第24章 引かれうさぎの小唄
裸電球が、闇夜を煌々と照らしている。
無機質な壁に、光源としての役割さえ怪しい窓。剥がれかけのリノリウムの床と、殺風景な部屋だ。その半分ほどを占拠する、うさぎ専用スペースは、今日も今日とて大量のうさぎが犇めき合い、思い思いに餌や睡眠に夢中だ。藁や牧草の匂いにも、もうすっかり慣れてしまった。
不思議なものだ。
俺がこの廃墟を住処としてから、まだ一週間と経っていないのに。
今ではもう、実家のような安心感すら覚える。
その安心のパーツの一つは――――紛れもなく、彼女だろう。
「今から約一年前。自動車事故に遭って、意識不明の昏睡状態が続いた末――――一ヶ月ほど前に、意識を取り戻さないまま、死亡。それが…………調べて分かった、『神奈月卯兎』という人間の情報、です……」
牧草の上に、無防備なワンピース姿で座り込み。
膝に俺を乗せて撫で回しながら――――アシュは、淡々とそう言った。
努めて平坦な、感情を乗せない声を出しながら。
俺の背を撫でる手の、力と速度だけは誤魔化せずに。
「ご家族は…………既に、引っ越してました。今日行った、あの家に。転居届が出てたんです。転居先は、あの住所でした」
「…………」
「図書館にも行って、その、事故の記事というのを、読みました。小さい、地方欄の隅っこのものでしたが…………道路に飛び出してきた卯兎さんを、大型トラックが、轢いてしまったそうです。病院までは…………流石に、分かりませんでしたけど」
「…………」
「……ご、ごめんなさい、です。卯兎さん」
「……んー? なんだよ、なんでアシュが謝るんだ?」
しゅん、と落ち込んだ顔をして。
まるで雨にそぼ濡れた小型犬だ。立場は完全に逆なのに、飼い主に見捨てられないよう必死な小動物みたいに、アシュは堪えていた。
唇を噛んで、うるうると揺れる瞳を見開いて。
「……私は、一応……悪魔、ですから」
訥々と、アシュの口が開く。
俺はそれを、黙って聴いている。アシュの膝の上で、身体をだらりと弛緩させながら。
「人間の、そういう、感情には……敏感な、方なんです。気持ちを操るような、そんな悪魔には負けますけど…………でも、分かっちゃうんです。卯兎さんの気持ちも…………卯兎さんの、ご家族の気持ちも」
「…………」
「きっと、ご家族は嫌だったんだと、思います…………。卯兎さんが……事故に遭って、亡くなった街に……その、い続けるのが……。でも…………私、卯兎さんのこと……もっと、知りたくって、だから……」
「…………」
「…………変な気持ちは、なかったんです。けど……私、その、ドジ、ですし…………山でも、昨日だって、卯兎さんに迷惑、かけちゃって……だから、ただ言っても、信じてもらえないかもって、だから、その……でも…………ごめん、なさい、です……」
「…………」
「卯兎さんが……もう、死んでいるなんてこと…………その、お、押し付けちゃって、というか…………知らせちゃって、その――」
「……別に」
たしっ。
しつこく背中を撫でる右手を、耳で捕まえてみせる。アシュは、俺の態度にびくっ、と背筋を震わせていた。
まったく、なにを心配しているのやら。
怒られるとでも思っているのだろうか。相変わらず、バカな奴だ。
「気にしてない……って言ったら、嘘にはなるな。実際、ショックではあったよ。俺が死んでるっつーことを知った時は――――いや、思い出した時、か」
「思い…………え? 卯兎さん、なにを」
「俺が事故に遭ったことを、だよ。アシュがどっか行っちまってた隙に…………思い出した。はっきりとな」
あの時。
ぽつんと一人、道路のど真ん中に放置された、その瞬間が。
丁度ダブったのだ。俺が事故に遭った、その刹那と。
激しく目眩がし、吐き気を催すほどの既視感――――仏壇と遺影を見た時、朧気なイメージが全て線で繋がった。
「俺はあの日……道で野良うさぎを見つけたんだよ。丁度、車に轢かれそうになってたな。それを見て咄嗟に、身体が動いてた。うさぎを突き飛ばして――――俺は、そのまま轢かれちまってた」
「……卯兎さん」
「流石に一年間も意識を取り戻さなかったとは、知らなかったけどな。なんだよ、それじゃあ俺、生きてたら一九歳だったのか? 大学、結局どうなったんだろうな。まだ志望校さえちゃんとは決めてなかったぜ。夏休みだったっつーのにな」
「…………」
「まぁ、結局死んじまってたわけか。…………まぁ、仕方ねぇか」
「……卯兎さんは、いいんですか?」
「? なにがだ?」
「だ、だって――」
二の句が継げず、悔しそうに頭を振るアシュ。
……いいのか、だって?
そりゃ、いい訳がない。勿論、腑には落ちたさ。俺はある日、ふと目を覚ましたらうさぎになっていた。そこが、まず他の元人間たちとは違っていた訳だが。
普通に死んで。
普通に生まれ変わったなら。
それはもう、自然の摂理だろう。
何故だか俺には、人間としての自我が残っているが――
「……いいって訳じゃないが、でも、どうしようもないだろ。普通に俺は、生まれ変わったって訳なんだろうし――」
「っ、それは、違いますよ。卯兎さん。卯兎さんもまた、『人類獣化事変』の、立派な被害者です」
「? で、でも――」
「卯兎さん。一つ、お訊きしますね」
言いながら、アシュは左手を胸の谷間に突っ込んだ。
すぅ、と取り出されたのは、一本の羽だった。ドラマの小道具でしか見たことがないような、大きな羽。俺とどっちが大きいか、微妙なところだろう。羽ペンにしたらきっとでか過ぎて、使いづらいこと間違いなしだ。
そんな巨大な羽を持つ鳥を、俺は寡聞にして知らない。
況してや、そんな羽を持つ生物なんて――
「卯兎さん。あなたは――――天使という存在を、信じますか?」




