なぎの間編・六十五話―――――――「西の果て・前篇」
皆さん、大変長らくお待たせいたしました……
この話で、漸くこの話、ディスク1終了です。大部分の世界構成と伏線設置は終了、これから先は、かなり物語の焦点が集約されてきます。
具体的に言うと、これまで全土、各陣営にあちこち視点が飛んでいたものが、これからはひとつひとつに留まって展開される事が多くなる、という感じでしょうか。
恐らくみなさまは、「またサブキャラかよ! 話進めろよ! 春蘭見せろよ!」と思われているでしょうが、後この話だけですから! 申し訳ないですが!
いましばし、いましばしだけ、お付き合いください……
「…………」
烈風が吹き荒れる。風が大気を擦る音が、耳元でうるさい。
慣れていなければ、思わず目をつむってしまう程の強い突風が時折、皮膚を叩く。身を切る、冷たさ。
濡れた烏の色をしたサラサラの髪が、乱気流に促されるまま、散る。
切り立った峰の終わり、その向こうにある、眼下に見下ろす下界を眺めて、馬上の美丈夫は一つ、左の手に引っ掛けた、熱くて甘い酒を呑み込む。
「………………」
――――――いいねえ。
ごくり、ごくり、と、流し込んだ。まろやかに舌を包み、とろんと喉の手前で絡みながら、胸の中に、勢いよく流れていく。通り道を焼きながら、腹の底に落ちて、燃えた。
キレの良い後味の余韻と、残していった熱とが、厳しい北の烈風を、たまらなく心地の良いものにした。
「…………見つけた、ぜ」
男は、美しい、黄金色のしなやかな愛馬の上で、静かな余韻に浸ったまま、白銀の瞳の照準を合わせた。
「また、順が見つけたのかよ」
今日の夕焼けには、盛大なる戦火を連想させる禍々しさがある。
それはまるで、風の暴れる高峰に軒連なった、この餓狼どものように。
董卓軍残党――――――賊軍として中原を追われ、この西の端まで行き着きながら、高順は戦い続けていた。
「ちぇッ」
ただ、黙って、片頬の笑みを作って左手を伸ばす高順に、李確はひとつ、舌打ちをして、腰にぶら下げた瓢箪を投げて寄越す。
高順の、白い歯が覗く。鏃型の犬歯を剥き出しにして、蓋を咥え、抜いて、捨てた。
唇に着けるでなく、開いた口にそのまま、注ぐように一気に流し込む。
「……ふう」
先に見つけたほうが勝ちだと、索敵に出る前に、高順と李確は決めていた。
勝敗は――――――別にどうでもよい。だから、賭けるのはとりあえず、酒。
昔から。二人の間の勝負事はだいたい、いつもそうだ。
「この世に、他人の酒ほど美味いものはねえな」
「ケッ」
眼下の――――――山岳の、少しなだらかになった所。彼らの佇む高峰の、丁度、ふもとにある広地。
そこに構える、兵の群れを眺めながら、酒を味わい、高順は、笑む。
勝負という行為、そのものに意味がある。彼らが楽しむのは、勝負そのものだ。
だから、酒の味自体には、さほど意味はない、せいぜい、嗜好の云々程度。
それが勝ちの味か、負けの味か。そのどちらなのか―――――――にこそ、意味がある。
「だが、単独行動は止せ、兄弟。もう、軽輩ではないのだ」
靄すらかかりそうな、冷たく、濡れた高所の空気の中、ぬっと出でた、巨漢の影。
乗り手も大きければ、乗り馬もでかい。見る者に、あからさまな圧迫感を与える骨太の体躯、疵だらけの顔に、眉も髪も剃り込んだ頭。
「どうしてもなら、俺を伴え」
無表情を微動だにさせず、口だけ動かし、腹の底から鳴る様な、とんでもなく低い声で、淡々と、抑揚なく、この上なく淡泊かつ端的な口調で、徐栄がそう言った。
「徐栄」
がぱ、と、一口。戦利品を、開いた口の中に注いだ。
李確の酒。それは、舌を突き刺す。ツン、と、鼻の頭へ乱暴に抜ける。
濡れた高順の唇が、和らぐ。その苦さに。
――――――こういう酒も、嫌いじゃねえんだ。
「それは、とっくに出遅れた気遣いだ」
その、辛く鋭い酒は手に持ったまま、高順は、自らの腰に元々携えてあった、呑み掛けの酒を、徐栄に投げて寄越す。
宙で揺れて、じゃぼん、と、鳴った。
それは、酷く甘い酒。
そして、爛れるほどに熱い酒。
月の色をした、灰色の瞳。その酒の香りのように、高順は笑う。
「今まで何十度、死に損なったと思ってる?」
酒の味に、意味はない。
その、伸るか反るかこそが、醍醐味だ。
「改めて思うと」
郭汜が高順の部隊に合流したのは、李確に遅れて、さらに半刻の後であった。
高順、李確、徐栄らがそれぞれ率いてきた手勢の、すべて合わせた数と同程度の兵を率い、足場の悪い山岳地帯に、見事に整列させている。むろん、すべてが騎兵である。
麓の敵兵に、此方の動きが気取られぬよう、兵を配置しつつ、嘶く愛馬の手綱を御しながら、蟻の群れのようにも見える、それを見降ろして確認した。
「よく、こんな遠くまで逃げてきたもんだぜ」
同じように、敵軍の布陣を眺める李確は、両手を乗り馬の頭の上で重ね、その上に、自身の顎を乗っけている。
西涼人特有の、色素の薄い、細い髪の毛が、風に吹かれて、派手に散らばる。
彼らが見下ろす敵とは、さる反董卓連合より十ヶ月余り、高順率いる旧董卓軍残党勢力が戦い続け、ついにこの西の果て、武威まで追い詰めた、反董諸侯の一角。
「敗走に敗走を重ね、多大な脱落者を出しながらも、未だに軍としての形を保っている。敗残兵があれだけの士気を保てるのは、ひとえにその求心力が故であろう。若輩と言えど、あの馬騰の娘と言う事か」
「ああ、馬超――――――ガキといえども、さすがに錦だ」
今は亡き、征西将軍・馬騰が嗣子、馬超。
親の兵を継いだ彼女は、反董卓連合に乗じて、董卓体制に不満を持つ周辺部族を扇動し、挙兵。東に集結した諸侯が虎牢関で死闘を繰り広げる間に、主力不在の関中方面軍の拠点を次々と攻略し、一気に東下。関中董卓軍の要である長安を包囲し、殆ど空も同然であった童関を攻め落とすと、そのまま函谷関へと進軍した。
東西より董卓を締め上げ、長安董卓軍と洛陽董卓軍の連絡を寸断しつつ、虎牢関を突破し、洛陽を奪取して西上してくるであろう連合諸侯と呼応し、董卓の勢力を一気に掃討しようという目論みである。
かくして、内部クーデターによって洛陽は陥落し、連合軍の奮闘によって虎牢関は落ちた。
しかし、其処で彼女の予期せぬ事態が起こる。
虎牢関を突破した諸侯は西に攻め上らず、そのまま各々の本拠へ帰還してしまったのだ。そして、洛陽で新政権樹立を宣言した王允も、統治が不安定であるなどと理由を付けて、馬超の援軍要請を却下してしまう。
馬超は、未だ勢力を保つ関中董卓軍と、自ら率いる軍勢のみで雌雄を決さねばならなくなった。
目算の狂った馬超に襲い掛かったのが、虎牢関で敗走し、そのまま南陽を経由して函谷関まで舞い戻ってきた、高順である。
南陽で交戦した袁術軍守備隊を一合で粉砕し、現地の潤沢な物資を、満腹になるまで存分に略奪した彼らは、連戦や長距離行軍の疲れをものともせず、抵抗を続けていた函谷関守備部隊と呼応し、関に取り付く馬超本隊に猛襲を仕掛けた。
援軍が来ない事を悟り、また攻城の中弛みで士気の下がっていた彼らは、突如の強襲に、為す術もなく突破を許した。
高順は敵包囲戦線を突貫するや、そのまま馬超本隊に突撃を仕掛け、撃破。馬超を虜にせんとする彼らは、西へと敗走する馬超勢を猛追。童関をも一息に陥落させ、車懸かりに長安に急行する。
長安を包囲していた馬超別隊は背後からの急襲を受け、足並みを乱されたところを、出撃してきた長安守備軍の手勢によって逆に挟み打たれて、総崩れになって潰走した。
包囲を解放した高順は長安に入城。董卓不在による戦後の混乱に収拾を付け、そのまま全軍の指導者として据わる。
高順を中心に再結集した董卓軍残党は、馬超を打倒し失地を挽回すべく、体制を整え、西に向け進撃。董卓軍の主力を担っていた歴戦の勇卒を擁し驀進する高順は、一時期は馬超勢の支配下に落ちた安定・天水を含めた主要拠点を奪回、涼州におけるかつての勢力圏を、ほぼ回復させる。
馬超は自ら陣頭に立って、各地で激戦を繰り返すが、一旦敗勢に回った形勢を立て直す事は難しく、ずるずると押し込まれ、ついに漢土の最果て、武威にまで到ったという次第である。
「あの緩やかな丘に陣を敷いたのは、中々に上手ェ。あれなら攻撃される方向を一方に絞れるし、攻められても有利な位置で戦える」
「だが……あくまで平面の戦いしか想定していない布陣だ。恐らく、我々が山岳の上から襲撃してくるであろう、という可能性は、策のうちに入ってはいないのだろう」
「十六、七の小娘なら、そんなモンだろ。俺らが同じ歳の頃は、小勢は率いても、軍の動かし方なんざ、まるで知りゃアしなかった」
仏頂面を崩さぬ郭汜と、訛りの目立つ口調でのほほんと語る李確、同じように戦場を眺めているだけでも、面白いほどに性格が出る。
「張繍は何処だよ?」
「あの辺だ」
「あん? …………あァ、あれか!」
身体を起こし、目を細めて遠望するようにしながら、下界を見渡す。
ぐびぐびと酒を呑み続ける、高順がおもむろに示した人差し指の先、馬超の陣から山を挟んで隘路の三里ほど、そのあたりの地点に、夕陽を浴びながら砂煙を巻き上げる、一団の騎馬軍が迫っていた。
「随分まァ、派手に土埃巻いて走ってんなァ。気取られてんじゃねェのか、馬超にゃ!?」
「隊列を組む兵の動きが鋭敏だ。間違いなく張繍の進軍を察知しているだろう。恐らく、馬超の率いる兵士たちには、既に馬蹄の地鳴りが聞こえている筈だ」
「わかっていても、止められやしないさ」
高峰の切り立ちの、ギリギリまで寄って、眼下の兵の動きを窺う李確と郭汜の少し後ろで、酒の香を帯びた焼けた声で、高順が呟いた。
「さて、行くか」
ポク、ポク、と、愛馬を歩ませ、李確と郭汜の間に立って、高順も陣立てを眺めた。
ひょうたんの中身をすべて飲み干し、潤う赤い唇を拳で拭う。
からん、と、岩肌にひょうたんを転がす。空いた手には、短弓。そして矢筒から、矢を一本抜き、指にはさんだ。
「…………前から一度、聞きたかったんだが」
「ん?」
どこか、気だるげにも聞こえる穏やかな返事は、酒に絡めとられた、柔らかい声だった。
酔っているのか、いないのか。実にそれが判別しづらい、この高順という男は、。
涼州人には酒好きが多いにせよ、高順は特段に四六時中、水の如く呑んでいる。よく、馬から転げ落ちないものだ。
「その、腰の方に付けている空の筒だ。その、花柄の」
「……? ああ」
「いつも携えているが、そんな古ぼけたもの、何かに使うのか? しかもそれは、少年兵用の規格だろう」
郭汜が指で示したそれは、背中に背負った方の矢筒ではなく、腰の方、丁度、腰骨の辺りに横向きに履かれた、子供用の様な、短くて小さな矢筒。
ずいぶん、年季の入った代物で、日焼けして、すっかり色褪せていた。上から被ったであろう、血液らしき染み、それも月日によって劣化し、薄茶色のような、赤黒いような色に変色して、ほとんど、薄汚れた布地と一体化している。
施された刺繍の縫い目が少し残っていることから、辛うじてそれが、花の図柄である事がわかる。
背後に、高順が捻った首。目の端にその古ぼけた矢筒が映った時の、高順の相槌は、幾分か低い声だった。
少し、口元が緩んだ――――――気もする。
「怪人バッタ仮面、って知ってるか?」
「知らん」
「俺らがガキの頃に流行った、戦隊モノさ。改造人間の主人公が、ワルモノやっつけんだよ。漢人のガキで、その名を知らない奴はいなかった」
「……ああ、お前は、漢人の居住区で育ったのだったな」
「皆マネしたもんさ。変身! ってな」
話しながら、高順は矢羽根を人差し指と親指の間に挟んだまま、器用に、弓のつるを指で弾く。
ぴん、と、軽く張ったつるが戻ると、ぶれて半円の弧を描いているようにも見える。
「バッタ仮面の絵が入った服だの靴だのが当時、ガキの間で流行ってなァ。終いには、バッタ仮面仕様の剣だの、矢筒だの、帯だのってのが、無節操に発売してな」
「おめでたい事だな」
「で、な。俺が弓や馬を覚え始めたからっつって、俺の母親がさ。わざわざバッタ仮面のヤツを買いに行ってくれたんだけど、売って貰えなかった。胡人風情が漢民族の文化を模倣しようとは何事だ! とね。たかが、バッタ仮面だぜ? たかがバッタ仮面で、俺の母親は苦い思いをした」
「…………」
「まあ、俺はあんまり興味無かったから、どうでも良かったんだけどよ。自分だけ無地の素っ気ないのじゃイヤだろうって、わざわざ縫って作ってくれたんだよ、手で。バッタは出来ないから、買って来れないから、ごめんね、これで我慢してね、ってな」
「…………それでか」
「そこで花柄にしちまうのが、うちの母さんなんだよなあ。母さんは、野郎の好みはよくわかってなかったみたいでさ」
くっくっく、と、喉を鳴らす。
顔をくしゃくしゃにして、さも愉快そうに、面白そうに、高順は笑う。
「皆が華やかな道具を使ってる中で、一人だけ違うんじゃ、可哀想だろう、寂しい思いをするだろうと、どんなのが良いかって、母さんなりに一生懸命考えて、ようやく思いついたのが花柄だったんだろう。俺の母さんは、そういう所のある人だった。そうして、いつも謝っていた。なにひとつ悪くないのにな」
「…………」
「ま、どうでもいい。そんな話は」
ふ、と、笑う。
普通の、何でもない。いつもみせる、控え目な、唇で作る微笑だった。
「馬超は戦闘になれば、必ず自分で陣頭に出たがる将だ。張繍が突撃してから……馬超の手勢が前線に上がって、敵と切り結び始めたら、突っ込むぞ」
月の瞳。胡人と漢人の血が混ざりあって作った、美しい、銀を溶かしこんだような灰色の目が、今一度、敵を見据える。
傍らの徐栄が、一言も発する事無く、静かに、得物を構え直した。
「高い所はいいなァ、順! 敵の様子がよくわかる!!」
一気呵成に、狼どもは駆け下る。
坂の上から見下ろせば、その傾斜は殆ど、絶壁に近い。けれど、その険しさも高さも、悪路もすべて何ら、ものともしない。
のびのびと身を躍動させ、人馬一体の疾風となって、吹き抜ける。
「郭汜! あいつら、俺らの奇襲にゃ気付いてんのかァ!?」
「いや! 反応を見るに、恐らく我々には気付いていない! どの道、張繍とせめぎ合っている現状では、今から我々に対応した迎撃態勢を取る事は不可能だろう!」
あるいは、雪崩――――――黒鹿毛の騎馬が一斉に連なり、奔放に駆け降りてくる様は、そのようにも見えただろう。
それはまさに、暴威だった。
平面で張繍との激突に集中する馬超軍の兵士には、誰ひとり、頭上から迫る殺戮者の群れに気付く余裕はない。
崖の如き高峰を、一気に駆け下る事によって生じる馬蹄の轟音も、剣戟を交わす金属音と、怒号を何千重にも重ね合わせた鬨の声に掻き消され、襲来してくる災厄の姿も、戦場の血煙りに紛れて、見えぬ。
否――――――気付いたとして、もう、遅いのだ。
姿を見止めて、あッ、と、口を開いた瞬間。その次には、もう飲まれている。
「馬超の相手は誰がする!? 俺が貰っていいか、順!!」
「いや。もったいないが、今回は見送れ!」
圧倒的な速度が生みだす、轟々たる向かい風を受けて、激情をさらに煽り立てられるが如く、糸切り歯を剥き出して、破顔する李確。その横を並走する、いつもと変わらぬ涼しい表情を崩さぬ高順。
「同世代に任せようや」
巻き上げられる黒髪、眼球に叩き付ける旋風。露わになる広い額、灰色の目は全く瞑らず、風に吹き飛ばされない、良く通る張った声で、彼は告げた。
「そこな若武者! 張済が遺児、張繍と見受ける!!」
絶叫の飛び交う最前線、騎射の雨と剣戟の密林を駆け抜け、烈将が吠える。
「その首、この程銀が貰い受ける! いざ、尋常に勝負せい!!」
その鬼のように逆立てた双眸が捉えたのは、長身の騎馬武者だった。
蜥蜴の様な男だった。丈の長い槍を翻し、病的に白い肌を鮮紅の返り血で濡らした、長髪の、細身の男。
その男は、爬虫類的な印象を持った、細い眼を流し、その端で程銀の影を見止めるや、雄大な馬格を持つ、自らの乗り馬の首をするりと返して、声もなく一直線に、重刀を掲げて吠えたる、健将に向って突進する。
(真正面!? ふん、若いッ!!)
馬上槍との差し合いで、相手が繰り出してくるであろう技は決まっている。即ち、叩くか突くか、二つにひとつ。
加えて、相手は、馬の脚力に任せて突っ込んでくる。疾駆する馬同士の、交錯する一合が勝負の最大の分かれ目となるこの種の一騎打ちにおいて、一度、得物を振り上げ、刃の付いていない柄の部分で、わざわざ改めて叩きつける、等と言う、非合理的な動きをせねばならぬ場面は、極めて少ない。
槍の背に這わせるように添えた先手、自らの脇まで引いた奥手、あの構えから察せられる、騎馬の突進力を利用した技とあらば、ひとつしかない。
勢いに任せた、単純な戦法、見え透いた、次の技。程銀はそう看做した、若い、と。
(突きをギリギリで捌き、すれ違いざま、貴様の脳天をかッさばいてくれる!!)
程銀の血走った目が、向かってくる騎兵を捉える。一完歩の距離、槍の長さ、張繍の体格。
それらの情報が、程銀のこれまで積まれた実戦経験に基づく経験則にかけられ、千分の一秒の間に、「張繍」という戦士の間合いを、言語化されぬ“感覚”として、弾き出す。
みるみるうちに、加速する緊張感。迫る敵影、交錯の瞬間を予言し、程銀の五感は研ぎ澄まされる。
そしてついに、あと一歩でその有効射程に入るというところ、ここだ、との判断を身体に命ず、その一瞬前――――――
程銀の視界が、激しく、弾けた。
「――――――ッ!?」
がん、と、程銀の頭が、後ろの方に跳ねて跳ぶ。衝撃に目が眩む。パン、と、骨の割れる音がした。
あと、一歩分の余裕がある。そう、程銀が判断した間合いから、その突きは届いてきた。
程銀が、ここだ、と、判断し、来るであろう突きを捌く。その拍子、来るべきその瞬間に合わせて、脳が身体に命令を下し、手綱にかかった手が反応しはじめた、その刹那。
まさに、その回避動作の実行に移るよりも一瞬早く、その突きは打ち出され、程銀の肉体が実際に動く、それよりも一瞬前に、張繍の突きは額を打ち抜き、弾いたのだ。
張繍は、馬を進めるのに、決して全開の力を使ってはいなかった。八分の力を巧みに十分に見せかけて、あと一完歩で間合いに入るという手前、まさしく、程銀が、ここだ、と決めたその一瞬前、張繍は、両脚の踵で合図を下した。相棒は即座に反応し、余していた脚の回転数を、一気に目一杯まで引き上げる。その爆発力に乗って、張繍は上体を、前に飛ばす様に乗り出し、突きを打ち込んだ。
その、寸前に変わった脚の伸び幅と「放る突き」が、一歩分、程銀の見切りを狂わせていた。
馬を五体の一部の如くとして操る、馬術の妙。極寒と烈風の大地に住まう、馬上の民の子孫が、血で血を洗い続けることで体得した、民族の中でも一廉の猛者にのみ許された妙技。
「これは、いけませんね」
額から、血が流れる。仰け反った頭が、戻ってくる。眩んだ視界が、一分だけ回復する。
その間に、張繍はすでに、元の位置まで槍を引き戻し――――――そして再び、打っていた。
「二の太刀を使ってしまうとは」
矢よりも疾い、銀の“弾丸”。
それは、丁度、ぽかりと隙間の空いた、口の中を貫いて、首の付け根の辺りの裏側、頚椎まで突き抜けて、串刺しにした。
その鋭さは一瞬で、その猛将から裂帛の気合いを奪い、その燃えるような意気を、瞬間でこの世から消滅させた。
「…………」
二発目の突き。それは申し分ないとどめの一撃であり、ずるッと、張繍が突き刺さった槍を引き抜くとともに、それは、既に骸。沈黙した戦士の身体は、二つの創から血を噴き出して、革人形のように、馬から地面へと崩れ落ちる。
額と、口の中を通る、頚椎まで貫通した穴。まるで、定規で図ったかのように、正中線上に並ぶ、二つの突きの跡を残したその屍は、断末魔の瞬間、そのままの表情で固まっていた。
「よしなさい」
突き落とされた骸から、首級を取ろうとする自らの従徒を、張繍は制止する。
「わざわざ、持ち帰って誇るような首ではない。まして、剥製にして、後から再び眺めたいと思える首でもないでしょう」
張繍は自ら撃ち落とした、その敵将には、既に目もくれなかった。
そうして馬上から、主を失った空馬を、自陣に引き入れる事だけを、供廻りに命ずるのだった。
「――――――しかし、捉えていたのなら、私に先んじて殺してしまっても構わなかったのですよ?」
するーり、と。張繍の爬虫類の様な笑み、首を少しだけ振り向かせて、蜥蜴に似ている流し目で、背後を見遣る。
頸、目玉、と向いて、眼の中にその像を捉えた後、馬首を返して、身体ごと振り返った。
「あらあら~、ごめんなさい。お邪魔してしまったら、いけないと思いまして~」
ぽむん、と、片掌で頬を包んで、小首を傾げる、麗しい女。馬上で、先ほどまで構えて、程銀の喉元に照準を合わせ続けていた短弓を下げた、長身で豊満で優美な腰つき、流れる髪を、戦場の血風にたゆたわせた美女。
「それはそれは。お心遣い、感謝致します。魏越嬢」
その、戦仕立てに全く似合わぬ、おっとりとした気品の良い仕草。ほわりと、のんびりした、野ばらのそよ風のように甘い声を紡ぐ魏越に、張繍は紳士のように、涼やかに微笑んだ。
白面の、細面。端正な、蜥蜴のような印象の顔。
「うおーっ!!」
「おや」
近くから、阿鼻叫喚の怒号の合間から聞こえてきた雄叫びに、張繍の意識はそちらを向いた。
否、雄叫びというには、その声はあまりに幼く、甲高い。
事実、それは子供だった。少女である。髪の毛を二房に纏めた、まだ十二か三くらいの少女が、敵の群れの真ん中を突っ切り、踊るような馬に跨り、猿の子のように暴れていた。
「あらあら~、成廉ちゃん。あんまり張り切って、怪我したりしちゃ、駄目よ~?」
「ぬおーりゃー!!」
叫びながら敵を無茶苦茶に打ち払う成廉を眺めて、魏越はまた、頬に手を添え、小首を傾げて、随分まあ、おっとりのんびり、言っていた。
張繍は成廉を見て、面白そうに、フッ、と、ひとつ、殆ど吐息に近いような風に、鼻で笑う。
『――――――っつ!!』
「あぁん!?」
「まぁっ」
「ほう、これはこれは」
今、自分たちの居る、入り乱れている人の塊の向こう側、遠くの方から、地鳴りと、新たに揃った、喚声と悲鳴のような声が聞こえた。
三者が三様、そちらを見遣る。
見れば、絶壁に近い高峰の斜面から、瀑布の様に騎馬の群れが突入し、敵軍のどてッ腹に突っ込んで、大きくその隊列を崩れさせていた。
そこを楔にすればもう、あとは雪崩、坂を猛然と駆け下る勢いに任せて、軍団の群れを切り裂いていく。
馬超軍にしてみれば、側面は崖、敵からの襲撃など、あろうはずもない。よって、この張繍の軍にのみ焦点を絞った、前方集中型の陣形を敷いていた。想定しえない方向からの襲撃には、ほとんど、無防備の様なものであった。
「さすがは、高順将軍。あいも変わらず、奇襲の仕方が上手いというか、酷いというか、極悪非道と言いますか」
「こういう崩され方をすると~、馬超さんはもう、立て直す事は難しいでしょうか~」
「ええ、もう、体勢を立て直す事は困難でしょう。こうまで死に体となっては、一人の指揮官が統制する事は至難。そして、それ以前に――――――」
そこまで語って―――――――入り乱れる集団の奥の方から、炸裂音が聞こえてきた。
馬蹄の地鳴らしの音ではない。何か、とてつもなく大きな力で、金属に金属を、叩きつけたような音。
音からして、一振り。たった一合のそれが、ここまで響いてきた。
「おそらく馬超は、今はとても、軍を指揮する余裕などないでしょうから」
「―――――ぐわっ!!」
圧倒的な圧力をもろに食らって、地面に叩きつけられた。
『錦馬』の異名を取る雄姿が、愛馬もろとも、吹っ飛ばされる。
最前線では、既に張繍の軍と、両軍入り乱れての乱戦となっている。
だが、今の馬超には、その最前線まで馬を進めて直接指揮を執る余裕もなければ、後方で噴き上がった轟音と喚声、高峰の上に布陣し、一気に駆け降りてきた高順の襲撃に気が付くだけ余力も無かった。
「ちッ……!」
彼女の全身全霊は、たった一人の騎士の為に注がれていたからだ。
「……化け物め…………!!」
打ちつけられた打ち身の鈍痛を感じながら、がばり、と、馬超は身体を起こした。
その美しい顔に、血は未だ、付いていない。絹の様にたなびく、一房に束ねた栗色の髪が、泥に塗れてくしゃくしゃになっただけだ。
彼女は、どこにも傷を負ってはいなかった。ただ、その“化け物”の持つ強大な圧力が、得物で持って交錯した瞬間、馬超の身体をその場に残す事を許さなかったのだ。
「………………違う」
その、張繍軍の先鋒にあった一対の人馬は、ぶつかるや否や、たった一騎で持って、精強なる馬超軍を真正面から切り裂いた。
ただひとりで真っ二つに軍中を掻き分けながら、前陣に据わっていたこの軍の長・馬超の喉元に、深々と切り込んできた。
「……………………恋は、恋」
緋色の怪物。馬超には、その一騎がそう見えた。
紅い、雄大な雄馬に跨る、その女は、幼かった。小麦色の肌、短い赤毛を持ったその小柄な少女の顔立ちは、とても幼いものだった。
無表情で、無口で。ぽつりと、呟いたその一言は、鈴の音色に似た声音。
その姿が、馬超には、人馬一体の怪物に見えたのだ。
「――――――ッツ!!」
墜落した錦の騎手に、その緋色の獣は、容赦なく襲いかかる。
馬超の全身に、針のように突き立った、戦慄。
狼よりも素早く、呂布は獰猛な速度で迫り、地を真っ二つに穿つかの如く、落雷を思わす勢いで、方天画戟を振り下ろした。
オルフェーブル三冠おめでとう。塚本選手、世界制覇おめでとうございます。
引退試合で世界制覇……やはり、選ばれた人なんでしょうね。素晴らしかったです。
ブリキさんの絵で東方に目覚めた僕を、どうぞニワカと罵るが良い。
いや~、実は、東方ってあんまり今まで関心がなかったんですけれども。ブリキさんの描く東方ガールズが可愛いすぎた。そしてニコ動のサイキョー漫遊記ですっかりハマった。どう見てもミーハーですね、ハイ。
ストⅡムービーを映画館で見た世代だから、そうしてもSF系が好きなのだなあ。プレイヤースキル的には、狙って昇龍が出せない程度の能力。空中投げとか異次元だろ。