反董卓連合編・四十五話
「なんだとぉーーーーーーッツ!!!!!?」
虎牢関から、絶叫が響き渡る。
連合の大軍と睨み合う彼らに、もたらされた洛陽からの一報は、青天の霹靂であった。
「ら……洛陽での反董卓派の決起に、漢の正規軍勢力が悉く同調し、民衆までも巻き込んでの暴動に発展、不意を突かれた我らが本隊は混乱し、洛陽近郊の拠点が次々と侵略されておりまする!!」
何故? という疑問が、混乱と混じって諸将の頭を過る。
彼らにとって、その報せは、全く予想の外であった。いや、反董派の決起自体は予想済みの事であり、そのために都に多大な予備兵力を残しておいたのである。だからこそ、万全の備えをしていた筈の本丸であったが、それが殆ど、何の前触れも無しにいきなり崩されたのである。
その困惑の程は、彼らの声色と声量が物語っていた。
「馬鹿な! 洛陽には、少なくとも五万の兵が駐屯していた筈だ! 反董派が挙兵したとしても、それで十分に対応出来だだろう!!」
「此度の高順殿の要請により、連合軍との決戦に参戦する為の援軍が派遣された所を狙われました。どこからか、情報が漏洩したようで……」
「……何?」
郭汜が使者に憤慨を露わにして詰め寄ったが、使者の語る説明を聞いて一転、いぶかしげな顔をした。
それを聞いて何かの察したか、李確が、チッ、と、一つ舌打ちをした。
「古い手に乗せられたモンだな」
そう一言、吐き捨てる様に言うと、つか、つか、と、ポケットに手を突っこんだまま、その報せを持って来た遣いに歩み寄っていく。
使者が、何か、と呆けていると、李確は表情一切変えぬまま、いきなりその使者を蹴り飛ばした。
「敵の偽報だ!! しょうもねェ手にかかりやがって!」
「よせよ、確」
未だ事情を飲み込めぬまま、胸元を蹴られて吹っ飛ばされた使者に対し、カッと李確は一喝する。
それを宥めたのは、皆が使者を囲んでいた所から少し離れて、それからは背を向ける形で、長椅子に座ったままでいた高順である。
「騙されたのは、別にそいつだけじゃねえんだ。そいつに当たった所で、どうにもならん」
椅子の背もたれに腕を回したまま、椅子に身を沈めていた高順は首を捻って肩ごしに、流し目だけで李確を見遣った。
李確は高順と数秒、視線を交わすと、ばつが悪そうに舌打ちし、頭を掻くと、倒れこんでいる使者に手を貸し、起してやり、未だに咳き込んでいるその者の背中を、やや乱暴に摩った。
「おい」
「げほっ、げほっ……はい」
「皇甫嵩はどうした? 漢人の過激派は、あいつが防波堤になって止めていた筈だ」
「それが……皇甫嵩殿は反董派の挙兵に際し、矛を収める様、和平交渉に向かったのですが……」
高順が、皇甫嵩に付いて言及すると、使者は言い淀んだ。
高順の声質は、いつもより堅い。
「王允が設定した会談の場に、皇甫嵩殿は供回りのみ率いて赴かれましたが、待ち構えていた朱儁の伏兵を受け……それで」
「なっ……」
「……皇甫嵩殿が謀殺された後、王允は“皇甫嵩殿は董卓一派によって暗殺された”と、その咎を我らに被せ、皇甫嵩殿の軍勢は王允らに吸収される形に……」
「何ッだそれは!! ふざけるな!! 無道にも程がある!!」
「……ま、王允ならやるだろうな」
「まんまと、ウチらが悪役かい。相変わらずいじましいなあ。あのクソ爺、前から嫌いやってん」
報告を受け、絶句した一同だが、やがて華雄が、室内を揺らすような怒鳴り声を上げた。
預かり知らぬ所で、謂れ無き誹謗を被った事に、面々は憤りを発す。
漢の下での中華思想に置ける、最優等人種の血を引く生粋の漢人、郭泰に絶賛された名士であり、三公の一角である王允が、鶴の一声発せれば、烏の色も白くはなろう。
大方、得意の口車で諸勢力を上手く丸め込んだのだろうが、何の事は無い。董卓を排除し、皇甫嵩が死ねば次代の漢の摂政となるのは、司徒の位にある王允である。わかりやす過ぎる方程式だ。
各方の有力者がそれを見越して王允に媚を売り、そういう事情に頭の回らない民衆や末端の兵士が、印象ばかり小奇麗で清潔に見える男が、いかにも自信有り気に叫ぶ正義だの大義だのという言葉に、すっかりその気になって煽られている図が目に見える様である。
朱儁はこういった、自身の権力への執着そのものは薄いが、こいつはこいつで、漢民族こそが天下で最も崇高な民族であり、それ以外の民族は全て滅ぶべきであり、それを統べるのは漢を勃興させた皇族の末裔たる、劉家の皇室以外にはありえないという、大昔に劉邦が布告と教育と粛清で造り上げた、漢民族による優等人種支配論を本気で信じている民族主義者である。
野蛮で粗野な異民族は、いつだって悪者だ。
漢の都たる洛陽には、非漢人よりも漢人の方が、圧倒的に数が多いのだから。
「――――――腐っているな」
ぽつり、と小さく、高順が呟いた。
高順の脳裏に浮かぶのは、護国の志に殉ずる、清廉な国士。
チッ、と、ひとつ、聞こえない舌打ちをした。
茶渋のように染みついた価値観に従うのを良しとせず、安易な世論に傾くのを良しとせず、あくまで自分の規範で国に報いようとした不器用で硬骨で、頑ななな女史。
だから、言ったのに。疲れる生き方だと。
(…………)
高順の目。美しい、銀色。一瞬の物想いに耽る。
唇が、少し開いた。
国に殉じた堅物の、正直者への報いが、それか。
“漢”よ。
「おい、遣い」
「はい?」
「洛陽からは誰が、どれくらいの兵を率いて出陣した?」
「……」
「別に、仲間の咎を問おうなんて思っちゃいない。話せ」
「はっ……率いているのは、張繍殿、魏越殿、成廉殿の三将、各、精鋭一万ずつを率いて此方に急行しておりましたが、洛陽の変事に際して、今はその途上で待機。指示を待っております」
口を黙した使者を促し、高順は味方の情報を求めた。
高順は口元に手を添えて、暫し、思索を交錯させる。
やがて顔を上げると、綿のクッションを弾ませる様にして、長椅子から立ち上がった。
「すぐに此処に来いと伝えてくれ。急ぎでな」
「合流し、洛陽の鎮圧に向かうか」
「いや、洛陽には向かわねえ」
「どうする気だ?」
「出陣して、連合の軍容を正面から突破する」
「何!?」
高順の提案に、郭汜が目を剥く。
「今、洛陽の救援に向かえば、連合に虎牢関を抜かれる。そうなりゃ洛中の反董派と、西進して来た連合とで挟み撃ちだ。洛陽に入っても、救援どころか共倒れだろう。その上、函谷関には馬超が居る。とても長安までは逃げられん。もう、西側に戦略上の価値はねェ。捨てる」
「待て待て! 捨てるっちゅーて、月や詠はどないすんねん! まだ洛陽に居るんやで!?」
「あいつらの援護は要らない」
「何で!!」
「あいつらの護衛は、佐々木小次郎だ」
「むっ……!」
その名前で、張遼は口を噤んだ。
会戦前に、高順は皇甫嵩が一人になる頃合いを狙って会いに行ったが、結局、殺しはしなかった。
信頼に足る男である、と判断したのだろう。高順は、人を観る事には長けている。
「……ちっ」
小次郎に仕事を頼む事が気に入らないのか、険しい表情で舌打ちをした。
この女は、竹を割った様なさっぱりした性格だが、それゆえか、人間の好き嫌いもはっきりしている。
張遼は小次郎を余り好いてはいなかった。性格的に、合わない所があるのだろう。
だが、任務に対し能力的に信用に足るか否かは、佐々木小次郎、という名だけで判断で来た。
「だが、順。本気かよ?」
「ん?」
「俺らは掻き集めて二万ちょいだ。張繍達と合流して五万……奴ら、優に二十万以上だぜ?」
「らしくねえな、確。お前が怯える訳がねえのに」
李確が、やや目を丸めた。呆ける、と言った風では無い。意外そうな顔。
もう少し、意地悪な返し方をしてくると予想していたが。
「命は、弱さを許さねェ」
涼州の民は、戦う民。
死ぬべき奴は死んでいった。今に始まった事じゃない。
昔から、そう決まっていた。どんな戦いであろうと、その決りには関係無かった。
「そうだろ?」
ガキの頃から、俺達はそうだった。
一年経たずに隣の友人が入れ替わる宿命の彼らが、子供の頃から互いの顔を見知っている知己を持っている事など、殆ど無い。
その上で――――――長い付き合いだろう、俺達は。
月の牙、白銀の瞳。漆黒の髪に、北人の血の眼。
端整な唇が、不敵に歪む。
李確は銀色の髪を掻き上げると、少し肩を竦めて、声も無く笑った。
「面白えな」
「何がだ?」
武蔵は地面に寝そべる貴婦人の馬体に腰掛け、干乾しの鮭を、星に貰った酒に漬けつつ食っている。
話相手は、すらりと傍らに立ったままの秋蘭。
食い物の食べ方も贅沢なら、暇つぶしの相手にする女も贅沢な男だ。
「肌の色も瞳の色も顔の系統も違う人間が、一堂に会して、同じ言葉を喋ってる。髪も、黒に金、栗に赤毛と、実に多様な人種がるつぼを為す。敵軍には、銀の髪をした奴らが沢山いたな。そういう光景をいっぺん、改めて落ち着いてみると、成程、面白えと思ったのよ」
長崎の様だ、と言って、武蔵は鮭の端っこを噛み千切った。
漢の十三州に散らばった各所の有力者が、一度に集まったこの戦場である。この人種の多種多様さが、“漢”という概念の持つ規範の広さを物語っている。
大和民族による単一民族国家である日ノ本では、極めて想像しにくい光景ではあった。
「面白い話をしてやろうか」
「うん?」
「昔、後漢を建てた光武帝は、艶やかな金髪を持つ麗人だったらしい」
秋蘭が誘って、ふと、そんな事を言った。
秋欄からこういう切り出し方をするのは、聊か珍しい。
「元々、高祖・劉邦を初めとした純粋な漢民族は皆、黒髪で、金髪という身体的特徴は、その他、非漢人種のうちの一つとして見做されていたという。が、緑琳軍から独立して皇帝を名乗った光武帝の権勢が増すと、一転して金髪は『高貴な血の証』という事になった。やがて光武帝が統一に成功すると、位の高い家柄の人間は、婚姻の折には好んで金髪の婿や嫁を遣る様になった。だから今でも、名家出身の人間には金髪が多い。袁紹や袁術は見事な金髪だろう?」
「ほう、成程な」
という事は、黒髪や金髪が漢人的容姿、それ以外が非漢人的容姿、という事になる。
そういえば、荀氏出身の桂花も、金の糸の様な美しい金髪であるし、中央高官を多く輩出している周家の出身である周瑜は、南人の家系ではあるが、漢人の血も多く入っているのであろう、南人的な趣ある容姿に、濡れ烏のような黒い髪を持っている。逆に公孫賛などの地方豪族は、根っから、地元でのコミュニティを確立して来た血筋なのだろうという事が、容貌から一目でわかる。
「……ん? だが、」
「例外もある……という事さ」
ある事に気付いて、武蔵が秋蘭の顔を見上げると、秋蘭は見越していたのか、自らの、色素の薄い髪を、指先でサラサラといじり、悪戯に笑った。
夏侯氏はかつて、劉邦の同郷で小役人から身を立て、地方の侯にまで昇った夏侯嬰を先祖に持ち、曹氏はかつての漢帝国の相国・曹参を祖先としている。
故に春蘭は美しい黒髪を持ち、夏侯家の父と曹家の母を持つ華琳は、煌びやかな金髪を持っているのだろう。
だが、二人とは近親に当たる筈の秋蘭は、それとはかなり異なる系統の髪をしていた。
言われてみれば、秋蘭は二人よりも若干、色が白い。
ただの個人差だろうと、武蔵は気にも留めていなかったが。
「家名の拠り所となっている祖・夏侯嬰から、四百年も隔たっている家だ。その間、浮き沈みもあった。由緒正しい漢民族と嘯いた所で、何処の誰の血が混じっているかなど、知れたものでは無い。たまたま異民族の血の特徴が、私に現れただけだろう。そんなものなのさ。血筋や、人種の根拠などというのは」
何しろ、蛮族であった筈の金髪の民が、ある日突然、高貴なる漢民族となるのだからな――――――と、秋蘭は皮肉めいた事を言って、もう一度、少し大袈裟に笑った。
劉秀は今日でこそ後漢の開闢者だが、元を辿れば出自詳らかならぬ、ただの農民である。
「血筋、以前の問題だろうよ。容姿の差異などは」
武蔵が、ふ、と、ひとつだけ肩を揺らせて、鼻で笑った。
「俺は実家も、それなりに由緒ある武家だが、俺は見ての通り、この髪と瞳だからな。親類全員、紛れもなく大和だがよ」
武蔵と秋蘭の視線が交錯する。
武蔵は、薄い笑みを湛えていた。
「そんなもんだ」
「ああ、そんなものだな」
秋蘭も、あくまで微笑を浮かべたまま。
「だがそれでも、大衆がそうだと信じ込まされれば、そういうものになる」
「信じ込めば、な」
片膝を立てて、相変わらず武蔵が寄り掛かる貴婦人が、ひとつ、大きな欠伸をした。
戦場は、不気味に静けさを保ったままである。
――――――この静寂が破られたのは、二日後。
洛陽にて、反董卓派の武装勢力が一斉蜂起したという報が連合軍大本営に飛び込み、盟主・袁紹の号令一下、虎牢関への
総攻撃が開始された時であった。
おれの相棒・ノートpcの帰宅記念更新。
この辺の話、伝わってるのかなあ……自分で書いてても分かりづらいと思うもの。
まあ為になる事とか徳の高い事とか一切なくて好き勝手なことを書いてるだけだから、大仰な事言うつもりは全然ないんですけれども。