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反董卓連合編・五十三話――――――「闘いの終わり」

「凪。兵を纏めてくれ。とっとと華琳らと合流する」

「はっ!!」


その騎馬と交錯した瞬間、赤毛の馬体に跨った小柄な身体は、遥か後方に弾き飛ばされた。

愛馬を蹴歩させ、春蘭に止めを刺さんと得物を振り上げた瞬間、がつんと顎が跳ね上がって、突っ掛かるように落馬し、派手に地面に背面を打ちつけ、もんどりうつ。

突然、背中の重量を失った赤毛の巨体が、空馬のまま春蘭の傍を走り抜けていった後、きょとんとした顔で振り返る。

居たのは――――――美しい毛皮を、青く煌めかせる妖艶な雌に跨った、大柄な男。

趙雲、楽進を侍らせ、青毛の愛馬を駆って現れた武蔵が戦に割り込んだのだ。


この上なく優美な馬体を誇る、雄大な牝馬。少女の駆る、赤毛の馬と同等程に大きい。

この戦場と血の匂いが心底嫌いな“貴婦人”に、無理を強いて此処まで疾走してきて貰ったのだ。武蔵は後で馳走を用意せねばなるまい。


「くそ……貴様、また遅刻か……いい加減にその癖は直せ、まったく……」


憎まれ口と、溜息。おそらくは、安堵のそれ――――――

ほっ、と、唇から紡いだ瞬間、春蘭の構えが崩れ、力が抜ける様に、右膝が落ちた。


「! 春蘭、お前……」

「ああ……何……転んだ拍子に、零れ落ちてしまってな……はっはっ、旨そうなので、つい食べてしまった」


貴婦人から下馬した武蔵に目の事を尋ねられると、春蘭は目をそっと左掌で覆う。

冗談めかして笑っているが、顔が青ざめている。汗の量も尋常ではない。


(気迫だけで立っていたようなものか)


脳に非常に近い所で神経が繫がれ、血管が幾重にも集中する、人体の中でも急所中の急所――――――目。

見た所、眼球を貫き、その奥まで傷が達している。流血もかなりある。身体への負担は相当なものの筈だ。

よくぞ、立ち上がったものだが――――――危険な状態である事は疑いない。


「………………」

「うん?」


そんな最中、仰向けに倒れていた少女が、おもむろにむくりと起き上がった。


先の一合――――――春蘭に向かい、再度の突進。戟を振り上げ、打ち込む刹那、戦場に飛び込んできた武蔵は空手のまま左手で少女の先手の手首を取り、右の掌底で顎を弾き上げた。

素手の当て身ではあるが、加速のついた百三十貫級の大型馬同士の交錯と、二十五貫を超える巨体の武蔵の掌打の威力とが、あの小柄な肉体の顎にまともに入ったのである。

並なら、それこそ死んでいてもおかしくない。その威力は、わざわざ書き連ねるまでもなく、あの細い首がむちうちになり、体ごと馬上から吹っ飛んでいったさまを見れば、誰にでも一目瞭然。

武蔵の掌に残響深く残っている、ガツンと一直線に、肩まで抜けていくような手応えが、その衝撃が如何に強烈なものであったかを物語っている。


「……星、春蘭を頼むぜ」

「御意」


にもかかわらず、むくりと起き上がった。眠たげな眼で、何事も無かったかのようにけろりとして。


「――――――驚いたな」


少女はかしかしと頭を二、三、掻き混ぜ、赤毛を揺らすと、すくりと立ち上がった。

同じ赤毛でも、武蔵のそれとは少し色味が違う。彼女のは、より紅色に近い。

武蔵は柄に左手を引っ掛け、歩み寄る。ゆらりと。


「何ともねえのかい。我ながら相当、綺麗に入ったと思ったモンだが」

「………………違う」

「ん?」

「……頭、ぶつけた…………たんこぶ」

「はっはっ。すまん」


突っ掛ける左手を、そっと鯉口まで滑らせた。表情は自然なまま。

傍目には、少女のそれは、あるいは先程の無表情と変わらない、何を考えているのか解らぬ、けったいな類のものであったのかもしれないが。

後頭部をさわさわと撫でながら、彼女は、ぽそっと呟いた。

恨みがましく此方を、じとっと睨むその瞳が、武蔵には子供のふくれっ面に見えて。


「……名は?」

「…………………………呂布」

「……! ほう、お前が……」

「………………奉先でもいい」


笑みが思わず出たのは、何故だろう。

その表情があまりにも、年相応な少女そのものに見えたからであろうか。


『!!ッツ』


瞬き程の小さな間、その間に、互い、大小の影がぶつかった。

甲高い、頭の裏を掻きむしる様な音が響く。

交わった、銀と銀、赤と紅、二つの閃光。噛み合って、空気が軋る。


(…………間合いは五間はあった。にも拘わらず、初動から此処まで詰めてくるまで、殆ど無拍子……体重移動がまるで猿だな)


一瞬にして懐まで詰め寄って来た、ほぼ動作の起こりを見せる事無く。

神速の攻撃。振りかざされた刃の向こうに、あどけない顔がある。

抜き様に斬り上げた、武蔵の太刀の向こう側。


「………………」


振り降ろした、方天画戟。その向こうに、琥珀色の目玉がある。

そう。振り降ろした筈だ。

あの膂力で持って――――――


(…………?)


だがしかし、それは細い、幅三寸にも満たぬ頼りなげな湾刀によって遮られていた。

斬れない、いや――――――

圧せない?


「それはそれで、まあアリっちゃあ、アリだが」


武蔵がスッと腰を沈めた。

六尺を超える武蔵が、五尺と一寸程度の呂布よりも低く。胸元の辺りに、右肩を合わせる様に。


「っ!」

「お前さんと斬り合うにゃ、ちぃと時間が無さ過ぎる」


殆ど密着した間合いから、ドンッと右肩を抉り入れた。

およそ二倍ではきかぬであろう、両者の体重差――――――それが呂布の身体を地面から引っこ抜き、二間余りも吹き飛ばした。


武蔵はかつて、江戸柳生道場・高弟の一人であった大瀬戸隼人を、この当て身で沈めている。

大瀬戸隼人は骨格立派な武芸者であったが、武蔵の(たい)かましを受けて、数間余りも吹き飛んで転がり、手水鉢に背骨を打ち付けて、ようやく止まったという。


呂布もまた、尻もちをつき、勢い余ってそのまま後ろに転がったが――――――勢いに逆らわず、ひらりと身を翻して跳ね起き、鮮やかに体勢を立て直した。

すくっと背筋を伸ばし、こきん、と首をひとつ鳴らす。

大瀬戸がその場で昏倒し、後に半身不随で寝たきりになってしまったという、武蔵の当て身。それを受けて、何事も無かったかのように。


(やはり、まるで効かんか。が……)


両者の距離が、大きく開いていた。その間に武蔵は貴婦人に早々に跨り、どん、とやや乱暴に両のかかとで胴を締める。

貴婦人は、ブギッ、と、明らかに不愉快な表情と嘶きを発露しながら、すらりとした巨体に似つかわしくない機敏な脚で、秋蘭の方へと駆けだした。


「主っ!」


すでに馬に跨って、春蘭を担ぎ上げた星が武蔵を呼んで、短く叫ぶ。


「……ッ」


相も変わらず無言、しかし逃がすまい、と言わんばかり、なおも追う構えを見せる呂布に対し、武蔵は馬上から手裏剣を打った。


「呂布!」


呂布が一振りで、眉間に飛来して来た棒手裏剣を打ち落とす。

しかし、その隙で武蔵は負傷した秋蘭を鞍まで引き上げ、馬首を返した。


「そう急くな。また逢う事もあるだろう。生きていれば、な」


武蔵は自身の肩に秋蘭の腕を回させ、抱き止めると、そのまま駆けていく。

後方では、既に兵の群れが隊列を組んで動いている。凪の指揮であろう。

春蘭を担ぎ上げて相乗りさせた星が、武蔵の隣まで馬を寄せて駆けだす。

鬼人を戦場に一人、残して、武蔵はその群れの殿へと消えていった。




「星、春蘭の具合はどうだ?」

「……眠っています。気魄一つで身を支えていたのでしょう、大したものです」

「傷は?」

「傷そのものが脳に達している、という事は無いとは思われますが……眼底からの出血は早々に止めねば、脳へ血が廻らなくなっては事です。急ぐ必要がありましょうな」

「うむ」


風が強かに皮膚を叩いて行く。癖の強い茶味の赤毛が、バタバタと散った。

二つの駿馬は人間二人分の負担重量をものともせずに、集団の中を、前へ前へと上がっていく。


「姉者…………」

「ん?」


ふと、武蔵の腕の中から、呟きが漏れた。

短く吐く息の合間から聞こえて来た、風に散ってしまいそうな、か細い声である。


「姉者は、無事か……?」


濡れた吐息、そっと開かれた、澪のかかった眼、汗の滲む肌、露わになった素肌に走る、鮮血色の生々しい傷。


「……ああ、大丈夫だ。なんともない」

「そうか…………姉者の目、早く治してやってくれ、頼む…………」

「わかった。わかった。もう、大丈夫だ」


穏やかな、低い声で武蔵が語りかける様に囁く。しばらくすると、すうっと眼を閉じ、やがて穏やかな息を吐き始めた。


「……星、春蘭の傷口を、布でも当てて軽く圧迫してやってくれ。衛生兵に見せんとどうにもならんだろうが、気休め程度にはなる」

「はっ」

「この軍の指揮は、凪に任せる。急ごう」


――――――左目はもう、視えないだろう。

ふと、頭の底の方をそんな考えが過った。

武蔵と星の騎馬が本陣を目指して、さらに速度を上げていった。




「………………」


鬼人、一人。足元を捲く、戦場の血埃。

肘のあたりまで飛び散った、夥しい返り血。方天画戟の吸った、数十人分の血脂。長大なそれを抱く、呂布の小さな掌に残るのは、先程の男の手応え。

呂布が一歩を踏み出した時、あの男の刀は、未だ鞘の中にあった。柄に手を掛けた時、既に呂布は男を自分の間合いに捉えていた。確実に、眉間を割れるタイミングだった。

しかし、そうはならなかった。

あの太刀遣い、まるで幻影のようだと――――――呂布は、そんな風に感じていた。

呂布には、それがどういうものであるか、と、言葉で巧みに説明するだけの語彙はない。だが、感覚で確かに、感じ取っていた。

今の今まで鞘に納められていた筈の刀が、不意に、まさにいきなり、いつのまにか目の前に現れる様にして、方天画戟の刃を防いだのだ。起こりはおろか、挙動すら目にも止まらぬ抜刀。そして時間差無くそのまま打ちにかかる、抜くと打つが全く一本の流れとして繋がれた遣い様。初めて目にする剣法であった。

いや、あえて言うならば……あの黒髪の女将軍の剣。攻撃を受けてから、すぐさま反撃に移ったあの剣捌き。あれが、少し通ずる匂いを持っていた気がする。

不思議な事はまだあった。あの一撃を、呂布は間違いなく振り切った。力が余すところなく、敵にぶつかる感触があった。

にも関わらず、あの男は、一歩も後ろに押される事は無かった。

あんなにか細い得物であるのに――――――まるで、地面に杭打たれた鋼鉄の柱を打ったような、そんな手応えがあった。

体格差? 違う。呂布は自分の三倍も四倍も大きな相手を、今まで幾度となく、一振りで両断して来た。平面の勝負で、二倍程度の体重差は彼女にとって問題には成りえない。

膂力? それも違う気がした。膂力はあるだろう。だが、あの時呂布が感じた圧力は、単純な腕力以上の、別な力がある気がした。

何というか、あの男の持つ“重さ”が、あの細い刀に集約されていたような、切っ先からつま先まで通った、とてつもなく高密度な一本の軸というか、芯というか――――――そういうものが存在していた感覚があった。


「…………ん」


――――――赤毛の雄姿が、嘶いて近づいて来る。

大地を揺らす蹄。彼もまた、その赤い馬体に、紅い血を浴びていた。

呂布に向ける瞳の色は、そんな外見と裏腹に、人懐っこい。


「…………行こ、赤影」


呂布は寄って来た相棒の首を、一つ二つと優しく撫で、鐙すらないその背中に、一足でひらりと跨って見せた。


「…………セキトが、待ってる」


戦がもはや終焉に近い事は、彼女の肌が感じていた。

一人と一頭は、再び戦場の砂塵へと消えていく――――――




戦医と衛生兵の待機する幕舎から、ぬっと大柄な男が出てくる。

ややくたびれた様な表情で、ふーっ、と深い息を吐いた。


「隊長、両将軍は?」

「寝とるわ。二人とも死ぬような怪我じゃあ無いらしい。完治するとさ……が、春蘭の左目は、もう使いもんにならんそうだ」

「そうですか……」


凪の声には、安堵と暗澹が混在していた。

とりあえず命が助かった、そして後に尾を引く類の傷では無かった事は一先ず安心であるが、やはり春蘭の片眼失明という事実は重苦しいものを胸に落してくる。

潰れた目を摘出しても、疵痕が残るだろう。それ以上に、独眼となる事が武人として如何に障害となるかは、想像するまでも無かった。


「ですが、喜ぶべきなのでしょうな。主が居りませねば、十中八九、命が無かった。再び軍人として立てる見込みがあるだけでも、幸いでありましょう」


対し、星は幾分か冷静であった。このあたりは、新参故の客観性があるのかもしれない。


「両将軍と一個大隊相当の軍隊とがあれほどまでに苦戦した暴威を、あれほどまでに鮮やかに退けられるのは主のみでありましょう。お見事でした」

「……予期出来ぬ事態とはいえ、やはり悔やまれます。もし我が隊と夏侯淵隊の配置が逆でしたら、両将軍が負傷される事は無かった」

「……ふむ、そうか。お前たちには、そう見えたか」


いかにも真剣味を伴った彼女らの表情が、それを聞いて、はて、と呆けた。

武蔵はひとり事のようにしながら、着物の袖を肩のあたりまで、深くまくって見せる。


「!」


星が、それに気付いた。

覗いた包帯――――――武蔵はそれを、人差し指を引っ掛けて千切り、取り払った。


「! 隊長、それは……」

「俺も今しがた、医者に言われるまで気付かなかったんだけどよ」

「……もしや、あの一合で?」

「お蔭で服、破けてら。秋蘭が治ったら縫って貰おう」


掲げる様に腕を挙げて、溜息をつく。見れば、長さ二寸と三分の二ばかりではあるが、腫れを伴っている傷口を、四・五針程度の縫い目が縫い合わせていた。

衣服の血のシミを見る限り、筋や骨に大きな影響がある程の深手では無い様である。

が、それ以前の問題があった。武蔵は、呂布の攻めを完璧に防いでいた、様に見えたが――――――


恐らくは、肩の当て身を貰った瞬間、吹っ飛ばされる際に振り回したのだろう。引っ掛けられていたのだ。

完全に崩れていた、あの状態から――――――それだけ、呂布の勘が冴えていたという事だが。


「…………」


星の表情に、硬いものが浮かぶ。

武蔵の踏み込みもまた、途轍もなく鋭いものだ。貰った後に打って、それを入れるなど、やれ、と言われて、出来ることではあるまい。

武蔵は一目、疵をちらりと見ると、そのまままくった袖を元に戻す。


「あの抜刀ざまの抜打ち、な。ありゃ、振り遅れの産物だ」

「振り遅れ……?」

「上段に合わせて胴を抜くつもりだったが、予想以上に速かった。枕は抑えてたつもりだったがな。受けに可変せざるを得んかった」


攻撃を外す……そんな事は、剣を振っていれば誰にでもある。

打つ、受ける。対人戦闘を構成する要素とは、つまりはそれに尽きる。

剣を持って相対すれば、互いが如何に打たれず、相手を打たんとする為に技術を繰り出し合う。攻受懸待にして、相手を崩す為に剣を交換する。あるいは攻め、あるいは受ける。そんな中で、一本の攻撃が外れた、防がれた、等というのは、どうという事も無い。あまりに、ありふれた事だからだ。そもそも、必ず攻撃が当たるなら兵法の理など必要ない。


――――――だが、この男のそれは、その意味合いを全く異なったものにする。

あの宮本武蔵が、打ち損ねたという事だ。

華雄を素手で完封した武蔵が、夏侯惇の剛剣と趙雲の閃槍を童の遊興のようにあしらう武蔵が、狙いを仕損じ、咄嗟に受けに回った程の“速さ”。

そして掠り当たりとはいえ、その肌に傷を付ける。つまりは五分の一合。


あの、『宮本武蔵』と。


武蔵の武を知るものならば、否、およそ“武”に携わる者ならば――――――

それがどれほどの意味合いを持つ事か解る。


「……やるねえ」


服の上から、ぺしっと傷を叩いてみる。

軽い疼痛が、じわりと広がったのを感じて―――――武蔵は少し、笑った。








「…………」


嵐の様な敵の群れを駆け抜けた。

血塗れた身体、血塗れた愛馬。屍山血河を斬り抜けて、洛を一駆け離れれば、もはやそこは荒れ地の大地。

戦士には煌びやかな宮殿よりも、寒々とした痩せた土が良く似合う。

辺境の餓狼、荒野に落ちて都を眺め、何を想うか。銀狼の色を湛えた瞳は、切っ先のように鋭い。


「おーい。どースんだよ、次は何処だ? 順」


高順を呼ぶ、カラカラと笑う偉丈夫。ベッとその辺に無雑作に吐き出した、血の塊と砂利の混じった唾。

その精悍な顔には、自然が作った血の化粧。捲き上げた泥と返り血、戦場を駆け抜けるままに象られた天然のメイク。

瞳孔が開いている。愉快そうな口ぶり。李確の身体には、闘争による昂奮の余熱がまだ残っている。


「長安に戻り、涼州軍の母体と合流スるか?」


対して、努めて平静さを保っていたのが郭汜だが、彼もまた戦闘の余韻か、言葉の端に現れる涼州の訛りを隠し切れていない。

だが、彼らはそれでもまだ、戦闘民族たる北方民族の闘争心に、理性の衣を上手く纏わせていたと言えるだろう。

一人、ぽつんと兵の群れから離れ、巨体をわななかせて、未だ隠す事の出来ない殺気を剥き出しにしている。溢れ出る汗と湧き上がる体温、そしてそれに呼応する様なとめどない興奮とを、全身に、敵の肉と脂と臓物の破片をこびり付けて汚したまま、身体全体で吐く深い呼吸で静めている、徐栄に比べればだ。

彼らの血の沸騰は、二百年の闘争の歴史によって、文化と遺伝子の両方に色濃く焼き付けられた本能だ、否も応も無い。

だが、それこそが――――――二十万余の陣営を突破し、圧倒的寡兵でありながら東側に抜けるという、九死一生の決死行を成功させた力の源泉なのだろう。


「未帰還者はどれくらいだ?」

「およそ、七百と少し。尻の方が少々、持っていかれた様だ。それと、側面も若干」

「もっかい突っ込むか? 俺ァ、それでもいいぜ」

「いや。やつらだって強い、自分で何とかするさ。此処で合流できなくても、長安で落ち合えるだろう」


出来なきゃ、それまでだ――――――と、それは口にするまでもなく、フイ、と高順は馬首を向きなおらせた。


「郭汜、長安まではどういう経路で行こうか?」

「普通に考えるなら……崇山から一度荊州に入り、南陽……宛のあたりを回って行く経路になるだろう。あの辺りは土も水が良い。食料と飼料は随時の略奪で問題あるまい」

「そんなに迂回すんのか? かったりィな……」

「現在、あの近辺の防備は手薄な筈だ。主力である筈の袁術・孫策の軍が虎牢関に来ていたようだからな……それでなくとも、各地の軍は一様に此処に集中している。迂回した方が、却って早く着くだろう」

「まあ、なるべく速く通過するに越した事は無いだろうな……と」


ふと、高順が地平線に何かを発見し、そちらを向く。

遠くに見える戦場から、向かってくる人の塊。しかし、連合軍が此方を追撃してくる様子は無い。脚は速いが、攻める為の隊列では無かった。

李確、郭汜、も応じてそちらを見遣ると――――――およそ三千、後方にはその三倍程の騎兵の塊が、此方に向かって来ている。


「……はっは! どうしたァ、張繍! やられてんじゃねーか!」


先頭に見知った、蜥蜴の様な長身痩躯の男を見つけて、李確が明朗な声を張った。

死闘の一線を抜けて来た戦友に対しての、からかうような軽口、それが彼なりの労いの声音を持っていた事は、何度か轡を並べて戦った者の間でしか解らないかも知れなかった。


「ええ」


細い目をさらに糸の様に細めて、涼しげな笑みを浮かべている。

穏やかささえ感じる表情だが、その面には額から眉間にかけて、一筋の真新しい傷が入っていた。


「楽しい戦いがありました」


微笑みながら語った張繍を見て、李確は得物を肩に担ぐようにして、フッと、一つの笑みを向けた。


「――――――で、ブッ殺したと」

「いいえ。残念ながら」

「なんでェ。顔に穴開けてやりゃよかったのに」

「とんでもない」


微笑んでいた張繍が、細い目を丸める。


「あのあどけなくも美しい少女の顔に筋を入れるなど。一級の水墨画に折り目を付けるようなものです」

「あァ? 女にやられたのかよ? しかもやられっぱなしたァ、らしくもねェ」


そう言うと、前置きの様に一つ、溜息のようなものを吐いて、張繍が表情と口調を全く淀ませずに喋り出す。


「仕方がありません。あの細い首と形の良い小さな顎との調和はそれほどに素晴らしかった。愛らしい唇と鼻の成す顔立ちの中で、一際、鋭い目も印象的でした。何より、力強い意志のこもった表情が素晴らしい。あの、絶対に貴様を殺してやるぞ、という殺気です。あれほどの強靭な殺意と美しい肉体とを併せ持つ少女と、敵として、戦場で巡り合える事はそうそう、無いでしょう。殺害の瞬間に下手な痛みを与えればあの表情が苦悶で崩れてしまう、無論、傷を残す様なやり方は以ての外。あの完成度を全く損ねる事無く止めを刺すとしたら、斬られた事すら認識させない、一刀両断の頸刎ねのみ。ああ――――――確かにそれはきっと、そのまま頭上に捧げ持ち、日輪に照らして拝み倒したくなるほどの美しさでしょうね。もし、身体と合わせて持ち帰り、酒に浸して防腐を施し衣装をあしらい、黒檀に金細工の施された棺に納め、生前の戦いぶりを回願しながら眺める事が許されるとしたら、それは一体、どれほど素晴らしいものか―――――――ですが、私と彼女の技量の差はそれを実現させるまでには到りませんでした。残念ですね」


流れる様に喋り終えると、ふっ、と息をついた。

李確が、いかにも気持ち悪そうに片眉を吊り上げる。


「……テメェ、やっぱり変態だよな。筋金入りの」

「まあ、女性の造形を肉欲から抱く性的魅力の有無という観点からしか視る事の無い李確将軍に、この美観を理解して頂くのは難しいのかもしれません。それに誤解して頂きたくないのは、最高の陶酔とは、そういう敵の身体に刃を突き入れた瞬間の高揚にこそあるのであり、造形の美とはあくまでそれを期待、ないし回顧させるための……」


張繍が如何にも文人肌を気取った、というような風で、肩を竦めて、目を閉じて小さく頭を振る。

李確は露骨に辟易とした表情をみせて、うげ、と舌を出した。


「――――――して、高順将軍。この後は長安へ帰還するという事で宜しいのですか?」

「大方は、な。魏越と成廉はどうした? お前と一緒に出たろ?」

「生憎、転身の際に別の経路を取ったものでして。しかし、順当であれば程なく抜けてくる筈……ですよ、ほら」


話の途中で、また一つ、大きな塊の馬蹄が響いて来た。

張繍が率いて来たものの、倍ほどの兵団、先頭を切っているのは若い女と、小さな少女。


「――――――じゃあ、行くか。張遼らが来てねェのが、少し気がかりだがな」

「彼女達は若いといえど、董卓軍筆頭の戦士です。かの力量を持ってして尚、敗れる事あらば――――――是非も有りません、それはもはや武運の差配、戦場の倣いというもの。それよりも、長安の防備は十分なのですか? 我らが到着するより前に反董派に陥落されては元も子もありません」

「長安の兵力は八万弱。放っておいても一年は持つだろう。十分だ」

「良くも悪くも、韓遂の翁は動くまい。しかし、周辺に点在する馬超の勢力は摘み取る必要があろうな」

「あのタヌキ爺は日和見だろうな。ったく、馬ァ乗るのが仕事だっつーのに、あんな寒いトコ引っ込んでて、なァにが面白いのかねェ」


李確が、ポリポリと頬を掻いた。


「ま、馬騰のガキが相手ならそれでも良いがな。あいつァ、年増だが良~い女だったなァ。馬超も、もう五年くらい待ちゃァ、抱ける女になりそうだ」

「これは異なる事を。女性は十歳からです」

「気持ち悪っ! 寄ンじゃねェペド野郎!!」

「失敬な。言っているでしょう? あくまで肉体的な欲求には囚われず、純粋に感じる造形美が重要だと……」

「――――――何であろうと構わん」


張繍と李確が漫才の様な掛け合いをしていると、ふと、重低の声が入って来た。

いつのまにか徐栄が、隊列に加わって来ていた。


「名も姿も数も、何一つ関係ない。遮るものは……」


仁王の如き、体躯。

その体温は、すでに湯気が立つほどに熱くなっている。


「……叩き潰すのみ」


髪の毛まで剃り込んだ魁貌。仏頂面から発せられる言葉はこの上なく、端的。

高順が、ふっ、と笑った。


「……そうだな。行くか、兄弟。まずは荊州、南陽――――――邪魔する奴は、皆殺しにしろ」

「しャアッ!」

「総員、騎乗!! 速やかに隊列を組めい!!」


高順が手綱を返す。それが、一つの合図。

郭汜の号令により、兵士達は再び馬に乗る。戦場から戦場へ――――――彼らの宿命、そして日常。


「…………」


軍が動き始めた頃、ふと、高順が立ち止まり、彼方を見遣る。


「コケにされたら」


美しい優駿。

美しい戦士。

その影は、二つで一体。


「引き下がれねェよなァ」


氷の様な眼。

しばらく、見つめて――――――そっと、返した。


「いずれ、の話になるだろうが――――――借りたもんは返しに来るぜ。必ず……な」


都を追われた、北の狼。その群れの、最も美しい雄の瞳は、揺らぐ事の無い灰色。

狼は二つの事を、決して忘れない。即ち恩と、恨みとを。

自分に牙向き、追いやった者達の顔を――――――地平線を圧する連合軍と、この漢の国土の中心に位置する、永遠の都を。

白銀の眼は荒野から、じっと見ていた。




漢の首都、洛陽、そしてその東に立ちはだかる要塞・虎牢関に軍を置いた董卓軍、それに対する反董卓連合軍二十五万は、一ヶ月半ばかり対陣。

虎牢関での戦局が膠着する最中、洛陽にて潜伏していた反董卓軍が、虎牢関への援軍の為洛陽の戦力を分散した頃合いを狙って挙兵、クーデターを主導した王允・朱儁の指揮した電撃戦により、洛陽に駐屯していた董卓派の主な要人の殆どを殺害及び捕縛し、首都内の勢力の九分九厘を奪取、董卓自身も生死定かならず。

孤立した虎牢関守備軍は虎牢関を放棄、洛陽から派遣された援軍と合流し、東側に位置する連合軍に突撃し、敵中突破を敢行、脱出を図った。

連合軍は敵の主だった将兵と、その主隊を逃す事になったが、結果的に虎牢関、そして洛陽を攻略――――――


双方の軍、合わせて実に三十万を超える兵力が動員された大戦、「虎牢関の戦い」は、こうして一応の決着を見たのであった。




みんな、戦いばっかりで疲れません? 僕は疲れた……とりあえず、戦い終わり。

でも、今書いてるところではまた皆戦ってる……戦ってばっかりだのう。

感想返せてねー……ゴメンね。

何か、僕の好みに合いそうなssとか教えてくれたらありがたいです。

エロは地球を救うよね。いやいや、そういう意味でなく。純粋に。純粋に。うん。

快楽責めとか快楽堕ちとか、そんなの別に求めてないさ、本当さ。

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