第九十五話 「呂奉先やぶれたり」
たくさんのご感想、ありがとうございます。
かつて体力的問題からコメ返しを停止してしまったので、それ以来個別にお返しするという事は致しておりませんが、本当はすべての話題に反応したいですし、もちろんすべて読ませていただいております。
もし、ななわりさんぶと雑談をしてくださる方がいらっしゃいましたら、個別メッセージか活動報告にお寄せいただければ幸いです。
あの呂布が構えを見せた。
これもまた、おそらくは誰も見た事の無い光景であろう。
春蘭と秋蘭は、呂布と虎牢関で直接立ち会っている。その時の呂布は無構えだった。
あの時は、本気ですら無かったと言うことだ。
「なるほど。あの二刀は、防御の構えか」
逸早く、その特性を見抜いたのはやはりというか、星であった。
「防御?」
「二刀に分けている事で、守られる空間が一刀よりもはるかに大きい。凪が両手甲を顎の高さまで上げ、それらを障壁のように使って守ることに用法は似ているだろう。お師匠は普段から片手剣であるから、片手持ちになることで戦力が特段、半減するという事はない」
「しかし……と言うことは」
「ああ。おそらく、秋蘭の言いたいとおりだ」
星の解説の通り、二刀の最大の利点は、実は防御にある。両手に一本ずつ刀を持って構えれば、掌握できる間合いが一刀のそれよりもかなり広くなる。
極端な話、相手の打ち込みに反応できずとも、元々、さながらボクシングのガードのように、置いてある刀に阻まれれば、それだけで攻撃は通りにくくなる。
相対する者からすれば、非常に崩しにくい、堅牢の構えである。
そしてそれは、あるひとつの答えを導きだしていた。
「あのお師匠が、片手では余ると判断した。呂布の攻撃力を、自分より同格以上だと認めた証拠だ」
「……!!」
それが、個の武としてどれほどの戦力であるのか。宮本武蔵の剣を知る者にとって、その事実以上に、呂布の“漢土最強”の誉れを裏付けるものなど無かった。
「……大昔、いまはもう、三十五年ほど前か」
武蔵と呂布。ふたりの武人の間を、無音の重圧が押し隔てる。
「かつて盲目の老剣士に、手も足も出なかったことがある。俺はその老剣士の剣にまったく反応できず、破れかぶれで振り下ろした唐竹割りがたまたま、その剣士の脳天を貫いた。以来、その剣士と同等以上の現れたら使ってやろうと、試行錯誤してたもんさ。結局、使う機会は無かったが……」
「……おまえ」
「あん?」
「……みかけよりおしゃべり。もう、はじめていい?」
「ああ、すまんな。こっから先は……」
少しだけ、手の内を締めなおした。切っ先を、呂布の左目へ。
――――宝石のような、澄んだ目だった。
とても、千の兵をたった一人で恐慌させる、怒りに震える亡族の魔人のそれとは思えなかった。
「剣で語ろうぜ」
股関節を緩め、武蔵がやや腰を落とす。
呂布の踏み込みが流星のように爆ぜたのは、それとほぼ同じだった。
「――――ッツ!!」
瞬きよりも短い瞬間で間合いを一気に詰め、雨粒のような連打を浴びせる。
ギ、ギギギギギンッ、と、およそ剣術らしからぬ間隔の短い連続音が響く。
一息する間の、怒涛の六連擊。足運びは走り抜けるように、あるいは地面を滑っているかのように留まらない。
この超攻撃的な連撃力と突進力が、魔人と呼ばれた回族の技、真意六合拳の真骨頂なのだ。
まして呂布の膂力をもってすれば、一発一発が城壁を崩さんばかりの破壊力である。もし軽くでも触れれば人間の肉体など、寒天のように真っ二つだろう。防いでいても、100㎏をゆうに超える体格の武蔵の身体が軽々と浮く。
(砲弾だな、まるで! 姫路の猛牛と組み合った時にだって、これほどの圧力はなかったッ!)
真意六合拳が異様に低い姿勢を取るのは、全身の重心を集める為なのだ。肉体と言う、水袋――――その自在性ゆえに全身に散らばっている重心を、身体中を詰めに詰めて、限りなく中心にまとめ上げる。
氷の詰まった袋と、水の袋。例えば同じ力で投擲した時、どちらの方が遠くまで飛び、速度が出るかは自明の理である。重心をまとめればまとめるほど、同じ労力でより大きな出力が発揮できる。
(速さと重さの両立。それがこの圧力か。なるほど、合点がいく)
連打の中からひとつを選ぶ余裕は無かった。
猛撃の雨の中から、かき分けるように双剣を正中心に集め、鎬を返して、バチンッ、と弾いた。
「ッ!」
呂布の方天画戟が弾き返される。
剣の鎬で、相手の打ち込みとタイミングを合わせて“張る”事で、相手の太刀を弾き落とす。『金剛』あるいは『落錘』と呼ばれる、日本古流剣術の――――武蔵の時代にとっては“最新鋭”の技術の一つ。
剣を正中線に残したまま相手の剣を殺すので、ここで攻守が逆転する。
そのまま、左の太刀を突く。呂布は際の際でその間合いを見切り、鼻先一寸でそれを外す。ほぼ同時。武蔵は右の大木刀を、大きく伸ばして振り下ろした。
櫂で作った木剣は刃渡り部分で三尺三寸ほどもある。左の二尺五寸の太刀からすると八寸も長い、一太刀目の突きを皮一枚で躱したのなら、ほぼ同時に打てば十分に入る。
勝負あり――――“普通”ならば。
「ッ!?」
猫のような、身のこなし。
限界まで反らした上体を捻らせ、武蔵の膝元に体を逃した。
いや、逃したのではない。
「ッツ!!」
方天画戟を振り回せない密着状態から柄尻で顎打ち、跳ね上がる面に頭突き。
鼻の骨が折れる音がする。
「な……!!」
驚いていたのは、武蔵よりも周囲である。懐に入られ、立て続けの被弾、鮮血に染まる顔。
彼のこんな姿は見たことがない。
「――――ッツ!!」
体ごと移動する横薙ぎ一文字を二つ。鞠のように武蔵の巨体が左右に揺れる。
とどめとばかりの突き。身体をよじり、腹皮一枚で躱す。
「……ッツ!!」
呂布の顔が険しくなる。身体を一瞬、沈めてからの横蹴りで、武蔵の身体を吹き飛ばす。
武蔵は数間あまりも転がり、ごろりと一回転して立ち上がった。
「つ……」
間合いが切れ切れ、剣戟の撃音が止んでなお、曹操軍の将兵たちは呑んだ息を吐き出せなかった。
(――――強い……!!)
(武神、呂布……まさかこれほどとはッ!!)
あまりの、呂布の強さに戦慄していた。
あの宮本武蔵が防戦一方で攻め立てられ、泥に塗れて地面を転がる姿を、おそらくは皆、想像もできなかったに違いない。
呂布と干戈を交えた経験のある戦士も、曹操軍には何名か居る。だが、その者たちが皆、呂布の力の全貌を見る事すら叶わなかった。
今、真意六合の本来の構えを取り、真の力を発揮した呂布は、曹操軍中、最強の男をも、まるで寄せ付けぬ強さなのだ。
もはや武蔵が倒されれば、本当にこの魔獣ひとりを、千の兵で以ても止められぬのではないか。そんな気にさえさせてしまうほどの、破格の強さ。
まさに暴力じみた強さだ。
「……おまえ」
――――しかし。
それほどに、誰の目にも明らかな勝負の形勢にあって、余裕の表情を浮かべていたのは、実は呂布では無かった。
「なぜ、斬れない? なぜ……わらってる……」
その男は唯一、この戦場において、呂布の猛攻に晒されながらも不敵に笑う。
「いや、なに――――そうさな……子供の頃のようだと」
ひん曲がった鼻を、親指で戻す。パキッ、と細い音が鳴って、鼻筋が元に戻り、どろりと血が流れる。
「齢三十より以降にした立ち合いは、取るに足らぬ。命のやり取り、勝負であると言えたのは、十三からそれまでの六十余度」
フンッ、と、鼻息を噛むと、ビシャリと血膿が出た。
「俺の身体には、無数の傷跡がある――――戦いとは本来、そういうものだ。血も流れず肉も削げぬような代物が戦いと呼べるか。皆、俺より強い奴らだったさ」
唾を吐けば血の味がした。
そのしぐさとその味に、武蔵はふと、昔の感触を思い出した。
追随を許さぬ剣の才と仙境に達する武の練度で、呼吸をするように敵を圧倒する。そんなものは不自然だ。
武蔵にとって戦いとは、日常とは、そういうものでは決してなかった。
「俺にとっては、此方の方がむしろ自然。そして――――」
戦いとは、ギリギリの境界で、心の臓を奪り合うもの。武蔵にとってはそういうもの。
ようやく、本来のかたちに、久々に立ち戻ったに過ぎない。
「呂奉先、敗れたり。俺とお前には、決して埋められぬ隔たりがひとつある」
血の臭いのする風が吹く。その間に武蔵と呂布、ただ二人だけが居た。
ブロリーの映画、弟と行ったんですが、予想に反して良かった。幼少期をドラゴンボールと共に育った人間として語りたいので、もし観に行った方がいらっしゃいましたらメッセージお寄せ下さい。
来週から二週間ほどモスクワに行って参りますので、少し更新が途絶えますが、今回は失踪しませんのでご安心ください 笑。