君が希望
「なーんだよ、みんな辛気臭い顔して。」
そんな風に明るく笑えるのは若狭だけであった。真実が明らかになったにも関わらず、他にそのように笑える者はいなかった。
「……でも、驚いたよ。あなたは意地でも人を犠牲にしてまでこんな暴力をするとは思わなかったけどね?」
「助かりたいと思っただけだ。」
腕組みをして淡々と答える様子に、千藤はつまらなそうに唇を尖らせる。
「てかよ、いつまでみんなは泣いてんだよ? 大体オレはお前に濡れ衣を着せて助かろうとしてたんだ。よっしゃー、て喜ぶところだろ?」
呆れたように、自分を慕う者達に残酷な言葉を投げつける。そんな彼の胸ぐらを掴むは、彼を尊敬してやまない後輩だった。
「アンタ、ふざけんのも大概にしなよ!
オレは見てたからな、アンタと米田さんのやりとりを! だから……何で……。」
僅かに目を見開くと若狭は舌打ちをする。
「風花くんの話は後で聞くとして、私も君に聞きたいことがあるんだよね。」
「何だ?」
「若狭さんはどうして米田さんの端末を開いた…もしくはあんな位置に置いたの?」
「お前は聡いな、本当に。」
彼は腕組みをして、機材に寄りかかった。
茉莉花と前川は少し気に入らなかったようだが、それ以上言及はしなかった。
「話してやるよ。あの夜あったこと。
オレは相談という名目で米田を呼び出した。
アイツがサポーターじゃねーかって思ったからだ。」
若狭が語るはこうであった。
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「ありがとな、米田。来てくれて。」
「別に構わないよ。でも、意外だったな。
そういった大事なことは信頼する風花とか乙川さんに相談するものだと思ったけれども。」
「ああ、だってアイツらじゃ意味がないからな。」
2人の間に沈黙が流れる。
「……お前、サポーターだろ?」
「何を言っているんだい? 訳が分からないな?」
「訳が分からねーのはこっちだ。だって……。」
説明をしようとした時だった。
彼が端末を構えているのが目に入った。自分が消されることを理解した若狭はすぐに彼に掴みかかった。しかし、彼は器用に避けた。
若狭も身体能力は高い方であったため、咄嗟に自分の端末を投げつけて彼の手に当てた。端末2つは階段の下に転がっていった。
「クソ!」
「させるかよ!」
若狭が咄嗟に掴んだせいか、米田は足を縺れさせ、そのまま階段を踏み外す。勿論、米田を掴んでいた若狭もそのまま重力に従い、階段の下に米田諸共落下した。
次に若狭が目を覚ましたのは階下の床であった。
ハッとして顔を上げると傍らには米田が倒れていた。慌てて端末を探すとどちらも近くに転がっていた。
「もしかしたら……。」
若狭は米田の端末を開くと先程開いた【強制退場】の画面になっていた。若狭はほんの少しだけ考えると、米田自身の端末を米田に向け、そして【強制退場】を実行した。
しかし画面にはエラーが出た。
若狭はため息を吐くと、自身の端末を立ち上げ、【強制退場】を行う。【強制退場】は対象の首元に付いたバーコードマークを写真で撮ることにより発動される。
数秒躊躇ったが、若狭は実行を押した。
するとすぐに米田の姿はデータが消えるようにドットと化し、まるでその場になかったかのように消えてしまった。
若狭は負った傷を治療し、慎重にA棟に戻った。
幸い誰にも会わなかったためそのまま自室に戻ったが、風花がいないことに気づいた。
しかし焦っても仕方あるまい。彼はそのまま短い眠りについた。
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「でも、どうして米田さんをサポーターと思ったんですか?」
「いや……本当に今思えば些細なことだったんだが、アイツが話すスポーツ用品とか世界陸上の結果が古かったんだ。」
「はぁ?そんな理由?」
「っせーな……。アイツがサポーター、っていうかデータでその辺の俗的なことは更新されてなかったんじゃねーかって思ったんだよ。」
千藤の批判を受けて気まずそうに頭を掻く。
「でも、若狭さんが米田さんを消す理由、それだけじゃないですよね?」
恵が泣きそうなのを堪えながら絞り出した言葉は想像以上に響いたらしい。
若狭が驚いた顔をした。
「同情か? 乙川は騙されてたんだぞ?」
「いいえ、騙されてません。さっきの話し合いで確信しました。
若狭さん、あなたは決して自分のためではない。他人のために今回のことを実行しましたよね?」
「何のことか分からないが。」
若狭はどこか傷ついたような、安堵したような、複雑な笑みを浮かべていた。
「若狭さんは、書斎で由香ちゃんと風花くんの揉め事を聞いていたんですよね? 由香ちゃんが……私と自分のために風花くんを消そうとしたこともそこで知ったんですよね?
だから、由香ちゃんに凶行をさせないために、風花くんが消されないために疑わしかった米田さんに手を掛けた。
違いますか?」
「…………。」
若狭はこの言葉に反論も何もしなかった。それをいいことに恵は責めるような口調で続けた。
「でも、それならこの世界の元になった記憶の持ち主の私を消せば良かった! なのに……。」
「それは、違うんだよ乙川さん。」
「え?」
そう呟いたのは風花だった。
床に座り込んだまま彼は続けた。
「若狭先輩に、乙川さんは消せないよ。だって乙川さんはもう若狭先輩の大切な人になってたんだ。」
「……なんで?」
「だって、先輩は夜中も寝る間を惜しんでずっと校舎中の調査をしてたんだ。だから、オレ達の揉め事も知ってたし、米田さんが怪しいって判断したんだ…。
でも、結局決意を焦らせたのはオレが小塚さんを追い詰めたせいだ! だから……!」
「あー! もううるさい!」
怒鳴ったのは意外にも茉莉花だった。
オレが私がと続けていた恵と風花は驚いてロボットのように茉莉花を見た。
他の参加者も何事かと茉莉花に注目した。
その静寂を破ったのは、当事者である若狭の笑い声だった。
「何で……、笑ってんすか?」
「いやな、本当は最後まで悪者演じようと思ったんだけど自分が自分がって言ってオレを庇うお前らが愛おしすぎて。」
いつのまにか涙を零していた恵の手を引くと若狭は風花ごと2人を抱きしめた。
何が起きたか分からなかったらしい2人だったが、自分を抱きしめる彼の手が震えていることに気づき、状況を把握したらしい。
小さな子どものようにしゃくりあげながら彼の身体や衣服にしがみついた。
それを見た周りもどこか緊張感が和らいだ様子だった。
「本当に、狡い人ですね。」
「そうね、大切な子たちをこんなに泣かせて。」
梅子も小雪も仕方なさそうに笑った。
暫くすると彼は鼻をすすりながら2人から離れた。
「……本当、狡い男だよな。
風花を助けたくて、でも乙川を犠牲にすることもできなくて。自分の中で無理やり理由をこじつけてサポーターって思い込んだ米田を消しちまったんだからな。
いずれにせよ、オレがやったことは最低のことだ。」
その言葉を否定できる者は誰もいなかった。
彼は風花の前に立つと彼の胸に拳を当てる。
恵の角度からは彼の胸に何か紙と板を滑らせたように見えた。
「お前はオレの自慢の後輩だからな!
上手くいかないことがあっても仲間と協力してちゃんとこの世界から出るんだぞ!
……みんなを、頼んだぞ。」
「……ハイ。」
彼は静かに涙を零していた。
「乙川。」
手招きされ、恵が駆け寄ると彼は急に悪い顔をした。
「小塚、悪いな?」
「は?」
由香ちゃんの非難の声が恵の耳に届いた頃には再び若狭の胸に頭が押し付けられていた。
小塚が険しい顔をしているのを桜庭が宥めているのが見えた。他の皆は空気を読んでからログインルームから出て行く。
それを知ってか知らずか、若狭は話し続けた。
「お前なら、大丈夫だ。
さっきの乙川、凄く頼もしかった。
胸張って、この世界から出ろよ。」
「……ッ、はい。」
若狭の服に涙が染みていくのも厭わず顔を押し付けた。
彼の温もりが消えるのは唐突だった。
恵はいつのまにか部屋から突き飛ばされていたのだ。
そんな彼はもう心残りがないような、いつもの笑顔で手を振っていた。
「みんな、またな!」
そういうと彼は扉を閉め、背を向けた。
彼のログアウトは手早かった。
まるで、そうなることを準備していたかのように。
「若狭さん!」「若狭先輩!」
再び扉を開けた時には彼の姿はすでに無くなっていた。
廊下には皆の泣き声が響いていた。
特に悲痛な2人の声は、若狭を除いた全員の耳に残っただろう。
モニターには『【強制退場】機能使用者の処理を確認しました。12時間11分後に世界の更新が行われます。それまでご自由にお過ごしください。』と残酷なまでに業務的な言葉が羅列されていた。
それから皆、暗い面持ちで解散した。
恵と風花はログインルームの出入り口に座り込み立つことはできなかった。
由香が何やら話しかけようとしたが、それは叶わなかったらしい。梅子に声を掛けられながら自室に戻って行った。
「2人共。」
茉莉花に掛けられた声に恵は顔を上げる。
風花は意気消沈しており、微動だにしなかった。
「辛いよね。あんな明るい彼がいなくなってしまったんだもの。
でも、いい? 若狭さんは君たちに託すって言ったんだよ。この世界が終わったら、みんなでまた前を向いて歩こう。今度は、私も横に並ぶから。」
「……赤根さん、ありがとう。」
茉莉花は微笑んで頷くと、またね、と呟いてその場から去って行った。
「な、乙川さん。」
「なぁに?」
「……オレさ、若狭先輩さえ助かってくれれば、自分も他人も消えちまっていいと思ったんだ。でも、結局それは間違ってたんだよな。」
「私だって、自分が世界と一緒に消えちゃえば、それで済むと思ってた。」
「なぁ、オレ達、残される側のこと全然分かってなかったな。」
「………っ、うん。」
静かに、静かに泣き続けた。
でも、2人とも明日には必ず笑おうと約束した。
なぜなら今自分たちが泣けるのも、もう一度立ち上がるチャンスを貰えたのも、全て米田と若狭のおかげだったから。
彼らは太陽がなくとも正しい方向へと歩く標を、やっと手に入れたのであった。




