反董卓連合編・四十七話――――――「黒鹿毛ノ暴威」
叩き潰し、轢き殺す。重戦車の如く。
纏わり付く者は、薙ぎ払って串刺しにする。
「憤ッ!!」
方天戟が唸りを上げる。肉片と内臓を、刃と柄の端にくっ付けたまま、敵の群れを抉じ開けていく。
先頭を切る巨人・徐栄の体は、大地を揺らす愛馬とさながら、人馬一体。その破壊力は、城門を破って突入して来た韓玄の軍を、一撃で粉砕した。その後、公孫賛の白馬も退け、さらに深く、深く、敵中の真っ只中へと突進していく。
「高順将軍! 徐栄殿をお留めなされ!!」
徐栄自身の巨体と、跨る大柄な駿馬の馬格が生み出す突破力は、ともすれば味方すら置き去りにしてしまう程。
「あの速度では後続の兵は付いて行けませぬ! 率いる味方を振り切ってしまっては元も子もない!」
「然り! このまま徐栄殿の速度に合わせて進めば、脱落する兵は増加し、悪戯に犠牲を増やすことになりまする!」
高順の後ろから、二人の騎兵がしきりに諫言する。
高順の居る先陣は、既に尋常ならざる速度に達している。並の馬術では、馬から振り落とされているだろう。
しかし、その先鋒に立って、敵中を斬り分ける徐栄は、なおも先陣から距離が開くほどに突出している。
しかも、味方に合わせて速度を制御するどころか、さらに馬の脚を速めて、奥へ、奥へと突っ込んで行く。
「ああ、徐栄殿が一人で行ってしまうー!!」
「高順殿! 早く、徐栄殿をお諌め下され!」
「……」
「高順殿!!」
しかし、高順の手綱は、一向に動かない。
そればかりか、一向にして涼しい顔の彼を見て、さらに二人の兵士はわめき散らした。
「高順殿ー!! 何卒、お早くー!!」
「――――――徐栄を止めろってか? あの勢いを? そりゃあ、おかしい」
段々と、それが叫びに変わり、歯ぎしりの様な声が上がった時、不意に後ろから、二人の頭を、大きな掌ががしりと掴んだ。
「“此処”は血飛沫を上げる場所じゃねえのか? 他を頼みにしねェで、手前ェの力を頼りに敵を殺すのが、戦場の倣いってヤツじゃねえのか」
手綱に手を付けず、乗り手に対して、全く遠慮のない襲歩で駆ける、鞍を架けただけの最小限の装備の馬を、下肢だけで御する李確の騎乗技術は一流。
尤もそれは、涼州兵なら、誰しもが出来得る事であろうが。
「咎められるのは、全力で敵に向かう徐栄か、それに付いていけない、のろまのお前らか」
きしり、と、髪を折り曲げて、地肌に感じる指の圧力が、少し増した気がした。
背筋の毛穴が、泡立つ。
「斬られるのを怖がって、わらわら群れてトロトロと走るのが騎兵か? 誰よりも速く敵に突っ込んで、斬られるより速く喉笛掻っ切ってやるのが、俺達の戦じゃねえのか?」
端整な顔が、ニヤリと笑みをかたどった。
李確の白い歯が、赤い唇の裏から覗く。
「お前らの馬を見ろ。そんな愚問に脚を鈍らせる駄馬は一頭も居ねェぞ」
未だ、頭を掴む掌の力が緩む気配は無い。
二人の兵士の頭の芯が、ヒヤリとしてくる。
「のろい奴は置いて行く。弱い奴は、死ね」
いつもと変わらぬ、気安さのある、飄々とした声音。
だがそれは、裏側に氷の様な冷たさを伴っていた。
「次にとぼけた事を言ったら、この頭が潰れると思えよ」
米神に冷たい汗が伝ったかと思うと、スッと、頭に掛かった指圧が抜けていく。
「槍を持てい!!」
李確が一声、叫ぶ。馬を進めて上がって来た、後ろに侍った供回り衆の一団から、ふわっと、一振りの槍が投げ渡される。
パッと、李確は二人の頭から手を離して、頭上に落ちて来た槍を受け取った。
「――――――はァあッ!!」
二人を置き去りにする様にして、槍を翻すと、飛ぶ様に馬を操って、一気に速度を上げていく。
そうであったかと思うと、次の一瞬、強烈な速さを伴った一団が、疾風のように、次々と脇を駆け抜けていく。
李確は高順の脇をすり抜け、一目、視線を交わして追い抜くと、そのまま敵に向かって突撃する。瞬く間に馬の脚を伸ばすと、速度を上げるがまま、先鋒に参加し、一挙に敵群に突き刺さって行った。
後に続く供回り衆も躊躇う事無く戦闘に参加し、進路を抉じ開ける様に、敵中に突入し、斬り進む。李確はその先頭を切り、徐栄と攻め競うように、さらに奥へと侵攻していく。
「お前ら、若いだろう。軍に加わったのは、都に入ってからか?」
李確が先鋒に上がり、最前線に加わると、鬨の声と悲鳴の叫びが、互いに交ざり、さらに大きくなる。高順が口を開いた。
「入洛して、兵力に余裕が出来てからはこういう突撃もめっきり減ったが、元々、俺達の戦い方はこんなもんさ」
混血の美丈夫を運ぶ金色の優駿は、その気品ある馬体が具える、恵まれた柔軟性からなる豊かなバネを、馬なりのまま、気分良く走らせている。戦場の鉄臭さ、生臭さ、どこ吹く風、というように。
「後方との連絡がどうとか。上手に血を流さずに勝とうとか。そういうのは、馬の上では捨てろよ」
額に流れた、一筋の大流星。月を溶かしこんだ様な、雅な灰色の瞳。
この、美しい優駿と貴公子のつがい程、血と殺戮の匂いの似合わぬ姿も無く。
だがしかし、この両者ほど、鉄と血の匂いに、慣れ親しんだ者も無く。
ずっとずっと、此処に居たに違いない。
ドン、と、左手側から轟音が上がった。
「殲滅せよ! 撃滅せよ! 肉片一欠片たりとてこの世に残すな!! か細く脾弱な漢土の民に、我ら西涼の勇を見せつけてやれいッ!!」
そちらの方面では、郭汜が兵を鼓舞しながら、先陣を切り、矛を薙いで敵の頸を刈り取っている。やや離れた所では張繍らが吶喊し、少し先行している張遼の一軍は、既に公孫賛の脇を抜け、次の陣に襲いかかっていた。
「全員、火の玉だ。自分の走路を遮る奴、残らず殺して道を作れ」
装備と言えば、大したものは無い。一枚の革の鎧だけを身に引っかけ、鞍と手綱を付けただけの最小限の装備で、馬の速度を最大限まで引き出したまま、一切緩めずに突っ込んで行く。
捨て身とすら思える、特攻。味方も、自分の命すら、省みる事は無い。付いていけなければ、それまで。
それは、退く事こそが禁忌である事を、血の刻印で知っているから。
それが、戦う為に生まれて来た彼らの――――――
馬上の民の戦であった。
「そういうもんだろ?」
弱い奴は死んでいった。そして今も、死んでいく。
生き残った者達だけが血を継いで、その子も飽くなき戦いに身を投じる。そうしてまた、強い者だけが生き残り、子を為す。
それが、彼らの民族の宿命。極寒と荒廃の僻地に追いやられ、国境に住まう屈強な異民族と、代々戦い続ける事を強いられた彼らの血は、強い者のみの歴史。
「遅れるなよ。止まったら、死ぬぜ」
死ぬ気で付いて来い。死ぬ気が無いのなら。
ちらりとだけ目配せし、片頬だけでニヤリと笑った。
剣を抜き、馬腹に合図を送ると、美しい一人と一頭が、互いに混ざってひとつになる。
星屑の麗姿が、一匹の獣になる。
強く、速く、怖い獣に。
――――――グン、と、ひとつ、身体を沈めた。
獣は、唸り声ひとつ挙げぬ代わりに、静かに、しかし恐ろしい程に大きく身を躍らせて、前足を肩と水平になるほどに振り上げる独特の走法で、地を飛び越えて疾駆し、敵の海へと突攻していった。
「なっ、ななななんですのアレはっ!?」
がばり、と袁紹が背もたれに掛けていた身を起こす。
組んだ脚を解いた際、白い太腿が露わになるが、普段なら顔良がはしたないと苦言をともす場面、しかし、お約束の文句も今は出ない。
顔良、文醜は兵の指揮に追われていた。
(何ということ――――――)
淳于瓊が、髪を逆立てるが如く、肩をいからせ、目を見開いて、尋常ならざる形相で戦場を睨み付ける。
(敵兵が出現するや否や、この戦場の色そのものが一変した! 段違い―――――否! そもそも俺の知る騎兵とは、具える強さの種類自体が全く別種のものだ!)
その騎兵侵攻の様には、先日の、奇襲を受けて散々に撹乱された魔の緒戦がよぎるが、あの時のように、縦横無尽に少数の騎兵隊が幾重にも飛び交うような事は無い。
その代わり、その機動力を一筋に集約した、一本の巨大な奔流が、真っ二つに戦場を切り裂く様が広がっていた。
物見に適した、高い台座を陣に築いていた袁紹軍の本陣からは、戦場の様子が一目で良くわかる。
虎牢関の門が破られ、先んじて突入した韓玄軍が次の刹那に、逆流するように雪崩れ出てきた黒鹿毛の軍団に、一息で飲み込まれた。
一撃で突き崩した前線を、さらに速度を緩めずに押し込んで粉砕し、なおも止まらず、走り抜ける。
次々と流れるように猛進していく羅刹の軍団、やや膨れるようにしながら、公孫賛、孫策に、我等が張郃・高覧の先陣隊にも手当たり次第、襲い掛かり、さらにはその奥に布陣した袁術や曹操にまで矛先を向ける勢い。
まるで、自らの進行方向に存在する悉くを、突き破って吹き飛ばさんとするかの如く。
圧倒的な、暴威。
激流―――――――
それはまさに、目前のすべてを呑み込み、圧し流し、一変させる。後には屍しか残らない、激流の暴威だった。
「まるで、疾さの塊だな」
不健康そうな顔の、細い目がさらに、鋭さを増す。
「中途半端に搦め手を使うことは、一切止めた様だ。奴は、連合二十万の陣層を先頭から最後方まで撃ち抜いて、東側に“退却”していくつもりだ」
郭図の薄い唇の口角が、少し釣り上がった。
奴らは、後ろには決して退かない。
目の前に立ちはだかる連合二十万の軍容に、真っ向から突撃し、突破して、東に抜けていく腹積もりだ。
全く――――――
「つくづく、我々漢人には想像だに出来ん用兵をするな、暴なる大地の、馬上の民よ」
「公孫賛が、抜かれたと?」
報せを持って来た斥候に、秋蘭が確認する。
韓玄を蹴散らした後、それぞれ、高順らは袁紹、もう一軍は――――――曹操軍は、それらを率いるのが張繍らだという情報は未だ掴んでいないが――――――は、孫策の軍に向かう。
そして張遼、華雄、呂布の三隊が構成する一軍は、公孫賛の左翼を削りつつ、そのまま脇を抜けて通過。
公孫賛軍はそれを捉えきれず、反撃に転ずる間もなく彼らの突破を許した。
そして、そのまま進路を変えずに張遼らが突進してくるとすれば、次にその進路とかち合う陣は此処、曹操軍である。
「泡を食って洛陽に退いてくれれば楽だったが。まあ、そう上手い事、思惑通りにゃ動いてくれんよな」
大儀そうにつぶやくのは、武蔵であった。
「だが、いくら陥陣営といえど、この侵攻の速度は尋常ではない。いや、それ以前にだ――――――本拠地が陥落した状態で、前のめりに虎牢関に猛攻を加え続けている連合軍二十万に、よりにもよって、真正面から突撃してくるだと? 馬鹿な。正気の沙汰では無い」
「この場面で凡手に留まらん事が、“陥陣営”の渾名の由来なんだろう。勝負所で力を抜いてはいかん。奴は、戦というものを良く知っている」
「何?」
「敵を狩るつもりなら、狩られるつもりであらねばならん。原則にして、鉄則だ。島津の退き口だよ」
「島津?」
「薩摩隼人の鬼島津だ。黒田の長男に付いて関が原に赴いた時に見たきりだが、戦上手というのは、その辺の事を良くわかってる奴らの事を云うんだろう」
もし、高順が堅実策を取って洛陽に退いていれば、主導権はずっと連合が持ったまま、戦は滞りなく終わりまで行ったはずだ。反抗の意志の無い軍を追撃するのは易く、逃げた先の洛陽でも既に反董派が挙兵しており、態勢を整えるのは至難であったろう。連合軍は勢いを失わないまま、常に優位に立って攻め立てる事が出来た。
だが、高順が選択した作戦は、ほぼ捨て身の特攻である。
チラリとでも弱気になり、腰を引いて後ろに体重を傾ければ、一気に押されて崩されていたに違いない。
退く時であればなおさら、攻めて来る相手に対して受け身とならず、むしろ突き返してやる、くらいの強気で相手に対して臨まなくてはならない。
それはまさに、若き日の武蔵が関が原で見た、背中を向けるのではなく、あえて真正面から敵中を突破して活路を作り退却する、島津の退き口であった。
裸の命を叩きつける、狂気の猛攻。死に飛び込むが如き突撃。
恐らく――――――高順という男は、そして彼ら西涼の中核を担った歴代の勇騎兵達は、極寒の大地で、精強なる異民族の戦士たちを相手に、こういった戦いを、飽くることなく繰り返してきたに違いない。
「敵を打つ時は、必ず、悉くの反撃を潰せるように攻めねばならん。奴らが攻めてこないと思い込んだ時点でこっちの劣勢だ」
逆に言えば、攻める立場であった連合側は、前のめりになり過ぎた。敵を狩ろうとするばかりに、狩られるという想定が頭から消えていたのであろう。戦が上手くいっている時ほど、そうなりがちである。
敵を殺しにかかるという事は、必然、敵が殺しにかかってくるという事でもあるのだから。
だからこそ、不意に全力の反撃を受けた時、備える意識を怠っていたが故に、反応できなかったのだ。
むしろ高順が、直前まで一切打って出ずに関に籠っていたのは、その速度差、防戦一方からの特攻という、静観から反撃に転ずる際の緩急の差を、最大限に活かす為だったのだろう。
(とはいえ、これほどの兵力差を自覚しておりながら、攻め寄せる大軍相手に真っ向から突撃するのは、やはり相当の決断力と覚悟が必要だったはず)
しかもそれを、味方の雑兵一人一人までに突き付け、強いる苛烈さ。
それは凄まじければ凄まじい程、そのまま戦慄となって、敵を斬り裂く。
それこそが、戦いに生き、戦いに死ぬ彼ら北の民の真骨頂であり、彼らがこの中華で最も強い理由なのだろう。
「ノッポ!」
「へい」
「もうそろそろ――――――こうやって喋ってる間に、もう来るぞ」
右手を、人差し指だけ立てる様にして少し開き、くるりと後ろを振り向いた。
既に控えていたノッポは、特に上擦る事も無く、低く落ち着きのある返事をする。
ニキビと三人組、楽進、李通――――――皆一様、同じような面構えであった。
「仕事の時間だ! 小遣い稼ぐぞ」
「おおしゃッ!!」
パンッ、と、手を叩く様な、張りのある返事が響いた。
「……ああ、李通、陳恭。少し待て」
ぞろぞろ、それぞれの持ち場に戻ろうと、一行が歩き出した時、武蔵がちょいちょいと呼び止める。
「お前らは今回、別行動」
指名を受けた二人は、振り返り、何事かと武蔵を見返して――――――
その後、陳恭は相変わらずの無表情、李通は、露骨に面倒臭げな色を顔に浮かべた。
「先に突入した公孫賛はどうなった!?」
「韓玄軍が突き崩されただと!? 馬鹿な! 奴らの先鋒は厳顔と黄忠の部隊だというのに!」
「くそっ、一体何が起きて……」
「――――――失礼、いたします……」
「ッ!?」
所代わり、孫策軍・最前線――――――
急速に変わる状況に混乱を呈す中、ふわりと流れて来た、たおたかな声。
品の良い、有閑夫人を思わす様なおっとりとした口調と共に、突然と現れた。
不意の来訪者に、赤備えの兵士達はバッと振り向き――――――その影を捉えるよりも前に、噴き上がった血飛沫の中に沈む。
社交界の挨拶の様に優雅に現れた魏越は、瞬く間に二人、次いで三人の首を斬り裂くと、それを楔に、後続の兵が雪崩れ込むように突入し、前線を粉砕する。
「おらおらー!! ウチらに勝てると思ってんのかよー!!」
敵中に斬り込むと、混乱する隊列を縫って、一人の少女が躍り出た。
先頭を切る魏越に並びかかり、長刀を振り回して、敵中を抉じ開けていく。
「くそっ! 一体なんなんだ、こいつらッ……!?」
「愛馬の手応えが脊髄を震わせ、土埃と脂が身体を巻いてへばりつく」
「ッ!?」
「肉と骨は蹄に砕かれ、刃に啼いた断末魔が、血とともに噴き溢れる……」
「なんっ……ぎゃッ」
混乱する兵士たちを、駆け抜けた一陣の銀の牙が打ち抜いて行った。
それは、まるで弾丸――――――否、人馬一体となり、すれ違いざまに眉間を仕留めていった、血濡れた槍の穂先であった。
「命の、手触り」
狂気的な疾さに任せて猛る、暴虐な群れの中で、阿鼻叫喚の修羅場を駆け抜ける愛馬の背中に身を委ねながら、肉と内臓の破片と、返り血のへばりついた槍の穂先から柄にかけてをつうっ、と撫で、張繍は唇に笑みを滲ませた。
「嗚呼、なんと濃密な――――――“生”の実感ッ!!」
「っ!」
「これは……!?」
虎牢関で激戦が繰り広げられていた、ちょうどその頃――――――
洛陽では、血の雨が降った。
「あら……」
祖茂は初め、その戦闘では味方の方が敵よりも多いと見込んでいた。
喚声が大きく、人垣越しに察する前線の動きは激しい。しかし一向に剣撃の音が聞こえてこず、敵の前線を押し込む事が出来ずに、ある一定のラインで膠着している。
つまり、多勢の味方に対し、寡兵の敵が粘っている事を意味する。
骨が折れる、と思った。
首都への潜入、董卓の洛陽駐屯軍のうちの精鋭を都から遠ざける為の流言工作と情報操作、それに呼応しての内乱扇動。そこまで作戦を成功させつつ、たった二人で洛陽に留まっていたのは、それとは別の目的があったからだ。
董卓の拉致。
袁紹の軍師から下って来た、連合軍としての後方撹乱の任務の他にもう一つ、それが祖茂が孫策から独自に命ぜられた“密命”である。
董卓の身柄を拘束出来れば、外交に置ける最高の手札となり得る。未だ西方に強い地盤を持つ董卓の本拠地勢力に対する揺さぶり、上手くすれば、その兵力を取り込む事も可能――――――
袁術の従属勢力に過ぎぬ貧弱な孫策軍が、この大戦を“てこ”として台頭する為の布石。
むろん、連合軍に秘密裏に、実行するとすれば、この戦のほとぼりが冷めた後あたりだろうが。
ともあれ、雑兵が味方と同じくらいであれば、同程度の力で組み合う乱戦の中を縫って、董卓に接触する事が出来る。ここまで潜行してくる間に分析した、反董卓勢力の兵の練度と力量程度であれば、祖茂と周泰ならばそれは充分に可能であるからだ。
しかし、少数で多勢に拮抗しているのであらば、董卓兵の一人当たりの戦闘力は、反董卓派の兵士より上。
故に、董卓拉致はより難しくなる。骨が折れる――――――
そう、考えていたのだが。
「今日はあなた、お一人かしらぁん?」
交戦を続ける人の一群に潜ると、にわかにその群れが崩れた。
人垣の隙間から血飛沫がひとつ確認できたかと思うと、前線が一斉に退き、やがて蜘蛛の子を散らして、祖茂と周泰を残して逃げていった。
二人は、不意の動きに不可解さを感じたが、人が掃けると、成程、その理由がわかった。
「…………」
長い長い、黒髪の麗人。
三尺余りの刃渡りの、染まっているのは一尺のみ。
少ない、とは予想していた。だが、たった一人とは、さすがに思っていなかった。
その男を中心に、一間ほど離れた所に引かれた半円の赤い線、それより後ろには、男一人と、戦火に不釣り合いな華美な一両の馬車のみが居り、
それより前には、夥しい数の血と骸が転がっていた。
今超時間ないっす。
とりあえず更新だけして、後で改定する。