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中原動乱編・第七十三話―――――――「艶と貴婦人」

今までのあらすじ~


・漢帝国再生構想の序曲として、虐殺をも辞さぬ徐州侵攻を断行する曹操。そんな折、涼州に割拠していた董卓軍残党が帝都・洛陽を陥落、その余勢を駆って兗州に攻め込んだという情報が入った。

主不在の本拠を護る夏侯淵は手持ちの兵力のみで迎撃に出るも、高順・郭汜の波状攻撃の前に戦線の突破、陳留城への接近を許してしまう。

一方、国境沿いの官渡を死守する荀彧には猛将・李確が迫る。騎兵の機動戦闘と李確の単騎斬り込みによって、絶体絶命と思われた荀彧だが……!?


~大体そんな感じ

人馬一体、大陸最強。生まれながらの兵士達。

その、生粋の戦闘種族達の群れを、まるで豆腐を裂くかのように切り崩す一騎の騎馬武者が居た。

臨戦態勢下の彼らの間を、まるでぶらりと散歩でもするかのようにすり抜けて一拍、通り抜けた道中、そこにさっきまで存在していた騎兵達が、糸の切れた操り人形のように倒れ伏す。

彼らは本能に従い、身体はほぼ無意識のうちに動かしながらも――――――理性では、困惑と戦慄を感じていた。

彼らだって強い。負けた数より、勝った数の方が圧倒的に多い。だから今日まで生き残って来た。赤子の手を捻る様に敵を屠る事は幾度となくあっても、為す術も無かったのは生涯に数度、それも、最後にそれを感じたのは果たして、幾つの年の頃であったか。

だから、初めてであったかもしれない。

触れる事すら、叶わぬ。寄せつけられぬ。

鎧袖一触に、散らされた。


(遠目であれば、まるでまどろむが如く…………が!)


――――――その武名とは裏腹に。

宮本武蔵が戦場で活躍したという記録はごく、少ない。

その数少ないうちの一つが、かの“大阪の陣”の戦役である。

従来、長らく宮本武蔵は関ヶ原から大阪の役までの豊臣・徳川の対立において、豊臣方として参陣してきたと伝えられていたが、昨今の諸研究から、実際には徳川方に所属していた人物であった事が立証されており、今ではそちらが定説となりつつある。

大阪の役における武蔵の動向については、水野藩ゆかりの古記録に詳しい。

それによれば武蔵は東軍きっての猛将・水野勝成の傘下として、その嫡男・水野勝俊が近従の騎馬武者(親衛隊のようなもの)の一人として参陣していたという。

大坂夏の陣にて、水野隊は諸将の中でも破格の活躍を果たし、鬼神の如く奮戦。後藤又兵衛、真田信繁、毛利勝永、明石全登らといった西軍の主力武将を相手取り、常に激戦の最前線を担い続ける。

栄華を誇った豊臣の断末魔、十万人の血が流れた大阪の陣で、最も血の臭いの濃かった場所。武蔵はそこに居た。


(近くによれば…………何だ!? この――――――“圧”は!?)


武蔵が活躍したというのは、“黒田八虎”が一将、後藤又兵衛隊を強襲し壊滅せしめた “道明寺の戦い”である。

その模様は、水野家家老・中山家に伝わる中山家文書に載せられている。


『橋の上にて、大木刀を持、雑人を橋の左右へなぎ伏れる様子、見事なりと、人々誉れる』


宮本武蔵がこの戦い、そして引き続く“天王口の戦い”に置いて、具体的にどのような戦果を挙げたかまでは記されてはいない。


「――――――ぐ、あッ!!」


だが、摩利支天・後藤又兵衛は討ち死に、東軍側も奥田忠次の討ち死にをはじめとして多数の部隊が壊滅した道明寺、そしてその後の西軍との雌雄を決した天王口でも、水野隊は真田、明石らの部隊と直接切り結び、激戦を繰り広げた。

宮本武蔵もまた、猛虎・水野隊の精鋭の一人としてその死闘の最中にあり、(つわもの)どもの屍山血河を斬り抜けた、その事は事実である。


「――――――がッツ!!」


ゴシャッ、と。およそ、生き物が発したとは思えぬ音が鳴った。

宮本武蔵が馬上から、左手一本のみで振り下ろした戟剣。どこぞの騎兵から奪ってそのまま振るわれた得物は、人間の脳天から馬の背骨まで、一直線に貫いて()し切った。

派手で、それでいてくぐもった音。それは、皮の内側で肉が挫傷し、太い骨が粉々に砕けてあちこちに飛び散った中身の様を顕していた音だ。


「おや」


武蔵がきょとんとする。

血の塊から刃を引き抜かんとした際に感じた、掌の中の抵抗。

ぐちゃぐちゃにぶッ潰れて、ウマの身体とヒトの身体、それらの肉と骨と内臓が混ざった肉塊(ミンチ)が刃にくっ付いて、引っ掛かって離れない。

ゴボゴボと、気泡の音を立てた。


「ふむ」


まあ、ならばよし――――――

そんなふうに。武蔵はあっけなくその得物を手放した。するりと、掌から外れてもその得物はまだ、刃が肉塊に埋もれて突き立ったまま、柄は宙に浮いた形で留まっていた。


(腕力のみでか……!)


男は、涼しい顔をしていた。

破壊と圧倒的な速度の申し子である彼らが、戦慄していた。

李確がそれを見て――――――剥き出しにした大きな犬歯に舌を這わした。


「強ェな」

「まだまださ」


李確と武蔵が、目を合わせる。

――――――その隙を狙い、音も無く後方から斬りかかる。人馬一体の獣の姿。


「ッ!」

「強ければ強い奴ほど。力には頼らねえ」

「……ッ……ッ!!」


しかしその、上段からの打ち下ろしが放たれるよりも速く、長い腕が騎手の首元にヒュンと伸びた。

巌の節ような五本の指。青竹を握りつぶしたという、宮本武蔵の握力。その当時よりも遥かに瑞々しく強靭であろう、その肉体の膂力は。

ごり、と、甲状軟骨が嫌な音を立てた。それでも止まらない。筋張った筋肉や管が擦れ合い、挫傷する。ぷにぷにとした肉と血が潰される。

声も、息すらも漏れる余地が無い。

やがて、その身体の持つ抵抗力は、外部からの圧縮力に粉砕された。ゴフッ、と、顔中の穴から出口を求めた血液と粘液が噴き出し、溢れた。肉体は力を失い、だらん、と――――――そしてずるずると、馬の上から落ちて行った。


「まだまだって事だ」

「――――――ふハッ」


肚の底の方に踊る何かがある。

李確は笑った。


「甲冑を身に付けぬ素肌。動きやすさ、回避性能を求めた結果の合理性。とはいうものの実質――――――」


甲冑を付けぬ状態を素肌と呼ぶ。

宮本武蔵は――――――甲冑によって身を守らない。

動きやすいからだと、一度、武蔵は副官に付いた少女に語っていた事がある。

積載物を可能な限り減らす事による戦闘の高機動化。理に適っている。

西涼騎馬民族達もまた、自らの宿命に従い、戦闘におけるあらゆる無駄を削ぎ落としていった結果、装備を最低限まで減らす軽装戦法へと辿り着いた。


「本当はその緊張感を楽しんでいるだけにも見えるぜ」


戦いの申し子たちは、戦いを突き詰めた結果、より紙一重の状況下に我が身を置く事を選択した。

しかし、戦場に置いて、身を守る防具を一切捨て去るという事の意味。

騎馬民族達ですら――――――それはやらない。無防備ではない。

そもそも、防備を固める理由というのは、単純明快、危険であるから。

堅牢な甲羅は、鈍重な亀にこそ必要であるように。強き者、触れ得ざる者には、それは要らない。

だから捨てて行った。一つずつ。それだけの話。


「澄ましていてもこっち側……」


自らに対する脅威が消えて行った。だから、より我が身を紙一重に置いていった。一つずつ。

それは、本当に合理性を追求した理性の命令であるのか。

それとも――――――


「ヤマトのサムライ。貴様らは俺達と同じ人種」


戦いの申し子は、言葉を介さぬまま。

共鳴するように、それを感じた。


「さあ。知らねえな」

「――――――ふん」


突き付けられた戟剣。武蔵の刀は素っ気も無く。

しかし気分は削げるどころか。

西からやって来た、平原の民。彼らの笑顔は、牙を剝いた狼に似ている。

剥き出しの犬歯。歯茎まで露わになった。


「ウチのお嬢は連れて帰るぞ」

「! ちょ、――――――わっ!」


太刀の切っ先が、地面に転がっている桂花の襟に引っかかる。

むん、と、振り上げた。桂花の身体も同時に浮かび上がり――――――

武蔵の左腕の中へ。


「逃げられるつもりか?」

「やってやれん事は無い」


西涼精鋭騎兵の真っ只中で、やる事は決まっていた。

馬上の民に挑む、馬術勝負、速さ勝負。

囲みの中――――――ふたつの力の塊が。

轟音を立て、弾け飛んだ。






「押せィ! 押せィ!! 押せェェェェいっっ!!!!」


怒涛の波状攻撃が、互い違いに次々と迫る。

目算、凡そ五千。数の上では互角であり、突破力では遥かに上を行くその突撃は、精兵ぞろいの夏侯淵隊を釘付けにする。


(高順は狼の群れを思わせる用兵だったが……こやつはむしろ、精密な絡繰(からくり)……!)


群れの長に従い、一所(ひとところ)に戦闘力を集めて敵を打ち抜く局所集中的な用兵が、西涼騎兵の普遍的な戦法であると思っていた。

だが、今度の敵は機械的に連動した、精密な攻撃でこちらの陣を一つずつ崩してくる。野生の勘とでも形容するべきな高順の戦い方とは異なり、むしろ漢人の展開する用兵に近い。


「この郭汜、かつては馬騰軍一万の兵を壊滅させた事もある! このような間に合わせの陣容で止められるものでは無いと知れ!」


詰将棋の駒の様に動く。ぎっしりと目の詰まった、密質な厚みと広域のある組織的戦闘――――――それを歩兵と同じように騎兵を用いてやってくる。

厄介極まりない。


「帝都・洛陽を護っていた朱儁の歯応えの無さに、この程度が軍部最高峰とは漢人の将のなんと、脆弱なものよと思ったものだが……貴様はどうだ!? 曹操の白鷹!!」

「生憎だが……その綽名は嫌いでな!」

「ぬッ!!」


表情は極めて冷徹なまま、氷の美女は弓を引く。

衝突を繰り返す人間の群れを隔てて数百丈も先の距離から、斬り裂く様に飛んできた銀の閃光。

郭汜の前を先行する近従の騎兵の乗り馬を、夏侯淵の弓が射った。

郭汜が片手で手綱を操作し、落馬した兵をかわして馬の進路を切り返させる――――――と、そこに置いてあったかのように、その避けた先を狙い撃ちしてきた夏侯淵の二の矢。


「味な真似を……ッ!?」


辛くも、首を捻って眉間を狙ってきたその矢を避ける。

その瞬間、新手の気配を感じた。

将の緊急回避によって、詰将棋の司令に一拍の遅れが生じる。

隙とも呼べぬような、僅かな“間”。しかしそれが――――――


「うおおおおおおッッ!!」

「――――――むぅッ!?」


喚声とともに一角が崩されたのを感じる。咆哮とともに突撃してきた一隊の存在。


「秋蘭ッ、無事か!!」

「ああ、少し遅いが……まだ十分間に合うよ、姉者っ!」


郭汜隊のどてっぱらに突入したのは、鬼将軍・夏侯惇。

徐州侵攻戦の折、殿を務めていた彼女の部隊は、曹操の全軍退却の命を受けてその場で反転、逸早く兗州への帰還を果たし、その足で戦場へと駆け付けたのだ。


「小癪な小娘どもめが……! 丁度良いわ、盲夏侯! 姉妹ともども、ここで滅せい!!」

「ちッ……その名で……呼ぶなッ!!」






「ハッハア!!」


空気を掻き毟る金属音。

それすらも置き去りにして――――――すべては高速で流れて行く。

囲いを抜けて既に三里、二騎だけが突出していた。

一瞬で騎兵の只中を再び斬り裂き、蹴散らした青毛の貴婦人。それに運ばれて敵中から脱出した武蔵に、追い縋った一騎。

直線的に猛進する武蔵に対し、弧を描く様に接近してすれ違いざまに一打、そのまま駆け抜け、同じようにしてさらにもう一打、打ってきた。

右片手の太刀で、それぞれの打ち込みに応じる。左腕の中の桂花が目を回す。


(指揮官が抜けても個々が独自に……いや、違う。勝手に各々で戦ってるわけじゃねえ、しっかり李確の意思に従って動いてやがる。李確の馬の捌きがそのまま、指令というワケか)


轟音を伴って旋風が巻く中、武蔵はばたつく髪の隙間から後ろを見遣った。

指揮官・李確が突出している筈の後続の軍が、組織的に展開し、動いている。否、李確は指揮を放り出しているワケではない、これこそが、西涼騎兵の統率の在り方なのだ。

“敵を追う”という李確の行動を受けて、従う兵士たちは現在の取るべき戦闘行動が“敵陣の突破及び進軍”であると理解する。あとは各人が目的達成の為、端末としての自分が為すべき行動を自律的に判断、軍が展開される。

これであれば、通常、軍を動かす際に必要な、

・指揮官の指示、

・各所の長を伝ってそれを通達、

・末端まで行き届き、準備を整えて行動

という工程を一気に短縮する事が出来る。それ故、軍の機構は単純で良く、圧倒的な高速化、及び機動化を可能にする。

それを約束しているのが、他に比して類を見ない圧倒的な実戦経験の豊富さ。“兵士”としての練度だ。

純粋な対人戦闘術に秀でている“武人”としての意味の練度とはまた異なる。それは実務への従事経験の多さがモノをいう。

生まれた時から兵士として生きる事を余儀なくされる、西の民だからこそ出来る戦い方だ。漢人にはおよそ、及びも付かぬ。


「ヨソ見すんなよ、オイ…………傷つくぜッ、なあ!!」

「ッ!」


打撃音が鳴る。

今度は一撃離脱では無く、ぴったりと這い付き、並走してきた。

桂花を抱える、無防備な左手側に付いて。


「その補助輪外して、荷物を棄てな! こっち向いてよ!!」

「鐙は農耕民族の知恵さ。それに……この猫耳、渡すわけにはいかん」

「……ゲロ吐いてんぞ」

「なぬ?」

「ッツ!!」

「―――――――ふん」


手元の桂花に武蔵が目をちらりとやった瞬間を、目敏く見逃さず打ち込んでくる。

太刀の刃に食い込んだ。武蔵が鼻で小さく唸る。

武威と武威の衝突。桂花は、既に呻く余裕も無い、みるみる青くなっていく。


「同じ流儀、同じ気質に思えるが……華雄のそれとはまったく異質な太刀筋に感じる。そういう事もあるのだな」

「喋り過ぎると……白けるぜッ!」

「ああ、だから――――――すまんが、ここで終いだ」

「ッ!」


李確が次の一打を打ち込んで来た刹那、武蔵は右手を柄頭ギリギリの所まで持ち替えて、合わせた。

片手のみでの操作、そして上体を一気に捻って距離を稼ぐ。切っ先一寸の所が、引っ掛かる様に李確の先手の甲の辺りを捉えた。

骨がすぱッと切れた。握力が緩む。

上体がバネの様に引き戻ると同時に、鐙からサッと足を外して、李確の乗り馬の胴に武蔵が蹴りを入れた。すると――――――拍子抜けするほどに軽く、李確の馬が横に飛び、たたらを踏むように減速して、並走する武蔵に対して大きく遅れた。


「…………っ!?」


貰った李確が驚きと困惑の混じった表情をした。すっぱりと裂けて骨の見えた手先などは、既に意識から消え去っていたほどに。

長物であり、かつ、かなりの重量を持つ得物の戟剣。それを支える先手の握力が緩んだ事により、全体のバランスが変化したのである。

一流の武人は、得物の先から自らの体の足先までを、まるで一本の線で結んだかのごとく連動して操作する。李確の馬術であればそれはまさに、乗り馬と人馬一体、馬の蹄から戟剣の切っ先まで、一繋がりの一個の個体の様に。

それであるが故、得物のバランスを失った事が、李確の身体、ひいては乗り馬の重心にまで影響したのだ。それは李確も、その相棒である愛馬も自覚出来ぬ程の僅かな崩れではあるが――――――武蔵はそれを楔として、大きく弾き飛ばすようにバランスを崩させた。

この、重心操作と崩しの理合いは、日本武術固有の術理であろう。


「そう焦るな、若人。次も、その次もある……生きてさえいりゃあ、な」

「――――――ッツツ」


呟く様な一言、あるいは巻いていく旋風に掻き消されて散ったか。

遅れた李確をそのまま置き去りにし、迎え撃つように構えていた弓兵とすれ違うように走り去っていく。

犬歯が擦れる音がした。眉間にしわを寄せた李確に、矢の雨が放たれる。

怒りの雄叫びが、武蔵の背中を撃った。






(――――――アレで死んでくれりゃあ、それほどラクな話もねえが)


肩越しに背後をちらりとみて、前を向き直る。再び、単騎。砦を目指して直進する。

人の群れに何かが突っ込む音が、遠く背後から聞こえて来た。次いで、干戈の掻き毟るような炸裂音が。

あの弓隊の斉射では、恐らく仕留め切れはしないだろう。何より。

背後に浴びせかけられた、あの――――――あしらわれた事に対する憤怒の叫びが、あの男がそこでは終わらぬであろう事を物語っていた。

怒らせた若い力というのは難儀だ。爆発力が凄まじい。

後日の再戦を考えると気が滅入る。ただでさえ、鐙が無ければ、武蔵の方も二回は落馬していたやもしれぬ程の馬上術だった。


「活きがいいヤツらの相手ってのは――――――困るぜ。しかもこう、立て続けと来ちゃアよ」


溜め息の最中、それに気付いた。一瞬の流し目。その影を捉えた。


「――――――これはこれは。良い馬をお持ちで」


急旋回とともに、さながら巨大な一本の槍の如く、刺すような突撃を見せてきた。

側面からの不意の急襲、火花が散った。


「少しは年寄りに気ィ遣って欲しいねえ」

「年功より実力、が、西の流儀です。何卒、ご容赦を」


長く、一房に纏められた黒髪、蜥蜴のような色白の細面。

そして、ひゅるりと縦に長い長身――――――真っ直ぐに構えられた槍の穂先。

無遠慮に邪に、素直に、烈しく。

西涼十健将が一人、張繍。


「ッツ!!」


放たれる、銀の弾丸。

直線的にして、強たか。気を抜いた瞬間に心臓を持って行くだろう。

言葉少なく、雄弁だ。


「やっかいな事をしてくれましたね、貴方も。せめて馬術で無く剣術で不覚を取ったならば、あれ程に怒り狂いはしなかったでしょうに」

「若い奴らは目先の小さな優劣に拘るからいかん。あんなもんはお手並み拝見……という程度のもんだ」

「怒り出すと喧しいのですよ。まあ、宥めるのは私の仕事ではありませんが……しゃッツ!!」


まるでどこぞの紳士のような穏やかな喋り口調とは裏腹に、鋭く、空気の破裂するような、目の覚める一打だ。


「大陸の武術にしちゃあ、珍しい型だ」


速射砲のような突きの連打の最中に、それはなんとも呑気な声色の呟きだった。

そんな言の葉っぱを撒き散らすように、否、始めから聞いていないという風で、構わず張繍は打ち続ける。

大陸の武術というのは概して、弧を描く軌道の技が多い。

李確の戟剣しかり、高順の新月刀しかり。

春蘭の大剣しかり、凪の回し蹴りを主とする徒手空拳術しかり。

さらに目を広げれば、関羽の青龍偃月刀、張飛の蛇矛。

大陸で発展した武術は、「振り回す」という種類の技、またそれに適した得物を用いる事が非常に多い。

理由ははっきりとはしない、一説には、ただ広く障害物の少ない平野が主戦場となる為に、空間を広く取る“振る”という動作が発達したともいうが……

ともあれ、星やこの張繍の様に、“突く”という動作を基本とした直線的な型は、大陸武術の中では珍しいのだという。


「う、お」


胴、次いで首元を狙った二連撃。武蔵の片手太刀が、紙一重でそれをいなす。

武蔵の視線が上向いた。張繍の顔は変わらない。変わらないまま、柄尻を密かに逆手に持ち替えた。

狙うは、乗り馬――――――上部に連打を集めて意識を向け、同じリズムの中に放つ、下段突き。

密かに混ぜた(さそり)の毒。柄尻の操作で角度を付けた、乾坤一擲の一打を打つ。


「ッ!?」


馬の胴を穿ち抉った、その筈の穂先から、耳をつんざく金属音。

肉では無く、金具。武蔵が右足に履いた“鐙”の丁度、金具の部分が、絶妙に切っ先を受け止めていた。


(武運――――――? 否、狙い! いやはや――――――)


偶然の産物ではなく。狙っての捌き。凡そ、非現実的なその事実を、張繍は直感的に理解した。

生まれながらの戦闘民族の勘というものであろうか。


「補助輪も役に立つだろ?」

「ッ!」


宮本武蔵、一寸の見切り。

それを目の当たりにして、敵ながらにして、ため息を付きたくなる様な感嘆の心地を感じた矢先、張繍はハッと気付いた。


「お手並み拝見、という程度の事」


武蔵が呟いた時、既に太刀の切っ先は引かれていた。

張繍の下段突き、それに合わせて突き出された武蔵の切っ先が、張繍の伸び切った先手を丁度、捉えた。

突きとも、差しとも呼べぬ、なんとも奇妙な――――――あえていうなら、手を伸ばしてただ“置いた”というだけの切っ先が、張繍の左ひじの裏関節に三寸刺さり、すぐ引いた。


決着(ケリ)はまた、後日」


制御を失った左腕。それに伴い、張繍の乗り馬が、一完歩左にヨレる。その間に、武蔵と貴婦人は前に出た。

遮二無二、右腕のみで頭上に振り回した槍。しかし、するりと武蔵は逃げて行く。


「………………」


数十秒ほど追い掛け、程なくして張繍は愛馬を追うのを止めた。

すっかり突き離された一騎が、曹操軍の青一色の甲冑を纏う群れの中に入っていく、その先には、もう砦が見えていた。

やがて、門が閉まってゆく、向こう側に消えて行く。

馬蹄の響きが鎮まる。左腕をつうっ、と、流血線が伝い、やがて一滴、落ちて染み込む。

土埃の中に、最後の呟きだけが置き去りにされた。





「――――――生きてるか、桂花?」


ゴゴゴ、と軋む音を立てて門が閉ざされる。

砦に飛び込むように帰還し、ぷう、と一息ついて後、武蔵は小脇に抱えた姫君に問うた。


「これ以上ゆらさないで、お願いだから…………」


顔面蒼白になって、小刻みに震えたまま口元から手を離せぬ、姫君は呻くように細く、それだけ呟いた。

背中の奥から、うぷっ、という気泡と声の混じったような音が聞こえた。


「無理せんで、吐いたらどうだ?」

「イヤ…………」


この世の終わりのような顔をしているが、それだけは女子としてのプライドが許さないようだ。地獄面相を浮かべて、最後の決壊を押し留めていた。


「……なあ、桂花よ。奴ら、ヤマトのサムライと」

「……はぇ?」


よっこらせと下馬して、桂花を地面に下ろして背中をさする。

腹周りの圧迫と疾走する馬の揺れから解放されて、桂花は四つん這いで深い息を付いた。

涼しい顔の武蔵、それでも汗ばんでいた。

着物の背中の部分が、じっとりと蝦蟇の油を塗った様に肌に吸い付いた。


「奴ら、“大和の侍”と――――――俺を、確かにそう呼んだな?」


武蔵のぽつりとした呟きに、鼻から抜けるような声を出して振り向いた桂花。

武蔵はそんな桂花の方は向かず、あるいは桂花に言ったようで、実際には独りごとだったのかもしれない、明後日の方を向いて、再びもう一つだけ、ひとりごちた。


(居るのか……? 俺以外にも、誰か――――――)


ゼノギアスのキーキャラと言えば、やはりカレルレンは外せませんよね。

基本的にあのテの雛形は「幼年期の終わり」であると思うんですが。

ゼノギアスの傑作たるゆえんは、ゲームという媒体、ジャパンサブカルチャーという題材に直した上で非常に精密にそのテーマを表現、完結させている事だと思います。

あの小説の中で、子供達が次代を紡ぐ新種となりオーバーマインドとの合一を願って宇宙に飛び立っていく。

エヴァではこれに当たるのが人類補完計画ですね。つまりエヴァの結末とは、幼年期から大人への脱皮、外界への進出を拒み、母の胎内と自己の殻の中の回帰と閉じ籠りという結論に向かう筋書きです。これはこれでアリですよね。

幼年期の終わりの中で人類は新たなステージへと飛翔するニュータイプに進化を遂げたわけですけれども、旧人類として生まれたジャンはその先のステージには行けないわけですよね。自らは存在としてどん詰まりであり、ラストは死の星となった地球で運命を共にします。ラストがバッハっていう臭さがコテコテで実に好きなんですが、

ゼノギアスの中では、ヒトは“自らが自らで無くなる”神との合一を拒み、創造主に戦いを挑み勝利する。晴れてヒトは人となり、自らの足で新たな地平を歩む……というラストになっています。やっぱエンタメはこうじゃなくちゃなあ、っていう終わりです。伏線回収も完璧ですね。

その中で、唯一新たな次元への昇華、片翼のヒトから両翼の存在への進化を果たしたのがカレルレンでした。

カレルレンは作中、オーバーロードとして人類の指導者・監察官の役目を担うと同時に、最後はたった一人のオーバーマインドとして神の元へ旅立ちます。

そして単なるヒトに過ぎなかった彼がそういった超越者へと到った行動力の源泉が、「好きな人に言われたから」ですよ。

何とも泥臭いじゃありませんか。一番人間から遠ざかる奴が、一番人間臭いんですよ。カレルレンはあらゆる禁忌を犯しますが、そういう自らの目的の為には手段を選ばない業の深さ、神との合一によるヒトの救済という大義名分でそれらの行いを正当化してしまうズルさ、その辺りも人間臭い。そしてその根底にあったのが雫のような純情と燃える愛であった、その事がカレルレンを何とも味のあるキャラクターに演出していますね。

そしてゼノギアスの中では、神への旅立ち、両翼の存在への昇華こそがどん詰まり、一種の絶望だと書かれているんですねェ。

本懐を成就させ、果てしない虚空に向かって旅立つ超越者が、地べたを歩む人を見て最後に残した一言が「羨ましい」ですよ。

なんとも切ない結末じゃありませんか。神ですよ、ゼノギアス。


……うん、この話、SF嫌いの人にはジンマシンが出るような内容だったと思う。

でも、僕も本来特別にSF愛好家ってわけじゃありませんし、ようはゼノギアスはそれくらい神作なんですよ。

是非、未プレイの方にはプレイしてほしいですね。

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