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なぎの間編・五十九話

のヮの


「この餓鬼(ガキャ)ァ、何度言ったらわかるんだッ!!」


昼より、少し下がった辺り。静かな店内に、怒号がビリビリと張るように響いた。


「早く上げりゃあ良いってモンじゃねぇんだ! こんな汚ぇ盛り付けで客から金を貰うのか、え!?」


上品な雰囲気の漂う店だった。若者風に言うならば、オープンキッチン、とでも言うのか――――――こういう店に来る客は、あまりそういう表現は好まないだろう。

年配の、暇を多く持った御婦人方が来るような、小奇麗で静かな店だ。客の座る広間から、厨房の店員の顔が見えるような作りになっている。

ゆえに、吹き抜けのまま素通りする怒鳴り声は、その店の雰囲気に置いて酷く不似合いだった。


「いいじゃねーかよ。食っちゃえば一緒だって、そんなの」


説教を浴びせられている男は、反省はおろか、悪びれる様子もない。般若の顔をした雇い主に向かって、申し訳なさげにするどころか、不敵にも腰に手を当てて、壁に寄り掛かっている始末だ。


「つーかさ、そういうの気にするような、ホンモノの金持ちって、こんな雰囲気だけ高級ぶった大衆食堂に来ませんって。宮城の近くにある料亭とかに行くよ、そういう人は」

「……ッ貴様ッツ!! 人を馬鹿にしてるのかッ!!」


その男は、若かった。少年というほどではないが、小生意気にも、そこそこ世慣れし始めたような青年だ。

横文字の若者言葉が似合いそうな、いかにもな青年。髪もだらだらと長く、コック帽からもみ上げや襟足が食み出している。

存外に小柄だった。余りと言えば余りな若者の態度に、一層大きな怒鳴り声をぶちまけた壮年の男性も恰幅は良いながらも背丈は低いが、それと同程度の所に目線がある。

最近の若者としては、かなり低い背丈だろう。下手をすれば、大柄めな女性よりも、さらに低いかもしれない。

しかしながら、体躯に反して態度は甚だ恐いもの知らずで、嵐の如き荒ぶりを見せる雇い主に対して、全くにして柳に風、もはや視線すら外し、つらりとして自分の作業に戻っていた。


「あ」

「!!ッ ッ~~~~~!!」


随分、余裕ありげな表情までして軽快に食材を袋に詰めていたが、ふと、肘を引いた瞬間、傍らの皿に引っかけて、パッシャーン、という破裂音と炸裂音の中間のような音が、客の方にまで響き渡った。

皿が弾けたのを機に、いよいよ、何かがブツンと切れたのだろう。一層の事、目を怒らせ、もはや声も発さず、暴れる激情に任すが如く、自身の短く刈り込んだ後頭部を、右手でがしがしと思い切り掻き毟った。


「……いや、つーかさ、厨房狭くね?」

「死ねッ、糞ガキがッツ!!!!」


皿の割れた音よりも、遥かに強烈で重厚な怒号が、店内に響き渡った。

もはや客と他の従業員も含めた、店中の視線が、その場に注がれていた。

 

「いい加減にしろッ!! 脳味噌が腐ってるのか!? 一体何を食って、どんな親に育てられたら、そういう態度が取れるようになるんだッ!!」

「…………」

「大体この耳飾りは何だ、南人かお前は、え? 仕事中だぞ!! 蛮族の風習にかぶれやがって! お前、本当に漢人か!? お前は胡人や南人なんぞよりも遥かに屑だっ、このガキがッ!!」

 

顔を真っ赤にし、破裂しそうなほどに青筋を浮き上がらせ、唾を撒き散らして捲し立てる。

思い切り、感情のみの言葉だ。

若者はというと、そっぽを向きながら、ピアスを三つほど付けた右耳の穴に小指を突っ込んで掻いていた。


「――――――お!? 居た居た! やぁ~~~~っと見つけたぜえ!!」


パン! と、弾けるような声が張って、それによって怒鳴り声が止んだ。

不意に出入り口から飛んできた声の主を、客も含めた、すべての人間が一斉に向く。

前頭葉の辺りから出ているような、甲高い、間の抜けた声だった。


「あれっ?」


ふと、何かに気が付いて、青年は漢人の持つ色としては極々標準的な、濃褐色の瞳をした眼を、ぱかり、とばかり、開いた。


「チビじゃん。どしたの?」

「どしたの? じゃねーだろてめえ、この野郎李通! 見つからねーと思ったら、何してやがんだこんなトコで!」

「バイトだけど」

「バイトぉ? 何を考えてんだ、お前は!」


べらんめえで、口調と目つきはすこぶる悪いが、ケタケタと景気良さそうに笑いつつ、客も店員も意に介さずに、その男はずかずかと店内を奥へと進む。

そのまま、仕切り越しに会話を続けながらぐるりと回って、厨房にまで入ってくる。


「……ちょっと! 何なんだ、アンタ、いきなり! 勝手に厨房に入ってこられちゃ困るよ!!」

「ああっ? なんだてめえ、俺らの事を知らねえのか?」


若い青年相手に先程まで怒鳴り散らしていた、責任者らしき壮年の男が、苛立ちの籠った声で、若者の身体越しに向こうにいる、厨房に侵入してきた部外者に言及する。

だが、その黄色頭巾を被った小男は、全く遠慮する様子もない。むしろ、若者の脇から、するりと顔を出してきた。

その男は、風貌からして異様であった。頭に巻いた黄巾もそうだが、まず、驚くほどに背が低い。

先程若者が、この男の事を、チビ、と呼んだが、まさに小男も小男、この小柄な若者よりも、さらに一回り辺りも小さい。

顔はと言えば、鷲のような鼻に、ぎょろりと鋭い三白眼、尖った歯で、一度見たら忘れないだろう。

要するに、見覚えが無いという事は、そのまま知らぬという事なのだが――――――


「――――――正規軍の制服も付けず、何の説明も無しにどかどかと店に上がり込んでは、此方の意図など伝わるはずも無かろう、愚か者め」


遠くに飛ばすような、朗々とした声が、次いで、またも客席の方から飛んできた。


「おっ?」

「全く……一体、こんなところで何をしているのだ、李通」


上から下まで、カッチリと軍服に身を包み、軍刀は左側に履いたまま、カツカツと軍足の踵を鳴らして、つかつか、歩み寄ってくる。


「土木・警備その他の庶任務の免除、及び一切の副業を禁ず! それが曹操軍が誇る最精鋭、特別戦闘専門部隊の原則であろう!」


髪を短く、さっぱりと刈った、精悍な若者。

顎の端、丁度、えらの辺りに出来た、大きめの赤い腫れニキビが目立った。


「仕事ねーとヒマなんだよ。金返さなきゃなんねーし」

「…………そういう時は、隊長にでも相談しろ」

「いや、隊長から借りてんの」

「……いくらだ?」

「七万くらい」

「阿呆か、貴様は!! それくらい貯金しておけ!!」

「ケケケ、貯金出来るよーな奴ァ、初めっから金なんて借りねえよ。俺も貯金出来ん」

「麻雀はやっぱダメだね。やるもんじゃないね」

「ええい、滅びろ! 愚か者ども!!」


厳かに軍人ぶって、澄ましていたニキビだが、話し出すや否や、すぐにいつもの調子で、キンキンとがなりたてる。

二人はポケットに片手を突っ込んで、ケラケラ、笑う。


「曹操軍……? あんたら、軍の人間か?」

「おっと。御店主、これは失礼」


怪訝な顔で、店主が口を挟むと、ニキビは一転、再び取り澄まして、胸元に掌を添え、軽く会釈し、背筋をピンと張って、両手は背中、踵を結んで直立する。


「我々はこの兗州を統治する、曹州牧が正規軍の者であります。あいにく、所属部隊は機密事項ゆえ、明かせませぬが」

「てめーさっき、俺らが純兵だって言っちまったぞ」

「……ぬ」

「そういうトコあるよね、ニキビは」

「本当ニキビだな、てめーは」

「だからニキビは、いつまでたってもニキビなんだよ」

「ええい、やかましい! 意味がわからん! とにかく! 御店主! この男は我らの身内ゆえ、直ちに連れ帰らせて頂く! 宜しいか!!」


普通に話している分には、非常に実直で模範的な軍人然としている彼だが、本人も気づいていないところで、所々、うっかりしている部分がある。

そして、茶々を入れずにはいられないのがこの二人だ。彼らがみすみす、ニキビにきっちり締めさせるというのは殆ど有り得ない。

また、彼らの一派と揃いで行動をさせられやすいのが、余計に彼の金切り声が絶えぬ理由である。


「いいじゃん、ニキビ。バイトくらい見逃してよ」

「違う。もうそれには及ばん」

「?」

「隊長がお呼びだ」

「なんでさ」

「任務の話だ」


そう言われ、李通はおもむろに視線を斜め上の辺り、宙に遊ばせ、一拍してから、ふむ、と、口の中で呟き、何かに納得した。


「店長、俺今日でバイト辞めまっす」


そして、さッと帽子を取ると、そのまま、店主の掌にポンと乗せ、くしゃくしゃ、と、帽子の中で乱れてぐしゃぐしゃになっていた髪を掻き混ぜ、こう言った。


「――――――人殺しのが稼げるんで」





「………………」


帽子を渡された店主は、しばし、所作なさげにそのまま立っていた。

客や店員もしばらくして、再びそれぞれの“普段”に戻り、いつもの静かな店の風景に戻って行ったが、やはりちらり、ちらりと、此方を覗ってくる者は、何人かあった。


「…………ふんっ」


やがて、少し乱暴に、その帽子をゴミ箱に捨て、まな板に向かう。


特別専業戦闘兵、通称・純兵――――――


聞いた事はある。正規軍において、(いくさ)そのものを専門とし、それ以外の農作・土木・治安維持活動など一切の庶務労役を免除され、ひたすらに戦闘訓練と実戦のみに従事する、純粋にして完全なる戦闘兵士。

曹操軍の全体規模約数万、その中でも精鋭が選りすぐられ構成された、各将軍の直属常備隊の内でも、それぞれ僅か数百足らずしか選出されていないといわれる、精兵の中の精兵、超精鋭兵士。

彼らは常に、最も過酷な戦場に投入され、通常の兵士に比して特級の報酬を与えられているという。


「…………」


あんな若造が、まさか…………


「店長」

「うおっ!?」


考え事に耽っていた時に、不意に背後から呼ばれ、びくっと肩を震わせた。

危うく、包丁を落としそうになる。


「な、なんだ、李通!」

「忘れてた」

「何を!?」


いきなり音も無く、背後に立っていたのは、先程、出て行った若者。

声を上ずらせる店主、対して若者は、気楽そうに笑みを作って、手をおもむろに差し出した。


「今日までの給料下さい」





「お前にやる給料などねえ――――――だってさ。ふざけてんぜ、あの店長」

「どう考えても、お前が悪い」


チビとニキビと並んで歩きながら、振り返って、ベッ、と、唾を吐く。

前掛け等は、そこら辺に棄ててきた。

こんな時世だ、程しない内に誰ぞが拾って、それなりに有効活用するだろう。

そうでなければ、ゴミになる。どちらにせよ、損をする者はいない。


「あいつの肉を闇市で安く売り払った方が、あんなしゃらくせえ料理提供するより、ずっと世の中の為になるぜ。押し込みに入られて殺されてしまえばいいよ」

「滅多な事を言うものではない」


さらりと、とんでもない事を、わりかしな通る声で言ってのける李通に、軍服のニキビが目を丸めて、ぎょっとして顔を引いた。

ニキビ自身が兵士らしく、体格に優れた方ではあるのだが、左右のチビと李通が標準に比べてかなり小柄であるため、一層、ニキビの長身が目立つ。おまけに軍服であるから、往来では尚の事だ。


「だってさあ、こんな小っさなプレートで、千と五百銭も取るんだぜ? アホだろ」

「そこでは無いわ! あの店の価格設定など重要な問題ではない!」


肩を寄せてしゃくるように、両手で皿の形を作って示す李通に、ニキビは普段どおりに大げさな手振りで(かぶり)をふる。


「つーか、チマチマ働くよりあいつぶっ殺して、売り上げパクッた方がずっとラクだったね」

「…………」


ケラケラと笑う。幾分か、わざと、そうしているようにも見えるが。

ニキビは、特徴的な大げさな身振りをいったん引っ込め、深い息を吐いて、表情を変えた。


「李通。お前は、この治世には些か馴染めぬと考えている節があるようだが」


軍人らしい長身が、軍人らしからぬ小柄な李通の顔を覗き込むように、上体を曲げる。大きな掌を開き、説くように語る。


「見よ」


すっと、一本、人差し指だけが開いた。

ニキビが指したのは――――――野点のように机と椅子を並べた、小洒落た喫茶店。

見れば、若い二人連れの女が、小さなカップ一杯を供に、肘をついて会話に興じている。

格好は、初夏の陽気によく似合う、開放的な薄着、小さな鞄を空いている席に置いて、近くに男の影があるわけでもなく、何らかの護身の装備なりを携えている様子もない。

さらに、他の席では、やはり持ち物だけを机と椅子に置き、席取りをしたまま、悠々と行儀よく盆の上に食い物一式を乗せて、連れと喋りながら戻ってくる客の姿があった。


「かつて、我々が此処の兵士として参軍した当初、たった二、三年前には、およそ考えられなかった光景だ」


彼女たちは、その途方もない無防備さに、何の違和感も感じていない様であった。

無防備である、という自覚、感覚すら――――――ひょっとしたら、無いのかも知れない。


「兗州はもはや、犯罪と無秩序が跋扈していたかつての無法地帯とはワケが違う。曹州牧閣下赴任後の治世により、実に六割もの犯罪が減少し、検挙数でいえばかつての十倍にも勝る。置き引き、窃盗、追剥なぞ、もはや市中では滅多にあり得ん。闇市や違法住宅街も無くなった。まして刃傷沙汰など、なおの事だ」

「…………」

「治世が進めば、やがて兗州全域、さらには中原、漢の全土が秩序と法の元に治められる時代が来る。かつての繁栄、平和と泰平の世が戻る時が来るのだ。仮にも官に仕える我々が、その流れに逆行するが如き考えを抱いてはならん!」


ニキビはいつもの、胸を反らして張るような強い口調だ。

李通は閉じた口を、への字に曲げていた。


「…………」


やがて、瞼を神妙に閉じて、跳ね上がった後頭部をがしがしと掻き混ぜる。


(バラ)すどころかさあ」


李通の高い鼻が、ふん、と、鳴った。

さも面白くなさそうな、面倒くさそうな、そんな表情を隠そうともしない。

子供のような顔で、ふてくされた子供のように、ポケットに両手を突っ込む。


「耳の一つだって削ぎ落としちゃならない、歯の一本すら、折っちゃいけない。いずれ血の一滴だって流せなくなるんだろう」


――――――パチン、と、抜き去られた手の中で音が鳴ったのと。

蛇のようにしなった腕が跳ね上がったのは、ほぼ同時だった。


「…………っ」

「息苦しいね、平和って。キライだよ、俺」


ウッと、ニキビが、殆ど直立に近い状態で立ち止まり、つんのめ、息を詰まらせるようにして、顎を引いて胸を反らした。

李通の頭一つ分ほど上にあるニキビの、痘痕後の少し残る、頬と首筋の境目あたりに添えられた、伸ばした李通の手の中にある、オモチャのような小ささの、折り畳み式ナイフ。


「黙らせようと思ったら、すぐに黙らせられるのにな」


スッと、ニキビの肌に添えられた、金属で出来た、刃の無い峰の冷たい感触が離れていく。

ニキビは、そのままの体勢から動かない、首から上は固まったまま、目玉だけで、そろーっと、李通のナイフの行方を確認するように追う。


「戦争は好きさ。喧嘩も好き。金が手に入る、たくさん、それもわかりやすく、簡単に」


くるくる、と、李通の人差し指と中指の間を、チャチな薄刃が縫うように踊る。

手慣れた仕草、肌に吸いついて――――――否、もはや一身同等であるかのよう。


「けど、チツジョとかチセイとか言うのが進んだら、戦はなくなるんだろ? パクりも殺しも出来やしねー、あんなうっとうしい仕事を、ガマンしてやらなきゃならなくなる。タダみたいな金でさあ」


呼吸のよう、ニキビはそういう印象を抱いた。

ダラリとだらしなく、力を抜いた手首、軟らかく開いた掌に引っ掛かるような、ギミックナイフの僅かなきらめきが。


「ヤダよね、そんなん」


カチャカチャと、手の中で遊ばせて、やがてパチンと、飽きたように仕舞う。

ポケットの中に、するりと消えて見えなくなった。


「そういうのが平和だって言うのなら、俺はヤダよ、そんなの。乱世の方がずっと好き」


李通の体は、すらりと細い。そして、黒い服を好む。

細い線、黒い線。

血が目立たない色だから。そう、かつて言っていた。


「平和、なんて言うけどさ」


今度は、尻のポケットから鉄の棒をさっと抜いて、中指と人差し指で挟む様にして、軽く上に回して放る。

クルリ、と回された遠心力でスコン、と棒が伸び、そのまま指から離れてゆるり、ふわりと一回転し、李通の手の中に戻ってきた。


「実際には、そんなもん知らないワケじゃん。俺も、チビも、ニキビも」


ぺしり、と、濡れたような乾いたような、奇妙な「人肌の音」を、掌が小さく立てる。


「ブチ撒けたって、咎められるような事、無かったじゃんか?」


李通は言いながら、からかうように、ニキビを挟んで隣側にいるチビに向かって突き出した。

不意に突き出されたそれを、チビがひょいと、身体を反らして避ける。遊ぶように、ゆるゆると鉄の棒で追っていった。


「…………」


“太平の世を取り戻す”


軍隊を持つ者は決まってそう言い、戦争を起すが――――――

最前線で戦う兵士達は、およそ『平和』というものを知らない。

彼らくらいの歳の若者にとって、平和というのは話で聞くだけのものでしかない。彼らが物心付いた時から、すでに戦争というのは、当然そこにあるべきものとして存在していたのだ。

それが彼らにとっての常識であり、普遍的な感性・感覚なのだ。

彼らは、乱世で生まれていた。

乱世こそが日常なのだ。


ニキビは、自分自身、それほど過酷な家庭に生まれたとは思っていない。

私塾に通うことは出来たし、運よく郷里が戦場になる事もなかった。正常な社会というものを、肯定出来うるだけの倫理観や道徳観を、知識として養えるだけの環境には居た。

しかし、それでも現実問題として、戦争というものは身近なものではあったし、人殺し、窃盗騒ぎは日常の風景として組み込まれていた。

彼らが、誰からも特別、習うという事もなく、皮膚感覚として、極々自然に覚えてきたのは――――――

人を見たら泥棒と思え、物は盗られる奴が悪い、殺されたくないなら他人前(ひとまえ)で寝るな――――――という、危機意識。

そういう、彼らの危機感や考え方は、およそ、治世の中で育まれる感性とは反対側のものであった。

彼らにとっては、騒乱こそが平時であるのだから。

まして、李通らのような者の生まれた所は、社会性とは凡そかけ離れた場所。平和など知らない。だから当然、彼らもまた、そのように生きてきたのだろう――――――乱世の所作に従って。


「平和っつーのもさ」


遊ぶようにしていた李通が、少し、面白げに。

振り返って、黒金が光る。

不意に、ニキビの人中へと飛んできた。


「窮屈だと思うぜ? 案外。俺らにはさ」


ヒュッ、と、甘くない勢い。当たれば、骨は砕くだろう。


「――――っ」


腕組みした体勢のまま、スッと右手だけが、冷たい鉄棒に添えられた。

突きを、流す。

そのまま逸れて、それは、顔の横の空を突く。


「…………」


にやけ面の李通に、ニキビはしかめっ面、鼻だけの溜息で答えた。







灰色の煙がくゆった。ふわっと、宙を濁らせ、やがて融けてゆく。

人の流れの間をすり抜けて、風のように散っていった紫煙は苦い。

煙管のような、上等なもんじゃない。シケた安物の紙巻き煙草。惜しみもせず、品もなく。爪楊枝のようにかじって吸った。


「…………」


長身痩躯が、ゆらゆら尖った肩を揺らし、煙とともにすり抜けていく。力の抜けた、細い眼尻。

狐の様な男。

やがてそのひょろりと長い足が、その体を運ぶのを止め、ある大きな飯屋の前に立った時、咥えられたまま、小さくなった煙草を地面に静かに落とし、革靴の踵が、音もなく火を消した。





「ええい、待て、貴様ら! 今はまだ卵を投入する時ではない! 豆腐に火を通し過ぎるな! 春菊は速やかに湯揚げして食すべし!」

「うるせーぞ鍋奉行! 食えば一緒だっつの!」

「静かに食わんとそのニキビ、引き千切るんだな」

「つーかもう、豚でも牛でも魚でもいっぺんに入れちゃえばよくね? 一緒じゃん。どれも美味いんだし」

「店員! メンマを! もっとメンマを寄こせ!!」

「馬鹿者ぉ!! まだ煮えておらんだろうが! 肉は野菜の旨みが染み出してから、チビ、デク、まだ箸を漬けるな! 大体、それはまだ生だろうが! それに趙雲! メンマは鍋に入れるでない……ああっ、だからまだ早いというに! というか李通、魚と獣の肉を一緒に入れるな! だァー!! もう、信じられん!!」


クツクツと沸き立つ鍋。絶叫するニキビを一顧だにせず、四者の箸がそこに群がる。


「凪ぃー!! あかん! 七味は瓶ごと入れたらあかんぞォー!!」

「ん? 何か間違ったか?」

「何が、やて?」

「言うなれば、“すべて”なの」


そのすぐ隣の鍋では、さながら火薬調合の図のような食事風景が繰り広げられていた。


「ん~! おいしっ♪」

「こら、天和。肉ばっか食ってないで、豆腐も食べんさい、豆腐も」

「ちょっとぉ、武蔵さん。ちぃのしいたけ食べちゃってよ」

「鍋なんだから、好きなもん取って食えば好かろう」

「じゃあお姉ちゃんは、おっ肉、おっ肉~♪」

「お前は少しは満遍なく食え」

「ぶぅ」

「そうよぉ、姉さん。ちぃだってお肉食べたい!」

「……二人とも、わかってると思うけど、お腹周りが二尺を超えたら罰金だから」

「「うッ!!」」


箸を口に含んだ体勢で、ピシリ、と、地和と天和が固まった。

今期の目玉公演、『数え役満☆しすたぁずライブツアー~夏も戦火もぶっ飛ばせ! 兗州で会いまshow in the 初平元年~』では、夏季らしく開放感を強調した、腹周りを含めて肌を多く晒す衣装が基調とされている。以前、甘味をドカ食いしてしまい、「姉さんたちは意識が低い」と人和を怒らせてしまった事を二人は思い出した。

三姉妹の財布を一手に仕切る人和の怒りを買うことは、彼女達にとって神への反逆にも等しい。二人の箸の勢いが止まったのを目敏く見逃さず、その間に座っていた大男は、さッと三つ、四つの肉を、自らの取り皿に掻っ攫った。


「「あー!」」


二人が気づいた時にはもう、それはすでに口の中。


「ふむ、旨し」


“飛ぶ蠅を掴んだ”という逸話を持つ、その箸捌きは伊達ではない。


「…………いい気なもんだぜ」


その様子を遠くから見ていた、一人の客の男が、ぼそっと頬杖を突きながらつぶやいた。

三つの鍋、豪勢な食材を囲む、その大所帯の景気の良さとは対照的に、他の客の机にあるのは、手軽な一品料理、もしくは質素な定食が殆どだ。


「この物不足のご時世に、あれだけの材料を集めて鍋をやるのに、一体どれだけの金が要るんだか」


庶民的な食卓を囲む、その離れた席に座る、二人組の男性の片割れが、続けて、皮肉げに言う。

豆腐の原料となる大豆はシルクロード経由で印度、唐辛子は海から黄河や長江を伝って渡来人が、それぞれ中華の外部から持ち込んだものであり、特に唐辛子は、大変希少なものである。

中原の穀類は麦の他にはアワやキビが主流で、彼らが椀に盛っている米などは、大部分が荊州地方との交易で仕入れられるため、割高である。白米などは非常に高価な代物だ。

魚などは、海に面した地域からの輸入、それも鮮度の落ちやすい食材なので、極々、数は少ない。

どれも、漢のちょうど中央に位置する兗州にあっては、庶民の口にそう易々とは入らぬ珍味ばかりである。まして現在は世情不安、曹操の所領は比較的安定しているとはいえ、未だ軍隊が何処かしらに出征している時世である。庶民階級の間では物は依然として、余るという事はない。

毎日の食を如何に確保するかに腐心し、雑穀飯に漬物と副菜一品ずつばかりの、質素な定食を食む一般市民が集まる、この大衆食堂の最中で、その一団はそれらの贅沢品を、何ら惜しむことなく鍋に詰めて、次々と口の中に放り込んでいった。


「全くだ。あいつらの金の出所は、みんな俺らの税金だってのによゥ」

「所詮は手余りモンの集まりだってのにな」

「全くだ。聞けば奴ら、夜盗上がりのような奴らまで混じってるって話じゃねえかよ」

「おうさ。それに、あの曹操様は反董連合の折りで、胡人の将軍とその部下の兵を丸ごと降伏させたもんだから、そいつらの食い扶持を賄う為に、また俺たちの税金が高くなる。やってらんねえぜ」

「全くだ。社会じゃ糞の役にも立たねえ乱暴者の集まりのくせに、人殺して稼いだ金で良いモン食いやがって。ンで、それを養ってやってる俺たち平民の生活が、その分貧しくなる。ふざけてやがるな」


愚痴が愚痴を呼び、会話が重なっていく。

茶を飲むたびに、呼び水になって声が大きくなる気がした。


「――――――じゃあお前ら、俺らの代わりに戦に行ってくれるかい? 俺ァ、それでもいいぜ」


頭上からの声とともに、一方の男の肩を、ポンと叩くものがあった。

少ししゃがれ気味の、草臥れた狐のような声。二人はピクリとして、くるりと振り向く。

が、そこに既に人影はない、店の客と店員とが行き交うばかりで、声の主と思しき者は居なかった。


「……?」


きょろ、と、互いに顔を見合せて、もう一度だけ、辺りを見渡す――――――

その脇で、黄色い頭巾を被った、長身の痩せた男は、再び声を掛けることはなく、何食わぬ顔で、足音を店の雑踏に紛らして消したまま、気付かれる事のないまま、スッと横を通り過ぎて行った。





「あ、アニキーぃ、こっちっすよー」


小男と大男が箸を止めて、気さくに手を振ってきた。

目だけで、それに応える。


「おう、来たか」


鍋を突く、若者の集団。武蔵隊の中でも特別、俗に武公組と呼ばれている連中――――――武蔵隊の前身であった、黄巾衆と大梁義勇軍の混成が中心となっていた浪士隊以来からの草創期面子であり、現在の小隊長格である黄巾三人衆に大梁義勇軍の三羽烏、、それに李通と、半ば押し掛けの様な形で直弟子を名乗っている趙雲、隊長助勤を務めているニキビを加えた、特に隊長・武蔵に近しい面々。

その集まりの中で、一番奥に、一番どっしりとして鍋を突いていた屈強な総髪の大男が、食卓に視線を落としたまま、平坦な声でそう言った。


「何もこんな人目の集まる場所で、これ見よがしにこんな豪勢なモン食う事ねぇでしょうに」

「ん?」


穿袴の衣嚢に両手をひっかけて、崩れた格好で立つ長身の男が、その、耳に残りやすい落ち着いた嗄声かれごえを、気の置けない風な声色にして言った。

向い側に座る、麒麟の鬣のような髪を束ねた大きな男は、聞いていると聞いていないの中間のような抑揚の語気で、食べながら会話を続ける。


「俺ぁ、宮庁の食堂でも良かったんだがな。あそこに兵士(おまえら)を入れるにゃ、ちと面倒な手続きが要る」

「いつもの料亭でいいじゃないですか」

「あそこはダメだ。堅苦しくてかなわん」


視線を落としたまま、もぐもぐと白菜と肉をいっぺんに頬張り、声だけで相対する武蔵に、ノッポは肩を竦めるようにして、軽く笑みを浮かべた。

要するに、武蔵が鍋を食いたい気分だった――――――というだけの話だ。材料は、こんな大衆食堂で菜譜として取り扱いされているようなものではない、外から仕入れたのであろう。

量も経費も気にせず、豪勢な食材を全部鍋にぶち込んで、わざわざこんな下町の食事処に出張って、突っついているのだ。

しかも大所帯、それも人目に付く三姉妹を連れて、周囲の視線は全く意に介すことなく。

この辺りの勝手気ままさが、いかにも武蔵らしい。


「ノッポさんも立ってないでぇ、ほら、食べよっ」


武蔵の右隣に陣取った天和が、ほわりとした、いつもの甘ったるい声で、ノッポに席に着くことを促す。

なぜだか、武蔵は彼女に気に入られたらしい。食事をするとき、彼女は大抵、武蔵のそばにいる。

武蔵はと言えば、天和がノッポにパタパタと箸を持った方の手を振りながら、ふんわりとした笑顔をノッポに向けて、手元から目を離した隙を見計らい、彼女の、相変わらず肉と魚しか入っていない取り皿に、野菜をひょいひょいと乗せていた。

一拍遅れで、視線を膳に戻し、天和がそれに気づく。


「あんっ、野菜ぃ」

「しっかり食えぃ」

「……はぁい」


ノッポはそのやり取りを見つつ、少し笑い、武蔵に軽く会釈するように視線を送って、その向かいの椅子を引いた。

その時、ふとノッポは、此方を覗くように窺う、ひとつの視線が向けられていることに気づく。

ノッポは口元の髭を和らげ、その視線の元に、強面にすこぶる似合わぬ愛想の良い笑みを浮かべて、手を振ると――――――人和は慌てて眼鏡越しの眼を伏せて、やや頬を紅潮させ、一瞬置いて再び、おずおずとして視線を上げると、遠慮がちに覗くような上目遣いで、コクンと少しだけ、頭を傾けるようにして、応えた。





「――――――蟹っ」

「うむ、蟹だ」


ずっ、と汁を啜り、パッと目を開いたノッポの第一声が、それであった。

武蔵はその声に反応しながら、やはり視線は鍋と自らの手もとのままで、黙々と食っている。


「チビとデクと兄さんらは、いっつもしすたぁずの公演に行っとるやん」

「ああ、行ってんよ」

「親衛隊員の義務なんだな」


元居たメンツの方では、既に食事が一段落付き、とりとめのない雑談が繰り広げられていた。

ノッポは飯の上に汁をかけて、雑炊を作って頬張りつつ、目と耳だけで、それを聞く。


「ああいうのって、招待状とかで行ってんのん? 今度ウチも行ってみたいねんけどー」

「何ぃ!? なんて甘えー事を言ってやがるんだテメーは!」

「これだから! これだからシロートは困るんだな!」


頬肘を突きながら、何気なく言ってみた真桜に対して、チビとデクが大げさに、ピシャリと頭を抱えてみせる。


「本人に直接貰った券で行ったら“応援”にならんだろが! なっちゃいねえぜ、作法ってもんがよォ!」

「自腹を切って正規の手段で入場券を購入し、夢のひと時を提供してもらう! それがファンとしての心構えってもんなんだな。そもそも……」


熱弁をふるい始めた二人に、「藪をつついてヘビが出よった」とばかりに、真桜は渋い顔をした。


「……要するに、“お祭り制キャバクラ”なのー」

「ヤれる分だけキャバのがマシだろ」


激論を展開する二人の傍らで、沙和が思いつくまま、ぽそっと呟いた。

それを、“お気にの娘を選んで貢ぐ”という一要素に纏めて、ざっくばらんな一言に変換する李通、この辺り、黄巾三兄弟とは一生合わない部分だろう。

その対面の席、グッズ販売や人気投票など、親衛隊員らの金を吐き出すための、あらゆる企画を次々に打ち出す、販促経営を兼任せし、しすたぁずの頭脳、ブリッジに人差し指を添えた人和の眼鏡が、キラリと光った気がした。


「で、旦那」

「うん?」

「蟹食うために、俺らを集めたわけじゃないでしょう?」

「いや、半分以上は蟹の為だが」


腰を立てた、ぴんと伸びた背筋で、ずーっ、と、武蔵は一杯の汁を飲み下す。


「東平の方の敵軍が、思いのほか粘りよるらしい」


空の器から口を放し、ふう、と溜め息のような息をひとつ吐くと、ぼそりと、呟くようにそう言った。


「すると、東の方で?」

「ああ、秋蘭と稟が出てる方だ。会戦では勝ったが、山林の方に退いた敵の掃討に手を焼いているという」

「へえ」

「賊の首魁が、指揮も自身の槍捌きも中々に達者らしくてな。秋蘭が二度ほど肉薄したらしいが、結局、討てなんだと」

「そいつの名前は?」

「確か、関行」

「関行……」

「知ってるのか?」

「いえ、別に」


そこまで言葉を交わすと、ノッポはスッと武蔵から視線を外し、横に流して、杯に注がれた冷たい茶で口を湿す。


「さて、食ったか、お前ら」


低い声が通った。

食事もそこそこに、談笑を始めていた各人――――――真桜と凪が、それぞれ魚の切り身と羊の肉を口から食み出させたまま――――――ぱたりと口を閉じて、武蔵の方を振り向いた。

武蔵は静かに、ゆったりと背もたれに身を預けている。


「そろそろ行くぞ」










――――――彼らが店を後にした、その日からわずかに二日後、彼らは既に戦場に居た。

武蔵隊――――――曹操軍で初めての純兵制が導入された部隊であり、常に最前線に投入され続ける者たちである。


とっくせんたい! とっくせんたい!

このサビがループして耳から離れぬぅ!

ベジータに出王子という綽名を最初に名付けた奴とはたぶん仲良くなれるが、

ベジータが出てくるたびに「出王子ww」とコメする奴とは、おそらく話が合わない。

あれはベジータの本編でのストイックさやシリアス性があってこそのネタなんだよ!!


まあ、なんだ。ゼノギアスは神ゲー。それが言いたかった。


お盆の時に実家帰ったんだけど、わんこに突撃タックルを食らった上、前足を両手に掛けられた挙句、手をべろんべろんに舐められた。なぜか顔は狙わず、手を集中攻撃な我らがわんこ。

放し飼いだから爪とか伸びっ放しだよ。なんだよあの牙。

あいつらその気になったら人間とか八つ裂きじゃね?

まあそんなこんなでじゃれ合い、着ていたTシャツをドロドロのビリビリにされ、身体をさんざん涎塗れにされ、俺は茫然とわんちゃんにされるがまま弄ばれましたとさ。

しかし、年に数回しか会わんのに俺が来たら駆け寄ってくるんだから、可愛いもんだぜ。ククク、雌犬が……

いや、男の子だけど。長生きしてな。


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