中原動乱編・第七十四話―――――――「おおかみと小動物」
「飾り気は無いが……この陳留は洛陽よりはずっと肌に合うな」
湿った、それでいて楽器の様に小気味の良い音がした。
トス、トス、という土を叩く蹄の音が規則正しい拍子を刻む。
「俺はこの湿っぽい風が嫌いだがね」
郭汜に声を掛けられた高順は、振り返らぬまま連れなくそう答えた。
馬上の上で生活する彼らは、鞍に乗ったまま交わす会話が得意である。彼らは普段、疾風のように馬を駆けさせながら、顔を見合わせもせずに轟風に巻かれながら飛ばし合う声だけで互いの状況を知る。
温く柔らかい空気が、硬い肌を揉んで抜ける。彼らの住まう極寒と烈風の大地に比べれば、その風は拍子抜けするほどに穏やかで優しい。
混血児特有の艶やかな容貌。本来黒髪の人種に備わらぬ筈の灰色の瞳は、何かを思うのか。それとも何も思わぬのか。
丘の上から見下ろす、既に征圧の完了した戦火の壊街となった陳留の都市を見て。
「中原の風土では何処であろうと合うまいか」
「そういうワケじゃない、単に黄河が近いからさ」
口髭を蓄えた郭汜の声は、低く渋い。高順や李確よりも歳かさに見える、三十半ばという所だろうか。
「夏侯姉妹とはどれくらいやりあった?」
「四半刻程だ。戦線が硬直し始めたので、釣って騎射を浴びせてやろうとやや後退させてみたが、深追いしてはこなかった。切りも良いのでそこで手打ちという事にしておいた」
「……となると、曹操の本隊は既に兗州に入ったと考えて間違いなさそうだな」
恐らく郭汜はその戦闘を通して曹操軍の戦力を図っていたに違いない。高順らが突破した夏侯淵とその勢いを食い止めた夏侯惇。曹操軍の両翼とされる二将の力量にそれほどの違いは無いだろう。その手応えの易し難しは純粋に兗州に残存していた守備隊と遠征隊との戦力の差だ。
つまり主力はまだまだ健在であり、夏侯惇の部隊はその一部でしかないという事。曹操軍の攻略はこの陳留を陥落させたように、一当ての勢いのまま飲み込めるほど簡単ではないという事だ。
ふと郭汜が風を吸うと、鼻を突くような饐えた臭いが混じって鼻腔にへばりついてきた。
人間の死臭。
「陳留の住民。多少なりとも生かしておけば奴隷として使えただろう?」
「必要な分は残したさ。あまり多くても俺らには使えん」
彼ら騎馬民族には、領地経営という発想が無い。政治や産業に関するノウハウを一切持たない彼らは前政権の基盤を引き継ぐことすら出来ない。
そもそも漢人の生活様式に迎合する気がまるで無い上、『国家の発展』というものに価値を見出していない。陣地を囲う様に、支配力を強めながら地場産業を振興させつつ版図を拡大していくという定住型の農耕民族とは根本的な考え方が異なるのである。騎馬民族にとって領地は『駆け抜けるモノ』だ。草を刈り取る様にその場の物資を奪い取って、焦土になれば次の獲物を求めて走り去っていく。生粋の狩人的気質を持つ彼らは、ひとところに留まる事はしない、絶えず餌を求めて移動を続ける。
その中でも、彼ら涼州人は通常の遊牧民ともまた異なる特殊な社会様式を持っている。一般的な騎馬遊牧民は牧畜という形での生産活動を行うが、彼らはそれすら行わない。それは時の侵略者・支配者であった光武帝から一切の自家生産事業を禁止された歴史に由来するものだが、彼らは戦利品のみで自らの生活を維持する生活様式を確立している。何も生み出す事は無い。
漢民族達が彼らを忌み嫌う感情……言い換えれば“恐れ”を抱くのは詰まる所、それなのだ。自分たちの常識がまるで通じない相手。普遍的な文化的生活というモノへの認識の尺度、倫理観、全てが交わらない。差が大きい、のではなく、根元から異なっている。同じ“中華に住まう人”である筈なのに。
『嫌悪』とは自らと掛け離れた存在に対し、その距離に比例して大きくなるものであるとも言うが、この場合、同じヒトであるにも拘らず中身がまるで違う生き物であるという事が、余計に恐怖を助長させていた。
そこに“ある”筈なのに無い、同じはずなのに違っている。慣れ親しんだ、常識的なある種の“定番”としての安心感を抱かせる筈のシルエットが、まるで得体の知れない異形の性質で以てその実を満たされている。ルネ・マグリットの赤いモデルのように。
陳留では女と人夫となり得る少数の人間を残し、他は全て殺された。兵士は勿論、役人や城内の市民、農民、職業の区別は無かった。
「奴隷には俺らと変わらない食事を与えろよ」
「ぬ?」
「いざとなったら食える。住む所は元の家をそのまま使わせろ」
羊は肉にしてしまうと、火をかけても干しても劣化からは逃れられない。生きている間は腐らない、だから連れて歩く。弁当のようなもの。
タタッ、と、軽やかな土音を立てて馬首を返した。金色のアハルテケ。漢の武帝が『汗血馬』と呼んだ垢抜けた馬体、首の伸びやかな使い方一つ、ふわりと跳ねる球節のバネ一つでその柔軟性、具えた身体能力の高さがありありとわかる。
「どこへゆく?」
「ウチに帰る」
和やかな表情だった。すれ違った高順の容貌は、漢人のそれと大して変わるものではない。
ただ、ぞくりとするほど美しいだけである。
『よう、居たのか』
扉をあけると、ぶら下げた買い物袋が揺れた。買い物袋といっても市で買い物をして来たわけでは無く、略奪した物資を集めている保管所から適当に見繕った物を詰め合わせた袋だ。
あばら屋という程にボロでは無いにせよ、決して豪華とは言い難いごく普通の平屋。いやに物の無い、すかんとした一室の中央で、ジッと彼女は正座していた。
今日、貴族でもなければ心得すら持たぬであろう旧来漢語。元は公用語との区別がなかったというのが信じられない、もはや独自言語と化しているその言葉でコミュニケーションが成立する相手は互いに一人しかいない。
金髪に碧眼、処女雪のような白い肌。後漢の初代皇帝・劉秀に由来する純血の美しさ。
平民の格好をしていても、生来の気品は隠しようが無い。
『どこに行けるという? 朕は首の背を咥えられた羊であろう』
きっ、と睨む。顰めていても少女の美貌はいかほども損なわれない。
皇帝としての仰々しい衣装に包まれていた頃よりもナマの表情がハッキリとわかり、それが却って綺麗に映る。
そう、“綺麗”だと高順は思った。誰に見られているわけでもないのに、ぴしりと背筋を伸ばした座姿。自分に対し忌々しさ、憎々しさを誤魔化す事無くぶつけてくる表情。歳以上に大人びている様に見えて、その実、自分の内面性を隠す術を知らない。そういう彼女の所作の全てが“無垢”という要素に繋がっているように思えて、高順はそれを綺麗だと感じていた。
『飯』
『ぬ』
『作れ。材料は二人分以上ある』
『……朕に炊事をさせるというのか!?』
金切り声すら、凛として聞こえる。
椅子も無い部屋の真ん中に、味気なく置かれている卓袱台。高順が袋をおくと、そこそこの重量を感じさせる音がした。
『もうお前の身体になって動く奴らも、雨風から凌いでくれる宮殿も無い。自立出来なきゃ死ぬぜ? まずは誰にでも出来る事から始めるんだな』
薄ら笑いを浮かべて噛み付く様な劉協を一瞥すると、そのまま部屋の隅の寝台に寝そべる。
そもそも、急にやってきてそれらすべて壊していったのはお前らだろうに。
それも、『誰にでも出来る事を』だと? 偉そうに、白々しくもよく言ったもの。
カンに触るっ。
だが、その純白の少女がいくら眼で殺そうと思っても、野生の勘と肉体を具えたこの雄の安息を妨げる事すら出来はしない。狼の主が兎の前で悠々と眠る事と同じである。痒みをもたらす蚤程度にも警戒する必要はあるまい。
「…………」
捩じった上半身を元に戻して、元の背筋をぴしっと伸ばした正座の姿勢で目の前に置かれた袋を眺めた。
改めて思えば。
料理の「原形」というものを、劉協は未だかつて見た事がない。皿に盛られて仕度された膳、それが如何に加工されてその出来上がりになるのか、そもそも何処から調達されたものであるのか、肉の切り身が切り身に成る前は一体どんな形をしているのか、全く知らなかった。
その事に思い巡らす事が出来る程には、彼女は聡かったのだが。
再び、寝台を見遣る。高順は掛け布団も掛けずに、早々に瞼を閉じて深い息を吐いていた。
――――――まどろみの向こう側には、いつも母が居る。
母と違っていく色と容貌が嫌いだった。漢人でもなければ胡人でもないが、そういうのはどうでもよかった。成長とともに母から離れていくのがたまらなく嫌だった。嫌だったというよりは、怖かった。自分が母の子では無い様な気がして。
唯一、この顔で良かったと思えたのは、母の死の際だけだろう。
母が死んだその日までの最後の1年、俺は一度も母に名を呼んでもらった事がない。
『――』
死の床で母は俺の顔を撫でながら、俺では無い別の男の名を呼んだ。
俺との会話では一度も使った事の無い、聞き覚えの無い言語で雫のように言葉を紡ぐ母。顔も知らぬ俺の父とは、いつもそうして話していたのだろう。
……母を棄てた、名も知らぬ父。
俺が今まで見た事も無い様な心安らかな表情だった。俺は結局、母の心に触れられた事はかつて一度も無かったのだと、その時にはじめて知った。
父の面影の残るこの顔だけが、母を真に和ます事が出来たのだ。俺が頬笑みを作れば、死神に取り憑かれた痩せこけた頬が輝く。
時とともに、母の言葉の意味がわかるようになってくる。貴族の娘と契って中央で出世した事への恨み節や、戻ってきてくれてありがとうという事、甘い声、愛の言葉。
俺がそこに出て来た事は一度も無い。
『――』
嬉しかった。
その母が笑ってくれるのなら、何でも良かった。
母が大事に、大事に抱いて血反吐を吐く思いで育てたのは俺では無く、父の思い出であったとその時にようやく気付けた。
俺が父を気取って頬を包み、膝を枕にして頭を撫ぜて歌を歌う。10歳の子供の掌がどれほど母をしっかりと抱けたかはわからないけれども、心地良さそうに安らいでくれた。
どれほど寂しい想いをしたのだろう、優しく全てを包んでくれた母。丘の日差しのような瞳が本当は誰を見ていたのかはどうでもよかった。母が俺に福音をもたらしてくれる人であった事に変わりはない。
それが判った事は幸いではあれど、悪いことなど一つも無かった。母が本当に欲しかったものを知る事が出来たのだから。
一生のうちで俺がこの顔貌に有難うと言ったのは、母が枯れ木のように朽ち果てるまでの、その時間だけである。
『また派手にやったもんだ』
起き抜けの高順が、胸元を掻きながら厨房への簾をくぐった。
捕食者に見つかったウサギが跳ね起きるが如く、びくっ、と肩を震わせた小さな後ろ姿。
『うぐ……』
ゆっくりとにじり振り返る妖精のような顔。赤点の答案を見られた私塾生徒のような表情をしていた。
如何にもバツが悪そうにしている背中越しに、惨状が見て取れる。
飛び散った脂、ごっそり実の付いた果物や野菜の皮、零れた水、累々。
見るも可愛そうな状態になっている、皿に盛り付けられた物体。
『食うぞ』
高順が居間を親指さした。
『…………』
相も変わらずピシッとした正座で、しかし、ずーん……とこれ見よがしにわかり易く俯いている。
二人分の食卓、皿の数は多いが、皆一様にでろんとしていて、憚らずに言ってしまえば残飯と殆ど見分けがつかない。食材の組み合わせが支離滅裂で、料理名を付けるのも困難だった。例えば、「肉じゃが」などという既成のものは存在せず、「肉の発酵豆和え」とか「卵かけ大根」など、直感に任せた独創的なものばかりで、盛りつけは乱雑そのもの。皿の端に片寄りしていて、はみ出掛っているものもあった。むしろ、真ん中に近い場所に丁度良く料理が来ているものは一品かそこらしかない。
何より、全ての食材に一切の火による調理が施されていないのが特徴的である。野菜は歪に皮だけ剥いて生のまま水さらしで洗ったのみ、肉類は干し肉のみが並んでいる。下処理の必要な魚や生肉は袋に入ったままだ。
それが攫われた現帝・劉協の全力で作った第一号目の料理だった。
『食うか』
対面で胡坐をかく高順がぼそりと言う。促され、渋い表情を浮かべたままの劉協は仕方なしという風に箸を取る。敗北感、というよりは大いなる挫折感が、ありありと尊貴な顔立ちに滲んでいる。
「――――――頂きます」
劉協が料理に手を付けようとした矢先、対面の高順が何かを呟いた。
聞きなれない言葉……挨拶だろうか? はたとして見遣る。両手を合わせて、目を閉じ、会釈した。礼の様だった。
礼? 何に? 誰に? 食材に――――――朕に?
劉協が卓上と対面の間で眼を往復させる間に、高順は食事を始めた。
呪文のような言葉と、礼。少しだけ戸惑った後、劉協は見よう見まねで両手を合わせてみた。
『…………』
食卓は、恐ろしく静か。箸と食器が時折ぶつかる音と、外の風が屋根を叩いていく音しか聞こえない。
ナマの芋を口に含むと、その硬さにうぐ、と、声にならぬ声を喉の奥で発す。箸を咥えながら、ちらりと窺う様に上目遣いをし、考える。
先ほどの言葉は、礼というよりは、感謝か。言葉の意味、発音はよくわからないけれども、何となくそんな気がした。
感謝。そういえば、劉協には初体験の事かも知れなかった。天子という、地上で最も貴い存在が他者へ“感謝”する機会などあろうはずもない。『頂きます』の文化は、彼女の常識には無かった。
だから、高順が食前に行った行為が何を意味するのかはわからなかったのである。しかしそれを見た時、何故か“そうしなければならない”気がして、思わず真似た。
礼か、感謝か、あるいは祈りなのか。
『…………』
覗き見る様にちらりと見遣った先、対面の男。一言も発さずにひたすら料理を口に放り込んでいく、何気ない所作、ひとつひとつに色香に似た何かが匂い立つ。粛々と無骨に食べ進めていくだけだが、そういう不思議な妖しさを纏う。
それは混血児特有の、それも端麗に生まれついた者だけが纏う特殊な色か。本来、艶などとは最も遠い筈の男、疵痕だらけの歴戦と強靭な肉体のみを持つ男だ。
自然体、黙々と箸を運ぶ高順の姿に、そんな言葉が浮かんだ。その食卓では皇室のそれのように、はじめに全ての皿に一口ずつ箸を付けると言う作法も無く、一品ごとに侍者に品評を聞かせるといったお定まりもない。
生卵に浸された大根を口に含むと、思わず劉協は顔をしかめた。自分で作ったものながら、ハッキリ言ってまずい。味付けを何ら整えていない、材料を殆どそのまま皿に乗せただけの野暮ったく素っ気ない味、それだけでも舌の肥えた劉協にはつらいものがあるが、生卵の白身のぬめりと生野菜が絡んだ食感はかつてない不快感である。しかも、それを行儀良く毎回、全く同じ分量を箸に取って口に運ぶものだから、食事の進行速度は極めて遅い。
『……ふう』
高順が、一息吐いた。見ると、眼の前の膳が綺麗に空となっていた。劉協がようやく全体の三分の一に差し掛かろうと言う時点である。
寡黙な口は食事中、ただただ料理のみを咀嚼していた。一言も文句などは無かった。
「ごちそうさん」
おもむろに向き直り、目を細める様に、呟く。
和らいだ表情に、思わず生卵と生野菜を一気に飲み込んでしまった。
あてられる様に、もう一つだけ気が付いた。
劉協は――――――誰かとこうして、向かい合って食事をするのも、また初めてであった事に。
『美味かった』
『嘘を付け』
両手を床に付き、ラクな格好で食後の憩いに浸る高順。呟いた一言に、その丁度対角、部屋の隅でピシリと正座をする劉協が反応した。
『食い物はそもそもは、全て美味くて元々……施されたモノならなおさら』
『…………』
『楽に崩せ、劉協』
『らく、に?』
『ん?』
『……?』
右の掌を上向けて高順が促すが、劉協はきょとんとした表情をした。
一瞬の沈黙があって、小首をかしげた彼女を見て、高順は笑みを噴き出した。
『こういう風にさ』
『っ! そのようなはしたない格好が出来るか!』
パシッと、高順は自らの膝を叩いた。
『いいから、やってみろ。ラクだぜ?』
少しだけ考えて、やがて劉協はおずおずと座り直す。見よう見まねの胡坐――――――しかしそれが思いのほか脚を露出するのに気付くと、慌ててばッと立ち上がり、改めて体育座りに直した。
と言っても、これが高順の言う「ラクな姿勢」かどうかは、劉協には判断がつかないのだが。そもそも地べたにこんな風にして座った事は、十二、三年の人生で一度も無い。だから、その場に収まる様に座った。
チラッと、高順の方を窺う。楽にしろ、と言い付けた本人は劉協を一瞥する事も無く、目を閉じて寝そべっていた。
(…………)
膝に顎をちょこんと乗せる。そっと、背中を壁に預けてみたら、どっと身体が重くなった。
身体が水を吸った布になった様な虚脱感。地面に沈む様な感覚の中に不思議な爽やかさと安堵があった。
労の疲れ。精気が根こそぎ放り出ていってしまったような心地。
この少女は、何が正しくて何が間違った料理なのかも、よくわかっていない。彼女の中身は白の無地のようなものだった。しかして、まさしく全身全霊を使い果たして出来あがった代物が、普段自分が宮殿で食べていたものとは全く掛け離れたモノ、到底、舌を満足させるに至るものでない事くらいは理解る。自身でも実際に食べてみたのだから。
劉協は、自分の食事を作る人間の顔を見た事すら無い。当然の様に毎日出てくる料理に、あれこれ考えを巡らせる機会も無かったのだ。水を飲むのに、いちいちその水がどのように精製されているかを気にする人間は少ないだろう。
一体、あれを作るにはどれほどの技量が要るものか、今日この時はじめて気になった。
(……でも、食べてはもらえたな)
再び、覗き見る様に高順を窺った。静かな屋内で、肘を枕にくつろいでいる。
――――――ごちそうさん。
そんな響きだっただろうか? 喉の奥で反芻した。
『それにしてもお前』
『む?』
『俺の寝込みを襲おうとは思わなかったのか? 飯に毒を盛る事も出来ただろう』
『……は?』
『ん?』
『え?』
ぽかん、として、間が空いた。
数秒の沈黙が流れていく。そのうち、また劉協がこくん、と、首を傾げる仕草を見せた。
無垢な顔、その表情の真正面に立ち、見つめるうち、高順は堪らなくなって、盛大に笑いだした。
『なっ!? なっ、なぜ笑うのじゃ!!』
――――――そんな事、まるで頭に無かったのか。掠める程すらも。
『いや…………っ』
『わ、笑うな! 笑うなぁー!?』
なんだかよくわからないうちに笑われている。劉協はやみくもに訂正させようとした。
わからない事だらけで、混乱していた。
その抗議の鈴のような甲高い声も、高順のカラカラとした笑い声が掻き消していた。
面白くて、堪らなかった。
「桂花、作戦は決まったか?」
「…………」
空の下で武蔵が問う。
城壁の上、荀彧は答えない。
「桂花ぁー」
「……ああもう、うるっさいわね! 少しは静かにしてなさいな!!」
「静かにしてなさいな、って言うけどもよ、お前……ど~考えても」
会話の合間に飛び込んできた礫が、派手な音を立てた。
「修羅場だぜ、今」
隕石のようなそれ、桂花のこめかみと結ばれた一直線上、間を、武蔵の突き出す刀の柄が阻んだ。
本身は、鞘に収まったままである。
圧倒的な戦闘力を誇る西涼騎兵だが、その大部分は突進力に由来している。相手の戦闘準備が整うよりも早く懐に到達し、速度と重量に任せて雪崩のような波状攻撃で圧し切ってしまう。機動力と火力が高い次元で結晶しているからこそ、大陸最強の軍隊足り得る。
――――――逆に言えば、城攻めでは普通の軍隊の範疇を逸脱するモノではないという事だ。むしろ直進には強いが小回りの利かない騎兵は陣地戦は不得手と言えるだろう。
平地で無類の強さを発揮する騎馬民族が、未だに万里の長城を越えられぬ大きな理由の一つである。
「そうは言うがお前、これ戦線維持出来るのか?」
「無理ね」
喚声に捲かれながら、桂花はさらりとはっきり、そう言った。
騎馬での戦いを信条とする彼らには重量級の攻城兵器の備えは無く、そもそもそれを扱う技術が無い。そういう意味でも攻城戦にはますます向かないと言える。
それでも彼らが他の民族と一味違うのは、長安に洛陽という、漢帝国の誇る二大都市を攻略して此処まで詰め寄って来たという事だ。騎兵ゆえの利点の消失、欠点の発生という不利を帳消しにするでは無く、不利は不利のままにして単純に攻撃力が凄まじい。光武帝より200年間、ひたすらに戦闘のみを繰り返してきた文化の歴史は伊達では無いという事だろう。
「この砦はどうする?」
「棄てるしかないでしょうね。この戦力差で押し返すのはどう考えても無理だし、華琳様の本隊が兗州にご到着された以上、もう命懸けで死守するだけの価値は無いもの。戦略上の目的は果たしたわ」
「ん!? なぜ華琳が帰還したとわかる?」
「奴ら、さっき野戦で交戦した時から、数が増えて無いでしょう? という事は、増援は別の戦場に向かってるって事よ」
「……あん?」
「わからないかしら? 十中八九、奴らは尖兵。間違いなく後詰が居る。そして奴らの進軍速度から考えて既に相当数の兵が兗州に入ってる筈よ。にも関わらず、未だ戦闘が継続する官渡には増援が無い……まあ、ここが既に大勢が決している戦場という事もあるでしょうけれど」
「うむ」
「つまり、より重要な戦場……もっと言えば兵力を集中させるべき点が存在していると云う事。陳留の守備隊はそれほどの規模では無いわ。となれば、連中の照準は間違いなく華琳様の指揮する本隊……華琳様の本隊が連中の射程圏内、兗州内に入られたという証拠よ。睨み合っているのか、既に交戦中かまではわからないけど」
「ほう、なるほど、なるほど……すごいもんだ、さすが“王佐”だ」
「あんたに聞かせてやるには、かなり勿体無いけどね」
褒めそやす武蔵に向かって、フンッ、と、鼻を鳴らして首を竦める。その桂花の丁度、首を動かした一寸分だけ、頭上を礫が鬼の勢いで通過していった。
思わず、武蔵と桂花の目があった。お互い、たらりと脂汗が流れた。
彼らに冷や汗を垂らさせる、生粋の戦闘民族たる彼ら西涼騎兵の用いる攻城兵器は――――――“石”である。
「で……なら、どうする? また俺がお前を抱えて敵中を突っ切るか?」
「馬鹿ね。この砦の兵と物資をみすみす明け渡すつもり? それにあんたの懐は二度と御免よ」
雨、アラレの様に降ってくる礫をスルっと躱し、桂花の眉間に直撃しそうなものを、袴から外した鞘の尻で打ち落とす。
投石はヒトが原人であった頃から使用され、現代においても抗争・紛争の際にまま使用される最古にして最長の兵器である。そもそも、ヒトが並み居る猛獣を抑えて生物としての覇を地上に唱えられた所以は、全生物の中で最も“投擲”という能力に優れていたためであり、如何なる動物もこの『石を投げる』という攻撃手段に敵わなかったからなのだと云う。
実際、安全圏から一方的に攻撃する、という戦闘行為の必勝条件を満たす為に最も手っ取り早い方法であり、労力に対する命中率・殺傷力を鑑みれば、十分に戦果が期待できる戦法であり、なにより汎用性に優れている。有史以来、最も多くの人を殺したモノが弾丸であるならば、最も長きにわたって人を殺し続けたモノは石である。
他ならぬ宮本武蔵自身が、島原の乱に参戦した際、投石により負傷している。また、甲州武田家の投石部隊が『投石衆』として近隣に勇名を馳せていたというのは、よく知られた話である。
――――――合図の声も無く、ひたすら石を放り続けてくる砦の外の餓狼達。攻撃としては極めて単純だが、その流れに途切れが見えない。
彼らが攻城に投石を採用したのは、その機動力を妨げず、かつ矢の様に尽きる心配の無い武器だからだ。辺りを適当に掘ればほぼ無限に入手できる。そして何より金がかからない、それが最も大きかった。
馬の上から、大柄で膂力に優れる兵士はそのまま鷲掴みに、小兵は布に包んで二、三度旋回させ、遠心力を利用し巧みに打つ。着弾した礫は、城兵の骨を砕き、あるいは城壁、門を削り、穿つ。
200年間続けて来た投石である。たかが石、されど石、だ。
「きゃッ!?」
「おうっ」
礫の群れを切り裂いて飛来してきた、銀の一矢。
ぐい、と強めに襟を引っ張られた桂花が、ぼすんと武蔵の懐に納まる。それとほぼ同時に、さっきまで桂花の顎があった位置を弓矢が通過していった。
張力の弱い短矢で砦の壁上に届かせ、しかもこの威力は、精強の董卓兵といえどもそうそう出せるものではない。
桂花の身体を右腕一本で抱きかかえ、武蔵は下を覗き見た。精悍な人馬一体の偉丈夫が、挑戦的で獰猛な笑顔を浮かべているのが見えた。
「李確の弓か。ごついもんだ」
暴れる馬を御しながら、犬歯を剥き出して仰ぎ見る。
視線は、はっきりと桂花と武蔵を捉えている様である。
「おう、手招いとる手招いとる」
「ねえ」
「あん?」
「官渡津に備えてある舟は何隻あるかわかる?」
桂花が胸の中で見上げ、問う。
「数えちゃおらんが……ここの800を動員できるだけの数はあるんじゃねえのか?」
「物資を根こそぎ積載して輸送できる程度の規模は十分あるわよね?」
「その辺りは俺よりもお前の方が良くわかっとるだろう」
「そうよね」
ひとりごちて、口元に指を持っていき項垂れた。
何かを考え込むようにした彼女、その瞬間に、武蔵はハッとして彼女を抱いたまましゃがむ。
「――――――っとお」
身体を反転させ、城壁を楯にするように背中を預けた。
体勢を低くした頭上を礫が飛び交っていく。会議を交わす間にも、敵の攻撃は間断なく続いているのだ。
「作戦」
「ん?」
「作戦、決まったわ。現時点を持ってこの砦を放棄、官渡津から舟を使って戦線を脱出し、黄河を下って華琳様の本隊と合流します」
「黄河……本気か? 水上で捕まったら全滅は必至だぞ?」
「マジよ。奴らには十中八九水軍の備えは無い。この砦を攻めさせている隙に速やかに移動を完了させれば逃げ切れるわ」
「輜重や金品も全部積んで、奴らの脚から逃げるのか? 撤退を察知されずに」
「やるしかないわね。バレたらお終い」
「黄河の対岸は袁紹領だぜ。そんなにすんなり通り抜けられるものかな?」
「対岸との距離を考えれば袁紹がこっちの動きを反応できる可能性は低いわ。仮に察知されても攻めてはこないわ。自信があるの」
「根拠は?」
「カンよ」
「……外れたら?」
「その時もお終い」
「参ったねえ、そうなりゃ俺は道連れか?」
「しょうがないから、あんたで我慢してあげるってのよ」
「まあ、良いか。水で死んだ男女は来世で家族になれるというし」
「うわぁ、どう足掻いても絶望ね、ソレ」
へン、と桂花は口の端を歪ませる。
その妙な笑みを見下ろして、フン、と武蔵は笑った。
「俺はどうすればいい? 桂花」
「死んでも私を護りなさい、それだけを望むから」
「目標は?」
「頓丘! 華琳様が徐州から帰還されたのなら、駐在しておられるのは高い確率であの近郊よ」
「よし」
左脇に桂花を抱えたまま、ぬあっと立ち上がった。
「そしたら、いくかい」
「ちょ、だから抱えるなっての! って、うわぁっ!?」
「うおっ! ……とぉ、あぶねえ」
「殺す気!?」
咄嗟に抜かれた太刀が、飛来する矢を鎬で止める。
遥か下の方で、見えぬ舌打ちが聞こえた気がする。武蔵は礫の嵐の中で、からからと笑う。
猫耳軍師様にこっち向いて欲しいと願い続けているのは僕だけではない筈だ。
昼休みという文化は偉大である。12時から1時と云わずに3時間くらいのシエスタの時間取って欲しいって、ナナワリ思うな。
今朝、すげえ綺麗なヴァンパイアに血を吸われる夢を見た。
軽くキスをするんだけど、触れ合ってた唇が一気に冷たくなって、酷い貧血みたいになるのね。で、あ、こらあかんわ、って察するんだけど。
抱き締めあいながらその綺麗な顔と見つめ合って、絵に描いたような絶品のオパーイを揉んでると「あ、もっかいキスしてえ」って思うのね。次は貧血じゃ済まねえだろうな~と思いながらもルパンダイブを敢行する覚悟を決めた矢先、目が覚めた。
これが「まなつのよるのいんむ」ってヤツなのか。身を滅ぼして尚、貪りたい快楽がそこにある。
大抵、夢の話とか友達にしても「ふ、ふ~ん……」って顔されて終わりますよね。実際、そんな顔されたよ。
やはりFF8は名作だと再確認。ps時代は偉大。
ゼノギアスもそうなんですが、あの頃のスクウェアは愛とか創造主とかベタベタなテーマを凄く大真面目に取り扱ってくれましたよね。
ゲームとしては2作品ともサブイベ・小ネタが充実してるのが素晴らしいですよね。世界を動き回る楽しさがあるというか、その辺の人物一人一人に話しかけるのが楽しみになる。あのあたりの感覚がRPGの醍醐味じゃないかと。本筋のストーリーを一本太く用意しておいて、枝葉としてサブイベに諸設定・裏設定を託し、プレイヤー自身の手で発掘していけるようにする。これって、ゲームならではの楽しみ方ですよね。
映画や漫画、小説だと、用意していた設定を全て書き切るのは絶対無理なんですね。でも、ゲームだとそれが出来る。世界観を凄く広げられるんですよ。サラッとクリアするまでプレイすると、ボーイミーツガールで世界救って大団円、でキリよく終わりなんですが、ストーリー的な大きな疑問あれこれが残ったままになる。世界を探索するうちにそれが紐解かれていく、という仕様です。この仕組みを最初に作った人は凄いと思う。やる夫SSを発明した人くらい天才。
そして、やっぱ最後はハッピーエンドじゃなきゃだめね。主要人物全員が無傷と云うのは都合上無理だし、それはそれでバランスが悪いんだけど、何らかの形でそれぞれの人生が報われているのが良いんだと思います(ラグナしかり、グラーフしかり)。暗いのがダメなわけじゃないんだけど、暗いのを目指すと中途半端に終わってしまう事が多い。絶望とか救いの無さっていうモノを書き切るのは実は凄く難しいんですな。人間は希望的観測が好きだから。そういう意味でキノの旅の「レールの上の三人の男」の話は秀逸だと思う……ゲームじゃないけど。
最近あんまりゲームやってないけど、こういうゲーム的な面白さ、ゲームならではの手法というのが失われがちになっているようで、残念ですね。あんな高い買い物させといて映画や小説と同じ事しかしないというのは勿体無いですよ、かなり。