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中原動乱編・第八十三話―――――――「王であるか、民であるか」

「一度生まれた疑念はそう簡単には消えない。涼州人の結束の源であった民族の誇りが、逆に彼らを崩す最大の要因になった」


この国で最速の敵を倒す為にこの少女が使った馬は言葉だった。

それは何者も追い縋れない圧倒的な速度を逆手に取る。言葉を掛ける相手の脚が速ければ速いほど、まさしく風に便りを乗せるが如く遠く駆け巡る馬である。西からやってきた羅刹の軍団に対抗し得る、漢人の生み出した智という名前の馬だ。


「結局、何処の世にも物事の本質が見えている者はごく僅かよ。民族、革命、判りやすい言葉にすぐ踊らされてしまうのは誰も同じね」


だが、言葉の天才である彼女が詩を愛し文言の旋律を誰よりも尊重するのは、それが有効な武器だから……ではない。

それが彼女の意思を現しているからだ。より速く、より遠く何処までも駆け抜けて行く言霊というものの速度は、彼女を彼女たらしめている志を象徴している。

彼女が加速させようとしているものは“時代”である。


「10年後、この私を滅ぼす人間が現れるかどうかはわからないけれど、ただ」


人間の住まう世界の時計の針を、指先一歩分でも早く先へ進めようとする。それは時に狂気的な力を発揮し、いかな混沌も地獄絵図も厭わぬ。常に全てを巻き込み先頭をひた走ろうとする、圧倒的なのは意思の力。

理由は無い。それが恐らく生まれ持った星のさだめというものなのだろう。


「“真理”を見抜けぬ人間に、私は敗れる気はしない」


名を、曹操という。


「――――――お前はなぜ曹操と戦う?」


大陸最速の疾さを誇る中華最強の名をほしいままにした軍隊を、後漢という“時代”もろとも置き去りにせんと目論む彼女が問いという言葉を投げかけるのは、董卓でも、高順でも無い。


「劉備よ」


彼女が居たのは、敵の中核を守る張繍隊でも、南に位置する曹操本隊を押さえるべく猛進してくる徐栄隊でも、烈火の様に走り抜け曹操軍の乾坤一擲の策を食い千切る為その喉笛を必死に探している高順隊でも無く。

主要戦線から離れ、徐州の外れで執拗な抵抗を続ける、今や二千弱程の小勢となった劉備軍の前であった。


「…………」


白桃のように形の良い頬、柘榴のように爽やかな唇。

美しいというより、綺麗という方が相応しい。しとしとと鳴る雨の色気より青い空に映えるだろう。少女の溌剌さを少しだけ残した健全な綺麗さ。


「この地に縁もなく、ましてかの騎馬民族達の味方という訳でも無く。たまたま陶謙という小悪党の懐に居ただけでこの戦争に巻き込まれた。本来ならこの戦争に参加する理由はまるでなく、また去らんとするならばこの曹操も追いはしない。それでもなお、剣を抜いたまま私の前に立つ事を止めない。何故だ?」


問われて、返って来たのは沈黙。

花や陽の光が似合う暖かみ溢れる可憐さが、険しく押し黙っている。桃の頬は綻ばず、紅桜の唇は結ばれたまま。真っ直ぐに射止める様な双眸には厳しさ――――――いや、それというよりは、憂いに近い光があった。


「私は……貴女の事を理解する事は出来ないでしょう」


やがて、口を開く。


「貴女は一目で私の全てを見切る事が出来たとしても。貴女のように森羅万象を見透かす才も、未来を見通す様な眼も私にはありません、何万人の人の紡ぐ営みを掌に乗せて導く様なやり方は、私にはきっと一生出来ないでしょう」


見えている世界が違う。劉備はそう言った。

曹操が天から見下ろすが如く現世を見て政を行うなら、劉備はせいぜい、一顧の民の一人として人の群れに加わることしかできない。自らの四肢、目、耳をめいっぱい使って、見渡せる筈もない眼の前に広がる人の群れの中で足掻く様に、必死になって一人ひとりの表情と声を拾い集める様なやり方しか彼女には出来ないだろう。


「それでも」


曹操は現世の破壊と今一度の創造を決意し軍という明確な行使力を以て天下に意思を現した。それは英傑の所業である。

劉備は、ただそこに居たにすぎない。乱世を彷徨う無辜の民の一人として、政を司る者としての意思を発現する事もなく完全な市井の人として其処に居た。

だから劉備は、見たまま言う。

感じたまま動く。


「子供達は泣いています」


天から見下ろす曹操の掌が“歴史”をごろりと動かした時、劉備は戦火に捲かれて死んでいく一人の少女の側に居た。

罪の無い少女が、何故理不尽に死んだのか。大人になりたかったと死に際に語った子供が、何故天寿を全う出来ずに逝ったのか。

市井の人・劉備が見えたのは自らが立つ其処の景色のみであり、それが故にその一点を、絶対に誤魔化す事は出来なかった。

強い光が眼に在った。それは曹操をはっきり見ていた。英傑・曹操に対し、決して迎合する事は無いという眼の光。劉備に続く二千ばかりの兵、すべてが同じ顔をしていた。

それは“曹操”という意思を、決して認めないという意思。それを物語る何よりも象徴的な表情であり、そうであるが故に曹操が突撃の下知を下すのに、もはや問いは要らなかった。

審判の場や、まして正邪の在り処をハッキリとさせるものではなく、ただ激突してくる意思を否定し食らい駆逐する。戦いとは、そういうものである。

譲れぬから、闘争するのだ。血飛沫を挙げてでも。







その突進は、風圧だけで人間を倒せそうな気さえした。その騎兵の群れが作る一陣の嵐の渦中に巻き込まれれば、たちまちに生身の肉体などバラバラにされる。


「――――――!!」


先頭を駆る闘士の叫ぶ鬨の声が何を言っているかは判別できず、またそんな余裕は微塵も無かった。七尺近い巨体とそれに見劣りしない優駿、まさしく人馬一体の姿は牛よりも大きく見え、生物というよりは一個の戦車のようである。それが烈風の如き速度で猛進し、戦場を拓く。本当に風圧に圧されてでもいるかのように、その余りの迫力に相対した者達は当たるより前に思わず腰が引ける。精鋭を誇る曹操軍の勇士たちでもそれは例外ではなく、尻餅を付きそうになるのをやっとの事で堪えていた。

疾さで拉ぎ、大戟が唸ればヒトの身体が泥人形の様に崩れる。

涼州十健将が一人・徐栄の突撃は、あらゆるものを一切顧みないような攻撃だった。敵も味方も、その間に隔たるあらゆる事象や障害、例えば敵の装備も数も、あるいは自らの体勢や被る傷、全てを顧みない。脇目を振らずにひたすら、突く。

戦場において、用いる技はたった一種類で良いという。空手家は正拳をひたすら磨き、剣士は面をひたすら打つ。宮本武蔵に言わせれば、人を殺すのに、必要なのは突く斬る払う、あとは打つと薙ぐがある程度で、十手や百手のような多彩な小技は必要ない、戦いとは、そういうものなのだという。

徐栄の戦いはただ、猛進、それのみであった。

敵を倒すという一点を、余分なものをひたすら省き突き詰めていった結果残った戦い方。

全てを振り切るように置き去りにしていく。涼州の強さとは、そういう強さだ。

だからこそ烈しく、故に悲壮でもある。それが涼州という民族の生き様そのものであるが故に、余計に。


「……よし、引け!!」


何処から発したか、敵軍からはわかりにくい下知。青銅の様なその声が響いた瞬間、徐栄の肉体が感じていた敵に当たる感触、打ち応えが消えた。

すかん、と不意に前が空いた。自ら拓いたのではなく、敵の方から開いた。だからその感触は、暖簾に腕押しする様な。

水を垂らして波紋が外側へと円状に広がっていくように、敵の群れが潮を引く。入れ違いに、矢の雨が降ってきた。


「ッ!?」


イナゴの群れの真っただ中を思い出す光景、太陽が隠れたかのように一瞬で視界が黒くなる。それほどの本数の矢が一斉に襲い掛かってきた。肉体の支配を離れた飛び道具特有の無機質さが淡々と身体を刺して、意識するよりも速く徐栄の貌に憤怒が灯る。

嫌いな感触だった。

矢は徐栄の肩、背、太腿に刺さり、率いる後続の騎兵も射ってあるいは撃ち落とし、あるいは馬を挫く。そうして速度の幾許か鈍った集団を袋の鼠にしまう様に、さらに嵩にかかって矢を射かける。

煩わしさを感じ、ぬん、と肚を振るわせて両腕を開いて弾くと、馬も呼応して目一杯踏み込む。

押し寄せる斉射の圧力と痛みを気組で跳ね返すように弾幕を突っ切ると、徐栄の視界に光が戻った。


「涼州の戦士よ。研ぎ澄まされた後漢最強の矛と真っ向から斬り結ぶのは美学だが、私はこういうやり方も否定はしない」


青銅の様な声。落ち着きつつも、どこか飄々とした凛とした女の声だった。


「自らの生き方に殉ずるのは潔いが、人の世というのは甚だ複雑怪奇だ。それを心得ねば、この浮世、愉しみ尽す前に呑まれてしまう」


鶴の様に美しい女。返り血一つ纏わぬ美しい女。

腿と、上腕と、脇と、僧坊筋の辺りと。疼きの様な熱さを感じたが、眼が怒るとそれも消える。

徐栄が寡黙なのは、感情の爆発を言葉で浪費したくは無いからだろう。そのすべてを闘争に変換するように生きている。


「ここに我らの本営は無い。今頃、御大将は徐州との国境だ。貴公らはまんまと釣られたぞ」


ねめつけながら徐栄の太い首がぐるりと見廻す。先ほどまで蹴散らされていた青い鎧の軍団が、整然とした隊列を保って円形に徐栄らを囲むように布陣している。

日本戦国時代、姉川の戦いにて、浅井勢は織田信長の五重の陣を第四陣まで突き破りながらも側面攻撃を受けて敗北している。香車のように一直線に突き進んだ浅井勢の陣は伸び切っており、側面からの攻撃に対応できず徳川・織田両勢の包囲攻撃を受けて為す術もなく潰走したのだ。

短刀の切っ先の如く正面に深く突き抜いたものほど側面からの攻撃に弱いというのは周知の事実ではあるが、相手をその状況に崩す為には「如何に相手に突けると思わせるか」が重要になってくる。

避けすぎる、というのは受けとして凡庸である。打つ側が「避けられる」と認識すればその体は崩れず、いつまでも追う事が出来る。如何に当たると思わせるか、つまりあえて隙を見せ誘いを掛け、打つ側の脳に突けそう、突きたいと錯覚させ、「突ける」と確信する一瞬を作り出す必要がある。

実際には脳が命令した時点では切っ先は目標物に到達していないのであるが、一度下した命令を動作が完了する前に撤回させる事は小脳の構造上不可能に近い。よって攻めに中心を取れると確信させたと同時に受けがその「直撃出来るであろう想定接点」を逸らせば、打った身体は吸い込まれるようにものの見事に付いてくるのである。

曹操本陣を一心不乱に目指し、特攻の如き勢いで突撃した徐栄隊は伸び切り、偽装の陣の中で孤立した。

正面からぶつかれば涼州騎兵は間違いなく後漢最強、しかし切っ先の鋭利な刃ほど側面は脆い――――――現在の構図、どちらが“取った”状態であるか、即ち有利であるかは言うまでもなく。

かの日の浅井長政も、信長の首を取れると確信していたに違いあるまい。

そしてこの崩しの技術は、宮本武蔵を含め一廉と呼ばれた日本武術を修めたものであればかつては皆身に付けていたものだ。


「喋り好きな女だ」


言ったのは、徐栄ではない。振り袖を血埃にたゆたわせる艶女の脇から飛びだした鋭い弩矢。それとほぼ同時に飛びだした黒い影。

それは徐栄の左肩に突き刺さり、否、徐栄は左肩でそれを受け、眉間を狙って飛びあがってきた黒い影を剛腕で弾く。

白樫の棒杖が皮籠手のみを巻いた前腕に食い込むと、逆に小柄な身体ごと、ポーンと空中に飛ばされた。跳ね上げられて雑技団のように宙を舞い、クズリの様に小さく敏捷な体躯は音も無く土の上に着地する。


「さっさと片付けようぜ、星。まだまだやる事残ってんだからよ」


その一合を何ら気にかけるでも無い風に、血の染みが既にこびり付いて落ちない得物の棒杖を、男はよいしょとばかりに肩に担いで言う。

白銀のざんばら長髪の隙間から射ぬく氷の様に鋭い眼のまま、星の少し後ろ脇に控えた陳恭が一言すら無く次の矢を装填する。すると、楽進、李典、于禁の三者が一斉に最前線に構え出た。


「むぅ……万億よ。気急な男は女にもてんぞ」

「そうでもねェよ」


フォン、と、清水のような音色が空を切り、龍牙のような赤い穂先を趙雲がピタリと構えた。蝶の様で、龍の子のような立ち姿を合図にしたかのように、曹操の将兵が一斉に戦闘態勢を取った。

徐栄は、一言もしゃべらない。左肩の矢をべきりと右腕でへし折り、鏃も肉に食い込んだまま、得物を鳴らして胸を張る。

傷の影響を微塵も感じさせない、肚を震え上がらせる様な素振り。敵中、圧倒的不利な体勢で孤立していて尚、徐栄の態度は、やり方は変わらなかった。

どうせそれしか知らない。雨矢に打たれても、五体が砕け散っても。

それが二百年以上継いできた涼州人の唯一無二の文化。その生き方しか出来ない。







「……くらぁッ!!」


羅刹の様に容赦なく突っ込んでくる曹操兵、見ればまだ10代か20歳なりたて程度の青年である。若い力に鍔迫で押し込まれ一瞬腰が浮かされたが、簡雍はそこから少し体を入れ替え、投げを打つように崩し、もんどりうった所に遮二無二、後頭部に得物の剣の柄を叩き付けた。


「愛紗!」

「はっ! 簡雍どの、この戦線が際の際! 最後の一兵となるまで桃香様をお守り致しましょう!」

「いや、俺らは良く戦った、もう潮時だ! お前は鈴々と一緒に桃香を連れて南へ往け! 南方は袁術、劉表の縄張り、曹操もすぐには手を出せねェだろう、特に劉表は腹黒だが劉姓だ! 無碍には扱われまい、あの嬢ちゃんをお前がしっかり守れ!」

「……簡雍殿は!?」

「俺は少しだけ足止めして、すぐお前等に合流する! なァに、心配すんな、曹操の当面の敵はあの馬賊どもだ。それほど執拗な追撃は受けねェさ!」

「しかし!」

「愛紗!!」


関羽から見て、簡雍は背中を向けたまま。常に敵を眼前において一瞥もしない。


「頼むぜ」


声だけで、笑顔なのが分かった。目だけは笑っていない事も。


「……簡雍どの、お願いです。必ず……必ず、戻ってきてください。貴方にまでいなくなられたら、今度こそ、私は」

「辛気臭ェ事言うなバカ。もう子供じゃねェだろ」


一礼するように頭を下げて、愛紗が走り去る。簡雍には背中でそれが分かった。

鼻から抜けるような溜め息が漏れた。

さすがにダダこねねェよな。

もう大人だもんな。

曹操が此処に居るという事。曹操をよく知らない簡雍にも、その意味は感覚的に理解できる。

曹操が確実に桃香を殺しに来たという事を。曹操という人間は本駒で戦局の切っ掛けを作る類の人間だろう。その曹操が高順でも涼州軍母体でも無く、真っ先に劉備を狙ってきた。本気で殲滅にかかる気であるという事。

生き残れる可能性は、極めて低い。

で、あるからこそか――――――


「そりゃあ……俺らもおっさんになるわけだ。なァ……?」


簡雍は、その人物が其処に居る事を知っていた訳ではない。予感があったわけでも勿論ない。

この死地を離れる気になれなかったのは、ただ桃香らをどうすれば逃がせる可能性が高いか、それを考えたから。

だからこそ、こういうのは巡り合わせというものかと、そんな風にふと思った。


「糜芳よ、元気だったか?」

「おゥ……」


ピリピリと後頭部を灼くような緊張感の中で邂逅した男は、記憶の中の姿よりずっと歳を重ねていた。

黄色頭巾を被り、雰囲気は変わったがそれでも一目でわかる。


「腕を上げたか? 糜芳」

「さァなァ、おめーは……そのまんまだな」


呟きの様な笑みがこぼれた。かつて兄弟同然のように育った仲、十年以上会わず、お互いの生死すら不明だったが会話の調子は拍子抜けするほどかつてのままだった。


「かつては盧塾三羽烏と言われた若燕もいまやしみったれたチンピラ。だがそんな自分が嫌いじゃない。なんつうか……解るか? 糜芳」

「知るかよ」


にべも無く言う。


「変わった様な気もするし……それでも冷静に考えりゃやってるコトも物の考え方もそんなに変わってねェ。立ってる場所や身に付けてるべべがいくら流れ変わっても今も昔も俺ァ……ただのノッポさ」

「へっ」


鼻で笑う様な相槌まで、あの頃と同じであった。

これまで何をしてきたかはお互い知らない、何故ここに居るのかも。だが、この僅かな交わりの中で二人は互いの想い、立つ場所、これからやるべき事を澱みなく全て理解し。

二人の間合いや呼吸は、かつてと全くそのままで、しかし躊躇なく、切っ先は互いを向いた。


「……」

「……」


愛紗が大人になるわけだよな――――――そんな言葉は、会話には出て来なかったと思う。

しかし、不思議と同じような事を考えているだろうな、というのが何となくわかった。

切っ先を眉間に合わせ、間合いを量り合う最中で。


「ッ!!」


両者の身体が、獣の様に反応する。小脳の閃きに基く、野性的な動き。

合は結ばぬ。間合い感覚と拍子の読み合いの鍔迫が、踏み込まずして両者の間の虚空で鬩ぎ合った。

読み合いの水面下で行われる架空の打ち合い、量り合いを全て一手ずつと換算するならば、実際に刃を噛み合わせる打ち合いなどは互いに打った手数の総数のほんの一分にも満たないだろう。

それだけ真剣勝負において読み合いは大きな比重を占めており、同時に実際に打ち込むというのは、戦局を大きく変える大胆な行為だ。

片手剣の名手・糜芳は、左手を少し前に突きだし右片手の得物を身体に沿わすように隠す特徴的な陰の構え。簡雍はやや緩やかに柄を握り、やや刀身を傾ける霞構え。

見た目の構えは大きく違う。だが、その目付け、足さばき、間の取り方、得物の規格、それら全ての醸しだす雰囲気はとても似ていた。それは二人が、同じ時期同じ所で学んだ技を自らの基本にしている事を如実に物語っている。

実に多くの、会話にも似た読みの応酬が繰り広げられていた。それだけに、決着はなおさら、一瞬だったように傍目には見えただろう。


「―――――――ッツ!!」


ほぼ同時に動き、銀の一閃が煌めき、血が飛沫いた。


「……くッ、ふっ」

「糜芳、最後にひとつ教えろよ」


張り詰めたものが解けたように、ノッポの喉から漏れた息。

流暢で落ち着いた声を発した簡雍の喉笛。その少し下の首の付け根に、剣の切っ先五分が突き刺さっていた。

相手と動き出しを揃え、剣線を合わせ、鎬一枚分を使って逸らしこちらが中心を取る。中国の武術には無い。古今東西の武術の中で、恐らくは日本古流剣術のみが唯一到達せしめた理合・切り落とし。

脇から付ける様にする軌道を描いて打ったノッポの突きが、斜めに捌く様に体を運んで打ってきた簡雍の袈裟を弾いた。それはわずかにノッポの肩口を削いで、急所を捉える事無く流れた。


「関行を斬ったか?」

「……あァ」

「…………へっ」


一瞬と呼ばれる間を、さらに十数分に分割したうちの一つの間、そのくらいの刹那の狭間で分かたれた、二人の明暗。まさしくそれは薄刃一枚程度の差でしかない、しかしそれは、絶対に埋められない差でもあった。


「それ……愛紗には言うなよ」


簡雍は何も知らなかった。糜芳の変化も、関行の事も、言葉で聞いていなくても。

知らなくても、わかることはわかった。糜芳も恐らくは同じ。

だから簡雍はまた一つ、鼻で笑い、喉を抉る切っ先から離れ、剣を再び構えようとした。

糜芳はそれが実行されるよりも僅かに早く、もう半歩切っ先を抉り込み、大きく横に払う。

鮮血を噴いて、簡雍は崩れ落ちた。


「……言うの遅ェよ。バカヤロウ」


血振り、残心、納刀まで、驚くほど身体が流れる様に動いた。

なぜ簡雍が劉備の下に居たのか、それは何となくわかる。自分が此処に立っている理由は、もう拘る様な齢ではない。ただ目の前のものを斬っていくことでしか道を切り拓けない、今はそういう生き方。

ただかつての友二人を自らの手に掛け、自分一人が生き残った。その結果に言い訳をする事はないだろう。

劉備軍は一昼で曹操の猛攻に圧され、ちりぢりとなり南方へ敗走した。

この時の曹操の兵力はおよそ七百、劉備勢の半分以下の兵数であったという事が、この戦争の後諸侯を一層驚かせたという。


(この作戦において必ず攻略せねばならぬ三点、そのうち最も勢力の小さい劉備を可能な限り最小の戦力で速く駆逐する。ここはまず、最高の結果で終わった……本番はこれから。私の見切りが勝るか、高順の速度がそれを上回るか)


華琳は馬上で顎を撫で、またひとりごちる。静かな蒼い瞳には、鋭い光が潜む。


描写には出てきませんが、華雄さん辺りはずっと霞と戦ってます。


はじめの一歩を駄作だという方と漫画の話で意見があった試しがありません、ななわりさんぶです。

宮田・ランディー戦を読んで嘆く気持ちはわかりますが、一部分だけでなく通しで読んでそういう評価に落ち着くならこれはもはや嗜好の違いでしょう。

個人的にですが、漫画とか小説の魂は言葉だなァとよく感じます。それと「如何にワンシーンを印象的に仕上げるか」が胆だとも。

「自分は生涯、拳闘と共に生きる! 自分が愛するのは拳闘以外、無い!」

激動の時代を生き、人生をボクシングに捧げた骨董品の様な戦前生まれの硬骨漢の、武骨さと愚直さと意思の強さ、若き情熱とひとつの滅びを自覚した寂しさと、それでも道を貫くという断固とした覚悟、そういうものを一遍に表現した素晴らしいセリフですね。

また、ホーリーランドの中で主人公の神代ユウが蹲りながら自分の拳を抱いて「僕の神だ」と独白するシーン、あれは非常に秀逸だと思います。

こんな大和魂のヤの字も無くなっちまった現代日本で、日々の生活に何の役にも立たない時代遅れのステゴロの技なんかをどうして後生大事に磨くのか?

それはまさしくそれがその人にとっての神そのものであるからでしょう。まさに信仰、またはアイデンティティの具現化手段と言っても良い。「これこそがオレだ!」って言える大切なもの、拠り所。それがある限りオレを見失わない、そういうもの。他人から見たらそれは無価値なものかもしれないし、下らないのかもしれない。でも本人にとっては何にも代え難く、譲れず、否定される事が許されないもの。

道を志す人間が漠然と抱いているであろうそういう思考をたった一つのシーンに具現化して表現した、あのシーンがある限り僕にとってホーリーランドという作品は永遠に名作です。

単にネタとして使用される技巧や知識が豊富ってだけではダメで、人間賛歌じゃないけど、そういう所を表現できるのが良い漫画なんだろうなあ、って思います。人物が活きてるかどうか、象徴的でありつつも記号化していないか。だから僕にとってはじめの一歩は紛れも無くボクシング漫画だし、ホーリーランドは格闘技漫画。

ツマヌダとかは格闘技オタク漫画、喧嘩商売はオモシロ漫画……って感じな区分けというか、印象です。面白いですけどね。上山先生僕ゾイドの頃からリアルタイムでファンだし。

まあとはいっても一番印象に残ってるのはホーリーランドでヒロインがドラッグ盛られた時やたらエロかったっていう所なんですが。

そして一番アレなのはあしたも仕事だって言うのに深夜のこんな時間までこんなことしてる僕の意識の低さですが。

本能には逆らえませんねェ。

寝ましょうしょん。

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