第23章 うさぎも鳴かずば撃たれまい
何故だ。何故こんな場所で、この匂いがする?
知らない街の、知らない住宅街で。
「なんで……俺の家の匂いがするんだよ……!?」
俺自身の匂い。母親の匂い。妹の匂い。
焚き過ぎた線香の匂い。母親のよく作る煮物の匂い。妹が大人ぶって買ってきた香水の匂い。
その全てが綯い交ぜになった匂いが、確実に、近づいてきて。
「え…………?」
とある一軒家に、その匂いは続いていた。
大した特徴もない、平凡な二階建ての一軒家だ。洗濯物が庭に干してあって、カーテンの向こうにリビングが見える。
そんな一軒家の、向かいの塀に。
「…………?」
「……んん?」
一人の女が、寄りかかるようにして立っていた。
左右に羽を生やしたようにデコレーションされたガラパゴスケータイ。ピンク色のそれを見ずに操作しながら、女は、その家の方をじっと見ていた。
「う、卯兎さんってば……速いですって……――――え?」
遅れてついてきたアシュが、その女と目を合わせた。
金髪に、左右で色の違う碧眼。アシュに負けずとも劣らないたわわな胸の持ち主である女は、俺とアシュのことを交互に見て、
「…………っ!」
突然、逃げるように走り出した。
??? なんだ? なんなんだあの女は。
「っ、卯兎さん! ちょっと待っててくださいね!」
間髪入れず、声が飛んでくる。
アシュが、止める間さえくれずに走り出していた。
ぽつん、と一人取り残されてしまった。道端のど真ん中、一軒家の前に、だ。
うさぎが、たった一匹で。
道路の、真ん中に…………。
「ぅ……つぅ……」
二人の姿が見えなくなるまで、俺は呆とその場に突っ立っていた。
目眩がする。くらくらと、頭が揺れる。
暑さの所為か? それとも、高所を移動するストレスがとうとう身体に出たか?
「……とにかく、ちょっとだけ」
休憩を、と。
家を囲う石塀に寄りかかろうとした時――――ふと、表札が目に入った。
『神奈月』と書かれた、石造りの表札に。
「え…………?」
神奈月、だと?
それは…………俺の苗字だ。
ふらつく足で、家の敷地に入っていく。
何故だろう、確かめない方がいい気さえしてくる。
バクバクと、心臓が痛いほどうるさく高鳴る。
それでも、抑え切れずに。
知りたいと――――そう思ってしまって、だから。
窓の向こう、カーテン越しにリビングを覗き見た。
誰もいない、薄暗い室内。
その視線の先に――――それはあった、
「……俺、の…………遺影……?」
仏壇だ。
趣を感じる、黒く染まった木で作られた仏壇。
その真ん中に、恭しくそれは、飾られていた。
高校の修学旅行で、友達とバカをやって楽しく笑う俺の。
その顔の部分だけを引き延ばした写真が――――線香を添えて。
小さい頃に死別した、おやじの写真と並んで。
遺影であるのを如実に示すように、置いてあって。
「――――そう、か。……そう、だったな…………俺は」
俺はもう、死んでたよな。
まるで他人事みたいに、それでも心にずしりとクるような。
でも、これでなんとなく、納得した。
俺は――――神奈月卯兎は、もう死んでいた。
死んで、そして――――うさぎに、生まれ変わっていたんだ。




