反董卓連合編・四十二話
「ふむ、さすがに凄まじい」
「落ち付いている場合か! 全く」
諜報を一瞥して、しれっと言った郭図に、淳于瓊は手の甲でピシャリと机を叩く。
「韓玄の軍は黄忠とかいう若い婦人を新たな将帥に繰り上げで据えたらしいが、劉岱を初め半分近くの軍が、指揮系統の見直しを迫られている。前線の劉備・公孫賛も損害を考えれば後ろに退げねばなるまい。それはおろか、孔由の残党は既に予州に撤退して居るのだぞ。我が軍も麴義が負傷している。たった一昼の交戦でこの被害だ、もっと深刻になれ!」
「奴らはこの中華で最も強く、疾いと謳われる騎馬軍だ。これくらいはやるさ」
淳于瓊は眉間に皺を寄せ、時々人差し指と中指で額の辺りを叩きつつ、手振りを交えて如何にも大事であるように説くが、郭図の声色は、相変わらず平坦。
いつもの、不健康そうな蒼っ白い顔色と細面の無愛想を全く崩さず、つらりと書面に目を走らすのみだ。
「そう騒ぐな、淳于。そもそも、戦で兵を失うのは当たり前だ。討伐の軍を起していながら、攻めるのは危険だなどと阿呆をぬかす孔由や劉岱の役立たずが潰れただけの事。劉備らは一定の戦果を出している。単純に、彼我の戦力差が現れた結果だ」
「何を他人事の様に言うとるか! もしあの混乱し切った状況で新たに兵が投入されていたら、我々はあの一戦で壊滅していた可能性もあり得るのだぞ!!」
「ああ。もしあの時、数万単位の後詰めに追撃を受ければ、我々は間違いなく撃破されていただろう。董卓天誅と言う大義は、連合軍の完膚なきまでの敗北とともに砕け散った筈だ」
「な……!」
肺の空気がカッと熱くなった気がした。
淳于瓊の言う所は大袈裟でも何でもなく、今後の戦の模様を占う最も重要な個所であり、戦の常道から考えれば一刻も早く対抗策を練らねばならぬ事態である。
それなのに、この男の人を食った様な物言いときたら、直ちに打開せねばならぬ状況であると言うのに、全く気の無い風で、情報の上面を棒読みしていくのみ。
真面目に議論をする気はあるのかと問いただしたくなる。
「奴らがそれをしなかったのは何故だ?」
「あ!?」
「何故、奴らは我々に止めの一撃を放たなかった?」
視線を下に落したまま、おもむろに呟いた言葉に、淳于瓊が鬱憤のまま粗暴な声調で返事をしたが、それを受けると郭図は舌鋒と語気に鋭さを加え、逆に迫る様に淳于瓊を見返した。
その調子の変わった様子に、淳于瓊は思わず二の口を詰まらせる。
「先の奇襲における陥陣営の指揮手腕を鑑みれば、その様な好機をむざむざ逸するなどありえん。なのに何故、奴らは我らを充分に撹乱したあの状況下で、追加の兵力を投入しなかったと思う?」
「…………」
郭図の問いに、淳于瓊は言葉を一旦溜めて、口元に手を当てて思案する。
そう、郭図の言葉――――――元々は自分が最初に発した言葉だが――――――それを考えれば、自ずと当然の疑問に突き当たる事になる。
連合軍の受けた被害、そしてあの混乱ぶりを考えれば、奴らの奇襲は上々の成果を挙げたと言っていい。
ならば何故、奴らは我々の態勢をそこまで崩しておきながら、追撃の一手を打たなかったのか?
「簡単な話だ。要するに、そうするだけの余力が無かったと言う事」
手に持っていた書紙を、パサリと机に放した。
血色の悪い唇が、それと対照的な凛としたアルトで言葉を紡ぐ。
「関から打って出た華雄が約一万。両崖から出現した奇襲部隊は全部を集めても、それ以上の数にはなるまい」
顔にかかる、前髪を払う様に梳く。
論を纏めに向かわせる前によくやる、この男の癖だ。
「つまり奴らの軍勢はどう多く見積もっても二万強、各関に点在しているであろう守備兵を考慮しても三万程度。恐らくそれが、虎牢関に依る敵戦力の全貌だ」
「な……」
まさか、と言いかけて淳于瓊は顎に手を添え、郭図の言葉を咀嚼しつつ思案した。
成程、考えてみれば極めて単純な結論だが、理に適っている。というか、そうでもなければ説明が付かない。
そもそも敵対諸侯に囲まれている董卓軍にとって、戦は長引けば長引くほど不利だ。
まして兵法の原則からすれば、勝てる機と見たら一気に全力を懸けて其処で決めてしまう事こそが極意であり、鉄則。見逃して次の機会を待つなどと言う事は二流の取る下手。
百戦錬磨の董卓騎馬軍がそれを見誤るとは思えない。
「尤も、その殆どが騎兵であるという事を鑑みれば、充分に恐るべき兵力だと言えるが……」
そこまで考えが至れば、後は郭図の解答を聞くまでもない。
「宮中の反董卓派の動きか……」
「ああ。董卓討伐の密勅を流したのが朝臣の橋瑁だと知っているのは、直接檄文を受け取ったごく一部の諸侯のみだが……恐らくは橋瑁に留まらず、相当数の反董派が洛中に潜んでいるのだろう。そいつらへの備えのために、奴らは虎牢関に全力を傾ける事が出来んのだ」
董卓軍は八方に敵を迎え、虎牢関は元より、南側からは荊州から宛城の軍勢、北には孟津、さらには河路を利用しての并州からの軍勢の存在も懸念され、西からは馬騰を初めとした関中軍。
そこへ首都圏に潜む反董卓分子の抑えの為となれば、洛陽にも相当数の軍を配備せねばならない。
つまり、それら各戦線に対し、それぞれ充分な防備をしておかねばならぬという事情が、強大な兵力を持つ筈の董卓軍が寡兵にならざるを得ない理由であり、郭図が彼らの兵数を推察した事の根拠でもある。
「成程。なら、奴らの全体的な戦略の概略は見当がついたな」
思案を終えて、空中で広げた掌。
節くれの、熊の様な豆でガチガチになった武人の手だ。
「つまり我々への備えとしては、難攻不落の虎牢関を盾に最小限の兵力で防がせ、その分、洛陽の防備を万全にし、さらに他の戦線に兵力を重視させる。そしてこの東部戦線が粘っている間に他の方面の勝負を付け、しかるのちにそれらの軍勢をこちらに回し、籠城軍と呼応して我々を一掃する……という目論見か」
「ああ。奴らの軍師は、水も漏らさぬ鉄壁の布陣を好むらしい」
「しかし、どうする? 寡兵とはいえ、籠城戦でも威力を発揮する奴らの機動力は脅威に尽きるぞ。迂闊には攻められまい」
「野戦であれば、我々に勝機は無かっただろうな」
「馬超が西部戦線を抜くのを期待するか?」
「期待はしない方が良い。馬超が勝つか負けるかは今の時点では判断が付かん。策とは、あくまで自らの判断が及ぶ範囲で構築するものだ……不確定要素を公式に組み込んではいけない。馬超の軍勢をアテにして、もし馬超が敗れれば、その時点で我々の敗北が決定する」
「ふぅむ…………」
あの苛烈な戦いぶり、そしてその異常な騎兵の比率と練度を見れば、虎牢関に籠るのは、董卓軍の中でも最精鋭を選りすぐった二万であると考えて間違いない。
精鋭であるが故に、防衛に必要な兵数をギリギリまで絞る事が出来る。その分、他の方面に兵を集中させる。穴と言う穴を徹底的に減らし、損害を限界まで嫌う陣の敷き方だ。
現に先の緒戦以降、押せ押せだった連合軍は一転して包囲を遠巻きにし、奇襲を警戒する堅守の構えへと変更した。
結果、両軍の衝突は鳴りを潜め、膠着状態――――――二万の兵に二十五万が釘付けになるという、郭図の戦況分析から鑑みれば、まさに敵の思惑通りといった展開の現状。
今となって考えてみれば、先の奇襲は、連合軍の機先を制し、士気を挫いて、まさにこの状況を作るために行われたものだろう。
「――――――もし」
議論の隙間に出来た数秒の空白の後、トン、と、青い血管の透けた蒼白の細長い指が、何かを区切るように机を突いた。
結ばれていた血色の悪い唇が、おもむろに開かれる。
――――――沈黙は、整理された情報が頭脳の中で混ざり合い、練り合わさって熟する過程。
「洛陽の軍勢を動かせるとしたら、どうだ?」
やがて、思案の塊は一つの形に。
導かれた一本の思案の糸は、言葉となって外に紡がれ、時は再び動き出す。
「何?」
「先の戦闘は奴らにとっては大戦果と言っていい。あの一戦で彼我の士気は逆転した」
「それは、何度も言わずともわかっている」
耳の痛い話を聞くかのように、淳于瓊は眉間に皺を寄せた。
郭図の眼光は変わらない。右手の人差指と中指を机に突き立てるようにしたまま、左手の指二本を、杖突く様に米神に添える。
「此処で、その戦果を中央に伝えた上で、陥陣営が我々との勝負を一気に決めんとして援軍を要求すれば、洛陽の本隊はその要請を疑いはしないだろう」
「――――――馬鹿な」
淳于瓊がかぶりを振る。
「陥陣営がそんな要請をするわけが無かろう。直情径行の将ならばともかく、奴が勢い任せの闇雲な会戦に踏み切る筈が無い。そもそもお前の見立てから言えば、洛陽に兵力を割いているのは洛中に潜む反董卓派の挙兵に備える為の……」
そこまで語ると、不意に淳于瓊ははたとし、明らかに表情の色を変え、がばっと郭図を見返した。
何かに気付いたのだろう。
一拍の沈黙は、其処に至った思考が、答えとなって頭の中に浮き上がるまでの間か。
「……奴らは掛かるのか、その策に?」
「斥候を二つ。今ならば可能だ。恐らく、本軍の何割かの部隊は騙せる。ようは一時的に洛陽の董卓軍を動かし、手薄にする事が出来れば良い」
郭図は一度目を瞬き程度に瞑ると、椅子の背もたれに身体を預けて、脚を組む。身体から力が抜け、ゆったりとした様子で、太腿の上で両手を組んだ。
「奴らの敗因は二つ。一つは被害を完璧に抑えようとする余り、慎重になり過ぎた事だ。多少の痛みを覚悟してでも、陥陣営に十万……いや、八、七万規模の軍勢を率いさせ、籠城せずに我々と野戦で雌雄を決していれば、一戦で決着を付ける事が出来ただろう。故に、付け入る隙を与える事も無かった」
「…………」
「もう一つは……」
郭図には見えているのだろう。この戦争の全体図が。
そして恐らくは、両軍の采配、勝敗の行方も。
「奴らは“異民族”だった。この国で最も強い奴らが敗れる理由は、たった、それだけの事だ」
「――――――雪蓮姉様! 当面の指揮は我々に任せて、しばらくは養生なさってください! 傷は骨まで達しているんですよ!?」
「な~に大袈裟な事言ってるのよ、蓮華。こんなの二、三日ほっといたら治ってるっての」
「そんなわけがないでしょう! 治りを悪くし、万が一、不具にでもなったらどうするんですか!!」
「片腕でだって指揮は執れるじゃない」
「そういう問題ではありませんっ!!」
陣内をスタスタと歩く孫策を、一歩後ろから追従する少女が怒鳴り付けた。
飄々として、軽口を叩きながら三角巾でぶら下げた自らの腕をぺしりと叩く。がなり声が、一層激しくなった。
眉間に目一杯皺を寄せる少女の顔立ちは、雪蓮にとても良く似ていた。
「冥琳! 居るかしら?」
「聞いていらっしゃるのですか、姉様っ!」
「騒がしいわね……雪蓮、居るか居ないか聞くのなら、天幕を潜る前に聞くべきじゃないかしら?」
「何水臭い事言ってるのよ、私達の仲でしょ~?」
「はいはい。どうでも良いけど、孫権様の言う事はちゃんと聞いて」
「え~、冥琳ったら、蓮華の肩を持つの? いけず! あの断金の誓いを忘れたっていうの!?」
「あなたの事は信頼してるわよ、信用はしていないけどね」
「ひどっ!?」
怒りの孫権を伴いながら、返事を聞く前に踏み行った幕営で、周瑜に冷たくあしらわれるその元気さには、既に数日前、呂布と斬り結んだ際に負わされた上腕の傷の影響は無い様だ。
馬に乗らぬまま、馬上の呂布の斬撃を数合まで受け止め、ついに貰った一閃の傷口から鮮血をどくどくと流しながらも毅然とし、呂布が作戦に則り退却するまで一歩と退かず、堂々と構えを取り続けていた姿は、実に凛とした一丈青ぶりであったが、このあっけらかんとした姿を見ていると、単なる無神経なのか、とすら思えてくる。
――――――実際には、それほど組みしやすく、柔和な人物でもないが。
「で、どうしたのかしら、雪蓮」
「カレンちゃん、居るかしら?」
「花蓮……大栄殿を?」
「そ、今から呼べる?」
「呼べるけど、あの方は今、陽州で諜報の真っ最中よ。呼んですぐに来れるかは……」
「――――――その心配は無用よォ、冥琳ちゃん」
その声は、不意に天幕の外から聞こえた。
一度聞いたら忘れはしない、真っ直ぐ伸びる様な、良く通る―――――野太い声。
先代・孫文台より仕える宿将にして、孫家四将軍のうちでも最古参、程普、韓当、黄蓋らに続く最期の一角。
肌は玉の如き白、腰は細く、優雅で雅な立ち姿。その潜入手腕は蠍の如くと称され、主に情報収集・特殊工作にて数々の功を挙げ、先君から直々に真名を賜った重臣。
「そ~ろそろ御呼ばれする頃だと思ってたのよねェん♪ うふっ!」
祖茂、字を大栄、真名は花蓮――――――
――――――紛う事無き、“漢女”である!
「久しぶりね、カレンちゃん」
「本当よォ~! 策ちゃんってば、久しぶり! 冥琳ちゃんも元気してたぁん?」
「か、花蓮殿! いつ此方へいらしたのですか!?」
「ん……!? あらぁ~、蓮華ちゃんじゃない! しばらく見ない間に随分綺麗になっちゃってぇ♪ ますますお母さんに似てきたわねェん♪」
くねくねとしながら、化粧を塗りたくった顔を彼女ら一人一人に近づけ、大袈裟に喜色を発す。
表情は屈託のないものだが、目の上の紫紅と口紅が恐ろしい程どぎつい。
「風の噂で聞いたんだけどぉん、この間、高順に連合軍がボコボコにやられちゃったらしいじゃなぁい。そろそろアタシの力が必要だと思ってぇ、すっ飛んで来たのよぉん」
「あら、さすが情報が速いのね、カレンちゃん」
「当然よぉ、イケメンと孫家のある所にカレン在りよぉん♪ 漢土の端から端まで三日で往復してやるんだからぁん」
「……高順? 大栄殿、敵軍を率いているのは、あの陥陣営・高順なのですか?」
孫策に向かって、バチリと片目を閉じるが、顎に添えた白魚の様なしなやかな指と、その顎に生える濃ゆい青々とした無精髭が何ともアンバランスで、言い様が無く不気味である。
気心知れた者でなければ思わず仰け反る不気味さだが、周瑜はその言葉の端を見逃さなかった。
「アタシがイケメンのチェックを怠るワケがないじゃなぁい♪ 順サマ以外にも、李確王子とか来てるみたいだしィ、郭汜のオジサマも捨て難いわよねぇん。ガチムチ徐栄はアタシの好みからは外れるけどォ」
とぼけた、半ば独り言の様な言葉を並べていく祖茂に対し、周瑜は些か舌を巻いた。
直に戦場に在った自分たちですら、敵の指揮官に付いてこれまで得ていた情報は、自軍の方面に直接攻め込んで来た呂布と徐栄、そして劉備を攻めた華雄くらいのもの。
それを恐らくは着陣したばかりの祖茂が、既にここまで情報を掴んでいるとは。
さすがに、諜報活動で持って孫家四将の一角に数えられただけの男……否、漢女なだけはある。
「残念だけど、カレンちゃんには虎牢関じゃなくて、その奥に飛んで欲しいのよ」
さらりと本題に入ると、浮ついていた祖茂の声の調子が変わった。
落ち着く様に、語気がどっしりと一分だけ重くなった。
「ふぅん。策ちゃん、そのココロは?」
「連中、あれだけ大勝ちしたのに、一向に攻めてくる気配が無いのよ。おかしいと思わない? 私だったら、本拠地に後詰めを要請して、一気に全力を注ぎこんで決めちゃうわ」
「……ふむ、確かに、それは私も思っていた。董卓軍は全体で言えば、かなりの兵力を擁している筈。まして虎牢関と洛陽は、連絡の易さから言って両陣の補給の行き交いはさほど難しくは無い……」
「ね? 不自然でしょ?」
周瑜もこの議題を取り上げるのは、今が初めての筈だが、孫策の考えに逸早く思索を乗せる。
この辺りの渙発さが、江東の美周郎の渾名の由縁であろうか。
「奴らが動かないのは、動かないなりの理由があると思ってね……それで、よ。カレンちゃんには、洛陽に潜ってその辺りの事情を調べて来て欲しいってワケ」
「成程ねぇ……つまり知りたいのは、動かないのか、それとも動けないのか……って事かしらん?」
「ご明察」
孫策が、意味ありげに微笑んだ。
褐色の肌に映える紅薔薇色の唇が艶やかに歪む。
「わかったわぁ。で、諜報に行くのはいいんだけどぉ、明命ちゃんを貸してくれないかしらん?」
「明命を……? いいけど、一人じゃ不安かしら?」
「アタシが死んだ時に困るしねぇ。それにぃ、あーゆー若いコにはなるったけオシゴト覚えてもらいたいじゃなぁい?」
「あ……しばし待って頂きたい、大栄殿!」
二人の会話にを打ち切るように、孫権が割って入った。
「その、明命……周泰には、姉様の護衛に付いて頂きたいのです。代わりに甘寧を連れて行って頂けないでしょうか?」
「思春ちゃん? いいけど……それだと蓮華ちゃんの護衛がいなくなっちゃうんじゃない?」
「それは……姉様の身辺警護が最優先です、ご覧の通り、姉様は負傷中ですし……」
それを問われると、孫権の語気がやや揺らいだ様であった。
僅かに憚るが、しかし言葉は途切らせず、述べる。
「蓮華……気持ちはありがたいけどねえ」
すぐさま難色を示したのは、他でも無い孫策だ。
孫権の顔が曇る。先程、一瞬、言い淀んだ理由がこれである。
すんなり納得してはくれまい、と思っていたが、案の定。孫権としては、孫策の負傷を懸念しての発想なのだが、こういった気の回し方を、この姉が好まないのはわかりきっていたからだ。
「蓮華様、それは、孫策軍の一門を預かる御身としての御配慮ですか? それとも、姉の身を案ずるが故の情でしょうか」
どう説くか、と、孫権が口を開きかけた時、いきなり脇から、ピシャリと周瑜がそれを挫く様に言葉を連ねた。
その硬い声質に、孫権が不意を打たれたように周瑜を見返したが、周瑜は途切れた言葉の隙を突くように、代わりに自分の言葉を並べていく。
「雪蓮には孫策軍最高統率者として、通常の体制でも充分な護衛が付いています。あなたの警護を削ってまで補強する必要はありません。もし身内の情であるなら、それは婦人の仁というもの。無用、そして余計な気遣いです」
「冥琳、私は別にそんなつもりじゃ……」
「いいえ。公人として、あるまじき私情です」
婦人の情、という揶揄に孫権は反論の兆しを見せたが、周瑜はそれを許さない。
周瑜の声は、決して優しくなかった。
一応、自ら、公私二通りの思考を示したものの、孫権の発言の由来が完全に個人的な感情に寄っているものだと決めつけていた。
否、見抜いていた、か。
「先君が亡くなられた瞬間から、雪蓮は孫氏の家名を代表する当主であり、あなた御自身にもまた、天下の士としての務めを全うする義務があります。兵馬を擁し国士として身を立てられた以上、如何なる場合も私心を優先させる事があってはなりません。姉君は元より、あなたの御命も又、既にあなたのものではないのです。どうか、御自覚為されますように」
滅私奉公、尽忠報国。
護国の鬼となり、故里を顧みず。
怪我を負った姉の為に、自らの護衛を差し出す。それは婦人の仁だという。
それは孫策軍に置いて、一抱の兵を担う自らの重みを理解していないからであり、個人の目線で物事を考えているからだ。
国事に仕えた瞬間から、その者の身体はその者のものではない。
兵を動かし人を殺させ、戦を転がす事の出来る人間は、既に個人である事は許されぬ。
ただひたすら、自らの掲げる旗の為を思い、己が生に没頭せねばならぬ。
私心を捨てるとは、そういう事だ。例え肉親の瀕危に肺臓が張り裂けても、公人としての責を全うせねばならない。
だから王様と言うのは優しくもなければ、決して慈愛に満ちてもいない。
名君、君子というのは、慈善を切り売りする人の事を表す言葉では、断じて無い。
「まっ、よーするに何の心配もいらない、って事よ。そういう気遣いは、旦那さんでも出来たらしたげなさい」
孫策が、孫権の肩を使える方の手でバシッと叩いた。
カラカラと笑っている。
「じゃあ、頼むわね、カレンちゃん」
「うふっ、お任せあれ。行って来るわねぇん♪」
「…………」
「――――――しかし」
祖茂が出立して、釈然とせぬ表情のままの孫権が立ち去った半刻ほど後。
引き続き諜報を整理している周瑜と、なんとなく居付いた孫策が屯う幕舎を、新たに尋ねる者が居た。
「孫家四将も、今となっては儂と大栄のただ二人。年月ほど怖いもんもありますまいな、策殿?」
天幕を潜った影は、妙齢の美女。
熟れていると形容しても良いかもしれない。褐色の肌、糸の様に細い銀髪。
異境の民の髪の色だ。
「祭。カレンちゃんには会えたかしら?」
「ちらりと、すれ違うただけですがな。しかし策殿、この戦、わざわざ大栄を召し出すほどのもんですかな? 所詮は他所の戦でしかありませんのに」
黄蓋は唇だけで微笑んでいる。艶やかな光沢のような張りが麗しい。
他所の戦――――――そう言ってしまうなら、なるほどそうだろう。孫策は、袁術の属将でしかない。
流して空かして、事無きのままに終わる手段もあった。だが、それを良しとはしなかった。
「まあ、そうなんだけどね」
「何か理由が?」
「ん――――――そうね」
孫策が、唇に人差し指を添えて、中空に視線を浮かべた。
それだけで、見た目、実に艶やか。絵になる女だった。
やや間延びし、そして出した答えは。
「女の勘よ」
そう言って、ただただ悪戯な笑みで笑った。
「いや、趙雲、あの時は本当に助かった! 恩に着るよ」
手を叩く様な、快活な声であった。
無邪気であるとも言える。
自らの幕舎に、先の戦いで李広の如き働きを見せた美しい武人を招いて、自ら酌をし、手厚く歓待する。
「食客如きの働きを、あまり奔放に賛じなされますな。太守なぞというのは、ふんぞり返って褒美を投げて寄越す位の傲然さでちょうど宜しい」
「いやいや。お前の槍が無かったら、私の首と胴は繫がって無かったさ。感謝の仕様が見つからないくらいだ」
公孫賛はその振る舞いを窘められるが、却って気を使い、しきりに酌をしてくる。
先の一戦、本陣への突入を許し、敵兵に肉薄されるばかりか郭汜に直接斬りかかられた程の修羅場に瀕した公孫賛であったが、すれ違いざまに降り掛かったその白刃を二合とも退け、さらに次々と疾走してくる騎兵の群れの中、彼女の身を守り切ったのが、彼女が客分として囲っていた、この趙雲である。
敵中真っただ中に斬り込みながら、傷一つ負わず公孫賛を救い出したその活躍に彼女は痛く感激し、『一身是胆』と評したものだが、当のこの、白磁器の如き肌を持つ美しい少女は、驕らず平静を保ったまま、外見から推察できる年頃におよそ似つかわしくない落ち付き様で、酒を転がし、時折つまみに箸を伸ばす。
客分と言っても、無位無官の一介の武芸者に過ぎぬ自分に、これほどまでに心を動かされていては、幽州太守、白馬長史の威厳も何もあったものではないが、当の公孫賛自身はそんなものはお構いなしに、屈託無く自らの手でもてなそうとしてくる。
それこそ公孫賛の方が、まるで市井の娘の様な顔をしていたが、此方の方が、本来の性質に近いのだろう。能力が無いわけではないが、どうも庶民派じみていて、人の上に立つ事が得意な類の人間であるとは言い難い。
尤も、趙雲は公孫賛のこういった面が、決して嫌いと言うわけでは無かったが。
「あの竹村政名も、お前以上じゃないだろ、武蔵だって、お前には敵うまい」
「おや、白珪殿は武蔵を知っておられますか」
「ん? まあ、話で聞くだけだがね。お前だって噂くらい、知ってるだろ」
「……そこそこには」
含みがある様に、一瞬だけ切れ長の目を伏せたが、公孫賛は特に気に留める様子もない。
「曹操が羨ましいなぁ。武蔵に政名、それに両夏侯、噂じゃ、周直を殺してお尋ね者になってたあの兇賊の万億も今、曹操の所に居るんだとか。あと楽進って新参だが、常に一番槍を取ってる魁上手の話も聞く」
凄腕揃いだ、と纏めて、溜息交じりにもういちど、羨ましい、とぼやく様に呟いた。
趙雲はそれを聞いていただろうか、恐らく、聞いては居ない。
―――――目の色が変わっていた。
「武蔵は」
「うん?」
「武蔵は、曹操の所に居るのですか」
「ああ、らしいよ。会ったわけじゃないけど」
「…………先の、竹村と言う男」
「ん?」
「もしや、赤い茶髪で目は琥珀、錦の羽織を纏った六尺豊かな大男では?」
「……おお、そう! そんな感じだ。なんだ、お前も会った事があるのか?」
「……それは些か差異がある」
すっと、立ち上がった。公孫賛は怪訝な目で趙雲を見上げる。
既に、その顔に酒気は無かった。
「今から会いに行くのです、御免!」
「――――――は? お、おい、何処に行く、趙雲!」
いきなり踵を返し、駆けて出て行った趙雲に、公孫賛は思わず、行き先を尋ねた。
――――――既にそれは申した筈だ。
今から、逢いに行くのだ、と。
「華琳の奴。秋蘭は置いていってくれたら良かったのにな」
「あんたの囲碁相手をさせる為に、幹部級を遊ばせては置けないでしょう」
「お前さんは遊んどるじゃないか」
「私はちゃんと自分の仕事をやってるの!」
陣中にて、碁を打つ。
パチリ、パチリと、碁石の音が刻を一定に刻んでいく。
「関羽な此処に来るかな?」
「さあね」
関羽、という名を出すと、桂花は露骨に、苦々しそうに眉間に皺を作った。
「あんな下賤に、華琳様の心中の王を捉えきれるとは思えないけど」
下賤、と発した桂花の言葉に、武蔵はふっとわからぬように含み笑いをした。
亡き桂花の祖父、荀淑は荀子より十一世、儒学の道に置いては知らぬもの無しという大学者、彼女の父はその子らである『荀氏の八龍』の次男で済南国相を歴任した荀緄、伯父には司空まで昇った荀爽を持ち、その他の一族にも孝廉・賢良に推挙された一流官僚がひしめく。儒教を国教と為す後漢において、最も華やかなる経歴を持つ名門だ。
関羽が出自がどうあれ、天下の荀氏から見ればどんな門司も霞むというのに。
出自詳らかで無い者を下賤と呼ぶのに、何の違和も抱かぬ桂花が、氏姓や出自や人種を全く気に留めぬ華琳に心酔していると言うのは、中々に面白い。
「兗州の政治案件は?」
「私が滞らせると思ってるの? 都市開発、軍制整理、全て抜かりないわ」
「大陸中の戦力が、一極集中しているんだ。穏やかじゃあ無い輩も出るだろう」
「賊? ああ、そう言えば、笮融とかいう山師が、妙な宗教を広めて民衆を扇動してるとかいう報告があったわね。黄巾党兵に追い払わせたけど」
「ほう、やるな」
「当然でしょ」
談話が進む最中も、盤上の局面は動く。
曹操軍の長たる華琳は、現在この陣営を留守にしている。
先の一戦が終わり、事後検分を終わらすと、傍らで碁を打っていた武蔵と秋蘭に、彼女が唐突に呟いたのだ――――――劉備の勇将、関羽が欲しい、と。
『あの圧倒的不利な状況において、真っ先に敵に立ち向かった勇鋭、最強の騎馬軍の前にただ一人立ちはだかり、一歩も引かぬ闘心、何より、血風吹き荒れるあの烈戦の場に在って、まるで舞い遊ぶが如きあの美貌。あれぞまさに、六韜の示す論将練士を携えし、当代きっての天下の武人。この曹操が傍らに侍らすに相応しい逸材よ』
と、手放しの褒めようであり、秋蘭と春蘭を伴って、自ら招聘しに行く程の熱の入りぶりだった。
引き抜きの申し入れを、あろうことか直接、劉備の陣営に出向いて申し入れに行くなど、大胆不敵を通り越し、もはや傲岸不遜の域に達しているだろうが、それだけ彼女の人材に対する興味の虫と言う奴が、強烈に揺さぶられたと言う事であろうか。
「招くどころか、無礼者と叩っ斬られるかも知らんな」
「荒事なら問題ないわよ」
「うん?」
「あんたの自慢の弟子でしょ、春蘭」
「…………」
「…………」
「……なあ、桂花よ」
「……何よ」
そしてその、何処の者とも知れぬ田舎武者に、華琳が心砕いているという事実が。
曹操にその身命を投げ打つ桂花に、苛立ちと忌々しさを与えている。
「お前さんよ、もう少し手加減ってものをだな」
「無いわ」
「……きっぱり言うねえ」
その鬱憤は、ハッキリと盤上に現れた。
天下の達人、宮本武蔵。
囲碁に置いては、荀文若に手も足も出ず。
「チィ、風! 稟! 居らんか!」
「ちょっと、代打ち禁止よ!」
「やかましい。勝てばよかろうなのだ」
一局目から、桂花のイライラの募るままの怒濤の攻めにタコ殴りされた武蔵だが、さすがに三局目までそれが続くとまずいと思ったらしく、知恵袋と言うには強力すぎる手練を、援軍として呼びつける。
遊びとは言え桂花も勝負には拘るのか、それを一応咎めるのだが、武蔵はそんなもの、まったくもって聞いちゃいない。
負けず嫌いと言えば、武蔵もまた、元来、勝ちに拘る性質である。
「おっと、失礼」
「あー! ちょっとアンタぁー!!」
「はっは。手が滑った。許せ」
「そんなあからさまな滑り方があるもんですか! 死ね卑怯者!! 二回くらい!!」
なのだが、良い歳も良い歳の爺が小娘相手に碁盤を引っ繰り返すのは、些か大人げなさすぎるのではあるまいか。
「お呼びですか、武蔵殿」
「ん? おお、稟! よく来た! 君こそ我が子房!」
「何ですって!? ええい、纏めて相手してあげるわ! 華琳様の張良はこの荀文若ただ一人よ!!」
やいのやいのとじゃれ合っていると、いつの間にか稟がよって現れた。
噂をすれば影。説曹操、曹操就到か。武蔵が喜色を浮かべて手招きする。
「…………」
が、何故か、稟の表情は硬い。
怜悧さと才気の滲む眼を尖らせたまま、無言で眼鏡のつがいを中指で押し上げた。
「……あん?」
その様子に、武蔵は笑顔を曇らせ、いぶかしむ。
桂花も、同様の感情を顔に浮かべた。
「どうしたい、稟」
「……はい、それが――――――」
「お客さんですよ、お兄さん」
しばし、沈黙した稟が口を開くと、おもむろに口を開く。
その先は、何処からともなく、凛の後ろからふらりと現れた、風によって紡がれた。
「客……?」
設営された陣の中に、ぴょこりと入って来た風、彼女が意味深な言葉を示すと、二人に続いて、もう一人、人物が入って来た。
女である。
「…………ほお!」
覚えのある顔だった。
凛とした佇まい。ぴん、と身体に軸が通り、地面から頭の頂まで、一本の若木の如く通った立ち姿は、鶴の如く。
しなやかで、なめらかで、美しい。
「久しぶりだな」
「――――――ご無沙汰しておりました、宮本武蔵殿」
趙雲、字を子龍。
常山随一の閃槍の名。
布袋のスリルのpvの女の子、誰だろう? 可愛い。
ジャンプのワンピ押し。まあいまに始まった事じゃないが。
ワンピースは確かに面白い、が、あれでいいのか、とも思う。
かつてドラゴンボールという世界最大のモンスタータイトルを擁していたジャンプですが、その時にもスラダン、幽白があった。たとえドラゴンボールが欠けたとしても、それに入れ替われるだけのタイトルがあったわけです。
だって、暗黒期と言われた世代ですら、るろ剣にマキバオーに遊戯王があるんだぜ。しかも今の長期連載に比べたら、それらのタイトルを実に贅沢に使っていたよね。
「タイトル」って意味なら今もあるけど、皆三十巻超えの長期連載ばかりだし。マキバオーなんて未だに続編が連載されてるようなファンの根強い人気作品でありながら、ジャンプ誌上では10巻台で入れ替わりしてるというのに。まあ幽白もだが。
このままではワンピースの名前だけがモンスターのように大きくなり、他は有象無象になってしまう。新人なんてそれこそ飼い殺しでしょう。
出版社に取って材料は著者そのものですが、それを育てる手間を省いてあるものに胡坐をかいていては、10年後は……まあ、僕が気にする事じゃないからいいんだけど。
まあ、何が言いたいかっていうと。
剣豪漫遊記の完結は、2年くらい延期する事になりそうです……
もう読まねーよチキショウ。内水やらんし。こち亀コンビニで買うわ。