表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/100

中原動乱編・第七十七話―――――――「血と泥」

このページを開いてくださり、誠に有難うございます。貴重なお時間を頂戴し、感謝の念で一杯です。

連載の長期化、文章量の膨大化に伴い、ストーリーが整理しきれんと言う方がいらっしゃると思います。そういったご不満があれば、どうかご遠慮なく感想やメッセの方でお聞きください。

オリジナルの連載との兼ね合いで今後も更新遅れなどのご迷惑をお掛け致すとは思いますが、何卒、宜しくお願い申し上げます。

ばぁさくのほうももしお時間よろしかったら見てやってください。

それでは、本編をどうぞ。

「があああああああッッツ!!!!」


白牙と白牙が噛み合って霹靂が鳴る。

肉を断つ刃、ひしゃげる鎧、転げ地に打たれる体。血煙り、土埃、馬蹄が跳ね上げる泥の幕。それらが作り上げる“戦場”という名前の凄まじいばかりの圧力の空間の中で、その一騎打ちの放つ殺気はさながら豪雨に轟く稲光。前後不覚になる程の嵐の中でなおもハッキリと認識できるほど、戦慄させられて目を奪われずにはいられないほどに、突出した存在感と異質な色味を持つ。


「ふんっらああああああッ!!」


人馬一体のしなやかな筋肉から振るわれた大斧の圧力を、気合と渾身の力で以て弾き返す。

力任せにも思える一振りだが、いささか強引であっても気迫で譲ってはいけない瞬間というのが立ち合いの中にはある。青龍偃月刀が唸った。


「ちィっ……張遼、貴様ァあッ!!」


技と技のぶつかり合いによって生まれた反発力に圧されて、互いの愛馬が下がった。

得物の届かぬ間合いになると、華雄は憤怒そのもののような闘気を怒号に変えてぶつけてくる。


「何故だ! 何故この期に及んで漢人に与する!!」


身を昂らせ、かぶりを振り、吼える、身体で。

彼女の顔見知りは口数少ない所を見て寡黙な女性であると判断する事が多いが、それは誤りだ。

華雄は多弁である。そして性格は烈しい。


「我らが曹操に降ったは同胞を無駄死にさせぬが為! 高順が西涼軍閥を纏め上げ東進を開始した今、馬上の民として本来の身の置き所に立ち戻って武を振るうが道理!! だのに、何故貴様は我らと干戈を交える、漢の旗の下で、なぜ曹操軍の甲冑を着たまま戦う!!」


大きく奮わせる肉体は、彼女の心と人格を雄弁に語った。それは言葉より何層倍も新鮮な感情の発露。


「無駄死にか……」


張遼は、青龍偃月刀を一振りさせた。重々しい轟音が、風を斬って鳴る。

刃を濡らす血が、飛び散った。


「華雄、あんた戦の後の徐州を見たか? 人も、街も、家畜ですら綺麗さっぱりのうなった。ここもそうや。確かこの辺は、市民からハジかれたもんが集まって作った貧民窟やった」


張遼が切っ先で地を示す。そこは今は、土埃の舞う戦場でしかない。その下に流れた夥しい血は、既に新たに流れた兵士の血により塗り潰されてしまった。それは互いを同胞と呼んだ同士が斬り合い、流された血。

そしてこの修羅場も、いずれは乾いてただの土に戻るのだろうが。


「税金納められん水呑百姓やら、胡人・南人みたいな“まつろわん民”が溜まって出来る所や。洛陽にもあったな。この漢人の作った国の膿。曹操の領地で、こんな貧民窟見たコトは一度もないやろ」


張遼の声色が静かであると、乗り馬の嘶きも不思議と穏やかになる。それは、戦場を駆けるにしてはやや元気が足りぬのではないかと懸念されるほど、落ち着いたもの。


「数万の人間の住まう肥沃な徐州をたった一夜で焦土に変えた一方で、長いコト戦火に晒され続けてきたぼろぼろの兗州を一年経たずに活きた都市にしよった。壊しながら創れる。そういう人間、おるか? 漢人は都合の悪いモンは見ん。だからウチは大っ嫌いや。しゃーかて、ウチらに出来んのも、壊すトコまでや。一掃して粉々に砕いて土塊に還したる事は出来る。けど、その先があるか? 疲れ果てるまで闘うだけや」


高順はこの国のすべてを土に返し、雪ぎ流す為にこの戦を始めたのだ。我ら涼州の誇りを取り戻す為の。

――――――漢人でありながら、漢人の常識を超える者だと?

それが曹操だというのか、張遼。


「ウチらの子も、孫も、疲れ果てるまで戦い抜いて、最後には斬られて土塊に還るんやろう。今のまま紡げるのは、それだけの営みや」


それは、我ら民族が受けてきた痛みの歴史を容易く忘れてしまえる程のものだとでも言うのか?


「それでええんか。華雄」


我らの血は――――――たった一個の人間によって覆らされてしまう程に軽いものだとでも言うのか!!


「張遼ぉぉおおお!!!!」

「ッツ!!」


華雄の肉体は、二人の間をそれ以上、言葉で介させる事を許さなかった。

聞きたくなかったのか、それとも言葉を超える感情の発露故か。

気炎はすぐさま馬に伝わり、速度を生みだす。突進し、類まれなる二騎は再びぶつかる。

斬り結び合いが理性を置き去りにする領域に加速するまで、一息呑む間もかからない。西の大地、馬上の民族のハイスピード。






遥か西に住まうギリシャと言う名の民族は、東から殺到してきた騎馬民族に慄き、その余りの暴威から一つの獣人を想像した。

乗馬文化を持たぬ民族が初めて見る騎兵の群れの突進を、まさに人馬一体の怪物と見間違えたとしても、無理からぬ話と思えた。こうして、その暴威の目の前に晒されてみれば。

地鳴りと雄叫びを伴い、“戦慄”が殺到する。そのあまりの勢いにさしもの曹操軍も圧倒され、腰が引け後退する。一歩引けば、彼らは嵩になって攻めかかり宛ら激流の如く呑みにかかる。後は怒涛の如し、目の前に立つ者を踏み砕き地平の上から駆逐するまで反撃する間も与えない。それこそが彼らの基本戦術であり、彼らが最強である理由だった。

そんな留め難い一気呵成の奔流に、真っ向から逆らうが如く楔を打ち込み逆流する影がある。

小兵と呼ぶにもあまりに小さな、そういう影。


「ッツ!!」


ガクン、と最高速に乗り切って疾走する乗り馬が急に傾き、慣性に従い転倒する。転んだ一騎を躱し切れなかった後続の数騎もまた、まきこまれながら将棋倒しになって、雪だるまのように転がりあっという間に肉団子になってしまった。

猿も木から落ちる? 否、馬上で生まれ死に往く民が、大地を駆け廻り老いて愛馬に振り落とされる宿命を背負いし民族が、平地で落馬し転倒するなどあり得なかった。

そのあり得ない光景に一瞬、目を奪われた“彼”の眼前に、ぶわっと突如として黒い影が飛来した。

何事――――――泡を食った様に遮二無二得物を横一文字に振るう。しかし、振り切らんとした腕を使い切るよりも速く頸部に強い衝撃を感じ、そこで意識を失った。愛馬の背からくずおれるまま止めようのない蹄の激流に攫われた“彼”が、それを顎をかち上げられた一打であったと知れる次の日を迎えられる事はもうないだろう。


「何者ッ……ぐあ!」


落馬者によって進軍の勢いを妨げられた事により、その小隊の隊長はひとつ怒鳴って手綱を引いた。

部隊全体の流れの中で、その一角だけ速度が落ちる。すると一旦潜った件の影が姿を現し、否、造形は定かでないまま、ただ“疾さ”だけが横切って、馬の横っ面を強かに叩いていった。

それは例えるならクズリのような。


「ふゥん……ひとりすっ転ばすと、もう一人二人もオマケで潰れてくれんのか。結構ラクなんだな」


泥の香り、飛び散る肉片、纏わる脂。

どろどろの汚れはゆりかご。


「それとも中原の鈍牛民族相手なら、力任せに押し捲るだけで十分だって思ったのかい?」

「……ッ!?」


苦悶の声、刺すような殺意。渦巻く呻き、取り巻く殺伐。

悲鳴は聞き親しんだ童歌。

死の臭いがする。生まれ故郷の臭い、否、それはもっともっと遥かに原初――――――生まれ落ちた場所の空気。

猛る炎のような騎馬の激流に楔を打ち込んだのは、女性程度の背丈しかない小柄な兵卒だった。

幼少期を深刻な栄養失調下で過ごした肉体は大きくは成れず、骨も華奢だった。鼻は尖り顎は細く、目ばかりがぎょろりと大きく見えた。

棒杖を振り回す前腕、戦場を駆ける為の脹脛が薄い皮膚の下から幾重に走る筋を覗かせるほどに発達して、肩と首周りが服の上から解る程に太い。

非力にすら見え得る骨格とそれに搭載された強靭な筋肉は、どこか不調律で、歪な印象を与えた。

騎馬が足を止めた前に“彼”は立ちはだかり、おもむろに内臓の飛び散った地面をさらう。

転がっている生首、それが敵だったのか味方だったのか、首だけになっちまえばわかりはしない。半分潰れたそいつの髪を引っ掴むと、崩れた隙間からズルリと脳が零れ落ちた。確かな重量が零れる重力の感触が指に伝わる。鮮赤色の血に塗れた白い脂肪がべちゃっと音を立て、粘膜の塊のような管がぴろんと伸びて繋がっていた。

彼はにやっと片頬を歪ませ、鷲掴みにした髪を掲げて中身の抜けた顔を眺める。

片側は脳味噌にくっついて落っこちた。彼を見つめ返したのは眼窩から緩んで外れ、あらぬ方を向いた、右側にだけ残った目玉。

―――――――あとはそう、この目。

光を失った、死人の黒目。この眼の色は、故郷の陽ざし。

産声を上げた赤子が母親の柔らかな瞳に愛おしまれる様に、俺の産声は、この瞳に迎えられた。

懐かしい空気に誘われ、彼は中身の食み出た頭蓋の割れ目に口を寄せ、顔を埋める様に啜った。

ちゅるる、ずるりと、鉄の味。生臭さ。彼にとってはおふくろの味、いや、もっというなら、母の乳。

ごくんと鳴らした喉越しに、あの黒い川の、自分を包み抱く冷たいぬくもりを思い出した。


「ぺっ」


口の端に残った腥みを吐き出した。その顔は気安く、だらしなく、安心しきって落ち着いていた。

生まれ育った家のすぐ前の公園にでも帰って来たかのように。

“死”の充満する地獄のような、戦場と言う名の空間は。李通万億にとって、揺り籠の感触にとてもよく似ていた。





「うっ……」


戦場に転がる潰れた生首に食らい付き、中身をちゅるちゅると啜って、顔を上げたら、にやあっと。

唇から顎までを真っ赤に汚した青年の笑みに、あの百鬼羅刹の騎馬の軍団が、たじろいだ。

見逃すまいや、それ。

李通は極めて素早く、無駄なく、左手に掴んでいた首を敵に向かって投げつける。


「っ!」


飛んできたそれに、真正面に正対していた騎兵は反射的に反応した。気を取られた、と言う事だ。

地を這う構えから飛翔して飛び掛かりつつ、李通は口元を歪めた。

流れが止まっているのはこの一角だけで――――――すぐ隣では見向きもせず、騎馬の群れは雄叫びを上げて矢の如く疾走している。

目の前の敵に集中しながらも周囲まで見えていた李通が舌を巻いた。こいつらは局地での動きに捉われて戦争全体の流れを乱すという事が無い。それこそが百戦錬磨の従軍経験が表れている所であろう。ラクだと口で言ってはみたが成る程、この軍は実に侮り難い。


「ッ!!?」


なればこそ、この戦場は他の事象に左右されてぶれる事無く、自らの受け持つ戦いに終始徹し切る李通が適任だ。

宙にありながら棒杖の端を持ち、そのまま一回転させる様に横一文に打ち払った。もはや原形も崩れた肉塊と化していた生首に隙を作られ、騎士は左頬骨を強かに打たれた。馬上から転げ落ちる。

肉を強く圧迫したら血が止まって白くなる様に、意識が真っ白に染まって、肩が地面に打ち付けられた拍子にまた戻ってくる。顔左半分のびりびりとした痺れ、歯が無くなり顎が浮いた様なフワフワとした感触を覚えながら、身体を土に転ばせながら立ち、得物を構えた。右側の視界が黒い星で覆われていながらも澱みなく戦闘態勢を取り直す事が出来たのは、歴戦の力量が為せる業。転げ、立ち上がりながら敵の位置を確認し、起き上る動作のまま突っ込み、斬り付ける。

同時に李通も追い打って止めを刺さんと、着地ざま前に出ていた。しびれる様な鈍い手応えとともに、長刀の柄と棒杖の腹のあたりがもつれる様に絡んだ。互いに打ち込めない様な近い間合い。李通は腰を落とすと同時に手の中で棒を滑らせ、巧みに長さを操作すると槍のような持ち手で突き込んだ。

小柄な体を逆手に取り、太腿と腰のバネを利用して全体重を乗せた突きは胸骨を打ち抜く。歩士の身体が弾き飛ばされ、間合いが開く。硬さの向うで柔らかさがぐにゃりとひしゃげる様な独特の手ごたえ、骨が砕けて内臓を突いた感触を李通は掌で聴いた。

李通は舌打ちした。喉仏を突き抜けばそこで勝負は決まっていたのに。だが背の低い李通が喉を狙いに行けば伸び上がるように身体を浮かす必要があり、その隙で長刀の切り返しを貰う危険があった。態勢から無理なく最短の突きを出したら、それが胸骨に入ったのだ。急所にはやや半端な高さだった。いっそ下腹部を狙えば良かったか。

そんな口惜しさや思案が一瞬のうちに思い起こされ、また一瞬の閃きの内に流れていく。立ち合いの“実”というのは所詮は交錯の瞬間のみであり、過ぎれば過去。そのたった瞬間の為に脳と血と感覚は焼き切れるほどの集中力で超回転し、細胞は全開して活性する。机上で言うほど理路整然と成る筈もなく、言葉に起こす暇もない。研ぎ澄まされた即興の発現に全てを委ねるのみである。


「…………ッ!!」

「!?」


一拍の、見合い。距離を取って構えを取り互いを射程に捕えた次の瞬間、李通は弾かれた様にバッと頭を滑らせる。

なにゆえ?

兵士は、打ちにいくような挙動は起こしていなかった、それだけにその動きに却って虚を突かれた。

そして、次の瞬間に意識は消滅した。


「恩賞、頂戴仕った」

「横取りって言うんじゃねーの、これ? ずっるいわァ」

「人聞きの悪い。助太刀と言って欲しい」


傾けたままビシャッと顔に血を浴びて、李通は文句を言った。

相対していた兵士の顔のど真ん中、鼻の部分を貫きそのまま突き抜けた、槍の穂先が先ほど自分の頭があった部分を貫いている。

愛槍をさッと引き抜き血振りをすると、ドシャッと骸は打ちつけられ、影を挟んで向こう側から、趙雲が現れた。うつ伏せの肉。ぽかりと開いた後頭部の赤黒い穴から、どッどッと大量の血液が溢れる。穂先から、脳髄の破片が土に飛び散って、ほどなくして染み込み区別はつかなくなる。

いつのまに斬ったのか、切り取られた耳がその気品ある長い指の間にあり、既に三人分の耳が縫いつけられている帯の端に、四人目として差し込まれた。

すくりと尻から頭の天辺まで通った背筋、うら白い肌、美しく才気の滲む瞳。血腥い修羅場の只中に在り、おぞましい戦場の所作に忠実でありながら、まるで埃ひとつ返り血ひとつ被っていないかのような綺麗な女。

背もすらりと高いその姿は鶴の様。

それよりすぐさま、李通と趙雲を基点に広がるように鬨の声が聞こえてきた。


「よいか! 我ら曹操軍精鋭歩兵、一身一胆を懸けて敵の突進を止め、戦局に楔を打ち込むぞ!! 我らの戦闘をテコに我が軍を攻勢へと転じさせ、一気に形勢を逆転する!! 全員、構えを低く保ち、絶対に気で負けるな!! はぁぁああッ!!」

「真正面から衝突しようなんて思うなァ、軸をズラしてナナメからだ!! 二人一組は崩すなよ!!」


楽進が吼えて味方を鼓舞しながら、それでいて誰よりも猛烈な勢いで敵に突っ込む。ひときわ小柄でありながら果敢な勇猛さは、火のような騎馬の勢いにまるで引けを取らない。

そのやや後方でノッポが痩身と長剣を翻して、歩兵小隊を見事に纏め上げる。


「こういう時の打開はやっぱ俺ら頼みか。他の連中も案外だらしねェんだよなぁ」

「惇殿、淵殿を同じ戦場で使えぬのだから仕方なかろう。それに、戦場で頼られるのは良い事だ。出番が増える、魅せ場も増える、ふふっ」

「ヤダよ、俺は。目立つのなんてさあ――――――」

「ッツ!!」


ふふんと趙雲、ぐるんと気だるそうにひとつ肩を回した李通。およそ剣戟の撃音と断末魔と阿鼻叫喚が行き交う中ではあり得ぬ程の気安い表情で、数歩互いに歩み寄ると、突然、弾かれた様身を翻した。互いの背中がぶつかりあう。

正面では、襲い掛かってきた刃をそれぞれ得物で受け止めていた。


「――――――はアッ!!」


背中合わせで鍔迫り、示し合せたように眼前の敵を弾き返して、腹の底から声を吐く。

毛穴すらも総開きになる感覚とともに、また“戦い”に飛び込んでいく。







「あとひとつ押しこんじまえば全部崩れるってのに」

「一息には呑めねェか」

「奴ら強い」


地べたに座って地図を睨む李確と高順が居る帳幕に、戦の臭いをくっつけた郭汜が入ってくる。

肌に染み付いて取れぬ匂い、今日、また新たなものをくっつけてきた。


「オメーの相手は夏侯淵って小娘だろ。緒戦じゃゴリゴリに圧してた相手じゃねーか」

「弩兵のみであった前回ならさした脅威でも無かった。だが今日の戦では対応が滅法速い。絶え間なく陣を入れ替えながら矢の釣瓶打ちを掛けて機先を取り、こちらが小勢を分けて崩そうとするとすぐさま自ら騎馬を駆って遊撃してくる。奴の指揮する隊は騎兵が組み合わさると全く別の部隊になる」

「俺たちの速度にも劣らぬと?」

「侮れぬものはある」

「それに、陣地の境界点を死守し続ける夏侯惇も難物」


夏侯淵の戦いぶりを語る郭汜の後に続く様に、鉄の生臭さを濃厚に香らせて、張繍が入ってきた。

首元まで、血でべったり。所々に腸らしい赤黒いものがこびり付いている。長髪は綺麗に一房に纏め、服装は一切乱れなく整えながら、汚れと生臭さは全く落とそうとしない。


「臨機応変に奇兵を用いるような器用さには乏しいものの、局所的な戦闘への対応は動物の様に極めて鋭敏。何よりも戦線を絶対に譲らぬという闘志。正面から四つに組む構図となった時の強さは、両足を杭とした不動の石兵を攻めている気分でした」

「ふむ……怜悧でありながら常に兵の足を止めぬ疾風怒濤の機動戦を得意とする夏侯淵とは対のような武将」

「猪突とも呼べる荒々しい気性に反して戦いぶりは非常に堅固。単純ではありますが戦闘力はかなりのもの」


強敵としての夏侯惇の戦を述べる張繍の表情はにこやかなもの。

背が高く色白小顔の張繍のそういう微笑は容姿のみで見れば爽やかで秀麗なものであるが、実際に相対した質感としてのそれには何処か一片、言い表わし様の無い“気持ち悪さ”とでもいおうか、人を不安に駆らせる独特の瘴気が孕まれている。

長年、共に闘ってきた西涼軍幹部たちにとって、名状しがたいその雰囲気は張繍の張繍たる所以として、一種の信用のような形で受け止められていた。

このなんとも気味の悪い張繍“らしさ”が、だんだんと彼が本調子になりつつある事を示すひとつの指標である事を、彼らは経験則的に知っているからだ。

勝負好きな性根に残虐と酷薄さがくっついている、張繍という男の真面目

しんめんもく


「装備、物資には乏しさがあるものの、将兵の質は他の諸侯に比して段違いに高い」

「洛陽で戦った帝都直属軍なんかよりよっぽど手強いじゃねえかよ」


郭汜が李確の隣にどかっと腰を下ろした。

土が着くが、構いはしない。


「“人”の力か」


高順が呟く。


「人と言えば、高順将軍。夏侯惇の隣に付いていた軍師風の少女が気に留まりました」

「軍師風?」

「一度、夏侯惇に一騎打ちを持ちかけた時、やる気に逸る夏侯惇を一言二言で押し留めておりました。貴人のような金髪緑眼。血管が青く透ける程に肌が白く、まどろんだ風景の様に物静かな少女です」

「漢人のような回りくどい言い回しで語るな、張繍。言葉の端々に洒落臭い修飾を盛り付ける猪口才な喋り口調は却って本質を見えにくくするぞ」

「いや、郭汜! 張繍の印象を忌憚なく聞くなら、まさしく実情定かならん表現通りの“回りくどさ”が今の戦況を表している」


郭汜を留める様に出た、思いのほか張った高順の声に、逸早く応えたのが李確である。


「俺らの攻めにただ受け身になってるだけとは限らねェってコトか」

「防戦一方に見えて裏にはさらに一枚厚い軍略があると?」

「そう考えていた方が良いだろう」


高順の指先が、少しだけ地図の上に触れた。


「実に面白いですね」

「なんだ、余裕だな、張繍」

「もう敵陣の攻略法を見つけたのか?」

「いいえ」


背筋をぴんと立てて言い切り、あの微笑を湛えて深い呼吸をする。


「ただ、敵の秘策が何であれ。知と力の粋を集めた渾身の抵抗を真正面から打ち砕いてこそ侵略戦の醍醐味と言うものでしょう?」

「戦は勝つか負けるかだ。面白味など求めようがあるまい」

「まァ、それだけ言えれば十分さ」


高順がカラリと笑った。







「順」


馬を下り自軍の陣営であるとはしても、最高指揮官たる高順の服の裾を背後から無造作に引く者はそう多くない。


「どうした、奉先?」


小麦色の肌に燃える様な赤毛は、胡人の中でも特に「萌古」という少数民族に共通してみられる特徴である。恐らく、中原に住まう漢人には存在すら知らぬ者が大半であろう辺境の民族。

高順は呂布に問い掛けたが、彼女はくいと裾をつまみながら上目遣いで見つめ返すのみだ。


「お前の出番はまだ先だ。セキト達と遊んでおいで」


無言の呂布の意を汲んだのかどうかは定かではないが、高順は頬笑みを作ってぼすっと頭に掌を乗せる。細い髪の柔らかい感触が指に絡む。

後詰の第一陣として長安から駆け付けたこの呂布の戦闘力を順当に鑑みればすぐに激戦区に投入するべきだが、高順は今日は彼女に比較的戦力の薄い戦線を攻めさせた。さしたる抵抗もなく、早々に勝敗は決着し支城は陥落。西涼軍の戦線はひとつ曹操の本陣に近づいた事になる。

戦争は未だ序盤のすぎず、曹操はまだ戦力に余力を残していよう。敵の配置に合わせて戦力を均等に振り分ければその分摩擦も大きい、ならばあえて薄い戦線に呂布を使い余裕を持って勝つ事で、より消耗少なく手早く攻略を済ませてしまおうという判断だった。

その分、本隊と当たる主軍は激戦を強いられるが、本当に総力を結集すべき勝負どころは、もっと後に来る筈だ。


「霞と華雄」

「……ん?」

「敵に居る」


端的な言葉。じい、と見つめてきた。

猫思わす硝子の瞳。混じり気の無い、美しい色。


「……そういえば、俺の分の携帯食が少し余ってな。お前の好きな牛肉の燻製もあるが、食べるか?」


ぐしゃぐしゃと頭を強めに撫でると、呂布がハッと栗の様な口をして目を輝かせた。

まるで小動物がピーンと耳としっぽを立てたような反応で面白い。

愛くるしいので、もう一回り、くしゃりと撫でてやった。


テラフォーマーズをこないだ初めて読み、何故かドネアに挑んだ西岡さんを思い出した。というのも、文にしろ武にしろ圧倒的な鬼才や英雄的人物ってのは、自分は只の凡人なんだなってのを思い知らせてくれる存在である事、そしてそれは決して後ろ向きな感情じゃないって事。

自分が天才には及ばないという事を自覚したうえで、当面の目標に向かって確実な一歩を踏み出していける。西岡さんの挑戦に比べりゃ俺の直面してる壁は何でもないんだって思える。背伸びしてもしょうがない、しっかり足元だって思える。分相応ってのはすげえ前向きな言葉なんだなって思う。

でもこういう天才、例えばその西岡選手をファンが語る時、何故強いかっていう理由に「ベガスでジョニゴン倒したから」っていう人が居る。それならまだいいが「ビッグネームと戦ったから他の王者に比べて格上」的な評価の付け方をしてる人が居る、そういう時は凄くやるせなくなります。

曹操が凄いなら他時代の統一王朝開祖はもっと凄いとか、マイコーは売上がギネス級だから凄いとか……そーじゃなかろう? 天才を語るってのは、そーいう事じゃなかろう。

様々な意味で『歴史』になった英雄すらもがそんな低次元の価値観でしか語られないのなら、僕の様な平民にとってこの俗世は苦界でしかありません。

確かにトシオカさんの話する上でジョニゴンとマルケスの名は外せないけど、それは彼の事を数値とデータで見て知ったかぶりしてるだけでしょ。

リングでの彼を見てないでしょ。西岡選手がどういうボクシングをする選手だったか、ひいては18年間どんなボクサーであったか、どんなふうに戦ってきた男だったのかってのを全く語って無いでしょ。まして格闘技なんてのはデータなんぞひっくり返さんでも戦いぶりを見りゃそいつの凄さがわかるんだから他の分野に比して格段にわかりやすいでしょ。表層的な見方は勿体無い、パソコンのスペックじゃないんだぜ。

2戦1勝1敗って戦績だけ見て「何だ、普通じゃん」ってそのボクサー自身を見ずに知った気になる人が居る。でもそれはその後モンスターレフトって呼ばれる事になる男の戦績なんだぜ。

『天才たちの値段』で「我々凡人に出来る事は、天才たちの価値を認め、ただ賞賛するばかりだ」ってセリフがあったけど。時代を超える様な人間の存在感をドカンと懐にブチ込む機会に立ち合いながら、伝説を同時代の人間としてリアルタイムで体感できる幸運に恵まれながら、無機質な情報パズルでしかその凄さを実感できないとは。

それじゃあダメっしょ、さすがに。感性のシナプスは錆ついていくばかりですよ。そんなマシンガンじゃ今を撃ち抜けませんよ、水鉄砲にも劣りますよ。

長谷川選手だって能力的には世界トップクラスと呼ばれる選手たちと遜色ない。粟生選手だってまだまだここで止まるような選手じゃない。ポテンシャルでは日本最高といっても過言ではない内藤選手も耽々と爪をといでる。井岡一翔選手は何処迄登るか想像も付かない。あれも、それも。目撃すべき伝説はあちらこちらで現在進行中ですよ。

安易、浅はかな見方をして、結局何もかも見逃すなどという愚行だけは犯したくないものです。


なんでこんな話をしたかと言うと、エッセイ的なコラムをやってほしいというメッセを頂戴したからです。ありがとうございます。

本来なら勇儀姐さんは処女か非処女かどっち派かみたいな話をする筈だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ