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反董卓連合編・三十九話


「おお、さすがに帷幕の数も並はずれているな、宮本」

「おぉ、本当だな。田舎者には落ち着かん光景だ」


あちらにも幕舎、こちらにも幕舎。その間を行き来する、人、人、人。

二十万規模、さらに北は幽州、南は揚州から集めたともなれば、その人口密度と人間の表情の多様さは計り知れない。

無邪気にきょろきょろと辺りを見回す春蘭、縁日の子守の父親のように、その隣で腕を組みながら、春蘭の視線の先を眺めて、ほぅほぅと適当な肯定で相槌を打つ武蔵。

そのすぐ後ろに、麗人然とした、いつもの凛々しい怜悧な雰囲気の香る起伏の少ない表情、華琳の一歩後ろに侍る秋蘭は、有能な秘書官のようにも見える。


「で……お前はなんで渋る」

「麗羽が苦手でね」

「麗羽?」

「袁紹」


そして、その一行の長たる、最も小柄で愛らしい容姿の少女は、四人の中で最も不機嫌そうな顔を浮かべていた。

曹操軍の陣営を出た時から、とりわけぶすりとして、普段の涼やかな微笑も全く影を潜めていたのであるが、華琳のやる気をそこまで削ぐものとは、果たして――――――






――――――反董卓連合大本営、つまりこの連合たる盟主たる袁紹の主催で行われる、諸侯の幹部級を集めて行われる軍議府会である。





「さぁて、みなさん、お集まりですわね」


その幕舎の天幕を潜ると、既に反董卓連合加盟諸侯の主だった面々が揃っていた。

それぞれ違う軍装や様式が列で座りながら、その最奥の中心に、彼女が立っていた。


「まずは、自己紹介を。この私が、僭越ながら此度の連合の盟主に推され仕りました、袁紹にございますわ。まっ……未だ来ていらっしゃらない方も居る様ですが」


袁紹が演説を始める、と、その最中に潜りこむように、新たに天幕が揺れる。

入口付近の将の何人かが、そちらに振り返る。


「…………」


と――――――両脇の幕をかき分け、秋蘭と春蘭が中に入ってきた。

寡黙な表情を崩さず、しかしその二人の姿を認めると、袁紹は言葉を留め、わざとらしく溜息を吐いた。


「やぁっと御到着ですの? 華琳さん、貴方達がびりっけつですのよ、びりっけ……つ!?」


その後に、二人の美女が開けた道から天幕を潜ってくるであろうと予想した人物に向けて、呆れた調子を作って語気に乗せる。

――――――が、幕舎の内を覆ったのは、ゆらりと大きな黒い影。


「…………ん?」


入って来たのは、身の丈は八尺、体躯は筋肉の塊で二十五貫を超えようかという、骨格強靭な大男。

赤寄りの栗色をした麒麟の様な髪をきっちりと束ね、露わになった広い額に、髪と同じ色をした細い眉、そして、暗闇でも光りそうな琥珀色の眼、どこか猫の様でもある。

錦織の陣羽織を引っかけた肩は衣類の上からでも発達したありありと事がわかり、きょとんととぼけさせた表情とは著しく対称的に、威圧感は満点。

集ったの諸侯の多くが、その迫力に思わずぎょっとしたものだから、てっきり華琳の姿を予想していた袁紹の驚きは、それに輪をかけたものであったろう。


「か……華琳さん!? み、見ない内にずいぶん、逞しくなられましたのね……」

「何を馬鹿な事を言ってるのよ、麗羽」


わなわな、人差し指を指す袁紹、武蔵の方から聞こえて来たのは、武蔵の容貌とはあまりに釣り合わぬ、可愛い気を残す甲高い声。

武蔵の背後から聞こえて来たその主は、すっと武蔵の脇をすり抜けて、その前に出で立つ。


「さあ、言葉を続けて貰ってかまわないわよ」


武蔵と並ぶと、まるで大人と子供が如き。

華琳は涼しげな表情のまま、ふっと一つだけ穏やかに笑った。






「さて――――――では当面の議題として、如何に董卓を攻めるか、ですが……」


一通り、連合に集った面子の自己紹介が終わり、おのずと軍議はさしあたっての問題に移る。

区切りがつくと、線の細い、如何にも議員然とした壮年の男性が口火を切った。


「ふむ……盟主殿はどう考えます?」


机の上に両手を重ねて置いて佇む年配の女性が、それを受けて如何にも一考案ずるように間を空けた後、おもむろに自らの半分の年齢であろう少女を盟主、と呼ぶ。


「作戦? そんなもの、真正面から叩き潰して差し上げるだけでよいではありませんか」


袁紹は見事な山脈を誇る豊満な胸を張り、サッとその豪華な金髪を揺らす。


「これほどの大軍勢を誇って策など必要がありますの?」

「……まさか盟主殿、真正面からあの要塞に軍勢をぶつけようと言うのか?」

「この威容であればそれが最上ですわ。細工や奇手は不要! 優雅に、華麗に、美しく! それ以上の進軍は必要ありません!」

「盟主殿、僭越ながら、それは余りにも無策と言う物でござる」


立ちあがった袁紹に、こんどは別の男性が異議を申し立てる。


「董卓軍は籠城の構えを見せている、なれば、汜水関が決戦の場となるであろう事は必定!」

「然り。難攻不落と謳われるかの要塞に真正面から攻撃を加えるのは、自滅の道を選択する事に等しいですわ」

「籠城には十倍の兵力を持って当たれとかの孫子が言う様に、常に攻め手が厳しいものであるというのは無論、御承知の筈では? 敵の出撃や遠射に対しても全く備えを考慮しないと言うのはいかがなものかと」


それを皮切りに、彼らは口々に畳みかけるように反対意見を並べていく。


「ふむ……では諸先生方にお伺いしますが」


袁紹がむっとした表情を浮かべると同時に、その傍らに座っていた色白の青年が口を開いた。


「孔由殿、あなたは攻城を愚行だと仰いましたが、それに代わる作戦が何かお有りですか?」

「なんです? あなたは。発言の前にはまず名乗られるのが礼儀だと思いますが」

「そういう問題は二の次です。董卓を如何に攻めるか、それがさしあたっての議題でしょう。董卓を真正面から攻める、我々にそれ以上の攻め方があるのですか、と問うているのです」


袁紹よりは、少し年上に見える。口元で組んだ両手のせいで顔の半分は隠れているが、その眼の光は怜悧だ。


「それは、城兵の射撃や、内部撹乱等……」

「それは戦術の次元の話でしょう。刻々変わる状況に合わせて各々が対応すべきで、今考えるべき事ではない。ま……言わせて頂くのなら」


痩せ型で、冷たい印象を与える顔つきである。

ちらりと目だけを、先程の批判組の一人であった年配の女性に流した。


「劉岱殿の弁を借りれば、汜水関は別名“虎牢関”とも呼ばれる、まさに難攻不落の防衛施設です。当然、城壁も図抜けて高い。高所と低所、矢で射ち合ったらどちらが有利かは孫子を紐解くまでもなく明白だ。まして敵は走る馬の上から弓を自在に操る事の出来る涼州兵。練度の差も考えれば、そちらの方がよほど消耗が激しい」

「軍を分散し、各方面から攻めてはいかがです? 何故正面からの突破に拘るのか」

「既に馬超隊が涼州方面から出撃済みです。我々はそれに呼応し、中原から挟み撃ちにする構図となります」

「そういう問題ではないでしょう! どうして二十五万を一点に集中させると言う無駄の多い用兵をするのか!?」

「戦線を拡大させればさせるだけ、機動戦の得意な董卓軍の有利。王匡殿の例を忘れましたか? 各個に当たってはそれこそ敵の思う壺。それに連合軍全体で連携を取れるのは、虎牢関を通るこの経路のみ。別の経路を使う方が、却って時間も費用も無駄になります」

「む……」


色白の青年と議員風の壮年が舌戦を交わす。

おのずと、場の人間の目はそちらに集中していく。


「そもそも、孫子の記述を引用しておられましたが、五万の砦を攻略するなら五十万を動員しろとでもいうおつもりですか? マニュアル通りに政策を行う政治家はいない。もっと現実に則した意見を述べて頂きたいものです」

「ま、まにゅ……?」

「ああ、失礼。手引き本、とでも言えば御理解頂けますか? 御壮年」


フン、と青年が鼻で笑う。あてこするような言い方に、孔由は臍を噛む様に唇を噛んだ。


「っ……そのような意図の不明瞭な若者言葉はこういう場で使うべきではない! 皆さん、これは明らかな失言ですよ!!」

「そういう遊びが目的なら、太学の学生達として来て頂きたい。私は応じかねます」

「あ、遊びですと!?」

「言葉尻を論って、本来の趣旨と全く関わりの無い追及をする幼稚な議論が、遊びでは無くてなんです? 代案や解決案の無い批判は批判とは呼ばない、そういうのは単なる揚げ足取りだ」

「っ……!!」


声を荒げたが、切り返しは冷ややかだ。


「しかし、正面から攻めるとなれば、やはり大きな損害が予想されますわ。やはり、いけませんわ、正面突破なんて」

「……劉岱殿、ならばお聞きします。損害を出さぬ戦事が存在しますか?」


目尻に皺の目立つ劉岱の顔を一瞥すると、青年はおもむろに足を組み、膝の上に手を乗せる。

薄い唇と細い顎の、細面が現れた。


「今一度、この機会に確認しておきたい。此処に集ったあなた方は、誠に董卓を討つべく覚悟を持って出陣したのか。それとも、天下の体面を保つために、体裁的に顔を出しているだけで、まともに戦う気など無いのか」


ざわり、としわぶきが沸いた。

だが、そちらに向けられた青年の眼は冷たい。


「我々は董卓討滅を掲げ、武力を持って干渉する為に此処に集った。それ相応の被害は考慮のうちの筈だ。前線の兵士は命を懸けて戦っている。皆さんにも、それなりの覚悟を持ってこの戦に当たって頂きたい」


青年はじっと、会合に集まった者たちの表情の色を眺める。

目を逸らす者、隣の者と談合するもの、彼を見つめる物、瞳の揺らいでいる者と笑っている者。

左手を顎に添えて、それらの表情に浮かんだ色を、じっと見分けていく。


「ならば軍師殿、敵を誘引し、野戦を仕掛けてはどうだ!? 兵力差を考えれば、攻城よりも野戦の方が有利な筈!」


先程の体格のよい男性が気勢を張る。

髭を蓄えた口元から発せられる語気は、容姿から察せられる通りに野太い。


「――――――ほお。あの騎馬の群れとやろうってかい。こりゃあ、剛毅な御仁が居たもんだ」


一斉に衆目の目が反転した。

袁紹の隣の男、この幕の奥が議論の中心となっていた為、その反対方向には全く気を配っていなかった。


「俺は華雄ってのを見たが……成程、見事な手並みだった。あれが董卓軍の中でどの程度の物かは知らんが、推し並べてあのような遣い手が揃っているとすると、こいつはとてつもねえ。さすがに、後漢最強と呼ばれるだけの事はある」


それはこの帷幕の内の最も出口に近い側、この会議に最も遅れて参加した曹操の傍らに侍っていた、あの赤毛の大男が発したものだった。


「あの騎馬と地べたで戦うってのは、俺には出来ん。御仁よ、貴殿は恐ろしく勇猛な人間だな。間違いなく中原で一番の勇者だろうよ」


椅子には座らず地面の上で胡坐をかき、おもむろに右手をかざして、無邪気な風で言う。

男は、すっかりぽかんと口をあけつつ、やや青ざめ、気勢を削がれた顔をしていた。


「――――――袁紹閣下の参謀を務めている、郭図と申す」


青年が、居並ぶ将には目もくれず、真っ直ぐに対角線にある武蔵に視線をやり、先程は拒んだ名を名乗る。

拳の上に乗せた顎、口元が、少し笑っていた。


「もしや、貴殿が噂の宮本武蔵か?」


ざわり、とその場がにわかに泡立った。


「宮本武蔵……?」

「聞いた事があるぞ。先の大乱に置いて、反乱軍六千を僅か一刻、たった一人で交渉に向かい降伏させたという、外交の達人の名だ!」

「いや! それがしはかの猛将・何儀を万衆のただ中で、刀を鞘に収めたままに討ち取った稀代の武人の名と記憶しているが?」

「武蔵……おお、宮本二天の話は、私も聞き及んでいる。戦に勝てば酒を飲み、煙管を咥えて月を眺め、世にも見事な書画を表すという、曹操の抱える文人がそうではないか!?」

「曹操!? 曹操と言えば、天の御使いを得たと噂の、あの曹操か!?」

「ああ、その噂は知っているぞ! 名も容姿も知れぬ人物であるが、菅輅が占ったという、乱世を鎮めるというあの御使いか!」

「容姿もわからぬ? 否、天の御使いは顔は麗しく、光り輝く白の衣を纏った年若い青年ではないのか?」

「それは講談師が面白おかしく脚色した話だ! 天の御使いとは、曹操殿が十万の流民を併合し、自領を活発化させている僥倖を指して言うのだ」

「いや、その解釈は……」


ざわざわと、騒々しくも今まで会議に加わっていなかった人間が、それぞれ方々に議論をし始める。

火を投じた郭図は笑っている、喧騒に紛れて聞こえないが、喉を鳴らしているようにも見えた。


「…………竹村」


また一同、ざわりとして、一斉に言葉を留め、赤毛の偉丈夫に注目する。

男は、傍らの華琳が面白そうにクスクスと笑みを浮かべていたのを見ると、諦めた様に溜息を吐き、自分の頭をがしがしと梳いて、言葉を呟いた。


「竹村……そうだな、政名…………俺は、竹村。竹村政名だ」


薄ら笑いを浮かべたままの郭図と、次に発する言葉を失った一同。

静かになった幕舎の中で、華琳が一人、耐えきれなくなったように吹き出し、笑いを漏らした。







「……成程。では、基本方針は決まった。では、誰が先陣に立つか、だが……」


一段落し、再び議題は次の段階に映る。ここまでくると、もう最後の段階であろう。


「――――――会議は終わったかい? いい加減、待ってるのも疲れちまったよ」


議論も煮詰まりかけた時、忘れた頃に、再び天幕が揺れた。

入って来たのは、三十絡みか、それくらいの歳の男。


「あれ!? 簡雍さん!」

「簡雍殿! どうしてここに……というか、今まで何をしていらしたのですか!!」

「いやあ、わりーな、元徳ちゃん、雲長。別嬪さんが多いからよ、そこでちょろっと話しこんでたら、会議が始まっちまったもんでな」


垂れ目を細め、洒落っ気たっぷりに、しかし全く悪びれずに、へらへらと笑う。

眉毛の辺りに走る一筋の小さな疵は、刀傷だろうか。


「ま、終わるまで待ってようと思って、外で話聞いてたんだがよ、全然終わる気配ねーんだもの。悪いとは思ったが、飛び入りさせて貰ったよ」


言葉を交わしながら、並んで座っている二人の少女の頭をすれ違いざまにポンと撫で、そのまま歩みを止めずに、奥の上座まで歩いていく。


「軍師殿、話は聞かせて貰ったがよ、あんたの言う作戦、つまりは盟主殿の作戦だが、二十五万の軍勢を入れ換えつつ、波状攻撃で正面から逸早く砦を落とす、っていう大胆な策が、今の所、いっとう効率が良いようだ」

「……貴方、名前は?」

「ははっ、名を聞かれるたァ、光栄だね。予州刺史や山陽太守には名乗りすらしなかったのに、アンタ」


おどけた風に、近くまで歩み寄った郭図に、臆面なく洒落を聞かす。

槍玉に挙げられた孔由と劉岱は、顔をぶすりとしかめさせていたが。


「でだよ。相談なんだが、その先陣、俺ら劉備軍に任せちゃくれねェかな」

「簡雍殿!?」


艶やかな黒髪を一房に纏めた少女が、立ち上がって声を荒げる。

しかし、簡雍は笑みを絶やさない。


「あれは関羽つってな。見てくれこそ、男もまだ知らねェような未通女臭ェ小娘だが、ひとたび青龍刀を振るえば俺が百人束になっても敵わねえだろうって豪勇よ。さらにウチには張飛って、これまたエライ小娘が居る。俺達の盟友・公孫賛もまた、白馬義従の通り名で烏丸どもに怖れられた精兵を持ってる」

「だれが小娘ですか! それに、しょ、処女なのは今は関係ないでしょう!! 下品な例えはやめてください!!」

「ああ、本当に未通女かお前!? ワリい! まさかそうとは思わなくてよ」

「なっ、なな……」


親指で指す、少女はがなりたてるが、簡雍が振り返ると、顔を真っ赤にしながら、わなわなと震えて言葉を途絶えさせる。

どうやら、口の上では簡雍が一枚上手らしい。


「で、だ……あの虎牢関に最初にぶち当たる最前線、誰もやりたがらねえその役目を、俺らが担ってやっても良い。あんたらは総大将だし、軽々しく前には出られねえだろうからな」

「ほう」

「但し、だ。俺達に兵糧と武器を融資してくれる、っていう条件を呑んでくれたらな。生憎、地方の弱小領主なもんで、物資的には貧弱なのよ。だから、あんたらがこの連合の盟主として、俺達を信用し仲間として支援してくれるなら、俺らも董卓打倒のために全力を尽くす。どうだい?」

「失礼ながら、貴軍はこの連合の中で最も兵が少ない。それを承知で言っておられるのですね?」

「ああ」

「ふむ…………」

「宜しいですわ!!」


次いで公孫賛を指さし、ぎょっとした彼女の返事も聞かぬまま、男は余裕の表情で交渉を持ちかける。

口元に手をやり、思案に耽る姿勢を見せた郭図のすぐ横で、袁紹が即座に立ちあがり、高らかに宣言した。


「この袁紹を掲げ使命を全うせんとするその志操、この本初、痛く感じ入りましたわ! 劉備さん、ついでに伯珪さん! それぞれ槍鎧一式千丁、兵糧二千錠を貸し与えてさしあげますわ! 堂々と戦い、見事逆賊を討ち果たしてご覧に入れなさい!!」

「わ、私もやるのかよ!? まだ返事をしたわけじゃ……」

「いやあ、ありがてえ。袁紹殿の御英断に、劉備・公孫賛の両陣宮を代表して感謝致すぜ」

「……わかったよ、もぅ」


先程指を指された、劉備と同じ年の頃の少女が抗議をしかけるが、簡雍は早々に話を纏めてしまった。

どちらにせよ、寡兵の劉備軍には救援が必要なわけで、必然的に盟友関係にある公孫賛がその立ち位置に入るしかないのであるが。

十中八九、簡雍は確信犯であろう。


「しかし、先鋒が一軍では、今回の攻城に置いては心許無い。もう一軍、劉・公軍団と入れ替わるための軍が欲しい所ですが」


城攻戦は間断なく攻め続ける事が上策。しかし、前線が一軍(厳密には二軍の合流軍団であるが)のみでは落城よりも兵の疲労が先に来てしまう。だからこそ、絶え間なく攻める為に先鋒を入れ換える為の部隊が必要なのだ。城攻めが兵数を要する戦であるのは、そういう事だ。


「――――――ならば、我々の軍が後詰めに入りましょう」


すっ、と、長い黒髪が流れるように揺れたかと思うと、その後に鮮やかな肢体がゆっくりと立ち上がった。

豊満な肉体のこなしは品が良く、たおやかな印象を受ける。褐色の肌の美女、一抹の冷たさを点す顔は、妖艶という形容詞がよく似合う。


「孫策軍の周瑜と申します。その任は我らに任せて頂きたい」

「ほう。区星の乱の際、桂陽郡を落とした麒麟児……貴女でしたか」

「乱に縁の浅い、名門門司の方々よりは、戦事に強いと自負しております」


明らかな揶揄に、先鋒の名乗りを挙げ損なった諸侯達が表情を不機嫌に崩す。

空気が冷たくなるが、眼鏡のつがいに添えた中指、その向こうの瞳は、それにも増して冷ややかな光りを灯す。


「しかし、貴女方の軍は水路を使って北上して来た。遠征は苦でしょう」

「はい。ですから、我々も劉備軍と同じだけの援助を頂きたい」

「南陽袁氏の援助を受けている、孫策軍が?」

「はい」


「いや、それはいけませぬ、軍師殿」


また、一人の男が言葉を持って割って入る。


「それこそ、軍師殿の言葉をお借りしますれば、先の孫堅による区星討伐の際の桂陽占領、これは明らかな越権行為でござった」

「無体な物言いですな、許貢殿。桂陽の派兵と支配は、先代君が朝廷から正式に詔を託ったものです」

「何が詔か! 宦官共に略奪してせしめた金を積んで、偽造させたものであろうが。貴様らの様に後付けの大義で武力に物を言わす南人風情は……っ!?」


立ち上がって言葉を続ける許貢だったが、周瑜の隣に座る女が流し目で睨むと、物を詰まらせたように言葉を噤んだ。

すらりと伸びる脚を組んだ、美しい女。色気と、怖さの香る切れ長の美眸。

――――――孫策だ。


「信用に値するか値しないか、それは我が君・袁公が決める事です、許貢殿」


色白の青年は薄ら笑い、余裕を湛えた表情を崩さない。


「――――――反董卓連合盟主・袁紹の名を持って諸侯に命じますわ!」


袁紹の声が、帷幕の全ての人間の鼓膜に響いた。


「劉備、孫策、公孫賛軍を先鋒に立て、一挙結託して洛陽へと攻め登ります! 各々方、大義の軍である自覚と誇りを持ち、堂々と戦いなさい!」


その声を持って、大本営議会は解散した。

それぞれの思惑はともかくとして、二十五万は一斉に、一路、難攻不落の虎牢関へと向かうのである。





「どういうつもりだ、郭図」

「む?」


洛陽への出陣に向けての陣払いの最中、辺りを視察する郭図に、声をかける男があった。


「先の議会だ。お前、劉備とかいう小娘を先鋒に立てたそうだな」

「ああ」

「彼女は幽州のいち県令に過ぎぬのだぞ? 戦力になるとは思えん。まして最前線で敵の攻撃に晒す等、ひとたまりもあるまい」

「劉備の安否の心配か? 優しいな、淳于」


痩せ型の郭図に比して身体の線は非常に分厚い、武骨な男。

その立派な体格は、まるで虎が立ち上がって二本足で闊歩しているかのようだ。


「だが、前線を担う事は奴らの側から申し出た事だ。董卓を恐れて手すら挙げぬ太守や州牧どもよりは、よく働くだろうよ。それに、奴を立てればその後援者的立場である、公孫賛も付いて来る。あれの精強さは、先の大乱で友軍として戦った経験のあるお前がよく知っているだろう」

「董卓の兵に比べれば、それでも二枚は落ちる」

「例え奴らが全滅したとて、俺達の軍には傷はつかん。まあ、姫がその辺りを鑑みているかは微妙だが、差配の舵取りは軍師の仕事だ」


淳于瓊は郭図より十程は年上であろうか。強面だが、語気には純朴と言うか、人の良さが抜けきらぬ所がある。

郭図とは何から何まで対称的な男だった。


「……劉備が信用に足る、というのはまあ、わかる。だが、孫策を援助しても良いのか? どう考えても、あれは危険だ」

「戦場の信頼は官位と家柄ではなく、武力と胆力だよ。そういう点では、あの女は折り紙つきだ」

「孫堅が荊州を奪い取った経緯を、お前とて知らぬわけではあるまい。袁術殿の後援を受けていながら、我らに援助を迫る孫策も、その無頼さを受け継いでいるだろう。人食い虎を抱え込む様なものだぞ」

「お前は虎を恐れるのか? それはおかしいよ、淳于」


諫言する淳于瓊だが、郭図はフッと、ひとつだけ笑う。


「地上の支配者は、虎か? 人か? 虎は雄々しい外見と類まれな膂力を持つが、所詮はそれだけだ。人には勝てない。虎は狩り場にしか生きる場所は無く、安息の場は、人里離れた森か、人の作る檻や囲いの中にしかない。虎とは、そういう生き物さ。奴の母親は、人里に下りて暴れて、最後には狩られた哀れな虎。人の上には、決して立てない。それが虎だ」


――――――単純な武勇であれば袁術は孫策の足元にも及ぶまい。

だが現実として、孫策は袁術が飼っている。


「英雄には虎でも成れる、が、王足るのは人だけだ。虎の暴威と勇猛さは一時の夢にはなるだろう。だが王の資質はそういう類のものでは無い事を、市井の民は夢から覚めた時に知るだろうな」

「それは、何時だ?」

「乱世の終焉。この戦いが終わっても、しばらくはその夢遊の時は続こう。武の幻想を終わらせるのは、その乱を収めた次代の指導者だろう」


――――――武とは英雄の資質であっても、王足る者の資質では無い。

つまりは乱を壊す才ではあっても、乱を収める才では無いのだ。


「まあ、今語っても、そんな事は栓無き事だ」


郭図は、再び淳于瓊に背を向ける。細い背中だ。


「今の王は漢王朝だ。俺達は王に飼われる英雄として、しばらくは勇猛な虎のフリをしようじゃないか」





「結局、お前は前線には立たないのか」

「人事みたいに言うのね。怖いと言ったのはあなたでしょ?」

「で、どうだった? あの中に、目ぼしいのは居たのか?」

「どうかしら。当たり障りのない軍議だったし。劉備と孫策くらいでしょう」

「袁紹は? 議論を制していたのは奴だろう」

「私は麗羽の事はずっと昔から知っているからね。郭図という男も、太学に居た頃に何度か話したわ。今更見定める様な人間でも無いでしょう」


華琳と武蔵の前では、兵たちがあくせくと暇無さそうに動いている。

春蘭と桂花が、それぞれ指揮して、指示を飛ばしているのが見えた。


「まあ、あの場に列席した諸侯に袁紹軍の力を誇示する結果にはなったわね」

「冀州は豊かだねえ。羨ましいな」

「他人の芝生は青いものよ」


この連合は、あくまで一時の物だ。今回の戦いが終われば、この同盟関係も解消される。

その後の外交関係を踏まえれば、この連合で存在感を示す事は重要だろう。

少なくとも、合計六千錠もの兵糧を即決で出せる袁紹軍の経済力は、議論を御していた事と相まって、強い印象を残した筈だ。


「それと、もう一つ」

「うん?」

「武蔵の容貌に思わずたじろいだ者は小胆、取るに足らないわ。ま、麗羽は驚いていただけでしょうけど」

「その心は?」

「天然だもの。真性ともいうけど。それに怖いもの知らずだから」

「そうかい」


悪友を語るように袁紹の真名を口にする華琳を見て、武蔵はフッと小さく笑った。

威圧感のある、琥珀色の双眸が和らぐ。


「まあ、そうでない者の中には、劉備と孫策が入っているわね。平然としていたわ」

「ああ、あの娘は少し特別だな」

「どんな所が?」

「あんなに戦の匂いが似合わなそうな娘は初めて見た」

「劉備の事? ポーっとしてるだけじゃなくて?」

「そういうわけじゃないだろうさ。凡骨じゃねえのは、お前も感じたんだろう? ただ、虫も殺せんような気がする、あの娘は」

「どうしてそう思ったの?」

「なんとはなしに、だ」


特に決め手らしいものがあったわけではないらしい。

なんとなく、そんな雰囲気をしていた、と武蔵は言う。


「まあ、その武蔵評に則れば、彼女も取るに足らない人物でしょう。戦えなくては、今の時勢は超えられない」

「いんや、娘ってのは本来、ああ在るべきだと思うよ。お前らはおっかな過ぎる」

「失礼な人ね。絶世の美少女を掴まえて」

「まあ、一人くらいは、ああいう人間も居て良いと思うぜ」


武蔵は、答えているのか答えていないのか、今ひとつ掴みがたい。

この男の回答や返答は、何時もそうだ。


「甘さで天下は定まらないわ」

「優しいってのは、本当なら、何も咎められるような事じゃねえさ。血の匂いを嗅いでると忘れるが、な」


武蔵が笑う、華琳も笑った。

だが、武蔵の物憂げな笑い方とは、それは少し違った。


「嘘つきよね、あなた」

「うん?」

「本当は、怖いなんてちっとも思ってやしないでしょう? 私の首を取る事など、その気になれば造作も無い事でしょうから」


華琳の笑みには、言葉に乗せるのとは違う、もう一つの何かが含まれていた。


「俺が“その気”という奴になる事は、恐らくは無いだろうよ。女の生首ほど、見た夜の寝付きの悪いモンはない。身内ならなおの事だ」

「あら、『絶対』なんてことはありえないわよ?」

「なら、お前。春蘭を斬れるか?」

「…………」

「俺は斬れんぞ。そういう気にならん」


同じような笑い方、しかし、武蔵の笑いに、そういう言外の物はなかった。


「そもそも、還暦迎えた爺が自分の半分も生きとらん小娘を斬ろうなんざ、余程の事がねえ限り思わんもんさ。ただでさえそうなのに、あの真っ正直を絵に描いた様な春蘭の性情を知った後じゃ、例え戦場で向かい合っても本身を向ける気にゃあなれんよ。戦ほっぽって逃げるだろう」

「春蘭は怒るかもね」

「かもな」


武蔵がしみじみ、慌ただしい兵の流れの中で指示を飛ばす、春蘭を見る。

武蔵と華琳の視線にはまるで気付かず、ひたすら己の使命に没頭している、ひたむきで一途な姿。

大剣を掲げた鬼神の面とはかけ離れている。見ていると自然と胸が和む、あどけない少女の表情。

武蔵にとって、それはそういう顔だった。


「だが、それはあの子も同じだろう。あの子に、見知った人間を斬る事など、ようよう出来んさ。あの子は優しいからな。春蘭もまた、血の匂いが似合わん子だよ」

「…………」

「あの子が鬼将軍やってるのは、ひとえにお前の為だ、華琳。あの子は、自分の為には絶対に人を斬らんだろう。俺とはまるで違う。俺はあの子から血腥さは感じねえ、血の臭いの下にある人臭さがどうしても先に立つ。とても斬る気にゃなれん。斬れるか、斬れぬかじゃあなく、斬ろうと思わん」


仮に華琳が武蔵に春蘭を斬れと言っても、武蔵は応じないだろう。

武蔵の剣は、そういう剣だ。人に仕え、使役される事で冴える春蘭や秋蘭の剣とはあくまで本質的には別種のものだ。


人の持つ生臭さ。それは血腥さと、人間臭さ。

人を斬る、“その気”になるかどうかは、人の匂いを覆い越してくる程の血の匂いを嗅いだかどうか。

武蔵にとっての――――――ひいては、人に仕えぬ者の真剣とは、そういうものなのだろう。

技量・力量の比べ合いと命の取り合いは、その下地の次元の意味で全く別種のものであるという事を、武蔵は知っている。

武蔵は若い頃は、ひたすら血の匂いに敏感だったが、人の匂いに鈍感だった。

さしずめ、虎だろう。人の臭いに疎いけもの。血の臭いを嗅ぎつけて、自分以外のあらゆるものに戦いを挑む。

人に塗れて、やがて人の匂いを嗅ぎ分けられるようになる。構えた剣の奥、向けられた切っ先の向こうにある、人としての表情や面持ちを見遣れるようになると、彼もまた人臭くなった。

懐は深くなり、眼つきは和らいで、抜き身の刀を鞘に収めるが如く、血の匂いの上に人の匂いを纏う様になった。

武蔵が鞘から抜かれるとすれば、それは――――――

人の匂いを破って滲みでる様な色濃い血の匂いを持ちながら、武蔵の命に届いて来る、あるいはそれを、脅かすだけの人間か。


「孫策は、どう? どんな匂いを感じた?」

「どうかな。機嫌悪そうな印象しか無かったが、あえて言うなら――――――」

「…………」


武蔵はおもむろに、思案するように自らの顎を撫でる。

剃ってから日の浅い、短い髭がしゃりしゃりとした感触を指先に残す


「美人だな」

「は?」

「ああいうスラッとした眉目の女は良いと思うね。色気がある」

「秋蘭や稟だってあんな感じでしょ」

「あいつらだって十人いたら九人は美人っていうだろう。稟は少し色気が足らんが」

「…………」


ふと、先程の先鋒の話を思い返して、劉備、孫策、曹操のそろい踏みが見てみたいと思ったのは、多分に武蔵だけだろう。

華琳にとっては、劉備も孫策も諸侯の内の一人でしかない。


「私が気になっているのは、お前の名前だな」


聞こえて来た声に、武蔵が振り向く。

秋蘭が軍装のまま、喧騒の合間を縫って彼に尋ねて来た。

話を、どの辺りから聞いていたのかは知らない。


「よく咄嗟に偽名など思い付くな。さては、普段からああいう事をやっているな?」

「偽名ってわけじゃねえが、まあ、ああいう時に使う名だ。他にもいくつかあるが」

「あら、名を売るのが嫌なの? 隠者の様ね」

「値段が付くなら売るけどな。逐一、ああなられては敵わん。旅もし辛い」

「旅に出なければいい。そして働け」

「大目に見てくれよ、秋蘭」


「竹村殿ーー!!」


雑談をしていた彼らに、外から声をかける者があった。


「あれは……」

「公孫賛、か?」


解体の進む陣営の中、白馬に跨り、武蔵よりも明るい色をした、赤い髪の女が降りて近付いて来る。


「我が領内で馬賊の頭目を討ち、商隊を守った手裏剣の名手、竹村政名とはそなたの事だろう!? かねがね、お会いしたいと思っていたー!!」


人懐っこい笑みで、よく張る朗らかな声で、邪気無く遠くから手を振ってくる。

幽州を統べる雄、公孫賛であった。


「……随分、名を売り歩いているようじゃないか、政名先生?」

「そういやあ、そんな事もあった様な気が……しないでもねえ」

「どれだけ世を忍んでも、名は人の発する言葉によって広まる。優れた才とはそういうものよ。諦めなさい、武蔵」

「俺の預かり知らん所で、勝手に膨らんでいるだけだよ」


秋蘭が肘で小突く。華琳が笑っている。


――――――この十日後。

連合軍は虎牢関にて、董卓軍と対陣した。

僕は亜美真美と思考レベルが同じだと思う。

なんか一日中けいどろしてられる自身あるもん。


地方によってけいどろ、か、どろけい、か変わるらしい。

僕の所はけいどろだった。皆さんはどう?

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