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第18章 怒髪うさぎを衝く


「っそがぁ……!」


 不意に来た土砂降りの雨に、通じないのは百も承知で悪態を吐く。


 ここに来ての雨は、まさに最悪の一言だった。

 雨は、匂いを流してしまう。


 ただでさえ、誰かの匂いを辿るっていうのは難しいのだ。警察犬でも困難な時があるし、ましてや俺はうさぎだ。もっと言うなら、元々は人間なのだ。

 匂いを追うなんて、やったことがない。もしできたなら、それは変態認定を受けてもおかしくはない芸当だ。


 木陰で雨を凌ぎつつ、頭に乗せたおにぎりの様子を見る。

 …………当たり前だが、ずぶ濡れだ。それ以前に俺の毛がついてしまっている。

 それでも、手放す気は起きなかった。

 どれだけ汚れても、食えない訳ではあるまい。ならあるだけずっとマシだ。


「っかし、あいつどこにいるんだよ……崖沿いに来てるから、この辺の筈なんだが……」


 まさか、もう通り過ぎちまったとかじゃねぇだろうな。

 あり得ない話ではない。無我夢中で走ってたし、雨で匂いを追い辛くなってからは、ほぼテキトーなのだ。


 ちくしょうが。


 焦りが、心拍数を高めていく。濡れた身体も気にならず、俺は再度雨の中へ身を晒した。


 どこだ。どこにいる。

 必ず、どこかにいる筈なのに。

 見つからなくて、見つけたくて。

 もどかしい、狂おしい。

 一体、どこにいる――――




「…… けて ……ぉ…… 」




「……っ、あっちか!!」


 微かに聞こえた声。

 泣きじゃくるような、情けない声だった。

 あの日、月明かりに照らされた飼育小屋で聞いたような、怜悧な感じは微塵もない。


 それでも、はっきりと分かった。


 うさぎの優れた聴力が、太鼓判を押していた。

 これは――――あいつの声だ、と。

 泣きじゃくる嗚咽が、段々と近づいてくる。もうすぐだと、手に取るように距離が分かった。


 あと五メートル。


 あと三メートル。


 あと、一メートル。


 声が反響する、樹の隙間を見つけた。

 その中に――――そいつは、背を丸くして収まっていた。




「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁ――――やぁっと見つけたぞっ! このバカ悪魔ぁっ!!」




 俺は、宣言を破っていた。

 ようやく見つけたそいつの、乳を揉むよりも先に。

 丸まって泣きじゃくるアシュに対し――――いの一番に、安堵の怒声を浴びせていた。







「卯、兎……さ……ん……?」


 訥々と、雨音に掻き消されそうな声でアシュは呟いた。

 俺と同じようにずぶ濡れで、身体も服も顔も、その綺麗な銀髪だってどろどろに汚して。

 樹の洞ん中で、小さく縮こまっていたアシュを見て。


「…………っはぁ……!」


 俺は、思わず溜息なんか吐いていた。

 探している最中は、それどころじゃなかったのに。

 敢えて言うなら、見つけたらもっと、怒ると思ってた。

 怒りが先走って、あらん限りの罵詈雑言をこいつにぶつけるんだろうと。

 寧ろ文句の一つや二つでもぶつけてやるくらいの、そんな気持ちで駆けずり回ってたのに。


 ぼろぼろに薄汚れたこいつを見て、最初に感じたのは――――安堵だった。


 すっっっっげぇ、ホッとした。


「…………っと」


 ずるぅ、と。

 休み休み走っていたにも拘らず、身体ががくりと崩れ落ちた。


 四肢から全身、脳に至るまで、疲れが一気に広がっていく。もう立っていることさえ限界だ。


 あぁ、寒い。流石に濡れ過ぎた。

 走るのだって、うさぎの限界を超えていただろう。


 あぁ……なんだろう。

 すごく…………堪らなく、眠くなって――




「うわぁああああああああああああああああああああああんんんんんんんっ!! うとさ、うど、う、うぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええんんんんんんんんんんんんんんんんんっっっっ!!??!?!」




「うおぉっ!?」


 倒れかけた俺を抱え込むように。

 アシュが、泣き声で叫びながら跳び寄ってきた。


 こっちが動けないのをいいことに、アシュは俺を思いきり抱きしめてくる。うおっ、ちょ、待て待て胸で圧迫されて息ができんっ! 天国だが地獄だ! 今は女体の神秘を堪能する余裕なんてないっ!


「うぇ、うえぇえええええええええんんんん卯兎さんんんんんんんぅ!! こわ、か、った……怖かった、ですよぉ…………! もう、もう二度、と……二度と、うさぎさんたちに……会えないかもってぇええ……!」


「わ、分かったから! ちょ、一旦離せ! やめろ泥をこすりつけんな汚ぇっ!!」


「あ、あじっ……脚、だってぇ……折れちゃってぇ……なのに、っく、……治せ、なくってぇ……!」


「はぁ!? ちょ、脚折れたって……い、いや元々魂だけなんだろ? 治せるんだろ?」


「うぇえええええええええええええええええええええええんんんんんんんんんっ!!」


「泣くなよ子供かっ!! あんた悪魔だろうがっ!! ほ、ほらこれ! 食え! その辺歩いてる人から貰った! ……そういやあの人たち、雨大丈夫か――」


「うぇええええええええええんんんんんんん不味いですぅうううううううううう!」


「ちょ、てっめぇ他人様からの好意になんてこと言ってんだ!」


「うわぁあああああああああああああああああんんんんんんん卯兎さんんんんんんんっ!!」


「だーっ!! 分かった分かった、分かったっつのっ!! いいからさっさと泣き止めぇっ!!」


 ぎゅうぎゅうと、きつく締めあげられながら耳元で喚かれる、天国である筈の地獄。

 ……まぁ、それでも。



「ひっぐ……えっぐ…………う、卯兎、さん……」


「なんだよ……」


「…………探し、て、くれて…………ありがど、です……」


「……あいよ」


 雨に濡れて身体は冷えて、泥道をひた走って汚れまくって、喉に血の味が滲んでても。

 このドジっ娘悪魔が、無事に見つかって。


 それで本当によかったと、心底思ってる自分がいた。



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