アジャンクール
フランス南西部アキテーヌ地方。ワイン生産地で有名なボルドーを含むこの地域は、実に長い間イングランドの支配地だった。
今、我々フランス軍はイングランド人を大陸から追い出すためにカスティヨンの地に集まりつつある。
私の祖父からか、いや曽祖父の代から続くイングランドとの戦争は、当初フランスの圧倒的劣勢であった。イングランドの長弓の前に野戦では敗北に続く敗北だった。しかし、パテーの戦いでの圧勝をさかいに私たちは勢いを得た。このカスティオンの地でイングランド軍を打ち負かし大西洋へ追いやれば、大陸に残るイングランド領はカレーだけだ。この100年以上続く戦争の勝利は我らフランスのものとなるだろう。
私は今年で17になる。このカスティヨンの戦いが初陣だ。私はフランスの正規兵ではない。傭兵でもない。この近くに住む領主の民。いや、違うな。私はフランス国民だ。
自国が凄惨な戦場となることを経験したフランス人は、農民だろうが町に住む商人だろうが、祖国のために立ち上がった。そう私たちはもう領主や城主の民ではない。フランス国民なのだ。
私は兵宿舎で一人の老兵を発見した。老兵と言っても体はたくましく、目には光があった。屈強な歴戦の兵士といった印象だ。事実、彼の腕や顔にはいくつもの刀傷がある。
私は正直なところ、少々怖かったが、勇気を出してその男に話しかけてみた。私はこの100年にわたる戦争の物語に興味があったのだ。男は飢えた狼のように肉をむさぼりパンをかじった。そしてこう言った。
「ジャンヌダルクが捕まったとき、私もラ・イルやジ・ル・ドレと共に救出のため戦った。もっともその試みは失敗したが」
「あなたはジャンヌ・ダルクと共に戦ったのですか?」私は驚き交じりに言った。
「そうだ」男は頭を上げ、天井を眺めた。
「白馬にまたがり、銀色の美しい甲冑に身をつつみ、ユリの紋章の入った旗を高々と掲げていた。イングランドの長弓に歯が立たず絶望していた私たちだったが、何故かその姿だけで勇気が湧いてきた。私たちはもう一度戦おうという気持ちになった」
男は小さく息を吐きこう続けた。
「私は初めてイングランド軍と戦ったのはアジャンクールの戦いだった」
昼から降り続けいていた雨は夜になってもやまなかった。足元が見えず、何度も転びながらも私たちははぐれないよう必死に走っていた。騎士たちが前にいたが、重い鎧と悪い足場のせいで歩兵の私たちとなんだ変わるぬ速度だった。走るたびに泥が跳ね、びしょびしょになった。
この戦争が何のために起こっているかは私は詳しくはしらない。ただ、イングランド王はフランスの王位も欲しがっているようだ。イングランド王ヘンリー5世はノルマンディーを攻略すべくカレーから出陣したが、攻城戦に失敗し、再びカレーへ引き上げるところだった。それを追撃しようというのだ。ヘンリー王の軍隊は食糧もなく疲弊していて、兵の数は我らが圧倒的に優っていた。
私たちはアジャンクール村近くの狭い街道でイングランド軍に追いついた。狭い道の両側には鬱蒼とした森だった。奴らは石垣を組み、柵をたて、簡単な陣をつくった。
これまでも、私たちはイングランドの長弓には苦戦してきた。イングランド人が空に向かって放った矢は空を覆い尽くし、そして雨のように降りかかった。。
私たちは一策講じた。重騎士たちは矢を避けるために両脇の森を進み左右から敵陣に突撃し、歩兵は正面から近づいて、その後ろの中距離では抜群の威力の石弓兵でイングランド人を射抜こうというのだ。
しかし、結果は散々であった。鬱蒼とする森の中を騎士は十分に進めず、敵陣の前で隘路に出てしまった。さらに悪いことに前日からの雨により道はぬかるんでおり、騎士と馬の装備の重さで満足に進めなかった。前の騎士たちが邪魔で歩兵は前に進めず、石弓も届かなかった。イングランド人からしたら、陸に上がった魚を銛で突くような容易さだっただろう。多くの戦友が死に、多くの貴族やその息子たちが捕虜となった。
これまでも野戦においてはイングランドの長弓の前に負け続けていたが、この戦いの敗北はひときはひどかった。私たちフランス人は戦う勇気を失ってしまった。
その後もイングランドの攻勢は続き、ノルマンディー、パリは陥落し、ロワール川の都市を次々に攻略した。残るは要衝オルレアンのみが必死に抵抗を続けていた。
そこに、私たちは耳を疑うような知らせを聞いた。ずっとオルレアンに援軍を出さず、戦争する勇気のなかったシャルル皇太子がオルレアンの救援を指示したのだ。それも、その救援部隊を率いるのはうら若き乙女だという。