第14章 うさぎの霹靂
溜息を吐きつつ、俺は坂道を登っていく。
あのままごねてると、最悪lPadまで投げつけてきかねないしな、あいつ……避けるくらいは造作もないが、それであの高性能タブレット端末に壊れられても困る。
耳で一〇〇円玉二枚を握り締め、とてとてと坂道を登る。
どうやら俺の耳は、本家のロップイヤーより自由度が高いらしい。思った通りに曲がってくれるし、手の代わりは十分に務められそうだ。練習すれば、文字も書けるかな? それができるようになれば、大分やれることの幅が広がりそうなんだが。
閑話休題。
うぅむ、知識としては知っていたが、やっぱうさぎの身体って、上り道が辛いな……上手く後ろ脚がついてこない。それでもなんとか、頑張って上り道を上り切る。
するとそこには記憶通り、休憩所が存在していた。
ここに来るまでの道もそうだったが、休憩所付近も柵やネットなんかなく、すぐ横には崖が広がっている。尤も、高度感が凄いから、間違っても飛び降りようとか思うバカはいない。いるとしたら自殺志願者くらいだ。
俺も子供の頃、うっかり下を覗き込んで、えらい恐怖心を抱いたのを覚えている。
きっと子供の教育には、そういう残酷さも必要なのだろう。俺にはまだぴんと来ない話ではあるが。
さて、錆びた蛇腹板の屋根に、古びたベンチが並ぶだけの簡素な休憩所の脇に、確かに自販機はあった。
アシュがご所望の、ジュース類も品揃えに並んでいる。
が。
「あー…………まぁ、そりゃなぁ……」
切れかけの電球が、パチッ、パチッと明滅を繰り返す自販機の、そのボタンたちは。
全て売切の二文字と共に、赤いランプが光っていた。
「……ったく、仕方ねぇかー」
溜息を吐きつつ、アシュの待つ場所まで戻る。
さて、あの我儘なドジっ娘巨乳悪魔になんと言い訳したものか。
「『なんで自販機なのにジュースが一本も入っていないのですかーっ! 理不尽です! 非常識ですよなんなんですかこれはーっ!!』くらいは言ってきそうだなぁ……」
土台、うさぎに自販機のお使い頼むっていう時点で、大分非常識なんだがな。
はぁ、面倒臭い。
ふと空を仰ぎ見ると、なにやら雲行きも怪しくなってきた。珍しく、今日は冷える。テレビも新聞もないので天気予報なんて見ていないのだが、うん、もしかしたらこの後、雨が降るかもしれないな。
だったら余計に面倒だし、装備と体力を整えて、また明日以降来ればいいか。
そんなことを考えつつ、山道を下っていく。
うさぎの脚なので、下りは楽ちんだ。
そして、数十メートルほど下った辺りで。
「…………ん?」
脚を止め、周囲を見回してみる。
あれ? おかしいな。
「ここら辺、じゃなかったけか? あのアホが騒いでたのって」
ぴくぴくと、鼻を動かしてみる。
…………うん、甘いミルクのような香りがする。これは間違いようもなく、アシュの匂いだ。
この辺にいたのは、間違いないんだが。
「どこ行ったんだ……? もしかして、もう山を下りちまったか……――――?」
と。
そこに、ふと。
「―― と ………… て――」
声が、聞こえた。
一〇〇円玉を握り締めていた耳が、ふっと開いた。ぴくんっ、と音に反応し、垂れた耳の先端が跳ねる。
声は、山道を外れた、崖の方から聞こえた。
恐怖心を抱かせるためか、敢えて柵のない崖沿いの道。
恐る恐る、その下を覗き込んでみると。
「……っ、卯兎、さん……!」
「アシュっ!?」
思わず、俺は叫んでいた。
アシュが、いたのだ。
山を下ったのではなく――――山から、落ちていた。
崖から何メートルも落ちた場所、ほんの少しの岩の出っ張りに、指を引っかけて。
ギリギリのところで、眼下の森には落ちずに、踏み止まっている。
「おまっ……、なんでそんなところにっ!?」
一瞬で、簡単に俺はパニックに陥った。
さっきまで、道の真ん中で駄々を捏ねていた筈なのに。
どうして今は、そうやって崖から落ちている?
一体、なにが起こった――――そう、とっさに訊ねていた。
そんなことをしている場合じゃ、どう見たってなかったのに。
「っ……ごめ…………な、さい……! 少し……気を、抜いてて……」
「い、いいからアシュ! 早く飛べっ! 翼っ! 今すぐ翼を生やして――」
「あっ――――――――」
ぽろっ、と。
アシュが指先に捕らえていた岩の先端が――――毀れた。
欠けた岩の欠片と一緒に――――アシュの身体が、落ちていく。
眼下に鬱蒼と広がる、広大な森の中へ。
「っ――――アシュうううううううううううううううううううううううっ!!」
「―― ………… …… ――――」
なにか、言っている。叫んでいる。
けど、もうその声は、俺のところまで届いてくれない。
ほんの数秒も経たない内に。
アシュの姿は、森の深い緑色に紛れて、消えてしまった。




