藤くん、いや【アンチユーザー】に憧れていたんじゃないかな?」
「【アンチユーザー】なんかに?!」
桜庭は特に深い考えは無かったのだろう。しかし、前川の琴線には触れたらしく、彼は機材の置いてある机を強く叩いた。
「なんか、ではない!
確かに巷に蔓延る【アンチユーザー】なぞ、ただの害悪でしかない! しかし、千藤さんのような優れた能力を持つ【アンチユーザー】はこの馬鹿げた現代社会にメスを入れるような人物なんだ!
この脆弱な世界も、この私利私欲にまみれたプレイヤーを統べる、そんな人物になる!」
彼の狂気に満ちた瞳に、先程まで怒っていた琴乃さえも怯む。
「だから彼はこんなところで消えていい人間ではない。そして、私は千藤さんのようなユーザーになり、この世界にメスを入れる。」
妄言に近いような言葉を発し続ける彼に茉莉花は言葉を返す。
「君が千藤くんに憧れていたことは知っていたよ。でも、どうやって涼宮さんが千藤くんを狙っていることを知ったの?」
「何、千藤さんを見ていればすぐにわかったさ。あの女が千藤さんをどう見ていたか、なんてね。なら、彼女が好んでいる舘野さんの端末で消えれば本望かと思い、彼女を【捕縛】し、【強制退場】させただけだ。
……土壇場で入れ替えられていたとな。結局は憧れた涼宮さんを犠牲にして残った、悪運の強い奴だ。」
前川の辛辣な言葉に琴乃は表情を歪め、俯いた。
「でも、それは君も同じだよ?」
冷静に言い放ったのは茉莉花だった。
「君が本当に千藤くんを助けたいと思ったならどうして自ら名乗り出なかったの?」
彼は茉莉花の言葉で気づいたようだ。彼が自身を守るために千藤諸共、他の全員を犠牲にしようとしていたことに。
「せ、千藤さん……。違うんです、これは。」
「へぇ、」
千藤の冷たい視線が彼に突き刺さる。それとほぼ同時だろうか、突然彼は駆け出した。近くに立っていた小雪を突き飛ばし、端末を桜庭の顔面に投げつけ、モニターを操作し始めた。
「私は、絶対に消滅しない! 逃げて、生き残ってやる!」
哀れな、そして自分本位な前川の叫びに皆は怯むか、または顔を歪めた。
しかし、狂っていく彼に声をかけたのは意外にも彼だった。
「お前、逃げられると思ったの?」
千藤はうわ言のように助けを求めながらモニターを操作する彼を蔑んだ瞳で見つめる。
「そうだ、私ならきっと大丈夫。千藤さんを助けたから、きっと彼が私を救うプログラムを組み立ててくれている。」
「そんなものありえないよ。」
「ただ私は運が悪かっただけ。」
「運じゃない、お前のミスだよ。」
「今度はきっとうまくいく。」
「今度、なんてもうこない。」
「私は、千藤さんのようになるんだ!」
「お前は、僕にはなれない。」
彼は虚ろな目のままログアウトボタンを押す。
すると、若狭が消えた時のような、処理音が聞こえた。
それでも必死に助かろうと、もがく。そんな彼の指には血が滲んでいて。
「もうやめて!!」
「嫌だあああああああああ!!!」
千藤の言葉に対して、咄嗟に制止の声が出せたのは恵だけであったが、その声は前川の悲痛な叫びにより、掻き消えた。
『【強制退場】機能使用者の処理を確認しました。16時間35分後に世界の更新が行われます。それまでご自由にお過ごしください。』
瞬きをしたと同時だろうか。
目の前に彼の姿は無かった。
「……僕になろう、なんて馬鹿げたやつだよ。前川くんは、前川くんなのにね。」
ポツリと呟いた彼の言葉は傍らにいた恵にしか聞こえなかった。しかし、あまりにも呆気ない幕引きに彼女はその意を問い正すことはできなかった。
「乙川さん、千藤、出るぞ。」
その声で2人は弾かれたように風花の方を見て、やっと短くて、長い討論は終わったのだ。
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次に恵が目覚めたのは昼の11時。
討論が終わったのは5時くらいであったから充分な睡眠であったはずだが、何ともはっきりしない感覚だ。
同部屋の茉莉花はまだ夢の中であるようだ。
顔を洗い、早めの昼食に向かうとカフェテリアでのんびりとする風花がいた。
「おはよう、風花くん。」
「おはよ、寝られた?」
「寝たけどあんまり寝た気がしないや。」
「はは、オレも。何か飲む?」
「ありがとう。」
2人で軽食を作りほっとする。
「そう言えば、桜庭さんがさ、千藤にビビって部屋交換になったんだけど、意外にも熟睡してるんだよね。」
「千藤くんが?」
意外、といったようなリアクションをすると彼が苦笑いする。
「何考えてるかよく分からないけど。あの調子だと、これからはオレがお守りになりそうだよ。遊びに来てな。」
「えー、どうしよう。」
2人で笑い合っていると玄関が開く音がした。
振り向くとそこには肌が真っ白な琴乃が現れた。
もしかして一睡もしていないのか、容易く想像できた。
ふらつく彼女に風花は肩を貸し、恵が慌てて持ってきた毛布に包みソファに座らせる。
「どうしたの、舘野さん?」
「恵……、芳樹……。」
彼女は絞り出すように声を出す。
過呼吸のように、浅く早い呼吸になってきたため、恵が背中をさすり、その間に風花がココアをいれる。
しばらくすると落ち着いたのか、息を深く吐いた。
「ごめん、ありがとう。」
「大丈夫だよ。」
彼女は何かを思い出すかのように目を瞑る。
「眠れない、今まではあれだけ眠れていたのに。」
恵と風花は顔を見合わせる。
「春翔が何事もなかったように過ごしているのが憎い、梅子がいなくなって悲しい、でも宗佑に仕返しができて嬉しい、はずなのに。
みんな……春翔さえも消えていないことに安堵していて、宗佑がいなくなったことが悲しくて、梅子に怒ってる。
どうして、何も言わずにいなくなってしまったの? どうして最後にあたしに言葉をくれなかったの? って。
何であたしを生かしたのって。」
彼女は自分を抱きしめるようにしながら嗚咽する。
「分からないの、心がぐちゃぐちゃで、涙も止まらなくて、苦しくて。
ねぇ、恵、芳樹。私はどうしちゃったの、どうすればいいの……。」
重苦しい空気だった。
その中で、先に口を開いたのは風花だった。
「オレは舘野さんが残ったの、運じゃないと思うよ。君が端末を左利き設定にしていて、それに気づいて行動した。だから舘野さんが選んだ道なんだと思うよ。じゃ、だめ?」
弱ったように笑う風花を琴乃が半口を開いたまま見つめる。
恵もふと口元を緩めると言葉を紡いだ。
「ねぇ、舘野さん。涼宮さんと仲直りした時に彼女が言っていた言葉、覚えてる?」
「覚えてるよ。忘れたくても、絶対に忘れられない。」
「……きっとそれが全てで、舘野さんが応えてくれることを信じていたんじゃないかな。
だから、貴方を生かしたいと、彼女は誤ってしまったのかもしれない。」
若狭ことで心当たりのある恵も、風花も、自身に響く言葉であった。
「ねぇ、舘野さん。
もし、何をすればいいか分からないなら私たちと精一杯足掻いてみない?」
「……。」
何も彼女は語らない。
しかし、先程まで滝のように流れていた涙は止まり、最後に一筋溢れた。
「あたしは、梅子を、宗佑を、希望も絶望も背負って、生きなきゃいけないんだね。」
それ以上、恵も風花も、そして琴乃も何も言わなかった。
だが、それ以上言葉が要らなかったのも事実だった。
琴乃が前を向いたことを祝うように、この世界ではバグであろうか、空には虹が出ていた。
梅子は、今まであたしに投げかけてきた言葉を謝ってきた。あまりにも真っ直ぐとした言葉と、彼女の視線が、あたしにとっては恐ろしかった。しかし、心の何処かで羨ましいと思っていた。
『……あたしのこと知っても、解決するとは思えないよ? それに、梅子がどんなに頑張っても何も変わらないかも。』
あたしは今までなかった感情に苛立ちを覚え、つい冷たく言ってしまった。
しかし彼女はあたしを追い詰めるわけでもなく、引くでもなく、受け止めてみせたのだ。
『そうかもしれません。私は、ちっぽけな1人の人間ですから。』
あたしはその言葉に返す言葉を見つけられず黙り込んだ。
そして、彼女は手を大きく広げ、笑顔で言ってみせたのだ。
『でもね、舘野さん。世界って広いんですよ。』
『え?』
言っている意味が分からずあたしは首を傾げた。
『あなたの世界にだってこんなにたくさんの色があります。
もしあなたが本気を出して周りを1周見てくださればたくさんの小さなものに気づきます。
そうすれば、世界の色のようにあなたの心を満たしてくれます。』
あたしはこの言葉を聞いて惚けた。
まるで小説の登場人物みたいな言葉。
あたしが暇つぶしにと読んでいた、恐らくこの世界に残る僅かな色の生まれた理由。
でも、あたしの目が醒めるには十分すぎる鮮やかな言葉で。
『……あたしの世界に、そんな色があるの?』
『ええ、世界は残酷ですが、平等ですから。色はいくらでも変わります。』
『……梅子の世界は、煩そうだね。』
あたしが笑いながらそう言うと、梅子は鳩が豆鉄砲を食ったような間抜けな顔をしたけどすぐに何ですって!と冗談混じりに怒ってみせた。
今思えばあなたの言葉が、あたしの白黒の世界に初めて鮮やかな色を塗ってくれたのかもしれないね。




