反董卓連合軍・四十一話――――――「北の烈風」
一つ、二つ、鼻先を風切り音が掠めていく。
一打目は見切り、二打目は左脚を下げて構えを入れ換え、一歩分の間合いを作って外した。この時、体重は既に右足に移動している。
やや大きく出して来た出足に、右片手、ダラッと手を下げたままの剣を、そのままの位置から軽く入れる。避けると打つが一繫がりとなった身体の動き。動きというよりはむしろ、捌き、流れ、であるか。
下段を打つ直前で止め、そこから上に反応して、面を真っ直ぐに打って来た上段を受けた。
「よし、春蘭! ここまでだ。持ち場に戻れ」
カン、とぶつかり合った木剣同士の小気味の良い渇いた音に被せる様に、武蔵がそう言った。
剣を引いた春蘭が、意外そうな表情を浮かべる。
「もう、か?」
まだ三合ほどしか剣を合わせていない。といっても、いつも決まった回数をこなすわけではないが、それでも彼らは、いつもはこれよりも遥かに長い間、組太刀を交わしている。
今はまだ、汗をかくかかかないか、と言った程度の運動しかしていない。
「仕事せんと、怒られるからな。落ち着いたら続きをやろう」
「ふむ、ま、良いか」
時間を計っていた秋蘭に得物を渡すと、二、三だけ言葉を交わして、彼女はそのまま自分の統率している部隊に戻った。
「ケンタウロスという妖怪がいる」
「――――――ん?」
どちらからともなく近づいて、武蔵が差し出した木剣を秋蘭は預かる。ふと、武蔵が言葉を点した。
「西洋の怪物でな。馬の身体を持ち、首から上に人の身体が付いてる。恐ろしい速さで戦場を駆け抜け、走りながら弓を射るんだそうだ」
「また、唐突に脈絡のない話をするものだな」
右手に春蘭の木剣を持ちながら、二本目を受け取りつつ、秋蘭がやや眉を八の字ぎみにして、笑みを浮かべた。この男と話しているとこういう事は少なくない。掴み所のない会話だが、最近は慣れた。
「……む?」
武蔵は何も答えず、おもむろに、すっと手を掲げて、ある一点を指す。
秋蘭が、ふっとその先を追った。
――――――秋蘭の、武蔵にも劣らぬ、鷹の目。
「それは、西に住まう異人の祖先が、あいつらを元に考えたものらしい」
百里先の獲物を射抜く視力を持ったその眼が、にわかに緊張感と殺気を帯びた。
すでにそれは、憩う美貌の麗人の瞳ではなく――――――
「ああ、その神話の中身は知らないが……人馬一体の化生の絵、なるほど、すぐに浮かんだよ」
身体に、急速に血が巡り出す。すでにそれは狩人の眼。
武蔵の事は待たずに、機敏な動作で踵を返した。硬い軍足のかかとが、土に跡を付けた。
「…………」
武蔵は森林の様に落ち着いた眼の色のまま。
草原の大地からやって来た、蒼い狼の子孫たち。
武蔵と秋蘭の眼は――――――
曹操軍の陣からは大きく離れて、絶壁に近い急崖を土煙を撒き上げ、平地の如く駆け踊る獣の如き一軍の姿を捉えた。
「一ノ谷の平家の兵士は、こういう気分だったか」
飛び掛かってくるだろう。
すぐ数十秒後に、戦場の色が一変する事を予感して。
叫び声も鬨の声もない。
ただ地鳴りの様な馬蹄の響きを唸らせて猛り、大地は震えて、叫びを挙げた。
余計な装備は一切無い。ハミを噛ませて手綱を付けただけの超軽装の騎兵が、とめどなく増す速度に身を任せるがまま、一波の巨大な波となって崖の斜面を駆け下る。
その急傾斜、そしてそれに潜む大小の凹凸を全て無視して、平地か草原であるかのごとく疾駆し、跳躍する。
「――――――…………」
超高速の急降下、殆ど真っ逆さまに落下する様な角度の視点で、高順は弓をつがえる。
烈風が次から次へと顔にぶつかり、その身を煽る。耳の傍を旋風の轟音が吹き抜けていく。
黄金色の馬体を踊らせ、この断崖を見事に走りこなしてみせる愛馬。それの伝えるとてつもない疾さと躍動を受けながら、そのしなやかな筋肉をまるで馬体と一体であるが如くに働かせて体躯の平衡を保ち、狙いを定めて敵の海の一点を穿った。
矢は刹那の内に流線を描いて飛んで――――――否、“落下”していき、人の群れに消えていく。
常人では、矢の軌跡を追う事すら困難な高所からの射撃だが。
みるみる近づいて、四つ目の矢を射込んだ時、既に首を貫かれて倒れる兵の表情が肉眼で確認できる距離であり、周りの兵が周りを見回し、こちらを向く。
あるいは、馬蹄の轟きに振り返ったのやも知れぬ。聞こえる筈の無い所から響いて来た地鳴りに。
目を驚かせ、あっ、と口を開く。
――――――叫ぶか?
しかし、彼らはそれより速い。
高順が峰を咥えた新月刀の柄を、右手で取って持ち替えて構え直すと、傍らの李確と張遼が、ぐんと一つ、速度を上げた。
「――――――張遼、一番乗りはもらうぜィ」
「はん、ウチのセリフや!!」
両翼の戦闘を切る健将、後続の騎兵は奔流となってそれに追従する。
馬を追わせて、斜面を滑走するように跳ぶ二人の騎馬の姿が見えた。
李確が槍を翻し、張遼が偃月刀を薙いで敵に斬り入っていく。ドン、と、人の群れが弾けた。
その後ろ姿を目の端に置いた高順がやや身を低くし、小さく得物を振って合図する。
騎馬の群れは一個の疾さの塊となって、谷間を埋め尽くす敵中に飛び込んで行った。
「淳于将軍! 北の断崖から敵が出現、劉岱軍に突入した後、この兵を草を薙ぐが如き勢いで突破してゆきます!」
「南の崖からも現れました! 騎馬は三つに分かれたのち、駆け下りる勢いそのままに此方の陣を蹂躙していきます!」
「率いておる将は何者だ!!」
「現在の所は定かではなく……しかし、北側の軍で中央から合図を出して先頭を切るのは、黒い髪に灰色の目をした男、跨るのは黄金色の馬体を持つ駿馬! 汗血馬です!」
「…………陥陣営か!!」
ギリ、と奥歯同士が擦れ合う音が口の中でくぐもり、骨を伝わって頭の芯に響いた。
ここに来て、思わぬ猛将の御出座しか。
無警戒の所に突き刺さったこの奇襲は、彼我の速度差を二倍にも三倍にも見せるだろう。左右両端の軍にとっては、さながら突風に襲撃されたが如しか。
「顔良、文醜に至急、本陣の守りを固めさせよ! 諸将に達し方円の陣を組ませ、敵の突撃に備えろ!」
「はっ!!」
それにしても、思わぬところから現れた。殆ど断崖のような傾斜を超えてそのまま突撃してくるなどという用兵は、漢民族の戦の常道からすれば発想の外だ。
劉岱軍を始め、奇襲を受けた軍の混乱は我々の比ではないだろう。
この迅速さを考えるに、痛撃は免れまい。それどころかこの混乱に乗じて、この連合軍の大本営たる袁紹軍まで突進してくる可能性すらある。
「――――――だからと言って、布陣を石のように堅くしてどうする、淳于」
「む!?」
矢継ぎ早に駆け込んでくる伝令に対応し、次々と指示を出していく淳于瓊に不意に声をかけたのは、どこから現れたか、郭図である。
「董卓の精鋭騎馬を侮るな、郭図! 奴らが捨て身で突進すれば、幾重重の陣を抜いてこの連合本陣まで届いてくるぞ!」
「雷を正面から受け止める気か? 木っ端微塵にされるのは此方だぞ」
郭図は平坦な声調のまま、懐から取り出した割符を淳于瓊に渡す。簡略化された伝令事項を写してあるものだ。
甲冑をまとった淳于瓊の体格はさらにごつく、線の細い郭図との対比した印象の差をさらに浮き彫りにしていた。
「隊列には少し隙間を開けさせ、あえて余裕を持たせたほうが良い。突っ込んでくる敵に付き合わず、空かしていなすのが上策だ」
「だが、奴らが玉砕覚悟で袁紹様を討ちに来たらどうする?」
「姫を討った所で、連合が瓦解するわけではない。奴らとて、この隘路に閉じ込められれば逃げ道を失い、損害は免れん。まして陥陣営が率いているなら、理の無い賭けなどするまい」
「ふむ……」
「奴らは我々が混乱している間に軍中を駆け抜けて、関に帰還するだろう。ならばやり過ごしたほうが無難だ。しかる後に陣営を修復する。其方の方が被害も労力もずっと少ない」
「なるほど…………だが、それでは他の諸侯は甚大な被害を被るぞ?」
「目の前の敵くらいは、自分でなんとかするのが筋だろう」
「……おい、それでは身代わり――――――」
「俺は連合軍全体の状況を把握してくる。本隊の指揮は任せたぞ」
カン、カン、カン、敵の襲撃を告げる鐘が、陣中に喧しく鳴り響く。
すぐには反応できなかった。董卓の急先鋒・華雄が出撃したというのがついさっき。こんなところまで、これほど早くこれる筈が無い。
ところが、奴らはやってきた。奇襲だという。本陣、軍事最高都督・淳于瓊から、至急、方円の陣、防御態勢を取れとの急報が入った。
兵たちはいそいそと幕舎から出で、甲冑を付けて戦仕度をし、それぞれの上官の指示を仰ぎ、持ち場に付く。
「敵襲ーーーーーーッツ!!!!」
袁紹軍右翼下弦隊が陣形を組もうと動き始めた矢先、その叫びは空気を切り裂いた。
「…………」
奔流のように押し寄せる。その黒鹿毛の殺戮者。彼らは一団の津波となって、大地を踏み躙り、駆け抜ける。
その先頭を駆ける巨体、その威圧感は、まるで重装戦車のよう。髪の毛を剃り込み、鋼のような筋肉を纏った身の丈九尺の大男が、さらに巨大な馬を駆り、先ほど一撃で粉砕した敵陣から浴びた血と肉を拭う事も無く、一言も発さぬままに、恐ろしい速度で突撃する。
次なる獲物――――――未だ陣を組む前の、足並み乱れた敵兵目がけて、全く速度を落とさず方天戟を振り上げた、その瞬間、混乱し、もたもたと浮足立つ味方の群れを切り裂いて、一人の屈強な騎馬武者が、見事な馬術で躍り出て来た。
「おう、辺境の田舎武者! 貴様が如き蛮族でも、この麴義の名を知っているのか!」
「…………」
「ふん、知らぬなら、その身体で覚えるがいい! 卑しき胡人の尖属には、げに勿体無き我が白刃よ!」
踊るように駆ける壮年の武者、対する重戦車は声も無く。
風のような速度と破壊的な圧力を伴い、二つの騎馬は交錯した。
「……ッぬう!」
雷が落ちたような炸裂音と、閃光が二つの白銀から響いた。
麴義はやや横に膨らむようになりながら馬を進め、擦れ違いに斬り結んでいった男を振りかえった。
刃を交わした巨躯は、もはや麴義を意に介さず、猛牛の如き勢いで、麴義が後続に残して来た味方の軍に強襲を仕掛けていく。
「ちっ……おのれ、胡人の獣めが――――――ッ!?」
忌々しげに前に向き直る――――――その時、もうすでに目の前に来ていた。
あの巨人の後続、率いていた黒鹿毛の激流が、一斉に怒涛となって麴義もろとも、未だ陣の整わぬその隊を呑みこんでいった。
「よし! 逃げた孔由の軍兵は追うな! これより中央と右翼はそれぞれ呂布、徐栄に従い、残りはこの郭汜と共に転身、敵中を駆け抜け撹乱した後、公孫賛に攻撃を仕掛ける!」
南側より突入した郭汜率いる別働隊はそのままの勢いで敵陣を突破、直撃を受けた孔由軍は殆ど抵抗する間もなく陣形を潰し、壊走。
さらに彼らは騎馬の脚を止めることなく直進、孫策軍の背後へと回りこむ。
「糧食には火矢を射かけ、相対した敵は擦れ違う一騎を斬り抜け、走り抜けよ! 決して馬の脚を緩めるでないぞ、良いな!!」
「御意!!!!!!」
髭を蓄えた武骨な男に従い、身を翻す羅刹たち。その人馬の動き、疾さは、大地に生れし狼の血がもたらした、他の民族には決して体現し得ぬ征服者のそれ。
「孫将軍! 左弦後曲が敵の突撃を受け、陣形を崩されました!」
「うろたえるな! 速やかに潰走した兵を集合させ、戦線を修復しなさい!」
「将軍! 袁術軍が徐栄軍の突撃を受け、劣勢! 至急、援軍を求むとの事!!」
「ちっ……あのお嬢様は……少しは自立してほしいものね!!」
連合の大部分が混乱に陥る中、孫策軍は粘り強く態勢を保っていた。
その迅速な処置と対応は、江東の虎の血筋のみに非ず、南から首都まで攻め上がった実戦経験の豊富さが為せるものだろう。
「!!ッ 将軍ーーーーーー!!」
「!?っ」
喧騒の中、一人の兵士の声に反応して弾かれるように振り返った。
頭上に覆いかぶさるように翻った、黒い影。
「――――――ッ!」
殆ど身体だけで反応し、身を転ばせながら剣を抜く。
金属と金属のぶつかる、骨を引っ掻くような音が響いて、衝撃が手首の奥に伝わった。
「将軍! 御無事ですか!?」
「ええ。いいから、あなたは早く自分の持ち場に戻りなさい」
「しかし……」
「早く。邪魔よ」
「……はっ!」
兵を下げさせた孫策だが、すでに彼女はそれには一瞥も視線をくれてはいなかった。
彼女の眼は、今さっき自分を斬りつけた、一人の敵に対して注がれている。
女だった。身体は、存外に小さい。
どうやってここまで辿り着いたかは定かでない。おそらく、先程の―――――まるで飛翔させるかのように馬を操り、血のけぶる前線を飛び越えてきたのだろう。
さながら、物見遊山の如く、この孫策軍の勇卒の血と臓物を撒き散らしながら、余裕で。
「随分可愛らしいコが迷い込んできたのね……名は?」
片膝を着いた身体を起こすとともに、切っ先を少女に向ける。
馬首を返し、振り返ったのは、頬に返り血を着けた、幼げな顔立ち。眠たげな眼。
跨る馬の栗毛の馬体が、日光に照らされて燃えるような赤毛に見えた。
「…………」
孫策の手首の痺れは、未だ骨の奥に残る。明らかに、凡の一撃とは一線を画していた。
「………………呂布」
響いたのは、鈴のような声だった。
その眼差しは、木漏れ陽の射した湖のように、とても静かで。
「――――――ッツ!!」
そんな瞳のまま、少女は馬を一つ蹴上がらせると、恐るべき凶猛な速さを伴い、一直線に矛を掲げて襲いかかって来た。
(――――――奇襲は上々! 後は手当たり次第、陣を抜いて徹底的に撹乱し、敵中を駆け抜けるのみ!)
いくつもの陣営を抜き、高順はなお駆けていた。
土埃と阿鼻叫喚、目の前には無数に広がる敵の群衆。しかし、速度を微塵も落とすことはない。
――――――フッ、と、身を低く構えた。
高順が手綱に合図を送ると、黄金色の美しい馬体が咆哮するように身を躍らせ、唸りを上げて速度を増す。
地を這うような走法で、敵の海を駆け抜ける。己と愛馬以外のものは居らぬが如く、走る処に道が出来る。
大軍も要崖も、すべては草原に生える野草に過ぎぬ。平野の如くに踏破して、駆けるは人馬の気の向くまま。
高順の身体がまるで、筋肉から神経まで跨る馬と一体になったかの如く連動し、翻った新月刀が、躍動する愛馬が、敵を跳ね飛ばし、置き去りにして、蹴散らしていく。
圧倒的な速度を誇る騎神の化身と、それに追従する餓狼の軍団。
刃が震え、馬が駆けると、撒き上がるのは血飛沫、轢き潰すのは肉の断片、敵はすべて踏み潰し、遮るものは皆無だった。
その様はまさに、敵陣を“切り拓く”と云うのが正しい。
その光景こそ、彼の二つ名――――――“陥陣営”の異名の由来。
「――――――敵中、ど真ん中を駆け抜けながら、さながら、手前ェの庭が如く」
ふと、目の前に現れた。
騎馬の圧力に跳ね飛ばされ、退いた敵兵がぽっかりと空けた道に、ふらりと立った一人の男。
「戦と馬上に生きる民族とは良く言ったもの。ほっときゃ、地の果てまで駆けていきそうだな」
血煙りと旋風が体を捲いていく中で、その不敵な笑みを、高順は確かに捉えた。
赤い髪、瞳は琥珀。
ゆらりと構え、おもむろに腰を落とす。左手を鞘に添え、左足を大きめに引いて、半身に近い前屈立ち。右手をそっと柄に掛けた。
――――――迎え撃つ気か?
「――――――ッツ!!」
ドンッ、と高順が速度を上げた。汗血馬の異名を取る愛馬が、後続の味方を、一足で一馬身引き離す。
瞬間、鞘から刃が抜き放たれた。高順の神経が、それに目で捉えるよりも早く反応する。
待と動、二つの速度の塊が、一瞬のうちに交錯した。
「…………ふむ」
武蔵の太刀は刹那のうちに閃光を描き、その軌跡の大気を真空とした。
――――――血は、付いていない。
(疾さだけじゃねえ、判断の速さ、切り返しも極めて鋭敏……)
武蔵が居合を放つより一瞬だけ早く、あの敵将は手綱を引き、乗り馬の舵を横に切った。
武蔵の刀は空を斬り、後続の騎馬は将に従い、武蔵の手前を掠めるように側を駆け抜けていく。
「――――――なるほど、良い勘を持ってる」
走り去って行った騎馬の一団を見送り、武蔵は残身を解き、人心地ついた。
「隊長! ご無事ですか!!」
「おう、凪」
劉岱軍を突破し、四方に散開した奇襲部隊が敵中を駆け抜け撹乱する中、比較的早期に敵の遊撃部隊を発見した曹操軍は、諸侯の中でも逸早く迎撃態勢を整えていた。
「一合も相手にされずに、置いてけぼりにされちまったよ。連中、速えな」
払った刀を鞘に納めて、親指で彼らの走り去った方向を示して、おどけて見せる。
「陣は布き終わったかい?」
「はっ、両夏侯将軍による敵遊撃騎馬隊の迎撃準備は完了したと、曹操様の御達しです」
「なら、前線はもう、そっちに任せよう。今、俺たちが前に出ると却って邪魔だ」
「はっ」
「…………ふうっ!」
額に汗がにじむのを感じてから、高順は肺の空気の塊を吐き出した。
「悪いな、怖い思いをさせて」
ぽん、と、走っている愛馬の首元を軽く撫でた。
自らの足首、履いている皮の靴が、皮膚に達しない程度に浅く斬られているのが目に入った。
あと一瞬、馬体を逸らすのが遅れていたら、この足は跨っている愛馬の腹もろとも、持っていかれたに違いない。
もし、最初に思い立った思念通りに加速に任せて奴の首を獲りに行ったならば、逆に斃れていたのは俺達の方であったろう。
――――――あの剣の冴えを退けたのは、自慢になるな。
アレに並ぶ鋭さは、俺の知ってる限りじゃ、あの二人くらいか。
一度、後ろを見遣る。はためいているのは、曹の旗。
「……怖い男を飼っていやがる」
ふっ、と、高順は唇を歪め、笑った。
それきり、後ろを見ることはなく、手綱を取り直すと、駆けるまま、再び速度を上げ始めた。
劉備軍と華雄軍――――――
関門前の戦闘は苛烈を極めていた。
「――――――ふんッツ!!!!」
二つの得物が噛み合う度に、落雷が如き轟音が戦場を斬り裂く。
疾風の騎馬軍団が疾走する中、その長たる華雄と矛を交えるこの美髪の君は一歩も引かない。
(すでに敵の戦線は我が軍の突撃を受け総崩れ! にも関わらず敗走せぬのは、この女が楔となっているからか!!)
華雄が一段と身体を大きく使い、全体重を乗せて戦斧を振り下ろす。
しかし関羽はそれを真っ向から受け止めるや、全く後退せずに受けきって見せる。
崩壊した戦線でなおも持ち堪えるのは、自らが相対するこの将の構えを打ち崩せぬためだ。
軍としての態勢は崩れきっているのに、最前線を一歩も退かずに凌ぐ、この女の武の器はおよそ、尋常なものではない。
しかも跨る馬は、華雄の駆る涼州の良馬からすれば、二枚、三枚も見劣りする様な凡馬、にも拘らず、である。
されど、一身肉薄の覚悟で敢行した突撃で敵の戦線を叩き潰すことが出来ぬのは、馬上に置ける圧倒的な戦闘能力を誉れとする涼州民族にとって、屈辱以外の何物でもなかった。
故に華雄は、真っ向から全身をぶつける。激情ごと刃に乗せる様に。
「ッ!!」
その猛攻を受け切り、そして尚も打ち返してくる関羽の長刀を受け、華雄が臼歯を軋らせた。
美しい顔が、憤怒の色に染まっていく。
「――――――はッツ!!!!」
ガシャンッ、と、また一つ。鈍色の閃光が血煙りに交じって煌めいた。
(この華雄という将! まるで己の半身であるかの如く馬を操り、さながら一体となって踏み込んでくる! 自身の膂力に馬の馬力を上乗せしているかの様な打ち込みだ!!)
華雄が真一文字に斧を薙ぐと、跨る馬がそのまま華雄の下半身であるかのように淀み無く連動して踏み込み、全身の力としてぶつけてくる。
人馬一体とは、かくの如しか。技の拍子こそ単調だが、この種の貫通力は関羽が受けてきた打撃の中で前例がない。
されど、此処で一歩たりとも下がるわけにはいかぬ。この関羽の身体はいまや、劉備軍全体を支える支柱なのだ。
「よいか! 此処がまさに正念場だ!! 決して一歩と退いてはならぬ! 諸君らが真の勇者であるならば、その心胆はこの関羽と共にあれ!!」
目の前に怒れる豪勇を置きながら、しかしこの美しい女丈夫は味方の気炎を震わせた。
劣勢に置かれる劉備軍の気勢は上がり、闘気は鬨の声となって木霊した。
「玄徳の守りは張飛に任せろ! ありったけの兵を盾に依らせて、前線の崩れを防げ!」
「簡雍殿! 北崖の奇襲軍団から分離した二軍が、韓玄軍の管理する補給路を襲撃! そのまま転身し進行方向にある陣を突破しつつ、此方へ向かってきております!!」
「そいつらの進軍経路に被りそうな兵をすぐに退避させろ! 俺達の兵の数で正面からぶつかったらひとたまりもねェぞ!!」
「報告! 華雄の側面を叩きに行った白馬義従の左翼が、郭汜の突撃を受け、壊走! 郭汜軍はそのまま直進し、華雄軍と合流を図る模様!」
「孫策と袁紹はどうしたァ!?」
「袁紹軍は高順の駆け抜けて行った布陣を修復中、孫策軍は呂布の襲撃を受けた上、袁術殿への救援で此方の援軍には手が回らぬとの事!」
「チッ…………とんでもねェな!!」
董卓騎兵の急襲、そしてそこから次々ともたらされる各戦線苦戦の報の飛び交う速さは、およそ漢民族の常識ではありえぬ速度。
(――――――いや、ありえねえ事じゃねえ! 否というなら、奴らを俺達の常識で捉える事こそがそもそも否!)
それも道理。彼らは漢土の外の世界、大地からやって来た馬上の民族なのだから。
(良く持ちこたえちゃいるが……あと一歩圧し込まれたら総崩れになる。ここは雲長の武勇に頼むしか……――――――!?)
右脳と左脳が交錯し、細胞が摩擦しながら戦況を分析する。
目で見、耳で聞き、情報として収拾した作戦の部品をカチカチと構築していく。
簡雍が五感の全てを駆使し、状況を切り抜ける為の策を構築する中――――――
――――――飛び込んできた、一つの報せ。
不意に目玉が捉えたその情報は脳を経由せず、直接舌に伝わり、口から飛び出ていた。
「雲長ぉーーーーーーッツ!!!!」
「――――――!?」
馬と兵の群れの中から飛び出した一つの影。
馬格は決して雄大では無い、だがそれは他の騎馬よりも圧倒的に、俊敏で素早く、柔らかく伸びやかで。
――――――美しい、灰色の瞳は。
馬上でつがえた、修羅場の中で吹き荒れる絶叫と血肉片を歯牙にもかける事も無く、怜悧に標準を定めた、弓矢の切っ先によく似ていた。
「高順!!」
「潮時だ、郭汜!! 後続はお前が纏めて指揮しろ!!」
簡雍が汗血馬の美丈夫に目を奪われた一瞬に、公孫賛の陣を突破して、そのまま此方の戦線に兵を斬り分け突入して来た郭汜、将自ら先頭を切るその一群と、翔ぶように後軍を抜いて来た高順、両者は猛烈な速度のまま殆ど擦れ違う様に交錯し、その瞬間に最低限の軍略だけを交点に置き去りにして、郭汜は戟を振って指揮を執り、高順は疾走するまま矢を放つ。
「ぐ、ぅっ!?」
短弓が強かにしなり、矢は高順の騎馬よりもさらに速い速度で兵と兵の間隙を吹き抜けて、鏃が関羽の乗り馬のトモを鋭く抉った。
馬の腰が砕け、ガクッと態勢を崩した――――――それを見逃す華雄ではない。
「殺ったぞ、関羽ッ!!」
「ッ……!!」
「――――――戦場の倣いだ。恨むなよ」
前門の大斧、そして後門にはすらりと距離を詰めて来た、関羽の乗り馬を射った男の新月刀。
僅かに関羽は身体を捩った、しかし狼の双牙が、逃さずにそれを捉える。
冷たい二対の銀色が、可憐な女丈夫を噛み砕いた。
「全軍! 速やかに関に帰還するぞ!!」
高順と華雄が砕いた前線の綻びに乗じ、兵を纏めた郭汜が後続を引き連れ突入する。
関羽を失った劉備軍には、既に戦線を持ち堪えさせる力は残っておらず、続々と集ってくる、董卓奇襲騎兵の突破を悉く許した。
「――――――ちッ、いずれ決着は着けるぞ、関羽!!」
「…………くっ」
馬首を返して、華雄は戦斧を荒々しく振り、その激しい気性を全く憚る事のない怒号を発した。
睨みつけた、剣の切っ先の様な烈しい視線の先には、関羽。
潰された乗り馬の屍に埋もれるようにして地に身を転ばせ、苦い表情を浮かべた、艶やかな黒髪は愛馬の血で穢れている。
馬を失った彼女を置き去りにするように、その傍を退却する涼州騎馬が駆け抜けていった。
「チッ、あと少しで、あやつの首級を挙げられたものを!!」
「…………」
並走する華雄が、斧を空中で払って唸らせ、悔しがった。
馬を駆けさせてから、十数秒ほど、既に敵を射程圏外に引き離した後、おもむろに高順は振り返る。
第一波をやり過ごした後、合間を縫って関羽を引き摺るように助け出し、戦線を離脱していく兵が見えた。恐らくは、劉備軍か。
あの時――――――
ほぼ死に態の格好になりながら、関羽は身体を翻し、跨ったまま上半身を強引に背後の高順へと向け、馬の首を前に付き出すようにたてがみに手を突っ張らせた。
恐らくは、咄嗟の所作であろう。
前方の華雄に対しては乗り馬の首から上を盾に身代わりにし、辛うじて捩った体で、後ろから迫った高順の一閃を、偃月刀で受け止めて見せた。
乗り馬は首を六分まで両断され絶命、態勢の崩れ切った関羽は落馬したが、馬の死体に潜る様に身体を転ばせ、馬上からの追撃を回避。
守備するべき戦線を突破されたと言う結果を考えれば、華雄と関羽の戦いは関羽の敗北だ。
だが関羽は圧倒的に崩れた体勢でありながら、騎馬の上では右に出る者は居ない董卓軍、その筆頭と言える遣い手の華雄と高順の二枚に挟み打たれて、それを退け切ったのである。
さらには、精兵揃いの華雄軍の突撃をまともに受けても、弱兵を率いてしばらく粘って見せた、その将器。
「華雄。馬から降りて地面の上で戦っても、あの女に勝てるか?」
「何?」
「殆どは雑魚だ。が……人間が二十幾万も集まれば、中には一人、二人、侮りがたいのが混じってるもんだな」
後ろから、少し離れて走ってくる、一塊の馬蹄の響きが聞こえた。郭汜が誘導した後続部隊だろう。後から、他の連中も来る筈だ。
――――――何故か、片頬だけが笑みに緩んだ。
白銀の瞳は、相も変わらず不敵な色を湛えていた。
――――――その後、間もなく郭汜、さらに一歩遅れて呂布と徐栄の部隊が敵中を駆け抜け、帰還。
後方まで食い込んだ張遼と李確も、敵を二つに割りながらほどなくして退却した。
奇襲隊に目立った損害は無く、関門から出撃した華雄軍に微々たる負傷者を出して、再び関へ籠った。
一方、この戦いで、連合軍側の死者は全体で五千を超えたと言う。
さらに予州軍総統・孔由、長沙郡太守韓玄軍将帥・霍峻、山陽郡太守劉岱軍参軍・金尚ら、各軍の有力者が混戦の最中、戦死。
反董卓連合十八軍の内、上記三軍を含めた七軍が指揮系統に麻痺を来すに到る。
董卓軍対反董卓連合の決戦は、対陣五日目にして起こった緒戦で、その士気が完全に逆転したのだった。
新撰組の長倉新八は、映画が好きだったようです。
「維新のゴタゴタで、皆逝っちまったが、俺は運よく長生きした。長生きしたから、こういう文明の神秘を見られた。妙な気もちさ。もし土方や近藤が、この活動写真ってシロモノを見たら、どんな顔するのかねえ。笑うかねぇ、驚くかねぇ」
と、晩年に映画を見ながら語ったらしい。
ストライクウィッチーズの俺の嫁ことシャーリーですが、元ネタのチャック・イェーガー氏は御存命です。
彼がスト魔女を知っているのかわかりませんが、彼が俺の嫁を見たら、何というのでしょう。「愛機が妖精になって生まれ変わってくれたよ」なんてジョークを言うのでしょうか。「はいてねぇ!?」と大笑いするんでしょか。
自分の愛機の整備兵、戦友、散っていった方も多くいるでしょう。かつての同胞に思いをはせて、奴らが生きていたら、どんな顔すんのかねぇと、「平和になったよ」と、目を細めたりするんでしょうか。
もっさんのモデルは、大空の侍こと坂井三郎氏であり、宮藤のモデルは、空の宮本武蔵こと武藤金義氏であり、お二人は盟友でした。ラウバル、硫黄島の激戦を通し、圧倒的不利かつ過酷な状況に置かれても尚、勇敢に戦い抜いた二人の国士は、終戦直前、それぞれを交換する形で互い違いの部隊に赴任し、結果、武藤氏は戦死する事となります。坂井氏は、自分の代わりに武藤氏が死んだのではないかと、終生気に病まれていたと言います。
坂井氏は平成十二年に鬼籍に入られましたが、もし彼が生きていて、チチをもぎまくる淫獣宮藤を視聴したら、どんな顔をするのでしょう。「あいつはこんなに可愛くない」と、笑うでしょうか。若者文化は意味が解らんと首をかしげるでしょうか、けしからんと怒るでしょうか。
平和になった、と、安心してくれるでしょうか。
かつて知覧で見た特攻隊の遺言に、こんなものがありました。
「この戦争、もはや勝てないのはわかっている。ならなぜ僕が飛ぶと思う? 僕には愛した人が居る、両親が居て、幼い兄弟が居る。もし敵兵を日本に上陸させたら、国に残して来た彼らはどうなる? 僕が往けば、少しでもそれを遅らせる事が出来るだろう。その内に、少しでも良い条件で講和を纏める事が出来る筈だ。僕が特攻に行くことで、殺される日本人が減らし、国を生き伸びさせる事が出来る。そうすれば、きっと後の世の繁栄に繋がってくれるだろう。僕は大切な人を守るために、日本を未来に繋げるために行くんだ、決して無駄死になんかじゃないよ」
と。
そして彼らの多くは、遺していく人たちに向けて、「ありがとう」と言い、妻や恋人に対しては、「過去の義理を忘れ、将来に幸せを見つけ出す事」と言いました。
彼らは、自分の後世が幸せになる事を願っていました。
日本は平和になりました。彼らを過去とし、歴史とし、アニメの元ネタに出来るくらいに気楽で自由になりました。
僕たちが家で寝そべりながらスト魔女を視聴できる未来を護ってくれた、誇り高きじいちゃんたちが、僕らのと一緒にアニメを観れたとするならば、きっと僕らと同じ風に、けれど僕らより遠い眼をして、笑ってくれると思います。
あの時の俺らの勇気には、ちゃんと意味があったのだ、と。
さて、此処まで後書きをご覧になってくださった皆さん、是非このままのテンションで、スト魔女を視聴してみましょう。キャラソン聴きましょう。
エーリカの、う~~~~っいぇいっ! に萌えられたら上級者です。
もっさんの白スクで笑えたら範士です。皆のズボンで抜けようものなら免許皆伝でございます。
僕ですか? 皆伝だよ。