中原動乱編・第七十六話―――――――「乱世のみなしご」
「おう、てめえら、手ェ抜くんじゃねえぞ! 今日の日暮れまでには作業終わらせなきゃならねぇんだからな!」
東阿のほとり、濮水のほど近く。
津における基地建設作業の最中、黄色の頭巾を被った男が檄を飛ばすと、方々から野太い声が挙がる。
長身で痩せ気味の、ひゅるっとしたのっぽの男だ。
「すっかり纏め役が板に付いて来たではないか、副長殿」
からかいの種を見つけた様に、傍らにいつのまにか現れた趙雲がくすくすと笑っていた。
猫の様に作業場をぷらぷらしながら、材木一つも担いでいないのが彼女らしい。
「ケッ……俺のガラじゃあねえな。お前らやれよ」
「私は貴殿以上に柄ではござらん」
手ぶらのままわざとらしく肩を竦めて趙雲はポーズを取る。芝居がかった仕草が如何にも違和感なく華麗に見える事が、この場に限ってはなおのこと鼻に付いた。
「隊長の居らぬ我が隊を纏めるのは、副長以外にありえません……よ!」
すぐ隣で黙々と作業を続けていた小柄な少女、楽進が、自分の体重の優に二倍はありそうな建築材を頭上に掲げて、ぐうっと持ち上げながら会話に入って来た。
「お、おぉう、楽進、あんま無茶すんなよ」
「どうという事も無く!」
下肢を肩幅より若干開いて身体と大荷物をしっかり支えながら、ズンズンと歩いていく。素朴な雰囲気をしていて、それでいて度肝を抜く様な事を平気でやるものだ。
「しかしさァ、アニキぃ。俺らって『戦闘以外のあらゆる業務を免除された特別戦闘部隊』じゃなかったの? 何でドカタやらなきゃなんねェーんで?」
「うぅ~、沙和、もうドロだらけになりたくないの~、モッコ担ぐのまじ勘弁なの~」
「非常の非常時なんだ、こればっかは仕方がねえだろ。斬り合いやらずに金貰えるってんだから普段の仕事よりよっぽどラクなもんじゃねェかッ」
「きゃんっ」
腹ばいになって運搬用一輪車に乗り掛かるように身体を預けている沙和の尻をパシッと叩いた。タイトな布生地に締め付けられている、水桃のようなしまった尻がぷるりと震える。
「それよりアニキぃ、武蔵のダンナは無事なんだな? もうずっと官渡の基地と連絡が取れないって話なんだな~」
「心配ねェだろ……八つ裂きにされても死なんようなお方……ッ!?」
デクと言葉を交わしていたノッポが、足首に強烈な違和感を感じる。
河縁に立っていた自分の足を――――――水の中から這い出て、握り締めている腕だけの手が目の中に入った。
「んなッ!? ……?」
サッと青ざめる様な感覚を覚えて、弾かれた様に飛びのこうとする。が、ガクッと杭で打たれた様に動かない。とてつもない握力によって阻止されたのだ。
思わず刀を抜き、斬り付け――――――ようとして、掌が離された。探る様に地面をぺた、ぺたと這い、やがて取っ掛かりを見つけて。
這い上がろうとして来た。
距離を取り、ノッポが構える。作業に従事していた面々もすぐさま荷をその場に捨て、弾かれる様に臨戦態勢を取って追従した。
じりッ……と、睨むように様子を窺う。妖魔か、邪物か。やがて、腕の主がざばあっ、と水音をあげて、河の中から這い出てきた。
「あ……!」
「……あー!!」
水の衣を纏わせて出て来たどざえもん。ゆらっ、ゆらっと、身体を揺らして二歩、こちらへ。
紅茶色の動物の鬣のような長い髪が簾のように顔を覆い隠し、その隙間から琥珀色の眼玉がぎょろりと覗いた時は思わず胆が冷えた、が。
おもむろに、右手で長い髪を掻き上げ、頭のてっぺんで絞ると、それは見慣れた顔だった。
「ダンナぁ!?」
ぶるっと、身ぶるいし、体中の水気を弾く。
「よう、お前らー―――――無事か」
ふう、と、まるで一服の一息であるかのような語調でそう問うた、ずぶぬれの武蔵。
左手の小脇に抱えているのは、目を回して既に気絶している桂花だった。
「秋蘭、桂花、大儀であった」
「不甲斐なき一敗地です。お褒めの言葉を頂くには値しません」
「よい。貴方達が居なければ、私は兗州に帰る事すらままならなかったでしょう。この戦に勝利した後は、必ずその戦功に報いる事を約束する」
「……はっ!」
「ありがたきお言葉、なれど……」
ずぶ濡れのまま、明朗な返事を発した桂花。
軍礼を取る、動かぬ秋蘭の表情。毅然、端然、敗戦の泥に塗れた後であっても、その一言を象徴しているかのような美貌はまるでくすまない。
「全ての栄典はどうか、散っていった同胞に」
氷を磨き上げたような秋蘭の顔は、真っ直ぐ華琳を捉えている。
「濡れ鼠の朝服、埃に塗れた血染めの甲冑。それを拭わずに此処に来た、その魂こそが我が軍の宝」
幼げな綺麗な顔は嬉しそうであった。
「私はその語り部となり、天命の時まで決して忘れない事を誓いましょう」
その一言で秋蘭と桂花は、今一度深く頭を垂れた。
見届けて、すぐに華琳の表情が変わる。
簡素な上座に掛ける小さな影が、軍議室の物々しさとはまるで比べ物にならぬ静かな迫力を持つ。
「では早速だけど、戦力分析と今後の作戦についての吟味をしましょう。軍師達、此度の敵をどう見るか?」
改めて桂花が一歩前へ、そして脇に控えていた稟と風も、己を主張するように壁際の指定位置から一歩前へ出る。
一番矢を切ったのは、風だ。
「一言で申しますと」
「うむ」
「速くて、強いのです」
普段通りの、眠そうで平坦な声で。
「そう、強くて速いの」
「はい。強くて速いのです」
「そう」
子供の問答の様。
華琳は満足そうに、にっこりと笑った。
「……お、終わりか?」
「はい」
「なんだそれは!? 子供の問答か!? わかるように説明しろ!」
「……くー」
「寝るなよっ!!」
がーっと唸り声を挙げたのは春蘭。
「……詳細は、私から説明します」
稟が溜め息をひとつ吐くと、眼鏡のブリッジを押さえて意見を整理しにかかる。
「まず、敵の最大の強みは機動性と運動性。特徴としては確認し得る上でのほぼすべての兵が騎馬であり、かつ戦闘員であるという事です」
漆黒の手袋が空気を撫でた。
「正面からぶつかっても十分に脅威ですが……真に厄介なのは『こちらの迎撃態勢が整う前に攻撃に移れる』という特性にあります」
「急襲が得意ということか?」
「はい。騎兵でありながら小回りは歩兵並み、しかも戦闘員の割合が高い為どんな体勢からでも攻撃に転ずる事が可能。ですから此方の陣形が定まる前に攻撃を仕掛けたり、突撃によって隊列を崩した所を間髪いれずに波状攻撃で畳掛けるといった戦法が抜群に上手い」
「先の戦闘も、大きな眼で見れば同様の事が言えます。華琳様の主力が辿り着く前に分離していた守備隊を叩く。あらゆる意味で『先手を取る』という戦術を得意とし、また信条としているようです。そういった意味での速度と破壊力は、はっきり申し上げまして、敵に軍配が上がります」
春蘭が挟んだ合いの手、稟、次いで桂花が発言する。
華琳は静かに、肘掛けに肘をついたまま、とん、と米神を人差し指の先で押さえた。
「――――――ですが、付け入る隙はございます」
稟が普段、怜悧な双眸を隠しているトレードマークの眼鏡を、つるを持ち外した。
「その反応の速さは、司令官が率いる千からの兵を直接掌握している事にあります。指揮系統が単純であるからこそ伝達が速く、裏を返せばそれは軍の機構が極めて古いという事。頭を叩けば全て瓦解します」
「そう。ヒトの脳と同じなのね」
「はい」
西涼軍の強さは、先頭を走る高順や李確の手綱さばき一つで、端の一兵に至るまでがその意思を理解し、即座に行動に映る事の出来る“速さ”にこそある。
それは狼の長が遠吠え一つで群れを操り獲物を仕留める、原初から継がれてきた“狩り”の様相そのもの。さながらひとつの部隊が、武将という脳によって繋がれている一体の肉体として形成されている。
故に、その脳を潰せば制御を失った軍という身体は沈黙する。
「結論として、我々軍師団が提唱する作戦は『陣地戦』です」
桂花が言った。風ははじめの一言以降、沈黙を保ち続けている。
「現在、我々は兗州の実に七分を失った状態です。だからといって戦線を広げる事は禁物、駿獣の檻を目一杯広げてやる様なもの。それに、敵軍は我々を撤退させた兗州の西部を完全に掌握しているわけでは無いと思われます。この短期間で支配力を発揮するのは、彼らの戦い方ではおよそ不可能でしょう」
「我が軍はまず、陳留の南部まで進出し前線基地となる城塞を新たに造営、さらに残っている版図の中に中継地点としての陣を大小、刻む様に設営します。お互いにすぐさま連携が取れる様に……つまりは、持久戦ですね」
「それら張り巡らせた陣地の連絡によって、奴らの速度に対抗する。こちらから攻める事はせず、守りを固めて敵の疲弊を待ちます」
「徹底的に当面の涼州軍に備えて全軍を稼働させる構えか」
「だが、外の敵はどうする? 北の袁紹や南の袁術に横やりを入れられたら一巻の終わりだぞ」
「袁術は以前、涼州軍に攻撃を受けた南陽の傷が未だ癒えず、南の平定に戦力を傾けている状態。袁紹は北方平定以後、領土拡大派と経営派の対立が激しく南下は今しばらく先の話でしょう。徐州は先の戦で徹底的に叩きましたから、反攻の余裕はありますまい。唯一、陶謙の下に身を寄せていた劉備の進軍が考えられますが、取るに足らぬ程度の小勢、気に掛けるほどではないでしょう」
「奴らの本拠は遠く離れて関中、しかも飼料の嵩む騎兵が中心。軍の疲労は間違いなく向こうに先に訪れます。物流の販路さえ渡さなければ、おのずと勝利は転がり込んでくるのです」
水も漏らさぬ様な能弁を稟と桂花が交互に構築し、諸将を交えて論ずる。
華琳は黙し、おもむろに一言。
「この曹操の軍師とはその程度なの」
静かにそう言う。華琳の一言一句の後、必ず空気には沈黙が落ちる。
「桂花、稟、風」
場を呑むとは、こういう事を言うのだろうか。もはや一種のトレードマークとなった米かみの辺りに手の甲で杖をつくいつもの姿勢で、首を揃えた自慢の智嚢達を斜めに見遣る。
「最善の可能性を知りながら、言葉を述べぬ舌の罪は重いわよ」
華琳が笑って、そういった。
傾けながら此方を眺めるその表情は面白げ。
「……恐れながら」
「――――――お察しの策は、論ずるまでも無く棄却した案のひとつです。とても実用に足る作戦では無く……」
「それ以上愚を重ねるならその頭蓋を剥こうか、稟」
沈黙が、落ちる。
「己の脳漿で想定し得るあらゆる策を余さずに絞り切るのが軍師という職の本分。頭の中の閃きを言葉にも形にもする事無く握り潰してしまう者は既に軍師では無い。軍師を名乗るならその頭脳に見合う器であれ」
語気にも人を惹き付ける力がある。
たとえそれが威圧感や畏れを伴っていても、人は聴かずにいられないのだ。
「彼らの戦いぶりを知りながら。長安、洛陽を一夜にして灰燼に帰したその苛烈ぶりを聞きながら。時を悪戯に費やし鬼神の侵攻にこの兗州の地を晒し続ける下策を容れろと言うのか?」
やがて、氷のような言葉に感情が乗ってくる。
否、むしろ暴れ狂う様な激流こそが本性なのかもしれない。
「大将の首を取れば全てが解決する戦いだと知っていながら、なぜそれを取れと献策しないの? 例えば私が一騎打ちで高順の首を取れば、それで終わる戦でしょう」
「なっ……恐れ多い事を仰らないで下さい! そのような任務は何卒、この夏侯惇めに!」
「あら、遠慮しなくても良いのよ」
「天下に惇なくとも、曹操なくば成り得ませぬ! たとえお戯れでもそのような策を口に出される事は……」
「ならば問いましょう。兵士一人とこの曹操……どちらの命が重いと思う?」
「……!?」
思わぬ問いに言葉が詰まる。
同時にある直感が過った。理屈が構築されるよりも速く訪れた、状況の理解。
問い間違えれば、死を賜ると。
「戦場で直接切り結ぶ兵士の価値が将軍一人よりも下である事はありえない。国家の基礎たる人民の命が君臨する指導者一人よりも下である事はありえない」
「…………」
「方寸一個の人間ひとり。なんの違いがあるものか。髑髏になれば見分けなどつかぬ。猛ろうとも吼えようとも、いずれは塵芥へと還るのよ。それを戦う為に組織された兵という存在が、その万軍の旗頭足らんとする指導者が、戦う事を恐れてどうするの。退いて時を経れば経る程、あの乱世の化身たる軍団は天下の大地を悉く燃やし続けるでしょう」
それはさながら劇場にも似て。
「西に取り残された十万人の良民の絶望を鑑みれば、乱世という業火の海に投げ出された百万の国民の恐荒を思い起こせば。たかが数万の兵士の命、わずか一個の指導者の首、何を惜しまねばならぬ事があるものか」
持久戦は総合的な犠牲が大きい。経た時間に二乗する量の人を、街を、土を戦火に晒し続ける事になる。
それを避ける条件は、兵士が殺到してくる死と破壊に真っ向から立ち向かう事だ。
あの羅刹よりも烈しく速い、西の疾風の矢面に立つという事なのだ。
「……軍議中、失礼致します! 徐州にて、華雄殿が反乱! 西涼軍に呼応し、我が軍を背後から挟み突く構えです!!」
ばたんと、粗野に軍議室の扉が開いて、時間は再び動き出す。
「華雄が!? ええい、よりにもよって……」
「……予想はしていた事態だが」
「桂花」
「はっ」
劇場から現実に引き戻される、外の光と空気が場内の闇と混じり合う逢間。
そこでは浮遊感と喪失感、安心感が綯い交ぜになって存在している。
その不可思議な感覚こそが合図であり、好事家はその感覚がえも言われぬ癖となり、味わう為に再び劇場に足を運ぶのだと言う。
「張遼を反転させて華雄の押さえに向かわせなさい」
「……華琳様!?」
「華雄が涼州軍の動きに呼応した事は明白! 一度、張遼殿の兵権を主軍預かりとし、本営に召喚するべきだと思いますが」
「なぜ? 彼女が胡人であるからかしら?」
「…………」
「彼女は私に背いたわけではない」
儒教における五倫のうち最も重視されるべき「父子の親」に基づけば、個人を民族で括る桂花や稟の考え方は極めて妥当である。
それはほぼ無意識のうちですらある程に深層心理に刻みこまれた感覚であり、自らの民族にアイデンティティを求める事は漢人のみならずあらゆる肌の人種に共通する考え方であろう。
もはや準本能とも呼べるかもしれない、ごく一部の例外を除いては。
「接触の結果、彼女らが旧主と民族の義縁を優先させるならそれもまたよし。逆にここでなお再び曹操の下へ戻るのなら以後の生涯ずっと私を裏切る事は無いでしょう」
「華琳さま」
そよいだ風鈴のような静かな声。
今まで同輩ふたりに発言をまかせ続けて来た最後の一人が、ここに来て口を開いた。
「荒れ狂う暴風を母屋に籠ってやり過ごさず、自ら立ち向かい押し留めようとする。古人はそれを無謀と呼びます。如何に人が人智と五体を尽くしたとて、天変を退ける事は出来ぬからです。それを行うとおっしゃるなら、我らは天意が定めた道理を超えねばなりません」
風が言う。
「例え神威を思わせるが如き暴虐の侵攻でも、それが人の身であるならば凌駕出来ぬ筈は無い。彼らが地を越えるなら、我々は時を縮めて見せましょう」
華琳は、笑って応える。
息吹きが肺臓、肉を擦って血と酸素を巡らせる。その流れの感覚を、中国武術では往々にして気と呼んだ。
膝を張って肩幅やや広めに立つ。その立ちのまま足を捻り、左方に突き、正面に突き、右方に突く。その三方への動きを延々と繰り返しており、既に打った突きは千と二百を超えていた。
それは遥かのちに『ナイファンチ』と呼ばれる事になる形の動きの一部に酷似していたが、それは楽進の知るところではない。
「凪ちゃん、おふの時間まで鍛練なんて頭おかしいの~飛んだわーかほりっくなの~」
その隣では既に飽きてしまった于禁が仰向けに寝そべっていた。
彼女は訓練剣も携えていないし、道着も来ていない、普段通りのお洒落な私服である。
ただ、なんとなく凪に付き合って此処に居る。
「身体は常に動かさないと非常の時に役立たないだろ。こうしている時にも襲撃を受けるかもしれないのだから」
噴き出す様な汗が滴り落ちている。裸足の足の裏は硬く分厚くなっており、それがさらにべろべろに剥けている。鍛錬の痕だ。
「ふい~疲れた疲れた……ふたりとも、お菓子食べる?」
欠伸混じりに首筋を軽く叩きながら、真桜が道場に入って来た。
「食べるの!」
「頂きます」
殆ど、その返事を聞くか聞かないか、という具合でいくつか手の中に入れていた小さな袋に小分けになった菓子を下手投げでよこす。
凪の胸元と、寝そべっていた沙和の顔の真上に丁度落ちてくる。
「どうだ? 隊長の得物は」
「ん? ああ、海水抜いて、錆止めかけて……ラクなもんや」
がしがしと頭を掻いて、胸を持ち上げる様に腕を組む。
以前、胸が重たくて肩が凝るとよりにもよって桂花に話していた事がある。あの時の桂花の般若が幼子に見える程の恐ろしい顔、彼女が憎しみだけで人が殺せるとしたら、真桜は今頃、骨粉ひと掴みすらこの世に残ってはいまい。
ともあれ、彼女がそうやって胸を支えようとするのは、無意識のうちの癖のようなものなのであろう。
「ごつい剣やで、あれは。ヤマトの国の匠っちゅうんは皆あのくらいの仕事が出来るもんなんか」
「凄いのか?」
「ウチらの国の技術じゃ、二コ同じもんは作られへん。よく研究すりゃ製法はわかるんやろうけど、たぶん、再現できる技術師がおらんやろ。ウチなら手入れくらいなら出来るけどな」
ごきん、ごきん、と首を鳴らして、大儀そうに床にそのまま腰を下ろす。
「しかし、難儀なハナシになったなあ。あのバケモンどもと正面切って短期決戦やて。命がいくつあっても足りる気がせんわ」
「う~今回ばっかりはさすがにヤバいかもしれないの~。今夏の仏ッ痴の新作が出るまでは生きてなきゃいけないのに~」
「随分、俗にまみれた今生を惜しむ言葉やなぁ」
「女の子にとってオシャレはまさしく命懸けなの!!」
「沙和も、真桜にだけは俗まみれって言われたくないだろうな」
結局、曹操軍は持久戦の構えを棄て、正面からの決戦を採用した。
事態の逸早い収束を図るため、死中に飛び込まんとする考えだ。あえて危険な作戦を選択した事になる……それも、危険度は特級といって全く過言ではない。
何せ、ほぼ一夜で王允政権を打倒し、中枢軍と皇帝の御座を一息で破壊した軍勢が相手だ。今回ばかりは、歴戦の諸将にも緊張が走っていた。
「なあ、凪」
「なんだ?」
「…………」
おもむろに真桜は問いかける。
凪は、友人の声の色が、普段とどことなく違う事に気づいていた。
「どうした? 真桜」
「……ウチな、このまま軍続けようか、迷ってんねん」
虫の声が聞こえてくる。
すでに初夏の足音が、そこまでやってきている。
「国家の為って、そんな大層な事考えてたワケやないけど、故郷のおばあちゃんらに楽させたろと思って軍人になった。そんでよう深い事は考えずに戦っとったがな、徐州を見たら何か変わってもうたわ」
菓子の包みを八重歯を使って破く。
「敵さんかて、人間や。あたりまえやけど。ましてその家族や領民は何も知らんじーさんばーさんや子供や」
ピリッと言う音がした。
「国ってのは、あそこまでせんと変えられんもんか? 戦争無くすために戦争して、何十万人も殺しとったら、結局一緒やないか」
菓子は一口で頬張れた。
サクリと、砕ける音がした。
「……もう、私達が軍に身を投じてから数年になるか。結構、早いもんだな」
「…………」
「私も、ひとつ解りかけてきた事があるよ」
凪はひとつ拳を振るった。
つむじを巻く。擦れた衣がシュバッとキレの良い音を鳴らしたのが、まるでかまいたちを思わせる。
「恐らく、私達が何をしようとも、人は死ぬんだ」
「…………」
「私が戦えば敵は死に、私が戦わなければ共に闘う同胞が死ぬ。軍を抜ければ落ちた戦力の分だけ戦は長引き、それに伴う犠牲が増えるだろう。敵の死者は減るだろうがな。結局、私達がどうしようが人は死ぬ。ただ、当事者になるかならないかの違いしかないのだと思う」
スパン、と空気の破裂する音がした。
研鑽を積まれた拳、血はもう、洗っても落ちはしない。
「きっと関係無いんだ。私が戦おうが逃げようが。だったら私は戦いたい……当事者として見届けたい、逃げる事はしたくない」
「…………」
「仏に遭いては仏を斬る、なんて言える程に私は強くないけれど……仲間が斃れる時、その場に居なかったとしたら私は一生後悔する」
「…………」
「それも結局、逃げなのかもしれない。戦っていれば……必死になっていれば、余計な事を考えずに済む。一度、“戦う”という事に真正面から向き合ってしまったら……きっと私はどうする事も出来なくなってしまう。私は、真桜ほどに強くは無いから。だから、ガムシャラに目の前の事に没頭するしかないんだ」
凪は振り返り、少しだけ笑った。
まだややあどけなくて生真面目な、変わらない友人の顔である
「真桜が軍を抜けたいというのなら、それでも私たちは構わないよ。明日は明日で、何とかなるさ」
「沙和達は三人でひとつなの!」
唇の端に菓子のかけらをくっつけた沙和の笑顔が眩しい。
小さな頃から、ずっと変わる事のない表情だ。
「……なあ」
「ん?」
「凪はなんで、戦おうと思うんや」
改めて、聞く。
数年前、村を出る前に口にした問いを、今再び。
「故郷を守るため。それが出来るのは曹操軍しかない」
夜は濃くなり、叢雲は厚く、あい間に除く月は高い。
屋根の下で語らう彼女たちにそれは見える筈も無く。空もまた、彼女たちの事を知る由も無く。
風だけが、静かに緩やかに流れていく。
とりあえずはあげる! そして寝る!! 七時起きだ!!!




