なぎの間編・六十一話―――――――「ヒトというなまえのドウブツ」
李通を使いたかったがためのお話。
微グロ?
一応ね、一応。
焦げ臭え、そして、熱い。
煙の煤が目に染みる。火の熱が皮膚を焼く。空気は湿っているにもかかわらず、火の粉は舞い、炎は煽られ、辺りを煌々と紅く焦がした。
――――――地獄のようだ?
違う、違う。地獄は、こういうものじゃない。明るくもないし、熱くも無い。暗くて冷たく、黒いものだ。
わかるのさ。俺はそこで生まれたから。
「ッツ!!」
手の内に、骨の砕ける手ごたえが伝わった。
喚声が木霊する。茂っている森の葉が、空に蓋をし、すべての音を戦場に閉じ込め、“そこ”を、その声で一杯にした。
怒号、狂気、断末魔。騒がしいほど。
――――――? 違うって。
地獄には、そういうものはない。声がこんなにも溢れるという事は、生きているって証拠だろ?
ここは、戦場。生きた人間の居る所。
平和、なんて言う、ファンタジーじゃないぜ。
ちゃんとした、血の通った人間が、きちんと生きている所さ。
忠だ義だ仁だ孝だ、信だ。民の幸せ、国家の大計、挙句に天下?
それを、見たことある奴が居るのかい?
何が正しくて、間違ってるのかは関係ねえ。
良い奴と嫌な奴は居るだろうけど、善い奴と悪い奴が居るわけじゃない。死ぬ奴は死ぬし、生き残る奴は生き残る。そんなもんさ。
生身の人間が生きていない世界の事を語ったって、何の足しにもならないよ、腹の一つすら膨れない。
リアルは、現実にしか存在しないのさ。そして俺達は、ずっとそこで生きてきた。
当たり前のことだろう? 俺達は、みんな生身の世界で生きていく。
空想の世界でなんて、生きられるかよ。深く考える必要も無いコトさ。
「くっ……」
空間が、地面が。どんどん狭くなる。ある筈のない壁が、存在しているように感じる。
追い詰められているという事。
人間は、本能的に火に恐怖するが、それとは関係なく、予期しない奇襲によってもたらされた混乱は、容易に収集できるものではなかった。
しかも、こいつら一人、一人が――――――
「がっ……」
「!!……っ」
――――――強い。
「あんたらさぁ」
背を向けて、一目散に逃げる。しかし、背後がらの潰れるような声が、その足を止め、振り返らせた。
人間は、逃げる足よりも、追う足が断然に速い。
人間は、生まれながらに狩人なのだ。その事を、より深く理解している方が勝つ。
戦場とは、そういうところだ。
突如として現れ、視界も足場も悪い山中、関行傭兵団の面々が状況を把握し、迎撃態勢を整えるよりも前に、素早く火を放って強襲してきた曹操軍の兵士たちは、その事を、実によく理解していた。
「目玉焼きって、醤油かけて食べるタイプ?」
揺れる陽炎を背に、本分を忘れて慌てふためき、散って逃げる者たちを、たった一人で追い詰める。
歩み足で現れた、黒い服の男。
「…………?」
「俺はノーだね」
存外に小柄だった。すでに血みどろの、右手にひっかけた白樫の棒。おそらくは、汚れの目立たぬその黒も――――――血に染まっているはずだ。
唐突な事を言った。関行隊の兵士たちが、いぶかしげな顔をする。
小柄な男は、笑みを浮かべて、ちろりと出した舌を、親指で触った。
臓物の色。蛇の舌に似ていた。
「邪道だろ? そんなの」
「ッ!?」
言うが早いか――――――もしくは、言うよりも速かったか。
その小さな体躯が、まるでクズリのように俊敏に、地を滑った。低い姿勢から、一瞬にして敵の一人の前に現れ、突き上げて喉を砕いた。
倒れていく相手を、さらにもう一度、追い打った。目の辺りに炸裂する。それでもう、意識は飛ぶ。
喉が潰れ、そして、頭が潰れた。
「ッ?」
崩れ落ちる兵の髪を、何事か、李通の手が、ぱッと宙で、がしりと掴んだ。
頭の半分は、血で塗れている。
嗤う小さな、李通の顎。唾でてらてらとした、糸切り歯がのぞいた。
「調理、盛り付け、調味料……味付け、下拵え……しゃらくさい。味をごまかすなよ」
ぬるり、と――――――そういう感じがした。
その青年的で、すらりと細い、整った顔立ちが。
ぬるり、と。
そういう感じがした。
面立ちに似つかわしくない、ごつい節くれの、小さな手。何度も剥けて硬くなった皮の上に、幾重にも刻まれた傷跡の残る掌が、粗野に髪の毛を鷲掴んで、人形を垂らした糸で吊るす様に、その、力の抜けた体を支えている。
「何もかけたりしねーで、なるべく、新鮮で、頭っから、マルカジリ。それが一番旨いに決まってる。肉でも……なんでも」
潰れた眼窩、砕かれた頭蓋、真っ赤な中身がはみ出ている。失神したままのようだ。
はみ出した、肉。それは、柔らかい。頭の、中身。それは、どろどろで、ぬるぬるで、柔らかい。
李通はそれを、中身を、するりとした眼で眺める。
あの、ぬるっとした眼の光で――――――
「ッ!!」
ぎょっと、周りが、たじろいだ。
眺めて、表情を変えず、おもむろに李通は、口付けでもするかのように、それに近づき、噛みついた。
果物みたいに潰れた所、顔の半分丸齧り。
潰れて、柔らかいところ。ぐにゃぐにゃの肉、喰い付いた。
気を失っていた、その顔が、ビクンと、弾けるが如く、にわかに眼光を取り戻す。
残った片方の目玉、その色が、どういう感情の色だったか、口で表す術はない。
ただただ、とても恐ろしい顔。
呻いて悲鳴を上げる、破裂した喉笛から、声の代わりに血の噴水。もがいてもがいて、噴き出る、噴き出る。
もはや潰れた声の代わりに、わななき、肢体は痙攣する。
狂乱して暴れる頭を抱く様に抑え付けて、李通は啜る。海老の中身を吸いだす様に、ぐちゃぐちゃ、ちゅるちゅると。
食べる。ごく、普通に。
食べられながら、彼はのたうつ。水揚げされた魚の様に、もがく。狂ったように。
かまわず李通は喰べ続けていた。目の周りから、米神らへん。舌を突っ込むようにして、掻き出す。中身を、舌で、くちゅくちゅと。
肉、血、管、目、脳みそ。ぷるぷるした体液。それらで口元も鼻先もべとべとにしながら、奥へ、奥へと。
「…………生臭いほど、旨いのさ……ねえ?」
やがて、つぷりと、“それ”から放すと、血と肉と妙な粘液がまじったものが糸を引く。
手を放して、地面に落とした。
とたんに、跳ねる様にのたうちまわる。どちゃっ、と、地面に落ちて、潰れたまま。食われていた箇所を、痛みを抑え付ける様に両手で覆い、握りしめて。
悲鳴は上がらない。喉は潰れているから。叫ぶと代わりに、血の塊が口から溢れた。ごぼり、と。
その、血の塊が一つ、溢れ返って、それきり硬直したまま、動かなくなった。
掻き毟るように押さえつけた傷、中身が如何なっているかは、両手に覆われて見えはしない。
覗く、ぐるんとひっくり返って白目を剥いた、残った片目のみが語っていた―――――言葉にできない、とてもとても恐ろしい眼で。
「そう思うだろ?」
蛇の様な。臓物と同じ色をした、舌。
李通はそれで、てらてらと赤くぬめる唇を、舐めた。
「…………っ」
絶句していた。
小柄で、細身の若い男。たったひとりの敵兵に、彼らが抱いていたのは、言いようのない気持ち悪さ、嫌悪と、怖さを。
李通の足元にある、かつて、仲間だった“モノ”に――――――決して向けたくはないのだが――――――自然と、視線が吸い寄せられてしまう。
戦場だ。兵士だ。斬るとか、殺すとか、突くとか、殺すとか、それならわかる。
だが、
“喰う”
とは?
「…………」
喰っていた。表情も変えずに。
頭蓋が割れて、中身が飛び出し、それでも生きていたその者に、ためらいもなく、食らい付いた。
食われていた。痙攣しながら。
ごくふつうに。蟹でも剥いて食べるみたいに、ごく、ふつうに。
“生きたまんま”
「ねえ」
「――――――ッ!!」
それに、改めて理性で思い当って、ぞわりと背筋が凍ったのと、存外に甘い、琴の震えるような高い声が静かに点されたのは、殆ど同時だった。
「あんたらさ、コレ、旨いと思う?」
はッと、顔を上げる。視線の先には、まったく先ほどと変わらない表情。右手に得物を携えた、血に塗れた小柄な男。
赤く、汚した顔中、襟元。涼しげに笑っている。
「コレ、本当に旨いと思う?」
革の靴。爪先で、こつん、と、示した。
足元の、かつて、仲間だったモノ。残骸。
ヒトの肉。
「旨いわけねーじゃん、こんなもん」
つらりとした顔のまま、表情一切変えずに、李通はふわっと上げた片足を、躊躇なく踏み下ろした。
“中身”のはみ出した頭、そこに踵を入れて体重を乗せると、ぐしゃりとつぶれた。果物の様に。
硬直した、自ら押さえ付けた形の、重ねられた両手はそのまま、上から踏み躙られて、その下にあった、崩れた頭部の原型が、ただ真っ赤になって、押し潰されて、消失する。
内容物の減った、隙間の空いた頭蓋骨は、割れ物のように簡単に弾けた。鼻より下、気狂いのように食い縛った口と、顎だけが残った。
パン、と、骨の砕ける乾いた音が響いて、サァーっと、落下した水風船、あるいは叩きつけられたスイカのように、中身が四方八方、放射線状に飛び散る。
滑るように、男の足元まで転がってきた、肉片。ころんと転がってきたそれが、髪の毛のくっついたままの頭皮と、潰れずに残っていた方の目玉であると認識出来てしまった時、思わず、ひッ、と、声にならぬ悲鳴が、喉の奥で鳴って、潰れる様に、掠れて出てきた。
「初めて食った米が美味くてさぁ」
何か、独り言のように、あるいは語りかける様に、李通は呟きながら、しゃがみ込んだ。
両腕を肘に突っかけ、うなだれる様に。
おののく敵兵らには、一瞥もくれない。居ないかの如く、というよりは、気だるい日常の最中であるかのように。
声の調子すら――――――まるで違う。ごく、平淡で。
「あれから、旨いもんはたくさん食ったんだ。けど、どうしても。あの味にならないんだよ」
自然と、目に入る形であろう、自分がいまさっき、潰した頭。
それでも、ひょっとすれば、目に入っていないのかも知れない。
「すると、なぜか。あの甘かった、生まれて初めての米の味が、恋しくてたまらなくなると、頭に浮かんでくるのが、何故だか知らねーが、こいつだ」
はあ、と。肺の奥辺りから、深くて、ゆっくりの息を吐き出す。
「旨いワケねーんだ、こんなもん。けどさ、お袋の味、っつーの? 俺にはいねーけど」
ツ、と、左手の中指だけ、指先一つを、血だまりに伸ばす。
ぺちゃり、と、触れた、血と肉の混ぜもの。
「俺にとっちゃ、コレがおふくろの味なのさ。俺はこれで育ったから」
唇で舐め取って、飲み込む。
「コレの味は、臭いは、歯触りは。あの時からずっと変わらないのに」
語調は、あくまで平淡だった。
淡々と、淡々と。まるで、独り言のように。
整った、血に塗れた、うつむく顔が。ぞくり、と、させた。
彼らは――――――この小さい男の事を、何も知らない。
それでも、わかる事が一つ、ある。
この男は、こうやって、生き残ってきたと言う事。
虫を食らい、水子を飲み込み、腐屍を漁り。生きてきたに違いない。
烏。
そう、カラス。真っ黒くて、どんなものでも食い散らかす、狩り尽くす。
動いてりゃ、“くいもの”
生きた人間だって。
目玉を刳り抜き、脳味噌をかっさばき、筋肉の赤身に歯を立て、骨を割って骨髄を取り出し。
生きてきたに、違いない。
「どれだけ贅沢してみても、どんなふうに食ってみても、生まれて初めて食った時の、あの美味さにならないんだよ。でも……」
――――――そっと、右手の小指を、得物に掛け直した。
それに気付けた者は、皆無であっただろうが。
「コレを喰った後に、家に帰ってから食べるご飯は、あの時の米に、ちょっと近い」
ふう、と。
短く浅い、息を吹き出す。
「なんでなんだろうね……」
男たちは、一歩も反応することができなかった。得体の知れないものに圧倒された心のように、身体もまた、凍りついていた。
その場所では李通だけが、伸び伸びと地を奔って、獣のように活き活きと、血に塗れたその短躯を奮わせた。
そして、また新しい血を浴びる。
――――――お前ら、戦争は好きかい? 俺は大好きさ。
呼吸がし易いんだよ。他の何処より。
水の中に居る魚と同じだよ。他の連中にとって、どういうものかは知らねえけど。
俺にとっちゃ、一番ラクな場所なのさ。
キュークツなものにしないでくれよ。俺はここが良いんだよ。
俺にとっての世界ってのは、ずっと此処にしかなかったのにさ。
あの米、美味かったんだよなあ。生まれて初めて食った、あの米。
もう一回だけ、食ってみてえ。
今朝、昔の夢を見たんだ。
友達の夢さ。ガキの頃の夢。
前の太守、周直ってヤツだけどね。そいつの所で兵隊さんやってた時の事さ。肉のスープが出てたんだよ、毎食。
でも、おかしいんだ、それが。
はじめは、普通の豚汁なのさ。でも戦争が長引くと、味が変わって来た。
おかしなのは、米の量は日に日に減ってるのに、スープに入った肉の量はそのまんま、って事だよね。
まあ俺は、ちっちゃい頃はずっとそれ食って育ったから。
何の味か、すぐわかったんだけどね。
一日、過ぎる度に、一緒に飯を食ってたやつらが減っていったよ。俺の仲間もそうだった。
仲の良い奴が居てね。名前は無いんだけど。
そいつ馬鹿だから、いっつも、簡単にとっ捕まっててさ。体中に刺青入れられちゃっててさ。かっこ悪いってんで、上から別の墨入れて誤魔化すっつって。うん、そう。俺の蛇と、一緒に入れたんだよ。
そいつが死んだ、次の日。朝飯にそいつが出たんだ。
挽き肉ダンゴだったけど、ギリギリ、肉の破片がうっすら残ってた。仕事が粗いんだよね、あの料理番。死んじゃったから、いいけど。
腕から背中までビッシリ彫ってた、あいつの刺青。肉ダンゴにされた中に埋まって、ちょっとだけ元の皮膚が残ってただけだったけど、間違いなくあいつの図柄。
味? フツーの肉だよ。
結局、その後、周直殺しちゃったんだけど、夢の中では生きてんのね。そして、そいつも生きてる。んで、肉になって出てくんだ、何回も、何回も。
味は、いつも変わらない。
――――――まあ、
だからどうだってことも無いけどね。
原作以外のキャラを使うのには意味があって、
例えば李通の役目は、世界観を殺伐にすることです。
見た目も中身も可愛らしい恋姫の乙女達が、内臓に塗れるわけにはいきませんから。
李通くんは、物語上におけるその性格を強く構想する過程で現れた人ですんで、そういう場面だと、彼が良く動きます。
まあそんなことより、あずささんの構成要素でどこが一番エロいかについて語ろうぜ。
最近、流し目説を推すプロテスタント勢力が強いが、ニサン正教カトリック派の俺としてはズバリ、「一人暮らし」という設定にこそエロさの真骨頂があると見る。
しぐさでいうなら、あの片腕を背中の後ろを通して回し、もう片腕の肘のあたりに掌をひっかける様にしてるポーズが、リラックスしているが故の無防備さを醸し出していて、ドキッとさせられる。
そもそも、あずささんのビジュアルだの表情だの中の人だの、外面的要素がテンプテーションに満ちているなぞと言うのは、言うも今更な周知の事実。
外見に拘っているようでは、まだまだぬるい。そこで観点がストップしているうちは、変態紳士とは呼べやせぬわ!!