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なぎの間編・五十七話――――――「平治の澱み」

蒼天。中天に煌々と日輪が照り上がり、きらめく太陽光が海原に跳ね返って、燦々と包む。

どこまでも、果てに出ずるまで吹き抜ける様な快晴、それに負けぬほどに眩しく、真っ青な大海。広大な天海の狭間で、その男の眼光は、ひたすらに研ぎ澄まされていた。

一言も、発さぬ。揺られる舟の上で、立ったまま、身体の平衡を全く崩す事はない。大虎のような肉体を仁王立ちさせ、琥珀の双眸だけが、並々ならず、鋭さを増す。

やがて男を乗せた船が、その小さな砂州のような小島に沿い付けられた。


男の名は、宮本武蔵。


巨躯が、獣の様な敏捷さで翻って、浜の上に飛び降りる。砂にザンッ、と着地すると同時に、携えていた得物――――――櫂を削って作られた木刀の切っ先が、引いて寄せて来た波の中に隠れた。

小指の端に、木刀の重みが引っ掛かっているのを確認すると、にわかに、全身に血液が巡り渡っていくのがわかった。

体温の上昇、筋肉の隆起。湧き上がる闘争心が、体のあらゆる箇所で増幅される。興奮を感じていた。

――――――準備は、既に出来ている。

眉間の間に、皺が寄る。琥珀の両の目を凝らして相手を見据えるその威圧感は、もはや狼や熊などとは、到底、比して評せる類の物では無かった。

内に秘めた、情動の塊。暴発させぬよう、努めて抑えつつ、正午の快晴の中の、己が敵を視止める。戦うべき、敵を。

巨大で分厚い身体が、さらに大きく。そのまま、目の前に立つ者を一挙に飲み込んでしまいそうな、そんな気迫がありありと立ち昇っていた。


「――――――っ」


だが。その眼光が、はっきりと敵の姿を捉えた時、男の、武蔵の熱した目の裏から頭の後ろを、ふっと空気の塊が通り抜けて行った。

拍子抜け――――――感じた感覚の事を、そう言って良いのかはわからない。確かなのは、思い描いていた想像との、明らかな乖離。

細い。小さい、老人であった。

上背は決して低くない。むしろ高い。類稀な巨躯である武蔵と同程度ほどのものだろう。だが、それでも小さい、そう感じざるを得なかった。

あまりに薄い、身体の線。痩せ細った枯木の様。長い髪は殆ど白髪で、わずかばかりに黒が、埋もれる様にして残っている。

白く濁った瞳は、やや見当違いの方を彷徨っていて、武蔵の視線と線を結ばぬ。否、視線、というものがそもそも無いのだろう。もはや、視えぬと見えた。

とても雄姿とは呼べない、頼りなげな、老いた身体。

音に聞こえた燕返し。それが天下に轟いたのは、もう二十年以上も前。確かに、こうなっていてもおかしくはない。だが、実際に目の当たりにすると、それは余りに……


「…………」


――――――しかし、手を抜く事はない。

真剣勝負は、命の遣り取り。例え女子供でも、容赦はせぬ。有ってはならぬ。

殺すのだ、確実に。最後の最後で、一縷の手心なり余裕なりを残せば、それによって喉を噛み破られるやも知れぬのだ。

やると決めたからこそ、此処に来たのだ。お互い覚悟があるからこそ、来たのである。

やらねば、やられる。それでは遅い。やると決めたら、やるのだ。どんな形であっても。

老人がゆっくり、本当にゆっくりと、剣を抜く。背負っていた長剣をわざわざ身体の前まで持ってきて、両手を開いて、ゆっくり抜く。抜き切ると、鞘はそのまま、砂の上に捨てた。

――――――武蔵は、一言も発さない。一言も発さないまま、琥珀の眼の奥に、再び火がともった。

武蔵は脇に下げておいた櫂を、高く上段に掲げる、最初、間合いを図らせにくくするために、半身で切っ先を下げ、波間に切っ先を浸からせて全貌を隠した。しかし、相手の目が視えぬとあらば、その配慮は必要ない。故に、さらに一撃の速さを重視した構えに変えた。

厳流が、長剣の使い手であると云う事は知っていた。それに備えて、長い間合いに対抗する為に櫂を得物とし、厳流の優位を消しつつ、自身はその有利を用いて、初太刀に先の先を合わせる。

そういう戦法を想定し、そのための稽古を行って来た。それがための上段である。

寸前の間合いを保ちつつ、相手が動いた所に被せる様に打ち込み、速さと距離の有利でもって、相手の脳天を穿つ。その瞬間を狙って、上段から八双、と構えを可変させつつ、琥珀の双眸を注視させ、相手の一挙一動を、さながら、肉食動物の様に窺う。


互いの呼吸、それに潜む互いの隙。それが剥き出しになる、刹那よりも短い瞬間を奪い合う。

それが、武術。

その拍子を、決して逃しはしない。一気に、噛み切ってくれる。油断も無い。手心も無い。

かつて、天上人と謳われた剣豪。

殺す。


そういう殺気が、武蔵の血の中に充満していった。


「…………」


老翁は、静かだった。ゆるやかに構えて、たゆむ様に長剣を持つ。潮の匂いのする風が、長い白髪を散らしていく。

じりっ……と、武蔵が摺り足で、少しずつ間を詰める。いよいよ、手が届くという所で、見合った。

海が、空が、空気が。両者の間に、存在する全てのものの呼吸が止まった様な、真空の一瞬が生まれた。

翁の白く濁った目が、そっと閉じられ、唇が少し、開く。その、刻――――――

老人の、肘から先が消えた。まるで、灰色の幽霊の様に。


「ッ!!」


消えた。

本当に、そう感じた。


気付いた時には、通り過ぎて行った。一筋、真っ直ぐに流れた銀の線。

武蔵は、反応できなかった。刹那と刹那の間に生まれた、真空――――――それを経て、即座に武蔵の時間が戻り、全身の血が逆流して、全神経が反応する。

目の奥が覚醒する様な感覚があった。視線には、振り切られた三尺余りの白刃。ほんの一寸ばかり距離の短い所で、既に初太刀が打たれていた。

すぐさま翻り、体重移動しつつの、さらに深く入る、二撃―――――燕返しが返ってくる。咄嗟に、無我夢中で、武蔵の全細胞が弾けた。呼吸も血液も、すべて凍って、止まった感覚があった。殆ど目をつぶる様にしながら、ただただ、必死に振り降ろした。

目標を見ず、下を向いたまま打つ――――――

どうなったのかはわからない。ただ、右の手首の骨に、響いて来るような手応えがあった。


「…………ッ!」


殆ど前後不覚。無我夢中で振り降ろし、やがてはっきりした視界が戻った、すぐ後。下を向いたまま相手の気配を探すが、見当たらない。

パサリ、と落ちた布切れに反応して、はッとして、即座に一足、跳び退いた。

獣の様に身を弾き、着地した所で、砂に足を取られて、ややもつれる。そうして、ばっ、と視線を上げる。

小さな老人が、枯木の様に倒れ伏していた。

右片手に長剣を抱きつつ、うつ伏せ、前のめりに倒れている。その近くに落ちていた、渋柿色の布を認めて、それが漸く、自分がしていた鉢巻きだと云う事に気が付いた。

ぶはっ、と、肺の詰まりが取れた様な気がした。知らず知らずのうちに、息を止めていた。

二酸化炭素の塊が、一気に肺から吐き出され、新鮮な空気が入れ替わってくるとともに、我に帰る。

斬られた感触は無い。最初の一打、厳流が放った僅かばかりに間合いの足らなかった白刃が、鉢巻きだけを断ち切ったのだろう。それが武蔵の額から離れ、地面に着くまでの間に、返しの燕の刃と、武蔵の振り降ろしが交錯した。それが決着となった。交差した互いの打ち込みは一瞬だけ、武蔵の剣の方が僅かに速く届き、厳流の額を割ったのだ。


「武蔵だッ」

「武蔵が勝ったッ!」


わっと挙がった歓声、それに対して武蔵が我に返った様に、はっ、として、そちらを見遣る。立ち会いの細川藩士二人だった。

それを機に、武蔵の全身が、ぶわりと噴き出る汗を感じ取った。これでもか、という程に、身体が熱くなったのを感じた。

再び、視線を戻す。先程と同じ、うつ伏せに倒れ伏した、灰色の、枯木の様な老翁。

未だ、熱を持っていかる身体を揺らし、足早に武蔵は、小舟に飛び乗った。




「…………」


この、舟島に来た時と同じ航路を辿って、本土へと戻る。

武蔵は、立ったままであった。座る気にはなれなかった。

全身の感覚を忘れていた。時が止まった様な、濃密で圧倒的な一瞬だった。

それほどの集中力――――――全細胞の大活性。立会人の歓声によって途切れたと同時に自覚し、戻って来た、感覚と体温。今は少しずつ静まりつつあるそれらを丹田に鎮めつつ、武蔵はあの一瞬を思い起こす。


――――――消えたと思った。気付いたら、もう、打たれてた。


勝つべくして、勝つ。そう臨んだつもりであった。

厳流の剣、その対策、用意は抜かりない。此処に至るまでに重ねた、真剣勝負。不敗の戦歴。

だが、あの一撃、武蔵は、身動き一つ取れなかった。

刹那と刹那の狭間の、一瞬。武蔵の“隙”は奪われていた。


「…………」


あの、目。

あの白く濁った目がもし視えていたならば、あるいはあの老人の身体が、自分と同じ程に若かったのなら、あの一打、短くも、逸れても居なかっただろう。

倒れ伏した、恐らくは骸の、袖から垣間見えた、痩せ細った手首。水を弾く皮膚を被った、鋼の様な筋肉の鎧を纏う自分とは、似ても似つかぬ頼りなさ。にも、関わらず。

ふと、視線を下に落とすと、袴の膝当たりが、一尺ばかり斬り裂かれていた。

一打目だろうか、二打目だろうか。それさえも、判断がつかない。


(…………これは――――――勝利なのか?)


もし、対等な条件であれば。立っていたのは――――――琥珀の双眸を細め、睨むように、空と海の遠くを見つめる。混じる場所を、探す様に、遠く。

海原に、武蔵の心の問いに答える者は、誰も居ない。

ただ、潮風が撫でてゆくだけだった。





「国、破れて山河在り。城、春にして草木深し」


各地に乱が勃発し、地方の諸侯は独断で動き始めた。

董卓体制を打倒し、新たに王允を最高執政官として発足した新政府だが、すでに諸侯を纏める支配力が無い事は明らかであった。

さらに、地方で割拠し始めた勢力の中には、皇帝、王公を自称し、殊更に漢帝国からの独立を宣言する者まで出始める。


「時に感じて花にも涙を注ぎ、別れを恨んで鳥にも心を驚かす……」


もはや、時代の臭いは濃厚だった。

誤魔化しようがない、大帝国・漢の崩壊。そして――――――


――――――乱世の到来である。





「縁起でもない詩を詠ってくれるなよ」


司令室の机に座って、頬杖を付いたまま図面と睨み合いを続ける公孫賛が、ぼそりとつぶやいた。

その傍らで佐々木小次郎は長箸を使い、器用に焼き魚を解体している。


「既に漢は、四海を踏破した大帝国ではない。此処まで傾けば、もはや戻らぬだろう」

「そんな事、まだわからないだろう!」


深黒の瞳を一切、食卓から外さず、流れる様に紡ぐ小次郎の言葉に、公孫賛が机を叩いて反論した。


「未曾有の国難だからこそ、全力で立ち向かわなければならないんじゃないか! まだ私達の国は滅んだ訳じゃない、諦めるには早過ぎる!」

「それは、お前がやらねばならぬ事か?」

「当然だろ!? 私だってこれでも、国士として漢に見出されてこの椅子に座ってるんだ。今、国の為に働かないで、いつその恩に報いるっていうんだ!」


背骨を取り外し、骨から綺麗に身を取って口へと運ぶ。

舌と歯の間で、脂が弾ける音がした。


「古くから北に住まう民は、漢からの偏見と冷遇を受け続けて来た。故にこれを機に反旗を翻した北方民族も数多く居る。そして、お前はその血の流れを色濃く汲む出自でありながら、彼らを討伐する為に此処に来た」


公孫賛は代々遼西郡、漢人と胡人が交わって住まうかの地で、二千石程の勢力を誇っていた有力豪族の出身である。漢から官職を与えられ、幽州一帯を管轄する太守に任ぜられたのは、彼女より三代前である。

そして今、彼女は国境付近で帝国に反旗を翻した非漢人勢力の討伐の為に、自ら軍を率いて駐屯しているのだ。


「血は水より濃い、されど(えにし)はなお、深し――――――北方人種による帝国への反抗の気運高まる、この北の僻地にて、その中でも最大の勢力を持ちながら、空気を読まずに慣行通り、粛々と反乱を鎮め続ける、天の運行に甚だ疎い、その鈍さと生真面目さ」

「む……」

「民族より義理、革新より保守。何の変哲もなく、個性も無く、問題も無い。そのどんくさい真正直さが、公孫賛という士の美点だな」

「……褒められてるんだか、貶されてるんだかわからん」

「褒めている」


今までこちらを一瞥としなかった、美貌の顔が不意に此方を覗き込むように見つめてきて、反射的に、ドキンとして、顎を引く様に仰け反る。

小次郎は彫刻のような顔に面白げな笑みを滲ませ、長い長い人差し指を一本立てて、象牙細工に薔薇をあしらった様な自身の唇の前に、そっと添えた。


「真面目に勤め、律義に働く。平時の事を、平時のまま維持し、守る。人の鏡だ」

「そ……そんな大層なもんじゃないだろ! 私はただ、普通の事をやってるだけ……」

「普通、というのはしばしば軽んじられるが、偉大な事だ。誇っていいぞ。はみ出し者は、しばしば憧憬の眼で見られる事もある。社会に縛られず、人を顧みない。だが、所詮それは、屑だ。寓話や講談の世界で、無頼の徒がどれだけ持て囃されようが、実際には、狡さを持たぬ人間の方が絶対に偉い」

「……そ、そうか?」

「ああ」

「ふ、ふ~ん……なんていうか、改まってそう言われるとこっぱずかしいけどさ……」

「乱世には生き残れぬ類の人種だ」

「――――――っ」


照れ照れと、頭の後ろを掻いていた公孫賛が、がくーっ、っと項垂れた。


「正常な神経の者は、乱世には向かない。乱とは、文字通り(ことわり)が乱れて散らかっている状態を指す。無法の徒にとっては、魚にとっての水の中と同じだが」


小次郎はスッと立ち上がると、公孫賛の机の上から、水差しを持って、手酌で自分の杯に注ぐ。

酒でも茶でもない、本当に、ただの水。


「お前は、乱世には生き残れない類の人間だな」

「う……」

「乱世に生まれたのが悔やまれる。平時であれば、必ず人並みに成功していた」

「って、結局人並みかよ!?」

「凄い事だ。半分の人間は、人並みになる事が叶わないのだから」


くっくっと、小次郎が、滲む様な笑顔を作った。


「――――――平和が、全ての人間にとって良いとは限らん」


ひとつ、ポタンと、水面に落とされる様な語気で紡がれる。


「乱世でなければ生きられない人間もいる。俺もまた、そうだろう」

「なんだよ、自分は乱世向きだってのか?」

「俺は、俺が平時であれば奸賊の類であるという事は自覚している。正常な社会に俺の居場所は無い」

「それは、人と折り合おうとしないからだ」

「それが俺の性分だ。是非も無い。自分の呼吸と拍子に基いてしか、刻を進められぬ」

「…………」

「人と人の間と書いて、人間と読むらしい。その距離の推し量ぬ者、平和に馴染めぬ者は、人間としては欠陥だろうな。だが、そういう者が水を得た魚となるのが乱世だ」


水差しからゆっくりと杯に注がれる水が、小さな渦を作り、螺旋になって巻いていく。


(ゆえ)もまた、そうだ。あれもまた、乱世では生きられぬ類の娘だ」


そっと唇を付ける前に、月と云う名を水面に零した。

この、佐々木小次郎と言う麗人が公孫賛の元に参じたのは、虎牢関の戦いから二ヶ月ほど後の事。

呟いたのは、その剣腕を売り物に公孫賛に雇われた際に、彼の傍らに侍っていた、詠と月という二人の侍女の片割れの名である。

常に人を気遣い、自身を一歩後ろに引く、優しい少女。彼女の白い肌と銀色の髪を見て、公孫賛は深く素性を詮索する事を止めた。

反董卓の挙兵以降、胡人に対する風当たりは一層、厳しくなった。公孫賛もまた、北方系人種の血を色濃く引く。どういう扱いを受けるか、その辺りの事情は察しが付く。人目を忍び、流れに流れて、この北の辺境まで辿りついたのだろう。

そう言えば一度、小次郎が、


『この地に来るのは、初めてではない』


と言っていた事があった。

いつ頃、どの地方で、そういう詳しい事は言っていないが、かつて自身の故郷に良く似た、非常に寒く、乾いた気候の地に居た事があったのだという。そこでいくつかの戦争に参加した後、南へ、南へと流浪して、洛陽に辿りついたらしい。要領を得ない所も多かったが、話からして、恐らくは幽州の何処かではないか、と感じ、そこから、やはり小次郎もまた、北方の出身なのだろうと、公孫賛は結論付けていた。

尤も、実際にどうなのかはわからないが。


「実は、参加していたのは反乱軍方だ」

「何っ」

「その当時は区別がついていなかったか、後にして考えると、どうもそうらしい」

「む……」

「どうする? 改めて素性を聞き出すか、それとも、斬るか」

「…………う」

「やはりお前は、人が良い」


聞き逃せない、というような顔を作ったものの、結局、何も言わずにしかめっ面だけ浮かべて黙った公孫賛を見て、小次郎は愉快そうに笑った。


「ともあれ……乱を望み、それを迎え入れる人間もまた、確かに存在すると言う事だ。皆が皆、平安を望む訳ではない。乱世がもたらす糧もあろう。奪う命もあろうが」


微笑みを湛えたまま、水底(みなぞこ)をさらさらと流れる様な声で、小次郎は呟く。

小次郎が剣客として雇われているのも、ひとえにこの、乱世という事情があればこそであろう。

“人間”と言っても、それは様々な間がある。平世においての人の間、乱世においての人の間。

人の間で折り合って生きることに、最も馴染めぬ人間が、人を斬るという才に最も秀でた人間であった事は、やはり宿運というものなのかも知れぬ。


「はぁ。まあ、何でもいいよ。とにかく、働いてくれれば」

「人は少ないか」

「多かったら、私自ら戦地に来て、しかもこの場で流民受け入れの政策草案なんてやらなくていいんだよ……前に趙雲って奴が居て、色々やってくれたんだけど、どっか行っちゃうし」

「知らぬ名だ」

「宮本武蔵がどうとか言ってたけど。結局、曹操の所に行ったっきりだもんなあ。曹操が羨ましい……」



「   ・   」



「武蔵は」

「ん?」

「武蔵は今、何処に居る?」

「は? 知らないよ。趙雲が追ってったのは、竹村政名って奴だし。まあ、でも、幽州(ここ)に居るって話は聞かないから、もっと南じゃないか? 此処が漢の最北端だしなー」


何でもない会話のように、言葉が流れて行く。

なんでもない――――――なんでもない?


「とっ……殿ォォォォッ!!!!」


たゆたうような空気が、走り込んで来た一人の衛兵の声によって、吹き飛んだ。


「どうした! 敵軍に動きがあったか! 劉備はどうしている?」

「い、いえ……」

「なんだ、言ってみろ」

「え、袁紹が…………袁紹が幽州に攻め入って参りました!!」

「何――――――?」


予想外の報せに、公孫賛の思考は一瞬、停止する。

はッとして、すぐさま伝令に問いただした。


「どっ……どういう事だ!? 何で、袁紹が私達に攻撃を仕掛ける!?」

「え、袁紹の言い分によれば……殿が北方の異民族と手を結び、漢への反乱を企てていると……その討伐の兵だと……」

「なっ…………私達が今、戦っている相手が、まさにその烏丸じゃないか! そんなデタラメな話が――――――」

「お前が乱世で生き残れぬであろう理由の一つだ」


青天の霹靂。驚きを隠せずに狼狽する公孫賛に、すらりと、再び立ち上がった小次郎が、低目の声を上から被せた。


「保守的であるが故に、時流に疎い。正直であるが故に、人の悪意に気が付かぬ。もはや漢に見切りを付けたのは庶人のみではない」

「……っ!! くっ……」


共に漢の臣同士、にも拘らず、これみよがしな侵略戦争。しかもそれに踏み切ったのが誰であろう、漢朝きっての名門・袁紹。

もはやそれほどに、“乱世”なのだ。

よもや、漢の国士として、国家の為に尽力する筈の朝臣が、そのような行動に出るなど―――――頭に掠めもしなかった自分に歯噛みする。


「きゅっ、急信、申し上げます!!」


唇に八重歯を突き立てた公孫賛の元に、今再び、新たな兵士が飛び込んできた。


「袁紹の大軍が、薊に進駐! その軍容を持って周辺の領域を威圧しつつ降伏を促し、すでに広陽郡の過半域を掌握した模様! さらにその本隊から騎兵七千を分離し、猛烈な速度で此処、漁陽へと向かって来ているとの事でございまする!」

「……っ!!」


驚愕するべき報告に、公孫賛は息を詰まらせた。

州の治府が置かれる薊。それを含む広陽郡。それが、既に袁紹の手に落ちたと云う。

袁紹の攻撃という情報だけでも寝耳に水、その上でこの急襲。もたらされる報告が、悉く公孫賛の理外のものであり、背中の毛穴が泡立つのがわかった。


「公孫賛、今すぐに退き支度をしろ」

「何っ!?」

「進軍の速さ、諸領を降伏させるまでの速さ、実にすばやい。事前の周到な用意と根回しがあっての事だろう。敵の軍師はやり手だ。隙は残すまい」

「……っ! 郭図か……!!」

「早急に軍を纏め、北平まで退け。一刻でも遅れれば虜になろう」

「くっ……わかった。護衛を頼む」

「それは出来ない」

「はっ?」


長い黒髪が、揺れる。

漆黒の瞳が、一つ、瞬きをした。


「行かねばならぬ場所が、ある」


彼は、すくりと立ち、凛とする。

凍る月の、如く。


蒼天人であり、かつアイマスpであるというマイノリティの諸君、ニコニコにて平蜘蛛pという方の動画を見てみたまえ。

豪壮過ぎて鼻血確実。


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