脆
お立ち寄りいただき、ありがとうございます。アドバイス等ありましたら、是非よろしくお願いします。
おはよう、と彼女が声を掛けてくれなくなったのは、もう一ヶ月も前のことだった。あの日のことは、僕も忘れたくても忘れられないので、きっと彼女の中ではなおさら、印象強く残っているのだろう。
そのころ、僕は彼女から恋愛相談を受けていた。相手は隣のクラスのいわゆるイケメンで、それでいて僕の親友でもあったのだ。
仲いいよね、彼と。ちょっと相談に乗ってくれないかな。
僕は暇だったので、いいよ、だけどあいつは手強いよ、と笑いながら頷いた。
その時僕は、彼女をクラスメートとしか見ていなかったし、正直一喜一憂する姿が面白くて、成功するかどうかよりも、彼女と話すことの方が自分にとっては大切だった。
彼はどんな子が好きなのかなあ。テニスすごく上手いけど、いつから始めたんだろうね。いきなり話しかけたら、変な人だと思われちゃうかな。
彼女は笑ったり、悩んだり、泣きそうな顔をしたり、時には本気で泣きかけたり、見ていて飽きることがなかった。日がたつにつれ、僕の方は次第に、落着きを失っていった。彼女は僕としゃべっているのに、僕のことを見ていなかった。僕の心はまるで、シャボン玉の表面をぐにゃぐにゃと回る虹色。
今日告白するよ。
そう彼女が呟いたのは、橙色の夕日がカーテンを焼く、放課後のことだった。
いきなり何で、何で今日なの。
今日はね、占いで恋愛運が絶好調だったの。こんな日はあと何回も来ないでしょ。だから、今日彼の部活が終わったら、少し時間をもらうんだ。朝のうちに約束はつけたの。
牡羊座の彼女は、ふわふわ笑った。頬を赤く染めながら。
今日までありがとう、あと少しだけ、見守ってて。
そうなんだ、いやあ意外と行動力あるじゃん、頑張れ。
うん、ありがとう。あ、もうすぐ終わるね、後で報告に来るから、ちょっと待ってて。
僕のもとに残ったのは、きつく噛んだ唇から伝わる鉄の味だけだった。
彼女はさっきと変わらない笑顔で帰ってきた。
あはは、振られちゃった。
耳を疑った。目を疑った。今いる自分の存在さえ疑った。信じられなかった。振られた?何で?つい勢いで聞き返した。
んーよく分かんないや、ごめんって言われちゃった。ていうか意地悪だなあ、言わせないでよ。
彼女の口元が小刻みに震え出して、目からは涙がにじみだした。ごめんね、泣かないって決めてたんだけどね、無理だった、あははは。涙が頬を伝って、落ちた。
シャボン玉が弾けた。
気付くと僕は、彼女を強く抱きしめていた。彼女は一瞬動きを止めたが、少しして声を上げて泣きだした。ごめんね、ごめんね、彼女は何度もそう呟いて、僕の白いシャツをきゅっと掴んで、泣いた。僕は何も言わず、ただ抱きしめた。
ごめんね、もう大丈夫、ありがとう。
どれくらい経っただろう、彼女は赤くなった目元をこすりながら、先ほどよりも綺麗な笑顔を見せた。もう大丈夫だ、僕もそう思った。
今まで本当にありがとう、でも私諦めないよ。
僕の体から離れて、彼女はふふふ、と笑った。
そろそろ帰ろう。
彼女はくるんと体の向きを変えた。ふわっと、甘い香りが漂った。
僕の中のシャボン玉は、まだ弾けきっていなかった。
僕は彼女の腕をとって、驚いた顔の彼女を引きよせてそして、
キスをした。
しょっぱかった。
何すんの、ひどいよ。
自分が何をしたか気付く前に、顔を真っ赤にした彼女は、自分のカバンを肩に引っ掛け、教室に僕を一人残して、走って帰っていった。
教室で目が合いそうになっても、ふっと逸らされてしまう。当たり前だ、頑張ると宣言した矢先、あんなことをされたら誰だってそうなる。僕はまだちゃんと謝る事が出来ずに、毎日を過ごしてしまっている。
彼女がシャツを掴んでいた部分には、まるで穴があいてしまったかのようで、僕の中のシャボン玉は、球体になる事さえ出来ないまま、虹色を漂わせていた。
ありがとうございました。