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黄色頭巾編・三十一話




「俺が言うのもなんだけど」

「うん?」


鶴に水。水に鶴。

桃の園に降り立った、静かな池の水面が揺れた。

波紋を紡ぐ。

一つ。二つ。


「よく俺みたいなのを雇うよな。俺は周直を斬ってんだぜ?」

「強いからな」

「……」


「アンタを斬るかもしれない」

「斬ればいい」


「そうなったらアンタはどうする?」

「そりゃあ斬るさ。お前を」


――――――筆が置かれた。


「そうなっちまった時点で、俺の負けだが」

「?」


「人を御するってのは、そういう事よ。まあ、元来、俺はそんなタチの人間じゃねえがな」

「どういう事だよ?」


「お前に斬りたいと思われた時点で、俺の人としての格は負けてるって事だ。お前に斬れるだろうと見切られたという事、それ以上に、斬っても構わんと見定められたと言う事、その時点で、俺はお前にとってはその程度の人間になり下がったって事よ」


「……あぁ?」

「つまりな」


壁に描かれた桃園鶴図から、ゆらりと向き直る。

初めて、武蔵と李通の視線が交錯した。


「剣とか、思想とか……俺という人間の、器とでも言おうか、それがお前という人間を入れて、ひび割れたり溢れたり、さざ波立たせたりせず、まだ懐を保っていられるかって言う、要はそういう話さ」


「……??」

「簡単な事さ。難しく考える事じゃねェ」


気だるい風な笑みを浮かべて、頭に手櫛を入れて、梳く。

馬の毛色の様な、栗毛と鹿毛の中間色の髪が、フワフワと揺れた。


「お前がここに居て居心地が良いのか、またそれを良しとするのか。要はただ、それだけの事……お前にとっても、俺にとっても、な」







突かれた喉笛。砕かれた軟骨。

噴き上がる鮮血の雨を縫って、縦横無尽に疾駆する。

ひと際小柄な身体をさらに深々と沈めた、独特の構え。

猛り舞う、狂犬の爪牙。


「……あの小僧、まさかっ……!?」


胸元の蛇、視界の隅にチラリと映った――――――その時にはもう、いない。


「ば・ンッ――――――ぉ……!!」


不意に真下から突き上げられた、白樫の竜頭。

唸りを上げて、喉元を貫いていった。


「う……」


喉の奥から上がってきた血を、倒れ伏しながら口から噴き出していった味方の、もう間もなく完全なる屍になるであろう、毀された肉体。

その影から垣間見えた、頬に血を二、三滴くっつけたまま、拭おうともしない横顔。

存外に小さい。高い鼻と、切れ目だが大きい、特徴的な目元の、整った顔立ちも相まって、角度によっては、少年の面持ちを未だ残している。


だが、その表情はどうだ。

何の色も無い。荒さも無い。その平淡さに、相対した兵たちは、怒号吹き荒れる戦場にあって、この数百人の一隊を前に、一つ向こうでは未だ手を休める事の無い味方を置いてなお、思わず竦んだ。

これは己が断ち切った命に、もう何の感慨も、想いも馳せなくなった目だ。

もうずっと、とうの昔に、何人殺したのかを数えるのをやめた顔だ。

いや、数えてはいるのだろう。少なくともこの戦の間、討ち取った首が自らの手柄、自らの儲けになる、この間は。


(……やっぱ汚れてもいいヤツでくりゃ良かったな)


泥の跳ねたスリムストレートの裾を一瞥して舌打ちすると、頬の血を舐め取って、唾と一緒に吐いた。

それだけだったが、それだけで敵兵がさらに一歩後退った。


「てめえらあっ、この黄巾が見えねえかッ!」


既に幾許の血を吸っている白刃を右手に、身体を開いて見栄を切るような大行な仕草で、長身痩躯の男が自らの頭を指さす。

相対す兵の群れの中で、黄色い頭巾を戴いている者が、ビクッと震えた。


「てめえらは俺らと戦いに来たのか!? 違うよなァ? お前らが何をしてえかは俺にはよっくわかってる! 判ってるから口を聞いてやってんだよ!」


敵と肉薄する彼らの一列、そのすぐ後ろで、剣戟の音の止んだ一角を大男がじっと見ていた。


「ケンカなんぞやりたくねえ、ただこの黄色い頭巾が大事なだけなんだってヤツぁ、さっさとバンザイしてこっちに来な! 身の安全は保障してやる、俺らが黄巾を被りながらこっちに居るのがその証拠よっ、さあ!!」


アンバー色の瞳に映る、兵の群れに動揺の亀裂が走る。

伝播し、その士気が鈍り、行き足が鈍るのが目に見える。

――――――眼の端に、右翼の乱戦を切り抜けて、やや隙間の空いた隊列を縫うように駆けてくる一人の兵士が見えた。


「うぐァッツ!?」


あっ、として、脇に侍る凪が拳を固め、チビとデクが構えを見せるよりもさらに一瞬だけ早かった。

上段に掲げられた剣、まさに斬り掛かり、振り下ろされる最中。

武蔵の身体は正面を向いたまま、刹那の間に脇差しが抜かれ、その切っ先が柄を握る指を捉えていた。


「そう騒ぐな。死にゃあせん」


綺麗に右手の薬指と中指を突き、斬り落とさぬ程度に断った。

思わずの間に男は剣を手からこぼし、呻きをあげて、その場に蹲った。

二本の指の付け根に、半断裂の手前ほど、骨の覗く紅い裂け目の入った手を、思わず左の手で抑える。

じわりと、額に汗がにじんだ。


「――――――敵兵よ、勧告する!!」


やや後ろに立っていた額の腫れニキビが目立つ青年が、張りの強い声を挙げる。


「死を賭し、我らと戦わんとする者! 魂魄に懸けて我らを討ち滅ぼさんとする者! そうであらざる者は即刻武器を捨てい! この戦に“生き延びる”以上の意思を持たぬなら、頭の後ろで両手を組み、その場に座れ! さすれば降伏の意思有りと見做し、一切の危害は加えぬ!! 傷ついた者には手当もしよう! が、逆らう者には是非も無いぞ!」


甲高く、若く、硬い声。ゆえに、良く通った。

ビシビシとした声は、武蔵の横から、撃ち出すように飛んでいき、前線の李通やアニキらの頭を越して、敵の鼓膜に勢いよく届いた。


「いいぞ、ニキビ」

「はっ!!」


肩越しの声に、ニキビは拳を抱いた。

武蔵は、度重なる言葉がもたらした、うろめきの波及していく敵中を眺めながら、湿す程度の脂が僅かに付着した切っ先を、再び鞘に仕舞った。

まどろみの眼。

――――――機を観る眼だ。





(…………く……)


刀を納めた、この男。

この男の眼に、既に自分の命は映っていなかろう。


元々、後手後手の戦だった。

統率など何もない。纏め切る前に、官軍に奇襲をかけられてしまった。

戦う気の無い黄色い群集は、あの勧告に安い仲間意識で簡単に乗ってしまうだろう。

進退を測っている流兵たちは、この突如現れたこの軍団の強さに簡単に靡いてしまうだろう。

元々雇い主でもなんでも無い、行き場に窮しただけの間借り宿で、報酬が出るわけでもない他人の戦の端っこだ。命を賭ける意味など何処にもない。

悪あがきの様なものだったのだ。こいつらを使って、再起しようなど。


――――――ならば。


あがき切るしかあるまい。

国破れたが故に立った。もうこの国の王のもとでは暮らせぬと、ゆえに反逆の剣を取った。

誰かが言った、一言の扇動がもたらした“革命”という気風の狂乱に魂を揺さぶられ、滾りを感じて政権交代を唱え、時代の変わり目に身を投じているという陶酔に疑いなく身を投じて、漢は死んだと、さんざ威勢の良いセリフを叫んできたのだ。

だと言うのに、未だ五体満足のまま、こちらに一瞥もよこさず、虫を潰さずに払う様な、慈悲と憐れみのみの刃に小突かれて僅かな血を流しただけで、すごすごとへたり込むのか。


そんな道化は、演じられぬ。

若い兵士には、そんな無様をさらす事は耐えられなかった。


思想や信念なんて、格好の良いもんじゃない。

引っ込みがつかなかっただけだ。いかにも若人らしい頑なさだ。

自分の考えを曲げて「間違っておりました」などと、頭を素直に垂れるのはたまらなく嫌だった。


プライドと呼ぶにはあまりに幼い、意地。

それでも彼は、浮足立ち頭の上に腕を組む彼らのように、縛を受けるを良しとせず。

自分を捕えようと群がりはじめた敵兵に反抗するかのように身をまろばし、地面に転がった直剣を左手で広い、膝を着いたまま、無雑作に横殴りに斬ってかかっていった。






「もったいねえなあ」


武蔵は最後まで、彼の眼を真正面から視る事は無かった。

見ずとも、空気と頭蓋骨を破裂させた炸裂音が、鋭利な石弓の矢がその者のこめかみを射った事を教えてくれた。

武蔵は目の前の前線の戦局を眺めたまま、いつものように腕を組んで、ひょいと右足を揚げただけだった。

横殴りの剣は、袴に引っかかる事も無く、投げ出されるように空を斬っていった。


骸となりて。


若さゆえに、踏み外したか。

思考と吟味が追い付く前に、思い込みと滾りと勢いで突っ走らせたのは、若さゆえの向こう見ずか。


一度膝を突きながら、尚もこの武蔵に向かってきたのもまた、若さゆえ、か。


「隊長、如何に致します?」

「このまま、じわりと圧をかけて自壊に追い込みますか?」


凪、そしてニキビが武蔵に問う。

武蔵の腕は組まれたまま。


「う~む、そうさな……いや…………真桜、沙和!」

「はいな!」

「はいなの!」

「後一回、強く当てよう。早くやっちまった方が綺麗に収まる」

「よっしゃあ! 褒賞で桜花堂原型の#015版カラクリ夏侯惇ver.2を買うのはウチや!!」

「社練の新作ルージュは絶対誰にも渡さないのー!!」


召集に駆けつけ、達しを聞くとすぐさま反応弾のように飛んでいく。

両翼から二隊、深々と敵前線に急侵し、ざわついていた人の波がまた一挙にひしゃげたのを、まどろみと覚醒の間の、深い琥珀色の瞳が映していた。

ふと、下を見遣った。

こめかみに深々、突き立った矢。うつ伏せに倒れた、その瞳の色は見えない。

足下に転がった剣を器用に蹴り上げて掬った。

綺麗に真上にふわっと掬い上がり、その柄が差しだすように伸ばした武蔵の右手の中に落ちてきて、入る。


元の持ち主の、その柄を握っていた、今は地面に頼りなく乗せられた手が再び動く事は、無い。


実体の無い馬鹿な世論に踊らされて散っていった、哀れな若者。

蟷螂の斧。実に、もったいなや。


「…………」


見遣る波紋は光って、銀色。

この剣のような生き方だったのだろう。

色は無く、量産性で安っぽい、未だ掌に馴染むようになる前の、脂や血糊のシミも無い、やたらに鋭いばかりな、切っ先の様な尖った、青い人生。

健気に剣を握ってあった。

未熟ながらも剣を捨てずに戦った幼い戦士は死に、戦う事を放棄した臆病で小賢しい非戦闘人種は、恐らくは生き残るのだろう。


それもまた、現実だ。






「ふむ。やはり強いな」


敵と切り結んでいる最前線の猛々しい叫喚を、少し離れた後方で眺めながら、落ち着いた佇まいで静かに馬に跨る、曹操軍で最も凛々しい女の指が、自らの艶やかな顎のラインをそっと撫でた。

黄巾軍には状況を理解する間の出来事だったと思う。

戦線の膠着しかけた時を見計らい、秋蘭の前線隊と入れ替わるように投入された武蔵隊に、黄巾軍は全く対応出来ずに戦線を崩された。


「夏侯将軍! 敵兵は総崩れ、武蔵隊の攻勢に帰順者も続出し、お味方の勢い、まさに破竹の如しとのこと!」

「ああ。見えているぞ」

「将軍! 西の夏侯惇騎馬隊が、敵迎撃隊を大破! 追撃に転じたとの事!」

「ほう」


相次ぐ報告に、秋蘭の返事が、幾分か弾んだものを伴った。

――――――降伏させるまでに、あと幾許もかかるまい。


「今日の戦功一位は、お前たちか姉者だろうな」


傍らの、ひたすらに長いザンバラ髪を赴くままに垂らし、洒落た帽子を目許まで深々と被って、簾のような銀色の糸の様な髪の毛の隙間から、標準を付ける蒼い瞳は鏡のように動かない。

先程、自分の隊長に斬り掛かる兵のこめかみを見事に射抜いた彼女だが、人形のように可愛らしい顔立ちの、その表情は、どうとも形容しがたいほどに無機質だ。

色も無く、波も立たず。


「…………」


視点がやや上からになる矢よけ柵付きの車台に乗り、粛々と、黙々と、秋蘭の問いに返事すらせず、半里先の惑う敵兵の頭を確実に狙撃していた。


「申し上げます! 敵本陣に動きがあったようです!!」

「よし、申せ」

「はっ! それが…………」








「やだっ、離してよっ!!」

「うるさい! さっさと歩け!!」


戦場の叫喚が遠く聞こえていた。本陣はもう、陥ただろうか。

可憐で美しい三人娘――――――周りを固める四十数余りの男たちの中に、黄色い頭巾を被った者は一人もいない。

黄巾の徒は、連れ去られる彼女達を引き戻す事は出来なかった。

所詮は、人を殴ったことも無いような彼らだ。剣を持つ者に少し脅されただけで、身体は竦んでしまった。

自分の慕い、愛する者が助けを求めても、押し留める事も、救う事も出来なかった。

怯え、自分の身を省みるだけで、何もすることが出来なかった。


何万人を動かす彼女たちも、今は頼りなげな我が身の細腕を必死に振って、全く意味の為さない抵抗するしか術のない、怯えた少女に過ぎなかった。


「おい、こいつらなど、捨ててさっさと逃げた方が良いんじゃないのか」

「馬鹿が! 何のためにわざわざ連れてきたと思ってる!」


暴れる地和の両手を後ろ手に、鶏の足を掴むように乱暴に取り押さえ、強引に圧し歩く、背の高い若者。

後ろからその男が発した言葉に、峠道を林に紛れるように先導して進む青年が、怒鳴るような調子で声を上げた。


「あの黄巾を集めたのは、ひとえにこいつらの力だ! こいつらが居るだけでああいう奴らが蜜に群がる虫のように集まってくる。あいにく、奴らは腰抜けのオタクばかりだったが、こいつらに煽動させれば、五十万、いや百万の軍兵を集める事だって不可能じゃない!!」


「……あんた達っ、またこんなバカげた戦を起こさせるつもりっ!?」


地和の責めるような声、眼には怯えの色が滲み、唇が震えていた。

当然だろう。彼女は春蘭や凪とは違う。ただの、いたいけな少女。

相手は剣を刷き、自分らを力尽く連行する大の男たちなのだ。先の戦で、人を躊躇いなく斬ったのも、彼女らは見ている。怖いに決まっていよう。

それでも健気に、震えた怒声を上げた。


「馬鹿げている? ふんっ、国家の大事にも興味を持たず、暢気に歌を歌って面白おかしく過ごしている刹那主義者どもにはそう映るだろうよ!」


振り返り、高圧的な語調を飛ばす男に、地和は反射的にビクッと身体を竦ませる。

それでも、眼だけはきっ、と睨み返した。

男はその刺すような視線から顔を逸らすことなく、さらに大仰な身振り、手振りを交え、続ける。


「今や漢室の威光は翳り、その支配力は衰退するばかりだ。民は飢え、病が蔓延り、もはや天命が漢から去ったは自明の理。だが、民の怨嗟など腐り切った国の首脳には届きはしない。ならば、武! 武力で正すしかない、即ち、放伐! 各地の憂国の士もそれに気付き、続々と兵を挙げはじめた。わかるか? 革命の音が! 漢朝四百年の天命を改める時、この中華が変わる刻はまさに今なのだ!!」


歩く足も止め、演説は過熱していく。

それは、自らの発する語気の熱そのものに浮かされているようでもあった。


「そんなの、私達は関係ないじゃない! あんた達が勝手にやってなさいよ!!」

「関係ない!? 貴様、この国に生まれ、その存亡の是非が関係ないというのか! その無関心がこの国をここまで腐敗させたという事に、何故この期に及んで気付かん!?」


野太い声が出た。腹から太鼓を打つような声。

それは、カナリヤの様な透き通った地和の声をかき消してしまう。


「それで私達に人を集めさせて、もう一度戦おうって言うの? 夢物語よ、そんなの」


口上の合間に、人和が割って入った。


「今の戦を見たでしょ? どれだけ数で有利でも、所詮、素人の集まりじゃ正規の軍隊とは勝負にならないのよ、戦おうとだってしなかったじゃない」

「貴様らが戦えと命じれば済む事だ! 死を惜しまず戦えと信者に命じ、戦う意志を一つに纏めれば物量で必ず押し切れる。貴様らが煽り、それを歴戦の将が率いれば、死を恐れぬ百万の放伐軍の誕生だ。その時こそまさに勝利の時、革命は成る!!」

「それじゃあ命を切り売りさせるような物じゃない! 消耗品みたいに、何十万人も悪戯に犠牲にするやり方が、あなた達の言う革命なの!?」

「歴史の節目に血の犠牲は付き物だっ!!」


人和は一層目を鋭くさせ、拘束される腕、捻り上げられる肘に痛みを感じながら、身を捩り、訴えるように怒鳴る。


「何が歴史よ! 全部空論だわ。百万の兵を集めて、それを養う土地は? 兵糧はどこにあるって言うの? そもそも、その土地が痩せてるから貧しいんじゃない。国だって、満足な税金なんて徴収出来てない。今、漢と戦争したって、何も変わらないわ。飢える人間を増やすだけよ!」

「ある所にはある。売官などと言う愚挙で逼迫した財政を繋ぎとめておるのがその証拠よ。官職一つが一億銭で取引されていると言うではないか。こんな馬鹿な話があるかっ!」


強い語調で反論してきた男に、人和は思わず口を噤む。

かさかかって、男はさらに続けた。


「第一目的は都の奪取! そして現帝政の解体! 売官で混乱した官人役職を一度すべて廃止し、この国の金の流れを止めている元凶、何十億銭を転がして自らの中で利権をたらい回しにしている高官や宦官どもの財産を没収し、地方や民間に放出するのだ。そうすればこの国に血は再び巡り、息を吹き返すだろう。要はこちらが崩壊してしまう前に決着を着ければ良いのだ! あるいは其れが成れば、軍を解体しても構わん!」

「それじゃ、この国は無法国家になるじゃない。漢が亡くなれば、力の大きな豪族が勝手に王を名乗るわよ。あなた達のやろうとしてる事は、事態を悪化させるだけだわ!」

「旅芸人如きが、賢しげに知った風な口を聞くな! たとえそうなろうとも、腐敗しきった漢が治めるよりは遥かにマシというものだ!!」


人和と平行線の論理を重ね、男の調子は、段々喚くようになっていく。

喚きから、威圧するような声へ。

この場には、少女三人。か細く、非力な、花の様な三人娘だけ。味方は居ない。そして、大の男の膂力で、遠慮なく乱暴に拘束されている。


怖かっただろう。

それでも、従うわけにはいかなかった。


「……あの人たちは私達の歌を聴きに来ただけよ。そんな理由じゃ、集まるわけない……」

「言っただろう、お前達は歌えばそれでいい。現に、たったそれだけの事で、十万余りの衆人が集まったではないか。信奉するお前達が戦えと命じれば、奴らは必ず戦う。指揮は我々がすればいい。それでも戦わぬ腰抜けは、新時代には必要ない!」

「……そんなの、違うもん」


新しい声。

それまでずっと閉じていた唇が動いて、耳慣れない声が聞こえてきた時、男は顔を怪訝に歪ませた。


「何?」

「そんなの、お姉ちゃんたちの歌じゃないもん!!」


今まで、唯一言葉を紡がなかった彼女が。

普段、天真爛漫で、柔らかな歌声を綴る彼女が。

三人の、否、此処に居る誰よりも、悲壮ではっきりとした言葉で述べた。


「お姉ちゃんたちが、歌って、踊って……それを見た人が、綺麗だねって笑ってくれて、それが嬉しくって、もっと頑張ろうって、そこに居るみんなが楽しくなって……お姉ちゃんが、ちぃちゃんと人和ちゃんが歌うのは、そういう歌だもん! みんなが苦しい顔して、無理矢理痛い思いさせるような、そんな風に歌う歌じゃないもん!!」

「……っ!」


美しい声だった。

透き通った声が、勢いよく山林に渡って広がっていき、それは思わずとも、弁論を続ける男の舌を躓かせ、波紋の後の一瞬の静寂をもたらした。


「――――――何でも良いけどさァ」


その一瞬の、彼女の訴え、滅多に聞けない叫びの様なそれで起こった、虚を突かれたような、気持ちの空白に。


――――――不意に、突然、現れた。


「なっ……あ!??」

「雄大で小難しい天下国家もいいけど、もっと見るべきもんがあるんじゃねえ? 足下とか」


道脇の深い林からか? それとも前の山道からか?

定かではない。何処から来たのか、見失った。気が付いたら、其処に居た。それほどに、速く。

その、まさに目の前の足下に、前触れも無くいきなり現れたこの男。

自らの膝が地面に付こうかと言う程に、身を沈めて構えたこの男。


「いいや、李通! そいつァ最も重要な問題だぜ!!」

「俺らのしすたぁずの腕捻り上げて、泣きながら歌わせようとするなんざ」

「例え閻魔と隊長が許しても、俺らが黙っちゃいねえぞこのヤローッ!!」


三姉妹に聴かせる演説の、根源だった喉笛、百万の革命の勇士でなく、自分の為に発せられていた、その声帯を鳴らす咽仏が、白樫の鋭い突きに砕かれた。

その瞬間と殆ど同じくして、一斉に近くの林から躍り出た、黄色頭巾の抜刀隊が、山道の中央で固まっていた彼らの一団に、猛るマシラのように斬り掛かった。


「くっ、なんだ貴様っ……らっ!?」


鞘から抜く暇は無かった。

とっさに人和の手首から手を離し柄に手を掛けた時、その首筋に、パックリと一筋の剣閃が打ち込まれていた。


「ずいぶんと悠長だなァ、オイ」


骸が倒れるよりも早く、その剣を片手で振るった長身痩躯の男が、空いた腕で人和の肩を抱えるように奪い返す。

人和が、はっ……と息を呑んだ。


「おっしゃあ!! デク!!」

「おう!! チビ!!」


混乱によって乱れた人波の、間を縫うように駆けるひと際小さな影。

小さな身をさらに低くし、後ろから、自分より一尺近く大きな男の膝裏を突き刺し、その大男が呻くよりも早く、身を翻して隣の男の背骨を突いた。

天和と地和を拘束していた、二つの影が崩れ落ちる。

それを見計らい、前から突っ込んだ腰回り八尺はあろう巨漢が、障害物のように邪魔な敵兵を、棍棒で払い、腕で押しのけ、体でぶちかまして戦車に轢かれる木端の如くに薙ぎ倒し、二人の身体を、それぞれ両脇にがっしりと抱える。


「ぅわっ!?」

「おぉ~!?」


天和と地和の間の抜けた声を置き去りに三人は再び疾駆し、その内チビが、立ち塞がった敵を一人、二人斬り払い、疾風の如く敵中を突破し、見事、三人を奪還してみせた。

――――――彼らには何が起こったか、全く把握できなかったろう。

嵐の様に感じられたと思う。

アニキ、チビ、デクが三姉妹を回収したのを見るや、奇襲を加え、敵中を切り崩した黄色頭巾の男達――――李通のみはそうではないが――――は、互いに交錯するように走り去り、旋風のように一斉に敵を置き去りにする。

七、八、あるいは十余体程の骸、そして未だに混乱する敵を挟んで、それぞれ峠道の両脇に陣取った。


「大丈夫か?」

「えっ……は、はい……」


敵中を脱出し、再び彼らと向き合って構えたアニキは、傍らで震える麗しい少女に語りかけた。

しゃがれているが、穏やかな声。

少しビクッとしながら、そして眼鏡越しに、口髭を生やした長身痩躯の男を見上げると、反射的に首を縦に振った。


「よし……お前ら、人和ちゃんを保護しとけ! くれぐれも丁重にな!!」

「へい!」

「さ、天和ちゃんも、地和ちゃんも、後ろに下がるんだな。俺らと前に居ちゃ、危ないから」

「え、え~と」

「ちょ、ちょっと! あんた達、一体……」

「細けえ話は後でしまさァ! そんときゃ、この黄色頭巾にしっかり揮毫頂戴よ、地和ちゃん!」


抱えていた三人を降ろし、すぐに敵と接さぬ集団の中側に誘導する。

戸惑う彼女らはそのままに、すぐさま屈強な、黄色い頭巾を被った者たちが彼女らの周りを固めた。


「う~ん……れんほーちゃん、これ、どういう事?」

「そうよ人和! こいつら、敵!? 味方!? 信用していいの!?」

「わからない、けど……」


彼らに切り崩された敵の一団と同じくらい、彼女らは混乱していたはずだ。

だが、彼女らと、彼女らを拘束していた者たちの差が、一つある。


「少なくとも……地獄に仏には間違いないわ」


彼らを威圧していた、あの集団とは違う。

彼女らを崇めていた、壇下の衆人たちともまた違った。

黄色い頭巾、しかし、見えるのは背中。

その背中はとてつもなく分厚く、頼もしげに見えた。



実はわた、春香さんが一番好きです!

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