表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
99/100

第九十八話「束の間の平穏にて」


「ああ、春だじゃなあ」

「春だじゃなあ……じゃないっ!! 仕事をしろバカモノぉー!!」


 秋が冬にかわり、そしてまた春が芽吹くまでの間。

 後漢最強を誇る西涼騎馬軍団を破り、その勢力を取り込んだ曹操軍は、急激に力を伸ばした。

 曹操は荀彧を筆頭に高順に徹底的に破壊された漢代以来の中央政庁機能の再建に着手させる。同時に、許昌を実質的な首都に据えた全く新しい勢力基盤の構築を始めた。

 軍事面では、北を夏侯惇、南を夏侯淵が方面指揮官を務め、各地で起こる戦線に対し、中央に構える曹操本軍が神出鬼没に参戦するという布陣で以て、四方に散らばる諸勢力を次々と駆逐していった。

 さて、この激動の半年間において、宮本武蔵の戦功といえば、驚くべきことにまったくの「零」であった。


「零とは失礼だな。一昨日捕まえたぞ、猫二匹」

「この私の目を見ながら、堂々とそれをのたまえるとはいい度胸だ……!!」


 片方だけのアーモンドアイを阿修羅色に染めて、春蘭の血の筋の浮き出る手の甲がわなわなと震えている。

 しかし、彼女の怒りも無理はなかった。

 曹操軍がこの春陽気を迎えるまでの半年間はまさに大回天、危急存亡の秋であったのだ。


◇◇◇◇


「五十万……だと!?」

「……間違いではないのだな?」

「まさか。その上、南方からは袁術軍、二十万」

「おっほ」


呂布との激闘が終結し、中原のほぼすべてが曹操の傘下に収まったのも束の間、さらなる大戦が華北全体を覆った。

河北を統一した袁紹が満を持して黄河を渡河、一方、南陽最大の勢力となった袁術が、それに呼応して北進を開始。


「いよいよ進退は極まったってヤツやな。二袁の本領発揮ってトコかい」


 本拠を万全に固め、圧倒的兵力で迫りくる南北の敵に対し、曹操軍はようやく領内の動揺を鎮めたばかり、その兵力も、質を考慮せずに総動員して十万がやっとというところであろう。

 笑ってしまうような兵力差に、実際に笑って見せたのは、椅子を二本脚に傾けて天を仰いだ張遼のみだ。

 呂布を相手に一歩も怯まなかった夏侯惇ですら、その呆れた兵力差には声が出なかった。

 しかし曹操は、大胆な策に打って出る。


「北の防衛線を官渡まで下げるわ」

「それは……黄河の渡河地点の守備はどうするのですか?」

「棄てる」

「!?」

「官渡以北の黄河南岸の守備はすべて放棄する。その戦力を以て最速で袁術を討つ」

「えっ……袁紹に無傷で黄河を渡らせる……というのですか!?」

「そうなるわね」

「じょ……冗談ではない!! 余りにも無謀です!!」


 机上の空論のような策に、荀彧と郭嘉、曹操の右脳と左脳たる二人が揃って声を挙げた。


「実に五十万を号す袁紹の大軍を防ぐのなら、黄河を盾として対陣するのが絶対条件!! 黄河を渡らせてしまったら侵攻を遮るものが無くなり、自在に軍を展開して来ます!!」

「しかも!! 現在は高順に破壊された漢都再建構想の元に許昌を一から造り直している真っ最中です、とても籠城に耐えうる状況ではなく、我々は平地に陣を築いて対抗するしかありません、その条件下で数十倍もの敵と正面から激突するなんて、万にひとつも勝ち目はありませんよ!?」

「……最悪、袁術と挟み撃ちにされてー、為す術も無くすりつぶされるー、という、展開もあり得ますねー」

「あ~……そうなったら最悪やなあ」


 しかし、曹操は諸将を前にして言う。


「麗羽(袁紹)はああ見えて、基本を外さない将軍よ。1の敵に対しては必ず3で当たる。虚を突こうとせず、正面から当たる。そういう戦い方をする。奴に合わせていては必ずその展開となり、万に一つも勝ち目はない……常識的に考えて万に一つも無い勝ち目なら、常識の外で活路を見出すまで」

「……」

「完膚なきまでの敗北の可能性を常に孕みながらも、万に一つの勝ちの目を手繰り寄せてみせよう。ふふっ……あいつの顔を、官渡で見るのが楽しみね」


◇◇◇◇


「――――まさか曹操が本当に打って出てくるとはな! 貴女の読み通りね、雪蓮」


 南方戦線にて、孫策率いる一軍は、袁術方として、寿春近郊にて後詰めとして陣取っていた。


「ここは領土の割譲を受け入れてでも、袁術と和睦し、黄河を盾に全力で袁紹と当たるが常道だが……」

「和睦なんてタマじゃないでしょー、あのお嬢ちゃん、ナリはちっちゃいけど気は滅法強いんだから」


 自身の半身とも呼べる周瑜の意見に、孫策は馬の頭に顎を乗せながら、いまひとつ気の抜けた素振りで答える。


「貴女と曹操は、親交があったか?」

「ええ。黄巾と虎牢関の時に、遠目で目が合ったわ」

「……それは、世間一般には知っている、とは言わないな」

「なんとなく……ね。あのコと私は、なんだか似ているような気がするのよ」


 孫策には、相変わらず覇気がなかった。

 それは、なんとなくこの戦いは、自分たちとは関係ないところで始まり、終わるのだろうと、彼女の動物的ともよべる絶対勘が、無意識のうちに悟っていたからかもしれない。


「うちのおじょーサマは? もう曹操の領内に入ったんじゃない?」

「匡亭で、先鋒の李豊が夏侯淵と衝突した。この戦闘での曹操軍の疲弊を見計らい、手前の封丘に布陣した袁術の本隊が援軍し、撃破する。このままならば、張勲の事前に立てた作戦通りになりそうだが……」


 孫策は周泰を隊長とする優秀な諜報部隊を抱えている。故に、属軍の立場でありながら情報は袁術軍の誰よりも早い。


「雪蓮さま! 冥琳さま!」

「明命! どうした、変事か!?」

「はい! 移動を開始した袁術様の本隊を、曹操軍が急襲!! 前線は大混乱に陥っております!」


 周泰の一報を聞くや否や、孫策は獲物を前にしたネコ科の動物のように、だらけさせていた背筋を音も無くすっくりと起こして、馬首を返した。


「行くわよ」

「雪蓮? 救援にか?」

「まさか。この戦は、もう決まったわ。袁術の兵では、曹操に触れる事すら敵わないでしょう。数の優位などは無いも同じ」

「ならば、どこに!?」

「江東よ」

「……!!」


 あまりの判断の速さに周囲が困惑する中、孫策はひとり、獰猛な笑みをこぼした。


「思いがけず、機がやってきたわ。ここからが私たちの戦。手始めに、孫呉の――――始まりの地を、返してもらいましょう」


◇◇◇◇


「そういえば、言い忘れていた。この曹孟徳には、防ぎ、しのぎ切る気など、毛頭ない」


 いったいどこから現れたのか。完全に、想定の外。魔王を思わす羅刹の主は、混乱する袁術軍の将兵を前に、あるいは独り言のように、宣言する。


「倒すのよ。完膚なきまでにね」


 地上に存在する、通り道の悉くを滅ぼそうかと思えてくるその軍団は、かつてその戦場の誰しもが経験した事の無い速さと強さで襲い掛かった。

 火ぶたを切ったのは、草を薙ぐかの如く万衆を切り払い、道を作る方天画戟である。


「りょっ……呂布だあぁーーーー!!!!」


◇◇◇◇


「……かくて、わずか二千の兵を以て袁術本隊を強襲し、袁術本人を一時、生死不明に追い込むほどの大勝を収めた曹操は、袁紹の渡河前に袁術を叩き、揚州まで追いやる事に成功する。この敗戦に乗じ、孫策が叛旗を翻したことにより袁術は曹操軍への反撃どころではなくなり、曹操の南方の憂いは無くなった。曹操と袁紹は官渡にて決戦する。曹操軍は数倍もの敵軍を相手に死力を尽くして戦うが、しだいに数の圧力に追い詰められていく。あわや最後の防衛線が突破されるかと言う矢先、曹操自ら率いる騎兵五千が、袁紹の食糧基地、烏巣の襲撃に成功した。兵站を失った袁紹軍は総崩れとなり、袁紹は黄河の向こうへと撤退する。歯ぎしりをして逃走する袁紹の背に、『見なさい、花嫁泥棒が逃げるわよ!』という曹公の笑い声が木霊したという……めでたし」

「勝手に締めるなバカモノ! まだまだ天下どころか北も南も収まってはおらぬわっ!!」


 名談師のような語調で独り言ちた武蔵に、春蘭はがぁっと怒鳴りかかる。


「仕事……たってなあ。ないべ? やること」

「従軍すればよかろーがっ! どうせ貴様が出来る事など戦い以外あるまいっ!!」

「秋蘭の南征軍はもう出立しちまったじゃないか」

「なら私の北伐に付き合えよ!! 袁紹を倒したとて、河北四州に未だ残党は散らばっておる、戦う場所などいくらでもあるわいっ!!」


 この武蔵と言えば、くだんの、二つの大戦でろくに戦わなかったばかりか、その後の掃討戦にも参戦しないので、彼女がそう怒鳴りたくなるのも当たり前と言えば当たり前であった。


「しかしなあ、俺の得物は折れたまんまだし、脇差一本じゃあ戦えんぜよ。口惜しいがなあ」

「貴様の“ニホントウ”を模した苗刀が大量生産に成功し、全軍に支給されたのはもう三か月も前の話だが……!?」

「いやあ、もう今日は酒飲んじまったし。惜しかったなあ」

「ようするにサボりだな? サボりたいだけなんだな?」


 ビキビキ、と、そのこめかみに青筋が浮かんでいた。


「春蘭……うるさい」


 むくり、と、武蔵の膝から頭をもたげた。

 美しい声と(かたち)をした少女である。

 呂布、字を奉先と言う。


「ふわあ……」


 猫のように伸びをしながら、あくびをする姿はただの少女であるが、鬼神も竦む大陸最強の戦士としての武者姿は、いまだ全軍の記憶に新しい。


「恋、春蘭が聞き訳が無くて敵わんのだ。お前さんからも言ってやってくれ」

「客観的に見て聞き訳がないのはどちらであろうなあ……!!」

「うん……むさし」

「ああ」

「はやく、子作りしよう?」

「ぶっっ!!?」


 唐突な物言いに、春蘭は空噴きした。


「きっ……さまあっ!!? 真っ昼間からなにをばしよっとるかぁ!? 事と次第によってはこの場でぶった斬るぞ!?」

「落ち着け春蘭。大いなる誤解を生んでいる。俺は悪くない」

「春蘭……うるさい」


 ぶんぶんと大朴刀を振り回す春蘭の攻撃をごろんと転げて躱すと、膝の間で猫のように身をまろばす恋がもれなくついてくる。


「りゆうをのべる……ひとつめ。むさしは命のおんじん」

「ぬう? 半年前は殺し合った仲だというのになぜ突然そーなる!」

「恋がむさしを殺していたら、恋は曹操に殺された。むさしが恋に勝ったから、恋は助かった。恋の友達も助かった。だから、おんじん」

「ぬっ……」

「おんじんにはおんがえし、しなきゃならない。けど、恋にはむさしにあげられるものがない。カラダくらいしか、むさしにまんぞくしてもらえそうなものがない。だから、しゃーない」

「いや! そのリクツはおかしい!! もっと自分を大切にしろ!! それによく見ろこの顔! 犯罪者だぞ」

「おいこら」

「……ふたつめ。回族のふっかつのため」


 しゅび、と、発言を遮るように二本目の指を掲げる。

 案外、こう見えて弁が立つようだ。


「一族のふっかつは、恋のねがい。そのために、つよい子が要る。恋が孕むのは、つよいおとこの種じゃないとだめ。恋より、つよいおとこがいい。恋よりつよいのは、むさししかいない。だからむさしでないとだめ」

「……い、いや! そのリクツは」

「正しいな! いや、まったく正しいぞ! 恋殿!!」

「――――星!? ええい、またややこしいのが! どっから湧いた!?」

「湧いたとは失礼な。愛あるところに趙雲あり。性あるところに子龍あり。我事において後悔せず、いづれの道にも別れを悲しまず。いつもニコニコ、貴方の隣に趙子龍。童でも知っておるぞ?」

「いつもいつも、其の場の出まかせにしちゃあ、よくもずらずらと言葉が出てくるもんだな」

「お褒めに預かり光栄にござる、わが師よ」

「褒めとらんぞ」


 仰々しく振舞う趙雲に、武蔵はずる、と、意に介さぬように酒を一口すすった。


「ただでさえ、ヒトの命の儚きこの乱世。新しき命を紡ごうとする肉体の情動を、慈しみこそすれ、拒む理由がどこにありましょう。まして我々の稼業など、明日に骸となってしてもおかしくはないのです。まさに食事に同じ、食える時に、食う!! 乱世においては正直こそ美徳ゥ!!」

「やかましい、万年脳内桃色仮面が! 少しは慎みというものを持たんか!」

「ふっふ、春蘭どの……これほど子作りに適した肉体をしておいて、カマトトぶるとは捨て置けぬなっ!」

「に゛ゃあっ!?」

「おおう、この乳尻太もも……予想以上だ。まさに猛夏侯というにふさわしい……」

「こっ……んの変態仮面がぁああっ~~!!」

「……むさし。恋もこづくりにむいてる……とおもう……」

「やっかましい! きさまら二人、其処に直れ!! 逆賊の前にきさまらから討伐してくれるわー!!」


 ひらり、ひらりと身を躱す二人を、春蘭が唸りながらグルグルと追い回す。

 そんな日常そのものの中で、武蔵はまたひとつだけ、酒をあおった。


◇◇◇◇


「……おや?」


 ふと、気付くと、あれだけやかましかった春蘭も星も、恋も居ない。

 空は暗くなり、風が冷たくなった。

 気付けば、夜だ。


「――――ずっとそこで、そうしていたのか。いつからそうしていた?」


 少し低めの、よく耳に馴染んだ女の声が、武蔵を呼ぶ。

 

「速いな。南征はもう終わったのか?」

「ああ。だが、またすぐ発つ。次は西だ」

「さすがは機動戦の達人。縦横無尽とは秋蘭の事だ」

「お前と違って、やるべきことが決まっているだけだよ」


 夜風のような、静かで落ち着いた声だ。

 武蔵の横に腰掛け、その瓢箪をさらった。煽る唇には、月が映った。


「呂奉先を超える死闘を求めているのなら、もうそんなものを期待するのはよせ」

「あ?」

「伝説の時代は終わる。これから先、戦いは数字と戦術ではじく。乱世はもうすぐ平定される。おまえの剣は宝として、我が軍に、そして後世に永く残るだろう。だが、おまえを満たすものは、もう戦場には、無い」

「飢えてなどおらんよ、俺は。そんな歳じゃあない」

「そうだとすれば、案外、自分の事はわかっていないんだな」

「ふん」


 盃を無くした武蔵は、ごろりと寝転ぶ。草木が少し冷たく、肌を湿らせた。


「幸福に、興味はないのか?」


 ふと、月明かりが遮られたと思うと、秋蘭が仰向けの武蔵を覗き込んでいた。

 遥か彼方まで射抜く鷹の目の、睫毛は震えるほどに長い。


「幸福?」

「朝と共に目覚め、畑を耕し、子と戯れ、つがいの手を取り、食卓を囲み、笑い、月に感謝して眠る。そうして目覚めた時、眠る前と何も変わらぬ姿の家族がいる事を」

「……それは、幸福、なのか?」

「幸福だよ。私は……私の為すべきことをすべて果たしたら、あとは、ただそれだけを望む。それがあれば、それ以上など、望みはしない」

「俺には、わからん」

「知らないだけさ」

「お前は、知っているのかい?」

「知らないよ。けど、憧れはする」


 秋蘭の、女性にしては短い髪が頬をくすぐった。

 甘い匂いがした。


「……俺はもう、百では到底きかぬ数の人間を斬り殺してきたんだぞ」

「私だって、そうさ」

「拭えぬほどに血まみれの手で、家族とやらを抱き締めるのか?」


 ふ、と。一瞬だけ、温もりをそばに感じた。

 そして、それはすぐに離れた。


「……それが赦される時が来ないのなら……そんな人生は、あまりに哀しいよ」


 すくりと、秋蘭は立ち上がると、何事も無かったかのようにその場を後にする。


「夜明けには発つ。お前もいつまでも其処に居ないで、中で休め。いくら頑健が売り物でも、風邪をひくぞ」

「秋蘭」

「……?」

「気を付けて往け。まだ死ぬなよ」


 寝そべったまま秋蘭の背中に投げかけた声に、彼女は振り返らずに、フッと笑った。


「お前もな。まだ生きていろ」


 ひとりになった、月は、煌煌と明るい。


 ――――ほどなくして、曹操軍は南は南陽から荊州北端、北は河北全域を制覇するに至る。

 もはや大陸最強の勢力としての地位は揺るぎないものとなり、天下の志士は乱世は曹操一強であると認識し、徐々に恭順の向きを強めるのであった。


ようやく曹操軍が大陸最強の勢力になりましたっていうお話でした。

この間、仲間内で「創作物におけるシステマの登場率は異常」っていう話になったけど、実際にロシアに行った時は空手かブラジリアン柔術が多かった印象。あと合気道。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ