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中原動乱編・第八十話―――――――「世界中の夢と祝福とアイを君に」

男は三日会わざれば顔つきも変わる。

女は一晩越せば目の色が変わる。

50年経てば今生きている人間は大抵入れ替わってしまう、100年経てば時代そのものが。

時の流れは悠久の様に見えて驚くほどに突然に、留めようがなく一瞬のもの。

世の中には不滅のものなど何もない、人の心だって変わっていく。

そして二度とは戻らない。

それは良い事でも悪い事でも無く。“うつしよ”とはそうあるべくしてそういうものだ。





「糜芳殿……本当に、糜芳殿、なのか……」

「……」

「……は、ははっ! 良かった! 良かった、生きてて……!!」


どれほどの時ぶりであろうか。

記憶の奥に仕舞い込まれて、思い返す事すらあやふやだった面影が一気に引き出された。かくも鮮明に。

自分の脳の底の方が、瞬く間に朱付いて行くのが関羽にはわかった。


「あれからどうしてた? 元気だったか? いや、元気かと聞くのはおかしいか、こんな時代だし……」


何もかもが一瞬で蘇ってくる。暖かさすら感じる懐かしさが胸元まで駆け上がって、大した意味のある言葉が出ない。

薫風の様に。

詰まるほどに駆け巡る気持ちの奔流が、唇を超えて遥かに遠くまで先逸る。


「愛紗」


びくりとした。


「……お前、お前、ガキの頃の事って覚えてるか?」

「……?」

「好きだった給食、よくやった遊び、隣の席のヤツの顔。覚えているか?」


言葉に詰まった。それは思いだせないからではない。糜芳の顔を見た瞬間に、昔の記憶がにわかに極彩色になったかのように胸を巡ったのだ。そこにそういう問いを掛けられて、新たな思い出が溢れかえらんばかりに、理路とした形で表わすのが困難な程に氾濫し逆に声として発する事が出来ない。

それは言葉にならず、()の潤みになる。


「……俺も小等部だった頃の昼休み、一番乗りした誰も居ない校庭の空気、未だに覚えてるよ」


零れ落ちそうになった。

声にならない関羽の想いを、言葉にせぬまま解してくれた糜芳の静かな声が否がおうにも過日を思い出させてどうしようもなく。

どうしようもなく。


「――――――二度と戻りたいとは思わねえ」


その糜芳は、疾かった。

ずっと昔、まだ愛紗が齢十一か十二かそこらの頃、兄とこの糜芳は既に成年、よく稽古の為に立ち合った。

戯れ混じりの――――――しかし真剣で無我夢中だったその記憶。刹那に去来した記憶の中のその踏み込みより、眼前の一歩は遥かに鋭く。

万感に震える様に硬直していた関羽の身体の毛穴が一瞬にして開く。

軍神関羽のその時の表情は、拍子抜けするほど少女だった。超人的な肉体だけが皮膚で感覚を掴んだに過ぎない。その表情は、無垢なままに怯えた目、驚愕の顔、まっさらな子供の顔。

向けられた意思が裏から表まで徹して殺意であったから、関羽は殊更動転した。何が何だか、わからなかった。

糜芳はとても速かった。身のこなしも、決断も。

糜芳の冷たい刃の冴えは残酷なほど、彼女が思いもよらぬほど上から下まで“敵”だった。








「星!」

「はっ!」

「任務を申し渡す」

「ははっ、この趙子龍、不肖ながら武蔵門下第一の弟子として見事この立ち合いを制し、武名を挙げて見せまするぞ!!」


バッ、バッ、と戯曲の様な大袈裟な見栄をいちいち切る。しかしその度に振り回す愛槍・龍牙の穂先が作る煌めく軌跡はまさしく流麗華麗の一言に尽きる。完璧なまでに無駄に洗練された無駄の無い無駄な動きだ。

不肖ながらと謙遜しながら臆面もせず一番弟子を名乗る辺りは如何にも彼女らしい。慇懃無礼なわけではない。謙遜の態度も本心からであるし、また誰に憚るまでも無く武蔵に連なる武人達の中で自分が第一の実力者であるという認識も一片として疑わぬ自負なのである。こういう一見すれば成り立ちようも無い矛盾を全く疑問を持たずに自己の中に納められる所が星という女のずば抜けた面白さであり、同時にタガの外れた部分でもある。


「この張飛、俺にくれ!」

「はっ! ……――――――はっ!?」

「梅雨払いは任せたぞ」

「なんとおっ!?」


ややわざとらしいくらいの大きな声をあげた。

彼女は怜悧で頭の回転も速いが、物事に遊びを設けたがる性質からなのか七情の変が激しい。これが凪や春蘭が相手だと終始からかう側に回るのだが、長者と話す時は往々にしてコロコロと表情が変わる。


「おかしい、その理屈はおかしい、お師匠」

「何が」

「ぶっ散らかした大見栄がダダ滑りでございましょう! どう考えてもこの流れは私とこの張飛殿の一騎打ちではござらんか!」


甲高く叫ぶとともに、ズバッと鳴り、ドシャッと落ちた。

漫才のような掛け合いをする二人の空気にお構いなく斬りかかった一人の劉備軍兵士は、そちらに目もくれる事すら無く、くわっと見開く様に武蔵に食ってかかるまま振るった星の、構えも一瞥も無き無形の突きで討たれ、打ち捨てられた。

蚊でも叩くかの如く、否、注意すらそちらに向かぬ時点でもっと気安かったかも知れなかった。あまりに速く突き、そして引き抜いたため、穂先は一滴の血も吸わない、吸う間もなく。

張飛の顔が、にわかに変わった。それに気付いて、武蔵は、にやっと。


「技と言うのは、穴掘りに似ている。目標の深さに到達した瞬間に、既にして次に掘るべき地面に立っている。土がある限り掘り続ける事が出来、途中の掘り易し難しはあるが、土そのものに終わりが来る事はない」


一瞬で死に態に変わった兵士の側にゆっくりと、足音無く寄り投げ出された槍を取る。


「竹か」


兵士はまだ骸にならず、うつ伏せに突っ伏したまま痙攣していた。身体が覆い隠している下の地面は、胸に空いた穴から鮮血を大量に啜っているだろう。

武蔵はこの兵士たちの士気から鑑みればあまりにも粗末な作りの竹の素槍を以て、穂先を首の裏に突き立てた。針を通す様にストッと刃が入ってビクリと硬直したかと思うと、そのまま動かなくなった。


「あるいは大工かな。鉋で木の肌を削る、より柔らかく薄く……求める精密さに天井は無い。血が巡る限り追求は続く。より窮まった条件で、より強大な砥石に身を当て、ひたすら研ぎ澄ます」


右片手で一度強く振る。唸るような風が捲いて、柄の材料である青竹が割れた。武蔵の握力に耐えられなかったのだ。さらに二、三度振る。アッという間にバラバラになる。

八つかそこらに割れた竹の一片を取り、パキッと割って、さらにもう一度バキリと折った。長さは肘から手の先ほどであろうか。随分と小さくなった竹片を親指と人差し指の間に引っかけて、振る。

ピュンっと、剣の様な音がした。


「奥深いが、やってる事は単純だ。それだけに稽古に足る敵と然るべき境遇で逢える時は得難い。今日は良い日だ。機会は逃さん」


竹片の尻が巨大でごつい掌の小指に引っ掛かり、人差し指の上で繊細に止まる。

ぶるりとした。

こちらを向いた青竹のささくれ立った先端。千切りとられた其の場拵えの切っ先が、先ほどの、龍の止まり木の如く鮮やかに舞わせた少女の槍の穂先よりも遥かに鋭く見えた。


「いざ」


相変わらず構えと呼べぬ構えだったが、もはや人懐っこく声を掛ける事はなかった。

瞳孔は猛獣のように。逆立つ眦はひたすらに獰猛。下肢が弾ける、大地が抉れ、旋風を巻いて肉が躍る。脇に締まった長尺蛇矛。棚引く赤毛は石火の如く。

張飛は、疾い。






抜き打ちざまの細剣が降ってくる。柄に引っ掛かり少し遅れて、長身痩躯が突っ込んでくる。


「ッ!!」


密着すると一瞬だけ視界を失う。鍔迫りの形になったと同時に糜芳は空いた左手で関羽の一房の黒髪を掴み力任せに引く。露わに剥いた白い喉に片手剣の柄尻を落とす。

糜芳の判断は滅法速かった。

関羽は未だ混乱していた。故に、それを弾き飛ばしたのは殆ど生存本能の領域、咄嗟の反応に過ぎない。


「……はっ……はっ……」


遮二無二身体を奮わすと、髪止めが外れてみだれ髪になる。紙の様に吹っ飛んだ糜芳の背中に派手に土が付く。

青天井にもんどりうって転がった。立ちつくす様な関羽の肩が知らずと強張る。

左手に残った数本の艶黒。糜芳がまるで表情を変えず起き上がると、それも土煙舞う戦場に呑まれて風化していった。


「何故だッ、何故ッ!! どうしてですかッ、糜芳殿ッッ」


まるで、跳ね飛ばした方が劣勢であるかのようにも聞こえた。関羽の、その言い様。


「確かに、成り行きで敵味方に別れたかもしれないが、生きてたのならッ! 今度こそ、私達と一緒に!」


糜芳は音も無く起き上がる。土埃を払う事も無く。その目も。怖いほどに静かだ。


「愛紗」


声色は記憶の中の響きのまま変わらない

ただ温度が違っていた。


「大人になったんだよ、お前はな」


その一言が聞こえたか、聞こえなかったのか。定かでは無かったのは、関羽の持つ極めて鋭敏な反応回路ゆえ。

超感覚的な皮膚感覚が、意識が糜芳に集中する事を許さなかった。言葉よりも物理的な刃の脅威を半ば無自覚的に優先して捕捉する。

即ち、またしても音も無く飛び掛かってきた、背後、左右四方の敵である。


「ッ! くッ!!」


接触するまで引き付けてから体を切る事で棍を流し、剣を外す。腕と得物は紐の如く腰に従って振ってくる双剣と螺旋槍を打つ。斬り上げられた青龍偃月刀が唸る。二人分の圧力をものともせずに圧し返し、弾き飛ばす。空中に跳んでいた遣い手はそのまま力学に従って宙をとんぼ返りし、関羽の頭上を超えていった。

それら、すべて一刹那のうちの出来事。


「………………!!」


風を振り払うように襲撃を受け流して向き直る。柳の様に立つ薄い長身の脇に整列するように集う。

全方位の敵を想定しながらも、目の前の関羽に対して盤石な構えである。そういう個々の状況に適した陣形の組み方を数人単位の小隊、偶発的戦闘であってもその都度対応して取れる様に訓練を積み込んできているのであろう事がそれだけで窺い知れた。

チビとデクと、于禁に李典。彼らの名前を関羽は知らない。関羽の良く知る男たちと同じ側に立っているのは誰一人として彼女の知らない者たちだ。


「愛紗」


びくりとした。


「お前の兄貴は俺が殺した」


その時の関羽の顔は、思いもよらぬ程少女の顔で。

糜芳の顔は驚くほどに、上から下まで敵だった。


「二度と戻る事はねえ」


最近オタクカルチャーから物理的かつ精神的に距離を感じております、ななわりさんぶです。お久しぶりでございます。

うーん、なんだろうね……美少女好きかつアニメゲーム好きかつあずささんと幸せな家庭を作ってともに緩やかに老いていきたいという願望を秘めている私の気質は変わっていない筈なのですが。

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