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第1章 うさぎは寝て待て



 飼育小屋から見る、網目越しの夜空が、日に日にくすんでいくようだ。

 ブラック企業や過剰労働がニュースを騒がせる昨今だが、この小学校は割かし健全なようで、用務員のおっちゃんは午後五時きっかりに姿を消す。その際、餌を忘れる確率は五割を超えるから、どうも人間以外にはブラックな職場らしい。


 いや、俺も人間なんだよ?

 うさぎだけど。

 何故かうさぎになってるけど。


「…………」


 だんっ

 なんか、反射的に足を踏み鳴らしていた。


 今日も今日とて空っぽの餌箱。同じ小屋にいる二匹のうさぎは、全てを諦めたように小屋の片隅で眠っていた。お隣の小屋にいる矮鶏もいやに静かだし、起きているのは俺だけか。隅っこで震える丸まった背中に、哀愁を感じる。おい、それでいいのかうさぎよ。夜行性のプライドをどこで投げ捨てた?


 いや、俺もそうだ。


 人間としてのプライドとか、うん、尊厳、か?

 そういう大事なものを、どこかへ擲ってしまった気がする。


 …………この狭苦しい小屋の中での生活も、もう一ヶ月になるか。


 最初の頃こそ、戸惑いを隠せなかった。なにせ、俺としてはとにかくなにもかもが唐突だったのだ。


 今流行りの、異世界とか転生とかが出てくる小説。あれみたいに、なにか大きなきっかけがあったとは思わない。ある日の朝、ふと目を覚ましたらこの状況だった。カッピカピの藁が敷かれた飼育小屋で、格子に囲まれてうさぎになっていた。


 どこのグレゴール=ザムザだよ。


 変身したのが毒虫じゃなく、もふもふでチャーミングなうさぎだっただけまだマシか……いや、そのお陰で子供にもみくちゃにされるのだから、やっぱどっちがよかったかなんてのはどうでもいい話だ。


 とはいえ。

 うさぎになってしまっている。

 他者とのコミュニケーションは図れない。

 そんな非現実的かつ絶望的なシチュエーションに、俺は、ある種の期待をしていた。

 阿呆臭いことに。

 タイムスリップできるなら、当時の自分に助走つけてからのラリアットを決めたいほど能天気に。




 俺は、なにかの主人公になったんじゃないかと、期待したのだ。




 だって、そうだろう? いきなりうさぎに変身していて、これでなにもなかったらあまりにつまらない。心躍り胸高鳴る大冒険の一つや二つ、あってもいいじゃないか。


 うさぎだけど。


 なにができると言われたら……うん、なんもねぇけど。


 でもさぁ。世間には蜘蛛やら盾やら、挙句の果てには自販機やらに転生して立派に主人公やってるキャラクターの小説なんかもあるんだから。

 ウサギって、それに比べれば数段恵まれている、筈、なのに。




 一ヶ月経っても――――俺の身には、なにも起こらなかった。




 謎の少女は現れないし。

 空から女の子は落ちてこないし。

 特殊な研究員とかは出てこないし。

 俺を人間だと見抜くような奴もいない。


 ただただ毎日、授業を終えた小学生に、おもちゃの如く捏ね繰り回されるだけだ。


 狭く不衛生な檻の中で、気絶するように眠って。

 空腹を藁を噛んで誤魔化して、ひたすらに待つ日々。

 非日常イベントが来ないならこっちからいってやんよ! の精神で脱出を試みるも、口がコーヒー臭いおっちゃんに遮られること六三回。



 …………もう、疲れた。



 なんだよこれ。気付いたらうさぎになってたとか、ライトノベル業界なら垂涎のイベントが起こってんのにさ。

 それ以外、俺の身になにも起こりやしない。

 ひたすらに退屈で、うんざりするほどストレスフルなだけの毎日だ。


 うさぎはなぁ、一人ぼっちでも死なないけど、ストレスでは死ぬんだぞ。


 確かにうさぎは可愛いよ。可愛いと思う。愛らしくて愛くるしい。けどさ。俺ね、うさぎになりたいとか、そんな風に思ったことはないんだよ。


 本当、なんでこんな目に遭ってんだ?

 俺、なんかしたか? 一足先に畜生道に堕ちてんのかこれって。

 ……いやもう、本当にうんざりなんだよ。

 誰でもいいから、助けてくれ。

 そんなに多くは望まないけどさ、せめて。

 せめて。




「…………人間に、戻りてぇなぁ……」




 本当、それだけだ。

 声に出すと、実感できる。


 どうせ自分にしか聞こえない声だ。普通のうさぎたちは、話しかけても大抵、餌か交尾のことしか考えていない。実質、俺はこの一ヶ月、独り言を垂れ流していただけだ。


 声を出すのも、最近は億劫になってきた。

 誰も聴く人のいない、そんな状況で発する声ほど、虚しいものはないな――






「……? 今の……もしかして、あなた、ですか?」



 ――そう、思っていた。


「え……?」


 不意に聞こえてきた声に、思わず顔を上げる。

 月はもう昇り切っていて、時刻はきっと日付を跨ぐ頃になっているだろう。職員室はとうの昔に消灯していて、小学校という場所柄、誰ももういない筈なのに。

 人間の声がする――――それだけで、平時と違う異常事態だ。


「……やっぱり、あなたですよね? 今の声」


 不思議な感覚だった。

 まるで、会話が成立しているようじゃないか。この台詞回し。

 微かな月明かりを反射する格子戸。その向こうに目を遣って、俺は、思わず後ろ足で立ち上がっていた。


 立ち上がらずには、いられなかった――――男として。雄として。


「お、おお、おおおお…………!」


 そこには。

 飼育小屋を覗き込むように、格子のぎりぎりまで近づいて見下ろしてくる。



 あまりに大きく柔らかそうな、巨乳があった。


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