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中原動乱編・第八十二話―――――――「晴天の霹靂」

「まさかこうもすんなり行くたァな」

「すんなり、などと……骨が折れましたぞ。あの馬賊の本拠に潜るのは」

「ここまで効くとは思っていなかった」


茶をひと含みしながら帳幕を潜ってくるのは武蔵と衛弘、武蔵が親爺と呼んでいる商人である。

――――――話は三週間ほど前に遡る。





「かの馬賊の特徴は、言うまでも無くその機動性と踏破能力。それらが生み出している厄介さは、第一に戦線の柔軟さ・不確定性にあります」


作戦立案は、稟が主導で行われる。

西涼軍の猛攻を一カ月で破る策がある、彼女はこの軍議のとっぱじめ、開口一番でそう提案した。


「通常、軍とはまず政治中枢を都市に設け、それを囲う様に砦を築きそれぞれに兵を送って拠点とし、点を線で結ぶように連絡網を巡らせて勢力圏とします。土地に拠る漢民族のやり方がそれです。対して騎馬民族は、箱物の拠点を必要としません」


作戦板に筆で図と印を書き出しながら、眼鏡を直しつつ唇を滑らす。

まるで太学生時代に仰いでいた教師のようだ、などと風はその仕草を眺めていた。

むろん、そんな漠然とした印象を抱く呑気さの一方で、智嚢は極めて理路整然として稟の提唱を分析しながらも、自らの策に照らし合わせ新たな軍略を紡ぎだす作業を粛々と行い続けている。

眠る様な表情からは、そんな脳漿の中身は一切窺い知れないが、むしろそれが程昱という軍師の底の深さでもあるのだろう。


「奴らは城には拠らず、騎兵が遊軍として散らばりお互いを窺い合うような形で連絡を取っています、さながら遊牧のようなものですね。長い帯の様に戦線を作り、こちらの攻撃に対し有機的に反応します。尾を打てば頭、頭を打てば尾が向かって敵を集中攻撃し、あるいは不利とあらばさっさとその場から走り去ってしまう」

「ふむ」

「そこが点で考える漢民族と奴ら騎馬民族の軍事機構の違いです、故に線を切ってしまえば流れの途絶えた水の如く、それぞれは只の遊び駒として浮遊するのみ、波状攻撃を止め確固撃破する隙が生まれます」

「その楔をどう打ち込むかが問題と言う話だろう。お主の分析では連携が正常なうちは手の打ちようが無いという事になる。まずは奴らの機動力に追い付く術が無くば話になるまい」

「ええ――――――それで、此度の策」






「――――――此方が追い付けんのなら、敵に止まって貰えばいい」

「……足を、でございますか?」

「いや。止めるのは、こっちだ」


煙管に火を投じた武蔵が紫煙を吐くとともに、武骨な左手人差し指で自らのコメカミを軽く突いた。


「頭……?」

「おう。頭を動かすのは、舌」


武蔵の対面には、初老と壮年の男が二人。

曹操に取り入り中原きっての有力商人になり上がった衛弘、そしてそれと繋がりの深い遊侠の臧覇である。


「董卓は生きている」


親爺の細い眼、片眉がピクリと動いた。


「あるいは、高順が董卓を殺し軍の実権を奪った。そんなのでもいいな」

「……流言、か?」

「うむ」


臧覇は、察しが良い。


「涼州軍はこの戦を四百年近く続いた漢による支配体制の打倒……民族解放の戦いだと考えてる。だが、現総帥の高順ってのはどうも漢人との混血らしい。元々涼州民族の名家で漢の官位も持ってる董卓が首長を務める事で連合体として安定していたわけだ。反董卓以降のドサクサで血筋も出自も定かでない一兵卒あがりの男が総帥になったのは、ただの成り行き。それでもここまで勝ってきたわけだが……その矛盾に潜在的な疑問を持っていない奴は少なくは無い筈」


煙管の皿を逆さまに向けると、灰が砂に落ちて紛れた。


「そこをくすぐってみようと思う。ただでさえ奴らの反漢感情ってのは相当なもんだ。それはこの国の出身でない俺にも伝わってくるほどに……それを基点に流言を飛語すれば、首脳部への疑心暗鬼を煽ることが出来るかも知れん」

「しかし、そう上手くいくものでしょうかな。かの馬賊はこの大陸で最も武断の気風が強い軍隊であると言っても過言ではない筈。血筋による権威主義によって自らを支配してきた漢朝四百年の抑圧を武によって打ち破ってきた高順の存在はまさにその象徴と言っても良い」

「いや。高順自身がどうかは知らんが、少なくとも涼州兵というのは実証主義に見えて実は非常に権威主義的だろうと思う。血筋による漢民族の権威主義に対する徹底した反感は、逆に奴らが如何に血筋って権威を重視しているかという事の裏返しだ。西涼の純血主義ってヤツをな。それに」


黒光りする喧嘩煙管が、小さい枝に見えるほどに武蔵の拳はごつい。それほど好んで煙草を呑む武蔵ではないが、それでもその細く長い独特の紫煙はその深い肺活量を窺い知らせる。


「奴らだって人間さ……全員が全員、同じように高順を苦楽を共にした戦友、と見做してるとは限らない。ましてほんの十年そこら前までは、涼州戦争で互いに殺し合ってたっていう話だ。一枚岩って事はあり得ないだろうし……雲行きが怪しくなって保身に転がる奴も、一人や二人は居る筈さ――――――って、ウチの軍師が言ってた」


かかか、と、煙管をつまんだ肘を机に引っかけながら歯を見せる。


「親爺。お前さん、戦前は関中とも販路を持っていただろう?」

「……? それはもちろん。反董卓連合のお戦以降は機能しておりませんが、何分、敵地故……」

「高順体制になってから、物資はすべて現地調達や周辺部族からの支援で賄っていると聞いている。漢人の商人など介している筈もないが……だからといって、常に物資を抱えて行軍している筈もない。必ず奪った物資を貯めている基地と、それを各前線に送る輸送路が存在している筈だ。関中とも商売していた親爺なら、その輸送路の大まかな道筋が検討付くんじゃないか?」

「それを襲撃する気なのか?」

「いンや。高順の主力隊と直面している状況で、虎牢関を擁す奴らの背後に部隊を回すなんざ無茶も良い所。仕込むのは兵じゃなく、毒」

「毒?」

「物の流れがあるという事は、人の流れがあると言う事だ」


親爺のこめかみに、冷や汗が伝った。


「まさか……敵の総本山に直接、流言の毒を仕掛けるおつもりで?」

「高順の指揮する主力部隊にだけ計略を仕掛けても効果は薄い。虎牢関より西に控える母体ごと行動と連絡を麻痺させて初めて意味を発揮してくる」

「本気でございますか?」

「直接襲撃するよりは遥かに勝算はあろうよ」


親爺の曖昧な笑みは面の皮に張り付いたままではあるが、釣り上がる様に少し歪んだ口元と皮膚を伝う膏汗に、その心情が浮かんでいる。

臧覇の、疵で塞がった隻眼、開いている片側の目がぎょろっと光った。


「その話、俺達にしたと言う事は……その仕事、俺達に依頼したいという訳だな?」

「ああ」


武蔵の広い胸が僅かに鼓を打つように揺らめき、紫煙が空気に融ける。


「極道と言うのは……まあ偏見だが、育ちの悪いもんが多いだろう。きっと異民族も多いんじゃないのかね? 漢の枠組みから弾かれちまった者達が」


臧覇は目を三白に構え、鋭く尖らす。一部の油断も無いピンと張りつめた表情だ。


「漢人の顔で漢人の頭じゃ、およそこの仕事はおぼつかんのだよ。非漢人としての顔貌を持ち、漢の表世界から遠ざかった所で育ち実際に生きてきた人間でなければ潜入は不可能だ。臧覇は使える手の者から特にそういう人間を選抜し、親爺と談義して物流の要衝を見切り流言工作を仕掛けて欲しい」

「出会うもの、全て皆殺しにしてきたあの連中の身中に潜りこむって言う事がどういう“狂気の沙汰”か、あんただってわからんわけじゃあるまい。いくら極道、侠の徒とは言ってもンな無謀、てめえの子分をおいそれとそんな所にはやれねえよ、第一……」

「臧覇には徐州をやる」


ピタッと空気が止まったのがわかった。


「泰山の賊を追っ払った伂城から下邳あたりまでの間が今、無法地になっていてな。この戦争がひと段落ついたらその一帯の統治をお前に任せたいそうだ」

「……」

「それくらいに重要なヤマでもある」


ジッ……と、煙草が燃える音が止まった空気を静かに揺らす。


「当然、親爺にも曹操軍最大の支援者としての相応の待遇を用意する、って話だよ。まあこの戦に負けたら全ては水泡だがね」

「毒を食らわば皿まで、という話でもございませぬが……きっとここで我らが拒んだとしてもそもそも命が無いのでございましょうなあ」

「まああの涼州軍の虐殺から逃れられる自信があるならそれもアリかも知れんがね」

「もはや曹操軍と言う防波堤無しには命すらも危ういと」

「そういう段階には来てるよ。逆に俺達が勝てば親爺も一気に天下の大商人に近づく……かもしれねえな」


煙の混じる笑み。特に含みや斜に構えた風がある顔では無かった。

恐らく武蔵は仮に親爺が曹操軍と袂を分かって涼州方に付いたとしても「ああそう」とだけ言うだろう。武蔵はあくまで独行の男である。武蔵にとって他人との関わりとは己の道と交わるか、寄り添うか、離れるか、あるいは初めから遠くにあったかの全てはたまたまの事であり、自らのものも含めたそれぞれの道は捩じ曲げられるものでも、またそうしようとすべきで無いものである事も知っている。たとえ他者の行使力によって反ったりくねったりしたように見えても、結局全ての変化は道の内から起こっているものだ。

だからこそ武蔵の話は極めて客観的であり、打算恣意の類が混じらない。特に図らずとも単に友人に対してのそれとして接する。

どこかの国の世情に付いての世間話でもしているような表情。とるに足らない交流の肴代わりの雑談の様に。


「肚、くくるか」


臧覇が言った。






「なんたる愚かさ! なんたる智の暗さか! 我ら西涼軍は民族の解放と自由の為に一点のくすみも無く革命の御旗の下結束していた筈!! それがこの段になってよもやこのような痴言に誑かされようとはな!!」


郭汜の血ごと吐き出しそうな怒号は、甄城という空城ひとつを取られた事に対しての焦り、などでは当然ない。

漢賊の遺醜・高順を許すな。

その一文が効いてしまった事に対してである。


そしてそれは――――――気付いている者は少ないのかもしれないが――――――“民族差別からの解放”というこの戦争の大義を、革命の革命たる所以そのものを瓦解させる事ですらある。


「結局よお……どいつもこいつも、偽物か」


李確が淡々と、しかし肚の底から沸き立つような声を発す。

そして煮え滾る激情の命ずまま、得物を握る腕に力を込める。

遣いの兵士は血の気が引き、冷や汗が吹き出す。


「血の色の差別ってものに対して何百年も恨みを育てて反旗を翻した西涼の戦士が、漢人以上に差別感情に縛られていたってのは皮肉だな」


高順の語気、息遣いは静かだった。まるで幾許かそれを悟っていたかのように。

その静かな声は郭汜の怒号を止め、李確の激情に待ったをかけた。


「迷いの生じた部隊は全軍の半分以上だろう。それはすぐに敵になるわけではない、が……既にこの軍の連結はバラバラに解かれたと考えるべきだ。緩んだ紐を早急に結び直せなければこの軍はここで自然融解する」


冷たく澄んだ宝石の様な光沢をもつ、灰色の瞳。刃の様な光を放ったのを見て、郭汜が思わず唾を呑む。


「陳留の張繍は大丈夫か?」

「それが――――――」








「――――――向こうから攻めてきたと?」


バタバタと暴れる一房の黒髪、馬上に映えるすらりとした長身に広い額。蜥蜴に似ているその眉間に皺が寄り眼光が鋭く細まったのは、彼等の故郷を少し思わせる強い突風のせいばかりではない。


「魏続、宋憲の両部隊は動かないのですか」


じっと睨むように遠望する東南側の景色は一向に変わらない、斥候が行って、発見した情報を今ここに持ち帰るまで丸一日かかっている、およそ肉眼で捉えられる距離にはいないはず。

しかし、あるいは見えているのかも知れない、声もあげず軍足で大地を踏み固め這い寄る曹操軍の精鋭部隊を、その瑪瑙の様な瞳は。

既に廃墟として破壊し尽くされた陳留城市が程近くに見える張繍部隊の幕営は、母体のある西部と高順隊の詰める東部最前線を結ぶ補給線の中核地であり、近くに敵が進出してくれば周囲に散らばる遊軍が即座に反応するようになっている。

だが、東南側を扉の様に張っている筈の魏続、宋憲の部隊は動かない。劣勢に追い込まれた筈の曹操軍が守勢に回らず、逆に自ら攻め打ってきたという事態であるにも関わらずだ。

張繍にはその意味がすぐに分かった。


「所詮俗物の集まりだったという事ですか、我が西涼軍も。皮肉なものですね」


曹操が敵であるという事は明確であるものの、高順に従う事にも疑念が生まれ、この期に及んで戦うべき相手がわからなくなり戦場で棒立ちになっている。既に曹操軍は吹けば消える風前の灯となるまで追い詰めたというのに。

もはやそれは味方であるとは言い難い。張繍は完全に分断され、孤立した状態で戦う事を余儀なくされた。


「まあ良いでしょう。目の前の敵を倒せばそれで済む話、全て元々、そういうもの」


一房の長い黒髪は、彼もまたその血の中に漢人の因子を持っている事を意味している。であるからこそ、彼は戦う事で以てその存在を証明し続け今に至っている。

彼もまた、詰まる所では他者を拠り所としない強靭な孤狼だ。






「――――――狙ってきたか、曹操!」


高順のその声は、例の流言の報そのものを聞いた時よりも大きく響いていた。

母体から高順の据わる最前線を繋ぐど真ん中の中継地点に、真っ直ぐ部隊を差し向けてきた。つまり、この流言によって誰が揺らぎ、誰が揺らいでいないか――――――つまり“どの将を倒すべきか”を、曹操は既に見切っているという事。

それは、曹操が高順の予測を超えていた事を意味する。


「出し抜いたつもりか……? 馬鹿めが! 機動力と破壊力の差を今一度思い知らせてくれるわ!!」

「待て郭汜。俺達が張繍を狙った部隊を遊撃するのはさすがに遠過ぎる。それに曹操なら既にココから陳留までの経路に伏兵を配していてもおかしくは無い、いずれにしろまずは小伂の北に位置する曹操軍を抑えねばならん」

「――――――ならァ俺が小伂をヤる。奴らの戦力なんざもうさほど残ってねェだろよ。順が主力を使って裏切り者もろとも陳留への道筋の部隊を片っ端から蹴散らしちまえばもう奴らに手はねェさ。殿は俺が……?」


首の筋が浮くほど犬歯を噛み合わせた李確が唸るように馬首を返そうとした。

その肩を、水牛の蹄の様な大きな掌が掴んだ。


「……兄弟、その任、俺が往く」


地肌の見える頭に、いくえに疵の走る強面。牛鬼の如き巨漢が、李確の目を真っ直ぐに見詰めていた。


「徐栄。いけるか?」


高順の灰色の眼が光った。

徐栄は、頷きも返事もせず、ただ長年共に戦い抜いた者同士のみがわかる間と呼吸で、応と言った。


とりあえず辞めないよ! という意思表示みたいな。

あとがきでネタを書く余裕すら無いぜ!

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