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剣豪漫遊記 第八十四話――――――「還る術無きバガボンド」

曹操軍にとって涼州軍が麻痺した今は戦局を逆転させる千載一遇の好機である。だが曹操軍のこれまでの戦いで被った被害は決して軽くはない。この僅かな好機をものにする為には複数の戦線の同時攻略が不可欠であり、その為に如何に摩耗した戦力を振り分けるか、というぎりぎりの見切りが要求された。

駆逐せねばならぬのは三点、本隊を狙ってくるであろう遊撃隊、母体との連絡を繋ぐ陳留付近の物資中継部隊、そして正面に涼州軍を見た時必ず背後から、曹操軍への抗戦を止めず攻撃を続けている徐州残党の劉備軍。

まずは最も寡兵の劉備軍を最小の兵力で攻め、かつ華琳自身が出撃する事で出来得る限り早期に撃破する。どこか一点でも戦線が膠着すれば、それは即、曹操軍の作戦崩壊につながる。

そして遊撃隊に対しては華琳の率いる直轄部隊をほぼそのまま残す事で対応し、物資中継部隊には全軍の中で最高の突破力を持つ夏侯惇・夏侯淵隊を向かわせた。


「――――――実は、そこが一番難しい判断だった。直轄隊とはいえ華琳抜き、もし高順が大博打に出て守りを構わずそっちの方に全部隊を差し向けてきたら、とても防げたもんじゃない。こっちも賭けだった」


その男の乗り馬は、農耕民族の愛馬にしてはあまりに大きく、気高く、気難しそうだった。

青毛の雄大な馬格に、貴婦人の様な気品ある毛並み。目から感じる独特の気性。駿馬揃いの西涼軍中でも中々見る事は出来ない。


「まあ高順の戦術眼なら必ずこっちに反応すると、ウチの大将は信じていたがね。ココはお前らの心臓部。必ず一番速くて強い部隊を向かわせる、そして高順なら敵の最も重要な部隊は自ら叩こうとするだろう、あるいは、高順は俺達の本拠を突きに向かわせた遊撃隊をよっぽど信頼していたって事だが」


跨っている男は、ひと頭抜ける程の立派な馬格が普通のそれに見える様な、屈強で分厚い体躯を持っている。

広い腰、鬼の様な肩幅、太い首。

そんな風貌に似つかわしくない、静かで低い声。


「気に入りませんね」


すらりと背の高い色白の男、駿馬の上がよく似合う。


「気に入りませんし、不可解ですし……それに、決定的な穴がおありですよ、その、貴方方の論理は」


長い一房の黒髪、しかし紳士的なその微笑みに蜥蜴の様な鋭さが隠れていたのは、あからさま過ぎるほど分かりやすい。


「勝てると思っている、私を殺せると思っている。これ以上ない皮算用で、誤算です」


隠す気などは、最初から無かったのだろう。“その”生き方を選択してきたこの男たちが、その臭いを隠さなければならない理由はないからだ。宿命であり、本能であり、心から望んだものでもある。

恐らくそれが、彼らが笑みを絶やさぬ理由。隠し事の無い生き方は幸福だからだ、たとえ他人の目にどう映ったとしても。


「たった一振りの槍が心臓で……魂。それが命運で、悉くを左右している。そういう戦い方はわかりやすいし、圧倒的に強い。だからこそどうなるかも決まり切っている」


彼ら涼州の戦い方は、群れを一顧の切っ先に見立てる狼のそれだ。先頭を駆る一頭が背中で群れを従える。群れはたったひとつの基準のみを指針に纏まるから極めて強固で、迷いを知らない。主が討たれれば群れは一つ残らず綺麗に滅びる。完全に割り切られて、後に残るものは無い。


「武の時代はそのうち終わる。いずれ政の時代が来る。遅いか早いかは知らんが、この国もいずれそうなる。そういう生き方、戦い方はいずれ通用しなくなる。今日の様に」

「本心なのですかね? それは」


未だに抜かぬ武蔵に対し、穂先を突き指した。


「そんな世の中は詰まらないと。居心地が悪いと。まっぴらごめんだと。貴方もそう思っている側の……“武”そのものの人種の様に思えますが」


十間以上離れた所から、穂先の銀色と武蔵の左目の琥珀色が重なる。


「その切っ先を納める鞘をお前は持つまい。不便だろう」

「要らぬのです、貴方の屍を鞘とするから。貴方もきっと、本当はそうして生きたい筈だ」


強い眼光、武蔵の水の様に静かな表情の、口角が小さく吊り上っていった。

僅かに変わった眼の色が、張繍のそれと少し似る。

それを認めて張繍はさらに顕著にもっと笑い、再びさきほどのセリフを吐く。


「皮算用も甚だしい。私が此処に居るのだから」

「ああ。だから俺が此処に居るんだ」


音は無く、スラリと鞘から白刃が顔を出す。

武蔵は穏やかに、小さく頬笑みを浮かべた。






どろの中で咆哮が轟く。猛獣では無い、が、人ともまた判断が付かない。

それは“徐栄”である。

あえて冠を付けるなら、『西涼の戦士』だ。

既に幾本の矢が突き立ち血を流す(せなか)に、ひらりと趙雲が舞う。

一瞬で獲物の首を狩りとる鋭い冴えから身惚れる様な優雅さが消えないのは、趙雲独特の剣風だろう。重力を感じさせない身軽さで暴れ狂う武威に踊り掛ける。


「ッツ!!」


無声の気合が交錯した。丸太の様な大腕が振るう戟が宙を舞う趙雲を身体ごと飛ばす。

拠り付けぬ台風に触った様な感触を趙雲は感じた。一打一打に凄まじいものが籠っていた。

それは腕力の激しさでは無く……


「慣れてるっぽいこと言ってた割にウブだよね」

「あぁ?」

「あんた一対()()のつもりでやってるでしょ?」


着地したそばの星でぼそっと呟いた小男。

数間先では相変わらず風塵が暴れ狂っている。それにわらわらと攻めかかっていく曹操軍の群れが一瞬、蟲に見えた。

じわり、と。風が少し塞ぎこんだ気がする。肉の壁、数の圧力が武威の起こす暴風を徐々に堰き止める。徐々に間合い――――――制空権が詰まってくる。

ガン、と徐栄の愛馬の動きが突っかかるように止まった。曹操軍で最も退く事を知らない将が、弾丸の様に鋭く徐栄の背後に肉薄し、駿馬の尻尾を掴み締めた。


「さっすがぁ、楽進」


するっと趙雲の傍を抜ける様に走りだす、すれ違いざま、にやっと笑ったのが見えた。

低く、地面に楔を打ち込むように蹴立てながら李通の乳切り杖が風を捲く。

徐栄が向けてきた憤怒の眼光。馬上からカッと開いたそれは眼光だけで人を射殺せそうな圧力がある。

李通は冷笑するようにぺろっと舌を出す。そして、駆け寄りながら構えを作る李通を追い越す様に矢が。

小柄な体躯をさらに低くかがめて地を這うように構える李通の頭上ギリギリを掠める様に弩を射てば、それは李通を迎え撃とうとする相手の丁度、首元に刺さる。矢に気を取られればそのまま李通が喉を貫く。

長い前髪から覗く青い目で、淡々とそのタイミングを見極めながら弩を撃つ少女。李通が万億となるよりもさらに前からの、慣れ親しんだふたりのヒトの殺しかた。


「ッ!?」


頸が外れそうな衝撃でもろに、傍目でわかるほど鞭打って徐栄の頭がぶれた。

驚いた表情を浮かべたのは李通。

徐栄は矢を避けるでもなく、さりとて何か策を講じるでもなく。真正面からその首元に弩の矢を受け、そのまままるで端から李通と一対一だったかの如く打ち返してきた。

飛んできた大戟、打ち込む体勢に入っていた身体を強引にきりもませ、顔に刃を掠らせる。未知の熱さと、ふっと重心が軽くなった不可思議な感覚を左半身に覚えた。


「李通!!」


鬼の形相の徐栄の背中越しに楽進が叫ぶ。

李通の軽くなった重さは、そのまま腕一本分の重さだった。避け切れなかった左腕が、皮一枚残した状態でだらんと肩口からぶら下がっている。


「うわぁー、カッコ悪りっ」


気と力が抜け、まるで別物の玩具になったようにぶらぶらと揺れるばかりの自らの腕を、要らないゴミでも放るように残った右腕でぶちっと千切り、杖を咥えながら呟いた。


「ヤだなあ、お前に良いカッコさせんの」


とん、と李通の背中を叩くものあり。実際には蹴ったのだが、小気味よく叩いたように感じるほどに爽やかな感触。それを李通はまろびながら心底まどろっこしそうに見送る。

その主は、まるで上昇気流に乗る蝶の様に優雅に舞って、李通の背中を跳び台に徐栄の上を取った。

義経かくやの八艘飛び、鬼の形相をひんむく徐栄に無声の気合を真っ向から当て、趙子竜の槍は強かにその額を割った。





「李通、無事か!」


落馬した徐栄を追い越し、打ち捨てられた腕を拾って凪が李通に駆け寄る。それを背中で隠すように、星は残身を崩さず呼吸を深く鎮める。


「あー、なんだこれ……寒いんだか熱いんだかわかんね。気味悪ィな、この痛み」

「李通……」

「なんだよ楽進……あ~それ? いーよ、千切れちゃったらもう俺の腕じゃないし。今日の晩飯にでもしようぜ。久しぶりに肉食える」

「……お前はどうなってもお前だな、万億……!?」


沈痛な面持ちで腕を持ってきた凪も、そんな言葉を差し向けられてはさすがに顔が引き攣った。李通はと言えば、血をどくどくと流して地面を赤黒く染め、額に汗が滲むものの表情はいつもと変わらない。

星が呆れた様な声で呟いた矢先、緩みかけた気合が目にはッと戻り、ピッと槍の穂先まで張り詰めるように走った。

乗り馬も力尽き、血飛沫を上げて大の字に落ちた巨体。それが、ぬうっと起き上がり、影を作りながら立ち上がってくる。


「不死身か、お主は」

「しつけェなぁ……死ねよ、早く」

「まだ……戦う気なのか!?」


ぷしッ、プシっ、と脳漿混じりの血を噴き出しながら、巨躯が持ち上がる。ぎょろりと活目した目玉があたりを見回すと、勇壮な騎兵は皆、物言わなかった。漢人の顔の中に、唯一自らだけが立っている。

何かを決したように胸骨やや上に突き立った矢をやおら掴み、弾く様に引き抜いた。血管がバキバキと浮かぶ拳がまるで線を引いた様に、朱色の鉄砲水を噴く。


「生と死の狭間に立っても……大勢で取り囲まなければ不安はぬぐえぬのか。それでも尚、土壇場では一握りの勇士に窮みの窮みを託すしかない。万里の長城のさらにその内側でも城市を築いてその中に籠らなければ安心できない。自らの安全を確保しなければ身動き一つ取れない貴様ら漢人の生き方は……俺には哀れに映る」


ごぼ、と大量の血液が口から流れる。それと一緒に滔々と流れた様な言葉の調子は驚くほど平坦だ。

未だ腰を沈めたままの李通がへ、と笑った。笑うしかない、そんな顔で。


「西涼の戦士が何故強いか教えてやる」


徐栄が言う。

濁った声だ。血で濁った、地の底から出る様な声だ。


「生きる力だ」


徐栄が言う。正真正銘、最後の一兵となりながら。


「貴様らが作った“中華”と言う名の糞の噴き溜がどれほど俺達の“生”を否定しようとも、抗い続けると決めて生きてきたからだ」


万集の中、地を埋める味方の屍。愛馬さえも潰された。肉体は満身創痍、状況は絶望的。流した血は黒くて柔い臭いを満たす。

それらは、矛を止める理由にならない。

そもそも……止める術は持たなかったのかもしれない。

咆哮を上げ、爆発するように徐栄は猛った。地を踏み締め鳴らす水牛のような突進を楽進が受け止める。旋風を巻き上げる薙ぎ払いがもろ手で受けた鬼小手ごと身体を軋ませる。受ける形で一瞬固まった楽進の首を徐栄の太幹のような腕が鷲掴みにして、そのまま小柄な体を振り回す様に締め上げてしまう。

息が詰まった楽進の表情に鮮血が飛ぶ。楽進のそれではない、力を込める毎にブシッと血が噴き出す徐栄の傷だらけの肉体から飛び散ってきたもの。

全身から滴り溢れる血液は、徐栄の体内で燃えていた生きようとする意志の力、そのものに思えた。その表情が物語っていた。言葉に出来ぬ、凄まじい形相が。

みるみる細い首を締め上げる腕の肘を冴えた一閃が抉る。パコッと筋が外れて曲がらない方向に曲がり、骨が突き出た。ぎろり、と徐栄の目がそちらに剥く。すでに人ならざる眼光を発す視線の先には、研ぎ澄まされた顔の趙雲が居た。

毀れながらも未だ失われない握力で以て楽進を膂力任せに地面に投げ叩き付ける。大躯を翻して趙雲に襲い掛かる。食い縛られた歯に、撒き散らす血と涎。毀れた左腕を伸ばしてくるのに合わせて、突く。

掌の中心から綺麗に腕の中まで突き通すように刃が入った。それでも、徐栄が止まらない。抜こうとして抜けず、趙雲の顔色がハッと変わる。既に言う事を利かなくなった腕の筋肉のみを力みで締め上げ、刃を拘束して右片手でのみ戟を振るう。咄嗟に趙雲は敵の肉体に突き刺さったままの槍を利用して軽技の様に

身体を反転させ、宙を舞う。轟音が髪の先を掠めていく。

槍がズルッと抜け、空中でバランスを直して着陸した趙雲に二度目の打ち払いが襲い掛かる。ガン、と音が響いて、それは身体ごと持っていった。徐栄の一撃を受けた柄が衝撃を吸収しきれず顔に当たる。綺麗な形の鼻が潰れて、額が裂けた。美しい顔立ちが血で染まる。

吼えながら身体の流れた趙雲を追い討とうとする徐栄の歩み足をがしりと掴むものがあった。構わずグンッと踏み出す、が、離れない。そこで初めて徐栄が視線を足元に落とした。身体全部で抱きつく様にしがみつく、楽進のカッとした泥まみれの鋭い顔と視線がぶつかった。

高く唸るように戟を振り上げ――――――しかしそれよりも速く。再び、槍の一閃が貫いていた。今度は、徐栄の腹を。

たたらを踏みながらも体勢を立て直した趙雲が、一瞬無防備になった徐栄の伸びた脇腹に飛び込みながら槍を突き入れた。そのまま全体重を掛けて、ズブリと肋骨の隙間に差し込む。

一瞬だけ動きが止まり、今一度、咆哮した。ズブズブとさらに槍が食い込む。血が吹き出る。趙雲がやっているのではない。徐栄が、自ら突き刺さった槍に構わず、趙雲に向かっていった。

ゴリリと、ぶしゃッ、と妙な音が聞こえて、ついに背中から切っ先が突き出た。それでも止まる事無く柄の部分まで腸に埋めて趙雲との間合いを詰め、再びがむしゃらに戟を振り上げた。


「そんなに生きてェか……? わかるよ、俺もそうさ」


極太の首に巻き付く二本の足。七尺を超える巨体にかぶさった五尺と少しの身の丈。片腕を失った身体がむしゃぶりつき、逆手のまま杖を持って目一杯の力で左目に突きいれた。

李通は声を殺したまま、ぐちぐちと捻る様に目玉、それを貫いて脳へ、ゴッ、ゴッと頭蓋骨を内側から叩く様に、腕、肩、太腿、背筋まで目一杯使って、とにかく渾身の力を込め続けた。

李通は据わった眼で見ていた。全身ぐしゃぐしゃになりながら、残った右目の光を全く翳らせずこちらを睨み続ける徐栄を。凪も、星も、全身に渾身の力を込めていた。

やがて徐栄が膝を付き、ついに前のめるように崩れ落ち、やがて痙攣し出してそれが徐々に小さくなって沈黙するまで、三人は全身を強張らせていた。




「……げほっ」


渇いた喉がくっつく感触があって趙雲が咳を鳴らした。

昂った心が、夜風で冷まされるように徐々に鎮まる感覚がある。既に鬨の声がしないことに気付くまでになるのはもう少しだけ時間がかかるだろう。


「……チッ」


討ち取った徐栄の骸の脇で蹲る様に座り込んだ李通が額を地面に付ける様に沈み込み、糸の切れた人形の様に小さな舌打ちをする。


「もう寝る、起きなかったら……そのままにしとけよ」

「安心せい、憎まれっ子世に憚る」

「血止めだけはしておいてやる。どうせ朝には起きるだろう」


星と凪の言葉の最中に、もう李通は泥の様になりいびきも無く深い眠りに入っていった。

すぐに星も腰を下ろし、槍を地面に突き立て、抱く様に上半身を預けて深いため息をついた。

関節のバキバキとした痛み、筋肉が熱飽和したように重だるい症状を自覚する。全身に纏わりつく血と汗、脂、充満する死の臭い。疲労の自覚と共に急速にそれらが鈍くなり、どうでもよくなってきた。洗い流すのも億劫で、李通の様にこのまま泥が融ける様に眠りたかった。

それは彼女らだけでは無く、この戦いに参加した兵士たちが皆、満身創痍だった。既にこの地平で息の根があるのは味方のみ、脅威は完全に駆逐していた。

だが勝ち鬨を挙げる者は無かった。誰が勝者かわからぬ程に、誰一人余裕なく全て出し尽していた。


(生きようとする力……か)


唇すら重く感じた。

投降者、逃亡者、たったひとりも居ない。文字通り死ぬまで戦い抜く死闘だった。星は、そういう強烈な意思の力を相手に命の遣り取りをしたのは初めての経験だった。

生きようとする力。星が強烈に感じ追い立てられたそれは紛れも無く意思の力そのものであったが、何故だかそれは間違いなく生きようとする力なのだが、死に向かって真っ直ぐに飛び込んでいく様なものにも思えた。

曹操不在の曹操直轄隊責任者・趙雲に戦果を報告するものは無い。ただ精鋭・徐栄隊の壊滅と涼州十健将のひとりとして勇名を馳せた猛将・徐栄の戦死という結果のみが、事実として残る。






「女の好みに煩い方だろ?」


互いの間合いが触れあった瞬間に閃光が煌めき、弾かれる様にまた離れる。

化学反応の様に鋭い刹那の一合の離れ際に、武蔵の置き去りにしていった呑気な問いは張繍の耳にも届いていた。


「ふん?」

「散って弾ける刃鳴は百万言の自己紹介よりも多くの事を語ってくれる」


一流の武人は、構えだけでその人間の人となりがわかるという。

性格も、嗜好も。行きたがりか、どっしり構えるのか。話好きか、そうでないか。

どんな考えの持ち主で、今何を思っているのか。


「似合いませんね、貴方にそういうのは。才能が多彩過ぎるのも考えものだ。持ち過ぎれば余分になる」

「うん?」

「巧みに詩を並べる才など、貴方には不要ですよ。言葉よりずっと疾い馬が何かを知っているのだから」


彼らが会うのはこれが二度目。共有した時間は述べで数十秒、長くて数分。改まって会談した事も無ければ、酒を酌み交わした事など勿論ない。

それでも彼らにとって、その会話は唐突なものでは無かった。


「私が父を討ち群れの長になったのは十七の頃です。以来、私に後退の術はありません。生まれた時からそうだったのかもしれませんが……」


構えた姿が美しい。そう思える武人はそう何人もいるものではない。


「走り抜けるだけが私の人生ですよ。何があろうとも。恐らくは父もまた」

「……疲れ果てて擦り切れて最後に消えて無くなっても?」

「納まる鞘は要りません。それはとても幸福な事でしょう?」


矛が翻った。人馬一体の獣が突進する。鏃の切っ先のように風に灼ける。

風を枕に、草原を棟として馬という友と生きる。自然の与えてくれる恵みは自分でも他人でも誰のものでも無く、草花や土や岩がそうであるように自らもただそこにあるだけ。何も持たず、何も欲さず、蒼き狼と白き雌鹿の与えてくれた幸運に感謝して暮らす。大地を駆ける西涼の民。

そんな魂も生き方もとっくの昔に血塗れにされてしまった。

声が枯れるまで叫び、子は大人になる前に死に、人肌の優しさは一夜限りの凍えた温さしか知らず。ズタボロになりながら同じ肌と目の色をした者と太陽と月が何度巡り続けても殺し合う。心臓が止まるまで停まる事は許されない。

父と子が殺しあってでも戦いを続ける事を宿命づけられた涼州人。そんなものをおっ付けたのも全部、お前らの色んなものを奪っていった漢人なんだろう。

恨んじゃいないのかい?


――――――閃光がきらめく。肉の弾ける音がした。


わかりませんねェ、でもそんな風に見えてはいないでしょう?

擦り切れて無くなる、それも悪くはありません。でもそれよりは、それよりは。

よく見る夢があるんです。

馬を駆けさせ、森の中に入るのです。飛び出た枝先、突き出た岩、目の前の障害物を紙一重で避けながらどんどん速度を上げていく。

余計な動きは致しません、速度を上げていたいから。

障害物はどんどん多く、厳しくなっていきます。それでも速度を上げるのはやめません、限界まで、限界まで。

肌は裂け、耳が千切れ片目も潰れ礫と枝葉に全身を傷だらけにされながら、森を抜けると山の頂きへ。

視界にはすかんと抜ける様な青空、そしてどうやっても躱せない巨大な岩肌が。

止まる? 嫌です、したくないんです。やり方も知らないですから。だから私は、持てる全てを出し尽して馬を追う。行けるとこまで、出せるとこまで速くなって、疾くなって、そうして激突する。

骨も肉も愛馬も、私を構成する全ての要素が砕け散り、真っ赤に染まって、木端微塵にね。弾け飛んだら跡形も残らない。

そういうの。なんでしょうね、良いと思いませんか? 貴方も。


「――――――ッツ!!」


張繍の身体が浮く。武蔵を運ぶ貴婦人のような顔をした漆黒の青毛の頭が、張繍の駆る駿馬の鼻先をかち上げた。

左脇から、すうっと斜め上に線を引く。一瞬遅れて、血が噴き荒れる。


「良い馬をお持ちで」

「ああ、佳い女だろ?」


振り上げた形で肘から両断された腕ごと、張繍の長くほっそりとした指に握られた矛が地面に墜落するよりも速く。武蔵の銀の線は翻る。

血の水玉よりも速く。

ドン、と音が鳴って、張繍の首は刈られた。返しの刃に揺らめいていた一房の長い黒髪。顔は、笑っていたように見えた。






ごくっと、思わず唾を呑んだ。髪を団子に纏めたうら若い乙女の様な兵士。彼女の、いや彼女の部隊の鎧は血はおろか汗すらまだろくに吸っていない。

早々に終わってしまった。


「すげえ……官渡砦を一瞬で陥とした張繍をたったの二太刀で!」

「曹操軍の切り札……あれが天下無双の技か!」


なんでみんな一言に纏めるのが好きなんだろう、分かり易いようでわかりにくいのに。

武蔵がある時そんなような事を言っていたのを思い出す。

武蔵が仮にその言葉を口にするとしたら、彼らのそれとは恐らく中身が違う。

さっきの技も立ち合いも、きっと彼らの想像している“天下無双”という言葉とはまるで別の次元にある。

恐らく二人が交わした意思もそうだろう。


「郭淮」

「はっ!」


ハッと視線を上げて、団子髪が揺れる。


「奴らの組織の仕組みは、頭が求心力の全てを担うもの。頭を取ればそれで崩せる。そうだったな」

「はッ、後続の夏侯淵・夏侯惇隊が到着すれば、ほどなくして敵軍を殲滅出来るでしょう!」

「そうか。じゃあ、次に俺たちが取るべき行動は?」


馬上の大男を見上げて直立不動だった少女が、唇で人差し指をついばむ様な格好で俯き加減、そして目を真剣味に尖らせる。

やがてカチリ、と何かが嵌った様にバッと表を上げる。


「申し上げます!」

「うん」

「敵が部隊としての機能を失った今、この戦場に二部隊の戦力は過度! また死を恐れぬ涼州兵ひとりひとりを殲滅しようなどと思う事は禁物! まず夏侯惇隊に伝令を飛ばし曹閣下の元に帰参されたしとの指示を伝え、歩兵中心の我が隊は機動力の高い夏侯淵隊を支援する形で戦後の掃討・収拾に当たるべきかと!」

「成る程。それで、俺達が次に戦うべき相手は」

「残る特記戦力は……高順、李確、、郭汜、それに呂布と……曹操直轄隊が交戦する徐栄と、張遼将軍との戦闘を続けている元・我が軍の華雄であるかと!」


歳は15か16歳の程度だが、利発で物事をよく捉え、計算が速い。

長ずれば華琳の側近として首脳を担える人材になるか、あるいは中央から離れた所で独自の判断の下に局面を動かせる人材になるだろう。


「うむ。じゃ、ま……宜しく頼む」

「はいっ!」


サッと返事をして、パッと掛けて行く。

後ろ姿を見送り、貴婦人が嘶いた拍子にふと足元を見た。

蜥蜴の様に凶悪な、曇りの無い満面の笑みと目があった。


――――――静かに毀れていくよりは、ずっと良いじゃないですか。そうは思いませんか? 思いませんかね……


「…………」


西涼の民は自然と調和し天地を親子とする気ままな遊牧民だった。後漢のはじめ、光武帝・劉秀の侵略を受け、同化政策を受けた。

地平線の彼方まで等しく母であり、誰のものでも無かった大地には仕切りが設けられ、囲いの名は「涼州」とされて言葉、文化、生活、彼らを構成していた様々な要素に手を加えられ、変えられ、奪われ、一切の産業活動を禁止された。

狩猟採集も、家畜の放牧も、漢人達のやり方である農業すら許されず、彼らの生きる術は戦闘と略奪だけになった。以来、彼らは平原のあらゆる部族に戦いを挑み、同族すらも糧として怨みと憎しみを積み重ねて、青い草原を赤く染めた。

そうして二百年が経った頃、地上の誰もが恐れる殺戮の火となって、漢土を燃やし尽くす為にやってきた。


「そうさなァ……暖かいゆたんぽみたいなもんがいつでも側にありゃそれが一番だろうけど、そうウマくはいかねえもんなあ……あったとしても今更、受け入れるのもねえ……」


武蔵が呟く。


「……涙は、流れなかったのか?」


武蔵が問う。

答える声は、既に無かった。

興味本位の質問ですが、僕がまじこいの二次と異世界アドベンチャー的な一次を書くとしたら、皆さんならどっちが読みたいでしょうか。

まじこいは心とマルギッテ姐さんが超絶好みであり、最近シチュエーションを思い付いて書きたくなったわけですが、まだ全キャラを完全に把握しては居らず見切り発車的弾丸投稿になる可能性大。

一次の方は今冒頭から導入を六千字くらい書いてて、頭の中では完結までの流れが出来上がってるんですが実際に起こして完結させるのはかなりの長期計画になるよかん……まあ剣豪漫遊記みたいな感じになると思います。

今だから言える事ですが、剣豪漫遊記のストーリーと結末が今の形ではっきり固まったのは結構後になってからなんですよ。だからそれに比べればまだマシか……とは思いますがいかんせんリアルワールドが忙しいこっつ。


tinamiで投稿されてるabausさんという絵師さんが超好み。

勝手に名前挙げるのはどうだろうと思いつつ、凄く格好良い恋姫のイラストを書く人なのでお薦めしちゃう。


前の投稿から三カ月も経っていたなんて、さすがに自分で驚きました。もしなにも予定の無い悩む必要も無い空白の一週間をくれれば騎馬民族編終わらせて三国編突入くらいの所までは書けるのに……くたばれ資本主義経済。

でも一週間貰ったらきっと武術の稽古に当てちゃうな。それくらいには思えるほどに現在、私は武術的には恵まれた状況にあります。着眼点が変わると生き方変わりますねー、ほんとに。

昨年、全国大会出た辺りの私はハッキリ言って大したこと無かったです。今そう思えるくらいにはこの八カ月足らずの間に変わりました。

二年後は今の私がそう見えるくらいに上達出来ている自信があります。

他にも剣を学ぶほど理解できる宮本武蔵の凄さとか最近見た面白い漫画の話とか色々したい話は山ほどあるんだが、もう次の朝には平日なんて言う悪夢の様な状況なんで、盟友諸兄とのこの後の談議は感想板で存分に受け付けるぜーッ

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