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第九十六話 「往くか、斬るか」


(……力の塊のようだ。それも、とびっきりの)


交差させた二刀の先、紅碧玉と同じ色をした瞳をもつ、まるで屈んだ鶏のように小さな構えを取る、身の丈五尺五寸余りの少女を、虎のごとき体躯を誇る巨漢の武蔵はそう評した。


(この身体に納まっている力は、恐らくは俺より上)


 その独特の構えは、爆発寸前の原子力爆弾のように、溢れんばかりにみなぎる力を、小さく、小さく凝縮していた。

 一枚の布紙を何重にも折り畳む事で、ナイフを阻むほどの耐久力を為す紙甲、炭石に超重の圧力を加え続けた末の形質変化によって生成される金剛石の如く、全身の骨格を短く、短く、詰めに詰め、自らの重心を支えるたった一点にめがけて構えを小さく折り畳むことで、一軍の敵を鎧袖一触に薙ぎ払う破格の暴威を、とてつもなく高密度な塊として集約している。


 そのほとばしるほどの、力の源泉は何だ?


 生まれ持った魔人の如き膂力か? 天災の如き技の冴えか? 越えてきた死線の数か?

 どれも違う。

 ――――それは、怒りだ。

 怖れも、嘆きも、憎しみも、すべて焼き尽くしてしまう真っ赤な怒りだ。

 ひとたび燃え上がれば目の前の悉くを滅ぼしつくすまで止まらぬ、熱風の如き想いの強さが、その破滅的な力を生み出している。


「おまえ……なぜ、斬れない? ……嫌なやつだ」

「少々、いつも通りにいかんからといって短気を起こすな。若い者の悪い癖だ」

「…………――――死ね。」


 呂布が咆える。天を、地を、その狭間に存在するあらゆるすべてを震わすような咆哮。


「――――……っつ!?」


 直接、立ち会っていたわけでは無かった。

 しかしその剥き出しの暴威に、大陸を代表する歴戦の猛者たちすらもが、思わずしりもちを付きそうになるのを、やっとの事で堪える。

 『胆を潰す』というのは、こういうことを言うのだろう。


「……いい、殺意だ」


 唯一、真っ向に立つひとりの剣士は、まるで涼やかな風でも受け止めるように、無限大の闘気に全身を晒していた。

 微笑すら浮かべているかのような口元の隣を、一筋の汗が伝う。

 ――――脂汗とは、何年ぶりかな。

 まともに触れれば骨すら残るまい。これほどの武、同じ時代に二人とはおらぬ。

 これは、良い相手に出逢えた。これほどの相手が、これほどに猛っている戦場で、邪魔立ても無い一対一。

 存分にやらせてもらおう。


「ッッツツ!!!!」


低く飛び込んで振るう呂布の脛薙ぎを、武蔵は小さく短い跳躍でかわす。

返す刀の横面打ちの柄が、構えていた大木刀にぶつかった。


「ーーーーッ!」


 方天画戟を受けた武蔵の骨の髄が、ビリビリと軋む。

 鍔迫りに詰まった大木刀を、呂布は膂力で強引に押し飛ばす。本当に、武蔵の半分以下の体重とは思えぬほどに、身体の力が強い。

前に突き出ている太刀を払うように横からぶち当て、間髪入れず突きを打った。

鮮血が宙を染める。


「ッツ!!」


周囲のものが、あっ、と、口を開いた。

武蔵は頭を滑らせるように傾け、自分の面横、皮一枚の側に突きを通過させた。

掠めた切っ先が頬と耳の肉を削いでいったのが、出血と相まって回りのものからはモロに突きを食ったように見えたのだ。


「押されているな……防戦一方だ!」

「あの圧力では無理もない、こうして遠目で見ているだけでも身の毛がよだつ……」

「このままではジリ貧だぞ! 今からでも私たちが加勢すれば……!!」

「……確かに、一対一に拘っていられるような相手ではないッ!」

「――――待て! いまのお師匠は、見た目ほどに劣勢ではない」

「……何?」


 秋蘭が構えた弓を、星ががしっと鷲掴みに抑えた。


「どう見ても不利だぞ! 押しまくられて一本も打ち返せていないではないか!」

「元々、一撃必殺の世界だ。かすり傷をいくら負っても最後に立っていればいい」


 ぶぉん、と春蘭が振り回した刀をひょいと頭を傾けて、星の頭上を通過していく。

 何気ない一コマだが、常人なら死んでいてもなにらおかしくない一振りだ。


「致命打が通らぬ限り形勢はあくまで五分だ。呂布は力でねじ伏せに行っている。そろそろ状況は動くぞ」

「……!?」


いきなりの袈裟斬り。進みながら逆袈裟をもうひとつ。


(使者太刀とか無いのか! えらいやつだなこいつは!)


普通、剣術は自らと相手のが切っ先から間合いを計り、それを見切って攻撃なり捌きなりに移るものだ。その際、様子を見るために軽く出す打ちを使者太刀という。現代格闘技のボクシングで言えばジャブのようなものだが。

呂布の特異なところは、明らかに一足一刀(お互いに一歩踏み込めばあたるであろう距離)の間合いの外なら、一気呵成と突っ込んでくる。

普通なら丸見えの大振りであるから、出掛けに突きを合わせれば難なく向かい合わせ一本だが、呂布の場合、一足で一気にこちらの死地に届いてくる。まるで、飛ぶがごとく。しかもその一打が尋常でなく重い。さらにその後の繋ぎが凄まじく速く、どの方向からでも降ってくるから、武蔵のほうが決まって後手になってしまうのだ。

あえて分類すれば、薩摩者の振るう示現とかいう流派に近い。しかし、攻撃の軌道の読みづらさが全く別物、しかも、頭突き、脛蹴り、体当たりと体術を交え、間合いの長短を織り混ぜてくる。

例えようもなく、真意六合と言う他ない。あるいは、それは『呂布』という名の猛獣である。


「ッツ!!」


 ギャリギャリと金属が摺れる音が、耳を掠めていく。鎬を削る、とはまさにこのこと――――

 そう、鎬一枚分、武蔵は攻撃を逸らし続けていた。自分より疾く、強い剣を振るう者。二天一流の二刀の形は、ただその一点の対策のために考案された形と言ってよい。

 生い茂る枝葉が本丸である幹への打撃を遮るように、その猛撃の勢いを確実に殺し、あと一歩のところで阻み続けているのだ。


「……ッツ!!」


 その、「あと一歩」で届きそうだという感覚が、呂布の攻めを前のめりにさせる。

 武蔵が狙っていたのは、僅かに身体が開く、その一点だった。


(そこだ――――)


 大きく振ってきた切り下げを、太刀でわずかに逸らす。同時に打ち込む右の大木刀。

 それが狙うのは上体ではない、軌道はむしろ低く――――


「下段ッ!?」


 遮るものの無い切っ先の三寸が、呂布の左の脛を砕いた。


「おおっ!!?」

「入った!!」

(――――見事!!)


 受攻一体、さらに上下打ち分けの形となった。これはまともに食った。

 観衆が湧く。武蔵の右の手の内に冴えた手ごたえが残る。


「……ッツ!?」


 しかし同時に、肉体の力が全く衰えていない事を感じていた。呂布の体勢は崩れていない。


「――――ッッツッツ!!」


 呂布が唸る。グンと身体を沈めるようにしならせ、右腕一本で大きく切っ先を飛ばしてくる。

 這い上るような軌跡が、武蔵の肩の筋肉を抉り裂いた。


「なっ……!?」

(あの態勢から―――――)


 左腕の力が抜け、太刀を取り落とした。

 決して浅くはない、鮮血が戦場の土を染める。


「か……完全に入っていたのに……!!」

「あんなのありか!?」

(――――強い……!!)


 完全に隙を突いたはずが、逆に窮地に立たされる。

 その恐るべき底力に、一瞬の希望を見出した曹操軍の将兵は、再び言葉を失った。


「ふ……む」


 ぎっ、と、武蔵は左の拳を握る。

 力が入らない。せいぜい、添えるのがやっとであろう。二刀流は、もうこの戦いでは使えまい。

 呂布はと言えば、おそらく砕けているであろう、左脛の影響など微塵も見せない。再びあの、堅牢極まる低い構えを取った。


「…………」


 一縷の光明が如き好機を、積み重ねた伏線でようやくモノにしても、まくられてしまう。それは絶対的戦闘能力の差を物語っていた。


「いい感じだな――――二天一流」


 しかし武蔵は、力の入らない左手を大木刀が八双に添えて、言い放つ。


「お前さんほどの相手に痛みわけだ。上等さ。二天一流は通用している」


 血液の色は、煌煌と鮮やかである。


「嬉しいぜ」


  生と死の絶え間なく交錯する修羅場の最中、武蔵はまるで少年のように、その手応えに爽やかな喜びを覚えていた。


「この齢になって、まだ、強くなれる」


 武蔵には、とある確信があった。


「俺とは、まるで違う。お前さん、そんなに戦うのが好きじゃなかろう」


太刀を避け、防ぎ、打つ。そのやり取りのすべてに沸々とした悦びを感じる。

己より強ければ強いほど、それを倒す歓びは止めどなく増す。

偽らざる俺の本質だ。

 おまえさんはどうもそうじゃないらしい。

 俺に傷つけられた時より、俺を傷付けたとき、顔が歪んだ。

 俺を……いや、人を傷付ける度に――――無表情の奥に隠した本当の顔が、苦しそうにしているのが見える。

その圧倒的な攻撃力は、一刻も早く、戦いを終わらせたい(さが)の裏返しだ。


「向いておらぬことは、そろそろ終いにしな」


武蔵の八双がゆっくりと脇に落ちていく。

隠剣(おんけん)ぎみの脇構え。櫂の大木刀で見せるその構えは、かつて、とある強い男を破った、その時の構えに酷似していた。


「来い、呂奉先。これで最後だ」


おそらくその構えから振り出される太刀は、たった一太刀。

終わりは、近い。呂布も、それを感じていた。

帰国しました。

強い奴らに逢ってきました。

次かその次くらいで呂布編終わります、たぶん。

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