第25章 下手の考えうさぎに似たり
「……信じるもなにも、目の前にいるのが悪魔だからなぁ」
改めて、アシュのことを見やる。頭のてっぺんから足先まで全て、だ。
見る度に驚かされる、非常に均整の取れたプロポーション。月明りを反射して煌めく銀髪に、血を透かして見ているような真紅の瞳。
そして、凶悪なまでのバストサイズ。
うさぎ一匹を挟めるほどの巨大さは、もはや凶器である。雄の本能的に。
そして、その背中には蝶を思わせる黒の翼を生やし。
透明化の魔術を操る。
…………今更ながら、最初に悪魔かどうかを疑った自分が恥ずかしくなってくる。もし過去に戻れるなら、あの頃の自分に思い切り突進してやりたい。
閑話休題。
「アシュが悪魔なのはもう、揺るぎない事実だし…………悪魔がいるなら、天使だっているんじゃないか?」
「えぇ、その通りです。ちょっとだけ、その辺のお話をしましょうか」
言うと、アシュはなにやら目の前の床から、藁と牧草をどかし始めた。
所々が剥がれたリノリウムの床が見えてくる。そこにアシュは、藁を器用に編んで『神』という文字を作り、ぽん、と置いた。
「この世界には、まず、神族……神様しかいませんでした」
藁や牧草で文字を作り、それを次々と並べていくアシュ。
説明と同時進行で行われるそれは、まるで板書だ。熟練の教師よろしく、アシュはてきぱきと手際よくそれを続けていく。
「神族は宇宙を、銀河を、そしてこの地球を創って、人間界を創ったのです。そして、その管理をするために、天使たちを創りました。神族がいる場所を『神界』、天使たちの住まう場所を『天界』といいます」
「……そんな場所があるのか?」
「う。べ、便宜上の話です。人間界と神界、天界は、そもそも存在する時空が違うんです。それは、私の故郷である魔界も同じことです。場所とは言いましたが、人間界と地続きではないのです」
ふむ、そうなのか。
ドジなイメージばかり先行してしまうのだが、アシュは説明が簡潔で分かりやすい。案外、教師などは向いているのではないだろうか。
「神族は、存在し続けるために人間の信仰を必要とします。天使の役割は、その補佐ですね。信仰を広めたり、誤った信仰を正したり、時には、駆逐したり、です」
「……ソドムとゴモラ、か」
「そう、そういうことです。尤も、信仰する人間が減るのは神族にとっても痛手ですので、天界もあのレベルの攻撃を人間界に行うことは稀です」
「ふむ……じゃあ、アシュたち悪魔っていうのはなんなんだ?」
「簡単に言えば、神や天使の敵ですね。人間の魂って、まぁ人にもよるんですが、すっごく美味しいんですよ。神族はその上澄みである、信仰心だけで存在してますが…………それを我慢できなくなり、魂そのものを欲した神族や天使たちが、堕天して悪魔と呼ばれる存在になった訳です」
「……人間を、滅ぼそうとか思ってるってことか?」
「まっさか。まぁ下には見てますけどね。人間だって、豚や牛が美味しいからって、絶滅するほどには屠殺しないでしょう? おんなじことですよ」
「……まぁ、分からなくはないな」
「あっ、ち、違うんですよ!? 決してその、う、卯兎さんを下に見てるとか、食料として見てるとかではなくてですね……!」
「? どうしたんだ、突然」
いきなりオーバーフローしたなぁ、こいつ。
やはりこうもすぐパニくるようじゃ、教師は向いていないかもしれないな、こいつ。
「こ、こほんっ。えっと、話を戻しますけど…………人間界の、信仰の管理を行っているのが天使です。で、魂の管理を行っているのは、一部の神族や天使によって構成された、『獄界』と呼ばれる場所に住まう存在です。えっと、この国だと…………キングオブエンマ、でしたっけ? 人間が死後、裁かれる場所の王様って」
「キング……あぁ、閻魔大王のことか? え? 閻魔様まで実在すんのか?」
「いますよー。私たち悪魔と日々、人間の魂を巡って骨肉の争いを繰り広げています」
えー、マジでか。リアルにいるのか、閻魔大王。
しかもなんか物騒な話してるし。笑顔でそんな抗争じみたことの話をしないでくれ、普通に怖いわ。
「で、ここからが今回の話です」
藁と牧草で出来上がった世界図を、ひと際長い藁を教鞭代わりに指し示していく。
たしっ、たしっとアシュは、最初に獄界の場所を叩いた。
「卯兎さんの言うように、自然の摂理として生まれ変わるのなら、確実に獄界を経由しています。ですが、人間からうさぎに生まれ変わってもなお、人間としての意識を残しているなんて、獄界を経由していたならば、絶対にあり得ません」
「絶対って……やけに言い切るな」
「えぇ。なんといいますか、自分の敵にはなるべく強くあってほしい、みたいな精神とは違いますけど…………でも、敵として獄界の連中には、ある種絶対の信頼を置いています。奴らは、魂の種類を、人間とうさぎを取り違えるなんてミス、絶対にしません」
「……じゃあ、どういうことだ?」
「できる輩がいるんです。人間界の中だけで、魂を移動させたり、変質させることができる、そんな輩が」
「……それが、天使か?」
「その通り、です」
ぽい、と。
まるでゴミでも放るみたいに、アシュは板書の上にさっきの羽を投げた。
「その羽は、昼間のあの女を追いかけて、見失ったところで見つけたものです」
「あぁ…………俺のいるところまで戻るのに一時間もかけた、あの追跡劇の時のか」
「うぐ……もう、そういうのは忘れてくださいよぉ。シリアスな話なんですよぉ」
「へいへい。んで、じゃあ昼間のあの女は、天使だっていうのか?」
「はい。天使なら、神族から『神器』と呼ばれる特殊な武器を貰っています。その中には、魂を移動させたり変質させたりできるものもあると、聞いたことがあります」
「じゃあ…………人間が動物に変わる異変も、犯人は全部、あの女ってことか?」
「んー。その筈、なんですけど……」
と、急にアシュの舌鋒が緩んだ。
今まではばしばしと、竹を割ったような快進撃が続いていただけに、そのブレーキはいささか急に思えた。首を捻っていると、アシュの方も思い悩んでいるらしく、「妙なんですよねぇ」と溜息交じりに言ってきた。
「妙って、なにがだ?」
「起こっている異変そのものが、です。そもそも天使っていうのは、完全に神族の小間使いで、下僕で、従僕なんです。その立場に誇りを持っている、気色の悪い連中なんですよ」
「私怨丸出しじゃねぇか……」
「ひ、否定はしませんが……でも、だからこそおかしいんです」
「だから、なにがだよ」
「神族は人間の信仰心を必要としています。ですから、人間が減ってしまうことは、神族にとっても不都合なんです。そのような事態を、下僕根性丸出しの天使たちが、自ら行う筈はないんですよ」
「……つまり、どういうことなんだ?」
「よく分からない、というのが正直なところです」
疲れたように、アシュは肩をぐるぐると回している。
俺も、長い話はなかなかに疲れてしまった。しかも、結局結論が『よく分からない』じゃあ、徒労感も半端ではないな。
ごろん、と横になり、藁でできた板書を眺めてみる。
「ともあれ、天使が関わっているのは、この物的証拠からほぼ確実ですね。となると、神界が絡んでいない筈がないです。でも、動機が分からないです…………困りました。これをそのまま、魔界の魔神たちに報告しても、異変の解決には繋がりません……」
「そうなのか? こう、トップ同士の話し合いとかじゃ」
「種族として敵対してますからね……ライオンとシマウマの話し合いなんて、成立しないでしょう? 下手をすれば魔界対神界の全面戦争ですよ…………最悪、人間界含めた世界のほとんどが崩壊します…………!」
「ま、マジか……」
「マジです…………」
恐ろし過ぎるだろ。
俺含めて、そこそこの人数が動物に変えられたっていう異変だけで世界崩壊とか…………。
「…………話が込み入ってきて、俺じゃもうよく分からん。あんまり、頭よくないんだよ、俺は」
だから、単刀直入に訊くぞ。
難しい話は、そもそも俺の管轄外だ。魔界だの神界だの天界だのが、どんな関係かなんて関係ない。
俺が知りたいのは、一つだけだ。
「アシュ。俺は、もう人間としては死んでるんだよな」
「…………はい」
「で、その天使と思しき女の仕業で、魂? をどうこうされて、今はうさぎになっている。そうだよな」
「そうです」
「じゃあ――」
「――俺は、あんたと契約した通り、人間に戻れるのか?」
俺が死んでいようが、生まれ変わっていようが。
最も知りたいのは、その一点のみだ。
俺は、言葉の上でとはいえ、命を懸けた。
そうまでした願いは――――ちゃんと叶うのか。
それだけを、俺は知ってしまいたかった。
「えぇ。卯兎さんを人間に戻す、その算段はあります。あなたの願いは、叶いますよ」
アシュは、そう言って。
にっこりと、柔和な顔で笑ってくれた。
「……本当、か?」
声が、微かに震えた。
――――本音を言えば、怖かった。
今までは、その記憶も、証拠もなかった。だから、不意に浮かんでくる『自分はもう死んでいるんじゃないか』という想像を、妄想として封じ込められた。
だが今日、証拠となる現実を、まざまざと見せつけられて。
俺は、選ばれし転生勇者でも、異世界転移した英雄でもなく。
ただ普通に死んで、生まれ変わっただけの、平凡なうさぎなんだと思ってしまって。
同時にそれが、人間に『戻る』ことへの否定だと――――平気そうに嘯いていながら、不安で不安で、仕方なかったのだ。
でも。
「本当に…………俺は、人間に、戻れるんだよな……?」
「はい。卯兎さんは人間に戻れます。いえ、戻します。私の、悪魔としてのプライドにかけて、必ず」
約束です。
言って、アシュは小指を鼻先に突き出してきた。
……だから、どうやって指切りをするんだよ。取り敢えず、鼻先でふにふにと返してみる。それを見て、アシュは可笑しそうに微笑んでいた。




