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反董卓連合編・五十二話――――――「緋色の獣・後」


見合う。両者、動かず。

夥しいばかりの、味方の血と屍で出来上がった闘技場、その中央の空間に、未だ剣戟の火花は弾けず。

斬り結びの激しい一合から一転、異様に静かな立ち上がりであった。


「…………」


春蘭が、覗き見る様に、その、銀朱色の毛色の雄馬に跨る、小柄な少女の瞳を上目に見遣った。

あの、夏侯惇が“観る”という――――――この静けさ、この状況が如何に異常なものであるかを語るには、ただ、その事だけで十分であろう。

躊躇を知らぬ、退くことを知らぬ猛虎児・夏侯惇が、その攻撃性を思わず引っ込め、様子見に転じるほどに――――――

否、むしろ春蘭の類稀なる動物的な実戦勘こそが、嗅覚よりも鋭い第六感で持って、その本能に伝えていた。

肌を、血を、泡立つ背筋の毛穴を、未だに痺れの残る手の骨の髄を通して。


こいつは、『違う』と。


(――――――だが!)


一転、呼吸を変えた。

カッ、と息吹を吐きだし、右片手のまま、剣を強く払った。痺れを、強引に抑えつける。


(如何に強くとも、どこまでも同じ五体の人間一人!)


迷いを消し去る息遣いが、細く、深く、吐き出される。

例え、この目の前の少女が、数百、数千の精鋭という肉の壁を物ともせぬ無双の兵だとしても、尋常ならざる魔人の如き膂力を誇る怪物だとしてもだ。

所詮は、一人。一度の振り降ろしで斬れるのは、どうした所で一人まで。ならばどこまでも、一人と一騎、一対一の勝負。


「この夏侯惇――――――否! 曹操軍幕下の兵に、恐怖という感情は一切無いぞ!!」


気炎を身の内に充満させ、曹操軍随一の剛胆が馬上に屹立する。


「…………」


似た眼だ――――――彼女は、少女はそう思った。自分の仲間達と、良く似ている眼。

たとえ、仕留められなくても、自分の打ち込みを叩きつければ、防御の上からでも、あるいは空振りでも、あらゆる敵は、戦意を陰らせた。二の太刀で真っ二つに出来た。

だが、この女にはそれがない。

どれほどの豪打であっても、肉体より精神が先に折れるという事はありえないであろうと、そんな気にさせる構え。実質的に戦闘能力を奪ってしまわなければ、この闘志を退かせる事は出来そうにはない。それほどの気組を感じた。


首をグーっと伸ばす、赤影の気合のノリが、腹を締め付ける太腿から伝わってきた。

ぶら下げた右手の中で、握ったり緩めたり、方天画戟を遊ばせる。

少女の瞳はどこまでも静かで、そして、揺らぐ事が全く無かった。

血埃の舞う中で、不気味なほどに澄んだ光だった。


「――――――ハアッ!!」

「…………」


一瞬の緊迫の後。

烈将・夏侯惇は死地に飛び込んだ。






「ぬんッ!!」

「…………」


剛腕が唸る。ガァンッ、ゴンッ、と、刀身同士がぶつかり合う度に、尋常ならざる轟音が大気を震わす。

低い炸裂音が、その性質が重たい種のものである事をありありと物語る。

春蘭はかなり、手数を多く出す事を好む。一方の少女も、自ら先手を取って真正面からぶつかっていくのを得意としている様だ。戦い方が似ているが故に、両者の戦いは打ち合いの様相を呈してきた。


「ぐっ……」

「…………」


だが、正面から噛み合うと、均衡が崩れる。

体格的に言えば、むしろ春蘭の方が大きい。にもかかわらず、正面から打ち込みを受けとめると、乗り馬ごと地面から引き抜かれるかのような勢いで押し込まれる。否、もはや、弾き飛ばされるという形容の方が正しいかもしれない。それほどの圧力。

身体の持つ馬力のみならず、攻撃自体も、恐ろしく鋭い。まだ幼さの残り香すらある容貌からはおよそ連想しえない、信じ難い剛腕。

だがそれでも、春蘭であるから、辛うじて身体を残せていると言えよう。並の者なら、いつ鞍の上から引き剥がされてもおかしくはなかった。

だが、目に見える脅威よりも、何よりも不気味なのは、その表情。

春蘭は、必死そのものの形相であるのに――――――


「…………」


その少女は、全くの無表情のまま、一切、顔色を変える事すら無いのだ。

まるで、何も見ていないのではないか、そう思わせるほどに。眠たげな印象すら抱く眼をして、平静そのもの、初めから今まで眉一つ動かさず、異常なる豪打を繰り出す。


「ちッ……!」


一つ、二つ。横薙ぎから、返しの逆一文。無雑作にすら思える、身体を開いたまま振り抜く打撃だが、凄まじく速い。

それでも春蘭は良く反応して、それを防ぐ。少女は防御の上から構わず叩きつけ、ピンボールの様に、左右に身体が振られる。

強力無比、その表現に尽きる。それはずばり、膂力。肉体の生み出す、純粋なる“力”

当代きっての剛腕、夏侯惇をして。


「ぅおっ!!?」


真正面では、明らかに拮抗を保てぬほどに。

その具えたる力量は、遥かに上。


「く……」

「…………」


ならば――――――

持たざる者は、如何すべき?


「――――――ぐぅッ!」

「っ!」


少女の豪打を受けとめる。手首に、衝撃。

返しの横薙ぎ、それに対し――――――あろうことか春蘭は、前に出た。

かの剛腕の射程圏内、其処から避難するのではなく、むしろさらに懐へと飛び込む。

大長物の戟の刀身、ではなくそれよりも短い場所、柄の部分に合わせて、春蘭は両手持ちでがっちりと腕を畳み、身体ごと受ける様な格好で防ぐ。

人、というよりはモノを打突する時、必ず対象物に当てる際の的確なゾーンというものが存在する。

現代スポーツにおいてはスウィートスポット――――――しばしば、そう形容されるものであるが、より理想的な距離・角度で捉えた時ほど、得物を振る力を対象に無駄なく伝える事が出来るのだ。

春蘭は方天画戟の打ち込みに合わせて前に出る事で、力の集約する刃では無く、その手前である柄の部分を受けるようにして、威力を殺した。それでも痺れた手首だが、気合いで柄に食らいつく。

その際に詰まった間合いを利用し、手を返して顔面に向かって斬り上げていく。

受けから返しまで殆ど時間差なく放たれたそれに、少女は反射的に反応して、上体を後ろに逸らす。鼻先一枚を掠めた。


「――――――ふんッツ!!」

「っ!」


仰け反らせ、間合いが開き、相手の体重が後ろに移動――――――

そこを狙い、春蘭は強振した。下肢を締め上げ、腰、背、肩、と、力を連動させる。

すべての体重を前へと持っていく。


持っている出力の総量が及ばないのなら――――――爆発力。

一瞬にして、最大を。


より一息に、より鋭い角度で、一撃に持てる力を全て束ねて、一極集中。

腕力が及ばないなら、身体全部で対抗すればいい。

全身を、馬の体まで余す事無く使って、渾身の力を集約し、真一文に振り抜いた。

稲妻の様な、派手な金属音。呂布が柄を縦にして受けたが、吸収し切れずに馬の脚が浮く。


「……!」


一歩、横にヨレる。呂布が目を丸くした。


「はァッ……!!」


かッ吐いた、息吹。

一身剛胆・夏侯惇――――――鬼人の膂力を前にしてなお、退き足はひとつとして無し。





「……………………」


――――――些か、驚きがあった。

か細く、脆く…………殆ど障害とは成り得ぬような、小さな力。

それを、例えるなら――――――細い糸を束ねて一本の千切れぬ縄にするように。華奢な剃刀を薄刃一枚となるまで研ぎ澄ます様に。

非力な身体を踏ん張って持ち堪え、か弱い膂力を全身から掻き集めて叩きつける。

そして、決して後ろに退こうとはしない。それどころか、明らかな力の差を知りながら、なおも前に歩を進めてきた。歴戦の戦士たる少女をして、出会うに稀有なる、健気な勇敢。

それが、確かに一歩、後退させたのだ。赤口色の野獣と、それを駆る鬼人とを。

これまで、歯牙にも掛けず屠って来た有象無象とは、明らかに異なる。

剣の技、馬術、なによりも身を投げ出し、全てをぶつけんとするが如き勇気。

それは、小さな動揺を。そして――――――

今日初めて見せる“構え”を、この少女から引き出した。




「…………」


裏側の首筋に、汗が滲みだす。口の中が渇いてくる。

渾身の力を注いだ、一滴も無駄に使う事は無く――――――それでもなお、一歩、姿勢をぐらつかせたのみ。対して、こちらは奴の、その場から殆ど手だけで打った様な一振りでも、身体が流れてしまう。

彼我の圧倒的な戦力差を如実に感じているのは他でもない、春蘭自身である。

その上――――――


(…………)


――――――沈黙の中に、無意識のまま唇を舐めた。


大仰な構えだと感じる。肩に水平の高さに得物を持って、大きく脇、大戟を後頭部の辺りにまで持ってくるように振りかぶる構え。

隙だらけではある。備えも何もない。ただ単純に、最も振り回しやすい形に身体を置いたというだけの型。

だが、それで十分なのだ。この少女の膂力にとっては。たったそれだけの構えが、とてつもない重圧を春蘭に与える。その威圧感こそが、何よりも如実に物語っている。

打ち合うつもりなどない。振り切った後に返ってくる反撃など考慮にすらない。ただ、一撃で仕留める。仕留められる。そういう事なのだろう。

大口を開けた虎の牙。春蘭には、そう見えた。

ハミを噛み締め、グッと顎を引いた赤い巨躯なる馬体の鬣が、魔獣のそれに思えて、尚更――――――


「ッッツ!!」


次の瞬間、そいつは飛び込んできた。

百五十貫はあろうかという巨体からは、凡そ想像だにし得ぬ瞬発力から繰り出された突撃。金剛石の様な分厚い筋肉、それを覆う赤毛の皮膚。その鬣のなびく様はさながら、烈火の猛襲の如き威圧感を春蘭に与えた。

動物じみた春蘭の実戦勘――――――研ぎ澄まされた反射神経が反応し、切っ先を動かす。

しかしそれより尚も速く、赤い獣は吶喊し、その疾さそのままの頭突きを、春蘭の乗り馬の鼻先を克ち上げるように食らわせた。


「――――――ッ!」


鎧の様な首と肩が跳ね飛ばす。馬ごと態勢を崩された。春蘭の剣が、来るべき衝撃に備えて防御態勢を取る。

――――――大きな蹄が、大地を穿たんがばかりに踏みしめた。極太の赤い、太腿が、四肢が、腰が、がっちりと身体を固める。背に負う、鬼人の一撃を支える為に。

小麦色の、小柄な体。捻じった体勢のまま緩めていた肉体を急激に硬直させ、零から全へ、振り切った。

鬼人と、魔獣。二つが一体の怪物となった瞬間、戦場全体を斬り裂く、とてつもない炸裂音が木霊した。




その一撃は、真っ向から全てを打ち砕いた。

かなり水平に近い角度で打ち出された、袈裟掛けの一閃。

その威力はとても吸収しきる事は敵わず、余りの衝撃に、春蘭の身体は鞍から浮いた。馬は膝を砕いた。

反撃の余裕など、ある筈が無い。

春蘭が全身全霊で固めた“盾”、予め待ち構えて居た、その上から叩き付け、問答無用でぶち破っていった。


――――――グン、と、少女が戟を手元に引き戻す。宙に投げ出されるようになった、死に態の獲物に止めを刺す為に。


「くっ……!」


腰に重い衝撃を受けていた。得物は辛うじて片手の指先に引っかかっていたが、腕は殆ど投げ出される様な形で弾き飛ばされている。全くの無防備。

繰り出された、一直線の突き。それを防ぐ手立ては、既に春蘭には残されておらず――――――


「――――――ーーッッ!!!!」


突き抜ける様な、痛み。頭の裏側まで貫かれる。

春蘭の左目を、兇刃が深々と穿っていった。




肩から、力無く地面に落ちる。

落馬――――――馬上の一騎打ちの、終焉の合図。


「…………姉者……っ!!」


地に墜ちた夏侯惇を一瞥し、少女は戟を一つ払う。切っ先の真新しい血が数滴、飛び散った。

やがて目を切ると、馬首を返し、向かう。先程仕留め損なった獲物――――――自らの傷には目もくれず、崩れ落ちる姉をずっと眼に捉えていた、秋蘭の許へ。


「く……」


にじり寄る。先程と同じ、無表情で。重苦しい蹄の音。

腰に備えた短剣に手を伸ばすが、広範囲の傷と出血によって、屈んだ体勢から、立ち上がる事すらままならぬ。秋蘭には既に抵抗する戦闘力は無い。


「…………待て…………」


ひたと、少女が歩みを止めた。

もはや完全に背を向けていた、今一度振り返る。


「どうした……片目一つで、この夏侯惇を倒したつもりか? 私はまだ、戦えるぞ……!」


ゆらり、と立ち上がる。さながら、幽鬼の如く。

すでに、血と肉の紅だけになった眼窩が、少女を睨み付けていた。今なお、鮮血を滴らせ続けている。

血の、涙だ。闘鬼の表情に、血の涙が流れている。

ぶわりと、額に大量の汗が滲んでいた。痛みによる冷や汗であろう。恐らく、そのまま気絶してもおかしくない程の激痛が、頭部の左半分を駆け巡っていように。

もはや左目に眼光というものは存在しないが、その潰れた目から垣間見える闘志はまるで衰えていない。


「……! 退けっ……姉者…………!!」


少女が馬首を翻す。


「退くんだ…………!!」


秋蘭の声。しかし、それは届かず。

傷口を隠す事すらなく、春蘭は再び、大剣を両手で構える。阿修羅の形相。


「退け…………っ!!」


(――――――退かん!!)


襲いくる、魔獣の騎馬。

視界の左半分は、既に真っ暗。かぶりを振る様に、残った右目に力を込めて、右足を踏み鳴らした。不退転の意志。

巨大な敵が眼前に迫る。

それでも退かぬ。


(――――――妹の、前だ!!)


それこそが夏侯惇――――――

春蘭の剛胆の理由だった。




「…………!?」


迫り来る騎兵、グッと構えた、その刹那。

不意に、少女の姿が視界から消えた。

左側に入られたか? 見失えば、まずい。

ぐるり、と見回す。赤い馬体の影が映った。しかし、馬上にあの少女が居ない。


(――――――何処だッ!?)


血流が、春蘭の全身を駆け巡った。何処に、何処に―――――――


「―――――――すまんな春蘭、遅くなった」


必死に敵を索敵する最中、不意に、死角から聞こえて来た。

よく、知っている声だった。

その時、既に視えぬ春蘭の左目に――――――

飄々とした、掴み所の無い涼しげな笑みが浮かびあがった。


ミスチルって、忘れたころに聞きたくなりますよね。

PV数とかユニーク数とか、未だに意味がよくわからないんだけど、これって何?

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