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中原動乱編・第七十九話―――――――「流れ落ちた邂逅」


「よう、親爺」

「おや、旦那」


軍施設内に設置された詰め所。本来、外部の要人を招いて会合を開くのに適した場所では無い。

しかし既に市民は疎開を開始しており、民間の高級料亭などは機能していない。

それ以前に、死力を尽くす今の曹操軍にとってはもてなしの財貨も惜しいほどであったのだが。

そんな事で、今や河南有数の商人である親爺と数年来の懇意を変わらずにしている武蔵が居たのは有難かった。


「お待ちしておりましたよ」






「――――――どうですかな、戦況は」

「ん? どう……うーん。普通じゃないか?」

「おや、そうでございますか。城が落ちたという飛文や疎開だ出陣だと物々しいものですから、さぞ苦境で踏ん張られておられるものと」

「ああ、城はがんがん落ちとるぞ。西半分はもう全部取られた。拠点らしい拠点はこの濮陽を基点にした兗州東部と徐州の一部しか残っとらん」

「旦那、そりゃ世間じゃ敗色濃厚っていうんですよ。碁で言うならもう投了寸前じゃないですか」

「いかんせん実感無くてなあ。俺はまだ死ぬ気がせん」

「旦那一人が生き残ったって、曹操軍が消滅してしまえばどうしようもありますまい」

「いやあ、戦なんぞ詰まる所は自分の身一つどうなるかだろう」

「そうでございますかねえ」

「む……」


ぱちり、と親爺の枯れた細い指が盤を打つと、碁石をじゃらじゃらと混ぜていた武蔵の手が詰まった。

開いた隙間を見逃さず鋭く連絡を断った白石、盤上左上の黒地がこれで死に体になり、中央の混戦が安泰であった隅の領地に一気に波及してしまった。

これで武蔵の確保している地は、各所に点在する僅かな局地しか無くなった。


「ほら。小さい所五目ばかり盤石にしても全体に繋がらなければ局はどんどん悪くなるでしょう。そういうものですって」

「そんなもんかね」

「そんなものですよ」

「ふぅむ……おい、お前も手伝ってくれ。この親爺相当強いんでな」


麒麟の鬣の様な総髪丁髷をひとつ掻いて、指先に挟んだ黒石を肘を机に乗せる様にして差し出す。


「あんたとこの親爺とは知己かもしれんが、俺はあいにくあんたとは一度たまたま会ったきりだ。それにこの親爺とも、俺は仕事以上の付き合いは控えている。最近はお互い、それどころじゃねえしな」


武蔵の対面、親爺の隣に座るもう一人の男は、腕を組んだまま差し出された碁石には答えない。

大きな斬り疵が一筋走る隻眼が印象的な、仄かに紫煙の匂いを着物に纏わせた男。そう、かつて武蔵が軍師・程昱……風を推挙した際、彼女が当時入り浸っていた鉄火場を仕切っていた、あのやくざの若頭である。


「こっちはあんたらの連敗のせいで西側の縄張りは全滅しちまった。親父も死んだし、会も散り散りになっちまって今は手のモン纏め直すだけでてんやわんやでな……今更この風前の灯の田舎ヤクザに何の用があるのかは知らんが、なるべく早く事を済ませたい。手短に本題へ移ってくれないか?」

「まぁ……臧覇様の仰ることにも一理ございますな。旦那とて何も、死ぬ前にせめて末後の晩餐を、なんて気で手前どもを集めたわけではございませんのでしょう?」


疵の男……臧覇の所属していた遊侠集団は、西涼革命軍の虐殺に巻き込まれ大打撃を被り、既に従来の組織機構を保てる状態では無かった。生き残った幹部はそれぞれ連携行動を取る事も容易では無く、個々に東奔西走することでどうにか組を保たせようとしているという。

草の根一本残さない、そう形容される程の徹底した殲滅作戦を取る西涼軍の侵攻を生き残れた市民、土着勢力もまた少ない。生き残ったものも日々を生き延びるので躍起だ。戦火に巻かれているのは兗州を中心に通商拠点を展開していた親爺も同様の事情であった。

このような火急の状況で改まって会合の場を設けられた。単なる親睦の会ではないのは明らかである。


「西涼軍を一夜で行動不能にする策がある」


武蔵が背にもたれると、粗末な椅子がギシと鳴る。


「衛弘、臧覇。協力して欲しい。この戦争……そうだな」


親爺の細い目の眉と、臧覇の塞がった目の周りの肉が、反応するようにピクリと動いた。

武蔵は顔色一つ変えず曰く、


「後ひと月の間にケリが着く」


静かに、はっきり、そう言った。




ぴた、ぴた、と鮮やかな血が生々しく刀身に光沢を与え、刃の筋を伝って滴り、地面に静かに吸い込まれた。

切っ先に豚肉の切れっ端のような、筋肉か内臓かよく判別の付かぬ人間の身体の破片がへばり付いていた。本来なら美しい銀色を返す刃の光も、今は鈍い。捲いた血脂が何層にも重なっては乾いて固まり、刃をグズグズに錆させていた。それで構わず鎧もろとも人を斬るので、武具や骨に何度も引っ掛かってガタガタに刃毀れし、すっかり切れ味が落ち切ってしまっている。もはや家庭台所の粗末な扱いですっかり使い古した安物牛刀ほどの切れ味しかなく、鋸の様にささくれ立った刃では容易に肉に入っていかぬ。また斬り付けた際には中身の深くで食い込んでしまい甚だ離れ辛いので、膂力で強引に叩き付け、引き千切る様に使うしかない。砥ぎ時か、換え時か。

既にこの戦争が始まってから、六本目の得物であった。


「濮陽……そう言えば、あの事件はこの辺りだったか」

「あ?」


血錆まみれの戟は李確の肩の上で、郭汜のおもむろな呟きに対して振り向くと、きィ、と鳴った。


「涼人漢方薬事件。専ら中原ではそう呼ばれていたそうだが」

「……あ~」


あったあった、そういえばそんなのが。

そんな風なかんじで。

二千人余りの軍勢をズラリと整列させたその先頭で、李確は職場の休憩時間の、小茶会時の雑談のような気の無い語調で、馬に跨ったまま鉛色の空を仰ぐ様にして相槌を打った。

今から十八年ほど前になる、太学を受験する為に濮陽の私塾に留学していた一人の涼州人留学生が消息を絶った。

しばらくの捜査の後、それは殺人であると発覚する。その学士と同じ私塾に通っていたある塾生の実家の屋敷。都市部でありながらまるで墓場の様なただならぬ異臭が漂っているという近隣市民の陳情を受けた官吏が家宅捜索を行った所、その屋敷の家畜小屋の餌場から、腐敗した人間の頭部と肉片が発見されたのである。

容疑者であった屋敷の主人に事情聴取をした所、彼は「生き胆は気血を整え臓腑の強壮活性を促す」という俗説を信じた塾生によって拉致されると、生きたまま肝臓を生薬に和えて食された後に殺害され、バラバラに解体されて家畜の餌にされていたという。塾生はかねてより学問の上達に関して悩んでおり、それで及んだ息子の凶行を実家ぐるみで隠ぺいしていたという次第であった。それが涼人漢方薬事件である。

問題は捕まったこの塾生が、何の罪にも問われないまま釈放されてしまった事である。

塾生は「耳にした漢方医学では若い素材の方が良い薬になるとされていた、涼州人の留学生なら濮陽では身寄りも無く、探されないのでばれないと思った」と供述し、故意で件の涼州人を狙っていた事は明らかであったにも関わらず、当時の裁判官・孔融は「学問に打ち込むあまりの心的負担で気を病んでいた、正気では無かった」とし、1年間の休塾と療養生活の推奨を言い渡したのみに留まった。

この判決は当然ながら大いに物議を醸した。孔融は過去に汝潁優劣論なる論文の発表するなど兼ねてから民族主義的な人物だと目されていた事もあり、「自民族贔屓と異民族差別が生んだ不可解な判決」として多くの涼州人が反漢情を募らせる事件となった。また、塾生の実家が漢人社会で地位の高い士太夫の家柄であったため、政治的な力が働いたと見る向きもあった。


「腐敗していたのは司法か、政治か……違う。腐っていたのは人間の心。文明と社会を形成している根柢の通念、言ってみれば“漢”という名に纏わる全て! 例えるなら水銀の沼だ。息も出来ぬ、触れれば爛れ、舐めれば死ぬ。自らにとって毒でしか無いものに、どうして交われるという? 人間がそんな所で暮らせるものか。それでもなお沼の亡者どもに合わせて共生せよというのなら、もはや我々西涼人が“人間”である事を辞めるしかない。否だ。俺は人でいたい、我らは人であるべきだ。俺は人でありたいが故にこの国家を殲滅し、西涼の民が人として生きる為に漢の大地を更地に戻すッ」


水が膿そのものでしかないのなら、もはや澱みを取り去って浄化するという範疇を超えている。清める術が既に無いなら一滴残らず消滅させる以外にない。二百年間、搾取と虐待の対象にされ続けてきたという意識は今、きっかけを持って攻撃性に転化され不退転の覚悟となるにまで極まっている。


「オメー、やっぱあれだなァ……出来るヤツは、つーか親がちゃんとしてたヤツはやっぱちゃんとしてんなー」


李確は肩で遊ばせるように得物を揺らす。ヤキが甘くなった刃の根元がカシャリと鳴る。


「からかってるワケじゃねェ。ソレ、たしか俺が兵士になった歳の頃に起きた事件なんだよな。そん時俺どうだったっけなァって考えて、そっからナニ考えて今まで生きてきたっけなって考えて……で、思った」


郭汜の顔は相変わらず厳めしい。李確は含む様な笑みを作っている。


「俺は降りかかってくる火の子なら振り払うし、欲しいモンを他人が持ってるなら奪い取る、そうしてきたが。復讐しようとか、制裁……っつーのか? メッタクソに追い討ち掛けて仕返ししてやろうとか……そういう風には思わねェなア。勝ちには拘るけどよ。結果が出たら後は別に。あまりそういうのには拘らなかったんだ」


郭汜は李確より五、六は年上、だがその面相はさらに歳を取って四十歳ほどにも見える。寒く渇いた西涼の厳しい風土と戦歴がそうさせるのだろう。


「まして同胞が真っ当に暮らせるようにしなきゃなんねーとか、物事は正義に照らして正しい形でハッキリさせられる世の中にしなきゃダメだろーがとか、そんなのは発想した事すらねェな。立派だよ、そういうトコにちゃんと頭が回るヤツは」


李確は若い。彼もまた相当な修羅場を潜ってきたに違いないのだが、涼州人らしいはっきりとした目鼻立ちの皮膚は弛みを知らず、猫の目の様に光る金目は凄味はあるが濁りは無い。彼の性格がそうさせたものだろうか。


「俺が軍に売られた時の値、100銭だったよ。洛陽でメシ食おうと思ったら大衆食堂でも昼飯一回分の六分のイチにもなりゃしねー、100銭で何買える……? 今の相場で言ったら、卵一個くらいか。人間一人が卵一個……俺はおかしいと思わなかったな。今もさ。俺の母親は俺を売った代金を貰ったその場で饅頭に換えた。略奪したブツの中から民間に払い下げる、軍支給のやっすいヤツだ。饅頭を買ったまま抱えて来て、俺の口に全部押し込んで帰ってった。口の中に押し込まれた肉も入って無いカラカラのクソ不味い饅頭、母親から貰った唯一の贈り物だ」


公用語を話すが、訛りがかなり強い。彼はそのいつもの口調で、少年の日の記憶をとても美しい思い出の様に語った。癖の西方訛りは、きっと彼の母も同じように喋っていたものだろう。


「あン時に、俺の生き方は決まったんだろうな。どうやって勝ちぬけるか……方法はなんだっていい、目の前の障害を、自分の持てるすべての武器を駆使して攻略していく。禁じ手は無い、転がってる一コのリンゴをどんな手を使ってでも奪い取る、その為に何が起ころうが構いやしねェ。何でもアリでいいんだ、誰しもが……それが一番わかりやすいだろう。俺の世界はずっとそういうものだったし、それが一番公平だと思ってるから、俺はあくまで戦いを選ぶんだ。俺は儒教分析学者なんかにャなれっこない。これしかない俺の生き方さ、俺はそれだけだし、それで十分なんだ」


李確を売った金で干からびた饅頭を買い、その場で李確の口に圧し込んで泣き叫んでいた母親。その後どうなったのかは知らない。

息子を売らなければ、息子を食わす事すらできなかったのだ。だが軍に入隊させ戦場に送り込む上では、まだ十を数えるかどうかという少年兵が生きて戻る事などを期待出来よう筈も無い。それでも、政策によって軍事以外の稼業に従事できない涼州人にそれ以外の選択肢は無かった。

彼の母は今生の別れのつもりで涙を流したのだろうし、李確も母に再び逢おうと思う事は二度とあるまい。彼もまた帰る気は無いのだから。


「俺が俺として生きる為に。あえていうなら、そんだけが望みかな」


袋小路の一方通行、退路は無い。彼らに許された生き方は、ただ突っ走るのみなのだ。

たとえ行き止まりだったとしても。





「――――――おっちゃん! ひょっとして、曹操軍のえらい人?」

「んー……? 偉いかどうかは知らんが、曹操軍だよ。嬢ちゃん、劉備の者か?」

「応っ!! 我こそは劉備三姉妹が末っ子、燕人張飛こと鈴々なのだ!!」

「元気やのう」


金属臭さが鼻にこびり付き胸を満たし噎せ返る。吹っ飛んだ身体の欠片、新鮮な肉の赤身が土にどちゃっと転がって体液を媒介に混ざりあい、土の中の鉄臭さと血の中の鉄臭さが脂肪と汗の融け出したべっとりとした空気になって纏わりつく。

修羅場だった。あっちもこっちも、鬼の形相をして悲鳴を上げながら首を狩り合う地獄絵図。

今日ばかりでは無い、いま数千の人間が激突し腥くなるこの大地は、それを遥かに上回る膨大な量の骸の挽肉が焼かれ風化し泥となって出来た地面だ。

春秋戦国、楚漢戦争、黄巾の暴乱、反董卓の血煙。間違いなく断言できる。この大陸に文明が出現してから現在、地上で最も戦火に見舞われ、血を吸った大地こそがここ、中原であると。


「おっちゃん、構えなくていいのかー? 剣くらいは抜いた方が良いのだ」

「んー……? おっちゃん構えてるよ、これでも。実は」


今、次々と生み出される遺骸もまた、生きたいと呻いて死ぬ命もまた、淡雪が積り踏み固められ道になるが如く、軍即と鎧具足に蹴り上げられ踏み締められ土と混ざって粘土となり、この黄河の大地と一体化し悠久の歴史の一部になる。

それをまさに“血塗られている”というのだろう。人間の歴史とは生肉に塗り固められて作られている。『血塗られた歴史』という言葉の原意は、文字通りだ。


「そうなのかー? じゃあ、突撃してもいいかー?」

「おう、こいこい」

「それじゃー……とーりゃーッッ!!」


凄い速度で吹っ飛んで来る。いや、速度と言うよりは瞬発力。爆発する様な力だ。

体長は五尺にすら満たぬ、だが迫る少女から感じる印象は可愛らしさでは無く、凶暴さそのもの。大型の猛猪が手加減無しに突進するのを迎え撃つ、あの感覚に近かった。

武蔵との距離は実に四間、踏み切る前に視界の端で飛んだ首が着地するよりも速く、懐まで詰めてきた。


「うーッッ!!――――――にゃッ……?」


最後の一歩分の前脚が飛び込んだのとほぼ同時、横に薙がれた蛇矛の一文字は超質量でありながら、さながら飛び掛かる獣の様に素早かった。手ぶら棒立ちの相手に対しても、事前確認を取った以上は迷いは微塵も無く。

だからこそ、張飛は理解できなかったに違いない、自身の手元に伝わるべき手応えが空を切り、代わりに視界が反転したのは。

ドン、と地面に打ち付けられた時に戸惑ったのは痛みからではなく、視界に飛び込んだ不意に広がるにび色の空。


「ッ!!」


小さくも強靭な肉体は、前脚が着地するすんでのどんぴしゃで足払いに掬われたのだと頭が状況を把握するよりも速く、目の前の緊急事態を認識、反応した。

曇り空の、日輪が現れる筈も無い天空に煌めいた白銀の影。


「幽州の燕人・張飛! よもやここで逢いまみえるとは僥倖ッ!」


飛来して、流星ののように突き刺さる。土を巻き上げ、地を揺らした。

生身の肉の手ごたえは、無い。張飛のしていた紅い首巻きの千切れ端が僅かに突き刺さった朱槍の穂先に残ったのみ。

弾けるように身体を翻した張飛は既に危険間合いから逃れた場所で立っていた。さながらどんな体勢で高所から落ちても立ち上がれる猫の様に。

ピタッと垂直に立った得物はまるで龍の止まり木の様に長く。その柄尻に一瞬だけ留まった主は、派手な動きと裏腹に羽の様に静かに着地する。

滑らかな動きだった。ふわりと地に舞い戻った女はさながら小さな龍、そう、まるで降臨した白い優雅な子龍の化身に見えた。


「常山の趙子龍、見参! いざ、武を以て交わらんや!!」


ビシリと顔横に構えた直槍に、やけに芝居がかった口上。竜宮の遣いの羽衣の様な長い振袖をゆらめかせる装束には戦場の血の臭いと脂っぽさがまるで感じられず。

軽やかな鶴足で降り立ったその綺麗な女の少し後ろで、あのおっちゃんが薄笑いを浮かべている。

張飛はそれに八重歯を剥く様な表情を作って、ことさら派手に蛇矛を空振りさせて轟音を鳴らした。





兗州東南の端に位置する戦線、殆ど徐州との州境にあるこの地点が劉備軍と曹操軍の主戦場となっている。

旗色は悪くない。劉備軍は約三千、曹操軍全体からみれば十分の一の小勢だが、流れは劉備軍に傾いていた。曹操軍は西からの騎馬民族の攻勢に戦力の大半を注がねばならぬ上、元々徐州の奥深くまで侵入していたのを泡を食った様に本拠へ大返ししたため、劉備軍には追撃を掛けられる形となったのだ。

正面で涼州軍に対さねばならない曹操軍の裏手を突く形となっている、劉備軍は押していた。

劉備の将兵は貧相である。地盤を持たず常に小規模で装備も新調出来ず、型落ちの型落ち品くらいのものか借り物を使い回すばかりなので個々でバラバラの具えである事も珍しくなく、いつも他勢力の下請けのような形で戦の端っこを駆けずりまわされるので訓練の時間も足りず戦勝の取り分もごく僅か。将校や幹部級ですら滅多に馬に乗れず、まともな軍隊らしい軍装をしていたのは袁紹の援助を受けた虎牢関の役くらいなもの。軍としては曹操のそれと比べるべくも無く、数多く割拠する群雄の中でも下層であろう。

―――――――だが、弱卒ではない。

その将は、将でありながら最前線で自らの長刀を血で染め上げ、徐州を一夜で焦土に変えた並み居る殺戮者の軍勢を次々と斬り伏せた。そうして人の群れの輪が拓けた所でぽつりと孤立した際に、五人ほどの曹操軍兵が一気に斬りかかる。前、斜め、横。味方の相次ぐ死に声すらも出さず、好機を冷静に見極め穴の無い連携を取る完璧な組織力を発揮する曹操の兵。徹底的に訓練されているのだろう。

艶の輝く一房の髪を翻し、その将は脇を締め身体を畳む様な構えを見せる。すくっと背筋の立った一切動じぬ、美しい立ち姿だった。


「――――――ハッ!!」


凛とした裂帛の気合が腹から響いて、戦場を割った。瞬きよりも速く、それでいて烈しく刃が返った。

引き絞る様に限界まで締めた互い違いに交差した両腕。右手に抱いた長刀を真一文に薙ぎ、左手を拳法の引き手の様に右半身と全く対称の動きで引く。それによって僧坊筋から肩甲骨、腰回りまでの背面側の筋肉を余すところなく使う。

そうして打ち出された青龍偃月刀は竜巻のように、斬ったのか叩いたかそれさえも定かにならぬほど疾く、直撃された五人の精兵は木端のように打ち払われて、呻く間もなく転がって動かなくなった。円軌道上、まるで抵抗など無いかのように人間の身体が纏めて持っていかれた。

……劉備軍は満足に組織の体裁も取れぬ様な過酷な状況でありながら、常に格上の相手に対し転戦を繰り返してきた。常に目まぐるしく戦地や相手が変わる劉備軍の戦は状況を選ばず、入れ替わりも多いものの、それゆえに滅法強く積み上げた実戦経験からなる練度は他の軍の追随を許さないだろう。

この将、関羽雲長は劉備軍にあってその筆頭であり、その武威はもはやひとつの兵器と言って差し支え無かった。

そしてこの戦、劉備軍は曹操の無道に怒る主・劉備の気炎に従い、今までの戦歴の中でも一、二を争う程に士気を上昇させている。それが圧倒的に強大な曹操軍を相手にして立ち向かえるだけの奮闘を生みだしていた。


「地上戦の方が得意なのか?」


血けぶりの中から、目の端に映った影。小さく、そして鋭かった。微妙に横に振れて、次の瞬間に一気に反対方向に身体を捌いて消える。

目まぐるしく速い身のこなしだったが、その声は確かに聞こえた。


「名は?」

「楽進ッ!」


回り込む様な動きで死角、斜め後ろから襲ってきた。

楽進は速かった。飛ぶように身体を運ぶ高出力の慣性に従って打ち込む。小柄な体を目一杯に使った、こういう時は身体に任せれば自然と、一番単純で得意としている技が出る。

発した言葉――――――楽進の名が関羽の耳にぶつかるのとほぼ同じ速さで達する。

上段回し蹴り。水がほとばしる様に延髄に向かって足が走る。入る予感がした。


「ッ!!」

「楽進、か。強いな」


鉄脚が轟音を立てた。鋼の脛当てを填めたそれは文字通り鋼鉄の鞭である。脱力状態から『凪の肉体』という高質量を具えて疾る蹴り足は、現実の鞭のそれとは比べ物にならない破壊力を持つ。人間の首の骨なら容易く持っていくだろう。

しかし関羽は防いでいた。振り向きざま、両手をそれぞれ得物の三分の一の位置に置きその間の柄で受けるという基礎型どおりの完璧な形の受け。

そして青龍偃月刀を支える腕、のみならず体幹から下肢までの五体が一切一繋がりであるかのように、微動だにしなかった。


「礼を失さぬその武心に敬意を払う。我が名は劉備三姉妹が次姉……関雲長ッ!!」

「……ッ!!」


受ける為に縦にしていた偃月刀を元の構えに戻し、クルンと回す小手払い。蹴り足を巻きとる様な崩す動き。

大きく脇まで弓を引く。凪の体勢がその間に戻る。

放たれた一打は、構え直した凪の中段。真正面から、真一文に振り抜かれた。

ゴリっと嫌な音がした。内に籠る様な、それでいて硬い音。


「うあッ」


思わず声が出た。たたらを踏み、凪の小さな口の端から涎が垂れる。

受ける事は出来たのだ。右側から襲ってきた中段一文字に対し、右腕を畳み脇をぴったりと閉めて左手を添える。さきほどの関羽と同じ、強固かつ衝撃を吸収する型通りの完璧な受けであった。

だが、食い縛る歯ぎしりの音はともかく、この口から呻きが漏れる事などは滅多にない。


(――――――人間の一撃では無いッ!!)


その一振りで凪の小さな身体は、地面から引っこ抜かれるように吹き飛んだ。その慣性に従い、右腕がぶらんと頼りなく揺れる、制御を失った様に。

脛に当てたものと同じ、鋼鉄の籠手巻き。ひしゃげる様に破壊され、鉄板がズレて穴があいている。

右腕がダラリとした。肩から脱臼していた。そして前腕の骨そのものも、割られた鉄籠手の上から叩き折られていた。


(とてつもない圧力が……まるで衝車か何かの衝撃が、薄刃一枚の面積に圧縮された様な高密度な威力ッ!!)


凪の身に付ける甲冑は曹操軍最新式の製品のひとつだ。

以前、真桜が武蔵から『粘りしなやかで軽く強い』という玉鋼の製法を伝え聞いた事がある。断片的な知識ではあったが真桜はそれを手がかりに独自に研究を重ね、武具に使用される鉄材の改良法を華琳に献策していた。それから曹操軍は漢の公式装備を発展させた製材技術の独自開発に力を入れるようになり、装備の定期的な改訂・改良が行われていた。そして一部の将兵にはその粋である最新鋭の専用装備が支給されている。

それは無論、絶えず最新式の武装を実戦に投入する事で研究成果と現時点での技術レベルを確認する為と、それらを後継武装の規範とする為である。

つまり凪の装備は従来的な武具をさらに発展させた高性能品であるのだが、関雲長の一撃はそれらの事などを一切何も問題とせず、問答無用に貫通して凪の身体を破壊したのだ。


「武人としての技と装いを作った匠の技がそれぞれ命を繋げた。敵ながら見事」


無防備となった凪に追撃が迫る。

濡れ烏色の髪がなびいた。凪には受けも躱しもしようがない。開いた身体のど真ん中に青龍の牙が刺さった。

胸当ての鋼が弾け、細かな破片が昼間の星の様にキラキラと宙に舞う。衝撃音と共に割れた甲冑もろとも胸骨が砕け、凪の肢体は人形の様に遥か後方に吹っ飛ばされた。


「――――――っ!」


身体ごと青龍偃月刀を運んだ片手突き、これ以上ない形で決まっても戦場では残身は取らない、勝利を確信していても今また新たに戦いが始まるかの如く即座に構え直す。

故に、気付けた。


「おっつ……ったく、ウチの切り込み隊長になんて事しやがる」

「……っ!? 貴方は……」


吹っ飛んだ楽進の背中は地面には付かなかった。胸元への強打で失神した楽進の身体を抱き止める様に支えた曹操軍の新手。

その長身痩躯の男に、関羽は確かな見覚えがあったのだ。


「糜芳殿……糜芳殿か!? なぜ……どうしてあなたが此処にっ!?」


それは、記憶にある姿よりも歳を取って見えた。

黄色頭巾を被り、口元には無精ひげ。眼はどんよりとしてくたびれた様な顔色。


「…………」


だが見紛う筈も無い、身内を全て無くした筈の自分と消え失せた故郷を共有する男。そして何より、最愛の兄の無二の親友。


「おめーを殺しに来た、愛紗」


どうしようもなく面影を残すその顔は。

愛紗が今まで見た事も無いような表情で、冷たい声で、そう告げた。

フランちゃんを包むように抱き締めて、とくに何をする事も無く頭をポンポンと叩きながら止まる様な時間の中でお昼寝したい。ただずっとそうしていたい。

あけましておめでとうございます、ななわりさんぶです。昨年は皆さまに大変お世話になりました、今年も宜しくお願い致します。

初夢は高校と大学の頃の友達とひとつの寮に暮らしている夢でした。興味深いのは今の仲間や当時からずっと親交のある親友たちは一切出て来なかった事ですね。

夢診断とか出来る人いたら教えてください。なんか未来博みたいなフォルムのバカでかい建物の寮で自販機でバナナ買って食ってた。


今年の目標。第一に完結させたい。出来るかなあ……あと幽香りんと結婚したいもしくは太閤立志伝6発売きぼん

あと今月はちょっと資格試験モードにシフトします。具体的に言うと今まで書いてからあまった時間で勉強するという正気の沙汰とは思えねぇサイクルを取ってたのを勉強してノルマを果たしてから余った時間で書くという常識的なサイクルにシフトします。なので更新は遅くなりますが何卒ご了承ください。

受かったらいつも通りになりますさかい。


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