中原動乱編・第七十二話―――――――「西涼・騎馬民族のスピード」
「総員、一斉掃射ッ!!」
氷の美将の裂帛が、大気で破裂して響き渡った。
それは、弦を真ん中で弾く指の様に、そうしたら、端まで隈なく等しく震えるように、六千の弩兵達は、一斉に矢を放った。
猛進してくる、羅刹の群れ。それを線で捉える様に、真っ向から矢の雨を降らせてやる。
(――――――!? なぜ打ってこない!?)
騎射の体勢で、引き絞り――――――しかし、奴らは応射してこない。
構えたままで突っ込んでくる。迫り来る矢の雨に対し、まるで、無防備に突っ込み。
「…………ッッツ!!?」
なお、速度を上げた。
「――――――ヒュっ」
高順が吐いた、鋭い息吹き。白刃を咥えたまま僅かに首を傾ける。
眦の下まつ毛に、その鷹の放つ一矢の巻く旋風を確かに感じた。
その風の感触を毛先で捉えられるほどに、肉体の神経は研ぎ澄まされていた。
身体を掠めていく、山東の強弓。しかし、その獣のしなやかな肉体は、皮膚一枚を削らせながらその隙間をすり抜ける。
アハルテケを駆る先駆者に従い、狼たちは次々と弾幕に突貫し、潜り越えていった。
「――――――ッ!!」
継ぎの矢を、と。背中の矢筒に手を伸ばし掛けた刹那、動作を中断して緊急回避的に秋蘭は身体を捩った。
合図も無く先頭に倣って、弾幕を駆け抜けて来た突騎兵が一斉に射撃してくる。こちらの射撃を完全に受け切ってからの、時間差の反撃。
通常、弓の戦争というのは相手とほぼ同時に始まる。理由は単純、止まって撃つものだからである。隊列を組んで遠間からの射ち合いである。ゆえに射程と矢の多さそのものが物を言う。
しかし、騎馬民族のそれは事なる。彼らは矢の応酬の間をずらす事が出来る。
その機動力によって的を散らし、相手が斉射をし終わったの見計らい、次点の矢を番えている隙を見て攻撃に転ずる。撃たせて撃つ。
パルティアン・ショットと呼ばれる戦術だ。
――――――高順は速い。
秋蘭の鷹の目は、常人の数倍の視力を持つ。だから見えた。右には弓を持ったまま、咥えた新月刀、左手が柄を捉えた、その白刃を挟む犬歯が、嗤ったのを。
将軍・高順の特異性、それは、決して後ろに退かない事。
そもそもパルティアン・ショットは、退却し敵を捌きつつ矢を射かける一撃離脱の撹乱戦法を主に指して言ったものである。
しかし、高順は違う。高順の戦法とは、敵の遠間からの斉射に真っ向から突進し、突っ切って相手の間合いの内側に潜り込むというものだった。
騎馬民族が騎射で扱う短弓は弩兵に比べ張力が弱く、射程も短い。同時で刺し合いをすれば、競り負けるのは自明の理。
故に、撃たせ、掻い潜る。懐の、間合いの内側まで。その距離を補うものこそ、速さだ。
敵の攻撃、突き立てられた切っ先に正面から突っ込み、突進力に物を言わせて潰す。
それを可能にする圧倒的な疾さこそ――――――陥陣営の綽名の由来。
「――――――二射目は無いぞッ、白鷹ッ!!」
「ッ!!」
向かい来る矢の雨の幕を、それを上回る速さで前に出て潜り抜け、相手の射程の内側より騎射を放つ。それによって敵がひるんだ、一瞬の隙。その千分の一秒の間に、高順は距離を縮めて肉薄する。
夏侯淵弩兵隊が二度目の斉射を行うよりもさらに速く、そして他の兵科隊が援護体勢を取るよりもずっと速く、高順以下千の騎兵は火の塊になって抜剣し、突撃して切り結んだ。
唸る馬蹄の響き、吼える大地の震動。
背負っているのは、身の丈六尺を超えようかという筋肉の塊。その巨漢を、まるで空気の様にものともせず、疾走して運び続ける雄大な馬体。
怪物の驀進の如き迫力でありながら、その青毛の雌馬が駆け抜けた後には、優雅さとすら言えそうな気品が糸を引く様に残った。
「――――――汚れるだろうなぁ」
地の上に、己ら以外は存在せぬとすら言うが如き存在感。
男の方が、ぽつりと呟いた。
貴婦人は、億劫そうにその、水晶のはまったような眼を細めた。
「そう怒らないでくれよ、頼むぜ……あとで林檎だろうが人参だろうがやるからよ」
「ぐおっ……!」
思わず、秋蘭は瞬きをした。
戦場での瞬きは絶対の御法度、しかし、それを堪え切れなかった暴風。
反撃の態勢を取る――――――が、そこにはもう居ない。
「ちいっ…………!!」
秋蘭の近衛兵が数名、血を噴き出して倒れていくのが眼の端に映った。
文字通り、目にも留まらぬ速さで斬り抜けていった黒鹿毛の疾風達、秋蘭ですら高順の新月刀を、咄嗟に抜いた太腿に備えた短剣で逸らしたのがやっと、他の兵士達は、突進そのままの勢いで押し寄せて来た刃と馬の群れの圧力に、反応すら出来なかったであろう。
(はじめから我々の事は眼中に無く、機動力にモノを言わせて我が隊の背後にある陳留城を急襲する算段か! だが、それを許すと思うか!?)
夏侯淵隊の陣をひと当てで突破し、動転する曹操軍兵士達の意識を完全に置き去りにして、駆け抜けて背後に出た高順西涼騎兵隊、それでも秋蘭の脳は直感的に働き、高順隊を捉えるべく軍を反転させようとする。
「総員――――――」
「夏侯将軍! 前方に敵の新手が!」
「何っ…………!?」
しかし、指示を出さんとした瞬間、秋蘭を留まらせたのは、傍らの供廻りが発した思わぬ一言だった。
事前の情報では、領内に現れた敵影は推定・三千。そのうち千が此処、陳留を狙ってきた高順隊。
残りの二千は、官渡の砦に攻め入るものだと秋蘭達は踏んでいだ。
読み違えたか?
そうではなかった。
奴らは――――――“言葉よりも速き者”
(我々の諜報が情報を捉えるよりも、尚、速く……既に来ていたか、西の餓狼よ!!)
今、新たに現れた敵軍、それは、既に侵攻してきていた二千には非ず。
曹操軍がその動きを察知するよりも速く。
西の果て、涼州から進撃してきた黒鹿毛の暴風。
「――――――西涼十健将が一人、郭汜! 推して参るッ!!」
次なる衝撃と“疾さ”が、車懸かりに夏侯淵に襲い掛かった。
「左舷、速やかに展開して! 相互支援の可能な隊列を取って侵攻に対応しなさい!!」
桂花の張った声が、鬨の声の満ちる戦場で木霊する。
甲高い声、しかし、政務室で聞くようなキンキンとした声では無い。胸骨の奥から遠くに飛ばすような声。
真に差し迫ったような声だった。
(これ以上戦線を下げさせられるわけにはいかない! せめて華琳様が兗州に入られるまで官渡に取り付かれずに粘る事が出来れば……)
絶えず頭脳を高速回転させながら、まなこで戦場のつぶさな情報も見逃すまいと神経をこらす。
肺臓の裏側に、ぎりぎりまで押し迫ってくるような感覚がある。張り詰める緊迫感、状況はかなり逼迫していた。
たった二千程度の兵力の筈。しかしその怒涛の突破力と縦横無尽の機動力は、四千にも六千にも感じさせるほどの威力がある。
土埃が舞い、血と汗が飛び散って鉄とヒトの臭いが充満している。泥臭く殺伐と、生き物のように局面を変え続ける戦場の最前線で、小さな軍師は全感覚を余す所なく稼働させていた。
たった一つの悪手で総崩れにされかねない、痺れの纏わりつくような激しい攻撃を、皮一枚の所でかわし続ける荀彧の指揮。
「よゥ、お前か? 頭は。随分、ちみっこい大将首だな」
「――――――ッ!!」
しかしそれを詰める攻めの一手があるからこそ。
奴らは圧倒的な速さで西から中原までやって来た。
「ッツ!?」
入り乱れる白兵の中から躍り出た、黒い影。
猛烈な速度のまま突っ込んできて、瞬きと瞬きの間のうちに、銀色の一閃が糸を引いて発火した。
「ぐッ! く……ぁっ……!!」
飛んできた戟刀が、荀彧の乗り馬の後肢を深々と抉った。そして、すれ違いざまに首元。
その、若く壮健な小雲雀がひとつ、嘶き、天を仰ぎ見るように呻いて崩れ落ちる。
どろっと洪水のように溢れた血に塗れながら、桂花はもんどり打って落馬する。
「――――――持って帰り易くて良さそうだ」
真っ赤な肉の裂け目、ぐったりとした肉の塊と化した駿馬の亡骸の間に埋もれた桂花を、悠然と見下ろして太刀払い。
西涼十健将がひとり――――――李確。
馬の臓物にまみれて這い出した時、それを見上げて状況をすべて理解し、桂花は唇を噛んだ。
「中原の虚弱人種にしちゃア、活きがイイ。結構粘りやがったな」
桂花は、たったひとつの過失を犯した。
戦線を維持する事に全力を注ぎ過ぎたのだ。戦場全体の局面を重視するあまりに――――――
今この状況で、指揮官たる自らの身を守る事の出来る手札が無い。
「マ――――――腹ごなし程度の運動にゃなったぜ」
そのたった一点の隙に、最上の駒が自ら斬り込んできた。その反応速度。
王将の詰め。奴らは、桁違いに速かった。
馬上で振り上げた戟剣の頂点は、三間余りに達する。
ゆっくりと軌跡を描く銀の糸。
それを見上げる桂花と、無造作に振り上げた李確の意識とは、まるで違うのだろう。
「ッ!!」
巻き上がった、鮮血。
溶けるような喚声が鳴った。
「――――――あァ?」
振り上げた戟剣、しかしそれが振り下ろされる前に、李確はそれを耳にした。
遠くで上がった喚声。波の様なそれを、確かに聞いた。
獅子は草原に置いて、他者の襲撃を警戒する事は無いという。それは最も強き者である自分に対する敵が、そこに存在しないからだ。
李確の発した無防備なその声は、それに似ていた。それは、眼下の敵指揮官・荀彧の生殺与奪は、既に自分が握っているからであり、その場に自らの命を脅かすほどの敵が居ないからでもあり。
――――――否。
「………………!」
そうではない。敵が居ないわけでは無かった。
彼方まで続いている人間の群れ。すでに敵を駆逐し始めた自軍の兵士の列の、わずかの端に見える所の一角が崩れた。
その、目の前に対する敵への警戒心が薄まったのは。
研ぎ澄まされた野生の勘が、敵が現れたのを察知したからであり、戦うべき敵が“そいつ”である事を本能的に理解したからである。
――――――どんッ、と、斬り伏せた。
優雅さすら湛える青毛の雌馬の疾駆は、破壊的な威力を伴う。
流水のような人斬り包丁が、餓狼の群れを解体する。
様はまさしく、鎧袖一触。そして現象は、まるで手品の様だった。不意に現れる、その巨大な一騎。雄大な馬格の鋼のような筋肉と俊敏さ、それに跨る偉丈夫の頑丈な骨格の圧力が周囲を圧倒しながら通り過ぎたかと思うと、すぅっ、と、鬼火のような銀色の筋が流れて――――――次の瞬間、騎兵達は糸が切れたように倒れて行くのである。
その騎馬武者の立ち姿の迫力に対して、得物の振るわれた軌跡が余りにも静かすぎるのだ。得物が振るわれたと、ひょっとするとその事にすら気付けなさそうな。
人馬一体の西の民の駆る優駿の馬群の中にあって、なおも際立つ存在感を放つ極上の雌馬の生み出す速度に乗っかり、運ばれるその太刀の筋は。
修羅場を現世に顕したような血の煙る戦場にあって、まるで料理人が捌く、魚の活け作りの様であったのだ。
蹄が大地を踏みしめる。
集う強者どもをまるで居らぬが如きに……否。そうではなく――――――
むしろその騎馬武者こそが、触れえざる幽鬼であるかのように。
四騎の敵が群がった。青毛の貴婦人が突進すると跳ね飛ばし、銀の一閃が撫でると、瞬く間に操り人形の糸を断つ。
寄りつく事すら出来はせぬ。
飛翔するように地面を掻きこんで、王将までの道を抉じ開けた。
「――――――こんな青血の御令嬢に向かって、そんなゴツい切っ先向けてどうしようって言うんだい?」
激しく、しかし悠々と。
現れたその男の声は、低く、静かだった。
「いけねえなァ、西の若武者。おイタはいけねえ……返してもらうぜ、ウチの姫様」
血と泥に塗れ……飄々。
転げ落ちた荀彧のそばに侍る様に、ゆらりと。
魔物のように分厚く、しかし垢抜けた、これ以上ない最上の馬体を持った青毛の貴婦人は、その美しい細面を、あからさまに不機嫌でゆがませている。
跨った鬼武者は、甲冑すら身に付けぬ素肌着流し、表情は、水の様に涼やかに。
李確はその“敵”の姿を認めて、にィっ、と、牙を剥いた。
最近、ばぁさく†ふゅ~ら~★っていう新連載を始めましたが、多分こっちの連載にはあまり影響はありません。
ゼノギアスをエヴァのパクリって言った奴はソフィア様が許しても俺が許さねえ。Gガンのノリ? ならば良し、だ!!
これを言うといつも誤解されるんですが、ななわりさんぶはエヴァ好きなんですよ。旧劇も新劇もチェックしてますよ。
それでも尚、あのテの作品で90年代最高の作品はゼノギアスだと主張したい。マチガイねえよ。
そもそもゼノギアスは、セカイ系の要素も入ってるけど本筋はそこじゃないんですよ。根幹は親愛の物語なんですよ。
この話すると長くなってしまうのだけれど。