第10章 うさぎの道も一歩から
「本当に、教えてもらえるんですね? あなたを、その場所に連れていけば」
「くどいっつの。約束しただろうが」
路地裏をこそこそと選ぶようにして歩くアシュに、俺はうんざりした調子で応えた。
時刻は昼過ぎ。住宅街は正しく昼飯時なので、人通りなど数えるほどしかないのだが、うさぎをケースにも入れずに持ち歩いている訳だから、不審がられるのも面倒ということで、人目につかない場所を進んでいる。
これからやろうとしていることを思えば、その慎重さも已む無しといったところか。
面倒には変わりないが。
「信用してくんないなら、別にそれでもかまわないけどよぉ……」
「そういう問題では、ないですけど。…………まぁ、セクハラを繰り返すうさぎの形をした人間を、急に信じろというのも、なかなかの無理難題では?」
「セクハラセクハラ言うけどな、今回のは完全に、俺は巻き込まれただけなんだっつの」
「ぐぅ…………だ、だから謝ったでしょう?」
「だったらそこですっぱり終わらせてくれよ。交換条件まで出してんだし、引きずられて思い出したら顎が痛くなってきた」
「う……す、すみません」
「はいはい」
しゅん、と項垂れてしまうアシュ。
……こうしてみると、昨日はただただ美しいとしか思えなかったが、可愛げのある奴なんだと分かってくるなぁ。落ち込んだ顔とか、小さな女の子みたいに弱々しいし。
可憐、という言葉が相応しく思える。
――――事の発端は、今朝、俺がアシュに抱かれて眠っていたことだった。
俺は昨夜、二七匹ものうさぎ相手に玉砕を果たし(ちなみに大半が「えさ」としか言わなかった。他のは無視か、「ねる」しか言わなかった)、二八匹目の挑戦で、ようやく情報を得ることに――――というか、会話をすることに成功した。
――おれ。変わる。うさぎに。
話しかけ、言葉を介した奴はもう、完全にうさぎになりつつあった。
人間としての自分で、覚えているものは名前くらい。すでに、うさぎの知性が人間性を駆逐していたのだ。
僅かに残った人間の意識で、奴は俺にこう言った。
――山。だった。
――どこか。の。山。
――攫われた。
――変えられた。
――うさぎに。
――放された。
――ひもじ。かった。
――女。二人。いや。三人。
――目の。前で。
――うさぎに。なって。いった。
そこまで話したところで、奴の人間としての意識は綺麗に消えてしまった。
何度話しかけても、もう「えさ」「ねる」としか話してくれない。完全に、うさぎになってしまっていた。
とはいえ、得られた情報は大きい。
どこかの山で、二、三人の女によって、うさぎに変えられた――――その証言を、アシュに教えようと振り返ったら。
アシュは、数匹のうさぎに囲まれて、すぅすぅ寝ていやがった。
仕方なく俺は、大量のうさぎに話しかけるという徒労も祟ってか疲れていたので、少しばかり水を飲み、テキトーな場所で眠っていたのだが。
朝起きたら、何故かアシュに抱きしめられていたのだ。
しかも(まぁ半分は俺の言動に責任があるとはいえ)裏拳を食らわされるというおまけ付きで――――
「し、仕方なかったんですよ、昨日は」
ぷりぷりと頬を膨らませ、言い訳に精を出すアシュ。
俺はそれを、左手に抱えられた状態で聞いていた。右手には相変わらず、地図代わりのlPadが握られていた。
「卯兎さんが、私が悪魔だっていうのを信じてくれなくて……だから、受肉してる最中だっていうのに、翼をわざわざ出したんですから! あれすっごく疲れるんですよ?」
「だからって、寝相で俺のとこまで来るか普通。ざっと三メートルは離れてたぜ?」
いや、本音を言うと俺だって、寝ている隙を突いてアシュのおっぱい布団を堪能したいという欲はあったさ。
が、相手が悪魔だという事実と、セクハラ発言の時に受けた制裁もあって、我慢したのだ。むしろ、わざわざ距離を取って寝ていたのだ。
なのに、目を開けてみたらあの状況だよ。
あのラッキースケベには、男子なら皆歓声を上げるだろう。
「うぅ……む、昔から寝相は、酷いんですよ……。そこに疲れとかも、ほら、ありましたし……」
「はいはい、もう分かったっての」
「と、とにかく。私としてはお詫びはするんですから、卯兎さんも、ちゃんと教えてくださいね?」
「それも分かってるっつーの」
「絶対ですよ? これは契約ですからね?」
「へいへーい」
何故か若干ムキになっているアシュを受け流し、俺は見慣れた道を歩いてもらう。
半分以上は殴られた腹いせなのだが――――昨夜、あのネザーから聞いた情報を、俺はまだ、アシュに伝えてはいない。
教えてほしければ、と、俺は条件を出したのだ。
不当に殴られた訳だし、このくらいの要求はしてもいいだろう。
おっぱい布団は確かにありがたかったが、ほんの数秒だったもんな。どうせなら意識のある時にお願いしたい。
で、その条件というのが――
「着きましたよ、卯兎さん。ここで、いいんですよね?」
アシュの声に、びくんっ、と一瞬背中が跳ねる。
言われて顔を上げると、そこには、俺の住んでいた家があった。




