中原動乱編・第八十一話―――――――「海嘯」
「ノッポさん、凪ちゃん無事なの?」
「死んでねェ、とりあえずな」
「つーかにいさ~ん、あの別嬪さん誰なん? なんかも~明らかにタダモノやない感じミシミシ出とんねんけど」
「関羽だ」
空気が冷える。
肌を撫でるのは人の汗と血が浮いた戦場独特の脂っぽい空気だが、それでも毛穴が締まるのが分かる。
「たった一人でも戦局を変える力を持ってる。名実ともに劉備軍の攻守における最重要人物……」
表情が、肩が強張ったのは、恐らく直接的な脅威を感じた曹操軍の彼らでは無く。
関羽の方であっただろう。
「要は一番手柄ってこった。劉備軍の兵千人よりこいつ一人に価値がある。こいつ倒せばこの戦自体、今日で終わるぜ」
「……あァ~思い出しましたァ、アニキ、こいつウチの大将が欲しがってたって噂の奴じゃないですか? 生け捕った方がイイんスかね」
「それが出来りゃァな」
名も知らぬ奴らとまるで積年の戦友であるかのように話す。
なのに、何で私の事をそんな目で見るんだ。それじゃまるで。
「……いつまでそんな顔してんだ?」
“関羽”なんて呼ぶな。
「愛紗」
――――――そんな風に“愛紗”と呼ぶのもやめてくれ。
「……兄上に、お逢いしたのか?」
「ああ」
「兄上は、死んだのか」
「俺が殺した」
死んだか、死んでいないかと言う関羽の問いに、彼は殺したと答えた。
はっきりとわかりやすく、それがたまらなく嫌だった。
問答は終わりとばかりに、ノッポは構えた。左手は手刀で、剣は胸元まで引いて切っ先で相手を指す。片手剣の名手・糜芳は十年経っても独特な戦法のまま相変わらず。
ノッポが何かを叫んだ。言葉としての明確な意味を持たない、持たないというよりは意味に変換されるよりも前の、精神の発現をより原始的な、精製されない純度の高い形で反映させた叫び、裂帛の気合である。
それは短く、鋭い。闘争、ひいては戦場と言う環境で声を使うならば、それは言葉として整えられたものでは明らかに遅すぎる、故にこういう形になった。
五人が一斉に動いた、関羽もまた。肉体は、時に思考よりも速く反応して動く。強者であれば、ある程そうだ。
「―――――――ッッツ!!」
初めに突っかかっていった沙和と真桜が、目を見開いた。
刃を振り下ろした時の感触は、巨大な大岩――――――否、暴風か。
沙和の振り下ろしと、真桜の突き。武蔵流の教え、五輪書水の巻・足遣いの事、における運用は日本古武道に広く共通する教えでもある。それによれば爪先を浮かせるように脚はさながら鳩尾から生えているものとしてむしろ踵を強く踏み付け、歩むように足を踏み変えて打つ。
アキレス腱から背中を抜けて後頭部までを一つのアーチ、あるいは一繋がりの金型のように形を作ることで身体のたわみを無くし、踵で地面を踏み付けることで強固な重心を作る。爪先では無く踵で踏むのは、指先だけでなく足裏全体が使える為、大きな出力を出せるという単純な力学的理屈である。支えは人体で最も強固な部位の一つである踵に集中し、地面と直通する。さながら銅像の様に一個の塊と成った分散しない纏まった重心を持つ強固な態である。そして体重移動は脚を蹴るのではなくボールが転がる様に自由落下の力で行う。筋力はあくまでインパクトの瞬間、しっかり作った“強固な重心”を取れる骨格の形をホールドする為に使用する。そして打ち込む時、体重は歩み出した前脚に100%乗り切る様に前に入れる。
五体を武器として考えた際、それが最も打撃に重さを乗せる事の出来る理屈である。卓越した身体能力・身体感覚を持つ彼女らが行うそれは当然ながら高い。
関羽が払った真一文の青龍偃月刀は、彼女らの得物を斜から薙いで小枝の様に弾き飛ばした。重力が万物絶対の法則である以上、加速度に乗ったものの方が推力の上で有利である事はゆるぎない。沙和、真桜による二点同時攻撃、それも突きと打ちと言う軌道の異なる二種類の攻撃である。通常であれば一方を払ってももう一方を防ぐには間に合わず、受け止めようとすれば刃の推力にそのまま圧し潰されるであろう。
関羽はかち上げる様に斜め下から真桜の突きを斬り払い、その軌道の延長にあった自らの脳天に沙和の刃が到達するよりも速く到達し、双剣を纏めて吹き飛ばした。
軌道を妨げた得物の抵抗などまるで無いが如く、さながら羽虫を払う様に、それくらい圧倒的に次元が違った。関羽が当たり前のような顔をして行ったその対処が如何に規格外の事であるかは、信じられない様なものを見ながら腰ごと浮かされつつ尻もちを着いた彼女たち二人の表情が物語っている。
「チッ!!」
二人の間を抜けて、その影は低く低く入った。一呼吸を八つに割ったものを秒と言い、その十分の一を糸と言う。二人が吹っ飛ばされてから入れ替わりでその低い影が剣を繰り出すまでの間が、丁度その糸くらいの間隔であっただろうか。
チビというあだ名が付くほどの低身長を逆に利点として活用し、這う様な低さから百足のように伸びてくる。通常目の慣れぬ角度であり、先の二点打ちからの波状攻撃であることで目を散らす効果はさらに増す。
「ッ!!」
斬り上げた太刀筋は空を切る、いや、空を斬ったというよりは、前進の力が止まってその場で回転したかのような空転だった。
振り切った青龍偃月刀を左手一本で支え、円運動に従う様に左足を引いて身体を真半身に四股立ちとなる。
背面を通す様にして斬り上げを交わし、重心を落とす力と真半身を切って肩を入れることで距離を稼ぎ、右掌で喉輪を入れた。そのつっかえによって前進は止まり、滑り込んでいったチビの身体は逆にくの字に折れる。
震脚するとチビの身体が飛んだ。一歩後ろから詰めていたノッポが急停止して受け止める。関羽が身を翻した。
「ふんーッ!!」
声無くひと足で跳んで間を詰め、関羽が偃月刀を振り下ろす。巨体が割って入り、紅い線が走った。
見た目に派手な鮮血が舞ったが、なめした革の鎧と分厚い脂肪、何よりむんと肚を張った気合に圧された気がした。
唸りを上げる返し刃をデクの棍棒が受け止めると、稲光の様な音が轟いた。
「むおッ」
得物が飛ばされて身体ごとデク、チビ、ノッポが前から順に纏めて吹っ飛ぶ。間に挟まれたチビが蛙の潰れたような声を出した。
「つ……」
五人全員の身体に土が付いて、思う。
(強い……!!)
関羽の服には、一握りの土も付いていない。かかっているのは返り血と少しの汗と、みだれた髪。
(う~わっこらあかんわぁ……怖っわあ~~~っっ、トイレ行きたぁ~~~~っっっっ!!)
(こんな事ならケチくさくお給料貯めたりしないで気になってた春夏の新作ぜんぶ買っちまっとけばよかったの……)
戦場では、死に態は即、死を意味する。加えて言えば実戦格闘において寝た状態ほど無防備な体勢は無い、故に転倒すれば何よりもまず最優先で立ち上がり身を立て直すのが鉄則だが、この時ばかりはみな、呆けて静止する様な間が一瞬だけあった。
圧倒される、とはこういう事を言うのだろう。
ノッポがペッと唾を吐いた。吹っ飛ばされた際に口の中を切ったか、血が混じっている。おっくうそうに立ち上がる。
「俺達五人をまるで寄せ付けねェ力を持っている愛紗、お前が」
土を濡らした赤い唾は、すぐに喧騒と砂ぼこりに呑まれて渇き消滅した。
「なんで一人も殺せねェ?」
「……」
関羽が再び構え直す。
手の位置、足幅、肩の高さ、それらすべてが全く同じ軌跡を辿って同一の場所に戻る、機能的な美しい所作だ。
「敵将、糜芳。貴様を……殺す!」
ノッポは顔の泥も血もぬぐわずに構えた。
ピリッとした間合いが、両者の間に出来上がっていく。
「――――――任務、完遂!!」
「ッ!?」
やがて両者の身体が微妙に拍子を刻もうとした刹那、割って入った電磁葉々の轟音が張り詰めた空気を砕いて、周囲の戦い、合戦の喧騒が一気に流れ込んで来た。
「本作戦は無事に成功しました! 各戦線の担当部隊は速やかに兵を収拾、大本営へ帰還すべし! との華琳様よりの仰せです!」
「おう……てめえら、仕事終了だ! 怪我人背負ってさっさと退くぞ! 取った首は置いてっちめェ、ケツ斬られてマヌケ見るなよ!」
「応ッ」
「ようしゃッ、逃げんで、逃げんでぇ!」
「回れ右して後ろに前進、なのー!」
「典韋、頼むぜ!」
「はいっ」
言うが早いか、走り込んで来た少女の振るう巨大な鉄塊が繋ぐ鎖ごと半円を描く様に飛んできた。
鎖に巻き込まれる様に足を刻み、小賢しいとばかりに偃月刀で振り払う。
だが、それは時間稼ぎとばかりに既に関羽に向かう矛の切っ先は無かった。糜芳、尻もちを付いていた各将、そして周りで戦闘をしていた兵までもが一斉に退却の体勢を取り、先ほどまでの激戦など有らぬが如く、熱が引く様に引き上げていく。乱入してきた少女もまた、案内人のように退却を補助する。
まるで、全てが最初から予定されていたかのような動きだ。
作戦、完遂だと言った。いまだ戦は続いているにも関わらずだ。
ならばこの戦いによる曹操軍の本懐は我が劉備軍とは全く別の所で遂行されていたという事は明白。
言うなればこの地点での戦闘そのものが――――――時間稼ぎだったという事か?
「愛紗」
巻き上げられる土埃のうねりが変わって関羽ははっとしたが、引き潮の如く一斉に始まった兵の流れの中で糜芳がおもむろに立ち止まった。
「ガチで殺す時に言葉は要らねェ。平然と斬れよ、斬るならな」
「! 待て、糜芳!!」
「それと」
関羽は構えたまま、微動だにしない。二人が視線を交わらせたのは数秒かそこらであったか、やがて糜芳は踵を返す。
「俺は将軍じゃねェ。ただの……ノッポだ」
大群の空気だけが、後を引く様に残った。
「……たはーっ! 生き残った! 生き残ったでぇ!」
「さすがに今回は死ぬかと思ったの! ノッポさん大物ぶってるワリに頼りにならんの! 同格っぽい態でいたけど絶対勝ち目ゼロだったよね!?」
「バカヤロウ、死なんかったのどう考えても俺の功績だろーが! 戦闘力はともかく展開的には五分だべ!? むしろ勝ちだべ!?」
戦線を完全に離脱した所で、堰を切る様なため息とともに真桜が言った。
デクの肩の上に伸びた凪とチビが担がれているが、とりあえず命はある。
「しっかしなあ、あれが関羽かいな。噂には聞いとったが……とんでもなくごっついわァ、華雄姐さんはよくアレと渡り合ったもんやで」
「あいつ馬術はそんなに得意じゃないからな。それに性格にムラがある」
糜芳と関羽の因縁を、彼ら曹操軍の仲間たちが知る由も無い。
「兄さん、アレとは同郷か?」
「まあな」
「……ほうか」
特にそうとしか言わなかったので、真桜がそれ以上、聞く事も無かった。
「お師匠! 鼓が鳴っておりまするぞ!」
「わかっとる! せかすない!」
返事とは裏腹に武蔵は正対した身体を向き直らせようとしない。
「はようはよう、お師匠早う」
「わあっとる、わあっとる!」
生返事の間にも趙雲が脇で一人突き殺した。不満そうに梅雨払いして急かしながら、しかし武蔵は空気を読もうともしない。こういう場合、常人なら周りの雰囲気に察知して少しは動きが出るものだが、口で返してはいても剣に見立てた竹が微動だにする事はなかった。
「お前ら、やる気あるのかー?」
「私はあんまり!」
「俺はある。嬢ちゃん相当強いからなァ……」
「ふーん……ま、なんでもいいけど、やるならいくのだ」
「あァ、一対一。さあ、勝負だ」
張飛とは三合結んだ。武蔵は薄竹によってある技を行おうとしていたが、いずれも仕損じている。むろんこの小さな闘士の一打一打が僅かでも受け損なえば即座に命が飛ぶほどに緊張感溢れたものであることは説明するまでも無い。
踵をエンジンとして地面と肉体を直通させ、一個の重心の塊とする。五輪書に記載されたその極意は、基本にして奥儀、でありながらあくまでも技の入口に過ぎない。
こんな話がある。運動中の人間の脳波を計測するという実験で、ある剣術家のデータが興味深い結果を示した。その剣術家が振るった木刀の切っ先に物が当たった際、脳の触覚を司る部分が反応した。次に構え静止したままの状態で研究員が切っ先を指でつまむと、その剣術家の脳の指先の感覚を司る部分が、指をそのように触った際と全く同じ反応をしていることが明らかになったという。神経の通っている筈の無い無機物が、である。
身体を一つ纏まりの物として扱う事を型が教えている以上、得物を振るうならその得物もまた、一繋がりの生身の一部として扱えなければ威力、もとい“行使力”を物理的な力として相手へ作用させる事は叶わない。
「と~……っっっりゃーーーーーッッツ!!!!」
「おうッ」
甲高い雄叫びを上げて突進してくる。勢いはまるで小型の戦車の様だ。
岡山県に、宮本武蔵が壮年以降に使っていたとされる鍛練用の木刀が残されている。それは全長二尺足らず幅一寸足らず、重さは200~300g程度の持って見れば拍子抜けするほどに小型の代物である。
重く長い大得物を振るって勇を誇った剛力無双の武辺者は室町戦国より数多いが、身の丈八尺にして膂力鬼の如しとされた宮本武蔵は、小枝の様に頼りない木片に力を乗せる事を求めた。
物体が衝突する時、同じ速度と質量であっても芯を食った当たりと擦る様に掠った湿った当たりとでは対象に伝えられるエネルギーはまるで異なる。また衝突の際にその場から微動だにしなければ衝撃をそのまま食うが、接触した瞬間に進行方向に同じ速度で動けば衝撃はゼロであり、それを応用すれば衝撃力を耐久力の範囲内に収まる様に減退させつつ、柔らかに受け止める事も可能である。
正しい武術の理に基いた正しい『受け』とは、そうした力学の法則に則って作られていると言っていい。達人は打ち込まれる得物に掌を沿えるだけで、あるいはそういう補助すら使わず打ち込まれた体のいなしのみで以て攻撃を捌く事が出来るという。
どちらも神秘では無く、れっきとした物理法則の話だ。逆に言えば不合理は武とは呼べぬ。
柔よく剛を制すも、剛よく柔を断つも道理であり必然だ。
蛇矛が迫る。その疾さと凄まじさは既に凡百の人知が及ぶ域を超えている。時と場合の巡り合わせ次第では、たった一振りで伝説として後世に長く語り継がれるだろう。そうそう、お目にかかれる迫力では無かった。
秒の百分の一を惣と言い、そのさらに十分の一を毫と言う。余人の立ち合いで交わされる『一瞬』という交錯の刹那よりも遥かに厳しく繊細な、一毫の判断を取り間違えば瞬く間に身を砕かれる事になろう。その少女の一打はそういう域に達している。それを木端の様な竹光もどきで受け、捌き、返す。
出来るのか?
「ッ!?」
「……出来たッ!!」
研ぎ澄まされた武蔵の勘が、千分の一秒を見切った。
卵を包むようにふわりと受け、飲むように僅かに腰を沈め引き込みつつ添え当てた竹を回して、逃がす様に上へ払い上げる。殆ど触れているだけのように、それでいて圧は遠心によって蛇矛の穂先が放り外されるまで微塵も変わらず。
それは、感覚である。生の卵黄を箸で摘み上げるが如き緊密な身体操作を、一毫という半紙一枚分ほどのごく僅かな猶予で一分の損いも無く実行できる繊細な皮膚感覚の為せる業。
超音速で飛ぶ銃弾が葉っぱ一枚に軌道を変えられる事がある様に、また限界まで絞られた強弓の矢が水面に触れた時跳躍するように水切りをする事がある様に、物質のベクトルを変えるのは角度と方向性が適切であればほんの僅かの切っ掛けで事足りる。だが払う際に必要以上の力でバシッと弾いてしまえば竹の耐久力は蛇矛の前に易々と限界値を超え、砕かれるだろう。無論、力が足りな過ぎても体から穂先を逸らさせるまでには至らずそのまま肉体を貫かれたであろう。故に、この竹光もどきによる受けを実行する際にはさながら紙を竹光もどきと蛇矛の柄の間に挟み続ける様に絶妙な一定の接触を加え続けて完全に捌けるまで誘導する、そんな受けが要求された。明確に己の命を狙ってくる燕人・張飛の速さと威力に対して、である。
逆に言えば、その超人的領域での技が実行できるのなら強靭無比の蛇矛を木端片の竹光もどきで捌く事は可能であり――――――それに体重を乗せる事も、また可能だ。
「おおっ!!」
美味しい所を師匠に取られ、雑魚の露払いを命じられ、張り合い無いまま仕事の終わる合図がしてさっさと帰ろうと催促していた。
その星が思わず声を発す。上に捌かれ、身体だけが前に突っ込みながら懐に入ってきて、外された蛇矛に振られて身体が流れる。正中線が空く。上に捌き上げた竹光もどきがズルっと、空いた眉間をめがけて落下した。
踵を伝わって大腿二頭、大殿筋、腰から背筋へと伝えて棘下上筋、手首の返しと指先の極めが竹光もどきの切っ先まで流れを滞らせる事無く。
乾いた炸裂音がして、プシッと血が噴き出た。くわんと首が据わらなくなり、膝が落ちる。
「よっしゃあ! 逃げるぞ星!!」
「お師匠、首級は!?」
「その余裕は無い!!」
技を決めて、張飛の身体が倒れるのも見届けず身を翻して脱兎のごとく。飛び退いたその箇所に、劉備軍の矢が降ってきた。
既に味方は退却を始めており、大将と副将である武蔵と星は既にしんがりの位置である。まさしく一目散、と言った態で退却に切り替え、さながら逃げ遅れの様に戦線を離脱した。
「……手段に拘って功をみすみす見逃したんでは本末転倒ですな。初めから太刀を抜いていれば容易に斃せたでしょうに」
「人間殺すのに、そもそも技なんて要らんのよ。寄ってたかって遠間から石投げりゃいいのさ。だが安易な方法にばかり頼るといつしか地力が減退しているものだ。輿に乗ってばかりでは足が弱る様にな。いつでも万全の装備で戦えるとは限らんし、此方が寡兵の場合もある。そう言う時に身を守ってくれるのは、底力だよ。技も然り。より厳しい条件でより正確にを普段から求めておらねば非常の時に役に立たん。使える術も多ければ多いに越した事はない」
「敵将は生きているでしょうか?」
「死なんよ、たぶんな。所詮、どれほど上手く体重移動しようが木端は木端、瞬間的な衝撃は出せても脳髄を割るには足りん。並みならわからんがあの生命力の塊の様な童女
めのわらわ
なら口につっ刺して喉でも狙わん限り恐らく死なん。つーかこんなもん得物にするくらいなら素手で打った方がよほどに効くな!」
走りながら、竹光もどきを並走する星に見せる。弾けた様な返り血が付着する表面の部分が禿げているのがわかる。カラカラと笑いながら捨て去った。先行した味方の砂塵にまぎれてすぐにどこかへ行った。あと数十間ほどで部隊の最後尾に追い付く。
大将がいのいちに出遅れてもなお事前に打ち合わせた任務を遂行する曹操軍の練度の高さもさることながら、作戦も手柄も無視して目の前の立ち合いと「技」を優先するこの師匠もまた、本質的に軍人向けの人間ではないのではないか、と星は思ったが、口には出さぬ。武蔵自身が出した例えの様に、前々からこの御仁は大工や坑人のような職人に近い人種なのでは、と感じる所があったが、久々に強くそれを思った。
尤も、『我拘に没頭し周囲を顧みない』という気質は星にも少なからず通じる所であるのだが、彼女自身にはまだその自覚は無い。
「あえて難しい事を試みるから理合の深化がある、ってな。ならばだ、砥石も上質である程良い。普段から百の事をやっていれば多少不細工になっても八十くらいの戦いは出来るって事だ。だから日頃から制限と課題を設けて練る事が重要……うおおっ、射ってきた!」
「もたもたしておられるから尻に火が付くのですぞ」
水飛沫の様に降ってきた矢の塊を、一足飛んで避けた。
星が身を切り返して反転する。まばらに飛んでくる矢を槍を振り回し一息に払って突破し、短弓をつがえながら走る追撃の先頭に肉薄すると瞬く間にそれらの首を立て続けに突いた。
前進を止めた劉備軍先団に向かい、もう一振り横払い。血飛沫が舞う、が、その紅が届いて着物が汚れるよりも速く星は踵を返し、さらに数十間離れた武蔵の隣にサッと追い付いた。
「颯爽とした女だねェ」
「露払いを仰せつかりました故」
「……根に持つ女でもあるね」
最後尾に追い付き、砂煙の中に潜る様に二人は人の群れへ入った。
土色の中でも眩いように映える色白の美しい横顔はつーんと冷たい。まあ、すっかり乗り気だった星を押し退けてまで武蔵が、それもごく個人的な理由で出しゃばったのだから多少の恨み事は仕方が無いだろう。
「この撤退、作戦は首尾よくいったと考えて良いのでござろうか」
「あるいは全てがく敗れ去って完全に詰みに入ったが故かな」
「ふーむ、そうなったら次の就職先に困りますな。二袁は南北で結びでもせぬかぎり到底あの馬賊には敵わんでしょうし、劉備軍は鎧袖一触でございましょう。かといって漢人の私が涼州軍に降った所で八つ裂きにされるがおち……ふむ、孫策の所にでも参りますか。酒好きが多いと聞きますし」
「ううん? 武士ならばたとえ斬り死にしたとて戦場から一歩も退かぬのが誉れではないか?」
「むろん曹操軍悉く滅ぶとも最後の一兵となるまで死力を尽くす所存ではございますが、さりとて戦の後に追い腹を切るつもりはありませぬ。仮に曹操軍が地上から消え去っても私が討たれなんだのなら私にとっては勝ち戦にございまする」
「義理堅いんだが薄情なんだか微妙な所だな」
「お師匠だって同じようなものではござりませぬか」
「いっそ大海を越えて蓬莱でも目指すか?」
「おっ、良いですな。仙人の郷里、不老長寿の仙酒があるなら是非とも一献干してみたい」
「……ま、そうならんことを願うさ」
「俺の到着より早く陥としてしまったのか」
「陥陣営の綽名は返上して貰おうかな、高順将軍」
「欲しけりゃやるよ、郭汜」
武帝が欲し、西極天馬の歌に讃えた汗血馬。名将・霍去病を用いて匈奴を破り西域を掌中に収めた漢代の最盛期を象徴する金色の鬣を持つ名馬は、今は漢を崩壊させる滅びを運ぶ者として中原に蹄を鳴らす。
「濮陽はどうだった?」
「無人の野を往くが如く! 当たる敵当たる敵、野草を踏み折るよりも容易く散り散りになっていったわ。もはや曹操軍の勢力は頂点を越したと見える。あとはきのこ狩りの様にゆるりと掃討するがよかろう」
「このまま南下して一気に曹操を追い詰めるか?」
「うむ。だがまずは西部の母軍から一旦物資を搬入し、戦線を繋ぎ直すのが良かろう。既に大勢は決したも同然、焦る事はあるまい」
郭汜の皮鎧、血と臓物がこびり付き固まった黒ずみの上を新たな肉片と砂利が上塗りしている。並外れた攻撃力とそれを車懸りに打ち込む速度。曹操軍は高順達が戦ったどの敵よりも精強であったが、やはりその殺傷力は漢人の尺度からすれば未曾有の物であったのだろう。それに晒され続ければ曹操軍の戦力が大幅に減退していくのも道理、敵の本拠地の大部分の侵略を完了した現状を鑑みれば、もはや曹操軍に抵抗の力は残されていない、そう判断するには十分である。
だが。
「どうした、確」
隣に轡を並べる李確が、一欠けらの安堵すら浮かべていない。敵の腸を浴びるほどその日の夜は心地良く眠るこの男が。
「おかしいぞ、順」
「何がだ?」
「敵だよ。余りにも弱過ぎる」
幼い頃から奇しくも共に戦い続け何故だか生き残った、十数年間突き合わせているその顔。
表情には一切の冗談気もなく、その瑪瑙を思わす独特の質感を持つ瞳が光る眼は、まるで未だに戦場の只中にいるかのように極々鋭いばかりだった。
「この濮陽が陥ちれば曹操は縄張りを根こそぎ失って東に遁げるしか無くなる、要はここが最終防衛戦線だろ。なのに曹操はおろか、夏侯惇も夏侯淵も居ねェ。妙だろ、どう考えても。なにより……あの軍で一番強ェ男の姿が何処にも無かった」
「一番強い? 誰だ、それは」
「官渡で俺と切り結んだ大男が居なかったンだよ」
「……大男?」
「千と二百斤は優にあるだろう大青毛に乗った総髪頭のスカしたヤロウだ」
郭汜・李確の先鋒隊が陥落させた濮陽こそ曹操軍の本拠である兗州の東端である。この地を失陥すれば、曹操は先に攻めていた徐州に退くか、南の袁術・北の袁紹のどちらかを頼る以外に術は無い。なればここの戦は全ての戦力を結集して決死の抵抗を図るべき所であり、たとえ曹操軍の損害状況がまともな軍が組織出来ぬほどの甚大なものであったと仮定しても、曹操本人やその以下の筆頭臣下達が影も形も表さぬというのは明らかにおかしい。
加えて李確の言う男には、高順自身も覚えがあった。
「そいつは琥珀色の目をした雅な形の苗刀を使う、お前と同じくらいの身の丈の屈強そうな男か?」
「知っているのか、高順」
「虎牢関で見た事がある。奇抜な出で立ちだったから覚えている、曹操軍で将軍ぽいのは女ばかりだったから余計にな」
「俺の追撃を退けやがったヤロウだ」
李確の眉間に燃える様な皺が走る。高順は静かに、腰元に携えた瓢箪に口を付けた。
火を付ける為の蒸留酒を水と果汁で割ったという、乱暴で硬質な熱さが喉を焼く。
「―――――――急訪でございます!! 甄城が敵軍によって占拠されました!!」
「……あァ!?」
「――――――どうやら、桂花の策通り進んだようだな」
「後手に回るのはもう終わりだ! ココから反撃開始っ……だよな、秋蘭!」
「フッ……そうだな、姉者。そろそろ目に物見せてやろう」
「……うふっ」
「――――――曹操が出たのか?」
「いえっ、旗印は夏侯……夏侯惇・夏侯淵どちらかの部隊による攻撃かと!」
「あの奇兵好きなら馬印を誤魔化すくらいの策は平気で使うさ。今一度調べろ」
「はっ……」
「つーか何でそんな所に敵が居るんだよ? 今更あンなトコ獲ったって何にもならねーだろうが!」
「いや、それ以前にだ! 何故あの地点に敵が侵入できる!? あんな所に敵が突っ込めば遊撃隊のいずれかが察知する筈であろう、侯成や宋憲が素通りさせたとでも言うのか!?」
「それが、出処定かではならぬ怪文が出回っておりまして、その……」
含みの有る言い方をして、その兵士は言い淀んだ。窺うように彷徨わせる視線が、高順の灰色の瞳と結ぶ。
「構わん。言え」
低めの声が、突き刺さる様に響く。高順には威圧的な意思は無かったであろう、が。
兵士は面を上げもせず、蒼白な顔を俯かせたまま一枚の書状を手渡し、すぐさま馬ごと距離を取った。
くしゃくしゃの、元は矢文か何かであったのだろうか。
高順が広げ、横から李確と郭汜が覗き込むと、郭汜の髭がにわかに逆立ち、李確の眼は真っ赤になった。
「そ、それなる飛言が軍中に飛び交い、諸将の判断に迷いを起こさせ! 殊に関中以西の母軍には蔓延しており、全軍は混乱を来たしておりまするー!!」
殆ど衝動的に李確が得物を抜いていた。郭汜が食い掛らんばかりに、歯を剥き出しにして兵士へ仔細を問いただしている。
――――――董卓は生きている。
漢賊の遺醜・高順の専横を許すな。
内容はほんのたったそれだけの、短い一文であった。
血が噴き出す様な怒号の間で、高順は灰色の目でその文面を静かに撫でると、少しだけ肩を竦ませ、鼻を鳴らした。
それだけであった。
やっとここまで来たよ。最近なろうログイン頻度が減り過ぎてヤバいです。どうにかなんねえかなあ。
最近のワンピースキャンペーンが何かマイコーが逝去した後のフィーバーみたいな感じでいい加減イヤです。
個人的にはワンピース大好きですけどね……直撃世代ですから。アニメのエンドロールがTobeContinueじゃなくつづく! だった当時から視聴してたリアルタイム世代ですから。
別に古参気取るわけじゃないですが、ずっと昔から普通に面白かったものがブームとかで急に持ち上げられ始めた時のあの感じが嫌いだってのはきっと僕だけじゃないと思います。
クラッシュバンディクーをもう一度やってみたいなと思うけれど、当時の心境と変わってしまった自分を再認識するのが嫌で結局コントローラーを握れずにいる。
「当時」は二度と戻ってこないのだと痛感させられる事は時として非常に辛い事であったりします。僕がドラゴンボールZ神と神に抱く感情も丁度それと同じです。
思い出の中でじっとしていてくれ……(でも予告ムービーは結構良いなと思いました)。