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反董卓連合編・五十一話――――――「緋色の獣・前」

「ふっ!!」


踊る馬上から矢が放たれた。騎射を得意とする董卓兵の御株を奪う鋭さとしなやかさで、その弓は戦場を穿つ。

曹操軍・右翼を担う精鋭部隊、夏侯淵隊――――――それを一手に統べる女将軍の戦い方には、無駄と隙は一切無く。


「くッ……」


しかし、それでもなお、右陣は奪われていた。

右側を掠める様に突撃して来た董卓軍の一隊に対し、秋蘭は右側の戦列を下げつつ敵騎兵の頭を抑えさせ、その間に左から軍を回し、横っ腹を叩く作戦を採った。機動戦を得意とする彼女自らが指揮を執り、中陣を率いて反転――――――側面へと急襲を仕掛ける。

しかし、それは失敗に終わる。秋蘭の率いる機動隊が阻まれたのである。

作戦の失敗を悟った秋蘭は、即座に右陣へ命令破棄と戦線放棄を通達、中陣・左陣と合流させる形で退却させ、結果、突撃して来た董卓軍の、ほぼ九割九分の突破を許す事になった。

しかし、秋蘭の判断は誤りであったわけではない。

秋蘭の判断であれば、敵軍は自分の機動隊に対応出来る筈は無かった。此方側に戦力を傾けてくるなら、突入してくる相手兵力の減った右陣は持ち堪える事が容易となり、そうでなければ、急襲を成功させ相手を撹乱し、どちらの展開にせよ、左陣を投入して抑える事が出来る。

目論見ではそうであった。しかし、結果としては敵軍は殆ど兵を割く事無く右陣の突破に向かい、さらに秋蘭の奇襲をも止めて見せた。故に、秋蘭は右陣だけでは受け切れないと踏んで、作戦の早期撤回を余儀なくされたのである。むしろ並の将であれば、軍を退かせるのが遅れ、大被害を被っていたところであろう。

秋蘭の機動隊に向けて来たのは、九分九厘の残り一厘、僅か数十騎。

秋蘭が動かした中陣は約二千、秋蘭が直接率いた前曲の部隊だけでも五百。撃破出来ると踏んだ彼女の見越しは兵法の大原則から言って極めて妥当であり、責める事は出来まい。

彼女の誤算は、その数十騎が――――――否。

その数十騎の先頭を駆る、燃える様な赤毛の馬と、さながら一体となった一騎の獣が、余りにも強すぎた事だ。





紅い獣が、鮮烈なる戦慄を持って、戦場を斬り裂く。

否、それはもはや、怪物か。まるで無人であるかのように蹂躙し、草を刈る様に兵を屠る。

たった一騎が数百以上の曹操軍精鋭部隊の群れを、己ら以外は居らぬが如くに好き勝手に切り崩していく様は、およそ、この世のものとは思えぬ。

いうなればそれ自身が、とてつもない、力の塊そのもの。


「はぁッ!!」


岩を穿つが如き強弓が、空気を引き掻いて強襲する。鋼のような筋肉が隆起する雄大な馬体と、それに跨る存外に小柄な小麦色の肉体が踊り、その弾道上から身を躱していく。

追い掛ける様に二射目を放つが、驚異的な瞬発力でそれをも外す。

―――――が、そこまでが狙い。矢を躱した敵騎の進行方向に、秋蘭の精兵が待ち構えていた。一騎だけでは無い。多勢で重囲する様に陣形を作り、反対側から追い込んで蓋をする。

誘い込んだ、袋小路。合図を待つまでもなく、互いの兵同士が呼吸を合わせて、一斉に全方位から締め上げる。

雪崩が呑み込んでいく様に、曹操軍の騎兵の群れが一気に殺到して、その一騎の姿を覆い隠した。

獲った。

そう思わせた瞬間――――――その一群が、吹き飛んだ。

爆ぜた、という形容が正しいかもしれない。精兵の壁は、全くその前進を鈍らせるに到らなかった。銀朱色の馬体の悪魔が、居並ぶ強者を砕き散らす。戟の一振りが、群衆を灰燼に帰す。


(――――――なんと)


信じ難い光景に驚嘆しながら、それでも身体は冷静に弓を引いた。

さながら、一つの弾頭。触れる者、悉く薙ぎ倒して、たった一騎で戦場の群れをかち割り、抉じ開ける。

居並ぶ曹操軍の猛者が、重囲する数百の精兵が、その、ただ一騎を止められない。

無数の兵を意に介さずに押し退けて、得物を振り上げ、肉薄するまで迫って来た、秋蘭に向かって突進するその豪勇の眉間を、真っ直ぐに秋蘭の矢が迎え打った。

血飛沫と肉片と、毬の様に跳ね飛ばされる味方の身体と蹴り上げられた土塊の間から、垣間見えたその顔は――――――思いのほか、幼かった。



「……化物め……!」

「…………違う」


――――――矢の軌跡は、赤い髪を僅かに揺らしたのみだった。

真正面に突進する最中、既に攻撃の態勢に入ってから、ギリギリまで引き付けた上で放った秋蘭の一矢。拍子は、まさに完璧。

それを、首だけを捩って躱す――――――咄嗟にせよ、読んで避けたにせよ、その反応速度は、非常の人の技であった。


「…………恋は、恋」


振り上げられた戟が襲う。

それは秋蘭の身体を、緊急的に盾にした弓ごと、袈裟掛けに斬り降ろしていった。




「…………」


秋蘭の身体は平衡を乱し、崩れる様に力なく馬上から落ちる――――――地面に転げ、荷物の様に沈んだ。


「……………………ちょっと、浅かった」

「くっ……」


少しだけ、本当に少しだけ不満げな色を眼の端に浮かべて、片膝を付いて顔を歪めた秋蘭をじいっと見遣り、ぼそりと呟いた。

額から汗がじわりと滲みだし、意図せずして、奥歯が食い縛られる。

鎧の繋ぎが砕かれ、白い胸が露わになる。抑え付ける様にした長い指、白魚の手の下から、鮮血が滴った。傷は乳房の谷間を通り、真っ向から斜めに真っ直ぐ入っていた。

左肩が、だらりと下がったまま上がらない。鎖骨が、折れたか。


「…………」


声も無く、再び戟が振り上げられる。ゆっくりと、仕留め損なった獲物に止めを刺す為に。

ギリ、と見上げ、睨む。左鎖骨から右脇腹部にかけての、身体の髄にギンギンと燃える様に滲みこんでいく痛み、それが秋蘭の眼から光を消さなかった。

対面した、瑪瑙のような瞳は、一切、欠片も揺らぐ事が無く。

酷薄さすら感じる無表情のまま、躊躇いなく兇刃を振り降ろした――――――







「――――――ふんッッ!!!!」

「っ!」


後方から吹っ飛んできた、一陣の風。

前線に面さぬ後ろの夏侯淵隊の兵士達の間を、吹き抜けるように駆け抜け、全力疾走させる愛馬の速度、そのものをぶつける様にして、両手打ちで大剣を振り払った。

雷鳴のような、鋭い金属音が木霊して、“恋”の振り降ろす戟を止める。

予期せぬ衝撃が柄を介して骨に伝わり、初めて少女の表情が変わった。

さらに、追撃。返す刀で打ち込み、それを受けさせると、少女の跨る馬の肩口に、思い切り蹴りを入れる。


「……! 赤影、落ち着いて……」


赤毛の雄姿が驚き、尻ッ跳ねして暴れ、跳ね回りながら横に逃げていく。秋蘭の傍から引っぺがした。


「生きているかっ、秋蘭!!」

「姉者……!」


長い黒髪を靡かせ、蹲る秋蘭を振りかえったのは、春蘭であった。


「どうして来た……張遼、は……」

「喋るな、秋蘭! 出血が落ち着くまで動くんじゃない!」


途切れ途切れ、特徴的な低めの艶っぽい声を震わせるが、最期まで言い切らない内に、体勢がぐらりとした。

春蘭がはっとして、そちらに馬首を返させる。


「…………霞、負けたの?」

「“しあ”? ああ、張遼か?」


ロデオの様に跳ね返る愛馬を宥め終えた少女が、ぽそりと小さく呟いた。独り言の様だったが、眼は、しんとして春蘭を向いている。


「ふんっ、三対一で後れを取る筈があるまい! ……些か、不本意な決着ではあったがな」


馬の背で背筋をしゃんと伸ばした春蘭が、ぶっきらぼうに答えた。


張遼の武技は見事なもので、馬の上に在らず、慣れぬ筈の地面の立ち合いでありながら、春蘭・李通、それぞれと同程度の力を窺わせるものだった。

だが地力がそう変わらないのなら、二対一、さらに陳恭の援護射撃を含めた三対一なら、どちらが有利かは自明の理である。それでなくとも、春蘭は武蔵を相手に何度も一対一の組太刀を繰り返しているし、李通は昔から歩兵として戦って来た。彼らの方が、地面の戦いには慣れている。

陳恭の射撃と連携して追い詰め、春蘭が偃月刀を抑えた隙に李通の棒杖を身体に打ち込む戦法で、致命傷を与えずに捕縛する事に成功。

一人でも張遼に勝てる自信があった春蘭としては、決着そのものは不本意ではあったが。

“敵将は生かして捕らえよ”――――――ともあれ、そういう華琳の達しを首尾よく成功させ、後の処理は仲間に任せて、春蘭は単身、愛馬を駆って、苦戦の模様と報の入った、秋蘭の担当戦線へと援軍に駆け付けたわけである。


「…………」


春蘭が、辺りを見回す。

地面に広がる、夥しい血痕。そして、この春蘭達の立っている場所を囲う様に、丸い輪状に積まれた、味方の人馬の骸。そして、敵兵がここまで突破して来たのであろう、一本道を作る様にして拓かれた進路の、その進路上の屍の山。なるほど、苦戦の爪跡がありありと残っている。

しかしこの場に居る敵は、見た所、この少女一騎のみ。となれば多大な犠牲を出したものの、敵の軍を全滅寸前までは追い詰めたと言う事か……


「……あいつ一人だ」

「何?」

「最初に、斬り込んで来たのは……およそ、数十。その兵は、あいつを先頭にひと当てして此方を撹乱すると……そのまま、戦線を離脱、した……その後は、あいつ一人に、やられた……」

「何だと――――――?」


そう、状況を分析した春蘭の頭の中がわかっていたのかのように、秋蘭はその補足を加えた。

だがそれは、却って春蘭を混乱させることになる。

それもその筈だ。秋蘭の持っていた兵は約五千、実際に直接戦闘に参加した最前線の此処とて、規模から察するに数百は下らない筈だ。

それが、たった一人に突破――――――否。

たった一人に、行軍を押し留められたと言うのか?


「……私の兵を纏めて、逃げろ、姉者……あいつは……普通じゃない……」

「逃げろ!? 馬鹿な! お前を置いて行けるか――――――!?」


そこまで言い、ハッとして春蘭の身は翻る。

赤毛の馬体と小麦色の肌の獣に、再び獰猛な速度が戻っていた。飛び掛かる様に走り込んで来て、春蘭が先程やった様に、速さに乗って、叩きつける様に打つ。ガシャン、と派手に響いた。


「くっ! おい、貴様! 斬りかかるなら、何か一言くらい掛けたらどうだ!!」

「……じゃあ…………死ね……」

「ちっ、無愛想なヤツめ!!」


さらに、もう一つ受ける。手に雷が落ちたような衝撃。それをやり過ごし、打ち返した。

春蘭の袈裟斬りが、丁度、逆袈裟に振って来た少女の一撃と克ち合った。


「ぐぉっ……!?」


春蘭の大剣が、跳ね上がる様に克ち上げられる。こぼれた刃が、銀の紙吹雪の様に飛び散り、舞う。


「くっ……ぬ……」


態勢が後ろにズレるように崩れ、乗り馬がたたらを踏み、一歩、二歩、後退した。


(……これは…………)


間を取り、一瞬、睨み合う。春蘭の目の形が険しくなる。

手応えに異様なものがあった。

普通、物理的に考えて、振り降ろす形の型が最も体重を乗せやすい。季衣にも圧し負けない春蘭の怪力から繰り出すそれが、下から斬り上げた打ち込みに跳ね返された。しかも、同じ直線上で克ち合い、その上で、身体ごと吹っ飛ばす程の圧力。

打ち込んだ瞬間、人間の振るう得物と打ち合った時の手の内の感触では無かった。何か大地に根差した、とてつもなく巨大な大岩を打ったような感触だった。

見返した少女の顔は、涼しい。むしろ無表情に近いか。


「…………」


ごくりと、無意識のままに音を立てた、春蘭の喉。

その、不気味なまでに穏やかな、美しい瞳と向き合った、一瞬の間。

まどろみの、視線。

それに、闘将・夏侯惇は――――――未だ味わったことのない、戦慄を感じていた。



極真の成嶋先生みたいになりたかったんだよな。


それはさておき、一話を二分割したから文字数少ない。

ちょっと絞めが気に食わなかったので……

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